伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2020年01月

吃音が治った喜びの舞と、土佐の名字を与えられたことの歓喜の舞

 「傾城反魂香」 文楽と歌舞伎の、吃音をめぐる最後の場面の違い
 
文楽 傾城反魂香3 2020年1月17日10時半過ぎ、開場より少し遅れて中に入ると、たくさんの人がすでに会場にいました。平日の昼間、さすがに年齢層は高いのですが、この伝統、文化を大切に守ろうとしている人がたくさんいることを知り、ほっとしました。劇場でも、資料館に文楽の歴史や資料を展示したり、子ども向けのパンフレットを用意したり、人形を置いておいて動かすことができるようにしていたり、その様子を写真撮影する手伝いをしたりと、いろいろと工夫されているようでした。

 ちょうど、六代目竹本錣(しころ)太夫の襲名記念だったようで、サイン会が行われていました。僕もパンフレトを買っていたので、サインをしてもらいました。パンフレットの中に、これまで錣太夫を名のった人の紹介がありましたが、最初は天保11年生まれ、明治16年没の豊竹錣太夫でした。ここでも、歴史の重みを感じました。伝統、文化の継承は難しいと思いますが、人形遣いの人の中にも、太夫や三味線を弾く人の中にも、比較的若い人がおられました。引き継いでいってほしいものです。

 昼間の演目は、3つ。正月らしい華やかな、にぎやかな話が選ばれているようでした。
 その中の『傾城反魂香』を楽しみにしていたのです。

 あらすじは、次のとおりです。

  『傾城反魂香』は、『ども又』とも呼ばれ、どもる夫の絵師又平とそれを支える妻、お徳の夫婦愛が主題です。いくら又平がどもっても、人一倍口の立つお徳が通訳のようにしゃべるので、又平の悩みはともかく、日常生活に困ることはありません。二人三脚の仲のいい夫婦です。
 弟弟子が、土佐の名字を授けられ、免許皆伝の書を与えられるが、又平は師に認めてもらえず、与えてもらえない。妻のお徳と共に、師に土佐の名字を与えて欲しいと頼み込むが、聞き入れられません。又平は、人がよく、絵の腕は抜群ですが、吃音のうえにあまり欲がない。せっかくの腕を持ちながら、東海道を旅する旅人たちに土産物になる絵を描いて生計を立てています。そんな弟子に師は覇気がないとみなして許可しないのです。
 絶望した又平は死を決意して、この世の名残に絵姿を描き残そうと、手水鉢(手を洗う石の鉢)を墓標に見立てて自画像を描きます。それが、石を通して裏側にまで突き抜けていたために、師は、又平の筆力を認め、土佐光起の名を与えます。師から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は大喜び。又平は喜びの涙に暮れ、お徳の鼓に合わせて、心から楽しげに祝いの舞を舞います。

 この歓喜の舞が、傾城反魂香のクライマックスですが、歌舞伎と文楽は全く違ったものになっていました。
 絶望の悲しみから、土佐の名字を与えられた歓喜にかわる、その祝いの舞が大好きなのですが、文楽では、改作されていました。仏像を二つに切り病を治したという故事にならって、師匠が手水鉢を二つに切り分けると、又平の口からは、師匠への感謝のことばがなめらかに出るようになりました。そして、吃音が治ったことの歓喜の舞になっていました。
 僕は、文楽のこの終わり方より、歌舞伎の終わり方のほうが、断然好きです。片岡仁左衛門と中村吉右衛門の歓喜の舞は、いつまでも僕の中に残り続けています。

 解釈の違いはあれ、近松門左衛門の時代からあった「吃音」や「吃音の苦しみ」。長い歴史を思います。その長い歴史を、どもる人は、どもりながら生きてきました。どもる人がどもりながら生きることの意味が、この世の中にはあるということなのだろうと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/28

吃音が文楽の初春公演で 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)

吃音と文楽 傾城反魂香

 国立文楽劇場開場35周年記念の初春公演の演目のうちのひとつに、「傾城反魂香」がありました。歌舞伎では、東京では片岡仁左衛門、中村吉右衛門の舞台。大阪では中村鴈治郎襲名興行の時と3度見ました。そのことは、以前にもこのブログで書きましたが、文楽では初めてです。又平がどもるところをどう表現するのだろうか、とても興味があり、楽しみにしていました。私の感想は次回に回し、初日の舞台を見たNPO法人大阪スタタリングプロジェクトの会長、東野晃之さんが、機関紙「新生」の一面記事に、「文楽の吃音」とのタイトルで文章を書いているので、本人の了解を得て紹介します。
文楽 傾城反魂香1
     
文楽の吃音
              大阪スタタリングプロジェクト会長 東野晃之
 1月3日初日の初春文楽公演を観に行った。この日は国立文楽劇場前で恒例の鏡割りがあり、文楽の人形が樽酒を振舞い、参加者を迎えるのが風物詩となっている。観劇の目当ては、どもる絵師の又平が登場する傾城反魂香(けいせいはんごんこう)。近松門左衛門の戯曲として歌舞伎の有名な演目で以前から「吃音がどう描かれ、表現されるか」を一度観たかった。また人形浄瑠璃の文楽でどう表現されるか、人形や太夫の演技に好奇心はそそられた。
 あらすじは、家貧しく、どもることでうだつが上がらない絵師の又平が、弟弟子に免許皆伝の先を越され、師匠の名字を許されたのを知り、妻おとくと師匠に願い出るが叶えられない。又平は絶望のあげく自害して死後の贈り名を願い、師匠の屋敷の手水鉢に一念をこめて自画像を描くと奇跡が起こり、筆の勢いが石の厚みを通って裏に抜け出た。その絵が師匠に認められ、名字を与えられる。最後に仏像を二つに切り病を治したという故事に倣って手水鉢を二つに切り分けると又平の吃音が治り、口からことばが滑らかに出る。太夫の語りにどもりということばが飛び交い、どもる又平のセリフは連発の吃音で表現された。人形の動きも連動し、揺れていたようだ。どもる又平と対照的によく口の回る妻のおとくは、又平のことばを代弁した。師匠に名字を願い出る場面で又平がおとくを先へ押し出し背中を突くと、おとくは心得て又平に代り切々と話すところに夫婦の一体感がよく伝わった。
 どもる人は、話す場面でそれぞれ自分なりに話し方や会話の工夫をしている。どもりそうなことばの前に「あの〜」、「え〜」などを付けたり、人によって「あのですね〜」とか、「なんというか〜」などのバリエーションもあるが、繰り返したり、名前や何でもないことに付けたりすることで不自然な場合もある。会話や特に人前でのスピーチでは、一般的に起承転結で話を構成するが、どもる人の場合は先に結論を話してから理由などを添える方が話しやすい。話の前段でどもってあせり、わけがわからなくなった失敗の経験から何を言いたいのか、先に結論を言ってしまうと安心だからだ。どうしてもことばが出ないときは、又平がおとくを頼りにしたように、誰かに代わってもらうのも吃音とつき合う選択肢である。
 文楽としての傾城反魂香は250年以上前に改作し、上演されてきた。「節(ふし)のあることは少しもどもらない」、「らりるれろ。まみむめも」と発声をして吃音の状態を確かめるなどのセリフや場面に昔も今も変わらない吃音の歴史を思った。どもる人の悲哀とそれでも捨てたものではない世の中を描く文楽を観て、吃音との付き合いがぐんと身軽に感じられた。
                「新生」NO.526号 2020年1月18日発行
 

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/26

吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップin東京

いい聞き手がいるところで、人は語ることができる

 8回目となる東京でのワークショップ。吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップの名前のとおり、しっかり真剣に自分と、吃音と向き合った1日ワークショップでした。
 今回の参加者は、17名でした。
東京ワーク 伸二1 「ストレスや苦手とつきあうための認知療法・認知行動療法」(金子書房)の本を何度も読んで、会いたいと思っていたところ、ブログで東京ワークショップのことを知り参加した人。吃音のために諦めてきたこれまでの人生を振り返り、どもりに左右されずに生きたいとメールで申し込んできた人。
 ワークショップ直前にメールでの問い合わせがあり紹介したら即参加を決めた小学校教員をしている人。場数を踏んでもどもることの恥ずかしさは消えず、失敗だけを覚えていて自信がない、でもなんとかこの状況を抜け出したいと考えている人。小学5年生のときから吃音親子サマーキャンプに参加し、今は幸せに生きているが、将来の息子のことを考えたくて参加した人。学童期・思春期のどもる子どもたちへの支援の在り方を考えたいと申し込んできた当事者であり言語聴覚士をしている人。など、全国各地からの参加でした。
 最初は、簡単に自己紹介から始めました。いつだったか、この自己紹介だけで午前中が終わってしまったこともありました。それだけ、いろんな思いをもって参加して下さったのでしょう。今回はそうならないよう気をつけながら、ぐるっと一通り簡単な自己紹介してもらいました。
 このような場に参加すること、それ自体、とても勇気のいることだろうと思います。ホームページを見てもらえれば、僕は、顔も出しているし、どんなことを考えているのかも明確に書いているので、僕のことは大体分かって参加して下さるのだろうと思うのですが、それでも、どんな場になるか分からない、どんな人が参加しているか分からない所に来る、そのことにまず敬意を表します。僕はワークショップの冒頭に、僕自身が1965年にどうしても吃音を治したくて訪れた、憧れの吃音治療所である、東京正生学院の門を前にして、入れなかった事を話しました。1時間以上建物の周りをぐるぐる回って、ようやく決心して入ったのです。

東京ワーク みんな1 和やかで、温かい雰囲気の中で、どの人も率直に自分を語って下さいました。うなずいたり、笑ったり、拍手が自然と起こったり、そこには共感の輪が広がっているようでした。初めて参加した人も、たくさん語って下さいました。それは同時に、参加している人たちが、真剣に話に耳を傾けるいい聞き手であったことを表しています。いい聞き手がいるところで、人は語れるのです。
 今回は、僕と誰かひとりが前に出て、対談のようにして公開面接をするという形はとらず、円くなったままで進めました。初めて参加された方を中心に、ひとりずつと対話をしていきました。ある程度まとまった話をした後に、その他の参加者が自由に発言していきました。ひとりひとりの人生に触れることのできたいい時間が流れました。
 具体的な内容については、個人のプライバシーを守ることを慎重に考えながら、紹介したいと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/23

吃音と共に豊かに生きる、ふたりの青年の友情

吃音と共に豊かに生きる

 2015年まで、毎年秋には吃音ショートコースと名付けた2泊3日のワークショップを行っていました。各分野の第一人者を講師に迎え、講義だけではなく、ワークショップ・演習にこだわった合宿でした。
 映画監督の羽仁進さん、直木賞作家の重松清さん、芥川賞作家の村田喜代子さん、落語家の桂文福さん、からだとことばのレッスンの竹内敏晴さん、詩人の谷川俊太郎さん、アサーションの平木典子さん、論理療法の石隈利紀さん、交流分析の杉田峰康さん、劇作家・演出家の鴻上尚史さん、トランスパーソナル心理学の輊拆揺Г気鵝▲僉璽愁鵐札鵐拭璽鼻Ε▲廛蹇璽舛梁嫉垣擬さん、コメディアンの松元ヒロさん、笑い学会会長の井上宏さん、内観療法の三木善彦さん、人間関係論の村瀬旻さん、建設的な生き方(森田療法・内観療法)のデイビッド・レイノルズさん、当事者研究の向谷地生良さん、ゲシュタルトセラピーの倉戸ヨシヤさん、サイコドラマの増野肇さん、アドラー心理学の岸見一郎さん、認知療法・認知行動療法の大野裕さん、ナラティヴ・アプローチの国重浩一さん、福祉とエンパワメントの北野誠一さんなど、21年間続きました。「吃音を治す・改善する」ではなく、どう生きるかを考えるために、精神医学、臨床心理学、表現など、様々な分野から学んだのです。

 サイコドラマの増野肇さんが講師だったとき、関東地方から、横浜で開催した吃音相談会に保護者と一緒に参加したひとりの大学生が参加しました。横浜で最初に会った時は、両親の陰に隠れるようにしていた姿が印象に残っていました。その彼が、ひとりで、滋賀県での2泊3日の吃音ショートコースと名付けたワークシヨップに参加申し込みをしてきました。誰と同じ部屋にしようかと考えました。同じくらいの年齢の人、さりげない気遣いのできる人、そう考えて、僕は、大阪吃音教室に参加していたひとりの青年を選びました。川東さんです。川東さんには、初めて遠くから参加する彼を、ちょっとだけ気にかけてほしいとお願いしました。
 最終のセッションで、彼は、自ら希望して、増野さんのワークをしました。自分にとって大切なバイオリンをテーマにしたものでした。かなりどもる彼の話を、増野さんは丁寧に丁寧に聞き、サイコドラマのワークをして下さいました。

 彼のその後の活躍は、「スタタリング・ナウ」」(2015年1月 NO.245号)で、母親の手記とともに紹介しています。彼は日本の音楽大学を卒業後、国立ウィーン音楽大学・大学院に進学し、今はヨーロッパの著名な管弦楽団の楽団員として活躍しています。ニューイヤーコンサートで東京や大阪などの公演のためドイツから来日します。昨年はその招待状をいただいたのですが、毎年行う、吃音プロジェクトの合宿のために、ニューイヤーコンサートに行けず、彼に会うことはできませんでした。

 今年、僕たちは例年のように、1月11・12・13日は、東京で、吃音プロジェクトの合宿と東京ワークショップがありました。その直前に、川東さんから、FAXをもらいました。A4版の紙2枚にびっしり、几帳面な文字が並んでいます。

 
伊藤さん
 1月4日、日本での公演のために帰国した彼に招きを受け、今年も彼が所属する楽団のコンサートの大阪公演に足を運んできました。演奏中の彼の輝かしく立派な晴れ姿は、確保するのも大変だったであろう座席から、昨年同様の堂々たる演奏っぷりを角度的にもバッチリ拝むことができました。でも、今回、僕が一番お伝えしたかったのは、公演終了後に彼と過ごした時間に起きたできごとにあります。
 終演後、事前に約束していた待ち合わせの場所に行くと、何とお母様も待っていらして、「あなたが川東さんですか。話は聞いています。吃音ショートコースで最も仲良くなった友だちで、今も、やりとりが続く仲だとか…」という語りだしでの対面に、僕自身もいつかは一度はお会いしてご挨拶できればと思っていたので、うれしい遭遇でした。
 しかしながら、これは序章に過ぎず、本当の感動は、まだ先に待っていました。
 その後、ふたりっきりで、お茶する時間を設けたのですが、お互いにどもる度合いは変わっていないのに、いやはや彼の変化に、僕自身は驚きの連続でした。一言で言うと、積極性が増しました。話すことのみならず、何に対しても。
 喫茶店では、自分から店員に注文を依頼し、僕の分まで済ませてくれたのを皮切りに、まもなく大学院の卒業が迫り、学生ではなく社会人、つまり仕事としてバイオリンを続けていくんだという仕事に対する熱意や、ドイツに彼女がいて恋愛真っ只中である現状など、彼自身、たくさんのことを聞かせてくれました。このとき、いつの間にやら、完全聞き手となっていた僕の心の中はうれしくてたまりませんでした。
 実は伊藤さん、今やから明かしますが、9年前のショートコースの部屋割りで彼と同室となったあのとき、僕に対して少しずつ心を許してくれるにつれて、(たぶん彼自身、もう覚えていないと思いますが、)こんな本音を聞かせてくれていたんです。「これから将来、必ず直面する仕事や恋愛に関して、今は不安でしかありません」と。どこか自信なさげで、常に消極的な印象でした。
 それが9年経った今、あの当時の不安を払拭するがごとく、仕事や恋愛について、あんなにも強い意志を目の当たりにできたことで、この上ない感動を彼からもらったように僕自身は感じています。
 そして最後に、もうひと喜びがあったんです。
 お茶を終えて、彼を家族と楽団員の待つ場へ送り届けた折、再びお母様にご挨拶させてもらいました。偶然そのとき、ほんの少し彼が何かでその場を外したんですが、そのわずかな時の隙間にお母様がふと、「息子がなぜ、家族や楽団員との予定を削ってまで時間を作り、川東さんとの予定を優先させたのか、今日お会いして納得しました。今後ともよろしくお願いします」とおっしゃいました。僕は胸の中で、「なんともったいない。こちらこそよろしくお願いします」と、喜びをかみしめていたのを覚えています。程なくして戻ってきた彼とも、また必ずの再会を約束して、その場を後にしました。
 別れ際、ひょっとしたら来年はドイツでの活動が忙しく、日本公演に帰国できないかもしれないと聞かせてくれました。しばらく会えない、だからこそ余計に今回の再会に賭けていたのかと、全てに合点がいきました。
 重ねて、これは、彼とお母様の二人から「今回は忙しくて、お声をかけられませんでした。川東さんより、伊藤さんにくれぐれもよろしくお伝え下さい」との伝言をお預かりしていたので、このたびの出来事の報告も兼ね、FAXさせていただきました。
 同時に僕自身、9年前のショートコースで、彼と同室になったご縁に改めて感謝しております。ありがとうございました。
 また時間をみつけて大阪吃音教室等に出向けたらと思います。
                                 川東


 21歳のとき、どもる人のセルフヘルプグループを作ってから、僕は、たくさんのどもる人、どもる子どもたちに会ってきました。おそらく世界中で一番たくさん出会ってきただろうと思います。いろいろな人がいました。印象深い人もたくさんいますが、今回紹介したふたりも、印象深い人です。あのときの出会いが日本とドイツと遠く離れながら、こうして今も続いていること、本当に奇跡のようです。二人がお互いに、人を大切に思い、出会いを丁寧に意味づけ、つながりを大切にする人だったからでしょう。こういうことがあると、活動を続けてきて本当によかったと思います。
 今年が、こんないい話でスタートしました。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2020/1/21 

新年恒例「どもりカルタ」で、2020年の大阪吃音教室が始まりました

大阪吃音教室 新年恒例「どもりカルタ」

 病気や障害を生きることにとって、「笑いとユーモア」はとても大事な事だと僕たちはずっと考えてきました。2005年には、「笑いとユーモアの人間学」として、3日間のワークショップを開きました。そのとき来ていただいた笑い芸人、松元ヒロさんとは、いまだにつきあいが続き、時々東京まで、舞台を見にいっています。笑いとユーモアの具体的な取り組みとしての「吃音川柳」は、ずっと講座として続いています。そして、新たに始めたのが、「どもりカルタ」でした。この取り組みは、『学習・どもりかるた』の制作に結びつき、どもる子どもの学習用として販売されています。全国のことばの教室の実践として、広がっています。
教室 かるた ホワイトボード教室 かるた みんな 18人の参加者が4つのグループに別れて、読み札を考え、それに合う絵札を描いた後、全員で読み札を味わいました。これで14回目となるのに、ネタ切れにならないのが不思議であり、凄いです。それだけ、吃音は深いテーマであるとの証明でしょう。
教室 かるた かるたのみ 教室 かるた かるたとり1教室 かるた かるたとり2最後の15分間は、童心に帰ってカルタ取りをしました。読み札を作ったグループでの対抗戦、本気のバトルに取り組みました。床に並べられたカラフルな絵札を、ダイブするようにして取る人あり、幸運にもすぐ足元の絵札を、そっと静かに取る人あり……。「これだけはとりたいと狙っていた」など、それぞれに作戦があったようです。
 大阪吃音教室の新年は、こうして始まりました。読み札を紹介します。

あ あけまして 今年も一年 どもりと共に
い 言いたいことは はっきり言おう どもっても
う 嬉しいような いらないような その気づかい
え 選ばれた 百人にひとり このわたし
お 大人になれば 思い続けて はや大人
か かっこよくどもれば 聞き手が 聞きほれる
き 緊張を 飲み込んでいこう 発表に
く くり返す ことばのリズムが 私流
け 携帯の 着信音に ドキッとする
こ こんにちは コココとどもって ニワトリか
さ さっさと言えと言われても そうはいかないどもりかな
し 死ぬまで 毎日 どもりたい
す すっと言えた なんでだろ
せ 先生の指名の声 どきどきしてる国語の本読み
そ そ―っと発音してみても やっぱりどもるよ 本番は
た 大変だ どもりが治って ただの人
ち 超ゆっくり 話し続けて 二十年
つ ついに来た!? どもる僕らの 夜明けは近い
て てんしんめん へんしんめんでも 通じるよ
と 堂々と 今なら言える 「どもりです」
な 何度でも 言い換えできて どもりは とても楽しいな
に にっこり笑って 愛嬌で逃げる どもりかな
ぬ ヌンチャクで 随伴運動 どもらない
ね ネパール人も どもってる
の 残ってることばがないぞ 言いかえできない…!
は 春となり 自己紹介の 季節来る
ひ 必死になると 余計に出ない この出だし
ふ 二日酔い どもりの不調 輪をかけて
へ へんとうせん 腫れて当番 まぬがれる
ほ ほっとした あなたもどもり 同じだね
ま まねしても どもりにならない 歌舞伎役者
み みんないい みんな違った どもり方
む 無理をして 治してみたって ただの人
め メカのよ(う)に 一定間隔 しゃべりたい
も もっとゆっくり話したら 何度も聞いた 嫌なことば
や やまもっさん 本当は言いたい やまもとさん
ゆ 夢の中 どもり忘れて 拍子ぬけ
よ よう来たね どもりのワンダーランド 大阪吃音教室
ら ラブレター 書く手が どもって ふるえてる
り 理不尽だ 「どもり治せ」は 無理なこと
る 留守番電話 何度も録音しなおす どもる私
れ レッツゴー どもってもどもらなくても 行け行けドンドン
ろ ロシア人 ドーピングしても どもります
わ 湧いてきた ことばを何度も 飲み込んだ

どもりカルタ ランダムな並び 『学習・どもりカルタ』は、送料込み1200円。子どもたちが考えた読み札に、どもる子どもの親が、かわいい絵札を書いてくれました。カラー印刷の素敵なカルタです。日本吃音臨床研究会にご注文いただければお送りします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/19

大阪吃音教室が、NHKで全国放送される日が変更。15日ではなく、22日です。


大阪吃音教室が、NHKで全国放送されるのは、22日です

 先日、このブログで、大阪吃音教室の活動が、「おはよう日本」で放送されるとお知らせしましたが、昨日連絡があり、放送日が変更になりました。
 15日は、阪神大震災関連のニュースが多くなるとのことで、22日に変わりました。時間は変わりなく、22日(水)の朝6時半前後ということです。

 内容について、再掲載します。

 昨年は、珍しく、いろいろなメディアに取り上げていただきました。このブログでも何度か紹介していますが、朝日新聞が、第30回吃音親子サマーキャンプの3日間、密着取材をして、大きく取り上げて下さいました。

 その後、朝日新聞を見たNHK神戸放送局のディレクターが、大阪吃音教室を取材して下さって、兵庫県だけのローカルニュースとして流れました。そして、それが、「おはよう関西」に広がったのが、昨年12月9日でした。5分間という短いものでしたが、コンパクトにまとめられていただけに、どもりながら豊かに生きることができるという僕たちの思想が凝縮されていました。映像のもつ力の大きさを思いました。

 そして、新しい年を迎え、その「おはよう関西」の映像が、東京放送局から連絡があり、「おはよう日本」で全国にも流れることになったのです。兵庫県から始まり、関西に、そして日本へと広がっていくことになりました。

 当日のニュース内容によって、時間は少し前後するかもしれないということですが、 僕たちの仲間、大阪吃音教室のメンバーが登場します。ご覧下さい。お知り合いの方にお知らせいただけると、ありがたいです。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/14

ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』

ケン・ローチ監督作品『家族を想うとき』

 昨年末、「お帰りなさい、寅さん」の他に、もう一本映画を観ています。ケン・ローチ監督作品の「家族を想うとき」です。
 2016年、ケン・ローチ監督の「私はダニエル・ブレイク」を観た衝撃は大きいものでした。かっての華やかな大英帝国から想像もできない貧困問題を扱った作品でした。自分が食べることを我慢して子どもに食べさせていたシングルマザーのケイティが、フードバンクを訪れたとき、棚にあった缶詰を思わず開けて食べてしまう場面は、本当に衝撃的で胸が震えました。
 ケン・ローチ監督は一旦引退したらしいのですが、やはり撮らなければならないと思い、復帰したとありました。
家族を想うとき パンフレットから、引用します。

 2016年、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝き、日本でも大ヒットを記録した『わたしは、ダニエル・ブレイク』。この傑作を最後に、一度は表舞台から降りたケン・ローチ監督。だが、同作のリサーチ中に社会の底辺で目の当たりにした〈現実〉が彼の心の中に生き続け、いつしか〈別のテーマ〉として立ち上がり、どうしても撮らなければならないという使命へと駆り立てた。
 引退表明を撤回した名匠が最新作で描いたのは、グローバル経済が加速している〈今〉、世界のあちこちで起きている〈働き方問題〉と、急激な時代の変化に翻弄される〈現代家族の姿〉だ。2019年のカンヌ国際映画祭では、「私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化のときだ」という、公式上映後のケン・ローチ監督のスピーチがさらなる拍手を呼んだ感動作。
 労働者階級や移民の人々など社会的弱者の人生に、鋭く切り込みながらも温かな眼差しを注ぎ込んできたケン・ローチ監督。彼のフィルモグラフィに、また一本、〈今〉を生きる人々への大切な贈りものが加えられた。

 物語の舞台は、イギリスのニューカッスル。この街で暮らすターナー家の父、リッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーは、パートタイムの介護福祉士として、時間外まで一日中働いています。家族を幸せにするはずの仕事が、家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆきます。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまいます。


 家族のためにマイホームを建てようと一生懸命働くけれど、それが逆に家族との時間を引き裂き、バラバラにしてしまう不条理、自己責任という名前で身動きできないようにさせてしまう産業構造は、イギリスの問題ではなく、日本が今抱えている問題と全く変わりません。「コンビニ残酷物語」が話題になって久しいですが、セブンイレブンとフランチャイズ店オーナーの争いは、現在も続いています。ほとんどコンビニを使わない僕たちですが、大変だろうことは想像できます。コンビニ地獄といわれる、様々な問題に対して、働き方改革は経営側の有利になるもので、人が幸せに生きることには、結びつきません。多くのブラックな職場と重なります。家族を大切に想っているのに、そうならない現実に、怒りと哀しみが募りました。

 僕たちが観た時は、特別に、上映後に、ジャーナリストの金平茂紀さんのトークイベントがありました。金平さんも、日本で起きていることとつながっている、この映画を鑑賞して、これは大変だと他人事のように言うのは偽善だ、当事者として受け止めることが大事だと話しました。
 
 僕の印象に残る場面があります。介護の仕事をしている妻のアビーが、怪我をした夫リッキーの付き添いのため、病院の待合室で待っているとき、かかってきた電話に出ました。それまでのアビーは、どんなに忙しくても、どんなに大変な状況でも、声を荒げることなく、やさしく慈愛に満ちたことばと態度で、周りの人に接していました。ところが、怪我をしているリッキーに、賠償金の話しか出ないやりとりに、思わず、それまで聞いたことのないような口調で、汚いことばを返しました。その激しさにびっくりしましたが、一番驚いたのは、そんなことばを返すアビー自身でした。優しく温かく接していたアビーも、我慢し切れなくなったのです。ケン・ローチ監督の「怒り」が爆発したシーンでした。

 ラストシーン、朝早く起きて、片眼をはらしながらトラックを運転するリッキー、危ないから行くなと止める家族の手を振り払って、彼は家族のためを思って運転します。その行く先には明るい未来は見えてきません。ケン・ローチ監督は、物語をハッピーエンドにはしませんでした。安直な救いを見せません。それは、私たち観るものに、「怒りを持て!」と言いたかったのでしょう。怒りとともに、人には、現実を見据えていけば、きっと変えていく力があると伝えたかっのではないかと思います。

 今の日本、僕には、腹立たしいことが多すぎます。忖度ばかりが目立ち、議論すべき国会で、逃げてばかりで説明も対話もしない、ありえないことが現実に起こっています。自分の目を、耳を疑いたくなるシーンに、国民が慣らされていってしまう。不都合なことの何もかもがうやむやにされ、みんなの記憶が薄れることを待っている。そう思えます。
 だんだんとおかしくなっていく日本、そして世界。絶望することは簡単ですが、それでは権力者の思うつぼです。せめて、怒りを持ち続け、無関心にはならないでいようと思います。弱い立場に追い込まれた人たちと一緒に、静かな怒りを忘れないこと。自分のことはもちろん大事だけれど、大切な人のことを想うこと。そんな日々を重ねていきたいと思いました。
 僕たちにできることはわずかですが、僕たちができる「吃音の世界」には責任をもちたいと思います。そのための「吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会」の恒例の年頭合宿が、明日から始まります。鹿児島、大阪、滋賀、愛知、神奈川、栃木、千葉東京から仲間が集まり、一年間の計画を練ります。その後は「東京吃音ワークショップ」です。
 こうして、僕の吃音の2020が始まります。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/10

大阪吃音教室が、全国放送されます

大阪吃音教室が、1月15日、午前6時半前後に、全国放送されます。

 昨年は、珍しく、いろいろなメディアに取り上げていただきました。このブログでも何度か紹介していますが、朝日新聞が、第30回吃音親子サマーキャンプの3日間、密着取材をして、大きく取り上げて下さいました。

 その後、朝日新聞を見たNHK神戸放送局のディレクターが、大阪吃音教室を取材して下さって、兵庫県だけのローカルニュースとして流れました。そして、それが、「おはよう関西」に広がったのが、昨年12月9日でした。5分間という短いものでしたが、コンパクトにまとめられていただけに、どもりながら豊かに生きることができるという僕たちの思想が凝縮されていました。映像のもつ力の大きさを思いました。

 そして、新しい年を迎え、その「おはよう関西」の映像が、東京放送局から連絡があり、「おはよう日本」で全国にも流れることになったのです。兵庫県から始まり、関西に、そして日本へと広がっていくことになりました。

 1月15日(水)の朝、6時30分前後、「おはよう日本」の中で流れると連絡がありました。当日のニュース内容によって、時間は少し前後するかもしれないということでした。
 僕たちの仲間、大阪吃音教室のメンバーが登場します。ご覧下さい。お知り合いの方にお知らせいただけると、ありがたいです。
 いいスタートになりそうです。
 今年も、地道に活動を続けます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/9

2020年のスタートは、吃音ワークショップin東京から

2020年、日本吃音臨床研究会の活動のスタート
 東京でのワークショップ


 2020年のスタートは、東京ワークショップです。一週間後、東京北区の北とぴあで開催します。詳しくは、日本吃音臨床研究会のホームページのトップページ右にある案内をご覧下さい。ぎりぎりの申し込みも受け付けますので、どうぞ、ご都合がつきましたら、ご参加下さい。

日時 2020年1月13日(月・祝)10時〜17時
会場 北とぴあ
申し込み メール jspshinji-ito@job.zaq.jp

これまでのワークショップの様子を紹介します。

どもりそうな時、どんな手を使っても話す

 2017.01.08(日)開催の第5回東京吃音ワークショップには、吃音をめぐって様々な背景を持つ人たちが参加し、どもる人の人生が語られる温かく深い雰囲気の中で進行しました。 このワークショップで出た多くの話題の中、Aさんと伊藤伸二の対話を少し紹介します。Aさんは、伊藤の「吃音とともに豊かに生きる」と主張する書籍をかなり読んでいて、吃音は治らないだろうし、治せないだろう、吃音を受け入れて生きていこう、そう心に決めたものの、時に、そうできない自分に気づき、悩み、生きづらさを感じていました。

A 職場で仲間が聞いている中で電話をしないといけないことが多いと思った瞬間から、電話のことばかり考えてしまって、電話への不安から能率が悪くなる。<中略>
 「治す」と「治さない」があったら、僕は、「治さない」の方だとは思っている。でも、吃音を受け入れようとしている僕が、どもらないようにと言い換えをすると、後ろめたい気持ちになる。言いたいことを、どもって言えるようになるのが、僕の考えるゴールなんですが。
伊藤 ゴールの設定がまずいですね。言い換えてしまった自分に後ろめたさを持つのはやめましょう。<中略> 今、僕はこうしてしゃべっているけれど、いっぱい言い換えをしていると思う。その言い換えは子どものころからしているので巧妙で、無意識になっている。言い換えをしたという意識すらない。言い換えは、どもる僕たちの生きていくためのサバイバルだと考えよう。<後略>
A 私は、治すか、受け入れてどんなにどもっても言っていくかのふたつの選択肢しか持っていなかったようです。
伊藤 どもる子どもたちにも必ず複数の選択肢をもつようにと言っている。吃音以外のことでも、選択肢の幅を広げられたらいい。生きやすくなる。
A どもれるようになろう、に結論を置いていた。でも、そうではなくて、なんとかことばが出るようにいろいろな手を使って、サバイバルして、どうしても出ないときは、どもって言う覚悟を決めましょうということですね。
伊藤 そう。相手に伝えるということを一番大事に考えたら、何でもあり。大事にしたいのは、人と人との関係。ギリギリまで悪あがきをしたらいい。そして、最後はどもるに任せる。<後略>

 いろいろな人生に触れることができます。参加者が、その場をしっかり支えて下さるから、とてもいい雰囲気の中で、真剣で深い時間が流れていきます。
 よかったら、そんな時間を、ご一緒しませんか。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/6

今年も、吃音を中心に据えて、楽しい人生を全うしたいと思います。今年もよろしくお願いします。

今年も、吃音を中心に、楽しい人生を。
今年もよろしくお願いします。


 新しい年を迎えました。
 今年も、自分のしたいこと、できることに精一杯取り組みたいと思います。一日一日を、丁寧に、大切に過ごすことを、自分との約束事にしました。

 さて、この年末年始、2年連続で東京で過ごしています。。僕は、吃音に強い劣等感をもち、吃音を理由に人生の課題からことごとく逃げていたために、学童期・思春期の楽しい思い出はまったくありません。吃音を治すことを諦めて、吃音と共に生きる覚悟ができた、東京での7年間の東京での大学生活は、学童期・思春期を生き直した、「胸がキュン」となる青春の思い出が詰まっています。東京は、第2の故郷なのです。
 1965年、新聞配達店の住み込みから大学生活が始まりました。夏休みには新聞配達店をやめて、「東京正生学院」での30日間の入寮生活。その後、安アパートに住んでの様々なアルバイト生活。その秋に創立したどもる人のセルフヘルプグループ言友会の活動。事務所作りのためにみんなでがんばった街頭カンパ活動。7年間、思い切り楽しく、精一杯活動した思い出が、東京の各地にあります。まさに血湧き肉躍る7年間の思い出が一杯詰まった東京です。あと何年来ることができるか分かりませんが、年末年始は東京で過ごしたいとの思いが強くなっています。
 夫婦で、パソコンを持ち込んでの2週間ではありますが、遊びを中心に置いていますので、いろいろと動き回っています。
 20年前までは、島根県の玉造温泉と、大分の湯布院温泉で年末年始の2週間を過ごすことが続いていましたが、年を重ねるにしたがって、温泉地でのんびりするよりも、落語、歌舞伎、コンサート、芝居、映画などが開催されている、刺激的な東京志向が強まっています。

 今年は定番の上野、浅草、銀座に加え、横浜の中華街、鎌倉にまで足を伸ばしました。 正月には、久しぶりに柴又を訪れました。昨年末に、「お帰り、寅さん」の映画を観たので、その余韻に浸りながら、柴又の町を歩きました。寅さん記念館と山田洋次ミュージアムではゆったりとした時間を過ごしました。やさしくて温かい時間でした。
帝釈天 これを使う寅さん像 寅さんに、迷える満男が聞きます。「おじさん、生きるってどんな意味があるのかな」と。寅さんは、「人生には、生きていて、ああ、よかったなあと思える瞬間っていうのが、一度や二度、あるじゃないか。そのために、生きているんじゃないかな」と。
 人が人を想う、自分の大切な人のことを想う、その想いが交錯する場は、ああ、生きていてよかったなあと思えるときだなと思います。

 寅さんに似ているのか、大学生の時から放浪癖があり、3か月間、無銭旅行に近い日本一周旅行をしました。大阪教育大学の教員時代には全国巡回吃音相談会で35都道府県38会場をまわりました。知らない街、遠くの街を歩き回る、思春期の僕に戻っているのかもしれません。とにかく「旅」が好きなのです。
 元気で動き回れる内に、車で日本一周するのも夢です。昨年は北海道を2週間走りました。今年もできる限り動き回ろうと思います。こんなことを書くと、遊びまくっているようにみえますが、吃音についての仕事は、しっかりとしていきます。普段、このブログは吃音についての記事がほとんどなので、たまにはいいかと思い、このようなことも書きました。

 今年も元気で、吃音に、旅に、映画に、芝居に、そして何よりも、吃音に活かすための勉強もめいっぱい続けたいと思います。今年もよろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/1/2
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