伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2020年12月

一年間、ありがとうございました

 残り3時間あまりで、2020年が終わろうとしています。
 コロナに始まり、コロナに終わる1年でした。
 影響は大きく、30回続いた吃音親子サマーキャンプ、臨床家のための吃音講習会、各地のどもる子どものためのキャンプ、講演会や研修会や相談会など、ほぼ全てが中止となり、これまでと全く違う時間を過ごしました。何もしていないのに、時間だけは確実に過ぎていると、何度も思いました。
 こんな時だからこそできることをと思い、これまで書いてきたものを整理し、振り返りました。1965年、東京正生学院で「どもれる体」になってから55年間、吃音一筋に生きてきたなあと思います。21歳の夏まで、吃音に深く悩み、吃音に翻弄された人生を送ってきた僕だから、それ以降は、一貫して「どもっていても、豊かな楽しい人生を送ることができる」と主張し続けてきました。僕自身が実際に、楽しく、充実した吃音人生を送れたことは、たくさんの人とのラッキーな出会いのおかげでした。しかし、そのようなラッキーな出会いが仮になかったとしても、どもる人が吃音をどう学び、どう捉え、どう行動すれば、幸せな自分なりの人生を生きることができるかを、精神医学、臨床心理学、社会学などから役立つことを抽出して提案してきました。
 そして、55年間のセルフヘルプグループ活動、30年間の吃音親子サマーキャンプなどで、多くの人が幸せに生きていく姿をたくさん見てきました。
 55年間、一度もぶれることなく、一貫して主張し続け、吃音を中心に不器用に生きてきましたが、それは、結果としてとても幅広い視野に立った生き方ができたと自負し、このことを僕は誇りに思っています。

 2020年は、大阪にいるときは必ず参加していた大阪吃音教室も、会場の都合などで開催できない期間がありました。セルフヘルプグループが大切にしてきた「直(じか)」に出会い続けるミーティングが、どんなに貴重なものであったかと、思い知りました。全く会えない時間が続いたとき、仲間の力を借りて、Zoomを使ってみました。一週間に一度は会っていた人たちと会えなくなって久しく、画面に映し出された顔を見てうれしく思いましたが、やはり画面は画面です。隔たれた壁は、見えないけれど、厚いものでした。
 振り返れば、僕の人生は、多くの人と「直(じか)」に出会い、学び、語り、笑い、考え、歩いてきたものだと思います。直接の対話を通して、生きてきたのです。

 毎月発行しているニュースレター「スタタリング・ナウ」は、12月号で、NO.316号になりました。日本吃音臨床研究会のホームページ、ブログ、Twitter、Facebookなどでの発信も続けました。ときどき、「ブログ、読んでいますよ」という声を聞くと、励まされました。これまでも、ブログを続けようと決心するのですが、なかなか実行できずにいました。仲間が、ホームページのトップにFacebookを埋め込んでくれたこともあり、5月初めから、ほぼ毎日、「ほぼ日刊 吃音伊藤伸二新聞」として、続けることができたこと、我ながら、よくやったと思います。

 発信ばかりでなく、吃音哲学については、考え続けています。レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグ、そして健康生成論と、これまで考えてきたことが大きな流れとなって、ひとつに結びついている感じがします。それが、「吃音哲学」として、「吃音の対話的アプローチ」として、整理されつつあります。

 2021年はどんな年になるのでしょうか。まだまだ収束の兆しもなく、このような生活が続くのでしょう。そのような状況の中で、僕にできることは何か、僕がしたいことは何なのか、追求していきたいと思います。

 一年間、読んでいただいた皆さん、誠にありがとうございました。頑固で、不器用な生き方をしてきた僕におつき合いいただいたことに感謝します。これからも、同じように歩みを続けます。来年も、どうぞよろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/31

吃音を治すことにこだわらない、私たちだからこそつながっていく一本の糸

 2020年も残り1日となりました。コロナに翻弄されたような1年でした。時間は確実に過ぎているのだけれど、どこかで止まってしまったような、不思議な感覚を覚えます。
 21歳で、吃音と共に生きると覚悟を決めてから55年。ラッキーな出逢いの連続で、ここまできたなあとつくづく思います。以前、北海道浦河の「べてるの家」との出会いを紹介する時、人と人とのつながりの不思議さを紹介したことがあります。
 1986年の第一回世界大会の出会いの広場を担当して下さった村山正治・九州大学教授から始まり、九州大学留学センターの高松里准教授→大阪セルフヘルプ支援センターの松田博幸・大阪府立大学准教授→読売新聞記者の森川明義さん→人と人とが出会うお寺の應典院の秋田光彦住職→TBSの斉藤道雄ディレクター→2011年、「当事者研究」をテーマにした吃音ショートコースの講師として来て下さった、北海道浦河の「べてるの家」の向谷地生良さん、というふうに。
 このように人と人とがつながっていきました。多くの人との出会いで、僕は、今、ここに立っていると思います。2020年が終わろうとしている今、出会ったたくさんの人に感謝の気持ちでいっぱいです。
 今日は、そんな不思議な出会いについて1990年5月号のニュースレターの巻頭言に書いた、「一本の糸」を紹介します。ひたむきに取り組む人や集団と結ばれていると思われる一本の糸、今日まで続いてきたこの一本の糸は、今後も、未来へと続いているようです。楽しみながら辿る日が続きます。

  
一本の糸
                          伊藤伸二

 君の行く道は 果てしなく遠い
 なのになぜ、何をもとめて
 君は行くのか そんなにしてまで

 1967年頃の若者の心をとらえた映画に『若者たち』がある。社会の様々な矛盾を若者の目でとらえ、好評だった社会派テレビドラマの映画化だ。地味な映画で、興行価値がないとされ、一般の上映ルートにのらず、いわゆる「お蔵」になっていた。その映画を一般公開に先がけ、最初に上映したのが言友会だった。主演の山本圭さん、監督の森川時久さん等が舞台に立って下さり、私たちの“吃音の公開討論と映画の夕べ”は250人の、当時としては大勢の人を集め成功した。この催しは、どもる人のセルフヘルプグループである言友会が大きく成長していくステップとなった。その後、映画『若者たち』は全国で上映運動が展開されヒットし、続編も制作された。上映運動の先鞭を言友会がつけたことになったのである。

 僕の耳はきこえませんが、
 みんなの耳もきこえませんでした
 でも、だれもうらみません。
 さようなら

 23年後、『四つの終止符』の最初の上映も私たち言友会だった。1987年、「吃音ワークショップin名古屋」で聴覚障害者と共に観た舞台の映画化だ。年賀状で映画制作を知り、ロケ先の大原秋年さんにどもる人のワークショップで是非上映したいと電話をかけた。6月からの上映開始だが、5月4日ぎりぎりに間に合うと、大変喜んで下さった。
 映画だけでなく、上映後の大原秋年さんの話も共感を呼んだ。私財を投げ打って初めての映画作りにかけた熱意が、いい映画をつくり大勢の人々に観てもらいたいという思いが、青春時代の体験談と重なり合って、聞いている私たちに伝わってくる。
 その大原さんと夜遅くまで話し合った。また、前日は、番外編で表現よみの指導をして下さった、国語教育の田村利樹さんと話した。お2人との話し合いの中で人と人とのつながりの不思議さを思った。
 大原さんには、映画を作るときはこの人にカメラをまわしてもらおうと決めていた人がいたという。その人は故人となり、実現はしなかったが、その人は、映画『若者たち』のカメラマンであった。また、最近、私たちを指導して下さった竹内敏晴さんの演劇研究所に、大原さんは1年ほど在籍していたという。
 映画『若者たち』のシナリオを書き、その後ずっと私たちを温かく、厳しく見守って下さっているシナリオライターの山内久さん。今秋、放送予定の山内さんシナリオによるNHKドラマスペシャル『さくら』で、吃音の女の子が登場する。言友会の例会のような場面が出てくるのだが、その時の先生役を、今回、神戸で開催する吃音ワークショップでボイストレーニングを指導して下さった荒谷起吉三さんが演じる。
 1982年の吃音ワークショップで、ステテコ姿で表現よみを楽しく指導して下さった東京都立大学教授の大久保忠利さんは、どもる私たちのグループで、表現よみが定着することをいつも気にかけていて下さっている。今回のワークショップ・番外編で表現よみを取り上げることをとても喜んで下さり、わざわざ東京から田村利樹さんを紹介して下さった。
 「同じ方向を目指して生きている人たちがここにもいることを知って人間の良さを味わっています。今までの価値観にとらわれることなく、新しい人間観で生きている皆さんたちとこれからもつき合っていきたい」と田村さんが言って下さった。
 大原さん、田村さんとの話の中で、今後、私たちに出会わせたい人の話が出た。
 大原さんから、戦争孤児について書き続ける『雨にも負けて風にも負けて』の著者・西村滋さん、田村さんからはオペラの山村民也さん、国語教育の管野吉昭さん、などである。話に出たこれらの人たちと是非お会いできればと思う。
 人と人が人を結びつけ、それがさらに広がっていく。ひとつのことに、大袈裟に言えば命をかけて、ひたむきに取り組む人や集団は、何か、どこか一本の糸で結ばれているような気がしてならない。今後、この一本の糸がどこへ延び、誰とつながっていくのだろうか。楽しみに辿っていきたい。1990.5.31


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/30

吃音は変わった

 今日、紹介するのは、今から30年前に書いたものです。その時に、以前とは違ってきたことを書いたのですが、30年という年月の間に、さらに社会情勢は大きく変化しました。その変化の加速度はより増しているようです。
 価値観の多様化がすすみ、良い方向もあるですが、ちょっと違うなあと感じることも少なくありません。同調圧力が強くなり、異質なものへの寛容度が小さくなったために生きづらさは却って大きくなった面もあるようです。
 僕は、どんなに社会が変わろうと、吃音とともに豊かに生きることができるという一点において、55年前と全く変わっていません。そのための発信も続けています。
 前回の文章に、「吃音者」のことばを使わないと書きましたが、30年前の文章は「吃音者像」となっています。以前書いたものなのでそのまま使います。
 最近使わないことばは、その他にもいくつかありますが、それらを他の人が使うことについては寛容です。しかし、僕たちは絶対に使わないし、周りの人にも使って欲しくないことばがあります。それは「吃音症」です。
 吃音の豊かな世界を「症」として、扱う「吃音症」に、僕は断固反対です。どもる人本人も、このことばを使うことに疑問をもたないことに、僕は、残念な、悲しい気持ちになります。そのことについてはまた触れると思います。

  
吃音者像
                          伊藤伸二

 16年前「治す努力の否定」を提起したとき、『吃音を自分を肯定して、今を生きよう』というこの提起に共感して下さる方も多かったが、反発、反感、失望も見られた。吃音が治ることも否定するのか、吃音が治っている人がいる現実を無視しているのかなど少しピントのずれた指摘もあったが、「吃音が治りにくいとは分かるが、なぜ治す努力まで否定しなければならないのか?」「治す努力をしても、吃音に負けない生き方ができるのではないか?」。つまり、治す努力とより良く生きることは両立するという主張だった。実際にそのような生き方をしている人がいることは事実だろう。なのになぜあの当時、「治す努力の否定」を提起したのか? 1960年代の若者には、学生運動や小田実の「なんでもみてやろう」のように、何かをやろうというエネルギーがあった。このように私は生きたいという夢があり、さらには時代を捨身で変えようとするエネルギーもあった。このエネルギーは、吃音で悩む人なら吃音を治そうとする姿勢にもつながる。
 人生の設計をしたとき、吃音がハンディになると考えた人は、自分のより良い人生を獲得するために、吃音を治そうとした。多くのどもる人は吃音を治す試みに、ある意味で人生をかけたといってよい。しかし、吃音を治そうとしたエネルギーは残念ながら空転し、治らない現実の前で挫折し、時間を浪費した。
 「吃音を治そうとする時間やエネルギーを、他にふりかえれば、たとえ吃音が治らずともより良い人生の実現は可能だ。治そう、治そうとすることがかえって自己を否定することにもつながり、さらには逃げの人生に迷いこんでしまう。人の持つエネルギーには限りがあり、何かに集中するためには今あるものを捨てなければならない」
 こうして、私は「治す努力の否定」を提起した。
 この「治す努力の否定」には、まず、吃音を治そうとするエネルギー、あるいはその他のエネルギーがあることがその前提にある。ある方向に流れているエネルギーを止め、それを別の方向に流す。エネルギーがあるからこそ否定する意味があるのである。しかし、最近のどもる人の吃音への思いは随分と変化した。価値の多様化により、吃音にあまり悩まずにすむ土壌が社会的に形成された一方で、無気力な若者も増えた。これはどもる人だけの現象ではなく、一般の若者に共通で、生きるエネルギーが稀薄になった。これは、どもる人の吃音を治そうとするエネルギーの稀薄へと結びつく。吃音が気にはなっていても是非治したいとは思わず、また治す努力をしようともしないどもる人に「吃音を治す努力の否定」は何のインパクトも与えない。
 長年のセルフヘルプグループ活動の中で、セルフヘルプグループに集まるどもる人の意識は確実に変化し、「吃音の受容」は一定の成果があがったが、このようなどもる人を含めた若者の社会現象にも目を向ける必要が出てきた。安直な吃音の受け入れは生きるエネルギーに結びつきにくいのである。
 『吃音にもっと悩め、治そうと時には切実に思え。そして動いてみろ。そこからもう一度吃音を人生を考え直せ』
 あの頃には思いもよらなかった、つまり逆のことを言ってもいいようなどもる人が増えた。その一方で深刻な悩みを持ち、どもる人のセルフヘルプグループにすら足を向けられないどもる人も増え始めた。
 当時のどもる人の熱い思いのほとばしるような体験談を読むと、吃音に悩み、吃音を治そうと思い、精一杯の努力をしてきた姿が浮き彫りにされている。時代が違うよと言われればそれまでだが、1965年の夏に30日間合宿生活をした、「吃音は必ず治る」の宣伝に集まった人たちは このようにエネルギーに満ちたどもる人が少なくなかった。それが、最近、このようなどもる人が少なくなったなあとの思いを改めて持った。
 今後、これまでの「吃音を治さなければならない」の型にははまらない、どもる人がいくつもいくつも無数に生まれてくるに違いない。それに対応していくのはそれほどたやすいことではない。どもる人の生きるエネルギーをどう育てればよいか、従来とは違う発想が求められ、より一層の知恵の出し合いと実践が必要である。1990.4.30


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/29

吃音者と正音者、今は使わないことば

 昔は使っていたけれど、今は使わなくなったことばがあります。「吃音者」もそのひとつです。「吃音者宣言」の文章を起草し、「吃音者宣言」(たいまつ社)の本を書きながら、「吃音者」のことばにだんだん抵抗感が大きくなっています。「吃音者」に代わって今は、「どもる人」ということばを、僕は使っています。もうひとつ、昔から僕は使いませんでしたが、民間吃音矯正所で使われていたものに、「正音者」ということばがありました。そのタイトルの文章を書いていました。1990年3月29日のものです。
 ことばには、ずっとこだわってきました。どもることをなくそうということではなく、自分の思いや考えをしっかりと相手に伝えたいということを大切にして、トレーニングもしてきました。表現よみ、ボイストレーニング、竹内敏晴からだとことばのレッスンと、たくさんの講師を招いて、学んできました。その歴史は長いものでした。
 どもらないけれど、抑揚のない平坦な話し方は、果たして自分のことばなのでしょうか。「学習どもりカルタ」の、子どもが作った読み札には、「ロボットみたいな話し方、どもらなくても僕は嫌」とあります。

  
正音者
                             伊藤伸二

 かつて「正音者」ということばがあった。
 「吃音者」に対しての「正音者」というこのことばは、民間矯正所で使われ始めたのだろうが、どもる人自身も、使っていた。一体、ことばに正しいものとそうでないものとがあるのか? 正しい音とはどんなものであろうか? 現在でも根強く残っている対症療法のひとつに注意転換法がある。どんなに不自然であってもどもってはいけない、「あのー」「えー」ということばを頻繁に使っても、また「わーたーくーしーはー」と極端にゆっくり言おうとも、どもらない方がいい、どもっていてはいつまでたっても正音者になれないのだ、つまり、どもらない話し方が正音なのだと、その技法はいう。
 「あーなーたーたーちーはー、まーちーがーってーいーるー…」。
 1985年、九州・能古島の全国大会に、熊本から60歳前後の人が参加し、私のように治した者がいる、治すための努力をすべきだと主張した。その人のことばは確かにどもってはいない。しかし、どもらないように話そうとするため極端にゆっくりで、抑揚がない。「あなたのことばこそどもっている」と指摘する人も出て、彼に同意する人は誰もいなかった。個性を殺しても、どもらない話し方をすべきだという主張にほとんどのどもる人はノーと答えたのである。
 このような伝統的な治療法の特徴の一つに、再発がある。一時的にどもらずに話せても、2〜3か月すると元の状態に戻ってしまうのだ。この再発に関しては、「日常的にこの方法を使わなければ再発する。だから教えられたとおりに努力する必要がある」と努力の継続を第一とし、もし再発したらそれはどもる人の努力不足だと責めた。ほとんどのどもる人が再発しているという現実の中で、どもる人は吃音に悩みながら、またそれを治したいと思いながら、なぜ、治す努力を続けないのであろうか。多くのどもる人にこの点を尋ねたところ、次のような答えが寄せられた。

*練習があまりにも単調でおもしろくない
*どこまですれば治るか、見通しがない
*不自然な話し方で日常生活で応用できない
*吃音には好不調の波があり、好調のときはつい練習がおろそかになってしまう
*どもっていてもまがりなりにも日常生活が続けられる

 私たちは、ことばの訓練や呼吸法に重点を置いた活動から、吃音の受容を重点とした活動へと方向を変え、症状の消失および改善にのみポイントを置いた治す試みに否定的な態度をとり続けてきた。ことばに悩んできた私たちであったが、これまで、ことばに関しては1982年、国語教育の都立大学教授の大久保忠利さんから「表現よみ」を学んだ以外、あまりしてこなかったといっていい。
 吃音の受容について一定の成果が上がった今、ことばについてもっと取り組もうと1990年の吃音ワークショップin神戸では、ボイストレーニングを取り入れた。それに先立って念願の竹内敏晴さんを招いて、リーダー研修会がもたれた。そのレッスンは、私たちがかつて受けた発声・呼吸を中心とした吃音を治すための言語訓練とは随分違っていた。とにかく楽しくレッスンができ、からだが、ことばが、ひらかれていくという実感を持った。個性を生かしてのこのようなレッスンであれば、多くのどもる人が日常生活の中で楽しくできることではないか。
 「どもればどもるほど人間的であるという、その位のしゃべり方を確立したらいいよ」と言う竹内敏晴さんのことばは、これからことばの問題を考えていこうとするときの大きな支えになろう。今、このときに、竹内さんと出会ったことを大切にしたい。1990.3.29


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/28

ベーシック・エンカウンターグループでの反省−自分の思いや考えをまっすぐに伝えることの難しさと大切さ

 ベーシック・エンカウンターグループは、数人から10人程度の参加者とファシリテーターと呼ばれるスタッフで構成されます。期間中は、ゆったりとした時間の流れの中で、あらかじめ話題を決めない自由な話し合いを中心に過ごします。
 僕は、それまで、7日間ほどの長い期間行われる、カウンセリングワークショップといわれた時代のワークショップに数回参加していました。しかし、無理矢理に自分に向き合わせようとするファシリテーターのありかたに疑問をもち、そのようなグループからは遠ざかっていました。
 ところが、1989年の年末、翌年3月に10年間経営してきたカレー専門店をやめることにしており、これまでの人生、これからのことを考えたいと思い始めると、急に、ベーシック・エンカウンターグループに参加したくなりました。調べてみると、1986年の第一回吃音問題研究国際大会で出会いの広場を担当して下さった、九州大学の村山正治先生が、大分県の九重高原で4泊5日のベーシックエンカウンターグループをしておられることを知りました。急に思い立ったために、すでに申し込みが締め切られていましたが、そこをなんとか無理をお願いして参加させてもらいました。
 これまで経験したグループとは違い、居心地がよく、僕は自由に発言し、笑い、泣き、とてもいい経験をしました。これからもずっと参加したいと思いました。翌年、2回目の参加をしました。そして、3回目の参加申し込みをした時に、村山先生から、ファシリテーターとしての参加を打診されました。臨床心理学を専門に勉強をしたわけでもないので、一瞬は躊躇しましたが、セルフヘルプグループ活動を続けてきた伊藤さんなら大丈夫だと、村山先生が後押しして下さり、引き受けました。その後、九重のエンカウンターグループだけでなく、新しく始まった由布院のエンカウンターグループでは開始から終了までずっと、ファシリテーターをさせていただきました。たくさんの人と出会い、たくさんの人生を聞きました。その経験は僕の中で大きな財産になっています。そのことはまた書いていきたいと思いますが、1989年に最初に参加した時の体験を、1990.2.28付けのニュースレターの巻頭言として書いています。
 とても心に残っていて、今も、自分を戒めていることでもあります。
 
    
3つの反省
                           伊藤伸二
 
 この冬、いくつかのワークショップに参加した。その中のひとつ、べーシック・エンカウンターグループでの恥ずかしい体験を紹介しよう。

 反省その1  「みんな」
 グループで出される話題は、「このようなものであるべきだ」というようなものはないのだが、グループメンバーが共通に関心を持つ話題とそうでないものがある。勇気を出して自らを開いて提供した話題がメンバーに関心を持たれていないと感じることは寂しい。話題を提供した人が「つまらない話題を出したのじゃないか」と後悔し、自分を責める発言をした。そこでつい「あなたが今ここでその問題を出して下さったこと、みんな喜んでいますよ」と言ってしまった。すかさず「みんなって言わないで下さい」と指摘された。「私は関心を持って聞けました」と言えばいいのを「みんな」と言ってしまう。周りの人も私と同じように思っているだろうと決めつけられた「みんな」こそいい迷惑なのだ。誰かがそのように言えばきっと同じ反応をしただろう。
 どもる人のセルフヘルプグループの中での話し合いでは、「大体、どもる人は…」とか「私はいいのだが、どもりの重い人は…」と、私をどこかにおいて一般的なものに広げて、私自身が消えてしまうことがよくある。つまり、私への責任が軽くなるのだ。そのときには「私は〜」と言うようにとかなり厳しい指摘をしている自分自身が、場が違うとこのようなことを言ってしまう。「みんな」ということばはよほど注意しないと使ってしまうものだということを改めて実感した。クラスの一人か二人しか持っていない物を「クラスのみんなが持っているから買って」とせがんだ子どもの頃を思い出した。

 反省その2  推察
 メンバーの一人が少し混乱し、普段なら気づくであろうことがなかなか気づけない。そのAさんに対し、何人かの人が関わり、その関わりに対してのAさんの反応を聞いて、Bさんは独り言を言った。「えーそんな、残念だ。がっかりだ」。私はてっきりAさんの言動に対して「寂しい、残念」と言っていると察した。そこで「独り言でなく、直接本人に言って下さいませんか」と思わず言ってしまった。「Aさんに対してではない。グループのメンバー全員にがっかりしたんです」とのBさんのことばに驚き、申し訳ないことを言ったと思った。関わるとすれば、「Bさん、今、寂しい、残念と独り言をおっしゃいましたが、よかったら誰に対して、どんなことで、寂しいとお考えなのでしょうか」と問うのが筋なのだ。多分こうであろうと推察し、それをことばに出す。「事実と推察を区別しよう」と、論理療法で学び、日頃自分自身も注意し、他人にもそうしようと言ってきた。その本人が分かったように推察を言ってしまう。言い知れぬほど恥ずかしかった。

 反省その3  共感
 メンバーの一人がグループの話し合いの中で孤立感を持ったのか、泣きながら「みんな、私の気持ちを分かってくれない」と言った。その人のこれまでのやりとり、そしてその態度から、いろんなことが思いめぐって私も悲しい、寂しい気持ちになり、自然と涙がこぼれた。「あなたの悲しい、寂しい気持ち分かりますよ」と言わずもがなのことばを言ってしまい、居心地が悪かった。訂正しようかと思いながらチャンスをつかめずにいたときに、メンバーの一人に「気持ちが分かったとおっしゃったけど、何が分かったのですか」と質問された。救われた思いで、すぐに応えた。「先程あなたの寂しい気持ちが分かると言いましたが、言い替えます。Cさんの寂しい、悲しいということばとそのことばをおっしゃった姿を見て、いろいろなことが思い浮かび、私も悲しい寂しい気持ちになりました」こう言った後、やっと気持ちが落ち着いた。
 相手の気持ちを真に理解することは難しい。理解したつもりになっていることが多い。「あなたの気持ちよく分かります」なんて軽々しく言うことではないのだ。あなたの気持ちというとき、私自身は離れてしまっている。

 日頃ことばに気をつけているはずの自分が不用意なことばを使ってしまっている。自分の思いや考えをまっすぐに相手に伝えることの難しさと大切さを改めて気づかされた。
1990.2.28


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/27

コロナ禍の今、むのたけじさんの「ことばの力」

 むのたけじさんは、第二次世界大戦の敗戦の日、記者としての戦争責任をとるため朝日新聞社を退社し、一貫して戦争絶滅を訴え続けた反骨のジャーナリスト人です。ジャーナリズムがどんどん劣化していく中で、あのような人が今の日本にほとんどいないことが、あまりにも悲しいことです。
 日本吃音臨床研究会の月刊紙「スタタリング・ナウ」の前に発行していたニュースレター(1989.12.25記)の僕の巻頭言の文末は、2016年に101歳で亡くなったジャーナリスト、むのたけじさんのことばで締めくくっています。詩集「たいまつ」は、僕の本棚の定位置にあり、今でも、時々読んでは、その中の厳しいことばに、僕は励まされ、勇気づけられています。
 文章のタイトルも、むのさんのことばをお借りしました。「自分のコトバに自分の全体重をかけよう」です。最近、ことばの軽さ、軽薄さが目につきます。特に、日本の政治家のことばの軽薄さは、目を覆いたくなるほどです。怒りを通り越して、むなしさ、悲しさに包まれます。自分のことばで、自分を語ることの大切さを、今ほど感じることはありません。かけがえのない自分の人生を、自分のことばで語ること、続けていきたいものです。31年前の文章を紹介します。その前に、僕の心に残る、むのたけじさんのことばをいくつか紹介します。

・怠けることを何かに抵抗していることだと思うのは、最もみじめな怠惰である。
・暗いことにおびえるな。暗かろうが、在るものは在り、無いものは無い。暗いことで足の運びをごまかされるな。
・美しい生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。
・相手からよく学ぶ者だけが、相手によく学ばせることができる。
・自分を変える力をもった一粒は、やがて1,000粒の種子になる。自分から登っていく一歩は、やがて1,000メートルの高さになる。
・夢を持て。夢を見るな。夢は、所有するものだ。見物するものではない。
・憎む相手とは口論をするな。そんなひまがあるなら、憎むものを断つヤイバを研げ。
・倒れないこと、倒されないことが自立ではない。ぶちのめされて、ぶっ倒されて、そして立ち上がるときに自立しはじめる。
・学ぶことをやめれば、人間であることをやめる。生きることは学ぶこと、学ぶことは育つことである。
・きのうは去った。明日はまだ来ない。今日というこの日に、全力を注ぎこもう。どんなにつまらなく思える一日であろうと、今日がなければあすはない。
・今日の失敗は、失敗した原因を正確に反省すれば、明日は武器となり、明後日には財産となる。
・北風の中に春の足音を聴き分ける、そんな耳を持ちたい。美女の舞踊に骸骨の動きを見定める、そんな眼を持ちたい。我を失うほどの窮境に置かれても、決して「はい」と「いいえ」は間違えて発音しない、そんな口を持ちたい。
・水を火に変え、火を土に変え、土を風に変え得るもの、それが<ことば>です。

   
自分のコトバに自分の全体重をかけよう
                         伊藤伸二
*社会的には重く暗いニュースが多い中で、こんなにも生きることや毎日の暮らしの中で、人とのつながりを深くまじめに考えている人々がいるのかと思うと、私もしっかりしなくてはと勇気づけられます。(北海道 北見市ことばの教室)
*自分のどもりを悩み抜いたからこそ、記事が実感を持って迫ってくるのでしょうか。これからも本紙を通じて多くのどもる人と心の交流をしたいと思います。(大阪府 どもる当事者)
*全体的には、身近にある問題を、さりげなく、しかも大切なポイントは臆さずに書いてあるように思います。一般の人々にも読んでもらいたいです。(東京都 町田市ことばの教室)
*吃音の解決法が全ての社会人の心配、不安、困難の解決法に通じている。その一つの病気や死の恐怖への対応にも共通していることで、毎号学ぶことが多い。(伊丹仁朗 倉敷柴田病院)

 発行しているニュースレターに対するアンケートに好意的な、励ましの回答がたくさん寄せられた。また毎号、感想の手紙を何通もいただく。論理療法で考えた仲人の体験には、多くの反響があった。これらの反響に接するとき、編集・製作に携わる私たちは幸せな気持ちに浸ることができる。私たちが真剣に、熱意をこめて作っているこの情報紙を、読者の方々も真剣に読んで下さっていることが実感でき、胸が熱くなる。製作中に何度も読んでいるのに、刷り上がったものを、また何度も何度も読み返す。そして、その人の人生を思う。
 自分自身の吃音とのコミュニケーションのために。私たちを取りまく人々とのコミュニケーションのために。吃音を持ちながら有意義な自分らしい人生を送るために。ことばや人との関わりを深く考えるために。
 私たちが月刊紙の内容に特に力を注いだのは、どもる人の自分史であった。どもる人の生々しい体験は時に読む人に共感と感動を与える。そのふれあいの中で劇的にその後の人生が変化する人は事実いる。しかし、多くの人々に真に役立てるにはその人の体験の中の何がその人の人生を妨げ、何がその人の心の解放に影響を与えたか、分析し、整理することが必要である。1975年、3か月かけての全国吃音巡回吃音相談会と一緒に行った、大がかりな全国的などもる人の実態調査の中から、「吃音はそのままでも吃音にとらわれない自由な生き方ができる」という確信を持ち、また私たち自身の体験の整理の中から「吃音者宣言」が生まれた。以来、静かに確かにどもる人の中に吃音者宣言は根づいた。しかし、まだ多くのどもる人は悩みの中にある。そこで、後に続くどもる人のために、吃音者宣言実践編を作ろうと呼びかけた。
 どもる人のまとまった自分史、つまり、吃音者宣言実践編が出され、それに対し、吃音研究者、どもる子どもの親、成人のどもる人から感想が寄せられ、今号で掲載することができた。これを機にもっと多くのどもる人の実践記録を集め、それを幅広い立場の人々の協力を得て整理していきたい。「吃音とつき合う」実践の積み重ね、整理、分析は、私たちでしかできない仕事なのだから。

 「ことばを語るにせよ、書くにせよ、人それぞれに自分のコトバに自分の全体重をかける態度が大切であってそのように努力してこそコトバは人と人が分かり合うための道具となり、種子となり、人間の暮らしの中に生きるだろう」 −むのたけじ 詞集たいまつ−                              1989.12.25


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/2

吃音で悩んできた過去をみつめ、自分を認め、許すことで、吃音から解放される

 2020年の最後の大阪吃音教室は、ことば文学賞の受賞を兼ねた1分間スピーチの講座でした。この「ことば文学賞」、今年で23回目でした。話すことだけでなく、聞く・書く・読むを含めたトータルなコミュニケーション能力を高めようとしていた僕たちは、自分の体験を客観的にみつめよう、後に続くどもる人に体験を残そうとの思いから、自分の吃音体験を綴ることに積極的に取り組んできました。その原点とも言うべき、1989年11月24日に書いた文章を紹介します。
 「自己暴露から自己改造へ」、このインパクトのあることばは、作家・真継伸彦さんが僕たちのとのインタビューで使ったことばです。

  
自己暴露から自己改造へ
                伊藤伸二

 <吃音から解放されたきっかけは、小生の吃音状態をそのまま書いた作品(『凍える口』河出書房新社)を発表したことであったと思います。つまり、吃音は、隠そうとすればするほどいっそう昂じるものであり、たとえば脚の不自由な人が堂々と松葉杖をついているのと同じく、どもりはどもりらしく話せばいいのだということ、その境地を自身の吃音の状態をあからさまにさらけ出すことによって得られたと思います>
  金鶴泳(作家) −第2回吃音ショートコース報告書 1974年−

 私たちからの「吃音から解放されたきっかけは?」の問いかけに、今は亡き金鶴泳さんは、このように答えて下さった。
 吃音の体験を持つ作家は多く、自分の作品で自らの吃音を扱っている人も少なくない。真継伸彦さんも『林檎の木の下で』で、吃音をさらけ出し、吃音から解放された一人だ。真継さんは、私たちのインタビューに次のように話して下さった。
 <どもりを克服するためには、単に言いにくい言語を直すという表面的なことを改めるのではなくて、じぶんに内在する根本的な消極性を改めなければならないと痛感するようになりました。お体裁屋で、消極的で、人生に対して愛情のない人間のままでいたら、どもりは克服できないだろうと思います。どもりを克服しようとすれば根本的な自己改造が要求されるのです。そのためには、まず自分の正体をさらけ出して認識していくことが前提になります。だから、自己暴露から自己改造へという順番になってくるわけです> 

 自らの触れたくない辛い過去をふり返り、しっかりと自分のものとして認めることは心楽しいことではないが、必要なことだ。どんなに嫌な辛い体験であっても、それはかけがえのない自分自身の過去なのだ。それを書くなり、語るなりしないと、前には進めない。
 吃音から解放される道は人さまざまだろう。過去には目もくれず、現在を明るく楽天的に、ことばは悪いが「軽いのり」で生きていくことができれば、吃音の悩みから解放されるかもしれない。しかし、多くの生真面目などもる人にとっては、その道はなじめない。吃音で悩んできた過去をみつめ、自分を認め、許し、吃音から解放される。そのような道を歩む人が多いのではないだろうか。その人々にとっては、過去の自分と向き合い、それをことばで表現し、それを認識することが、自立自己成長の第一歩だろう。金鶴泳さんも真継伸彦さんもそのようにして吃音から解放されてきた人たちだ。

 一人で悩んできたどもる人にとって、苦しみ悩みながらも前向きに生きようとしているどもる人の生の体験が一番訴える力があるのではないかと考え、先般行われた吃音相談会で、一人のどもる人に、これまでの吃音とのかかわりについて語ってもらった。傍目には重いどもりだと思われているその人が、どもりながらも話すことの多い教員の仕事をしている。淡々と辛かったであろう過去をふり返る話の中には、吃音にかかわる全ての人々が考えなければならないことがいっぱいつまっていた。
 一番うれしいのは、体験を話したその人自身が「私は吃音相談会で自分史を発表する機会をいただいて本当に良かったと思う。これまでの自分を客観的にみつめ直す絶好の機会となった」と言っていることだ。

 真継さんも『林檎の木の下で』で次のように書いている。
 「そう、自分はどもりを克服するためにも、小説を書かなければなるまい。臆病な自己愛に満ちる自分の心の皮膜を剥いで、吃音や夜尿症となってたえず苛んできた自分の正体を、ドストエーフスキイのように赤裸々に眼の前にさらけ出すのである」 1989.11.24


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/23

吃音以外の、幅広い専門家との連携・協力

 昨日、紹介した西ドイツでの第2回国際大会のメインのパネルディスカッションでは、専門家との連携について各国の事情が浮き彫りにされました。僕たちは、専門家とも対等な立場で発言し、活動したいと思っていますが、世界の中ではそれが難しいところもあるようです。治療的試みを続け、うまくいかなかったとき、専門家は「うまくいかなかったな」で終わりますが、当事者である僕たちにとっては、死活問題なのです。大切な時間を無駄に費やすことのないよう、今、何にエネルギーを注ぐべきか、考えていきたいものです。世界各国のリーダーにとって、専門家といえば、言語治療の専門家しか頭にないことに、不思議な思いをもったことを覚えています。吃音問題は、言語症状だけの問題だとしか考えていない世界各国の現状では、当然のことだったのです。


  
セルフヘルプグループに未来はある
                          伊藤伸二
 
1989年夏に、西ドイツのケルン市で開かれ、世界各国18か国、550名程が参加した、第2回国際大会が終わった。不安と期待の中、第1回を開いた私が思っていた以上に、国際的な広がりが、静かに確かに動いている。第2回を西ドイツが開いてくれたことで、第1回を京都で開いた意義が確認され、第3回のアメリカへとつながった。
 「セルフヘルプグループに未来はあるか」のパネルディスカッションが今大会のメインプログラムだった。
 「吃音を目立たなくさせるのが臨床家の役目」と主張する西ドイツの臨床家に対して、セルフヘルプグループの主張に近い立場の西ドイツの心理学者は、「吃音を目立たなくするとは、どういうことか?」と反論し、「その主張は吃音を醜いもの、悪魔のようなものと考えているからであり、どもる人を傷つけている。吃音は治る、治すべきとする専門家に批判的に対処しなければならない。インチキな専門家を摘発し、糾弾すべきだ」と激しい口調でかみついた。この発言に会場から一番大きな拍手が起こったことから、ドイツのセルフヘルプグループと吃音の専門家との関係が良好でないことを伺い知ることができた。
 セルフヘルプグループの意義の大きさは今さら言う必要もないが、陥りやすい危険性もある。「セルフヘルプにのめりこみすぎると、有効な対処方法や専門機関の社会資源にまで関心を向けなくなってしまう恐れがある」がそのひとつだ。
 そこで、私は、日本からのパネラーとして専門家との協力関係の必要性にポイントをおいて次のような発表をした。以下は、その一部である。
 『私たちは「吃音を治す、軽くする」ことを目標にはせず、「吃音とうまくつき合う」ことを考えている。そのために3つの学習をすすめている。3つの学習をすすめる上で、専門家と協力、連携が必要なのだ。
1)吃音の正しい知識を得る
 吃音についての正しい知識がないと、いたずらに不安を持ってしまう。これまで考えられてきた吃音の原因、様々な吃音研究の成果、吃音治療の効果と限界、吃音の持つ本質など専門書を通して学んだり、直接専門家かち話を聞いたりしながら、吃音とつき合うに必要な吃音についての知識を得る。このとき、直接、間接に吃音の専門家からの援助、協力が不可欠である。
2)コミュニケーション能力を高める
 私たちは、話すことを重視したこれまでのあり方から、コミュニケーションのトータルな能力を身につけるために学習を続けているが、過去にこのような専門家が協力した。
「聞く」…臨床心理の研究者、カウンセラー
「書く」…国語教育の専門家、新聞記者
「読む」…プロの朗読劇団、映画・舞台の俳優
「話す」…俳優、ラジオ・テレビのアナウンサー
 これらの専門家が全国的なワークショップや例会の講師を引き受けてくれている。
3)自分を知り、自分を高める
 私たちはどもりだから〜できないと、日常生活の中で当然果たすべき役割を回避してきた。どもるのが嫌さに逃げの人生を歩んできた。そのような自分を自覚することは難しいし、さらに自分を変えていくことは難しい。自己の吃音体験やこれまでの生き方をふりかえり、自分らしく建設的な生き方をするために、『吃音者宣言』をバックボーンにし、具体的な取り組みとしては、心理療法を活用している。
 「交流分析」、「論理療法」、「アサーティヴトレーニング」「ゲシュタルトセラピー」、「森田療法」等、これらは『吃音者宣言』の考え方と軸を一つにするものであり、直接・間接にこれらの専門家から体験的に学んできた。

 セルフヘルプグループと専門家との協力といっても、参加した18か国に様々な社会状況の違いがあり、スピーチセラピストの多い国では、吃音治療の専門家への依存関係からの脱却が難しい。専門家との協力関係が確立されているところでも、それは言語治療という限られた枠内の専門家だ。私たちは、吃音の専門家だけでなく、人として自分らしくより良く生きるための実践をしている専門家から幅広くまた貧欲に学ぼうとしている。私たちは、どもる人のセルフヘルプグループの未来のあり方に、世界のグループよりも一歩前に踏み出しているのではないだろうか。 1989.9.28


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/22

セルフヘルプグループ

 僕は、セルフヘルプグループを支援するための大阪セルフヘルプ支援センターの設立総会から参加しています。社会に「セルフヘルプグループ」の活動の意義をどう紹介するか、いつも議論をしていました。名前についても、「本人の会」「自助グループ」などが出されましたが、しっくりこないので、「セルフヘルプグループ」をそのまま使うことにしました。そして、大阪セルフヘルプ支援センターの仲間と一緒に、朝日新聞厚生文化事業団発行の朝日福祉ガイドブック「セルフヘルプグループ」を編集しました。また、解放出版社の「知っていますか?」シリーズの「知っていますか? セルフヘルプ・グループ一問一答」を当時、武庫川女子大学の教員だった中田智恵海さんと共著で出版しました。
 社会学や福祉関係の専門家によるセルフヘルプグループ関連の本はありますが、当事者が編集した書籍はほとんどないと思います。2冊の本に関われたのは、長年セルフヘルプグループにかかわってきたおかげです。セルフヘルプの道をずっと歩いてきたことになります。セルフヘルプグループの限界と問題点を冷静にみつめ、そこからの確かな歩みを続けていこうと思っています。
 今日は、1989年7月26日に書いた文章を紹介します。
セルフヘルプグループ一問一答表紙ガイドブック セルフヘルプグループ表紙
 参考
 愧里辰討い泙垢? セルフヘルプグループ一問一答』解放出版社 
◆悒札襯侫悒襯廖拌膾絅札襯侫悒襯彁抉腑札鵐拭縞圈…日新聞大阪厚生文化事業団。
△虜子については、日本吃音臨床研究会のホームページの「セルフヘルプグループ」の欄で、全文を紹介しています。









   
セルフヘルプ
                             伊藤伸二

 セルフヘルプという用語の使用は、日本ではまだ一般的ではない。明確な定義もまだなされていないといってよい。私たちがセルフヘルプという用語を使い始めたのも最近のことである。『セルフ・ヘルプ・カウンセリング』の本の中で、村山正治はセルフヘルプを次のように定義している。

 『人間は、様々な困難に出会い、苦悩するが、それを専門家の援助を受けることなく、自分の責任で、自らの手で、あるいは非専門家のサポートを受けながら、それを解決する。この過程をセルフヘルプと呼ぶことにしたい』
 村山正治編『セルフ・ヘルプ・カウンセリング』福村出版社

 セルフヘルプグループは、第二次世界大戦後、アメリカで急速に発生し、発展していった。最初、障害児をもつ親のグループが、そして障害をもつ本人のグループが、次々と結成された。レヴィ(Levy L.H.1976)は、次の5つの条件を満たしているものをセルフヘルプグループとしている。

・目的:相互援助を通して、メンバーの問題を改善し、より良い生き方を求める。
・起源と発足:起源と発足が、グループメンバー自身にあり、外部の専門家や専門機関によるものではない。
・援助の源泉:メンバーの体験、知識、技術、努力、関心が援助の主要な源泉であり、専門家がグループの集会に参加しても、それは補助的な役割しか果たさない。
・メンバー構成:抱えている問題を共通に体験している人たちで構成される。
・統制:組織の構造や活動のスタイルなどを規定するのは、グループのメンバーが中心となっている。
    A.ガートナー/F.リースマン著 久保紘章訳
    『セルフ・ヘルプ・グループの理論と実際』 川島書店

 私たちのグループは、これら5つの条件を全て満たし、成人のどもる人がより良く生きる生き方を確立するのに役立ってきた。しかし、セルフヘルプグループにも当然限界と問題点はある。今夏、西ドイツで開かれる第二回吃音問題研究国際大会では、セルフヘルプがテーマとなり、そのメインプログラムとして「セルフヘルプグループに未来はあるか?」のパネルディスカッションが計画されている。主催者は主旨を次のように述べている。
 「セルフヘルプの意味とその将来に関して、様々な立場があり、それぞれに強調点も異なっている。ある立場は、セルフヘルプとは専門的治療の代わりをするものでもなく、自立性をもつものとして考えている。別の立場は、専門家とセルフヘルプグループとの協力・連携を強調している。セルフヘルプの理論と実践においては、セルフヘルプグループの自主性と専門家との協力関係の問題が常に伴うのである。セルフヘルプに関する異なる立場を通して議論したい」

 私たちは、第一回吃音問題研究国際大会でこう大会宣言をした。
 「吃音問題の解決を図ろうとするためには研究者、臨床家、吃音者がそれぞれの立場を尊重し、互いに情報交換することが不可欠である。互いの研究、臨床体験に耳を傾けながらも相互批判を繰り返すという共同の歩みが実現してこそ、真の吃音問題解決に迫るものと思われる」
 私は、西ドイツで開かれる第二回世界大会でのパネルディスカッションの5人のパネラーのひとりに選ばれている。パネラーとして、第一回世界大会を開いた経過と、世界大会宣言の趣旨をもとに、国際的なレベルで連携が実現していく方向を提案する予定だ。吃音治療という限られた分野だけでなく、更に幅広い専門家との協力、連携なしに、多くのセルフヘルプグループの未来はないと考えているからである。1989.7.26


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/21

伊藤伸二の吃音方程式

 チャールズ・ヴァン・ライパーは、吃音の問題解決に向けて、吃音方程式を作りました。分子に吃音の問題を大きくする要因を、分母に小さくする要因を置き、分子を小さく、分母を大きくすることで、吃音問題全体を小さくしようとしたのです。僕は、1975年、全国巡回吃音相談会の時に、それをもじって、伊藤伸二の吃音方程式を作りました。ライパーと僕との決定的な違いがあります。ライパーは、分母に、流暢に話せた経験を置いたのに対して、僕はどもりながらも話せた、目的を達成した経験を置いたことです。
 1989年、生きがい療法の伊丹仁朗さんを講師に迎えたワークショップで聞いた話は、僕の吃音方程式そのものでした。


生きがい療法と、伊藤伸二の吃音方程式
                       伊藤伸二

 その程度や質は異なるものの、人に悩みはつきものだ。また、不安や恐れは、本来誰しもが持っているものでだ。ガン患者にはガン患者の、どもる人にはどもる人の、それぞれ特有の悩みはあるだろう。しかし、ガン患者でなければ、どもる人でなければ、その悩みは理解できないというものではない。
 ガン患者の死への不安や恐れが、その頂点に立つものなら、その下方にどもる人の持つ予期不安や吃語恐怖、場面恐怖がある。それらの不安や恐れはそれぞれ分断されているものではなく、日常的に全ての人が持つ悩み、不安、恐れと連続性のあるものとしてとらえることができると私は考えている。だから、ガン患者・藤原道子さんの話は、私たちどもる人を大いに勇気づけ、学ぶことも多かった。また、私たちの『吃音者宣言』を読んで、水戸黄門役の俳優の佐野浅夫さんが「この宣言は、日本人全てに通用する宣言だと思う。あなたたち内部のものだけにしないでほしい。私もこれから、講演などで『吃音者宣言』を紹介していきたい」と言って下さった。
 吃音症状にとらわれたアプローチだけをしていると、全ての人が本来的に解決しようとする問題に迫ることはできない。私たちは吃症状の消失及び改善ではなく、症状を持ちながらも個性的に自分らしく生きることを目指している。そのためにその人を縛っている不安や恐怖への対処を中心課題にしている私たちだからこそ、伊丹仁朗医師は熱のこもった「生きがい療法」のワークを展開して下さったし、ゲストとして参加した藤原道子さんとも互いに共感し合えた。藤原さんの生きる姿勢が私たちに大いなる勇気を与えたように、私たちが吃音のとらわれから解放され、吃音を持ちながちも素直に、自分らしくより良く生きることを追求する姿は、結果として多くの人々に勇気を与えることになるのかもしれない。そうであれば、うれしいことである。
 人の持っている不安や恐れは、問題ごとに分断されているのではなく、人生における些細な悩みや不安や恐れから死への不安、恐れへと連続しているということは、私たちに大きな連帯感を与えてくれる。
 ところで、伊豆で学んだ『生きがい療法』には5つの基本方針がある。その方針は、1975年に、チャールズ・ヴァン・ライパーの吃音方程式をもじって私が作った伊藤伸二の吃音方程式と基本的に通じるものがある。2つを合わせて紹介しておこう。

生きがい療法の5つの基本方針
生きがい療法の本1.自分が主治医のつもりで病気と闘っていく
2.今日一日の生きる目標に、全力投球する
3.人のためになることを実践する
4.死の不安、恐怖と共存する訓練をする
5.死への現実的、建設的対処のトレーニングをする


      『生きがい療法でガンに克つ』講談社 伊丹仁朗

伊藤伸二の吃音方程式
 吃音問題を大きくしている要因を分子とし、吃音問題を小さくする要因を分母においた。分子を弱めたり小さくし、また分母をよりすすめたり増やしていくことによって分子/分母で表される吃音問題は小さくなり、解決の方向へ向かうと考えたのである。

*分子(吃音問題を大きくする要因)
人間関係の狭さ
幼少時の愛された経験の少なさ
どもって失敗した経験の質と量
日常生活の中での回避の度合い
吃音のことが話せる人の不在
レジャー活動の貧困さ
吃音も含めた様々な劣等感

*分母(吃音問題を小さくする要因)
豊かな人間関係
楽天的な人生観
明確な人生目標
どもってでも目的を達成できたという経験
仕事や学習についての自信
人に受け入れられた経験

 吃音ワークショップを通して、自分史作り、表現よみ、交流分析、論理療法、生きがい療法を学んできた。これらは、どもる人が分子を小さくし、分母を大きくすることに役立っている。 1989.6.22


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/20
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