2008年7月21日


 落語も会話も間が命
    立川志の輔・落語で考えたこと

 笑い芸人、松元ヒロさんの紹介で、立川志の輔さんの落語が大阪に来るときは必ず聞きに行くほど好きになりました。今回の東京での落語会は、松元ヒロさんがゲストで出演するので、久しぶりにヒロさんに合いたくて、東京に行くことにしました。
 前売り券が発売と同時に、ローソンで申し込んだのですが、すぐに完売で買うことが出来ませんでした。そこで厚かましくもヒロさんに電話をして、なんとか券をとってもらいました。
 今回の演題は、壺算の英語バージョンの苦労話と死に神。
 NHK「ためしてガッテン」の時の志の輔さんとは別人のような端正な落語です。いつもは、ひとつの大きな落語と、ちょっと軽めのトークなのですが、今回は、壺算の英語バージョンの苦労話だったために、二つの落語を聞くことができて、得をしたような気分になりました。軽めのトークもとてもおもしろいのですが、壺算はやはりおもしろい。
 ふたつとも何度も聞いている落語ですが、志の輔さんの落語は、うーん、なんと言っていいのか大好きです。その時に感じたことをふたつ書きます。

 落語は間が命
 前座として、6番目の弟子が「子ほめ」をしました。声も大きく若々しくていいのですが、やはり弟子と師匠のあまりの大きな違いに、驚きました。すごい差です。当たり前と言えば当たり前のことですが、積み重ねる芸の重みは比べるのは酷でしょうが、もう少しなんとかならないのかと思いました。それは、「間」です。
 間が活かされていないのです。落語はふたりのやりとりと、場面の説明で展開していきます。二人のやりとりに適当な間がないと、場面の説明なのか、やりとりなのかが、分からないのです。志の輔さんの場合は、分からないということは全くありません。実に間がいいので、ふたりのやりとりが生き生きします。
 6番目の弟子は、それがぜんぜんだめなのです。何回も師匠の前で練習をしているだろうに、志の輔さんはそれを指摘しないのだろうかと、不思議に思いました。全く何も知らない素人の私でも、間が悪いと指摘し、やり直しをさせるだろうと思いました。そでで聞いているだろう志の輔さんに叱られているかもしれませんが。
 それと、声は大きくて張りがあるのですが、一音一拍の基本と、母音が押されていないのです。
 竹内敏晴さんに、「はらんばか」というお芝居のとき、徹底的に指摘されたことでもあります。あれでは表現がいきないのです。6番目の弟子の名前は忘れましたが、6番目は覚えていますので、かれが今後どう成長するか楽しみたいと思います。
吃る私たちは、間をもっと大切に考え、間を活かした話し方も身につけたいと思います。単に「ゆっくり話す」ではなく、吃るからこそ開いてしまう、間を活かすことはてせきないでしょうか。できるようなきがしますが、どうでしょうか。


 日本と英語圏の文化のちがい
 立川志の輔さんは、英語で落語もしています。その演題に「つぼ算」を選んだのは、話の展開が外国の人にもわかるだろうとかんがえたからです。しかし、「つぼ算」の落ちの部分が、翻訳をしてくれる人が、外国の人には絶対にわからないと言うのです。そこで、
苦労をして日本語を書き直したという話で、その文化の違いと、英語の落語、そして大阪生まれの落語を東京でする苦労話など、思い当たることがありました。
 国際吃音連盟で今、大きな議論がされています。それはまた、書きますが、私の意見を翻訳して下さるのが進士和恵さんです。いつも私が書いた文章を、これでは外国の人には全く通じないと、外国に通じる英文にして下さいます。
 1986年から、私たちの活動に深くかかわり、通訳・翻訳のプロとして、文化の違いを痛いように知っている人だから、どのような表現が、通じて、この表現では通じないということがよく分かるのです。
 落語でもそうなのだから、思想や哲学に通じる私たちの国際的な議論は、日本語をただ英語にかえるだけでは全くつうじないのだということを、志の輔さんの英語の落語と、日本語の落語を聞かせてもらい、よく分かりました。相手の文化の中で理解されないと、何にもならないのです。
進士和恵さんにあらためて感謝の気持ちがひろがりました。
 長く落語を説明する余裕がありませんので、読者の皆様には分かりにくいはなしてせすが、文化の違いを超えて理解し合うことの難しさと、大切さを言いたかったのです。