伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2020年02月

石川県教育センターとの長いつきあい

石川県教育センターとの長いつきあい 卒業式の経験

 先日、1本の電話がありました。長いおつきあいだった、石川県教育センターの教育相談課長だった徳田健一さんのお連れ合いからでした。体の調子があまりよくないとは聞いていたので、嫌な予感がしたのですが、「実は、今月7日に亡くなりました」とのことでした。ずっと『スタタリング・ナウ』を購読し、支援して下さっていました。

 徳田さんと初めて出会ったのは、30年ほど前でしょうか。九州大学の村山正治先生の九重エンカウンターグループに参加した時に出会い、その後、石川県教育センターで行われる、石川県採用の全新任教員の一日研修を10年間続けたり、エンカウンターグループ、アサーションの研修、引きこもりの研修など、たくさんの研修の講師として僕を使っていただきました。徳田さんだけでなく、歴代の教育相談課の課長から、研修の講師依頼をずっと続けて受けていました。
 お電話の後、寂しい気持ちがいっぱいになりながら、いろいろと振り返っていたのですが、徳田さんに、『スタタリング・ナウ』に寄稿してもらったことがあるなあと思い出しました。NHK教育テレビの「にんげんゆうゆう」の番組を見ての感想を書いていただいていました。昔の「スタタリング・ナウ」を引っ張り出してみると、「弱さは強さ」というタイトルで書いていただいていました。2000年8月号でした。そこには、僕との出会いは、9年前とあります。その翌年から石川県に研修講師として行っていたとのこと。ということは、1992年から、研修の講師として石川県に行っていたことになります。
 徳田さんも、どもる人です。いろいろな苦労はあったでしょう。僕が知っている徳田さんは、穏やかで、聞き上手な人でした。いただいた原稿に、最も思い出したくない思い出として、教師になって3年目の卒業式のことが書いてありました。竹内君の名前が言えなかったということでした。「テッカ巻」を食べ損なうとも書いてありました。
 この徳田さんの原稿を読んでいた、僕の知り合いの中学校の教師が、やはり初めての卒業式を控えて、呼名が不安になり、僕に電話で相談してきました。そして、徳田さんと話をしたいと言ってきました。電話番号を教えたら、早速電話をして、いろいろと話を聞いてもらったそうです。そのときのことを、その教師は、こんなふうに書いています。

 
(前略)不安が最高潮に達したのは、卒業式を一週間後に控えた頃だった。宵の口にすっと寝付いたものの、1、2時間ほどで目覚めてしまう。その後、卒業式のことが繰り返し繰り返し脳裏に浮かんできて眠れなくなる。寝床の中で、神経が高ぶっていく。眠りたいけど、眠れない。そんな時がだいぶ続いた後、起き上がり、昨年8月の「スタタリング・ナウ」を探した。石川県教育センターの徳田健一先生が寄稿された文章を読むためである。
 最も思い出したくない、教師になって3年目の卒業式。「タケウチ」のタが出てこず、苦心してようやく読み上げたという体験を綴った文面だ。これまで大阪吃音教室や吃音ショートコースで卒業式でそんな体験をした教師がいるのは聞いたことがあった。どうしても名前が出てこず、教頭が代わって読み上げていたことが自分の学生時代にあったと言っていた人もいた。しかし、文章で読むというのは初めてだったので、印象深かった。(中略)
 徳田先生の卒業式の体験を、もう一度、真夜中に読み返した。声が出なくなった場面が克明に記されている文面を2、3度読んだ。読み返しながら、ふと、この後、どうだったのかと、それを知りたいと思った。その夜は、朝まで眠ることができなかった。
 (中略)考えていると、ますます気はめいる。たまらなくなって、自分の気持ちの弱さに半分腹を立てながらも、伊藤伸二さんに電話をしていた。今の自分の不安を、誰かに訴えずにはいられなかった。このままの状態で、明日という日を迎えたくなかった。(中略)ひとしきり、そのときの不安を聞いてもらって、私の心は少し落ち着いたと思う。自分自身が乗り越えねばならない辛さだが、温かく包み込むように不安な思いを受け止めてもらって、宙をさまよっていた魂がようやくどこかに着地できたような感じだった。そして、石川県の徳田先生と話してみたいと相談した。(中略)
 夜分に全く面識のない人のもとへ、しかも本人が最も思い出したくないことと記されていることを尋ねることに多少のためらいを感じはしたが、厚かましくもすぐ徳田先生に電話をかけた。初めて話をする人にもかかわらず、私の不安な思いを受け止めていただき、また、ご自身のことも、率直に話して下さった。あの卒業式の後、同僚も生徒もみんな気を遣ってくれたのか、誰からもそのことについて触れられることはなかったと。そして、不安でいっぱいだというあなたの言葉は素直で、前に向かっていこうとする明るいものがあると言って下さった。この一言で、随分吹っ切れたような気がする。怖いけど、前を向いていこう。たとえどもったとしても、これからのためにもしっかり目を開いて自分を見よう、と。(後略)


 夜分遅い時間の、初めての人からの電話にも、丁寧に温かく対応して下さった徳田さん。徳田さんらしいエピソードだなあと、改めて思いました。最初に僕を金沢に呼んで下さったのは、同じ九重のエンカウンターグループに参加し、意気投合した当時の相談課長、関丕(ひろ)さんで、次いで課長になった徳田さん、そして次の課長へと。ずいぶん長い間、石川県教育センターとのつきあいが続いたことになります。改めて不思議なつながりに感謝しています。とても寂しいです。心からご冥福をお祈りします。
 徳田さんから寄稿いただいた「スタタリング・ナウ」の原稿は、明日、紹介します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/2/29

PRISON CIRCLE プリズンサークル・監督 坂上香(2)

言葉を、感情を、人生を取り戻していく

 小学2年生の秋から吃音に悩み、学校に居場所がなくなった僕にとって、家庭は安全で、安心できる場所でした。ところが、中学2年生の夏に、僕が吃音を治そうと大きな声で発声練習をしていたとき、「うるさい、そんなことをしても、どもりが治るわけないでしょう」の母親のことばに、強い怒りがこみ上げ、母親をののしって家出をしました。その時から、学校にも家庭にも居場所がなくなり、勉強をまったくしなくなり、夜の町をさまよっていました。唯一の居場所が映画館でした。何度も教師や警察にも補導されましたが、夜の町をさまようこと、映画館に入り浸ることはやめられませんでした。悪い仲間がいたら、僕は確実に犯罪者になっていただろうと思います。僕の通っていた、三重県立津高等学校の近くに、少年鑑別所がありました。僕は、ここに入ることになるのかもしれないとの不安や恐れをずっともっていました。
 そんな経験があるので、少年院や刑務所に、他の人とは少し違う思いを持ち続けていました。そのため、この映画は、とても他人事とは思えずに見ていました。また、僕たちのセルフヘルプグループの活動に似た部分にも共感できました。

プリズンサークル 舞台となった刑務所は、島根県にあります。島根あさひ社会復帰促進センターの簡単な紹介を、パンフレットから抜粋します。

 
島根あさひ社会復帰促進センターは、官民協働の新しい刑務所だ。警備や職業訓練などを民間が担い、ドアの施錠や食事の搬送は自動化され、ICタグとCCTVカメラが受刑者を監視。しかし、その新しさは、受刑者同士の対話をベースに自分の侵した犯罪に向き合うことで、子どものころ虐待や育児放棄などの自分自身の過去とも向き合う。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、哀しみ、恥辱や怒りといった感情。これまで封印したきたこれらのことを表現する言葉を獲得していく。とても一人でできることではない。系統的なプログラムがあり、心理療法などの教育、訓練を受けたスタッフがいることで、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムが導入できている。4万人の受刑者の中で、希望者から選ばれた40名の仲間がいる。TCユニットと名付けられた、島根あさひの教育プログラムは、「サークル」と呼ばれる円座での対話から始まる。


 プリズンサークルのプログラムと、4人の受刑者がプログラムの中で、どのように変化して行くかを丁寧に追っていくこの映画は、セルフヘルプグループの活動に関わる人、様々な生きづらさを抱えている人に、是非見て欲しいと思いました。
 全体での大きなグループの話し合いと、小さなグループに分かれての話し合いがあります。ロールプレイやサイコドラマの手法を使うところもあり、いろんな意味で、僕たち、どもる人のセルフヘルプグループのミーティング、大阪吃音教室にかなり似ていると思いました。
 安心できる場の中で、一人が語るのを聞き、このように自分も語ればいいのかと、今まで話さなかった人が語り始める。犯罪を犯した刑務所の受刑者が、ここまで自分を語り、自分の罪に向き合うことができるとは思わないでしょう。自分に向き合う姿に、目を見張らされます。よくこのようなドキュメンタリー映画を作ることができたものだと、心からの敬意の気持ちがわいてきました。
 
 全体で話すときは、支援員と呼ばれる人がファシリテーターとして入りますが、小グループにわかれるときは、メンバー同士で話し合いがすすみます。エンカウンターグループのようでもあり、サイコドラマや当事者研究のワークのようでもあり、僕にはなじみのある場面がたくさんありました。登場する受刑者たちのことばは、確かにその人自身のことばであり、深いものでした。
 被害者の気持ちを考えるために、加害者と被害者の役割を交代して、対話をしていくシーンがありました。他の受刑者たちも、補助自我として入ります。自分が犯した事件なら、そこまでつっこめないだろうなと思うくらい、被害者としての思いを加害者である受刑者にぶつけているのが印象的でした。自分のことならつい甘くなってしまうのを、他人のことだとかなり厳しく突っ込んでいきます。その厳しい突っ込みはやがて、自分のこととしても受け取っていくのです。
 もうひとつ印象的だったのは、刑務所の外でも、この語り合いが続いていたことです。出所したTC修了者によって、3ヶ月ごとに集まっているシーンがありました。出所後の生活、どんな気持ちで毎日を過ごしているか、ひとりひとりが話します。周囲がもう少し温かい目で見ることができたら、社会の不寛容さがもう少し減ればと思うことが多いのですが、こうして、つまずきかけている人の話を、同じ訓練修了生の先輩たちが聞き出し、共感しながらアドバイスしているのはいいなあと思いました。ときに厳しく、ときに温かく、メンターの役割を果たしているのでしょう。

 4人の幼い頃の回想シーンは、砂絵のアニメーションで、やわらかくリアルに表現されていました。安心・安全な刑務所の中で初めて自分のことを、自分の被害経験を、そして自分の加害経験を語る姿に、今までの彼らの人生の中で、ちゃんと聞いてくれる人がひとりでもいたら、生きる道は変わっていたのではないかと思いました。

 この映画へのコメントを、パンフレットから一部紹介します。

 加害性だけを自覚し、強い意志で新しい生き方を目指そうとすることは、必ずしも罪を償うことにつながらない。むしろ、蓋をしてきた痛む過去を受け入れ、受け入れられることで、はじめて加害の意味に気づく。傷ついていた、という認識は、傷つけていた、という認識に先行するのだ。償うことは、過去を清算することではなく、過去とともに生き続けることだということを、この映画は教えてくれる。(熊谷晋一郎・東京大学先端科学技術研究センター准教授/医師)

 
円(サークル)を作って、語り合う。それだけのことができない今の日本社会。その縮図ともいえる刑務所(プリズン)での、貴重な治療的試みが記録された。
 受刑者たちの過酷な子ども時代の傷を、砂絵が優しさと切なさで包み込んでくれる。加害者がみな被害者だったわけではない。だが、人として村長される経験こそが、結局、人を尊重することにつながるのではないか。そう強く感じた。(宮地尚子・精神科医/大学教員)

 
人の苦しみがすべて他者との関わりから生まれるのなら、それを癒やすのもまた他者との関わりでしかあり得ない。他者と関わる手段は「会話」であること、暴力へのカウンターは「言葉」であることに改めて思いを巡らせました。全刑務所でTCが導入されればと思います。(ブレイディみかこ・ライター)


 この映画との出会いを作ってくれた小冊子『くらしと教育をつなぐ We』で、監督の坂上香さんへのインタビュー記事が掲載されていました。そのしめくくりで、「この映画をどんなふうに観てもらいたいですか?」の質問に、坂上さんはこう答えています。
 
「他者の本音に耳を傾けることで、言葉を、感情を、人生を取り戻していく−彼らの言葉に、じっと耳を傾けてみてください。劇場でできるだけ観てもらって、劇場がない地域では自主上映をすすめて。いろんな人に観てほしいですね。そして映画を観て感じたことを話し合ってほしいと思います」


 僕も、多くの人に見てほしいと思います。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/2/27

PRISON CIRCLE プリズンサークル・監督 坂上香(1)

   不思議な向谷地生良さんとのつながり

プリズンサークル 明るいフローリングの空間に、きれいに円く並べられた黄色の椅子。映画「PRISON CIRCLE」のパンフレットの表紙は、そんな明るいものでした。
 日本初となる刑務所内の長期撮影には、大きな壁が立ちはだかり、取材許可が降りるまでに6年間を要したとありました。当然のことと思いました。窃盗や詐欺、強盗傷人、障害致死などで服役する人の刑務所での日常生活を撮影することは、想像するだけでも大変なことです。でも、そこで描き出されていたのは、4人の若者の、新しい価値観や生き方を身につけていく姿であり、その変容は、僕が50年以上取り組んできた吃音をめぐるたくさんのどもる人やどもる子どもたちの変容と、どこかで必ずつながっていると思わせるものでした。
 映画のエンドロールに出てきた撮影場所が、島根県浜田市の刑務所でした。最初にも紹介されていたのかもしれませんが、気づきませんでした。びっくりしました。

 映画について書く前に、おもしろい人と人とのつながりを書きます。
 北海道浦河の「べてるの家まつり」に、古くからつきあいのある、統合失調症の青年のお母さんと行った時です。TBSのディレクターで、僕たちの吃音親子サマーキャンプなどを取材し、「報道の魂」というドキュメンタリー番組を制作し、TBSのニュースバードでも放送して下さった斉藤道雄さんが、浦河にあるご自宅の食事会に招待してくれました。その時に出会ったのが、向谷地生良さんのご家族でした。
 そのとき、僕たちのワークショップに講師として来ていただけないかと依頼しました。そして、それが実現し、翌年の吃音ショートコースという滋賀県で開催したワークショップに来ていただきました。その記録は、『吃音の当事者研究−どもる人たちが「べてるの家」と出会った』(金子書房)として出版しています。向谷地さんの当事者研究の講義や、僕との対談、どもる人の当事者研究の実際が収録されているものです。

 斉藤道雄さんが紹介してくれた隔月刊雑誌『くらしと教育をつなぐ We』(フェミックス)の224号 2月/3月号に、プリズンサークルのパンフレットが同封されていました。「言葉を、感情を、人生を取り戻していく」のタイトルで、ドキュメンタリー映画「プリズンサークル」の監督、坂上香さんのインタビューが掲載されています。その記事を読まないままに、明るいフローリングの空間に、きれいに円く並べられた黄色の椅子の写真に惹かれて、上映映画館を探して、タイミングよく見ることができました。
 
 映画が終わり、エンドロールで、舞台になっているのが島根県浜田市の「島根あさひ社会復帰促進センター」だと気づきました。僕は、どもる子どものキャンプ、島根スタタリングフォーラムを21年続けていますが、その会場は、ここのところずっと浜田市です。
 ある年、実行委員である、島根県のことばの教室の教員10人ほどと、翌日からのフォーラムの打ち合わせを、浜田市のポークレストランとして有名な「ケンブロー」でしていました。ついたての仕切りの向こうにいる、別のグループが話している声が、ちらちらと聞こえてきます。精神医学や臨床心理学で聞き慣れたワードです。僕たちの方が先に終わったので、帰るとき、そのグループを覗いてびっくりしました。向谷地生良さんでした。
 「北海道の向谷地さんと大阪の伊藤が、島根県のレストランで出会う確率は天文学的数字ですね」と笑い合いました。どうして、ここにいるのかと聞くと、浜田市にある刑務所、島根あさひ社会復帰促進センターで職員研修の講師として来ていたとのことでした。僕は、すでにここで、映画に出てくるミーティングのスタッフに出会っていたことになるのです。
グループのミーティング、当事者研究、どもる僕たちがしているミーティングと似ていると感じたのは、そのためだったのです。
 人と人との不思議な出会いを思います。その後、向谷地さんとはオープンダイアローグの研修があった駒沢大学からかなり離れたインドレストランで会ったり、今年の1月には羽田空港で会いました。握手をしながら、「不思議に会うねえ」と笑い合いました。

 肝心の映画については次回、紹介します。

 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2020/02/25

日本吃音臨床研究会と共に活動する大阪スタタリングプロジェクトの運営会議

大阪スタタリングプロジェクトの運営会議
   〜2020年度の吃音をめぐる活動を話し合う〜


運営会議1 2月15・16日、大阪吃音教室を毎週開催し、どもる人のセルフヘルプグループである、大阪スタタリングプロジェクトの、2020年度の活動に向けた運営会議が行われました。以前は、宿泊して2日間していましたが、最近は、日帰り2日間になっています。
 仕事の都合で両日参加が難しい人もいますが、延べ22名が参加して話し合いました。
 最初は、この1年間の振り返りです。自分が担当した講座のこと、参加した講座で心に残っていること、プライベートなことなど、何を話してもいいということでスタートしました。忘年会と同じで、ところどころにつっこみが入り、思いついたことを外野が自由に発言するので、あちこちで脱線します。脱線しながら、ゆったりとした流れの中で、運営委員のメンバーの1年間を振り返ることができました。事務的にスケジュールを決めるのではなく、このような時間を大切にするのが、会長の東野晃之さんの方針です。
 セルフヘルプグループの例会、大阪吃音教室の中では聞かれない、その人の社会的な活動や生き方を聞くことができる、豊かな時間になりました。
運営会議2
 その後、年間スケジュールの計画です。大阪吃音教室の講座の柱は、次の3つです。
ゝ媛擦亡悗垢觜嶌
 吃音の原因、これまでの吃音治療の効果と限界など、つきあう相手、つまり吃音そのものについて学びます。
▲灰潺絅縫院璽轡腑麈塾呂鮃發瓩襪燭瓩旅嶌
 吃音そのものは完全に治らなくとも、人と楽しくコミュニケーションすることはできます。その能力を伸ばすために、話す、読む、聞く、書くの総合的なトレーニングを行います。
自分を知り、よりよい人間関係をつくるための講座
 ちょっとした自分への気づき、他者への気づきでも、人間関係は変わります。交流分析、論理療法、アサーティヴ・トレーニングなどの考え方を応用して、よりよい人間関係をつくるにはどうすればよいかを学びます。
運営会議3
 毎週金曜日、かなり長くかかわる人もいますが、その人たちは、「飽きない」と言います。同じテーマでも、参加者が違い、担当者が違うと、そこで展開される話は変わってきます。そこに、参加している人の人生が現れるから、飽きることなく、参加を続けていると言います。僕が54年も、この活動を続けているのも、同じです。どもる人の声を聞き、生き方に触れ、刺激を受けています。
 今回、講座名は少し変化をつけようという意見が出て、キャッチコピーを考えました。入門、実践などとしていた連続講座も、「入門、実践」ということばをやめ、どこからでも参加できるようにしました。1、2、3などの数字も外しました。スケジュールが決まったら、担当者です。次々に手が挙がり、担当者の空欄がうまっていきます。担当すると、勉強するし、担当した者が一番得をすることを、みんなよく知っています。

 大阪吃音教室がこれまでのセルフヘルプグループの例会から、吃音教室と名前が変わる例会に変わったのは、1987年、世界大会の翌年です。その年は、45回ほどの年間の講座の全てを僕が担当しました。それまでのミーティングとは全く違う内容に変えたからです。それから、33年が過ぎ、僕の担当するのは、今年は4つくらいでしょうか。

 新しい提案もなされました。「新生」の編集の担当も決まりました。4月からは、会場も変わります。これまで長くお世話になった應典院の一般利用停止に伴い、アネックスパル法円坂が、新しい会場になります。
 いつもの時間、いつもの場所で、会い続ける、というセルフヘルプグループの基本を常に大切にしながら、2020年度の大阪スタタリングプロジェクトの活動がもうすぐ始まります。
 どもりながら豊かに生きることができることを自らの生き方で発信し、どもって生きることの意味を味わいながら、日本吃音臨床研究会と大阪スタタリングプロジェクトは、共に歩んでいきます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/2/23

どもる当事者、生きる当事者

吃音は普遍的なテーマ

東京ワーク みんな2 新しい年を迎えたとばかり思っていましたが、早、立春が過ぎてしまいました。暦の上では春ですが、どうも、明日あたりから今季最強寒波がやってくるとか、天気予報で言っていました。少し暖かかったので、寒さが応えるでしょう。新型コロナウイルスによる肺炎のニュースも続いています。皆さん、おからだ、大切に。

 1月13日の第8回東京吃音ワークショップのスタート、僕は、こんな話をしました。前から用意していたものではなく、参加者の輪の中に座り、ふと出てきたことばをつないでいったものです。

 
緊張しますね。
 1965年、今からもう54年前のことですが、僕は、どもりを必ず治る、治せると宣伝している東京正生学院に、治ることを期待し、治せると信じて行きました。30日間の合宿生活でした。東京正生学院に行けば、僕の人生は変わると思っていました。
 僕は、小学2年生の秋から21歳まで、吃音に悩んで、逃げてばかりの生活をしてきました。どもりと向き合うことからも、勉強することからも、人間関係からも、全て逃げて、どもりさえ治れば、これさえなくなれば、僕の人生は変わると思っていました。そんなに苦しくてつらくて大変だったのに、なぜ今まで生きてこられたのかと質問をよく受けます。きっと、どもりのままでは死にたくない、どもらなくなっている自分の姿を見たい、そんな思いがあったんじゃないかなと思います。それだけ、どもりを治す、治したいということにこだわり、憧れて、生きてきたのだと思います。
 そうだったはずなのに、僕は、東京正生学院を前にして、その中に入れませんでした。ここに入ってしまったら、自分のどもりを認めてしまうことになる、それは嫌だ。どもる人と仲良くなりたくないし、ほかの人のどもる姿も見たくない。そんな思いがわいてきて、入れません。不思議な感じでした。それで、東京正生学院の敷地をぐるぐると何回も何回も回っていました。警察官に不審者と間違えられるくらい、1時間か、1時間半くらいか分からないけれど、ぐるぐると回っていたような記憶があります。
 でも、やっと意を決して入ったら、そこは天国でした。大広間にいた20人くらいの人たちが、一斉に、どもりながら、「どこから来たのか」「何をしているのか」と声をかけてくれました。あれだけ嫌だったどもりなのに、どもりということばも、人がどもっているのを聞くのも嫌だったのに、そこでどもりながら話しかけてくれることばがからだに滲みてきて、僕も、どもりながら話していました。そのときのなんともいえない、包み込むような安心感を未だに覚えています。
 それからいろんなことがあって、今に至っているのですが、今日、ここへ来られた皆さんも、申し込んだ時点から今日まで、そして、今日、ここへの道すがら、いろんなことを考えながら、来られたことだろうと思います。
 僕たちは、大阪でどもる人の集まりである大阪吃音教室を開いていますが、その存在を新聞などで知った人が、なかなか来ることができず、2年、3年、4年かけてやっと来ることがあります。くしゃくしゃになった昔の新聞記事を持っている人もいます。それを見ると、いろいろな思いを持って、そして意を決して参加されたのだなと思います。自分の劣等感やしんどい思いをしてきたことに向き合うというのは、簡単ではありません。本当にしんどいことだろうと思います。私が経験してきたから、そう思います。
 その中で今日、それぞれの思いは違うと思いますが、意を決して、皆さんは来て下さいました。大阪吃音教室には、どもらない人も参加します。なぜかというと、吃音というのは、人間が生きる上での普遍的なテーマを持っているからです。それは、コミュニケーションであったり、ことばであったり、自分の価値観であったりします。吃音を通していろんなことが考えられます。そういう意味では、私たちひとりひとりは、どもる当事者であり、生きる当事者と言えます。みんな生きる当事者です。今皆さんが参加している、東京ワークシヨップには、どもらない人もいますし、ことばの教室の教員も言語聴覚士も保護者も、吃音とは一切関係ない人もおられます。それぞれの立場は違いますが、その中で、この時間、吃音を通して、生きることやことば、コミュニケーションについて、共に考えることができたらいいなあと思います。
 よろしくお願いします。では始めましょうか。


 どもる当事者と、生きる当事者。ふと出てきたことばですが、まさにそのとおりだと思います。吃音の持つ深く大きいテーマは、普遍的で、生きることと直結しています。だから、僕は、吃音にこれだけ長く関わり、追い続けているのだと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/2/5
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