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<title>伊藤伸二の吃音（どもり）相談室</title> 
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<modified>2010-01-17T21:02:25Z</modified> 
<tagline><![CDATA[「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。]]></tagline> 
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<title>今年もよろしくお願いします。</title> 
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<modified>2010-01-17T12:02:21Z</modified> 
<issued>2010-01-17T21:02:21+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">

　
　　新しい本の出版を目指して


　みなさん、お元気で新しい年をお迎えのことでしょう。
　私は、年末年始、滋賀県琵琶湖畔のホテルに缶詰めで新しい本の執筆をしていました。缶詰になっていた割には筆が進みませんでした。
　１月１６・１７日に予定していた...</summary> 
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<![CDATA[<br>
<br>
　<br>
　　<u><b>新しい本の出版を目指して</b></u><br>
<br>
<br>
　みなさん、お元気で新しい年をお迎えのことでしょう。<br>
　私は、年末年始、滋賀県琵琶湖畔のホテルに缶詰めで新しい本の執筆をしていました。缶詰になっていた割には筆が進みませんでした。<br>
　１月１６・１７日に予定していた、新しい本を一緒につくる仲間との合宿の前に、できるだけたくさんの原案を書き上げたかったのですが、吃音に関するこれまでの資料や、書籍、私自身が書いた文章などを整理していると、次々と目移りして、書き進むところまでいきませんでした。そして、当日を迎えました。<br>
<br>
　新しい本、吃音ワークブックのための合宿には、栃木、鹿児島、岐阜、島根から３人、そして関西勢、合計１１名の教師が集まりました。吃音の臨床に関わる教師たちです。明け方の３時過ぎまで、本当に熱く吃音について語り合える、私にとって心強い戦友です。<br>
<br>
　今回の、本では、言いたいことは全て言い切りたいと考えています。<br>
　私の書いた原案も、みんなが書いた原案も、それぞれ遠慮のない意見を言います。簡単にはお互い納得しません。話し合いにとても時間がかかります。せっかく書いた私の原稿も、ずたずたになり、書き直し、差し戻しになりました。<br>
　効率はとても悪いのですが、吃音について真剣に語り合える、この時間が好きな人達が集まってくるのです。本当にありがたい仲間達です。<br>
<br>
　この仲間と、また、大阪吃音教室の仲間と、今年も元気に吃音に取り組みたいと思います。どうか今年もよろしくお願いします<br>
<br>
　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二　　　　　　　２０１０年１月１７日<br>
　　　<br>
<br>
<br>
<br>
　]]> 
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<title>ＮＰＯ法人　大阪スタタリングプロジェクトの忘年会</title> 
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<modified>2009-12-25T02:03:34Z</modified> 
<issued>2009-12-25T11:03:34+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1076576</id> 
<summary type="text/plain">
　
　　スピーチがメイン料理の忘年会

　大阪スタタリングプロジェクトの今年の最終行事が忘年会です。

　こんな案内によって人は参加してきます。
 
　「吃音教室に参加しないのに、忘年会だけ参加するなんて・・」という方の声を聞いて、そのことに気づきました...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1076576.html">
<![CDATA[<br>
　<br>
　　<u><b>スピーチがメイン料理の忘年会</b></u><br>
<br>
　大阪スタタリングプロジェクトの今年の最終行事が忘年会です。<br>
<br>
　こんな案内によって人は参加してきます。<br>
 <br>
　「吃音教室に参加しないのに、忘年会だけ参加するなんて・・」という方の声を聞いて、そのことに気づきました。それだけ大阪吃音教室が、真剣な場となっているからだと思います。参加しなくても、会員となって会を支えていただいている方達ですから、年に一度ぐらい顔をあわせて近況など話したいです。来年からはもっと参加を呼びかけたいと思いました」<br>
<br>
　東野晃之会長は言います。そこでこのような案内文がつくられました。<br>
<br>
　<u><b>私たちの忘年会は、飲んで、食べて、騒いでの忘年会とは違って、ひとりひとりが自分のこと、吃音のことなどを話し、それにみんなで耳を傾ける、とても温かい、一年を締めくくるにふさわしい忘年会です。<br>
大阪吃音教室に行っていないから、ちょっと…と迷っているあなた<br>
２年ぶり、３年ぶりで、ブランクが気になっているあなた<br>
忍ヶ丘ってどこ？と、尻込みしているあなた<br>
もちろん、毎週大阪吃音教室に参加しているあなた<br>
そんなあなたこそ、ぜひ、忘年会にご参加下さい。<br>
普段、「新生」を読むだけになっている方ともぜひ直接にお会いしてお話できたらなあと願っています。大阪吃音教室にちょっと足が遠のいている方、思い切って参加されませんか。あったかい仲間と、おいしい料理と、楽しい会話が待っています。<br>
貸し切り・バイキング・飲み放題、３拍子そろったすてきなお店です。<br>
　いい仲間と、２００９年を振り返り、２０１０年を展望しましょう。<br>
　皆さんのお越しを、心よりお待ちしています。</b></u><br>
<br>
　<br>
　　私はこれまで様々な忘年会に出た経験がありますが、この忘年会が一番好きです。飲んで騒ぐ、いわゆる他の忘年会とは全く違うのです。<br>
　いつごろからこのようなスタイルになったのかは記憶にありませんが、少なくとも１５年ほどはこのスタイルでしょうか。<br>
　少し、お酒や食事が入ると、ひとりひとりのスピーチが始まります。今年一年を振り返って、来年の抱負を語るという、ただそれだけのことなのですが、それがとてもおもしろいのです。その人の一年が分かり、吃音とどう向き合い、どうつきあってきたかも話されますと、聞いている人にもとても参考になるのです。静かに聞いているわけではなく、ヤジや突っ込みが入る、大阪のノリで進んでいきますが、みんなは、とても真剣に聞いています。質問も出ます。<br>
<br>
　当初、時間制限がなかったので、５分以上話す人もいて、最後の方はあまり時間がなくて、少ししか話せない人も出てきました。そこで、最近は３分程度と少し制限を加えていますが、本当にみんなおしゃべりが好きです。みんなが、真剣に聞いてくれるからでしょう。何を話すか、事前に考えてくるようで、メモを用意している人もいました。<br>
<br>
　私たちの忘年会は、一人一人がみんなの前に立ってする「スピーチと突っ込み」がメイン料理なのです。<br>
　<br>
　今年は３１名が参加しました。とても懐かしい人もいました。大阪吃音教室には参加できなくても、このようにつながっている、このことはありがたいことです。<br>
<br>
　「久しぶりに参加した人が、「例会に参加していないのに、毎月機関紙を送り続けて貰えて嬉しい」と言い、「例会に参加していないのに、ずっと会費を払って活動を支えて頂き、いつも感謝しています」と伝え、握手をしてお別れしました」<br>
　このような報告がありました。<br>
<br>
<br>
自分の仕事を見つめ直して新しい一歩を踏み出そうとしている人、<br>
金曜日を楽しみにして毎回参加しているという人、<br>
いろんな工夫をして職場でサバイバルしている人、<br>
ここ何年かで大きく変わった人、<br>
吃音ショートコースで学んだことを、日常生活に活かしている人、<br>
<br>
　嬉しい報告あり、決意表明あり、それぞれが真剣に人生に向き合っていると心から思いました。そのひとりひとりの話を聞くのがとても好きです。<br>
それぞれの人生に励まされたり、ほっとしたり、ふと涙が浮かんだり…。<br>
笑いあり、ペーソスあり、一年の終わりを締めくくる、本当にいい忘年会でした。<br>
３時間３０分という、ロングランもあっと言うまでした。<br>
<br>
　毎週の吃音教室は毎回３０名ほどが参加して充実し、吃音親子サマーキャンプや、吃音ワークショップや、出版活動などの､幅広い活動ができるのは、真剣な人達の集まりだからでしょう。<br>
　年に一度の忘年会で、いい仲間と活動できる幸せを実感できるのです。<br>
<br>
<br>
　２００９年度私のブログをお読み下さった皆様<br>
　ありがとうございました。<br>
　できるだけ書き続けていきたいとおもいますので、どうか、来年もよろしくお願いします。このブログはコメント、レスポンスが受けられないように設定してあります。どのような感想をもたれているか、もし、よければ、メールでお寄せ下さい。メールに対しては必ずレスポンス致します。<br>
　メールアドレスは、日本吃音臨床研究会のホームページにあります。<br>
　このホームページもよろしくお願いします。<br>
　来年は、このホームページもできるだけ更新しようと考えています。<br>
<br>
　皆様、お元気よいお年をお迎え下さい。<br>
<br>
　２００９年１２月２５日　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
]]> 
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<title>北九州・吃音相談・講演会</title> 
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<modified>2009-12-24T14:01:09Z</modified> 
<issued>2009-12-24T23:01:09+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1076296</id> 
<summary type="text/plain">

　　吃る人がついてはいけない仕事などない


　２００９年、１２月１２日、北九州市立障害福祉センターで「吃音相談・講演会」が開かれました。
　北九州市立障害福祉センターの言語聴覚士の田中愛啓さんと志賀美代子さんが、毎年、計画を立てて下さいます。もう、...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1076296.html">
<![CDATA[<br>
<br>
　　<u><b>吃る人がついてはいけない仕事などない</b></u><br>
<br>
<br>
　２００９年、１２月１２日、北九州市立障害福祉センターで「吃音相談・講演会」が開かれました。<br>
　北九州市立障害福祉センターの言語聴覚士の田中愛啓さんと志賀美代子さんが、毎年、計画を立てて下さいます。もう、１０年は続いているのでしょうか。<br>
　北九州市立障害福祉センターの主催なので、市の広報や関係するところに広報が行き渡り、また、今回は読売新聞にも紹介されました。今年も、大勢が参加してくれました。お昼の、子どもの吃音の部には４５名ほどが、夜の成人の部には２０名ほどが参加してくれました｡毎年開いているにも関わらず、参加者が多いのは、それだけ、吃音に困っている人、関係する人が多いということでしょう。<br>
<br>
　「この会を、吃音相談・講演会としたのは、相談したいこと、知りたいことを参加者から出してもらって、それを元にして講演するからです。相談や質問のある人は遠慮なくどうぞ」<br>
　主催者である、北九州市立障害福祉センターの言語聴覚士・田中愛啓さんの挨拶をうけて、いくつかの相談や質問が出されます。昼間の、子どもの部ではやはり、母親から、私のせいで吃音になったのでは、などいつものように、吃音の原因についての質問が出されました。いつになったら、吃音は「母親が原因ではない」が常識となるのでしょうか。<br>
<br>
　幼稚園児のこの話にはびっくりしました。<br>
　給食の時に、今日のメニューを言わせるのだそうです。ちゃんとメニューが言えないと、食べさせてもらえない、だったか何か、ちょっと忘れましたが、何かペナルティがあったのです。「ブロッコリー」が言えなくて、その子は苦戦をしています。これは、きついです。食事の度に、言えるか言えないかを心配するくらいなら、「もう給食なんて食べなくてもいいや」と私なら言ってしまいそうです。<br>
　そのお母さんに、幼稚園の先生に、「うちの子は吃って言えないから、無理に言わせないで、パスさせて下さい」と言えばいいと言いました。小学校では、健康観察で「はい、元気です」が言えなくて、学校へ行くのを嫌がる子がいます。どうして、みんな、一緒に、同じようにしなければならないのか。足の悪い子には、誰も「走れ」とは言わないだろうに、吃る子どもには「みんなと一緒」のことをさせようとします。<br>
　そのお母さんから、先日電話がありました。幼稚園で、吃音のことを理解してもらおうと話したら、「お母さんの心配のしすぎですよ」ととりあってくれなかったそうです。子どもの自立のために、みんなと一緒のことを園では要求しますと言うことらしいのです。<br>
　「自立」なんて遅れてもいい。それよりも、楽しく園に行くことが大事で、給食のメニューが言えないことが、自立とどう関係するのか、私には理解できません。苦手なことに挑戦もいいのですが、吃音はそんなレベルのことではありません。さてさて、どうなるのか、また、お母さんは報告してくれると思いますが。<br>
<br>
　子どもの部に、看護師、言語聴覚士２人をつれて、院長である耳鼻科医の医師が、参加してくれました。ひとりの言語聴覚士が、これまで私が勉強した「吃音」とまったく違うと話してくれました。そして、私の話に共感して下さいました。話を聞いてもらえれば、私の言っていることは理解されるのだと、少し自信を持ちました。看護師、言語聴覚士と子どもに関わる人の参加が多いのもこの相談会の特徴です。夜の部には、言語障害の大学院の学生、言語聴覚士の専門学校の学生が５人も来てくれていました。<br>
　吃る当事者だけでなく、吃る人や、吃る子どもに関わる人が話を聞いて下さるのはとてもありがたいことなので、熱く熱く語りました。<br>
<br>
　その大人の部で、「吃る人は、教師や、医者になってはいけないと私は思うが、伊藤さんはどう思いますか」という質問が出されました。日常生活で吃音がほとんど目立たない人のようです。あまり、吃音が目立たないから、余計に苦しかったのかも知れませんが、一方で、強気で生きてきたかのような印象を受けました。<br>
　これまで、彼が吃音をどう考えてきたのか、仕事の中で吃音とどう向き合ってきたのか、どんな仕事に就きたいと考えているのか興味をもちましたが、残りの時間がなかったので、私のまわりにいる、何人かの吃る教師の体験や、吃る人が就いている仕事などを紹介し、苦戦しながら、どう工夫して生きているかを話しました。最後に、吃る人が就いてはいけない仕事など、何一つないと話しました。<br>
　大きく頷きながら聞いていた彼は、私の説明に納得したようで、反論や、再質問はせず、最後の感想の時、「よく分かりました」と、明るい顔で言ってくれたのはうれしいことでした。<br>
　吃音相談・講演会では、様々な質問が出されます。それがとても嬉しいです。その答えにふさわしい、これまで４３年間で出会ってきた、たくさんの吃る人、吃る子どもの体験が、瞬時に思い浮かびます。大勢の人と出会ってきた財産です。そして、この日の相談会の話題を、今後、いつかどこかでの質問に答えるときに思い出すのだろうと思います。吃音について話すこと、話し合うことは、私にとって無上の喜びでです。<br>
<br>
　２００９年１２月２４日　　日本吃音臨床研究会　　伊藤伸二]]> 
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<title>勝間和代さんのこと</title> 
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<modified>2009-12-12T14:06:46Z</modified> 
<issued>2009-12-11T10:37:02+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1068064</id> 
<summary type="text/plain"> 

           勝間和代さんの声


　数日前、ＮＨＫの朝か昼のインタビュー番組に、勝間和代さんが出ていました。勝間和代さんの本は読んだことはないのですが、存在は新聞などで知っていましたし、「しがみつかない生き方」と、アエラの香山リカさんとの対談は読みま...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1068064.html">
<![CDATA[ <br>
<br>
           <u><b>勝間和代さんの声</b></u><br>
<br>
<br>
　数日前、ＮＨＫの朝か昼のインタビュー番組に、勝間和代さんが出ていました。勝間和代さんの本は読んだことはないのですが、存在は新聞などで知っていましたし、「しがみつかない生き方」と、アエラの香山リカさんとの対談は読みました。<br>
　彼女が、このようなことばを実際使っているかどうかは知りませんが、勝手に、「がんばればできる」「夢をもてば必ず実現する」と言う人ではないかと、想像していました。<br>
<br>
　そうして、偶然つけたテレビに勝間さんが出ていたので、香山さんとの論争の後、どのようなことを言うのか興味がわいてしばらく見ていました。<br>
　しばらくして私は、いたたまれなくなってテレビを消しました。その内容よりも「声」に対する不快感とは言えないまでも、聞いていたくない感じです。吃音に悩んできた人間として、ことばがなめらかかどうかは、もちろん問題ではありません。どんなに吃っても、だみ声で聞いていられないことはまずありません。そうそう、きんきん高い声も苦手ですが。勝間さんも、講演などでは、比較的ゆっくり話されるだろうと思います。しかし、対談のような話では、普段の話し方が出ます。人柄そのものが出ます<br>
　早いのです。早くても、久米宏さんや黒柳徹子さんは安心して聞けますが、早いと言うよりは、母音がどんどん抜け落ちているのです。話す表情も、自信に満ちてというよりは、不安げな、落ち着かない、要するに「ゆったり」としていない感じです。<br>
　はきはきと、明快に、颯爽と話す人かなあと、勝手に想像していただけに、大きなギャップがありました。<br>
<br>
　「声」はその人を表します。本も読まずに失礼だけれど、勝間さんのことを好きになれないのは、私の感性ですが、勝間さんの「声」に先に出会っていれば、もっと「パス」だったろうと思いました。吃る私は、やはり「声」に敏感なのでしょう。<br>
　勝間さんの「声」「話しことば」についてだけ書くつもりでしたが、もう、勝間さんに触れる機会はないでしょうから、ついでに、なぜ「パス」なのか、ということについて書きます。<br>
<br>
<br>
　「吃音は治る、治る希望をもって頑張れば、吃音は必ず治る」。私が読んだ吃音矯正の、１０冊以上の本には、全てそのように書かれていました。だから、「治らない、改善されないのは、まだまだ私の努力が足りないからだ」と自分の努力不足を責めました。どれほど努力すればいいのかの具体的な指標がないのですから、１日２時間ほどの努力をしても、自分の努力不足を責める人はいるでしょう。中学２年生の夏、私は２時間はしていたように記憶しています。夏休みを丸々使ったような気さえしているのですから。<br>
　<br>
　在日であることと、吃音に悩んだ、芥川賞候補４回の実力派の作家、金鶴泳さん。<br>
　『凍える口』を読んだのは３５年も前です。吃音に悩んだ私たちのあの時代の多くの人が、ただ吃音が治ればいいと漠然とした願望ではなくて、本気で吃音を治したくて、実際に治すために必死の努力を続けました。<br>
　私は４か月集中して、呼吸練習や発声練習、上野公園の西郷隆盛の銅像の前や山手線の電車の中での演説、街頭練習など、治したい一心で厳しい訓練に取り組みました。金鶴泳さんも、日記によると、何年も呼吸練習や発声練習を続けています。<br>
　「朝の時間の10分間を、ちょっとした発声練習にあてることを習慣にしたら、どうであろうか。それを1年、2年と続けていったときには、バカにならない効果が出てくるかもしれない。かつて、大学1、2年のころ、15分間ほどの腹式呼吸練習を、1年、2年ほど続け、それでも別にこれといった効果もなかったのだが」<br>
<br>
  がんばっても、努力してもできないことはできない。それを努力しさえすれば、道は開けると、自分を人を駆りたてるのはなんと残酷なことか。<br>
　「がんばれば地獄」に落ちるのです。<br>
　私は３５年以上も前に「治す努力の否定」を提起しました。<br>
　だから、「あきらめない」「がんばる」「前向きに」などのことばには、嫌悪感さえもちます。勝間対香山の構図では、私は明確な香山派なのです。<br>
　<br>
　<br>
 参考までに、最近の新聞記事です。<br>
　　　　　　　　　　　　　　　２００９　１２月９か１０日　　朝日新聞夕刊<br>
<br>
　<u><b>解決策なきものもある<br>
　　　　　　　香山リカさんの近著１２連続１位</b></u><br>
<br>
　<br>
 精神科医・香山リカさんの近著『しがみつかない生き方』(幻冬舎新書)の勢いが止まらない。７月末の発売直後から売り上げを伸ばし、現在、発行部数は４２万超。オリコンランキングの新書部門で８月下旬から１２週連続の１位、年間ランキング新書部門でも各社１位だった。<br>
香山さんに話を聞いた。<br>
　『しがみつかない生き方』は「『ふつうの幸せ』を手に入れる10のルール」とした副題の通り、「恋愛にすべてを捧げない」「仕事に夢をもとめない」といった10章からなる。特に話題を呼んでいるのが、最終章「〈勝間和代〉を目指さない」で、経済評論家の勝間和代さんを競争社会の成功者の象徴とした点だ。<br>
　勝間さんの著書の多くは、家事や仕事や人間関係の無駄を徹底的にそぎ落とした結果、生まれた時間や労力を様々なスキルアップに充てることで、一つ上の人生を目指すノウハウを示したもの。ファンの中にはそのノウハウの熱心な追従者となる人もいる。<br>
　香山さんは診療の現場で、「勝間さんの言う通りに努力しても人生が充実しない。自分はダメな人間だ」と自己否定に走る患者に何度か接したという。「客観的にはそこそこ幸せな境遇なのに『上があるはず』と頑張り過ぎる人たち。彼らの姿に、なぜこんなに普通の幸せは手に入りにくくなったのだろうと、不思議に思っていた」と、勝間さんに言及した理由を語る。<br>
　この本を巡り、複数の雑誌が香山さんと勝間さんの対談を掲載。「AERA」10月12日号の対談の中で、勝間さんは「私は頑張り至上主義ではなくて(略)頑張らなくてもいい方法を探しましょう、と言っている」「目標は格差をなくすことなので、私の本で格差が生まれているのであれぱ、目的に逆行してしまっています」と語っている。自身の意図が誤って読者に伝わっている可能性にも言及した。<br>
　香山さんは、勝間さんとの対談を経て、改めてこの本にこめた思いをこう語る。「新自由主義的な合理志向のもとで、すべてのことに解決策があるというイメージが社会に広がりました。もちろん経済が発展し、個人が向上心を持つことも重要なことですが、人生は解決出来ることばかりではないという大前提を、忘れることは危険です。そもそも人生とはままならないもの。私の本にも解決策は示されていないのです」(浜田奈美)]]> 
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<title>豊中市のことばの教室の子どもの感想</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1063184.html" />
<modified>2009-12-11T04:13:39Z</modified> 
<issued>2009-12-03T16:14:29+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1063184</id> 
<summary type="text/plain">
　　プロポーズは、どもった方がいい


　１０月２９日に大阪豊中市のことばの教室で。吃るこどもや保護者と会った話を書きました。保護者との話がメインだったので、子どもとはほんのわずかの出会いでしかなかったのでずか、先日、子ども達の感想文をとどけてもらいま...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1063184.html">
<![CDATA[<br>
　　<u><b>プロポーズは、どもった方がいい</b></u><br>
<br>
<br>
　１０月２９日に大阪豊中市のことばの教室で。吃るこどもや保護者と会った話を書きました。保護者との話がメインだったので、子どもとはほんのわずかの出会いでしかなかったのでずか、先日、子ども達の感想文をとどけてもらいました。<br>
　私を、真剣な眼差しで見つめていた小学５年生の子の感想です。<br>
<br>
　<u><b>「水曜日は、いろいろ話をしてくれてありがとうございました。ぼくは、どもりについてよくわかりました。プロポーズの時には、どもった方がいいだなんて初めて知りました。そして、最後に伊藤さんに質問します。どもりは、とてもいろいろなところで役に立ちますか、役にたちませんか。答えはまた次の時に教えて下さい」</b></u><br>
<br>
　プロポーズの時、どもったかどうかを質問した子は、別の子どもだったのですが、このような感想を書いてくるのはうれしいですね。そのことと、関係してのことかもしれませんが、「役に立つこと」を質問してきたのもびっくりです。吃っている時などの短い時間で考えれば、どもりが役に立つことはないのでずか、長い時間の中で考えると、どもりが役に立ったことはたくさんありました。<br>
　子ども値が、どもりを大きなマイナスのものとしか考えることができなければ、吃る事実は認めにくいですが、子どものころから、良い面もあるのだと考えることができれば、素晴らしいことです。<br>
　<br>
　以前、吃音のいい面をみんなで考えたことがありました。そのときの文章がどこにあるか探せませんが、今度、この子どもと会う日までには整理しておきたいと思いました。<br>
　<br>
　ずいぶん前になりますが、ＮＨＫの「にんげんゆうゆう」の番組の終わりの方で、大阪吃音教室のシーンがありました。その日初めて参加した若い女性が、「これまで私は吃音にマイナスのイメージをずっともってきましたが、二人の人の、どもりだからよかったという話をきいて、考え方が変わりました。「どもっていても、いいかなあ」と思えるようになりました」と発言しました。柿沼アナウンサーも、たった２時間の吃音教室に参加して、この人は変わったのですねと感心していました。<br>
　ひとりは、消防士で、「学校などに消防の話をしにいくが、どもりながら丁寧に話す話し方が好きだと言われるし、どもるからすぐにおぼえられるから、今は、どもりの方がいいわ」という発言でした。<br>
　もうひとりは、ひどく吃るから結婚できたという話でした。友人の結婚式でスピーチを頼まれて。ひどくどもって話したのを、参加していた男性が、「こんなに、吃りながら、一所懸命話すこの青年は、誠実な人だ、是非娘と結婚させたい」と思ったという話です。結局見合いをして結婚して子どもがいるという話でした。<br>
<br>
　この話には、ぼくもびっくりしました。いろんなことがあるものです。若い女性にとって、この話はインパクトがあったようです。<br>
<br>
　吃音の苦しみだけが、クロース゜アツプされますが、探していけば、いい話がたくさん集まるかもしれません。小学５年生のこの子どもの感想から、どもる先輩として、マイナス面だけでなく、プラスの面も整理していく必要があると思いました。<br>
<br>
　もうひとりの子の感想です。<br>
<br>
　<u><b>「友だちがまた、『なんでおまやどもんの？』と聞いてきたから、うそ泣きをしたら、ほんとうに友だちは、そんなことを聞かなくなりました。こんな方法を教えて下さってほんとうにありがとうございました」</b></u><br>
<br>
　この話は忘れていましたが、「友だちにからかわれたらどうしたらいいか」と質問した子がいたのでしょう。この場合、いろんな選択肢を考えます。たくさん提案した中に、「大泣きする」があったのです。それをしてみようとした、この子もすごいです。私の子どものころに、果たしてできたでしょうか。いろんな選択肢を一緒に考えることが大切なことだと改めて考えました。実際にしてみての感想は初めてだったので、嬉しいことでした。<br>
<br>
　こんな感想もありました。<br>
<br>
　<u><b>「いとうさんの経験が聞けてよかったです。その中でも、どもりを治す方法はないけど、僕はどもるんだと、堂々と話せばいいよという事が、一番心に残ったし、なんだか、気持ちが楽になった」</b></u><br>
<br>
<br>
　<u><b>「いとうさんと会えてよかった。なぜかというと、いとうさんの話を聞いて、世界中のあちらこちらにどもつて、こまっている人がたくさんいることがわかったし、どもった方がいいときがあるということがわかったからです。</b></u><br>
<br>
　保護者からの感想もありましたが、子どものうれしい感想をお知らせしました。<br>
<br>
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　２００９年１２月３日　　　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二　<br>
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<author>
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<title>横浜、吃音相談・講演会　２</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1059938.html" />
<modified>2009-11-28T04:19:58Z</modified> 
<issued>2009-11-28T13:19:58+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1059938</id> 
<summary type="text/plain">  
２００９年１１月２１日の横浜相談会の続きです。

  
     理解できなくても、伝えようとする態度が大事

　

　前もって出されていた親からの質問に、こんなのがありました。
　
４歳６か月の子どもが、「どうして私だけこんな話し方なの？」と聞いてくるので...</summary> 
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<![CDATA[  <br>
２００９年１１月２１日の横浜相談会の続きです。<br>
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     <u><b>理解できなくても、伝えようとする態度が大事</b></u><br>
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　<br>
<br>
　前もって出されていた親からの質問に、こんなのがありました。<br>
　<br>
４歳６か月の子どもが、「どうして私だけこんな話し方なの？」と聞いてくるので、どう答えればいいですか？<br>
　<br>
　うっかりと、講演の中でその質問に答えずに終わったら、後で質問に来て下さいました。　そのお母さんは、私の本も読んでいて、子どもに「治らないよ」と言ったというのです。「ウーン、まだ治るとか治らないとか、はっきり言うのは早かったかな、治らないの？と聞いてきたら、分からないなあ」と正直に答えればいいけれど、「治らない」とは、ちょっと驚きました。でもまあ、そう言ったんだから、その線でいってもいいけれどいう前提で、子どもにどう説明するか話しました。<br>
<br>
　４歳の子どもに、親としてどう説明するか、子どもが聞いてきたことには親としてきちんと向き合いたいという親の姿勢にうれしくなりました。いい加減にごまかして言う人が少なくないのに、ちゃんと説明したいという親は、４、５の子どもの場合あまりいません。もちろん私は、ちゃんと説明して欲しいとお願いしますが。<br>
　<br>
　４、５歳の子どもであっても、子ども扱いをしては失礼です。正直に、率直に子どもに「事実」を伝えて欲しいと思います。あなたのような話し方を「どもり」「吃音」「どもる」と言うこと。なぜそうなるのか原因が分からないこと。人口の１パーセントはいるということなど、今現在わかっていることを正直に話して下さいといいました。<br>
　子どもが質問してきたときには、どう答えるか、近所の子どもが「おばちゃん、何々さんどうしてこんな話し方なの？」と聞いてきたとき、どう説明するか。説明するためには、親が吃音について勉強して、準備をしておく必要があります。そのために、少なくとも、私の書いた２冊の本はじっくり読んで、必要なことを盛り込んで、お母さんの説明文を作って準備して、練習して下さいとお願いしました。<br>
<br>
　親は、子どもや友だちが「何でこんな話し方なの？」と聞いてくることに、とまどいや、恐れや不安をもっています。準備をしていないからです。子どもがこのような質問をしてくればチャンスです。ちゃんと答えて欲しいのです。<br>
　友だちが聞いてきたときも、嫌がらずに、子どもの味方になってくれる可能性のある子どもかもしれないので、丁寧に説明して欲しいといいました。<br>
<br>
　「子どもが理解できるでしょうか？」<br>
　このように聞かれることがあります。子どもが理解ができる出来ないは問題ではありません。親が真剣に吃音について勉強し、知っており、逃げないでちゃんと説明してくれるという、その態度を示すことが大事なのだと話しました。わからなくてもいいのです。<br>
<br>
　「吃音は、小学生まで続き、吃り始めてから年月が経っている場合、治らないことが多いから、治すことにこだわらずに、吃音と共に生きることを考えよう」<br>
　私は親にいいますと言うと、ことばの教室の教師や、言語聴覚士は、そんなことを言っても親に納得してもらえません。伊藤さんは、吃る人間だから説得力があるけれど、吃音の経験も、臨床経験の浅い私たちには無理です、ともいいます。<br>
<br>
　子どもが理解しようがしまいが、親が納得しようがしまいが、事実を伝えるのが、親の、臨床家の役割だと私は思っているのです。<br>
<br>
　『どもりと向き合う一問一答』　　　解放出版社　　　　　１０００円＋税<br>
  『どもる君へ、いま伝えたいこと』　　　解放出版社 　　 １２００円＋税<br>
<br>
　この２冊の本は少なくともじっくり読んで、子どもの説明に備えて欲しいと話しました。<br>
<br>
　私は最近、講演会などで本の宣伝をよくするようになりました｡話を聞いて、そのときそうだと思っても、世間は「どもりは治る、治すべきだ」が根強くあります。その中で、子どもと一緒に、あるいは自分自身が吃音と共に生きる道に立つには、それなりの学習が必要だと思うからです。<br>
<br>
    ２００９年１１月２８日　　　　　　日本吃音臨床研究会　　　伊藤伸二]]> 
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<title>横浜、吃音相談・講演会</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1058286.html" />
<modified>2009-11-25T14:23:26Z</modified> 
<issued>2009-11-25T23:23:26+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1058286</id> 
<summary type="text/plain">

       どもりを治したいなら、必死の努力を 




２００９年１１月２１日

　横浜吃音相談講演会がありました。　　　　　
　インフルエンザの関係でしょうか、参加申し込みをした人で参加できない人がいましたが、茨城県から二人参加するなど、遠いところから...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[<br>
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       <u><b>どもりを治したいなら、必死の努力を </b></u><br>
<br>
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２００９年１１月２１日<br>
<br>
　横浜吃音相談講演会がありました。　　　　　<br>
　インフルエンザの関係でしょうか、参加申し込みをした人で参加できない人がいましたが、茨城県から二人参加するなど、遠いところから２３名が参加しました。今年の特徴は、小さな子どもの親だけでなく、３人の若い人と、中学生がふたりいたことです。どもる子どもと親や・臨床家のためとなっていますので、これまでは幼児・学童期の子どもの親か、ことばの教室の教師、言語聴覚士の参加がほとんどだったのですが、今回は少し様子が違ったので、年齢の高めの話をしました。<br>
　<br>
　エリクソンのライフサイクル論を使って、私の吃音に悩んだ２１歳までの人生を話しました。それまでの私は、吃音を隠し、逃げてばかりの人生でした。今回は、劣等感、劣等生コンプレックスについて特に強調して話しました。<br>
　ある芸術系の大学の学生の悩みは、バイオリンの演奏の時、曲名などをいわなければならないなど、大学生活の中での困難さです。なんとか学校には行っているのですが、吃音がとても気になって、大学をやめたい気持ちもあるようでした。また、中学生で学校へ行けなくなり、どうしても吃音を治したい、治らなければ学校へも行けないし、今後のことも考えられないという中学生がいました。<br>
<br>
　「何々だから、何々できない」と、何々を理由に人生の課題から逃げるのが、劣等コンプケックスです。私の場合は「どもりだから何々できない」と、自分ができないこと、自分がしないことを全て吃音のせいにして逃げてきました。そして、とても損をした２１歳までを送ったので、私のような失敗をしてほしくないと、強く思ったのです。<br>
<br>
　幼児期の子どもの話では、「早く、早く」と言い過ぎたために吃音になったと自分を責めている人に、今日限り、自分の責任だと思わないでほしいと話した他は、劣等コンプケックスに陥らないようにという話が中心でした。すでに、人生の課題から逃げ、不登校になつている中学生。大学をやめ、自分の好きな音楽をあきらめるかも知れない、人生の課題から逃げるかもしれない大学生にむけて、話していたような気がします。<br>
　「どうしても治したい、治す」という人に対して、ちょっときつすぎたかも知れませんが、本当に治したいなら、とことん努力をして欲しいと言いました。<br>
　「治したい。治したい」といいながら、自分では努力しない人を私はたくさん出会ってきました。努力をしない人は、「治らない結果」に向き合いたくないのでしょうか。本当に治したいなら、必死の努力をしたらいいのです。<br>
<br>
　私が「治すこと、治ること」を諦められたのは、自分なりに、これ以上は無理だと思えるほど、力の限り「治す努力」をしたからです。<br>
　東京正生学院という吃音矯正所に私は４か月通いました。最初の１か月は、大学の夏休みだったので、寮に泊まり込み、朝から夜遅くまで、治す努力をしました。午前中は呼吸練習・発声練習などの基礎訓練。午後は街頭訓練、上野の西郷さんの銅像の前で演説、山手線の電車の中で演説、毎日１００本の電話。血のにじむような訓練でした。特に、山手線の電車の中での演説は、今でもぞっとするような、いまなら、絶対にできないような、辛い訓練でした。「どもりを治したい」一心で頑張りました。夏休みが終わり、１か月の集中訓練ができた寮生活が終わってからも、３か月まじめに夜の部に通い、頑張りました。<br>
　ことろが、私のどもりは治りませんでした。４か月の間に知り合った、３００人の全てが治りませんでした。これだけ頑張ったんだから、私だけでなく、３００人の人も治らなかったんだからと、私は「治ること、治すこと」にあきらめがつきました。<br>
<br>
　そのような体験を話し、アメリカの言語病理学でも治せない現実、治らなくても、自分のゆたかな人生を送ることができる、と熱をこめて話しました。大学生はわかってくれたようでしたが、もうひとりの若い人には通じなかったような気がしました。<br>
<br>
　インタネットでは高額の器具を使って「どもりを治す」などの情報がたくさんあります。経済的に許せば、３０万円、５０万円を使ってでも、必死に治す努力をするしかないだろうと思います。ほとんどの人が失敗してきたことであっても、自分だけば違うと人は思うのでしょう。そうだとすれば、とても残念で、結果は分かっているのですが、１０００分の１程度の、いやもつと確立が低いと思いますが。「治る」ことを信じて取り組むしかありません。精一杯の努力をするしかないのです。５０万円は諦め料として必要なのかも知れません。<br>
<br>
　そんな話しをしながら、むなしく、つらくなってきました。<br>
　世界では、１００年以上の吃音治療の歴史がありながら、多くの人が失敗してきました。ほとんどの人が失敗してきた経験から、「治すことにこだわらないで生きよう」との私たちの経験を通しての提案が、後に続く若い人に届かないのはつらいことです。<br>
　でも、仕方がないのかも知れません。私は２１歳、チャールズ・ヴアン・ライパー博士は３０歳、スキヤットマンジョンは５２歳までかかったのですから。若い人には、中学生には無理なのかも知れません。それでも、２０年の吃音親子サマーキャンプでは、小学生が吃る事実を認める方向に変わっていきます。<br>
　ある年の島根のキャンプでは、小学１年生の３人が、何を叫んでもいい約束の「山頂からの叫び」で「どもりは一生治らないー！！！」と叫んでいました。<br>
　こどもであっても、諦めることはできるのです。私の無力をまた感じたのでした。<br>
　早く治ることを諦めて欲しい。どもりが治ることは諦めても、自分の人生は決して諦めて欲しくない。自分の人生の課題から逃げないでほしいと祈るばかりです。<br>
<br>
　２００９年１１月２５日　　　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二 　]]> 
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<title>大阪府立大学での講義</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1054874.html" />
<modified>2009-11-20T12:01:11Z</modified> 
<issued>2009-11-20T21:01:11+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1054874</id> 
<summary type="text/plain">
　
　　大阪セルフヘルプ支援センターのつき合いから

 ２００９年１１月２０日
　大阪府立大学に行ってきました。

 大阪府立大学の松田博幸さんとは、大阪セルフヘルプ支援センターの第１回のセミナーからのつき合いです。毎月一度の例会、そして、信貴山での合宿...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1054874.html">
<![CDATA[<br>
　<br>
　　<u><b>大阪セルフヘルプ支援センターのつき合いから</b></u><br>
<br>
 ２００９年１１月２０日<br>
　大阪府立大学に行ってきました。<br>
<br>
 大阪府立大学の松田博幸さんとは、大阪セルフヘルプ支援センターの第１回のセミナーからのつき合いです。毎月一度の例会、そして、信貴山での合宿、毎年行われるセルフヘルプグループセミナー、当番制の電話相談、いろんな活動を一緒にしました。一冊の冊子と、本も作りました。大切に考えていた活動でしたが、私が忙しくなり、毎月の例会に行けなくなり、電話当番もできなくなり、活動から離れていきました。<br>
<br>
　中心的に活動していた人が様々な理由で活動できなくなる中で、ずっと支援センターを支え続けて下さったのが松田さんです。私は、心から敬意と感謝をしているのです。<br>
　その松田さんがご自分の講義の中で、＜当事者の声を聞く＞として、何人かのセルフヘルプグループにかかわる人をゲストとして招いています。私もその中の一人として、毎年この時期に、大学に話をしに行きます。学生達に何を学ばせたいか、松田さんの意図があるでしょうから、話は対談形式にして、松田さんの質問に私が答えるというスタイルにしています。今年は、どうしても話したいことがあったので、１５分ほど話して、後は質問に答えることにしました。<br>
　私が話したいと思っていることを的確に質問して下さるので、今回も楽しく、気持ちよく話をしてきました。<br>
　どうしても話したかったことは、詳しくは言えませんが、「どもりを治そう」という動きが、日本で、世界で強まっていることに対する危機感です。<br>
　なぜ私たちは「治される」存在であり続けなくてはいけないのか。セルフヘルプグループの役割は、吃音を治すことではなく、どう生きるかを考えることではないか、「どもりがどもりとして、そのまま認められる社会」の実現を、少なくとも、大阪や神戸のセルフヘルプグループは考えているというような内容でした。<br>
<br>
　明日から、横浜相談会、新しい本の制作のための合宿、鎌倉のことばの教室での、保護者・担当者への講演、講義と続きます。忙しい毎日です。以前、大阪セルフヘルプ支援センターのニュースレターの巻頭エッセーとして書いた文章が、偶然にみつかりましたので、ご紹介します。<br>
<br>
<br>
         <u><b>ノン・アグレッシブ</b></u>　<br>
　　　　　　　　　　　　　 <br>
　アメリカの世界的ミュージシャン、スキャットマン・ジョンが生前、ドイツの人気トーク番組に出演することになり、私たちに吃音の問題を世界に理解してもらういい機会だと、何を言えばいいか尋ねてくるなど、意気込んでいた。しかし、とても不本意な結果になったらしい。「司会の質問を遮ってでも、アグレッシブに吃音についてもっと説明すればよかった」と、しょげ込んで、国際吃音連盟の私たちにお詫びのメールがきた。そのとき私は、「アグレッシブにならなくてよかった。吃りながら、吃る人間としての、あなたの優しい、誠実な姿が映像として放送されたことの方がずっといい」と私は返事をした。ジョンは、「吃音の悩みや、吃音の問題を理解して欲しいとの気持ちがあまりにも強く、アグレッシブに主張すればよかったと、反省し、後悔していたが、ノン・アグレッシブや誠実さの大切さを改めて気づかせてくれて感謝する」とメールがきた。<br>
　今、国際吃音連盟は大きく揺れている。１９８６年私が第一回の世界大会を京都で開いて、３年ごとの世界大会を繰り返し、現在は４５か国ほどが参加する大きな組織になった。大会中の理事会の後は、インターネット上でのやりとりが中心になる。うまく行っているときは、友好的なメールのやりとりで、異文化のコミュニケーションの難しさも、同じような体験をもつ、セルフヘルプグループの仲間だとうまくいくものだと思っていた。しかし、ひとたび大きな問題が起こると、やはり、自分が正しいとの強い主張が始まり、そのメールのやりとりは、どんどんアグレッシブになっていく。<br>
　その状況を打開したいと、スキャットマン・ジョンとのエピソードを交えて、互いに、間違いは間違いとして認め、謝罪して前に進もうと提言した。しかし、謝罪は敗北だと信じる文化の国では、とうてい受け入れられないことらしい。双方に悪い点があるのだから、互いが謝罪すれば、一歩進めるというのは、日本人の思い込みらしい。<br>
　日本では、よく３人ほどがカメラの前で頭を下げているシーンを見かける。ただ形だけ謝って、ことをうやむやにしようとする、謝罪文化の日本にも大きな問題があるが、絶対に謝らないというのも、問題だ。寛容の精神が失われれば、世界的規模で活動する、セルフヘルプグループの活動は、崩壊してしまうだろう。第一回の世界大会開催国として、敬意を表されている日本の、調整役としての役割は今後大きくなりそうだ。<br>
<br>
<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　  日本吃音臨床研究会　伊藤伸二<br>
<br>
　]]> 
</content>
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<title>　吃音親子サマーキャンプにみるグループの力</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1051955.html" />
<modified>2009-11-17T05:49:42Z</modified> 
<issued>2009-11-17T14:49:42+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1051955</id> 
<summary type="text/plain">

　　　　　グループの力


　２００９年５月３０・３１日と、新潟県長岡市で、日本コミュニケーション学会がありました。私は、日本音声医学会、日本特殊教育学会、人間性心理学会などで、発表や、自主シンポジウムなどてよく発表してきました。数年前から、思うとこ...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1051955.html">
<![CDATA[<br>
<br>
　　　　　<u><b>グループの力</b></u><br>
<br>
<br>
　２００９年５月３０・３１日と、新潟県長岡市で、日本コミュニケーション学会がありました。私は、日本音声医学会、日本特殊教育学会、人間性心理学会などで、発表や、自主シンポジウムなどてよく発表してきました。数年前から、思うところがあって、全ての学会に出なくなりました。もちろん発表もしなくなりました。<br>
<br>
　ところが､日本コミュニケーション学会の新潟大会事務局から、今回、「グループの力」と題したシンポジウムをしたいから、シンポジストとして出ないかというお誘いがありました。全ての学会活動から手を引くと、一部の人には公表していましたし、そのつもりでしたので、一瞬迷いました。しかし、一対一の個別指導が原則の、スピーチセラピーの言語聴覚士の集まる学会で、「グループの力」とは、とてもありがたいテーマです。一度、学会にはもう行かないと決心したのでしたが、今回は特別だと、受けることにしました。<br>
<br>
　久しぶりの学会に、いろいろと学びや感じることがあり、このブログに書くつもりでいたのてすが、どんどん日が流れれて、チャンスを失っていました。今回、ひとつのチャンスがありました。<br>
　学会誌にシンポジウムの報告が掲載されますので、その原稿を書かなくてはいけません。１０月末日がしめきりでしたが、仕事に追われて書けずに、今日まで待っていただきました。そして、ようやく、さきほどメールで送りました。<br>
<br>
　その仕事の中で、メールの整理をしていましたら、学会予稿集の原稿がでてきました。この際だから、新潟での学会の報告を、予稿集の原稿を読んでいただくことで、一応の報告をしようと思いました。<br>
　機会があれば、新潟の報告はしたいとは思ってはいますが。<br>
<br>
　以下、実際の発表とは内容はちがいますが。予稿集に掲載された原稿です。<br>
<br>
<br>
　　吃音親子サマーキャンプにみるグループの力　<br>
<br>
　アメリカの言語病理学における吃音へのアプローチは、「吃らずに流暢に話す派」と「軽く、楽に流暢に吃る派」の長年の激しい対立を経て、近年「統合的アプローチ」が提案された。流暢性促進のその技法は、1903年の伊沢修二の落石社に端を発する日本の伝統的な発声・発語訓練とほとんど変わらない。100年以上、吃音臨床研究が世界規模で続けられながら、原因が未だに解明できず、有効な科学的治療法は確立されていない。その現状から、吃音を治すことにこだわらず、吃音と上手につきあうための学習や訓練を考えることが、現実的な対応だと言える。しかし、それはひとりでは難しく、臨床家の援助や、同じような悩みをもつ当事者のグループの力が必要になってくる。<br>
　筆者は、1965年吃る人のセルフヘルプグループを設立して以来、吃音とつきあう方策を探り、実践を積み上げてきた。グループの中で、同じように悩む人と出会って、自分の体験を語り、他者の体験に耳を傾けた。吃るからできないと思っていたことが、仲間と共に行動する中で、できるようになった。グループの中で得たものは、私はひとりではない、私は私のままでいい、私には力がある、の３つのメッセージだ。<br>
　最近、吃音が原因で学校に行けなくなったり、就職したが、厳しい現実の生活の中で仕事場に行けなくなった事例が増えてきた。学齢期から思春期にかけて、吃音と直面せずにきた子どもは、吃音の悩みや苦しみを語り、真剣に聞いてもらう経験がなく、自分だけが悩んでいると思っている。吃音とつきあうためには、同じように悩む子どもや大人と出会い、吃音に向き合う必要がある。吃音から大きなマイナスの影響を受けずに、吃音と共に生きる力を育てるために、小学校１年生から高校生までを対象にした２泊３日の吃音親子サマーキャンプを、1990年から開催し、今年で20年になる。150名ほどが参加する。<br>
　キャンプは、①吃音についての話し合い、②ことばのレッスンとしての劇の練習と上演　③子どもを支援するための親の学習会、この三つを柱にしている。<br>
　吃る当事者と、臨床家が話し合いに加わることで、子どもたちは吃音について実によく話す。音読や発表を苦手としていた子どもたちと演劇に取り組むことで、吃りながら表現する喜びや楽しさを味わう。また、大人の具体的なモデルを身近に見ることで、将来、吃音が治らずとも、自分なりの人生を歩んでいけることを実感する。現実の生活の中でも、吃る事実を認め、吃音を隠したり、話すことから逃げることが減少し、学校でいじめやからかいにあっても、アサーティブに対応することができる子どもが育っている。様々な活動と、人との出会いを通して、吃る子どもたちは、自己肯定、他者信頼、他者貢献の感覚を身につけ、それが共同体感覚を育成することにつながっている。<br>
<br>
　　２００９年１１月１７日　　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二<br>
　　<br>
]]> 
</content>
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<title>横浜、北九州　吃音相談・講演会</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1050522.html" />
<modified>2009-11-15T03:28:16Z</modified> 
<issued>2009-11-15T12:28:16+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1050522</id> 
<summary type="text/plain">

　横浜と北九州で下記のように吃音相談・講演会をします。
　お近くの方は、ご参加下さい。また、周りの人にもご紹介いただければうれしいです。



　　　　　　　　　　　□■□　情報ラック　□■□
  　   　   　　　
　　　　吃る方と家族・関係者のための...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1050522.html">
<![CDATA[<br>
<br>
　横浜と北九州で下記のように吃音相談・講演会をします。<br>
　お近くの方は、ご参加下さい。また、周りの人にもご紹介いただければうれしいです。<br>
<br>
<br>
<br>
　　　　　　　　　　　□■□　情報ラック　□■□<br>
  　   　   　　　<br>
　　　　<u><b>吃る方と家族・関係者のための吃音講演・相談会《北九州》</b></u><br>
<br>
　吃音の問題は、ことばの問題だけにとどまらず、社会生活を送る上でも大変深刻な問題をもっています。吃音指導に長年取り組んで来られ、吃音の当事者でもある伊藤伸二さんを講師に招いて、「どもる子どもとどもる人の幸せにつながる支援とは何か？－保護者・臨床家にできること」をテーマにして、講演と相談会を行います。<br>
　吃る子どもをもつ親、吃る人、保育士や幼稚園・小学校教諭、臨床家の方など多くの方の参加をお待ちしています。　　［北九州市立障害福祉センター　志賀美代子］<br>
<br>
◇日時　　２００９年１２月１２日（土）<br>
　　　第１部　午後１時３０分～午後４時　　　　幼児・小学生・中学生の相談<br>
　　　第２部　午後６時～午後８時３０分　　　　高校生以上、大人の相談<br>
◇会場　北九州市立障害福祉センター<br>
　　　北九州市小倉北区馬借1-7-1　　　　　（総合保健福祉センター３階）<br>
◇主催　北九州市立障害福祉センター<br>
◇参加費　資料代として、５００円<br>
◇講師　伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長<br>
◇申し込み・問い合わせ先　　北九州市立障害福祉センター　　　<br>
                                言語聴覚士　田中愛啓・志賀美代子<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　ＴＥＬ　093-522-8724　ＦＡＸ　093-522-8772<br>
<br>
<br>
　　<u><b>吃る子どもの親と臨床家のための吃音相談会・講演会《横浜》</b></u><br>
<br>
  幼児期、学童期、思春期と、子どもの問題は変化します。子どもの吃音とどう向き合い、子どもとどう接すればいいのか、子どもをどう指導すればいいのか、適切な情報が少ない中で、悩んでおられる親や臨床家は少なくありません。吃音に悩み、４０年以上にわたり吃音に取り組んできた伊藤伸二と、教育相談の現場で吃る子どもとその親に接している清水俊子、吃音に悩みながら現在障害児教育に携わる溝口稚佳子が計画した相談・講演会です。日頃、子どもの吃音について悩んだり困ったり、疑問に思ったりしていることなどを持ちよって、話し合いましょう。<br>
　吃る子どもの保護者の方、ことばの教室の担当者や病院のスピーチセラピストの方、ぜひご参加下さい。また、現在ご指導中の方や終了された方にもご紹介いただけると幸いです。　                                    　（企画者：清水俊子）<br>
 <br>
 □日時　2009年11月21日（土）13：30～16：00　　　　受付　13:00より<br>
  □会場　横浜市社会福祉協議会・横浜市社会福祉センター　<br>
                ８階大会議室Ａ　℡　045-201-2060　　<br>
　　　　　　JR京浜東北線、横浜市営地下鉄「桜木町」駅下車　徒歩２分  <br>
　□参加費　１５００円（資料代として）<br>
  □スタッフ　・伊藤伸二（日本吃音臨床研究会会長・大阪教育大学非常勤講師）<br>
　　     　　　　  ・  清水俊子（学校心理士・臨床発達心理士）<br>
　　　　　　　・溝口稚佳子（寝屋川市立国松緑丘小学校、特別支援学級教諭）<br>
  □申し込み方法　FAXで、①氏名　②住所　③電話　④子どもの年齢　⑤困っていること<br>
　これらを書いて申し込み下さい<br>
  □申し込み先・問い合わせ先  <br>
      清水俊子  TEL/FAX　046-250-4356　　<br>
　　　　　　※電話による問い合わせは、午後8時30分以降<br>
]]> 
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<name>kituon</name> 
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<title>大阪吃音教室　 吃って声が出ないときの対処</title> 
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<modified>2009-11-14T15:20:05Z</modified> 
<issued>2009-11-15T00:20:05+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1050286</id> 
<summary type="text/plain">
          

　　吃ってはいけない場面などほとんどない　　
　　
　先週の不安と恐怖に続いて、「吃って声が出ないときの対処」も私の好きな講座です。
　参加者の発言によって、講座はどんどん変わるので、毎回新鮮です。
　参加者の中に、メモをとって下さるあり...</summary> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1050286.html">
<![CDATA[<br>
          <br>
<br>
　　<u><b>吃ってはいけない場面などほとんどない</b></u>　　<br>
　　<br>
　先週の不安と恐怖に続いて、「吃って声が出ないときの対処」も私の好きな講座です。<br>
　参加者の発言によって、講座はどんどん変わるので、毎回新鮮です。<br>
　参加者の中に、メモをとって下さるありがたい人がいて、今回もそのメモをたよりに自分なりの報告です。<br>
　<br>
　まず、「声がでないで困る時」を参加者に出してもらいました。<br>
　・大勢の会合で名前だけを言うとき、<br>
　・電話<br>
　・人前で話すとき<br>
  ・映画のキップや食堂で好きなものを注文するとき<br>
　このほかたくさん出ました。<br>
<br>
　いつでも、どこでも吃りたくないと言われても、それは無理な相談です。吃ってもいいところと、吃りたくないところを区別をする必要があると提案しました。<br>
　例えば二度と会わない人の前で吃る場面など、吃っても我慢ができることは捨てていくのが賢明です。<br>
　私は、人前で話すときでも、電話で話すときでも、吃って困ることはまったくありません。吃って当たり前と思っているから、必要な時は、どんなに吃っても話します。だから、声が出なくて「困ることはない」のです。ただし、私が「困ることはない」と考えていることを、実は多くの人が困っているのです。<br>
　どういうことでしょうか。<br>
　私は「伊藤」と数字の「イチ」てばほぼ確実に吃ります。声が出ません。だから、通信販売などで、名前と、住所を言わなければならないときが、「吃って声が出ない」時といえるのかもしれません。だけど私は困りません。「イイイイ・・・」「・・・・イ」「イートウ」などで何とかしのぎます。住所の数字の「イチ」でも難発（ブロック）の状態になります。それでもなんとか、言わなければならないので言います。<br>
　当然吃らない人なら、１０秒ほどで言えるとしたら、私は３０秒か６０秒かかります。それでも何とか言うことができて、無事に注文した品は届きます。ただ、時間がかかるだけのことです。また、電話の向こうの相手とは、生涯、会う可能性はありません。<br>
　こんな場面は、食堂の注文でも同じです。その食堂に二度と行くことがないかもしれません。私は、民間吃音矯正所・東京正生学院に通っていたとき、早稲田大学の近くにあった、鶴巻食堂で「アジのからあげ」が食べたかったのですが、ついに食べることが出来ませんでした。その食堂には何度も行く必要があったからでしょう。いや、当時は、どんな所でも吃るのが嫌だったので、常に逃げていました。<br>
　ただ、最寄り駅の「高田馬場」のキップを買うのは避けられません。弾みをつけたり、時には紙に書いたり、いろいと試みてしのぎました。<br>
　ます。とにかく、どんな場面でも吃りたくなかつたのです。それでは、吃音と共に生きていくのが大変です。<br>
　どの場面でも同じように「吃りたくない」と思うとつらくなる。どうでもいいところは、吃ってもいいと、吃りたくない場面をどんどん捨てていき、優先順位を決めていくのです。最後に残った場面だけ、吃つた時落ち込むのです。他の場面では落ち込まないと、決めると楽になります。そして、不思議なことに、優先順位を決めると、どんどん捨てていくことができるようになります。そして、結局は、どもってはいけない場面など何一つなく、吃りたくないという思いも軽くすることができます。<br>
　<br>
　学校の先生が卒業式の時、卒業生の名前が言えない、吃りたくないと悩みます。仲人を引き受けた人が、新郎新婦の名前が言えないと不安を持ちます。これらは、吃ってはいけない、吃りたくない場面の典型的な場面でしょう。そのような場面でも、吃っても何の問題はありません。そう考えられればいいですね。<br>
　私はそう考えています。しかし、矛盾するかも知れませんが、寿司屋で「トロ」や「たまご」がいえません。まあいいかで「マグロ」など言いやすいものを注文しています。どうでもいいようなところは、どんどん逃げてもいいじゃないですか。逃げるのもありですよね。だけど、 大事なこと、本当に必要な時には、絶対に逃げませんよ。・<br>
<br>
　 「吃って声が出ないときの対処」となると、なんとか吃らずに声がでるようにすることと、思われるかも知れませんが、決してそうではありません。<br>
　「どんな手を使ってでも生き延びる」。サバイバル術を工夫して身につけようということです。どうしても言わなければならないときには、どんなに吃ろうと、「吃ってもいい」と、吃ること。しかし、それほど大したことのないところでは、サバイバルして切り抜けるのです。<br>
<br>
　「声が出ないときにはどのようにして切り抜けていますか？何か工夫はありますか？」<br>
<br>
　いろんなアイディアが出されました。<br>
　・　名前が出ないとき、言いやすい、自分の住所を前につける。<br>
　　このような場合、、緊急時に備えて、言いやすくてかっこいいことばをレパートリーとして持っておくことがいいですね。<br>
<br>
　・　手をふるなどの動作をつける<br>
　一発勝負しないといけない時のために、それ以外の時は、そこまでエネルギーを使わなくてもいいけれど、手をふったり、指を折ったり、普段からジェスチャーを豊かにしたほうがいい。相手に向かっていくためのアクションとして考えたらいい。随伴症状ではなく、随伴行動を、豊にレパートリーとしてもっておくのです。<br>
　<br>
　その他、いろんな対処方法が出されて、とてもいい時間でした。<br>
1.アクション使う（目立たない、かっこいいもの）<br>
2.言いやすいことばをつける（「えーと」「ん」など）<br>
3.音色（声のバリエーション、クレヨンしんちゃんの声なら言える。裏声など）<br>
◎普段から声を出すことを意識して練習する。<br>
4.母音を常に意識する<br>
　竹内敏晴さんから学んだ、「一音一音、母音をつけて丁寧に話す」を心がける。<br>
　自分なりのゆっくりさを身につける。<br>
5.リズム（自分なりのリズム）<br>
　日常生活で声を出すことを取り入れる。歌を大きな声で歌う。講談、落語、詩吟など声を出す教養を身につける。好きな小説を一日10分でもいいから声に出して読む。「声に出して読みたい日本語（斎藤 孝）」や谷川俊太郎の詩、新聞のコラム（天声人語など）を声に出して読むなどがだされました。<br>
<br>
　最後に、「ありがとう念仏」のみんなの声が、大阪吃音教室の会場である應典院というお寺に響き渡りました。<br>
　歌を歌ったり、声でいろいろ遊んだりした、楽しい時間でした。<br>
　やはり、声を出すと気持ちがいいものです。<br>
　<br>
　こんな結論になりました。<br>
  「ことばのちから、音のちから、声のちから」<br>
　声を出すことで自分のちからになり、生きるエネルギーになる。結局は、常日頃から声を出すことで、緊急避難の時にも普段の時にも役に立つ。<br>
　吃るから声が出ないのではない。吃りたくないから声を出さない。吃ってもいいと思えば声が出る。僕らは吃るということを覚悟すること。吃って声がでない時の対処法は、吃ること。「この場面では吃ってはいけない」と自分で勝手に決めてしまわない。実際は吃ってはいけない場面なんてほとんどない。<br>
<br>
　２００９年１１月１４          日本吃音臨床研究会　　　伊藤伸二<br>
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<title>大阪吃音教室　「予期不安と吃音恐怖への対処」</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1045713.html" />
<modified>2009-11-08T06:26:56Z</modified> 
<issued>2009-11-07T22:45:36+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1045713</id> 
<summary type="text/plain">　２００９年１０月３０日

 
   　　　　 不安を活かすも、不安につぶされるのも自分次第


   １９８７年４月から、今のようなスタイルの毎週金曜日の大阪吃音教室が始まりました。これまでの、発声練習や３分間スピーチ、話し合いなどを中心にした、大阪の例会から...</summary> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1045713.html">
<![CDATA[　２００９年１０月３０日<br>
<br>
 <br>
   　　　　 <u><b>不安を活かすも、不安につぶされるのも自分次第</b></u><br>
<br>
<br>
   １９８７年４月から、今のようなスタイルの毎週金曜日の大阪吃音教室が始まりました。これまでの、発声練習や３分間スピーチ、話し合いなどを中心にした、大阪の例会から、吃音と上手につきあうための、講座中心のスタイルに変えました。吃音とつきあうためには多くのことを学ばなければなりません。そのために、わがままを言って、最初の１年は４０回ほどの講座の全てを私が担当させてもらいました。<br>
　講座の内容を考え、毎週、毎週、資料づくりに追われたその当時がとても楽しく充実していて、今でも懐かしく思い出されます。それから２０年、セルフヘルプグループのミーティングにふさわしく、みんなでつくりあげてきて、今は２０名ほどの運営委員が入れ替わり立ち替わり講座を担当します。というわけで、私の講座担当はだんだん少なくなり、今では５回もありません。<br>
　その中で残ったのが、この「予期不安と吃音恐怖への対処」です。この講座は私の大好きな講座の一つで、今年も私が担当しました。毎年していても、参加者が違うと、毎回話題が新鮮で、おもしろいです。　　　　　参加者：３５名（初参加者４組５名）<br>
<br>
　日常の生活を送る中で、不安のない人はいません。老後の生活や病気について、よほど脳天気な人でない限り、不安を持っています。私は今の政治の状態を考え、教育や福祉など、日本の将来がとても不安です。絶望に近いものをもっています。<br>
<br>
　不安はあって当たり前で、ない方ががおかしいのですが、それにあまり振り回されるのは問題です。まず、不安のプラス面とマイナス面の両方を考える必要があります。<br>
　<br>
　大阪吃音教室の詳しい内容の報告は、ＮＰＯ法人、大阪スタタリングプロジェクトのニュースレター『新生』や、日本吃音臨床研究会のニュースレター『スタタリング・ナウ』で詳しく紹介していますので、ここでは私の感じたことだけを書きます。<br>
<br>
　参加者ひとりひとりに、発言を求めるのが私の進行のスタイルです。一緒に一歩一歩考えていきたいからです。不安のプラス面はびっくりするくらいたくさん出ました。当然のことながら、不安が強すぎることによって起こるマイナス面もたくさん出ました。<br>
　不安はプラスの面もあるけれども、大きくなり過ぎると悪影響がでます。付き合える程度の不安にしておくには、不安の構造を知っておく必要があります。<br>
　<br>
　【予期不安のマイナス面の例】<br>
　私は、高校に入学して、中学時代から続けていた卓球部に入りました。ところが５月の初めに、男女合同合宿があると分かり、私はあれだけ好きだった卓球を退部しました。入学式の時見初めた女子生徒も卓球部に入っており、その彼女の前で自己紹介をするのが不安で、怖かったからです。吃ったら彼女に嫌われる。彼女の前では吃りたくない。<br>
　吃音への予期不安がとても大きかったので、もし合同合宿で自己紹介したら、ひどく吃って彼女に笑われ、軽蔑されるだろう、そうしたらいたたまれなくなって、卓球部を辞めることになるだろう、どっちみち辞めることになるなら、傷つかずに辞めようと思ったのです。でも、もし卓球部を辞めずに合宿に参加していたら、どういうことが起こった可能性があるだろうとみんなで考えてもらいました。<br>
<br>
　・稀かも知れないが、吃らずにできたかも知れない。<br>
　・とても目立って、ヒーローになれたかも知れない。<br>
　・自己紹介の場面がなかったかも知れない。<br>
　・思ったより成功したかも知れない。<br>
　・吃って自己紹介する伊藤さんに好感をもったかもしれない。<br>
　・彼女も吃音だったかもしれない。<br>
<br>
　どんどん出てくるのが、大阪吃音教室のよさです。常に考える練習をしている成果です。<br>
　<br>
　私は不安に負けて、逃げてしまいましたが、みんなが言うようなことが起こったかも知れません。いろんな可能性があるのに、吃るかもしれないという不安で、惨めになるという一つのことだけを考えて、卓球部を辞めてしまったのは、とても損で、私の悔しいことのひとつです。<br>
　アドラー心理学で考えると、「私は不安を使って、自分が本来すべき人生の課題から逃げた」ことになります。私は２１歳の秋まで、不安を使って、自分のすべきことからほとんど逃げてきました。そのような逃げの行動にも必ず目的があります。どんな目的があったか、みんなに出してもらいました。<br>
　・自分が傷つきたくないので、自分を守るため　・自立することから逃げるため<br>
　・自分の可能性を残しておきたいため　・自分をだめな人間と思いたくないため<br>
　・自尊心（プライド）を守るため<br>
　これも、たくさん出てきました。自分では「吃るから、これこれができない」と思っていたけれど、目的はみんなが挙げたようなことです。自分は単なる怠け者ではなく、吃音という、まっとうな原因があるのだから、逃げて、怠けて当然だと思っていたのです。自分が社会に出る猶予（モラトリアム）を、自分に与えていたのです。<br>
　私のこの事例でこういうことを確認しました。<br>
<br>
　ここで、論理療法の出番です。吃音を使って人生の課題から逃げて得するか、損をするかです。一瞬は傷つかないから得だと思っても、人生の長いスパンで考えるとどんな損をするか。これも、一時的に得をしたことと、長い目でみて損だったことを挙げました・<br>
　２１才の夏、東京正生学院に行くまでの私は、すべての人生の課題から逃げていたのです。勉強も、友人関係も将来の夢も、「吃音はいつか治る」と思い、「治ったら、いろいろなことができる」と思い、吃音を治すことばかり考えていたのです。<br>
  これに私は、「隠れ蓑（みの）」という言葉を使いました。「隠れ蓑」を身にまとって、自分の身を守っている自分に気づき、「隠れ蓑」を脱ごうと提案したのが、「吃音者宣言」なのです。<br>
　ここまでが、前半でした。後半は、どうしたら不安や恐怖を使わずに、自分の人生の課題から逃げないようになるか、不安や恐れの対処を考えていきました。<br>
<br>
　参加者感想<br>
　・不安と上手につき合うのが大事だと分かった。　・不安なことを、プラスに考えることができる。　・どんどんいろいろなことに挑戦していきたい。　・分かりやすく勇気が出た。　・今まで吃らないように吃らないようにして来たけれど、吃らないで自分のどもりのことを知って欲しいと思うのは、確かに矛盾していると気づいた。　・不安になっている時間が勿体ない。　・自分の今の状況を、話してもらっている気がした。　・吃るのは恐いが、今度出たらそれを楽しもうと思った。　・他の人を信頼していきたい。<br>
<br>
　吃ることへの不安の源はいくつもありますが、その一つに、他者への信頼がないことが挙げられます。「相手が信頼してくれるなら自分も相手を信頼する」ではなく、先ず自分から、他の人を信頼しようということで、講座は終わりました。<br>
　吃音に悩み、不安を抱えて生きてきたからこそ、深い話が、みんなと共にできたのです。セルフヘルプグループのもつ大きな力を思ったのでした。<br>
　<br>
　自分は吃音ではないが、部下の為に参加したという初参加者がこんな感想を言いました。<br>
　「部下に吃音の人がいます。私自身は、吃音も本人の個性の一つだと思って来た。そのように思ってくれる人は、かなりいるのではないか。しかし、そうは思わない人もいることは事実で、今回のこの体験を会社の中でどう伝えるかが私の課題です。<br>
　本人も、そういう自分の個性を、人にどう伝えるかを学んで欲しい。今日の内容は、吃音の話に留まらず、すべての人に役立つ話だと思って聞いた」<br>
　<br>
　深い話し合いができる仲間がいることの幸せをかみしめた、大阪吃音教室でした。<br>
<br>
　２００９年１１月７日　　　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二]]> 
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<title>帝塚山大学心理福祉学部心理学科での講義</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1043055.html" />
<modified>2009-11-04T00:29:20Z</modified> 
<issued>2009-11-03T23:01:08+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1043055</id> 
<summary type="text/plain">２００９年１１月３日

         うれしい応援歌
 
　帝塚山大学心理福祉学部心理学科の三木善彦教授が、ご自身の大学のゼミ生に、私の話を聞かせたいと、私を招いて下さいました。

　三木さんとは、ずいぶん長いおつき合いをさせていただいています。私たちの大阪吃...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1043055.html">
<![CDATA[２００９年１１月３日<br>
<br>
         <u><b>うれしい応援歌</b></u><br>
 <br>
　帝塚山大学心理福祉学部心理学科の三木善彦教授が、ご自身の大学のゼミ生に、私の話を聞かせたいと、私を招いて下さいました。<br>
<br>
　三木さんとは、ずいぶん長いおつき合いをさせていただいています。私たちの大阪吃音教室に２回ほど講師として来ていただいていますし、主宰されている「奈良内観研修所」のワークショップや、そこで開催された、デイビット・レイノルズさんの「建設的な生き方」のワークショップにも参加しています。<br>
　三木さんは、講演の前に手品をして下さる、ユニークな楽しい人です。お書きになった、『内観療法入門』（創元社）は、内観療法のバイブルのような本で、内観療法の第一人者でもあります。研究だけでなく、ご自宅が内観研究所であり、１週間の集中内観のために、多くの人が全国から集まります。<br>
　 三木さんと私を強く結びつけて下さったのは、大阪大学教授時代に担当されていた、読売新聞の「人生案内」です。<br>
<br>
　子どものころから吃音で、子どもができてから、保育所の先生との会話や、子どもに絵本を読んであげられなくて困っているという、２０代主婦の相談への回答を担当されました。そこで、私に連絡して下さったのです。<br>
　ちょうどそのとき、日本吃音臨床研究会が、「吃音と上手につきあう、吃音相談室」というガイドブックを作った時だったので、人生相談で本や冊子の紹介は見たことがないけれど、この冊子を紹介していただくとありがたいと、厚かましいお願いをしました。回答に、本の紹介をすることを、三木さんがどう説得して下さったか、読売新聞社がどう判断して掲載されたかお聞きしていませんが、冊子の紹介がでました。<br>
　１９９９年６月２５日の「人生案内」の三木さん自身の回答文のあとに、この冊子をお薦めしますと掲載されたのです。書店からの出版ではないので、日本吃音臨床研究会に注文しなければなりません。会の住所と電話番号が明記されました。<br>
<br>
　「日本一の発行部数の読売新聞の全国版だから、反響があると思いますので、少なくとも、２５日は家にいていただいた方がいいですよ」<br>
　三木さんのことば通り、すさまじい反響でした。新聞に掲載された２５日は１０時間電話の前に釘付けでした。２週間で７５０通の申し込みがきました。その後、他の新聞にも紹介されたこともあって、２か月たたない内に、２０００通以上の手紙と、２００本以上の電話があり、４０００部が完売し、その後も注文が続き、結局６０００部発行しました。<br>
<br>
　この大きな反響に、芳賀書店の芳賀英明社長が出版を決断して下さり、この冊子は、広く店頭に並ぶ本として生まれ変わりました。その本も３版、８０００部販売されましたので、自費出版の冊子と合計すると、１４０００部が、吃音に悩む人、吃る子どもの保護者、教育関係者に届けられたことになります。<br>
　この『吃音と上手につき合う吃音相談室』は、私がとても好きな本ですが、芳賀書店が書籍の出版を止めたために、絶版となりました。とても残念です。<br>
<br>
　この本のきっかけになったのが、三木さんの読売新聞の「人生案内」だったのです。三木さんは、ことばでは感謝しきれない、大恩人なのです。<br>
　<br>
　今回の、ゼミ生への講義は、伊藤の吃音体験、その後の様々な人との出会いや人生の苦難をどう乗り越えたかを「私の吃音」として話して欲しいというものでした。<br>
　私は、いろんなところで、講演や講義をしていますが、「吃音の人生」と、そのものずばりのタイトルをいただくことはまずありません。ことばの教室の担当者や、学校で教育相談を担当している教師や、どもる子どもの保護者など、ストレートに自分の吃音人生を語ることは、実はほとんどなかったのです。とてもうれしいテーマでした。<br>
　しかし、私がこういう体験をしましたと話しても、吃音に縁もゆかりもない学生が興味をもって聞いてくれるわけがありません。ある程度、多くの人の共通のものとして話さなければなりません｡劣等感や、人間関係の悩みなど、心理学のトピックスを使って、キーワードと結びつけながら話す必要があります。すると、皆さんが、一所懸命聞いて下さり、気持ちよく話すことができました。<br>
<br>
　学生の感想は、レポートとして、三木教授に提出されますので、見ていませんが、講義の後で、三木さんが短いコメントをして下さったのは、私にはとてもうれしいことでした。<br>
　<br>
  三木善彦教授の終わりのコメント<br>
　いい話を聞くことができてよかったですね。私たちは吃音がなくても参考になりました。　今回は吃音がテーマでしたが、人は何かのテーマをもっ生きています。その時々のテーマがあり、長い人生の中でのテーマもあります。「吃音を治すのではなく、どう生きるかだ」の伊藤さんの主張に、賛成です。正しいと思います。<br>
　吃音は治らないと思うし、治す必要もない。もし、吃音が軽くなるのなら、それはそれで結構なことだけれど、吃音を治そう、治そうとして、そのことに大きなエネルギーをかけ過ぎて、人生を棒に振るのはもったいないことです。吃りながらも、やるべきことをやり、仕事、遊び、友だちをつくること、人を愛することの課題から逃げないことが大切です。私も、吃音ついては、若い頃からこのように考えていました。<br>
　私は、吃音の研究者ではないので、吃音について話すチャンスはないけれど、伊藤さんの主張には全面的に賛成です。世界の誰が反対しようと、私は伊藤さんが正しいと思います。<br>
　私たちもこれから先、いつどんな事故に合い、または老化によっ身体に障害をもつことがあるかもしれません。その時、足を引きずりながらも、散歩に行くとか、映画に行くとか、遊ぶとか、したいこと、必要なことはしていく。障害をもちながら生きていく姿勢が大事だと思います。<br>
　伊藤さんは、私の主張は少数派で、ひとりぼっちだと言っていますが、決してそうじゃない。結構、伊藤さんを応援している人は、私を含めてたくさんいると思います。また、世界の吃音研究者の中にも、きっと賛同する人もいるだろうと思います。<br>
　今日は、吃音に関する話ではありましたが、私たちがこれから生きていく上での、大きなヒントを得られたと思います。<br>
<br>
　うれしい、うれしいコメントでした。言語病理学、吃音研究の領域では少数派だけれど、精神医学、臨床心理学、カウンセリング、さらに広い領域では、私は決してひとりぼっちじゃないと、吃音ショートコースで様々な分野の講師の方々と話す度に確信してきました。今回も、臨床心理学者として、カウンセラーとして、内観療法家として様々な人の悩みに耳を傾けて来られた、三木さんのことばだけに、大いなる勇気をいただきました。<br>
　このような機会をつくり、三木さんは私を応援して下さっている。日本には、応援して下さる人がたくさんいると、改めて思えた、うれしい時間でした。<br>
　帝塚山大学の学生２人が、卒業論文で吃音について書くそうです。その２人が残っていろいろと質問してくれました。いい時間をありがとうございました。<br>
<br>
　２００９年１１月３日　　日本吃音臨床研究会　伊藤伸二]]> 
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<title>いいところが見つけられない君へ</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1041741.html" />
<modified>2009-11-10T09:55:14Z</modified> 
<issued>2009-11-01T23:10:51+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2010:kituon.1041741</id> 
<summary type="text/plain">　　　いいところを見つけられない君は、ダメじゃない


１０月２７日、岡山県の聴覚・言語障害児教育の研修会があった日、岡山県のある市のことばの教室の担当者から、一通の手紙をいただきました。私宛の手紙です。その子は返事が欲しいそうです。

　　伊とうさんへ...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1041741.html">
<![CDATA[　　　<u><b>いいところを見つけられない君は、ダメじゃない</b></u><br>
<br>
<br>
１０月２７日、岡山県の聴覚・言語障害児教育の研修会があった日、岡山県のある市のことばの教室の担当者から、一通の手紙をいただきました。私宛の手紙です。その子は返事が欲しいそうです。<br>
<br>
　　伊とうさんへ<br>
　こんにちは。伊とうさんお元気ですか。ぼくは元気です。でもぼくは自分のいいところがみつけれません。しかも、悪い所しかみつかりません。伊とうさんはどうですか。自分のいいところみつけれていますか。<br>
　そしてなんと、ぼくのいい所見つけるのは、学校のたん任の先生や、ことばの教室の先生や、ぼくのお母さんたちのほうがかずが多いです。ぼくはときどきいじめられたり、わらわれます。<br>
　　　　　　　　　　　　　小学５年生の男の子　　原文のまま<br>
<br>
　<br>
　<br>
　ことばの教室の担当者としては、この子にどのように声かけをしていけばいいか、どのように寄り添っていけばいいか悩んでいる。そこで、私に手紙の返事を書いて欲しいというのです。<br>
　<br>
　小学１年生の子どもに「あなたは自分のことが好きですか？」と質問すると、半分が手を挙げる。しかし、中学１年生になると、クラスの三分の一は自分が好きだが、三分の二が自分が嫌いだと答えるそうです。このデータは少し前のことだから、現在はもっと自分のことが嫌いだという割合が増えているだろうと思います。諸外国に比べて、日本の子どもは、自分が嫌い、自分に自信がない子が際だって多いのだそうです。<br>
　さて、この子にどう返事をしたらいいか。必ず返事をすると約束したので、この子は、私の返事を待っています。とても難しい宿題ですが、彼の質問に添って書いてみます。<br>
<br>
<br>
                 いいところが見つけられない君へ<br>
<br>
　「僕は いいところが見つからない。伊藤さんはどうですか？」という質問なので、そのことだけ答えるね。１０月、１０・１１・１２日と、僕たちが毎年している、吃音ショートコースという２泊３日の合宿勉強会がありました。アドラー心理学を学んだのですが、その時の講師の先生が、講義の中で、参加者である僕たちにこう指示しました。<br>
　「自分のいいところ、長所をできるだけ書いて下さい。少なくとも、２０は書いて下さい」<br>
　２０以上と聞いて、「えええっ」という声が上がりました。<br>
<br>
　僕はすぐにたくさん思い浮かびましたよ。<br>
　もちろん、君のように小学５年生の時、同じ質問をされたら、君と同じように、悪いところはいくらでもすぐに浮かぶけれど、いいところなんて、何一つ浮かばなかっただろうと思うよ。それは、２１歳まで、ずっとそうだった。<br>
　だから、君がいいところが見つからないというのは、よく分かる。<br>
　吃音に悩んでいた僕は、いじめられたり、からかわれたり、生徒会の副会長に立候補させられて、全校生徒の前でどもって笑われたりしてきた。だから、「僕なんて、最低の人間だ」とずっと思ってきた。長所なんて全然思い浮かばなかっただろう。<br>
<br>
　君は勉強をしていますか。僕は、吃音にとても悩んでいたから、吃音ばかりが気になって、全然勉強しなかった。だから、勉強もぜんぜんできなかった。また、君は、クラスの何か委員をしていますか。僕は、飼育係、図書係など話すことに関係ない係もさせられたけれど、なまけて委員の仕事もしなかった。だから、クラスに何の役に立つことをしていない。クラスや学校で何の役にも立っていないダメな人間だと思っていた。君が勉強もして、クラスの委員もしているのなら、僕は君以上に、悪いことばかりがたくさん思い浮かんだと思う。<br>
<br>
　今は、違うよ。僕のいいところはたくさん思い浮かぶ。<br>
　たくさんの人と出会った。最低の人間だと思っていた僕を好きになってくれる女性が現れた。また、どもる人の会を作って、小学校や中学校時代にしなかった、世話役や、リーダーになった。そこで、僕はがんばった。すると、みんなが、「ありがとう」と言ってくれることが、だんだん増えてきた。できないと思っていたことが、どんなにどもっていても出来ることが分かった。<br>
　僕がどもると、笑う人もいたけれど、多くの人がよく聞いてくれた。うれしくて、僕はいっぱい話した。そして、友だちといろんなことをいっぱいした。すると、「どもりながら頑張っている伊藤さんはステキだ」と言われたり、僕も、人のことが大好きになっていつた。そうして、今まで長く生きていると、自分の長所がたくさんあることに気づいたんだ。<br>
<br>
　一番最初に思い浮かんがのは、何だと思う？<br>
　きっと、びっくりすると思うよ。本当に、一番最初にこれが思い浮かんだので、すぐに書いた。「人前でオナラを平気でする」なんだ。これが長所？　いいところだと思うかい？<br>
　僕は、他の人と違うことが大好きだ。少しでも、他の人と違うところを見つけると、うれしくなって、僕の長所だと思ってしまうんだ。「人前でオナラをする」ことで、僕のオナラが嫌だという人も少なくないけれど、楽しいこと、いいこともたくさんあった。だから、オナラは僕の大きな特徴なんだ。<br>
　こんなことでも長所になるのか、と考えたら、君にも人と違う何か、特徴はないかい。それは、きっと君の長所になると思うよ。<br>
　ちょっと恥ずかしいけれど、その合宿の時に書いた僕の長所の一部を紹介しよう。<br>
<br>
<br>
　　　　　　　　　僕の長所<br>
<br>
　人前で、平気でオナラをすること。　　好奇心がつよいこと。　人に優しい。　<br>
　人に厳しい。　言いたいことを言う。　そっちょく。　正直。　ねばり強い。　<br>
　打たれ強い。　人のこうげきにたえられる。　発想が豊かで、柔軟。　<br>
　考え方がじゅうなん。　人前で話すのが好き。　人の話をよく聞く。　<br>
　仲良くなったら、その人を大切にする。　好きなことにはやる気がある。　<br>
　人前でもよく泣く。　人前で大きな声を出して笑う。　社会の不正や不正義によく怒る。　本をよく読む。　興味のあることにはよく勉強する。　人を大切にする。　<br>
　自分のいいところも悪いところも人に話す。　自己開示をためらわない。　<br>
　冗談をよく言う。　文章が書ける。　他の人と考えが方が違うことが平気だしも好き。　人見知りはするけれど、知らないところにも出かける。　戦争が大嫌いで、どんなことがあっても反対する。　世の中の常識にふりまわされない。　平和をなによりも大切にかんがえている。　　<br>
　暴力が大嫌い。　人に甘えることができる。　人に頼み事ができる。　<br>
　人から何かたのまれたら、ほとんど断らない。　まずしくても生きていける。　<br>
　１０日くらいなら、何も食べす水だけで生きられる。<br>
　できないことが多いので、人に助けてもらう。<br>
<br>
　ここまで書いたら、その演習の時間は終わった。時間があればもっともっと書きたいことがたくさんある。君も、一生懸命さがしたらあると思うよ。<br>
<br>
　君のお母さんや、担任の先生や、ことばの教室の先生が、君のいいところをみつけてくれてくれるんだけれども、「そんなの、僕のいいところじゃない」と君は、つい考えてしまうんだね。君のことを、君のことばの教室の先生から少し聞いたけれど、君のことをあまり知らないぼくでも、その話のはんいだけれど、いくつも見つけられるよ。<br>
　お母さんたちに言ってもらった、いいところを、素直に「ぼくって、そういうところもあるんだ」と受け止められたらいいね。ぼくなんか、だれからもいいところを見つけてもらえなかったから、「僕はだめな人間だ」と考えたけれど、君はそうじゃない。言ってくれたことを、半分疑っていてもいいから、「ありがとう」って言おうよ。そして、半分、「そうかもしれない」と思えればいいね。<br>
　それと、もうひとつ、「自分のいいところを見つけられない、僕はだめな子だ」と考えていないかい。今、「自分のことが嫌い」でも、いいと思うよ。<br>
　いろいろと経験して、いろんな人と出会って、好きな人から「こういうところがステキ」と言われたら、これまで、君が「自分のよくない」と思っていたことが、オセロゲームの黒が、ばたはだと白に変わるように、変わると思うよ。今の、僕のように。あせらなくてもいいよ。<br>
<br>
　「いいところが見つけられなくてもいいんだよ」<br>
<br>
　君の答えて欲しかったことに、うまく答えられたかな。ちょっと自信がないな。分かりにくい話になったかもしれないね。ごめんね。この手紙を、ことばの教室の先生に送るから、読んで下さい。さようなら。元気でね。<br>
<br>
　２００９年１１月１日          日本吃音臨床研究会　伊藤伸二<br>
　　]]> 
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<title>女子中学生からの手紙</title> 
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<modified>2009-11-01T01:05:24Z</modified> 
<issued>2009-11-01T00:50:21+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">
　　      どうしたら、吃音が治りますか


　私の吃音ホットラインには、一日２件ほどの電話相談が入ります。メールや手紙の相談もあります。九州に住んでいる、中学生の女の子から、かわいい封筒に入った、イラスト入りの手紙がきました。
　
　 「私は、中学１年生...</summary> 
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<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kituonkokufuku.com/archives/1041170.html">
<![CDATA[<br>
　　      <u><b>どうしたら、吃音が治りますか</b></u><br>
<br>
<br>
　私の吃音ホットラインには、一日２件ほどの電話相談が入ります。メールや手紙の相談もあります。九州に住んでいる、中学生の女の子から、かわいい封筒に入った、イラスト入りの手紙がきました。<br>
　<br>
　 「私は、中学１年生の女の子です。小学５年生から、学校へ行けなくなりました。音読の時どもって笑われたことがきっかけです。中学生になって、思い切って学校へ行きました。最初の２週間はどうにかがんばって行ったのですが、行けなくなりました。<br>
　今は、フリースクールに行っていて、友だちもできました。<br>
　だけど、この間、中学の体育祭を見に行ったとき、みんなが楽しそうにしているのを見て、やっぱり、私も学校へ行きたいなあと思いました。<br>
　どうしたら、吃音が治りますか。<br>
　教えて下さい。　　　　　　　　　　　　　　　　　　Ｋ・Ｙ     」<br>
<br>
<br>
　Ｋ・Ｙさん<br>
<br>
　小学校５年生から、学校へ行けない状態が続いていて、中学校の運動会を見て、学校へ行きたくなった。だけと、学校へ行くには、Ｋさんの場合、「どもりが治る」ことが条件なのですね。「どうしたら、どもりは治りますか」と書いてきた気持ち、とても分かります。　<br>
　僕も、２１歳まで、どもりが治らないと何もできないと、治ることばかり考えていたからです。だから、どもりが治ったら、勉強もするし、友だちもつくれると、治ることばかりを考えていました。だから、あなたの気持ちは痛いようにとても分かるのです。<br>
　あなたは、どんな状態になることを治るといいますか。<br>
<br>
　①　全くどもらない人が空気でも吸うように、いつでもどこでも自然に声が出ること。全くどもらなくなり、かつてどもっていたという意識もない状態。<br>
　②　吃音をコントローできるようになり、以前よりはあまりどもらなくなる。<br>
　③　どもっていても、吃音に負けないでほとんど吃音からくるマイナスの影響を受けずに生活すること。<br>
　<br>
　どもりが「治る」といっても、人によって少しイメージが違うようです。私もそうでしたが、多くの人は、①の状態になることを治ると言うのでしょうね。<br>
<br>
　ところが、①の状態になることはかなり難しいということは、世界の吃音研究者で一致しています。このような状態になることはまず無理です。<br>
　アメリカでは、スピーチセラピーが盛んで、②になることを目指しているようですが、これも訓練によってなることは難しいようです。どもりながら生活している中で、自然に身につくことはありますが。<br>
<br>
　アナウンサーや女優さん、落語家の中に、どもる人がいます。その人たちは、仕事の時はあまりどもらなくて、周りの人には分からないでしょうが、普段、家族と話したり、遊んでいるときなんかは、どもるそうです。<br>
　僕もそうです。人前で話すときはあまりどもらなくなりましたが、「伊藤」の「い」、数字の「イチ」「たちつてと」ではよくどもります。お寿司屋さんで、「トロ」「たまご」を注文する時は、必ずどもります。だから時々、一緒に行った人に言ってもらったり、残念だけど言いやすいものを注文することがあります。<br>
　こんなふうに、今でも僕はどもるけれど、全然悩んでいないし、困ることもありません。大学生の前で講義をしている時、どもるけれども平気で講義をしています。吃音に負けないようになることは、本人の決意次第で、誰にでもできます。<br>
　大阪の大阪吃音教室に参加している僕の仲間や多くの人がそうして生きています。<br>
　<br>
　また、僕のどもり方は変わりました。ずいぶん以前よりは、ひどくどもることは少なくなりました。また、悩まないし、困ることもありません。僕のように、どもることはあるけれど、困ることがなくなればそれでいいですか。これを「どもりが治る」と、幅広く考えることができれば、治る方法がひとつだけあります。それは僕自身が経験してきたこと。また、多くの人や子どもが実行して、効果があった方法ですから、確実な方法です。<br>
<br>
　どうですか、教えたら実行しますか？<br>
　何も努力しないで変わることはありません。治るために努力しますか？<br>
<br>
　これは、僕が実際にしてきた方法です。証明済みですから、信用して下さい。<br>
　どもるからと言って、日常の学校生活から逃げないで、どもりながら、言いたいこと、言わなければならないことを言っていく。だだ、それだけのことです。ただそれだけのことと言われても、今のあなたにはとても難しいことかもしれません。<br>
　次に書くことを、できることから、実行してみて下さい。<br>
<br>
　１　どもることを、仕方がないからと認めること。<br>
　２　どもっても、言わなければならないこと、言いたいことを言うこと。<br>
　３　他人が笑ったり、指摘しても、平気ではないだろうけれど、「笑わないで」と言ったり、そんな人は無視して、どもつても話していくこと。<br>
　４　何かしないこと、できないことをどもりのせいにしないこと<br>
　５　自分の好きなこと、楽しいことをたくさんすること。<br>
　６　ひとりでいいから、どもりのことを話して味方になってくれる友だちをつくること。<br>
<br>
　まだまた、たくさんありますが、手紙には書ききれません。もし、よかったら、電話をしてみて下さい。いろいろと話ができればいいですね。<br>
　<br>
　僕は、とてもつらい、小学校、中学校、高校時代を送りました。とても悔しいです。そして、「どもりが治れば、こんなつらい、苦しい生活をしなくてもいいのに」と、いつも「治りたい」と思っていました。<br>
　あのころは、学校へ行かない人がいなかったので、我慢して、どんなに苦しくても、学校へは行っていました。でも、ちっとも楽しいことはなく、つらいことばかりでした。友だちがひとりもいなかったので、運動会も、文化祭も大嫌いでした。<br>
<br>
　今、僕は幸せに生きています。だけど、あの小学校、中学校、高校時代が悔しいです。あのころに戻りたいと思うことがあります。<br>
　でも、どもりが治った僕として戻りたいのではありません。吃音について勉強し、いろんなことを体験した、今の僕の状態で子どものころに戻るのです。<br>
　あなたも、「どもりと向き合う一問一答」や「どもる君へ　いま伝えたいこと」など、僕が体験したことを元にして書いた僕の本をしっかり読んで、どもりを勉強して下さい。治らないものだと考えて、どもりに負けないで、自分のしたいことをして下さい。僕が高校１年生の時、自己紹介が嫌さに、「卓球部」をやめたなど、どもりを隠し、逃げてばかりの生活が、とてももったいないと思うからです。<br>
<br>
　あなたが、昔の僕のように、どもりを口実にして、大切なことから逃げる状態から、なかなか抜け出られなくても、僕も実際にそうだったから、「それはだめだよ」とえらそうなことは言えません。ただ言えるのは、悔しい、損をした、つまらなかったと言うことだけです。<br>
<br>
　あなたももう中学生。これからどんな人生を送るかは、自分で決めることができます。よかったら、僕のホームページに、僕が書いた本が紹介されています。その中の、「どもりと向き合う一問一答」と「どもる君へ　いま伝えたいこと」は、あなたのような人のために書いた本ですから、是非読んで下さい。<br>
　読んで、また、お手紙下さい。　　　　　　　　　　　　　　　伊藤伸二　<br>
<br>
 <br>
　この手紙を書いた後、すぐに、彼女から返事がきました。<br>
<br>
　その手紙には、伊藤の提案した方法はできない。<br>
　きっと、治った人がいるはずだから、私は絶対吃音を治します。とありました。<br>
<br>
　私は、胸が痛くなりました。この気持ちも、痛いように分かるからです。私も２１歳の秋まで、絶対に治るはずだ、治せると思ってきました。吃音親子サマーキャンプに来た子どもの中には、私が２１歳までかかったことを、小学校の低学年で、「どもっていても、大丈夫」という子もいますが、この子のように、絶対治したいという子がいることは当然のことでしょう。<br>
　世界一の吃音研究者、チャールズ・ヴァン・ライパー博士は３２歳、世界的なミュージシャン、スキャットマン・ジョンは５２歳で、やっと自分の吃音を認めました。中学一年生のこの子が、吃音を認められず、治したいと思うのは無理ないことです。<br>
<br>
　私が、「吃音を治さなければならない」と思い詰め、治ってからの人生を考えて、自分の人生の課題から逃げて、損をしたという悔しい思いがあります。だから、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」とずっと主張してきましたが、他人から言われても、「ああ、そうですか」と言うわけにはいかないでしょう。現在、吃音治療法がなく、ほとんどの人の吃音が現実に治っていない事実を目の前にしても、それを認めたくないのでしょう。<br>
　いくら説明しても、このように「絶対治したい」という子に対しては、私はとても無力です。何もしてあげられません。私は提案はできますが、意見を押しつけることは出来ません。せめて。本だけでも読んで欲しいと思うだけです。<br>
<br>
　私や、ヴァン・ライパー博士やスキャットマン・ジョンが、大きな壁にぶつかり、自分で気づいたように、この子も、自分の体験を通してでしか、気づけないのでしょう。それが、できるだけ、早く来ることを祈るばかりです。<br>
<br>
　２００９年１０月３０日　　日本吃音臨床研究会　　伊藤伸二<br>
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