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<title>伊藤伸二の吃音（どもり）相談室</title> 
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<modified>2012-05-22T20:47:51Z</modified> 
<tagline><![CDATA[「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。]]></tagline> 
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<title>　吃音と人とのつきあい　大阪吃音教室での話題</title> 
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<modified>2012-05-22T11:47:49Z</modified> 
<issued>2012-05-21T11:04:57+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　　
　どもる私は、人付き合いの苦手さを克服できるか

　前のブログからずいぶんと日があいてしまいました。
小児科医師会での講演や、岡山言友会の相談会など、書くことはたくさんあるのに、書けませんでした。それはおいおい書いていくことにして、今回は、前回の大...</summary> 
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<![CDATA[　　<br>
　<b>どもる私は、人付き合いの苦手さを克服できるか<u></u></b><br>
<br>
　前のブログからずいぶんと日があいてしまいました。<br>
小児科医師会での講演や、岡山言友会の相談会など、書くことはたくさんあるのに、書けませんでした。それはおいおい書いていくことにして、今回は、前回の大阪吃音教室の続きです。<br>
<br>
質問　どうしたら、人付き合いの苦手さを克服できるか<br>
<br>
伊藤　人とのつきあいが苦手で、苦手な場に出ないでいたら、ずっと人付き合いが苦手のまま。話すのが苦手だからと、話す場面を避けていたら、ずっと話すことが苦手なままが続く。どこかで覚悟を決めて、苦手な場に出ていくしかない。<br>
　ひとつの方法としては、何かのグループや会、組織のリーダーになること。世話人になること。他の人のことを少しは考える。私は、自分のことだけを考えていたときは、逃げてばかりの生活だった。２１歳の時、どもる人のセルフヘルプグループ、言友会を創立した。創立者だから、リーダーにならざるを得なくなった。自分のためなら逃げていたが、自分がつくった会のためには、逃げなくなった。吃っても話したし、人付き合いが苦手でも、人とつきあった。その内に苦手ではなくなった。<br>
　自分のことだけを考えていると苦手意識は克服できないのではないだろうか。リーダーになれば、結果として人付き合いが増える。私もどもるのが嫌だから、人付き合いを避けていた。「どもって生きる覚悟」を決めることが最初に必要なことではないか。<br>
　<br>
坂本：どもる人が、リーダーになる、世話人になる意義を吃音親子サマーキャンプで感じた。大阪スタタリングプロジェクトのどもる人たちが、初めて会ったどもる子どもに、一生懸命かかわっていた。子どもも喜んでいたが、その人たちも楽しそうだった。<br>
<br>
伊藤：リーダーが一番得をしている。これはセルフヘルプグループの原理。世話をする人が一番成長する、変化する、助けられている。私はさきほど人の役に立つといったが、人の役に立つということが全面にあるのではない。楽しいからやっているが8割以上。人のためというより、自分が楽しいからやっている。その結果、人の役に立っていると実感できるのがうれしい。<br>
　人付き合いが苦手で、それをなんとかしたいと本当に考えているのなら、アドラー心理学でいう、「共同体感覚」を身につけることだ。そのためには、自己肯定・他者信頼・他者貢献の感覚を身につけたい。<br>
<br>
　自己肯定<br>
　演出家の宮本亜門は、高校時代、他の高校生との人間関係がうまくとれずに、悩んで学校へ行けなくなった。１年ひきこもったが、親から、学校へは行かなくてもいいから、精神科医のところへ行って欲しいと言われて、精神科医と会った。他人と、自分が考え方や行動が違うところを、精神科医は何一つ否定せず聞いてくれ、おもしろがってくれた。全面的に肯定してくれた。そこで、おもしろくて、1週間精神科医のもとに通った。ずっと肯定され続けたことで、自分を取り戻して、1週間後に学校へ通うようになる。<br>
　「あなたはあなたのままでいい。他の人と合わなくてもいい。まあこの自分でいいか」<br>
　この自己肯定がまず大事。<br>
<br>
　他者信頼<br>
　日本は世界でも珍しい、安全で治安のいい国。この世の中には変な人、合わない人、苦手な人もいるけど、基本的に他人は信頼できる。この世の中は信頼できる。この他者信頼がなければ、苦手な人とつきあえないし、どもることを否定する人ばかりだと考えたら、話せない。まず、他者を信頼しよう。<br>
<br>
 　他者貢献<br>
　昔、幼稚園の先生、小学校の教諭、中学校、高等学校、看護師の専門学校などで講演したとき、「自分で自分のことが好きですか？」という質問をしたことがあった。自分のことが好きなのは、順番に幼→小→中→高→看護学校だった。自分のことがあまり好きではないは、看護師の専門学校がトップだった。僕だけの経験で一般化はできないが、その時、「自分が嫌い、生きていく自信が持てない」という自分を少しでも変えたいから、看護という仕事について、他者貢献して自分を好きになりたいのかなあと感じたことがあった。　その学生たちに、自分のことが大好きとまではいかなくても、学生のうちに「楽しい、嬉しい、心弾む」ことをいっぱい経験して、少しでも自分を好きになって欲しいと話した。<br>
　<br>
質問　生まれたころから人とあまり会話しなかった私でも、人と関わるのが苦手でなくなるか。ずっとこうだったので、変われる気がしない。<br>
<br>
伊藤　今の生き方をいつまで続けますか？　人と関わるのが苦手な、あまり人と関わらないで今のまま生きていってもいいと思うけれど、もしも変えたいのなら、変えたらいい。あなたが行動するのにどういうことが必要ですか？<br>
<br>
質問者　人と話すことが分からない。何を話していいのか。<br>
<br>
伊藤　じゃあ、今のままでいいじゃん。無理しなくてもいい。だけど変えたいと思うなら変えられる。これまであまり人と会話しなかったから、これまではいろんな物事に興味関心が少なかったかもしれない。興味、関心、趣味などを増やしてみるのはいいかもしれないね。そうすると、今後の人生の色どりが増す。老後が楽しくなるかもしれない。自分の喜び、楽しみを少しずつ広げていく。その結果、人と話ができるようになるかもしれない。<br>
<br>
奥野：僕の場合は性格プラス吃音の影響もあり、会話の流れを止めるのがイヤ。その場が凍り付くような気がする。だけど、僕は人と喋りたい。どうすればいいか？<br>
<br>
伊藤：そのためにはリスクを背負わないと。どもって、流れをストップさせるかもしれない、変な空気になるかもしれない。それも引き受ける。それに慣れていくと、自分もまわりの人もそのことが気にならなくなる。他人は人のことなんてあまり構っちゃいない。自分のことに精一杯だ。基本的に人は自分のことには関心があるが、人のことには関心がない。その場が本当に凍り付いているか、行動を起こしてみなければわからない。実験する。試してみるのも面白い。本当に場の空気が凍りつくのか。そこには、場の空気が凍りつくのを嫌がる人もいるかもしれないけど、逆にそれによって救われる人もいるかもしれない。しょうもない話をしているところに、あなたが話し始めることによって場の空気が変わり、ホッとする人もいるかもしれない。話したいと思ったら、ともかく会話に入っていくことが大事。あなたは、会話に入りたいの？　会話に入らないと気まずいからと、義務を感じているのではないのか？<br>
<br>
参加者：やはり、孤独感、疎外感を感じる。<br>
<br>
伊藤：演出家の鴻上尚史が、吃音ショートコースという私たちのワークショップの時に、とてもいいアドバイスをしてくれた。イギリスに留学していたとき、まだ英語がうまくできなかった初めの頃、基本的に、人は喋らなくても、輪の中にいるだけでもOKなんだけれど、一言も喋らないのはちょっと気まずいから、話が膨らんで英語についていけなくなる前に、つまり、最初の方に「このサンドイッチ、うまいね」「今日は気持ちいい、いい天気だね」などと、言っておく。それだけでこの輪の中に自分もいるのだと、存在をアピールできる。あとは喋らず、相づちを打ったりにこにこするだけでOKだという話をしてくれた。<br>
　「私は喋らなくてもOKだ」「だから人の話を聞こう」ということだ。<br>
　僕は大学２年生の時、「お前は、人の話を聞いていない。聞いてもらった気がしない」と言われたことがある。それが、カウンセリングを学ぼうと思ったきっかけになった。では、ここで質問です。どうして僕は人の話を聞けなかったのだろうか？<br>
<br>
坂本：自分が言うことばかり考えていた。<br>
<br>
伊藤：まさにそう。「自分が話してこそこの場にいる意味がある」「いつ会話に割り込もうか」ばかり考えていた。昔、誰かが話すとすぐにその話をとって「私の場合はね」と、自分の話の糸口をつかむために人の話を聞いているかのような人がいた。それに近かったのかもしれない。<br>
<br>
参加者：会話の中で、常に自分がどもるかどうかを気にしていたから。<br>
<br>
伊藤：そう。どもる人の大きな問題がこれ。自分と相手の間に、「どもり」という壁をつくり、このことばはどもるか、うまく言えるかと、目の前の相手より、常に自分の中にある、どもりとの対話を優先させていた。そんな僕を友人は見抜いていたのかもしれない。<br>
　どもろうとどもるまいと、自分が話したい時は話したい。<br>
　エンカウンターグループでファシリテーターをしている時の話だけど、基本的にエンカウンターグループでは、ファシリテーターはあまり喋らない。しかし、参加者の話を聞いていると、つい「自分もこんなことがあって」と話したくなる。でも、そうやって自分の話を始めてしまうと、自分の話ばかりになってしまう。そこで「自分の体に預けた。自分のセンサーを信じた。どうしても話したいと、自分の動悸が高まった時だけ話そう。それほどでもない時は黙っていようと決めた。<br>
　どもりに悩んできた私は、喋ることに慣れていないし、聞くことにも慣れていなかった。ことばのキャッチボールの経験が不足していたために、友人に「お前は聞いていない」と言われたのだと思う。それからは、できるだけ聞くことに重点をおいて、自分が話したい時は話そうと心がけて、私は聞くことも話すこともできるようになって、あまり人と話すのが苦手ではなくなった。それと、沈黙を楽しむ、沈黙に強くなることかな。僕は沈黙があると、すべてどもる自分に責任があると思い込んでいた。半々の責任だから、自分の責任と感じる必要はない。急がない。話題を次々に提供しなくていい。<br>
  こんなことを考えて、人と話す場に出ていったらいいのではないか。<br>
<br>
　この日の大阪吃音教室でこのようなことが話されました。仲間にメモが得意の人がいて、メモしたものをメールで送ってくれましたので、それをそのまま使って、吃音教室の様子を報告しました。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二　2012/05/21]]> 
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<title>大阪吃音教室　 どもりって何だろう（吃音の基礎知識）</title> 
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<modified>2012-05-02T21:57:00Z</modified> 
<issued>2012-05-03T06:57:00+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1669784</id>
<summary type="text/plain">   2012年4月20日（金）
   どもりって何だろう（吃音の基礎知識）

  4月からまた新たに始まった大阪吃音教室。開講日は５人の新しい人が参加しましたが、今日も２人の初参加がありました。ひとりは、私が毎年行っている島根のどもる子どもキャンプ、スタタリングフォー...</summary> 
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<![CDATA[   2012年4月20日（金）<br>
   どもりって何だろう（吃音の基礎知識）<br>
<br>
  4月からまた新たに始まった大阪吃音教室。開講日は５人の新しい人が参加しましたが、今日も２人の初参加がありました。ひとりは、私が毎年行っている島根のどもる子どもキャンプ、スタタリングフォーラムに高校生の時参加し、私と昼ご飯を一緒に食べたというひとです。今は、大学2年生で、助産師志望だそうです。どもりながら、人と接する仕事につきたいと、考えて行動を起こす明るい女子大生です。私のことを、このように覚えていて、わざわざ遠く姫路から参加してくれたのは、うれしいことでした。<br>
　もうひとりは、43歳の男性の会社員。人と話すのが苦手で、人と話す機会が少ないので余計に話すのが苦手になっていくと話しました。<br>
　姫路からはたびたびは参加できないでしょうが、男性はなんとか毎週きてほしいなあと思いました。<br>
<br>
　今日のテーマは、吃音についての基礎知識についてです。これまでは、知っている吃音知識を出してもらって、それが正しいかどうかなどを検証していくこともしたのですか、今回は、私たちの目指す、「吃音とともに生きる」ために、知っておいた方がいいことがを知ってもらうことにしました。<br>
<br>
伊藤：吃音で困っている、悩んでいる、どう解消したらいいか、など何でも質問してください。<br>
<br>
東野：僕が参加しはじめた17～18歳の頃と比べると今のほうがどもる人が増えているのでは？今は毎週のように初参加者が来る。どもりの発生率は人口の1パーセントだと言われているが、それより多い感じがする。<br>
<br>
伊藤：言語聴覚士やことばの教室の教師からも「増えている」という声が多い。北九州の小児科医院で言語聴覚士をしている友人も、「こんなにどもる子どもがいるのか」とおどろいていた。火曜日に尼崎の小児科医の講演会で講演をしたが、ここでも相談件数が増えているという声を聞いた。<br>
　統計的には分からないが、増えているのかもしれない。ことばの教室の担当者の全国大会、全難言の全国大会でも、以前は吃音分科会の参加者はあまり多くなかったが、最近は多くなった。<br>
　その背景には<br>
・実際にどもる子どもが増えているのかもしれない。<br>
・どもる子どもとのかかわりが難しいと感じる親や、臨床家が増えているのかもしれない。<br>
・吃音に対する関心が高まっている<br>
が考えられる。<br>
・大阪吃音教室だけかも知れないが、高校生や、大学生になってから、３０歳をすぎてから、どもり始めたという人が、増えている。これままでの３歳前後にどもり始めるという人に加えて、思春期を過ぎてからどもり始める人がいるので、増えていると感じるのかもしれない。<br>
<br>
【原因1】社会的な問題<br>
競争社会、不安を抱えた人が増えている。人間関係がぎくしゃくしている。生きづらい社会になってきた。<br>
<br>
【原因2】教育へのプレッシャー<br>
吃音に対する常識もめちゃくちゃ。小児科医の研修会で、小児科医のほとんどが、80パーセントが自然治癒すると思っていた。吃音研究の現在常識では、自然治癒は、40～４５パーセントくらい。<br>
<br>
　この後まだまだ質問に対して答えたり、話し合ったりしていくのですが、ゴールテ゜ンウィークで、毎年言っている伊賀地方に出かける時間になりましたので、この続きは連休明け報告します。<br>
　よい、ゴールデンウィークをお過ごし下さい。<br>
<br>
日本吃音臨床研究会・伊藤伸二　2012/05/03<br>
<br>
]]> 
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<title>不本意ながら、どもって生きるより、納得して、どもって生きる。</title> 
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<modified>2012-04-27T14:23:51Z</modified> 
<issued>2012-04-27T09:41:53+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1668953</id>
<summary type="text/plain">　　2012年4月13日（金）
　２０１２年度の大阪吃音教室が開講しました。
　毎年の開校式では、自己紹介の意味合いで、また吃音についての情報を共有する意味でも、参加者がみんなに聞きたい質問をして、４つのグループに分かれることをします。これを聞きたいと質問を出し...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[　　2012年4月13日（金）<br>
　２０１２年度の大阪吃音教室が開講しました。<br>
　毎年の開校式では、自己紹介の意味合いで、また吃音についての情報を共有する意味でも、参加者がみんなに聞きたい質問をして、４つのグループに分かれることをします。これを聞きたいと質問を出した人が、４つのグループにインタビューするという形です。これがなかなかおもしろい。　<br>
<br>
【1】 いつから吃りはじめたか？　(1) 小学校まで　(2) 小学校　(3) 中～大学　(4) 社会人<br>
【2】 どもりの原因は？　(1) 真似　(2) 遺伝　(3) ○○が原因　(4) 不明<br>
【3】 どもりをカミングアウトしているか？　(1) 家族　(2) 職場　(3) 一般社会すべて　(4) 無し<br>
【4】 一番苦手な場面は？　(1) 電話　　(2) 人前でのスピーチ　(3) 本読み　(4) 雑談<br>
<br>
　初参加の人が５人いたので、本人の自己紹介と、その人への質問にかなりの時間をかけましたので、質問は４つでしたが、いろいろとバラエティーにとむ吃音に関する質問がだされました。<br>
　どもり始めたのはやはり、小学入学前が多かったですが、中学や、高校生になったからの人も、４人ほどいましたし、初参加の４８歳の男性は、それまでまったくどもらなかったし、意識もなかったのが、自己紹介の時、自分の名前がなぜか出なくなり、それから、言いにくくなったそうで、１０年前のことだそうです。<br>
　アメリカの言語病理学は、よほど強く頭を打たない限り、１０歳を超えてどもり始めることは、ほとんどないと言い切っていますが、たくさんの人が集まる、セルフヘルプグループには、１０歳を超えてからどもり始めた人は少なくありません。<br>
　言語聴覚士の専門学校では、「発達性吃音」と「獲得性吃音」があると教えなければなりません。国家試験にそう出題されるからです。１０歳前にどもり始めるのを発達性で、それ以降を獲得性といいます。それを、「心因性吃音」と「症候性吃音」に分けます。脳卒中や交通事故で脳にダメージを受けると、失語症になりますが、吃音によく似た話し方になります。それを以前は吃音ではなく、「吃様症状」として、吃音とは考えず、失語症の言語症状のひとつだと考えていました。このように分け方をすると、これと違って原因が明確でないものはすべて「心因性」になってしまいます。高校生になってから、３８歳になってからと言った人は、「心因性」と言えるような強いきっかけはないのです。「発達性」「獲得性」とはばかげた分け方だと改めて思います。<br>
<br>
　これらの質問コーナーの後、私が参加者の質問をうけて少し話しました。<br>
　質問「どもりが治せないという根拠は？」<br>
　伊藤「治っていないという事実を言っています。これまで数千人のどもる人に会ってきたが、誰一人として治ったという人に、私は出会っていない」<br>
　<br>
　質問「吃音の症状を軽減させることは可能か？」<br>
　伊藤「吃音は自然に変わるもの。自然に変わっていくものに身をゆだねるしかない。軽減させることを目的にして努力しても変わらないが、話すことから逃げない生活の中で、結果として軽減されることは少なくない。どもる人の本当の苦しみは“どもれない苦しみ”で、「どもってもいい」と考えられたら、話せない場面はなくなる。アメリカは、吃音コントローと称して、ごまかす方法を教えている。大切なのは「自分がラクに生きられるか」で、この吃音教室に来て、「どもれる喜び」を味わった人は多い。気持ちが解放され、“伝える”ことの大事さに気づく。価値観が変わる。<br>
<br>
　質問「どもりを受け入れている人は、他人からのプレッシャーを感じないのか？」<br>
　伊藤「受容とか受け入れるという言葉を僕たちは使わない。受容する、受け入れるということは、そんなに簡単なものではない。生涯かけて少しずつ感じていく、プロセスだ。死ぬ直前に感じるものかもしれない。受容する、受け入れるという表現より「どもる事実を受け入れよう」と私たちは言う。どもる事実を認めていても、他人からのプレッシャーからでなくても、恥ずかしいとか、どもりたくない、という気持ちも当然ある。しかし、基本的にはどもる事実を認める。吃音を受け入れられない自分も認め、恥ずかしくても、どもりたくなくても、逃げずに話していく。その生活の中で、どもる事実をさらに認められるようになる。<br>
　三重県の津市で、小学生と話したとき驚いた。僕たちは、“普通”になりたくて、もがいてきたが、４年生の男の子が、「どもりを治したくない。少数だからいい。普通になりたくない」と言った。岡山の子どもが、吃音は「責任」だという表現をしていた。「どもる僕たちには、吃音を理解してもらうためにも、どもる責任がある」と言っていた。<br>
<br>
　あといくつかのやりとりがありましたが、最後に締めくくったのが次のことはです。<br>
<br>
　「吃音と共に生きる」を難しいと人は言うが、どんなに治したいと、治そうと試みて努力している人であっても、吃音を認められずにいる人であっても、現実には社会生活を送っている人は、「吃音と共に生きている」。ただ、不本意ながら吃音と共に生きるのと、「どもったままでいい」と、納得して生きている違いがあるだけだ。<br>
　どっちみち、吃音と共に生きるのなら、納得して生きていきたい。大阪吃音教室では、納得して、覚悟を決めて吃音と共に生きるには、何を知り、勉強し、練習すればいいかを考えています。新しく参加した人も、是非継続して来て下さい。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会会長　伊藤伸二　2012/04/27<br>
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<title>映画「若者たち」</title> 
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<modified>2012-04-27T14:18:40Z</modified> 
<issued>2012-04-24T23:51:46+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1668685</id>
<summary type="text/plain">　私にとってそれまでで一番うれしかったこと

　吃音に悩み、２１歳まで深く悩んでいた私にとって、生涯忘れられないうれしかった、大きな出来事がいくつかありますが、この映画の上映がその始まりでした。

　４月２６日　ＮＨＫＢＳプレミアム　１３時～１４時３９分...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1668685.html">
<![CDATA[　<b>私にとってそれまでで一番うれしかったこと<u></u></b><br>
<br>
　吃音に悩み、２１歳まで深く悩んでいた私にとって、生涯忘れられないうれしかった、大きな出来事がいくつかありますが、この映画の上映がその始まりでした。<br>
<br>
　４月２６日　ＮＨＫＢＳプレミアム　１３時～１４時３９分<br>
　「若者たち」が放送されます。 是非見て下さい。<br>
<br>
　この映画は、私がどもる人のセルフヘルプグループ、言友会をつくり、３年目、「公開討論と映画の夕べ」として、私たちが初めて上映し、その後、自主上映運動が全国に広がった映画です。<br>
　「吃音者宣言」　たいまつ社に、「言友会誕生のエピソード」の章に次のように書いた文章がありました。<br>
　<br>
<br>
映画「若者たち」のこと<br>
　事務所が言友会の活動の中心の場となるにつれ、そこには常に明るい笑い声が絶えなかった。若い私たちには雨もりのするどんなボロ屋でも、５人も１０人も同じ屋根の下で夜遅くまで語れる場があるということはありがたかった。<br>
　マージャン屋や酒場に早替わりすることもたびたびあったが、悲しいときうれしいとき、自然と足は事務所に向かった。　会が充実するにしたがって、これまでの活動では物足りなくなってきた私たちは、何か夢のあることがしたくなっていた。また言友会の存在を大きくアピールすることはできないか、常にそのことが頭の中にあった時期でもあった。<br>
　ある日、新聞で「若者たち」という映画が制作されながら、配給ルートが決まらず、おくらになりかけているという記事を読んだ。テレビで放映されていたものが映画化されたのだった。テレビで感動を受けていた私は、いい映画が興業価値がないことでおくらになることが不満だった。そしてその置かれた立場を言友会となぜかダブらせていた。<br>
　「そうだ、この映画を全国に先がけて言友会で上映しよう。そして吃音の専門家に講演をお願いし、講演と映画の夕べを開こう。吃音の問題を考えると同時に、映画を通して若者の生き方を考えよう」<br>
　そのことが頭にひらめくと私の胸は高鳴り、もうじっとしておれなくなった。さっそく制作した担当者に電話をし、新星映画社と俳優座へと出かけていった。どもりながら前向きに生きようとしている吃音者のこと、言友会のこと、そして今の私たちに必要なのは、映画『若者たち』の主人公のように、社会の矛盾を感じながらも、社会にたくましくはばたこうとする若者の生き方であることを訴えた。私たちの運動には理解や共感をしえても、末封切の映画の無料貸し出しとは別問題であった。あっさりと断わられたが、私は後ろへ引き下がれなかった。東京の吃音者に言友会の存在を広く知らせ、共に吃音問題を考え、生きる勇気を持つにはこの企画しかないと私は思いつめていたのだ。<br>
　私は、六本木にある俳優座にその後も何度も足を運んだ。交渉を開始してすでに７ヵ月が過ぎた。そして、映画『若者たち』も上映ルートが決まらぬままであった。再度私はプロデューサーに長い長い手紙を書いた。あまりのしつこさにあきらめたのか、情勢が変化したからなのかわからなかったが、この手紙がきっかけとなって映画を無料で借り出すことに成功した。そして、上映運動が展開される時には協力を惜しまないことを約束した。これまで私が生きてきてこの日ほどうれしかった日はかつてなかった。さっそく事務所にいる仲間に伝え、手をとりあって喜んだ。<br>
　とにかく、２５０名もの人を集め、主演の山本圭も参加してくれての夕べは成功した。会場を出る時参加者は『若者たち』の歌を口ずさんでいた。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会会長・伊藤伸二　2012/04/24]]> 
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<title>増野肇教授最終講義のサイコドラマ</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1666590.html" />
<modified>2012-04-13T07:41:08Z</modified> 
<issued>2012-04-13T16:41:08+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1666590</id>
<summary type="text/plain">
 　人と人とをつなぐサイコドラマ

　前回最終講義の様子は報告しましたが、写真がないためにイメージできなかったことでしょう。
　カメラをもっていったのですが、周りの迷惑にもなるので、あまりシヤッターは切れず、また、電池切れで、最後のクライマックスがとれな...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1666590.html">
<![CDATA[<br>
 　人と人とをつなぐサイコドラマ<br>
<br>
　前回最終講義の様子は報告しましたが、写真がないためにイメージできなかったことでしょう。<br>
　カメラをもっていったのですが、周りの迷惑にもなるので、あまりシヤッターは切れず、また、電池切れで、最後のクライマックスがとれなかったのですが、少しとったものだけでも掲載します。<br>
<br>
　「だれもが恐怖や不安を持っています。弱いあなただからこそ、周りの人が助けてくれたのです。危機は成長のチャンスだともいえます。物事を正しくみて、その道を進みなさい。不安はつきものです。アウシュビッツで救われたのは、希望を持てた人です。その希望をみつけるには、サイコドラマが一番いい」<br>
<br>
　ドラマの最後の方の言葉です。<br>
<br>
　増野さんは、弱さをそのままさらけ出す人です。だからたくさんの人が周りにあつまり、互いを支え合ったのでしょう。５０人ほどの出演者。それぞれの人との出会い、ドラマがあったのだと、出演する人たちの姿から、想像できました。まさに、人と人とを結びつける、サイコドラマと共に生きてこられた人生だったのでしょう。<br>
　私の人生も、このようにサイコドラマで見てみたい、とふと思ったのでした。<br>
　<br>
<a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/d/b/db826e02.jpg" title="P1010137" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/d/b/db826e02-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010137" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/c/3c6656e6.jpg" title="P1010138" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/c/3c6656e6-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010138" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/2/2/22310219.jpg" title="P1010144" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/2/2/22310219-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010144" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/5/1/511b586d.jpg" title="P1010153" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/5/1/511b586d-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010153" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/9/2/92c3c2a3.jpg" title="P1010165" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/9/2/92c3c2a3-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010165" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/2/32c304dc.jpg" title="P1010166" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/2/32c304dc-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010166" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><br>
<br>
　日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　2012年4月13日]]> 
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<title>増野肇教授最終講義－サイコドラマの魅力を伝えて－</title> 
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<modified>2012-04-11T23:37:25Z</modified> 
<issued>2012-04-10T21:50:24+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">  ひとりの精神科医の豊かな人生

　「今日は、出かけるのを控えましょう、台風並みの悪天候です」。天気予報通り、
中央線の武蔵境駅につた時には、雨が降り出し風も強くなってきました。タクシーでルーテル学院大学に着き、会場のチャペルの受付に行くと、「これ、増野...</summary> 
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<![CDATA[  <b>ひとりの精神科医の豊かな人生<u></u></b><br>
<br>
　「今日は、出かけるのを控えましょう、台風並みの悪天候です」。天気予報通り、<br>
中央線の武蔵境駅につた時には、雨が降り出し風も強くなってきました。タクシーでルーテル学院大学に着き、会場のチャペルの受付に行くと、「これ、増野先生からのクッキーです」と、ダンスをしている増野さんのイラスト入りのクッキーと、最終講義の案内のレジメを渡されました。クッキー？と思ったが、そこが増野さんらしいところなのでしょう。<br>
　増野さんはすぐに、私たちをみつけると、にこっと笑って、「すみません。忘れてまして。大体見たので、もうすぐ送ります」と言われた。東京に来る前に印刷に回しておきたかった日本吃音臨床研究会の年報「サイコドラマ入門」の原稿のことだ。チェックしてほしいと頼んでいたもので、忙しいのでもう少し待ってほしいと言われていたものだった。　会場にはもうすでにたくさんの人が入っていました。さすがに誰一人知った顔はいない。ちょうど舞台の真ん前の席が空いていたので座る。特等席です。いすがひとつ置かれているだけの舞台、左の方にたくさんのパイプいすがあって、みんな黒い服を着て、少し緊張した面持ちで座っています。今日の出演者です。<br>
　レジメには、「私の歩んできた道と社会福祉　喜寿を迎えて」とあり、社会情勢とともに、年表が細かく書かれています。<br>
　本来の最終講義は、昨年の３月１２日に予定されていたが、前日の東日本大震災のため、１年延期されたのです。この１年間で、シナリオもずいぶん変わり、温め、練り直し、熟成された舞台を見ることができるのは幸せでした。こんな案内をいただいていました。<br>
<br>
　「ルーテル学院大学を退職するに当たり、精神科医としての半世紀、大学の教授としての２５年間を振り返り、ソシオドラマの形式で上演いたします。本当は、昨年上演の予定でしたが、東日本大震災のために注しになりました。１９３３年の３月に起きた昭和の三陸大津波の１ヶ月後に生まれた私としては、この問題も取り入れるべきだと考えて、被災地の援助と共にドラマの中でも取り上げるようにしました。神奈川、宇都宮など私が生きてきた各地で上演を繰り返し、内容が整理されました。本来のソシオドラマは即興でやるべきですが、授業でやってきたようにシナリオを書き、音楽を入れてちゅー時刈る形式にしました。精神保健の歴史を取り上げた点はソシオドラマですが、私個人の道筋はサイコドラマです。そこで、シナリオ・ソシオ・サイコ・ミュージカルと名付けました。<br>
　震災によって明らかになった原発の問題も、年間３万人を超した自死の問題も、精神保健の面からは同じ課題と考えます。社会福祉を担うソーシャルワーカーの役割が大きくなります。そして、現在の日本が遭遇している、大きな危機においてはスピリチャルな側面を欠かすことができきません。その意味で、キリスト教を基本にしたルーテル学院大学の役割が大きく求められる時にあるように思います。<br>
　そんな思いを持ちながら、サイコドラマの仲間や、これまで教えてきた人たちと一緒に上演するソシオサイコミュージカルです。お出でいただき、一緒に考えてみましょう。お待ちしています」<br>
<br>
　「気が小さかった男が、精神保健の世界でどう生きてきたか、どうぞご覧下さい」という増野さんのことばで、舞台の幕が上がりました。<br>
<br>
　舞台の前にあるのは、いすがひとつ。左手に５０人の出演者、増野さんは右手に座り、解説、説明しながら、舞台が進んでいきます。<br>
  書き留めたメモをもとに再現します。<br>
<br>
第１章　増野肇が生まれる前の時代　１９００～１９３０年代<br>
　１９００年に父が、１９１０年に母が生まれる。そして、この頃、増野さんが影響をうけた人が次々にこの世に誕生している。森田正馬が１８７４年、ジロドゥが１８８２年、モレノが１８８９年、モレノの妻であるザーカ・モレノが１９１７年。そのたくさんの人たちが次々に舞台に登場し、大事なことばを言っていく。<br>
　精神病院でのひどい体験を綴った本「我が魂に出会う」<br>
　フロイト　恐怖、抑圧された恐怖を解明するのが治療である。<br>
　森田正馬　授業で病気について学ぶと、そのすべてが自分にあてはまると思って悩む。そして、死ぬ気で勉強したら、試験にも合格した。そのとき、人間本来の目的で生きていったらいいんだということを実感する。<br>
　ロジャーズ　人間には、自分で自分を成長させる力がある。治っていく力がある。その力を周りから守っていくのが、カウンセラーの役割だ。<br>
　プラット　その頃、結核はおそろしい病気だった。プラット医師は、結核患者を集団で治療した。すると、不思議なことに、仲間の力で、生活を変えていくことができ、仲間がいればがんばれそうだという患者が増えていった。集団療法のはじまりだと言える。<br>
　モレノ　生きている新聞（リビングニュース）という、自分の問題を舞台でやるようになった。サイコドラマのはじまりだと言える。<br>
　酒を断つことができないでいた人たちが、大きな力を信じることと、仲間と一緒に活動することを大切にして、アルコール依存症の会を作った。<br>
　時は、ドイツはヒットラー、そして日本は軍国主義への道を突き進んでいった。<br>
<br>
第２章　肇の誕生と成長　１９３０年～１９５０年代<br>
　１９３３年、増野肇の誕生。幼児洗礼を受けている。<br>
　小さい頃から、２つの性格が存在していた。一つは、気が小さく、こわがりで、おくびょう。特に、大きな音、たとえば、雷や花火、祭りの太鼓の音などが苦手だった。また、大きな波や海、津波が怖かった。だから、泳ぐことが苦手。その一方で、おちゃめで、ひょうきんで、踊りが好きだった。<br>
<br>
　花火の音におびえて、うずくまっている肇の周りに、恐怖のダンサーが登場する。黒ずくめの服装のダンサーたちは、肇を取り囲むようにして、指さしながら、低い声で歌う。<br>
♪大きな音は　こわーい　怖い　雷　花火に祭りの太鼓<br>
　大きな波は　こわーい　怖い　嵐に　地震の大津波<br>
　この恐怖のダンサーは、舞台の中でよく登場します。色と音が舞台の中でアクセントになっていました。<br>
<br>
　妻である信子が、１９３８年に生まれる。信子は、未熟児であった。もうだめかとあきらめようとしたとき、信子の命を救ってくれたのが、母である。体が弱いまま、生きていくことになる。<br>
　肇、暁星小学校に入学。こわがりの性格は直らず、小学校でもおくびょうで、声が出なかった。これを見た父が、近くの江戸川小学校に転校させた。このおかげで、先生に父が話したこともあって、友だちができた。楽しかった。特に、「ま」のつく３人組が仲良かった。３まと呼ばれた。<br>
<br>
　日本は戦争に入っていった。島根県に疎開した。そして、津和野で、天皇の玉音放送を聞いた。<br>
　小石川校校に行った。白井君という友人ができた。白井君は女の人によくもてた。白井君と一緒に教会に行った。教会に行けば、出会いがあるかもというやましい気持ちだったが。修学旅行があった。高校でもクラスの中では友だちもいて、楽しくやっていた。ところが、修学旅行のときは、クラスの枠は取り払われ、みんなが楽しくしていた。自由行動になったとき、肇の周りにはだれもいなかった。ひとりぼっちになってしまった。肇にとって、久しぶりのひとりぼっちである。ここでまた、あの恐怖のダンサーが登場してきた。<br>
　白井君は朝日新聞社に入った。肇は、慈恵医大にすすんだ。慈恵医大でも、優れた友人に恵まれた。そして、そこで、ミュージカルを上演した。それが見事に当たったため、その後、やみつきになってしまった。<br>
　父が肝臓癌で亡くなった。父の跡を継がなくていいと思った。<br>
　「間奏曲」ジロドゥのせりふ<br>
<br>
第３章　統合失調症と初声荘病院　　１９５０～６０年代<br>
インターンの時、精神病院を訪れた。そのときの恐怖をよく覚えている。分裂病になっても、安心して生きていけるようになりたいと思った。そういう世の中をつくっていかないといけないと思った。大原先生から、心理劇をやってみないかと誘われた。<br>
　そのころ、高良興生病院では、セルフヘルプグループのはしりのような動きが始まっていた。けやき会という、一年に一度集まる会が行われていた。退院してもよくならない、元気にならないということがよくあり、一度は集まった。元気にならないときは、昔の日記を読んで、それで元気になった。<br>
　葉山の病院で、イギリスのジョーンズ先生が、治療共同体ということを言い出した。患者たちが集まってただ話し合いをしているだけで、よくなっていったというのだ。鍵のない病院、みんなが安心して治療できる病院を作りたいと思った。<br>
　そして、初声荘病院を作った。治療共同体や話し合いは、舞台のようだった。喫茶店もあって、そこで、ある一人の女性がシュークリームを作っていた。その人が、後に増野先生の奥様になられる信子さんだった。シャイで気が小さい肇と信子さんは、劇団四季の練習風景を見に行ったことで接近した。「恋愛は誤作動で起こる」と言ったのは、べてるの家の向谷地さんだ。やがてふたりは結婚し、肇は仕事、信子さんは子育てに忙しくなっていった。<br>
<br>
第４章　栃木県精神神経センターとセルフヘルプグループ　１９７０～８０年代<br>
　ソーシャルワーカーの時代が始まった。栃木精神神経センターより依頼があって、行くことになった。キャプランの「予防精神医学」の翻訳をしよう、病院だけでなく県レベルの治療共同体にしよう、地域に安心できるサポートグループをつくろう、次々と事業が広がり、たくさんのイベントがあった。根本にあるものは、当事者を大切にしようということだった。べてるの家もこの頃始まった。<br>
<br>
第５章　大学教員としての時代　１９９０～２０００年代<br>
　日本女子大学の西生田キャンパス。ウィーンに出かけた。モレノに導かれたような旅だった。そこで、信子さんの乳がんが分かった。手術もしない、抗がん剤も使わないと言う。伊丹先生の生きがい療法、石原先生のニンジンジュース断食法をする。<br>
　その前に、高良さんが９７歳で亡くなる。精神保健福祉士が国家資格となる。<br>
　医者というより、ソーシャルワーカーとして生きてきたようだ。<br>
　日本女子大学を定年退職した跡、ルーテル学院大学に。ここは、ソーシャルワーカーを育てる大学だった。タペストリー描かれている男が「ようやく来たね。待ってたよ」と言ってくれた。<br>
　信子の再発。そして、その前に、大の親友の白井さん、矢内さんが亡くなる。信子さんも最後はピースハウスで亡くなる。また、ひとりぼっちになってしまった。<br>
<br>
　お連れ合いの信子さんを亡くされ、親友だった白井さんも矢内さんも亡くされ、絶望の中にいた増野さん。恐怖のダンサーがまた、踊りながら出てきた。<br>
<br>
　何に足してもやる気を失っていた肇は、アメリカに行く。そこで、ザーカ・モレノに会い、サイコドラマの主役をした。ダジャレを連発し、以前の元気な肇に戻ってきた。大切な人を亡くした跡、大きな力で支えられていることを実感した。神を信じるのには時期があると言われるが、今がそのときなのだろう。大きな力、神に支えられていることに気がついた。生きる意味というミュージカルをした。２０１１年３月、最終上演を行う予定だった。臆病なのは以前と変わっていない。初声、宇都宮、いろいろなところから逃げてきた。逃げてばかりの人生だった。弱さ、やさしさに惹かれて結婚した。ネガティブをポジティブに代えて生きてきた。危機をチャンスに変えてきた。人は弱いものである。だれもが恐怖や不安を持っている。弱いあなただからこそ、助けてくれた。危機は成長のチャンスだともいえる。物事を正しくみて、その道を進みなさい。不安はつきものです。アウシュビッツで救われたのは、希望を持てた人。その希望をみつけるには、サイコドラマが一番いい。<br>
<br>
　増野さんの人生を、そのときどきに出会った人を登場させて語らせる。話だけよりずっと立体的になり、厚みが増したような気がしました。ひとりぼっちになった悲しみの中にいた増野さんを救った大きな力に涙が止まりませんでした。<br>
　<br>
　演じている人たちと増野さんとの深い強いつながりを感じました。増野さんの解説が舞台のせりふとズレだときは、訂正が入り、やりなおしもありました。舞台を作り上げていく過程を一緒に生きている気がしました。<br>
　２００人の参加者の中で、増野さんしか知らない人たちの中にいても、孤独感はまったく感じることなく、舞台を楽しむことができました。増野さんは、多くの人の深い愛に包まれて生きてこられたのでしょう。私たちまで幸せな気分になりました。<br>
<br>
　１３時３０分開演の舞台は、１６時過ぎまで続きました。会場のチャペルを出ると、激しかった雨が上がっていました。わざわざ、このために東京に来た甲斐がありました。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年４月１０日]]> 
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<title>松元ヒロさんと土井敏邦さんが結びつく</title> 
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<modified>2012-04-05T22:17:30Z</modified> 
<issued>2012-04-03T22:32:43+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">　


　久しぶりに、松元ヒロさんのライブに行ってきました。
　２００５年１０月、私たちの吃音ショートコースと名付けた吃音ワークショップに来ていただきました。３日間、タップリと松元ヒロワールドに浸ることができました。「笑いとユーモア」のテーマのワークショ...</summary> 
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<![CDATA[　<a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/c/2/c2aedeb2.jpg" title="松元ヒロ" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/c/2/c2aedeb2-s.jpg" width="160" height="226" border="0" alt="松元ヒロ" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/0/307d2862.jpg" title="2012年01月19日17時02分39秒0002" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/0/307d2862-s.jpg" width="160" height="225" border="0" alt="2012年01月19日17時02分39秒0002" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/a/d/ad1d033e.jpg" title="2012年01月19日17時02分39秒0001" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/a/d/ad1d033e-s.jpg" width="160" height="226" border="0" alt="2012年01月19日17時02分39秒0001" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><br>
<br>
<br>
　久しぶりに、松元ヒロさんのライブに行ってきました。<br>
　２００５年１０月、私たちの吃音ショートコースと名付けた吃音ワークショップに来ていただきました。３日間、タップリと松元ヒロワールドに浸ることができました。「笑いとユーモア」のテーマのワークショップです。<br>
　私は大阪にいながら、吉本興業の笑いが好きになれません。笑い学会に入り、笑いやユーモアに強い関心をもちながら、吉本の笑いにはついていけません。上方落語は好きなのですが、その落語家が、テレビのバラエティー番組に頻繁に出るようになって、上方落語の落語家も嫌になりそうです。<br>
　<br>
　笑いのワークショップをしたいと思いながら、ずっとできなかったのは、私の好きな笑いの講師が見つからなかったからです。「週刊金曜日」という週刊誌で、松元ヒロさんの対談を読んで、この人ならと、名古屋であったライブに行きました。２時間ほど笑い放しでした。その場で私の企画を話して講師として来て下さることになりました。<br>
<br>
　しかし、ライブはたくさん経験しているものの、ワークショップという、長い時間の講師、しかも、笑いの芸でなく、話したり、ワークショップをするということで、一瞬戸惑われたようですが、私の勢いに負けてなのか、講師を引き受けて下さり、いつものライブの出し物だけでなく、パントマイムの演習、私との対談など、私たちの計画にのって下さいました。その様子は、「笑いとユーモアの人間学」という冊子にまとめられています。<br>
<br>
　その後、何度か関西地方に来られたときのライブや、東京の明治安田生命ホールでのライブなどを見て、今回、紀伊國屋ホールでのライブに行ってきました。<br>
<br>
　地方会場で見るヒロさんとは違って、大きなホールでのヒロさんは、一段と輝いていました。４日間の日程のすべてが前売り完売、当日券売り切れという大盛況の中での２日目、３月３０日に一番前の席に座りました。まさか手を振るわけにもいきませんので、私がいることに気がついているかどうか分かりませんが、精一杯の声援を送っていました。<br>
<br>
　しばらく見ない間に、芸風が変わったように私には感じられました。反戦、反権力の姿勢は当然変わりませんし、時の政府を批判することにも変わりがありませんが、より深く人間を紹介する話になっていました。私が行った３月３０日だけの事かも知れませんが、今回は３人の人の紹介がすべてでした。<br>
<br>
　一人は、このブログで紹介した、土井敏邦監督の「私を生きる」という映画の紹介でした。正月、湯布院で、友人の中曽根さんからいただいたＤＶＤの話です。私もこの映画については、いろんな人に話していますが、このように立体的に話せば、より分かりやすく、笑いを交えて話せるのだと、うれしくなりました。私が大勢の人に観てもらいたい、知ってもらいたいと思っている「話」を、大勢の人の前でヒロさんが話して下さっている。やはり、私が唯一敬愛する「笑い芸人」です。一段と好きになりました。私が伝えたいことをヒロさんが大勢に話をし、大勢の人が笑い、共感している。こんな愉快なことはありません。幸せな気持ちで会場を後にしました。<br>
　そうそう、あとの二人は、「立川談志」さんと、神戸の奇跡の画家といわれる「石井一男」さんの話です。三人三様の人柄の話は、胸を打ちました。<br>
　立川談志は、大阪に来たときに行ったのですが、体調を崩して、談春が代わりに落語をしました。談春もよかったのですが、談志の落語を直に聞けなかったのは心残りです。　　石井一男さんの絵は、神戸で見ることができるので、是非出会いたいと思います。<br>
<br>
　この人に会いたい、この映画を見たい、この絵を見たい。聞き手にそのように思わせるもので、何か、良質の講演を聴いているような感じさえしました。わざわざ大阪から出かけてよかったと思えました。<br>
　土井さんの「私を生きる」の記事、貼り付けました。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年４月３日<br>
　ここからは、以前のブログです。<br>
<br>
「卒業式や入学式で起立して君が代を歌うように」<br>
<br>
　「日の丸、君が代」の問題は長く闘われてきました。この私のブログは、吃音についてのブログだから、そんな問題は関係ないと思われるでしょうが、私の子どもの頃からの、ある意味吃音以上に大きなテーマは、反戦平和です。また、吃音の臨床で、私が親や教師と子どもとは、人間としては対等あると、対等性を主張するとき、この問題を避けては通れません。<br>
　君が代斉唱の時起立しない教師を処分することは、イデオロギーの問題ではなく、憲法に保障されている、基本的人権、表現の自由の尊重の問題であり、常に吃音の問題で、多くの人とは違う少数派の問題提起を続けるひとりの表現者として、他人事だとは私には思えません。自分の考え、意見を持てない、表現できない、尊重されない世の中は、 いかに経済的に豊かでも幸せな世の中ではありません。いろいろな考えがあって当然です。違う考えを互いに主張し会う権利が認められなかったら、本当に暗い世の中になってしまいます。 <br>
<br>
　国歌斉唱の時、不起立を続け、処分を受けた、根津公子さんや、「君が代」の伴奏を拒否し続ける音楽教師、佐藤美和子さんのことは、創刊時から愛読している『週刊金曜日』や新聞記事などでよく知っていました。何か応援したいと思いながら何もできずにいました。教育現場の言論統制に異議を唱え続けている土肥信雄・元三鷹高校校長のことは、１か月ほど前、週刊誌「アエラ」で詳しく紹介されていました。問題をよく承知しながら、これらの人々に尊敬と、心からの声援を送るしか私にはできませんでした。<br>
<br>
　言論の自由を守ることがいかに大切なことか。言論統制された中国や北朝鮮の事情を垣間見て私たちは知っています。また、なぜあの戦争が起こり、止められなかったのか、私たちは十分に知っています。言論の自由が侵害されることに、今、私たちはあまりにも鈍感になりすぎているように思えます。とても生きづらい世の中に、どんどんなっていくような気がします。<br>
<br>
　年末年始に滞在し、湯布院を去る間際に、中曽根さんが私にプレゼントしてくださったのが、「私」を貫くこの３人の闘いを丁寧に描いたドキュメンタリー映画のＤＶＤ『“私”を生きる』でした。<br>
　私が、子どものころから大きなテーマにしていることが、身近なところで結びついた縁を不思議に思います。<br>
　監督の土井敏邦さんと中曽根さん夫妻は親しい友人同士です。そして、湯布院でこのドキュメンタリーの上映会を企画、運営した世話人平野さんとも、今回、湯布院で親しく話ができました。<br>
<br>
　「自分に嘘をつきたくない。生徒に嘘をつきたくない」と、根津公子さん。<br>
「 今言わなければ後悔する。その後悔だけはしたくない」と、土肥信雄さん。 <br>
「炭鉱の危険を知らせるカナリヤの役割を担いたい」と、佐藤美和子さん。<br>
　「これは教育問題や君が代、日の丸問題を論じるドキュメンタリーではない。日本社会の右傾化、戦前への回帰に抵抗し、自分が自分であり続けるために、凛として闘う、３人の教師たちの生き様の記録である」と、監督の土井敏邦さん。<br>
<br>
　ビデオを見て、涙があふれました。何よりも、子どもたちの未来のために、時にくじけそうになる自分を奮い立たせて孤独な闘いを続ける勇気に、言葉がありません。<br>
　ＤＶＤが発売されていますし、各地で上映会も開かれていくことと思います。<br>
　みなさんも、このような問題に関心をもっていただければうれしいと心から思います。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年１月２０日<br>
<br>
]]> 
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<title>大阪吃音教室に継続して参加することで変わる人</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1664391.html" />
<modified>2012-04-03T00:47:01Z</modified> 
<issued>2012-03-28T13:56:41+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1664391</id>
<summary type="text/plain">　人は、他者との関係の中で変わることができる

　前回、結婚式で両親への感謝の手紙を読んだ女性の話題がありました。
　この、Ｄさんについて、私なりの感想を書きます。

　私はおそらく世界一だと考えていることがあります。どもる人、どもる子ども、どもる子ども...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1664391.html">
<![CDATA[　<b>人は、他者との関係の中で変わることができる<u></u></b><br>
<br>
　前回、結婚式で両親への感謝の手紙を読んだ女性の話題がありました。<br>
　この、Ｄさんについて、私なりの感想を書きます。<br>
<br>
　私はおそらく世界一だと考えていることがあります。どもる人、どもる子ども、どもる子どもの親に直接出会った数です。１９６５年秋、どもる人のセルフヘルプグループ「言友会」を創立し、現在は言友会を離れたものの、長年全国組織の会長としてたくさんのどもる当事者と会ってきました。さらに、１９８６年には、世界で初めてのどもる人の世界大会を京都で開催し、世界中のどもる人に会ってきました。<br>
　言友会を離脱してからは、大阪スタタリングプロジェクトや神戸スタタリングプロジェクト、日本吃音臨床研究会の様々な活動や、吃音親子サマーキャンプなどで、たくさんの人と出会ってきました。<br>
<br>
　その中には、記憶として残るたくさんの人がいます。<br>
　講演や講義の時、何かの質問をされたとき、私のコンピューターが働きます。瞬時に、その話題にふさわしいどもる人の顔が、体験がよみがえります。<br>
　Ｄさんの体験も、私のハードディスクに収まりました。折に触れ紹介していくことになるだろうと思います。<br>
　Ｄさんが最初、大阪吃音教室に参加した時のことを覚えています。人と話すとき、大勢でも、少人数でもかなりどもり、仕事をやめたい、やめようと考えていたころ、私たちと出会いました。上司がいい人で、吃音について相談したが、やめなくてもいいと、言ってくれました。そのことを最初の日に話すのですが、まず、自分の名前を言うのに一苦労で、その後の話もかなりどもっていましたが、最後まで言い切っていました。<br>
<br>
　その日から、彼女は毎週金曜日の大阪吃音教室に通い続けました。「吃音を治したい」「自分を変えたい」と必死に訴える人でも、実際にそのために努力をする人はほとんどいません。それは、数千人以上のどもる人に出会っての実感です。誰かに治してもらいたい。自分はあまり変えないで、周りが変わって欲しい。そのように感じる人と、たくさん出会ってきました。<br>
<br>
　しかし、彼女は違いました。この大阪吃音教室で何かを掴もうとしている。その熱意が感じられました。そこで、私は初めて、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加しないかとすすめました。これまで参加したいと申し込んでくる大学生や成人のどもる人がいたのですが、すべて、キャンプへの参加を断ってきました。以前のブログに書いたような気がしますので、詳しくは書きませんが、この参加は、彼女にとっても、吃音に悩む女子高校生にとっても大きな意味をもちました。そして、吃音ショートコースの「当事者研究」にも参加し、みずからみんなの前で当事者研究をしました。自分の吃音と真摯に向き合い、誠実に他者と関わろうとする。何かが変わらないはずがありません。<br>
<br>
　３月２３日の大阪吃音教室で彼女は結婚式で両親への手紙を読んだことを報告しました。<br>
　吃音教室の仲間は、自分のことのように、とても喜びました。結婚式の司会者がアナウンサーのように、きれいに朗読するのを聞いたことがあります。誰かに代読してもらうことも可能だったろうに、どもりながら、どもりながら手紙を自分で読み上げる。そのシーンを想像しただけで胸が熱くなります。<br>
<br>
　１年前に、会社を辞めようかとさえ思っていた彼女が、仕事を辞めずに続け、結婚を機に辞めたものの、大きなハードルであったであろう、手紙の朗読をして、それを誇らしげに報告してくれたことに、仲間として幸せな気持ちになれたのでした。<br>
<br>
　どもる男性の最後にくるハードルのひとつは、息子の結婚式で、新郎の父親として参列者に挨拶することです。それが不安で、富山から私の所に通ってきた人がいました。女性にとってのハードルは今まで知らなかったのですが、この両親への感謝の手紙になるのでしょう。<br>
<br>
　人は変わることができます。しかし、一人で座禅したりヨガをしたりして変わるものではありません。<br>
　だからと言って、難行苦行の厳しい学問や修行は誰にでもできることでありません。それが必要なら、私たち凡人は変わることはできないでしょう。誰でもがそんなに苦労せずにできることはないでしょうか。<br>
<br>
　浄土宗の開祖、法然は誰もができるやさしい行いを「易行（いぎょう）」として選択しました。<br>
　私はなまけものです。努力をそんなにできる体質ではありません。私は、ただ、自分が創立した言友会に参加し続けました。それは大した苦労ではありませんでした。むしろ、とても楽しいものでした。その楽な、楽しい行動の中で、私は変わっていきました。<br>
<br>
　彼女は、大阪吃音教室に通い続けました。都合をつけて、他の用事を捨てて、断って参加し続けたのには努力はいったでしょうが、大阪吃音教室は苦行の修行の場ではありません。ただ、他者の体験、発言に耳を傾け、自分も発言する。話したり、文章に書いたり、一緒に遊びに行ったりする中で、彼女は変わっていったのです。遊びや趣味だけの仲間ではなく、人生を真剣に考え、吃音にしっかりと向き合っている仲間の輪の中だったから、変わっていったのだと、私は思います。<br>
<br>
　ただ、大阪吃音教室に参加するだけでいい。継続して参加するだけでいい。その中で、何か動いてくるものがある。そして人は変わっていく。<br>
  大阪吃音教室はそのような不思議な「場」「装置」なのです。<br>
<br>
日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年３月２８日　]]> 
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<title>大阪吃音教室－自分が変わるのもうれしい、人が変わるのもうれしい</title> 
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<modified>2012-04-03T00:39:42Z</modified> 
<issued>2012-03-27T18:23:29+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1664290</id>
<summary type="text/plain">　変えていく勇気

　「神よ、
　変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
　変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
　そして、変えることのできるものと、変えることのできないもの...</summary> 
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<![CDATA[　<b>変えていく勇気<u><b></b></u></b><br>
<br>
　「神よ、<br>
　変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。<br>
　変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。<br>
　そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」<br>
<br>
　今日の大阪吃音教室は、２０１１年度の最終日。<br>
　担当の東野晃之会長は、神学者のラインホールド・ニーバーの言葉をホワイトボードに書き、このように提案しました。<br>
<br>
　「セルフヘルプグループでは、「変わること」が大きなキーワードになっています。今日は、「変わるということ」について振り返りましょう。シーアンは、吃音は氷山のようなもので、吃音そのものは海面上のごく一部で、本当の問題は、海面下に沈んでいると説明しました。吃音そのものは変えることは難しいが、吃音から影響を受ける、隠したり、話すことから逃げる行動。吃音は悪い、劣った、恥ずかしいものとするような考え方。不安や、恐怖、恥ずかしさや、惨めさなどの感情は、行動と考え方が変わることで、結果として変わっていきます。大阪吃音教室に参加して、この１年、自分が変わったこと、他の参加者について変わったと気付いたことを話し合う時間にしましょう」<br>
<br>
　４グループに別れて話し合い、全体に報告し、さらに話し合いました。自分が変わったことだけでなく、周りの人が変わったことを発言するのが、大阪吃音教室の特徴ですが、自分が変わったことについての発言のいくつかを紹介します。<br>
　<br>
　・参加前は、どもることが恥ずかしく、自分から話す場に出ていくようになって、変わった。<br>
　・どもっているが、敢えて人と話す仕事に就いた。<br>
　・どもったら、今でも恥ずかしい。でも、そんな状況を楽しめるようになった。<br>
　・以前は、どもったら周囲がどう反応するかが気になったが、今は、どもったときに周囲の反応を見るのが楽しみになった。<br>
　・以前は恥ずかしかったが、今では自慢するような感じでどもりを公表している。アピールポイントになっている。<br>
　・いろいろな価値観を持つ人と交流して、自分の価値観が広がった。<br>
　・自分と同じような経験をしている人がいっぱいいるので、リラックスできたし安心した。<br>
　・人前でどもってもいいと思えるようになった。就活の面接でも、どもっても自分の言葉で話せるようになった。<br>
　・高校一年で不登校になったが、毎週参加して復学の決心がついた。<br>
　・仕事でしんどい役割を担当して来たが、「それはできない」と言えるようになった。<br>
　・震災をきっかけに、「何かやらなきゃ」と行動しはじめ、パートなどもし、吃音教室にも参加するようになった。今後は、人前でどもっても気にならないように変わりたい。<br>
　・昔は「どもりは悪いもの」と思っていた。今は、どもれることは素晴らしい、向き合えることは素晴らしいと思える。「どもりは良いもの」との自覚が生まれた。<br>
　・今までは、逃げたり、「幸せになりたい」と漠然と思っていただけだったが、吃音教室に参加を続けて、昔の自分とまったく違い、自分の世界を持って「確かに自分は生きている」という実感が持てるようになった。<br>
　・ここに来て一番良かったなと感じるのは、浮わついたテーマで集まっているのではなく、吃音をテーマにして、多種多様な意見が集まって、人を惹きつけていることだと思う。<br>
　・多種多様な意見、価値観がここで表明されるのは、吃音が「治らないもの」だからだと、私は考えている。吃音がもし治るものだったら、そして、ここが吃音を治すことを目標とする場なら、治す努力をして吃音が軽減した者が偉いとか、うまく吃音を人前でごまかすことの出来る者が偉いという、単純な価値観の場になっていただろう。ほとんどの人は、吃音は治らないものだと聞くと、絶望感にとらわれるだろうが、今日は、「吃音は素晴らしいものだ」という話が出た。その素晴らしさは、吃音が治らないことにあると考えている。<br>
　・初参加から１年、毎週参加した。３月１７日の結婚式で親への手紙を、どもりながら最後まで読んだ。以前なら、どもりの公表もしなかっただろうし、周囲にどう思われるかを気にして読めなかっただろう。今回は、読んで良かったと思った。以前は「周囲の目の中で」生きていたが、今は自分の人生を生きているのだと思う。単に「どもりを受け入れた」ではなく、もっと深い意味があるような気がする。<br>
　・彼女は初参加からずっと、すべての例会に参加して来た。１年間皆出席するためには、きっと何かを犠牲にして来ただろうし、なかなか出来ることではない。ここに来て「変わりたい」という人は多いが、何回か来て来なくなる人、都合の良い時だけちょっと顔を出す程度では、変わるのは難しい。彼女のように、来ると決めて来続ける真面目さ、誠実さがあれば、１年でも変わることが出来る。何かに集中すべき時には、集中的にすることが大事だ。<br>
<br>
日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年３月２７日<br>
]]> 
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<title>吃音の青年を演じた、岡田将生の演技・映画「アントキノイノチ」</title> 
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<modified>2012-04-03T00:33:48Z</modified> 
<issued>2012-03-24T06:44:35+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1663800</id>
<summary type="text/plain">　どもることばは、素敵だ


　宮本亜門演出の「金閣寺」の森田剛さんの身体表現のすばらしさについて、以前書きました。
　今回の岡田将生さんも素晴らしい演技でした。吃音の悩みの深さを、他人との断絶としてとらえたのが、「金閣寺」でした。今回は親友の自殺との関...</summary> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1663800.html">
<![CDATA[　<b>どもることばは、素敵だ<u></u></b><br>
<br>
<br>
　宮本亜門演出の「金閣寺」の森田剛さんの身体表現のすばらしさについて、以前書きました。<br>
　今回の岡田将生さんも素晴らしい演技でした。吃音の悩みの深さを、他人との断絶としてとらえたのが、「金閣寺」でした。今回は親友の自殺との関わりに深く悩む高校生が、たまたま吃音だという設定で、吃音の悩みがクローズアップされているわけではありません。<br>
　それなのに、見事に二人とも身体で表現しています。吃音やからだにしみる深い悩みは、「からだ」と深く結びついていると、表現者は感じ取るのでしょうか。岡田さんも、森田さんと同じように肘をかためています。さらに歩き方、走り方からも不安、緊張が伝わってきます。<br>
　モノローグは「金閣寺」の場合も今回も、どもりません。どもる人が独り言や、こころの中で語ることばではどもらないのだから当然のことですが、大切な心の叫びのときも、どもりません。これは岡田さんの表現者としての考えがあったようです。<br>
<br>
　親友が目の前で死んで、それに関わったもうひとりの親友も殺そうとした自分が「生きていてもいいのか」。深く悩む青年に、どもることばこそがふさわしい。どもることばが、とても自然に感じられます。ことさらに、どもるまねをして演じているのではない。繊細なこころの動き、人への優しさ。事柄はちがっても、同じように死ぬほどに深く傷つき、遺品整理の仕事の中で自分をとりもどそうとして「生きる」女性、栄倉奈々を気遣い、理解したいと関わる姿に、どもることばが、しっくりとくるのです。<br>
<br>
　どもるか、どもらないか、他人の目ばかりを気にして生きてきた私は、結局は目の前の相手への関心よりも、自分のどもりへの関心が中心でした。目の前の相手だけを見て、相手に関わろうとするとき、どもる、どもらないは全く関係がなくなります。どもりたくないと思い、どもらないようにして「どもることば」と、相手のことに関心をもって、話すことばがただどもっている「どもることば」は、全然違います。相手を思い、話しかける「どもることば」は、とても素敵なのです。<br>
　こんなに素敵な「どもることば」を、吃音に深く悩んでいた高校生の時代の私は、みにくいものとしか見ることができなかったのです。高校生時代の伊藤伸二が、うらやましそうに、岡田将生さんのどもりかたをみつめていることを感じました。<br>
　<br>
　吃音をテーマにした映画ではなく、ひとりの悩む青年がたまたま吃音だった。映画や、舞台や小説に、吃音がどんどんと出てきて欲しいと思います。大上段に吃音を扱うのではなく、たとえば主人公の友だちがどもっている。コンビニに買い物に行ったときの店員さんが、「あああり・・がとうございました」と自然に言う。<br>
　日常の生活の中に、どもる人がいて、自然に受け入れられている。そんなシーンをもっと見たいと思いました。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年３月２４日]]> 
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<title>映画「アントキノイノチ」と吃音－感動は自分の中にある</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1663635.html" />
<modified>2012-04-03T00:54:29Z</modified> 
<issued>2012-03-22T23:20:11+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1663635</id>
<summary type="text/plain">
　感動は自分の中にある

　先日、散歩をしていてある会館の前で、この映画のポスターを見つけました。
　主人公が吃音の青年だということは、何かで知っていて、見に行こうと思っていたのに、見そびれていました。めったに通らない道でみつけただけに、運命を感じまし...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1663635.html">
<![CDATA[<b></b><u></u><br>
　感動は自分の中にある<br>
<br>
　先日、散歩をしていてある会館の前で、この映画のポスターを見つけました。<br>
　主人公が吃音の青年だということは、何かで知っていて、見に行こうと思っていたのに、見そびれていました。めったに通らない道でみつけただけに、運命を感じました。その会館で会場を聞いたら、招待券を下さいました。<br>
<br>
　いい映画でした。何度も涙が流れました。<br>
　映画をみてから、それが、さだまさしの原作であること、若手の人気のある俳優だと知りました。<br>
　帰ってからネットで検索すると、感想など、たくさんの記事が出てきました。<br>
　そして、驚きました。評判があまりよくないのです。<br>
　「感動できると思ったのに、だめだった」。<br>
　「泣きたいと思って見たのに、全然感情移入ができず、泣けなかった」など、監督への批判も多くありました。<br>
　<br>
　私は、「感動」ということばが嫌いです。<br>
　スポーツマン、特にオリンピックの選手が「感動を与えるようなプレーをしたい」と発言するのには、寒気がしてすぐテレビを消してしまいます。感動の押し売りはごめんです。<br>
　「感動を与える」、なんと傲慢なことでしょう。「感動させてもらった」、なんと情けないことでしょう。<br>
　感動は、与えたり、もらったりできると考えていることが不思議です。映画を、「感動したくて見る」人がいるのが、とても不思議な感じがしました。<br>
　私にとって感動とは、他人と一緒に何かに一所懸命取り組んで、自分にも周りにも貢献できたと感じて、じわっと喜びがわいてくる、そういうものです。自分が関わるものであって、他人がすることを見て感動する、とは考えたこともありません。<br>
<br>
　監督も制作者も映画が好きで、自分がつくりたいからつくっているのであって、それに感動するかしないか、知ったことではないと思うのです。もし、感動を与えたいと制作者が強く思うような映画は、私は見たいとは思いません。もし、感動ということがあったとしても、それはあくまで結果であって、求めるものではありません。<br>
<br>
　私は、たくさんの映画をみてきました。だけど、「感動しました」と表現するような感想をもったことが一度もありません。「感動」とは何か。不思議な思いで、ネット上の感想を見ました。<br>
<br>
　わたしにとってはいい、映画でした。「感動」とは表現しませんが。<br>
　「生きている意味」を持てずにいる若い二人。「ちゃんと生きたい」と願う二人。<br>
　過去に、ある意味での「死」を経験し、深く傷ついた二人が、「遺品整理」の仕事を通して出会います。<br>
　内容は違っても深く傷ついた二人が近づいていく。かけがえのない人になっていく。そのプロセスが私の胸を打ちます。こんなに深くわかり合えるようになるなら、深く傷つく体験は、なんと意味あることだろう。深く傷ついた経験のない人には、絶対に味わえない世界がそこにはあります。<br>
<br>
　「英国王のスピーチ」がアカデミー賞・作品賞をとった時、中継をしていた二人のコメンテイターの映画評論家が、「ソーシャルネットワーク」が作品賞になるべきだ。あの映画は見終わってからたくさん話し合うことがあったが、「英国王のスピーチ」の時は、それがまったくなかった。あれは「大衆賞」だとぼろくそでした。<br>
<br>
　吃音に深く悩んできたから、吃音をしっかりと見つめてきたから、私にとっては、「英国王のスピーチ」は胸を打つ素晴らしい映画でした。<br>
　深く傷ついた経験があるから、死と直面した経験があるから、無縁社会に対する強い思いがあるから、「アントキノイノチ」は私にとって心を打つ映画になりました。<br>
<br>
　「映画を見て感動しなかった」は作り手の責任ではありません。また、「感動した」は、作り手の功績でもありません。見るほうの側のセンサーがいいか悪いかです。その人の経験、想像力、感受性の問題なのです。<br>
　長くなってしまいました。吃音との関係は次回。<br>
<br>
日本吃音臨床研究会。会長　伊藤伸二　２０１２年３月２２日]]> 
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<title>大阪吃音教室の講座・アサーション</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1662684.html" />
<modified>2012-03-15T13:41:01Z</modified> 
<issued>2012-03-15T22:41:01+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1662684</id>
<summary type="text/plain">
　少しでも、現実の生活で使えるために

　毎週金曜日に開いている、大阪吃音教室では、「吃音を治す・改善する」ではなく、どもりながら、自分らしく豊かに生きるために、さまざまなテーマで学び合っています。
　その中で、アサーションがあります。ずいぶん長くつづ...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1662684.html">
<![CDATA[<br>
　<b>少しでも、現実の生活で使えるために<u></u></b><br>
<br>
　毎週金曜日に開いている、大阪吃音教室では、「吃音を治す・改善する」ではなく、どもりながら、自分らしく豊かに生きるために、さまざまなテーマで学び合っています。<br>
　その中で、アサーションがあります。ずいぶん長くつづいていますが、あきることはありません。<br>
<br>
　３月９日のテーマは２週続くアサーションの一回目で、「アサーション入門」でした。吃音教室の終わり頃、教室に参加し始めてまだ１か月ほどの参加者からこんな質問がありました。<br>
<br>
　「私は会社に勤めているが、会社には上下関係があり、取引先の会社や競合する会社との関係など、一般社会は競争社会であり、常に競合している。その中で、アサーティブに、自分の意見を言っていくのは難しい。ここ大阪吃音教室で、アサーションの学習をするのは、日常生活の中で、たとえば注文したものと違うものが出てきたときに「これは違います」と言うなどの、単なる日常での自己主張なのか。それとも会社の中で、自分を主張していくために、このようなトレーニング、考え方を学んでいくのか」<br>
<br>
　メンバーからは「一般社会はともかく、私は、セルフヘルプグループの中で、ほっとできる、そういう場として来ている。社会生活の中で役立つというものをという大きな期待をして参加しているのではない」などの発言がありました。<br>
　この意見、見解はその通りで、私も、競争社会で生き抜いて、その中で仲間と、いろいろ話して、学んでほっとできる、いい仲間に出会えるのは、基本的に一番大事な、セルフヘルプグループの意義だと思っています。<br>
<br>
　それをベースにしながら、私たちがさまざまなことを学んでいるのは、やはり生きる知恵として身につけて、それを使っていきたいからです。<br>
　吃音は、他の病気や障害と少し違う部分があって、吃音があったとしても社会は常にどもらない人間と全く同じように、社会生活でふるまうこと、行動することを期待し、要求しています。<br>
　学校生活でも社会生活でも、足の不自由な人に周りの人は、みんなと同じように「走れ！」などとは言いませんが、吃音に関しては、「お前はどもるからしゃべらなくてもいい」とはほとんどの場合言われません。<br>
<br>
　これは、時に厳しいですが、ある意味ありがたいことです。どもりながら、厳しい現実の社会で生きていかなければならないのは、どもる人間の、宿命であり、試練です。だからこそ、生きる活力も沸いてきます。<br>
　大阪吃音教室が、ただ、ほっとできる場だけではなくて、吃音を治そうとする場でもなくて、現実を受け止めて、サバイバルする力を養っているのです。言わなければならないことを言い、言いたいことを言っていく、そんな日常生活の小さな積み重ねの中で、本当に必要な、大切なことは、現実の職場や仕事の社会生活も少しずつであっても、主張していくことを学んでいく、身につけていこうとしています。<br>
<br>
　現実に、大阪吃音教室で学んだことを、現実の会社や地域の中で、言うべきことを言っていくという態度が身について、とても生きやすくなった人がすくなくありません。<br>
<br>
　アサーションの講座を担当する人は、いつもしっかり勉強してきます。資料など印刷し、どう私なら説明するかと工夫もします。時に、不十分であっても、参加者全体で講座をささえますので、入れ替わり立ち替わりいろんな人が担当します。アサーションの講座を担当する自信がまだもてない人も、思い切って担当できる。自ら名乗り出るのもアサーションを学んで来たからでしょう。<br>
<br>
　どもる私たちがなぜ、アサーション、アサーティヴ・トレーニングを学んでいるのか、機会があれば書きたいと思います。<br>
　そうそう、アサーションの第一人者である平木典子先生との共著で、<br>
　「話すことの苦手な人のアサーション」（金子書房）という本があります。興味があればお読み下さい。<br>
<br>
日本吃音臨床研究会　会長　伊藤伸二　２０１２年３月１５日]]> 
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<title>家族に愛され、みんなから愛される、桂文福さんの吃音</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1662114.html" />
<modified>2012-03-12T14:56:54Z</modified> 
<issued>2012-03-11T21:52:28+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2012:kituon.1662114</id>
<summary type="text/plain">


　桂文福さんの、４０周年大宴会のハプニング

　前回報告の続きです。大相撲関係者の挨拶や、河内音頭などで盛り上がった大宴会も、そろそろ終わりに近づきました。司会の千田やすしさんが、

　「最後に桂文福師匠ご夫婦に挨拶をしていただきますが、その前に、...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1662114.html">
<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/1/0/10dcc0dd.jpg" title="P1010091" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/1/0/10dcc0dd-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010091" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/9/f9a0403e.jpg" title="P1010092" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/9/f9a0403e-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010092" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><br>
<br>
<br>
　桂文福さんの、４０周年大宴会のハプニング<br>
<br>
　前回報告の続きです。大相撲関係者の挨拶や、河内音頭などで盛り上がった大宴会も、そろそろ終わりに近づきました。司会の千田やすしさんが、<br>
<br>
　「最後に桂文福師匠ご夫婦に挨拶をしていただきますが、その前に、急に思い立ったハプニングとして、桂文福師匠・田中登さんをずっと支え続けてこられた律子さんから、夫である田中登さんに何か一言、言っていただきましょう」で、マイクが律子さんに渡されました。<br>
　すると、ハプニングではなくて、［私の方から、皆さんにお礼が言いたくて、お願いしました」と、メモを読み上げ始められました。司会者とは打ち合わせがなかったようです。<br>
　<br>
　以前、お弟子さんの、桂まめださんの１０周年のお祝いの落語会の時、律子さんが温かい、心のこもった応援のメッセージを読み上げられたことがありました。とても素敵なメッセージでした。そこで、今回もと、思わず、私は、メモを取って聞いてしまいました。少し違うかも知れませんが、メモをもとに紹介します。<br>
　<br>
　「田中律子です。本日は４０年のパーティーに大勢お越し下さり、ありがとうございました。でしゃばりかなあと思いましたが、どうしても皆様にお礼が言いたくて、時間をとっていただきました。<br>
<br>
　皆様も知っておられるように、主人は根はやさしい、いい人ですが、奇人、変人です。<br>
　しゃべる仕事、噺家としては、吃音という大きなハンディをもっています。<br>
　ことばが流れる、つまる、間を外す、などきついものがあります。<br>
<br>
　吃音のハンディを、持ち前の明るさと重量級のパワーと、おそろしく早い切り替えの良さと、迷惑なほどのサービス精神、ストレスを家族に当たり散らさないことで乗り越えてきました。<br>
<br>
　演芸が好き、落語が好き、舞台が好き、何より皆さんに喜んでいただくことが大好きで、４０年間落語を続けることができたのだと思います。今は亡き、五代目桂文枝師匠の、『文福、お前、文福落語でやったらいいんやで』のこのことばがあったから、これまで続けてこれたのだと思います。<br>
　古典はともかく、相撲甚句、河内音頭、なぞかけなど、飛び道具でやってきました。<br>
　落語家・文福は、このようにがんばってきたのですが、私個人としては、３１年間、同じ時間を共有し、これまで非常にきついものがありました。何度投げ出したくなったかしれません。でも、私が選んだ道ですし、お互いが通じるものがあったのでしょうか。喧嘩をしながらも主人の横で挨拶をしている私です。<br>
<br>
　こんな変わった落語家のところに、ありがたいことに弟子の子が来てくれました。うれしいことです。噺家にとって、慕って来てくれる子がいるなんて、本当にうれしいことです。<br>
　<br>
　類が類を呼ぶのでしょうか。ユニークな弟子が集まりました。２冊の本が書けそうなくらい、いろんなことがありました。<br>
　私の希望は、芸は軽いのですが、体重はすこぶる重いので、体重を減らし、健康に気をつけて、文福らしい、明るく陽気で、形におさまらない、こぶしの効いた、リズミカルで、ペーソスのある落語を今後も続けて、皆さんにかわいがってほしいと思っています。<br>
　これまで、応援して下さったみなさん、本当にありがとうございました」<br>
<br>
　大宴会の前の落語や演芸、大宴会での挨拶や、河内音頭などいろんな出し物があった中で、一番の盛り上がり、爆笑でした。吃音というハンディをのくだりで、一番どよめきがありました。<br>
　家族だけでなく、会場の４００人の参加者にとって、桂文福さんの吃音は、マイナスのネガティヴなものではなく、愛すべき、ひとつの個性として、完全に受け入れられているのでした。<br>
<br>
　他の分野で、たとえば小説家が吃音を公にしたとしても、何の問題もありません。かえって、内容に深いものが感じとられ、有利かもしれません。しかし、落語家は、吃音を公表することで、そのことに聞き手が気をとられる危険性がなくもありません。しかし、文福さんは、おおらかに、吃音の宣言をしていくのです。それも、家族と一緒に。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二をみんなに紹介し、今度は律子さんの吃音の話です。<br>
<br>
　宴会が終わってお見送りに立っていた律子さんは私に、「吃音のこと、あのように言ってよかったでしょうか」と、私たちを気遣って下さいました。「いえいえ、とてもとてもうれしかったです」と、握手を交わしました。<br>
<br>
　どもる話し方を、吃音症状として否定し、なんとか治そうとする吃音の研究や臨床が多数を占めるこの世界に、このように、おおらかに吃音を肯定して生きる人と、それを支える人たちがいる。うれしい、幸せな時間でした。<br>
<br>
　桂文福さん、田中律子さん、私との出会いのきっかけを作って下さった息子さん。ありがとうございました。<br>
<br>
日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年３月１１日]]> 
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<title>吃音・どもりが話題になった、桂文福さんの大宴会</title> 
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<modified>2012-03-08T14:24:29Z</modified> 
<issued>2012-03-08T22:50:23+09:00</issued> 
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　私にとっては、とてもうれしい大ハプニング

　前回に続いて、桂文福さんの大宴会の話題です。
　落語会に続いて、スイスホテルの大宴会場はびっしり満員です。入り口で文福さんが、
「息子と同じテーブルにしましたから」と、言って下さっていたのですが、そのテ...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/4/b/4bdda48b.jpg" title="P1010073" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/4/b/4bdda48b-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010073" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/a/3/a301aa20.jpg" title="P1010080" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/a/3/a301aa20-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010080" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/0/f0756ae1.jpg" title="P1010088" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/0/f0756ae1-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010088" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/7/f7327f3e.jpg" title="P1010087" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/7/f7327f3e-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010087" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/c/e/ce8dcefd.jpg" title="P1010088" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/c/e/ce8dcefd-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010088" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/1/0/10dcc0dd.jpg" title="P1010091" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/1/0/10dcc0dd-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010091" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/a/d/ad04d9f2.jpg" title="P1010091" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/a/d/ad04d9f2-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010091" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/9/f9a0403e.jpg" title="P1010092" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/9/f9a0403e-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010092" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><br>
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　<b>私にとっては、とてもうれしい大ハプニング<u></u></b><br>
<br>
　前回に続いて、桂文福さんの大宴会の話題です。<br>
　落語会に続いて、スイスホテルの大宴会場はびっしり満員です。入り口で文福さんが、<br>
「息子と同じテーブルにしましたから」と、言って下さっていたのですが、そのテーブに行くと、私の名前がありません。あまりにも参加者が増えて、少し混乱をしていたのでしょう。そのテーブルは人がいっぱいだったのですが、私のために譲り合って席を増やしてくれました。しかし、それではと、一緒に行った川崎さんと一緒のキャンセル待ちの人たちのテーブルにしてもらいました。<br>
<br>
　主催者の挨拶や、落語家や芸人仲間が４０年のお祝いの挨拶をした後、記録用のビデオカメラと文福さんが、司会の千田やすしさんと一緒に会場を回り、参加者にインタビューしていく時間になりました。町長さんや支援者の弁護士やお世話になった人など、つきあいの深い人が選ばれています。なんとなく聞きながら、食事をしていると、<br>
　「日本吃音臨床研究会の伊藤伸二先生、どちらにおられるでしょうか？」のアナウンスが聞こえてきました。一瞬耳を疑いました。文福さんのご家族は、なぜか私を「先生」と言って下さるのです。４００人ほどの大宴会です。インタビューはごくごく限られた１０名ほどです。私が呼ばれるとは、前もって聞いていませんし、１００パーセント考えられないことでした。私がいるはずだと、文福さんが思っていたテーブル席に私がいないので探して下さっていたのです。<br>
<br>
　全く予想ができなかったハプニングに、私は珍しくうろたえて、文福さんが私をどのように紹介したか聞き取れませんでした。そして、マイクを持たされたのですが、何を言えばいいのか戸惑いました。<br>
　いくら文福さんが、吃音についてオープンに話されるようになったと言っても、４０周年の記念の宴会に、それもごくわずかな数の参加者へのインタビューに、文福さんが私を予定し、司会者もそれを受けて探していてくれたのです。わざわざ私を紹介する必要などまったくないはずなのにです。<br>
　どもりと文福さんとのかかわりを、このような席で、どのように、どこまで話せばいいのか、吃音を話題にしていいのか、いくら私でも戸惑いました。<br>
<br>
　「・・・・どもりながら、落語家として活躍して下さることは、私たちどもりにとって希望の星です」<br>
　このようなことを口走った、ような気がするのですが、本当に珍しく上がってしまって何を言っているのか、覚えていないのです。それだけ、本当に予想しなかった、私にとっては大きなハプニングでした。そして、文福さんが、私のことを大切に考えて下さっていることがとてもうれしく、温かいものが、私の中に広がっていきました。<br>
<br>
　「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」と、２１歳まで思い続け、悩んできた私にとって、「英国王のスピーチ」がアカデミー賞を授賞し、吃音が肯定的に話題になった喜びと同じくらいに、うれしかったのです。華やかな芸能界の世界で、吃音が肯定的に受け止められている、そんな感じがしたのです。その後、またまたうれしいハプニングが待っていました。それは、次回に。<br>
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日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年３月８日]]> 
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<title>どもりを個性に　桂文福さんの４０年の落語家人生</title> 
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<modified>2012-03-06T15:17:52Z</modified> 
<issued>2012-03-06T23:16:28+09:00</issued> 
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　素晴らしい人の輪

　２月２９日、桂文福さんの落語家４０周年の記念の大演会・大宴会がありました。
　すごい人の数でした。私は早めに申し込みましたが、大阪吃音教室の仲間が申し込んだときは、すでに満席だったようです。キャンセル待ちをしていた、仲間の川崎...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/e/e/eec251f8.jpg" title="文福" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/e/e/eec251f8-s.jpg" width="160" height="225" border="0" alt="文福" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/0/f0756ae1.jpg" title="P1010088" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/f/0/f0756ae1-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010088" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><a href="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/d/3dc0a466.jpg" title="P1010094" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/kituon/imgs/3/d/3dc0a466-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="P1010094" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><br>
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　<b>素晴らしい人の輪<u></u></b><br>
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　２月２９日、桂文福さんの落語家４０周年の記念の大演会・大宴会がありました。<br>
　すごい人の数でした。私は早めに申し込みましたが、大阪吃音教室の仲間が申し込んだときは、すでに満席だったようです。キャンセル待ちをしていた、仲間の川崎益彦さんはなんとか入り、川崎さんの娘さんと３人で行ってきました。一部が落語会、二部が宴会です。<br>
　私たちは最前列で聞きました。会場はびっしり、お相撲さんの姿も目立ちました。文福さんほど、大相撲を愛し、お相撲さんとのつきあいの深い落語家はいません。春場所を控えているせいもあって、たくさんの親方や力士がお祝いに駆けつけていました。<br>
　文福さんには５人のお弟子さんがいますが、その一人、桂文鹿さんは、端正な古典落語をしました。久しぶりに聞きましたが、声もよく、文福さんも、師匠よりもうまいとほめていました。文福さんは、いつものように明るさと、サービス精神全開の、文福さん独特の世界で２席も勤め、会場を沸かせていました。<br>
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　前にもブログで書いたと思いますが、文福さんとの出会いは、ＮＨＫの「にんげんゆうゆう」の番組を見た息子さんが、父親の文福さんに見せたいと録画をしたものを、旅から帰った文福さんが見て、感激しましたと、お電話下さったことがきっかけです。<br>
　その後、２０００年秋、大阪天王寺区にある有名なお寺、應典院のコモンズフェスタという催しの中で、文福さんの企画をしました。文福さんの落語と、私との対談です。文福一座の皆さんが来て下さいました。その時のタイトルを、「どもりを個性にー桂文福のオリジナルな落語人生」としました。ご本人に相談もしなかったようで、そのビラを当日見た文福さんもびっくりし、苦笑いされながら受け止めて下さいました。<br>
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　文福さんは、ご自分の吃音を隠していたわけではないけれど、おおっぴらに吃音について話すことはこれまでほとんどなかったのが、これで覚悟ができたとおっしゃいました。文福さんのことばでは、「カミングアウト」する大きなきっかけになったと言って下さいました。それからは、いろんなところで吃音についてオープンに話されるようになったそうです。<br>
　<br>
　２００４年夏、大阪で開かれた、ことばの教室の教師の全国大会である、全国公立学校難聴・言語障害教育の全国大会で記念講演を依頼され、その講演の中で、私との出会いを話して下さるなど、積極的に吃音について話して下さるようになりました。<br>
<br>
　第一部の落語会の後は、スイスホテルの宴会場での大宴会。川崎さんの見立てでは、４００人ほどの参加者の前で、その吃音について紹介するとは、私は全く予想はしていませんでした。<br>
　私としては、うれしいそのハプニングは次回に。<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会・会長　伊藤伸二　２０１２年３月７日<br>
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