伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2019年12月

吃音のブログ、1年のご愛読、ありがとうございました

1年間、ありがとうございました
新年は、吃音ワークショップin東京で幕開けします

 2019年も今日がラスト、大晦日となりました。いろいろなことがあったなあと振り返っています。今年もいい1年でした。今年4月、75歳になりました。その節目の年に、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会が、故郷の三重県津市で開催され、吃音分科会のコーディネーター・講習会の講師を務めました。続いて、第8回吃音講習会も、津市で開催しました。8月の終わり、第30回となる吃音親子サマーキャンプを開催しました。その30回のサマーキャンプを小若理恵さんが密着取材して、大きな記事が朝日新聞で取り上げられました。大阪吃音教室の活動も日を置かず、朝日新聞に掲載されました。
 朝日新聞だけでなく、今年は、メディアに多く取り上げていただきました。4月、長いお付き合いのある八木晃介さんが毎日新聞京都版に、昨年の東京大学での「どもる人たちの当事者運動を振り返る 伊藤伸二さんを囲んで」のイベントに参加した千葉雄登さんがネットニュース・Buzz Feedに僕を取り上げてくれました。自身のどもる体験を背景にした記事は「人は、目の前の人が語る吃音を理解する」とのすてきなタイトルとともに配信されました。朝日新聞を見たNHK神戸放送局の真崎俊介さんが、「おはよう関西」で短いけれどコンパクトにまとめた映像を流してくれました。日本経済新聞にも写真とともに大阪吃音教室の活動が紹介されました。Buzz Feedや朝日新聞は、今でも、デジタル版で吃音で検索すれば、読むことができます。まだでしたら、お読み下さい。

75歳という節目の年、多くの人に支えられ、本当に上出来の年でした。

 来年は、11・12日、仲間のことばの教室や言語聴覚士たちとの合宿でスタートします。そして、13日(月・祝)に、年に一度の東京でのワークショップがあります。今、少しずつ参加申し込みが届いています。
 日本吃音臨床研究会の活動に関心をお持ちの方、関西まで行くのは遠いと思われる方、年に一度の関東地方での開催です。どうぞ、ご参加下さい。
 詳しくは、日本吃音臨床研究会のホームページのトップページをご覧下さい。
 2013年に行った際の、参加者の感想を紹介します。

 2013年01月13日(日)に東京吃音ワークショップを行いました。関東地方の人を中心に、遠く、佐賀県、新潟県などから、どもる当事者が8人、ことばの教室の担当者やスピーチセラピストなど臨床家が6人、伊藤伸二と溝口稚佳子の計16人のワークショップになりました。初めに伊藤が簡単に自己紹介し、その後、ぐるっと回って全員の自己紹介が終わったのが、1時間後でした。ゆったりとした時間の中で、自分を語り、他者の語りを聞くという、このワークショップの基本的な姿勢そのままのオープニングとなりました。

・どもりながらも今までいろいろなことを乗り越えてきた自分を信じていきたいと思う。吃音に悩んできたからこそ、相手の弱い点を考えるゆとりも持てたのかなと思った。どもりの短所だけでなく、長所も考えていきたい。
・皆さんの話を聞いて、どもる人の悩みの深さに気づいた。その上で、多くの人がいろんな悩みがあるように、吃音も、人間の悩みのひとつとしてとらえてもいいんじゃないかとも思った。
・今まで、自分がしゃべれることばだけを選んでしゃべってきた。今日は、自分のことばで自分のことを言うことができるようになってよかった。これからはそうしていきたい。
・当事者だけでなく、ことばの教室の担当者や言語聴覚士なども参加してくれて、同じように考えてくれる人がいるのはうれしい。これからもどんどん広がっていってほしい。
・改めて吃音のテーマは、どう生きるかということに直結している、深いものだと思った。去年はいろいろあってブレたけれど、今日からまたブレずに生きていこうと思う。どもりでなかったら、こんなにいろんなことを学ぶ機会はなかったと思う。どもることが社会貢献になるとの話を聞いて、また、明後日からたっぷりどもって社会貢献をしようと思う。・ずいぶん前に伊藤さんに初めて会ったとき、まっすぐな人だなと思ったが、今も変わらないのがうれしい。それから何年も経って、私自身いろいろなことがあったが、話題になていた、HELPを出すのがうまくなったなあと思う。
・あっという間の8時間だった。これまで幼稚園や小学生、その親たちと話すことはあるが、成人のどもる人と会うことは少なかった。今回は、真摯に自分と向き合ったなあと思う。
・佐賀県から来てよかった。教師として、ひとりの人間として、生き様を伝えることができたらいいなあと思う。これからも、多少ぶれることはあるかもしれないけれど、ひとつのふんぎりがついた。
・ドキドキしながら参加した。私自身はどもることはないけれど、ちゃんとしなきゃいけないと思ってしまうところがある。今日、論理療法の話を聞いて、みんなで考えて、楽になった。ことばの教室で出会うどもる子ども、そして私のどもる子ども、両方とも、一緒に考えながらすすんでいけたらいいなあと思う。
・教師なので、こうしなければならないという思いが強かった。失敗してもいいよ、とどもりながら一生懸命伝えることが大事かなと思った。
・来て良かったと思います。どもっていて、何ができるのかと思っていたけれど、どもりながら生きている、そのことが社会貢献だと聞いて、そうかと思った。自分がだめになる前にHELP(助け)を出すことの大切さも学んだ。
・「どもるくらいたいしたことない」ではないと軽く受け止めるのではなく、深く悩む人のことを知りながら、それでも、「どもっていても大丈夫」というよき理解者になりたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/31

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 8 吃音とコミュニケーション能力

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 8

  医療従事者として、吃音とコミュニケーション能力を考える

 群馬キャンプ1日目の夜の話し合いは、参加者が、下は小学5年生から、上は30歳近い若者までと、年齢差が大きかったです。そのため、参加者からの要望もあり、僕に対して一人一人が質問して、それに答えるスタイルで行いました。話の内容が幅広くバラエティに富んでおもしろかったので、テープ起こしをして再現しました。結局、参加者8人全員の質問に答えたことになります。今回で最後です。長いおつき合い、ありがとうございました。最後は、医療従事者として生きようとする人と、吃音とコミュニケーション能力について考えました。

参加者 私は、ことばが全般的に得意ではないという認識で、自分としては、医療従事者として適正か適正でないか、考えがちなんです。これまではことばが苦手だから、あんまり話す場面にはあえて行かないで、その代わり、自分の得意な所を探していこうと考えていたんです。どもってことばが出ないこと、話の組み立て方もうまくなくて、医療従事者としてはどうかと考えるんです。伊藤さんは吃音に悩んでいた時、どんなコミュニケーションだったんですか。


群馬キャンプ 会場の芝生伊藤 僕は、ということ? 21歳までコミュニケーションが問題になっていたかどうかということですか? それ、分からないんだよね。21歳までの僕はほとんどしゃべらなかったから、話をどう組み立てるかとかも意識しないし、コミュニケーションが苦手というレベルではなくて、話す場面に出ていかないから、苦手かどうかすら分からない。けれども、僕がどもりを治すことを諦めたときに、話すこと自体の苦手意識はなくなったね。
 なぜ変われたかを今考えると、僕は、文学や小説をたくさん読み、映画をいっぱい見ている中で、架空の世界だけれども、コミュニケーションの場面をいっぱい見ていたことが影響しているかもしれない。それと僕は、自分が悔しいこと、悲しいことをことばでは表現できない分、毎日日記に書いていたので、自己内対話ができていた。だから、コミュニケーション能力はないと思っていたけれども、どもってもいいと思ったときに、ずいぶんおしゃべりになったのは、文章の組み立てが頭の中ではできていたのではないかと思うんだ。それと、吃音に悩む小学校2年生の前までは、僕は明るくてユーモアがあって、冗談ばかり言う子だったらしい。ユーモアセンスは子どもの頃に育んでいたので、どもりで悩んでいたときには隠れていたけれど、悩みがとれたとき、元々の昔の僕の状態が戻ったということかな。
 でも、僕は自分では、コミュニケーション能力はあるとは思わない。誰とでもコミュニケーションがとれるわけではない。相手がすごく威圧的だとしゃべれないし、臆病だから、苦手な人とはうまくしゃべれない。苦手意識を克服して、なんとかしゃべるほどのコミュニケーション能力はない。コミュニケーション能力のある人は、そういう場面でも、場を盛り上げることができるかもしれないけれども、僕はそういうのは全くできない。また、僕は、雑談がめちゃくちゃ苦手なので、初対面の人と積極的に話すことはしないし、できない。こうして今、君たちが質問してくれているから、僕は、考えてきたことをことばにしていくけれどもね。誰とでも仲良くなれないから、自分では、コミュニケーション能力はない方だと思う。あなたはどうなんですか。
参加者 僕は、どもり以外でも、あがってしまう。また、どもりそうな時に、みんながしているような、ことばの言い換えが苦手で、できない。だからどもることが多いんです。
伊藤 ということは、君は、ちゃんと、すなおにどもっているわけだ。
参加者 日記を書くこともないし、このどもっている感じが、ことば全般的に、言語能力全般に影響しているように思っている。言いたいことの言えなさ、伝えられなさが、結構影響している。これでは対人援助職としてはだめだと思うので、努力して変えることができるものは変えたいんです。仕事上の適正か適正でないかの話で、どこまでが変えられるもので、どこからが諦めた方がいいのか。今までは、かなり逃げてきた。伊藤さんの話では、苦手な人としゃべるときや初対面の人とは諦めるという話だったけど。
伊藤 うん、諦めるよ。非社交的なところは吃音に悩んでいたころとあまり変わらない。
参加者 そこらへんの線引き、諦める、諦めない、そこら辺が難しい。僕はどこを諦めてどこを諦めない方がいいのだろう。今後仕事をする上でどんな努力をしていけばいいでしょう。
伊藤 それは、他人が言うことではないので、自分で自分の感覚を信じたらいいと思うけど、参考まで言えるとしたら、もし、自分が言語能力が欠けていると思うのであれば、言語能力を育てることはできると思う。吃音を軽くはできないけれども。今、医者の世界で、物語能力を育てようという動きがあります。愛知県のがんセンターの終末期医療の分野で、看護師や医師に、患者の語る物語に耳を傾け、共感する物語能力を育てようとしています。 僕が子どもの頃から、感受性が豊かだったのは、両親からの育てられ方に影響していると思う。母親は童謡・唱歌を一緒によく歌ってくれたし、父親は謡曲や歌舞伎の物語をいっぱい話してくれた。僕は、父親の話す物語にぼろぼろ泣いたりしている子だった。僕も人と話す仕事について、もともと持っていた感受性が花開いたとは思う。だけど、君が、それがもし、乏しいということであれば、ある程度だけど、訓練できると思う。カウンセラーが感受性のトレーニングなんかをするけれど、やっぱりもともと持っているものにはかなわない。かなわないけれども、ある程度の努力はしてみる。それは、諦める必要のない領域かな。でも、医療従事者として、適正があるかと言われたら、コミュニケーション能力とは関係なく、人間であることの誠実さだとか、そちらの方が適正かどうかだと思う。自分の中で、訓練をしてみようと思う項目で、これは諦めた方がいいかなという、リストのようなものはあるの?
参加者 作ってはいないですけど。そうですね、もやっとは、あるような、ないような。
伊藤 そうか。これまで向き合ってこなかった自分と向き合って、自分の適性とは何なんだろうか、自分に欠けているものは何か、自分が伸ばせるものは何か、諦めるのは何だろうか。そのあたりは、あなたしか分からないものだから、自分で、漠然と考えているだけではだめなので、文字化して、自分で変えることができるもの、変えられないもの、と、リストを作ってみたらどうですか。それをじっと見て、ああ、ひょっとしたらこれは変えられるかもしれないなとか、これは無理かなとか考えてみる。もしそれに第三者がかかわった方がいいということなら、信頼できる先輩でもいいし、僕でもいいし、リストを一緒に見て、その中で何が変えられるだろうかと、相談できたらいいね。どもっているかどうかなど、ほとんど関係がないと思うよ。
 一般企業も就職活動でも、コミュニケーション能力、コミュニケーション能力とあまりにもいいすぎると思う。僕はそれよりも、相手を思う、感じ取る、話をちゃんと聞く、相手の話をちゃんと聞くという耳と態度と思いがあったら、少しずつコミュニケーション能力というのは育っていくんじゃないかなあと思う。
 吃音と自分と向き合うことを避けてきたとあなたは言ったけれど、今が向き合うひとつのチャンスかもしれない。ちゃんと自分と向き合ってみて、自分に何が欠けて、何が自分の強みか考えて、変えることができるのなら変えていく勇気を、変えることができないのなら受け入れる冷静さを、変えることができるかできないか見分ける知恵をもってください。これは、神学者ニーバーのことばだけど、変えることができることは、これから医療従事者としての職業をする上でも、変えたらいいんじゃないかな。そんなことしか言えないんだけど。
 あっという間に時間がきました。みんなとの話し合いにならないで、僕と君たちとの一問一答になってしまったけれど、多少でも参考になったらうれしいです。お疲れ様でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/30

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 7 部活と吃音

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 7       
    部活と吃音


参加者 高校の部活の大会で、僕と組んでいる同級生の子が結構おとなしく、声がとても小さい。大会で審判をやるときに、その子がやると、全然伝わらないし、僕がするとどもるので時間が延びる。全然伝わらないよりは、延びてもいいかなと思っているんですけど、


群馬キャンプ 集合写真伊藤 おもしろいね。相方はそんなに声が小さいのか。
参加者 声がとても小さいです。
伊藤 あなたは声は大きいけど、どもるわけだ。
参加者 どもって、時間がどんどん押してしまって、
伊藤 何の審判だっけ。
参加者 部活は、テニスです。
伊藤 テニスか。『ストレスや苦手とつきあうための認知療法・認知行動療法』(金子書房)という本を書いたけれど、その中に、同じことが出てくる。僕が参加しているどもる人のグループの大阪吃音教室に、女子高校生が愛知県から参加した。彼女もテニス部なんだ。試合に勝ち残ると、審判をしなきゃいけない。その審判が嫌で、部活をやめようと考えているけれど、私以外のどもる人ならどう考えるか聞きたいと参加しました。ちょうど認知行動療法がテーマの吃音教室だったので、彼女の問題を認知行動療法で考えた。そのときに、いろんなアイデアが出て、審判ができないからといって、テニスを辞めるのはもったいないの結論になった。彼女はテニス部は辞めないと決心して、帰って行った。よかったら本を読んで下さい。
 テニスを辞めるか、審判を辞めるかになったら、君には、テニスを辞める選択は全然ないんだよね。
参加者 ないです。
伊藤 だったら、時間が延びても、やればいい。彼女の場合は、他に人がいたので、自分がしなければならないことはないから、誰かにしてもらう、が一つの選択。それと、どもってどもって審判をしてみて、それで試合がうまくいかなくて、彼女に審判をさせられないと言われたら、ラッキーで、他の人間に代わってもらえばいい。ふたつの選択肢のどちらかにすると彼女は言い、テニス部を辞める選択肢はなくなったんだ。もし、君がどもってどもって、間があっても、進行できるのなら、成功していることだから、何の問題もない。でも、審判で長く間があくと、なんかテニスのテンポが悪くなるのかな。
参加者 流れが悪くなって、選手にちょっと嫌みを言われます。
伊藤 迷惑を掛けるのね。じゃ、そのときはどうしたらいいのか。ペアを組んでいるおとなしい男はどもらないんだよね。
参加者 どもらないです。
伊藤 じゃ、そいつをひっぱたいて、もっと声を大きくしろと言えばいい。おとなしいんだから、代わりに彼にやらせる。なんで彼はそんなに声が小さいの?
参加者 多分、元からおとなしい子だから、
伊藤 彼はテニスが好きなのか。
参加者 はい。
伊藤 テニスをやりたいのか。
参加者 はい。
伊藤 じゃ、相談をして、テニスをやりたいんだったら、もっと大きな声を出せと彼に迫って、審判をさせる方向もひとつだ。そして、君がテンポよくできないことで周りに迷惑をかけると思うんだったら、他のメンバーたちに相談して、僕、いくらでも審判するけど、僕がすると間が空いて、うまくいかないけど、それでもいいかと聞いて、みんながそれでもいいと言ったら、すればいい。テンポが悪かったら、流れが悪くなって困ると言われたら、じゃ、僕はしないから、他の人にやってほしいと言う。審判する候補は、おとなしい男以外にもいるだろう。ゼロではないんやろ。
参加者 ゼロではないです。
伊藤 なら、君はテニスがやりたいんだから、テニスはやるけど、審判はやらない。それとも、ペアの相手に声を大きく出させる。そんなところかな。どっちでもいいので、がんばってみな。そして大事なことは、テニスは絶対辞めちゃだめだよ。
参加者 はい。
伊藤 僕なんて、自己紹介が嫌だというだけで、大好きな卓球部を辞めてしまって、その後の高校生活がほんとにつまらなかった。だから、どんなことがあっても、君がテニスが好きなら辞めないで、ぜひ続けてほしい。どんな手をつかっても、辞めない。おとなしい相方に発声練習をさせて、声を大きくさせる。それとも、迷惑をかけていいなら、君がする。それで困るなら、代わってもらう。いいかな。
参加者 はい、ありがとうございます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/29

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 6 小学生、中学生、高校生時代にいっぱいどもっておくことが大切

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 6

  全校生徒の前でどもることに不安になっている君へ

          
参加者 僕は、来月から高校の生徒会の役員をやることになっているんです。

群馬キャンプ2日目 伸二伊藤 ほう、自分から立候補したの?
参加者 今まで、僕は、手伝いとして生徒会に携わっていたんですが、今回、欠員が出て、役員になってくれと言われて役員になるんです。今までも、生徒会の手伝いをやっているときに、マイクを持って、みんなの前でしゃべらないといけないことがあったんですけど、先生に吃音のことを言って、他の人に回してもらっていたんです。でも、今度、役員になったら会計の役割になるので、決算とか今年度の予算を言わないといけなくて、これは、先生に言ってほかの人に回してもらうのができなくなると思うんです。「どもってもいい」とは思っているんですけど、マイクをもって、みんなの前でしゃべるのが怖くなっていて・・・・
伊藤 怖いよね、そりゃそうだろう。
参加者 今、それが悩みで、他の人に回せないし、でも、しゃべらなきゃいけないし、どうしようかな。
伊藤 そうか、悩むよね。どうしようかと迷っている段階ですか? ということは、やってみようかというのと、嫌だから誰かに代わってもらおうかと思っているのと、半々くらい? どっちかが上ということはないの?
参加者 やってみようかなというのがちょっと上にあるんです。でも、どうしても、怖いというか、
伊藤 そうか。僕は、半々だったら、どっちでもいいと思うよ。逃げてもいいし、やってもいいし、でも、君が、やってみようという気が少し上回るのなら、挑戦してみる価値はあると思うよ。会計がマイクで言うの?
参加者 生徒総会の場で、生徒が学校をこういうふうに改善してほしいというのを言うのですが、そのときに、今までの生徒会の活動の報告として、昨年度の決算額を会計がマイクを持って言うんです。
伊藤 ということは、人数がいっぱいいるわけ?
参加者 全校生徒の前です。
伊藤 すごい高校だね。
参加者 だから、会計役の役員は、それはどうしても避けられない。
伊藤 会計をすることは、みんなの前でマイクを持ってしやべることで、そうなると、どもるということは予測できるよね。そういうことを予測できたとしても、なんとかやってみようという気はあるの?
参加者 はい。
伊藤 ほう、すごいね。だったら、挑戦したらどうかな。参考になるかどうか分からないけど、消防士の話をするね。消防士になりたいけれど、こんなにどもる僕でも挑戦してもいいかどうかと相談があった。本当にしたい仕事なら、挑戦した方がいいと勧めて、彼は消防士になった。その彼の話は群馬のキャンプでも何回かしたよね。初めての人もいるので、少し話すと、「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか。消防学校の時代に吃音を治せ」と言われて、悩んだけれど、僕たちが支えて、彼は消防士になった。どもることで苦労もあったけれど、5年間、消防士として働き、昇進もして、昨年実績が認められて、本庁の司令室に配属された。司令室は、119番の電話を全部そこでとって、聞いて、各消防署に指令を出すところ。彼は、消防署なら、名前が言えないなど苦労はあるが、なんとかやれてきたけれど、司令室は、ことばだけで指令するところで、いくらなんでも無理だと思い、上司に、人事を変更してほいとお願いした。けれど、もう人事は決まっているので変えられないと言われ、すごく不安を持ちながら、去年の10月から司令室に入った。つらかっただろうと思う。3月の人事の季節になっても、異動はなく、今もそのまま司令室にいる。いろいろあるけれど、がんばっているとこの前、メールがきた。上司に恵まれて、なんとか司令室でがんばってるらしい。
 彼が滋賀での吃音親子サマーキャンプに参加したとき、ちょうど5年生の子が、なりたくなかったけれど放送委員になってしまい、自分のどもる声が全校に流れるのがとても嫌だと言った。そのとき、彼は「僕のどもっている声は、無線で、大きな市の全域の消防署に流れるんだよ。無線をとる人間は、みんな僕のどもりを知っている」と話してくれた。校内で自分のどもる声が響き渡るのと、大きな市全域に流れるのと比べて、学校だけならまだいいやと言った子がいた。

 参考になるか分からないけれども、僕は、小学生、中学生、高校生の間に、いろいろと挑戦してみて、いっぱい恥をかいたり、みんなに笑われたり、嫌な思いをしたり、そういうことをたくさん経験しておいた方がいいと思う。今のうちに、そういうことに慣れておくと、社会人になって、似たことが起こったときに、それを乗り越えられる力がつくんじゃないかな。

 笑われたりすることに対する耐える力は大事だと思う。ちょっとそのときは気分が落ちこむけれども、3日も4日も落ちこんでいたら損だから、一日くらいで気分転換がぱっとできるような練習を今のうちにやっていた方がいいと思う。
 だから、君がちょっとでもやってみようと思うのなら、生徒会の役員をやってみたらいいと思う。うまくいけばそれはそれでいいけれど、もしすごくどもって、自分では失敗したと思っても、なんとかしのいだ、耐えられた。マイクで自分のどもっている声が全校生徒に響き渡った。でも、なんとか逃げ出さないで、最後まで放送した。そのことは、覚悟を決めて挑戦したことだから、自信になると思うよ。どもらないで放送しようと思ってどもったら、それは失敗だけれど、どもってもいいとか、どもろうと思って放送してどもったとしても、それは失敗ではなく、会計報告したことが成功だと思う。
 少しは参考になりましたか。がんばってみて。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/28

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 5 どもって「おはよう」が言えないときの対処

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 5
  どもって「おはよう」が出ないときの対処


参加者 僕も吃音は受容しているんですけど、言語聴覚士の専門学校や病院で、先輩にすれ違うときのあいさつができないんです。それじゃ、だめじゃないですか。ある程度しっかりとしたあいさつをしないといけないときに、ブロックでことばが出なくて、すれ違ってしまうみたいなことがある。吃音については悩んでいないけれど、大切な人に対して、あいさつができなくて、どうしようもないなあという悩みがあります。


群馬キャンプ2日目 会場後ろから伊藤 あなたとしては、そういう状態をどうしたらいいと思うんですか? 訓練をして、「おはようございます」が言えるようになればいいけれど、そんなことは無理だと分かっているよね。そうだとしたら、どうしたらいいと思うの?
参加者 会釈だけでもと思うけれど、それもまた違うかなあって。で、解決策が出てこないんです。
伊藤 朝、テレビの民間放送が特にそうなのかもしれないけれど、番組が始まるときのあいさつの「おはようございます」をよく聞いてみると、「おはようございます」の「お」の音がちゃんと出ている人なんてほとんどいないよ。みんな、「はようございます」だ。長年、それなりのアナウンサーとして仕事をしてきた人なのに、なんで「はようございます」なのだろう。今、「お」が聞こえた?
参加者 聞こえないです。
伊藤 聞こえないよね、言ってないんだから。朝、テレビを見る機会があったら、最初のシーンを注意深く見て下さい。ここ2、3年のような気がするんだけど、一体、どういう現象なんだろう。以前は、ちゃんと「おはようございます」と「お」を言っていたような気がする。あなたは「お」が出ないの?
参加者 意識すると、「お」に限らず、すべての「音」が出ない。
伊藤 ああ、そうか。意識すると、「お」に限らないわけね。
参加者 「お」だけを省くということもやってみたんですけど、そしたら、次は「は」が出なくなりました。
伊藤 そういうことだよね。さて、僕たちがよく言っているのは、何でも複数の選択肢があるということなんだけど、今のような状態になったときに、どんな選択肢があるか、みんなで考えてみよう。「おはようございます」と、ほんとは言いたい。でも、言えない。「お」をとってみて、「はようございます」と言おうとすると、今度は「は」が出ない。で、「は」をとって、「ございます」だけでは変だ。そういうとき、彼は、吃音はOKだと認めてはいるけれど、先輩や重要な人とすれ違いざまの「おはよう」が言えないで困っている。突拍子もない選択肢でいい。選択肢というのは、そんなこと、できるわけないというのも含めて選択肢と考える。そして、現実的に使えそうなものを選んだらいいのだから。
参加者(小学6年生) ちゃんと言えなくても、どんなにどもっても言ってしまう。
伊藤 なるほど。彼は、「お」が言えないんだけど、「おおおおおおおおはようございます」と言うことだね。おもしろい。この選択肢を採用しましょうか。どう?
参加者 どうしても出ない場合はどうしたらいいんですか? 出ないということはないんですか?
伊藤 連発、難発の話でいくと、おそらく、出ないということはない。僕にとって、今までずっと言えなくて、今も言えないのが、数字の「・・・・・・なな」。どうすごくどもるでしょう。「僕、タチツテトが言えないんです」と言うとき、「タチツテト」と実際言っていることが多いけれど、この「なな」は、今どもっているように、本当に言えない。僕の名前の伊藤の「い」も出てこない。今でも、病院で血液検査のとき、「伊藤さん」と呼ばれるから行くと、「お名前をフルネームでお願いします」と言われる。すっと言えるときもあるけれど、「あの、いいいいい」となる。そのとき、言えないときはどうするなんて言ってられないから、「いいいいいい、はー」とやり直したりしながら言うしかない。そしたら、向こうが「もういいです」と言うだろう。だって、向こうは、伊藤伸二が来ていると分かっているんだから。でも、病院は杓子定規で言わせるよね。「いいいいいい」となって、何秒で「いとう」と言えるか、実験してみたらいい。どれくらいの時間、ほんとに言えないかということを測ってみるかい。
参加者 時間を?
伊藤 そう。すれ違いざまに、先輩に「おはようございます」と言うときに、出ないんでしょ。だったら、どれだけの時間が経てば、出るかのを実験するという気持ちで話せばいい。おそらく、1分もすれば出てくると思うよ。どもったらどうしようではなくて、これは実験だからと考えて、先輩が通ったときに、「おおおおおおおお」と、「おはよう」が出るまで言う。先輩はびっくりするだろうね。
参加者 びっくりします。
伊藤 そしたら、チャンスだ。向こうがびっくりして、「どうしたの?」と聞いてくれたら、これはありがたい。「実は、私はどもって、「お」が言えないんです。いつも先輩にあいさつするときに、ちゃんとしたあいさつをしたいと思っているんだけど、「お」が出てこなくて、こんな状態になっているんです」と言えたら、最高だね。
参加者 最高っすね。
伊藤 そして、そういう人が一人、二人、三人、四人と増えていけば、あいつは本当はあいさつする気があるんだけれども、「お」が出ないので、会釈だけしている。常識がないからあいさつしないということではないということが相手に分かるよね。そういう、分かった人を少しずつ増やしていけば、その環境においては、君は、笑顔で会釈だけで済むということになる。どうでしょう。
参加者 ありがとうございます。実験してみます。
伊藤 小学生の彼のアイデアなんだよ。恥をかきたくないと思ってかいた恥はダメージが大きい。でも、恥をかこうとか実験してみようという思いで恥をかくと、実験だからダメージはそんなに大きくならない。
 面接のときに、どもってうまく言えないから面接が怖いと言う学生や社会人がいるんだけど、それは面接されると思うから怖いのであって、相手を面接してやろうと思えばいいじゃないか。このどもっている僕に対してどういう反応をするか、変な反応をしたら、ここの会社は大したことないなあと思えばいい。どんなにどもってもちゃんと聞いてくれる人のところだったら働きたいなあとか、こちらが会社の人間を面接するつもりでいけばいいんだ。僕は、残念ながら、恋愛結婚だったんだけど、見合い結婚をしてみたかったなと思う。仲人が僕を紹介してくれて、女性の前で、「いいいいいとう」とすごくどもったときに、彼女がどんな反応をするか、いかに着飾って、どんなにかっこいい女性であったとしても、僕がどもったときに、軽蔑の眼を一瞬でも感じたら、ああ、この人はだめだと思えばいいわけだ。あなたはどもりを受け入れたって言うんだから、それくらいの挑戦はできるでしょう。
参加者 やってみます。
伊藤 他にも選択肢はあるだろうけど、せっかく彼が言ってくれたんだから、それでいってみよう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/26

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話4 人生の悩みはモグラたたき

群馬吃音キャンプ 若い人たちとの対話 4
人生の悩みはモグラたたき〜吃音の悩みは解消されたけれど


群馬キャンプ 懇親会?

参加者 私は21歳のときに、吃音を受け入れる決意をした。決意をしても、しばらくはどもりたくないという気持ちがあって、悩むこともあったんですけど、今は吃音では悩まなくなりました。でも、吃音以外の辛いことに関しては、頭の中では受け入れた方がいいと思っていても、実際には全然受け入れられない。吃音では、自助グループなどいろいろ恵まれたので、吃音は受け入れられたけれど、それ以外のことは、なかなか受け入れられない。

伊藤 当然だと思うよ。それは、とても真っ当だと思う。さて、悩み方には上手な悩み方と下手な悩み方があると、僕は思う。僕は、どもりで悩むというのは、下手な悩み方だと思う。僕は、どもりに悩むことによって、本来悩まなければならない本当の人間的な悩みから目をそむけ、逸らして生きていたように思うんです。本来悩まなければならないことを避けてきたと思う。そう考えたら、あなたが吃音の悩みは解放されたけれど、吃音以外の悩みはなかなか解放されなかったと言うのは、ごく当然のことだと思います。今までは、吃音に悩むことで、他の悩みから目をそむけてきたのだから。そんな感じがしませんか。
参加者 はい。といっても、それ以外の悩みも、結構くだらないことも多いのだけれど。
伊藤 そうか。くだらないことをひとつひとつつぶしていく、人生はモグラたたきだと思う。ひとつたたいても、またモグラが出てくる。また、たたいても出てくる。ずっと一生モグラたたきをしていくのが人生だと思う。吃音の悩み以外の悩みが真っ当な悩みかどうか分からないけれど、イギリスの文豪のサマーセットモームという世界的な小説家がすごく吃音に悩んだということは、やっぱり吃音は真っ当な悩みかもしれないなと思ったりもしますけどね。
 僕は、思春期、ほんとはもっと別の悩みがあったかもしれないのに、吃音の悩みに逃げていたという感じが、ずっとしていた。たとえば恋をして、愛するということについての悩みや、友だちづきあいの人間関係、そして何よりも、「将来の夢」について悩みたかった。だけど、恋も友だちとの人間関係も将来についても、吃音の悩みでかき消されていた。あなたが今、吃音の悩みからちょっと解放されたら、別の悩みが出てくるというのは当たり前だと思う。吃音の悩みから解放された考え方は、別の悩みにも活かせるんじゃないかな。あなたはまだ20代の前半、まだこれからじゃないの。
 
 僕は、どもりに悩んで、そしてどもりを受け入れてきたプロセスがあったから、糖尿病になり、ひょっとしたら失明するかもしれないと言われたときも、まあいいかと思えた。実際、眼底出血があり、レーザーで焼いて、これ以上出血すると失明しますよと言われたんだ。そのときも、僕はどもりを受け入れてきたプロセスがあるから、仮に目が見えなくなったとしても、それを受け入れるだろうと思った。ほぼ失明するかもしれないと言われたとき、僕が案外平気でいられたのは、吃音の悩みから解放されていく練習をしたから、失明という試練を受け入れられたのかもしれないと思う。
 あなたは、吃音を受け入れたと言ったけれど、受け入れたことをきちんと言語化し、文章にし、そして残していく作業をしないと、本物になっていかない。不登校になって、何か分からないけれど、いつの間にか学校に行けるようになった人がいました。それはそれでいいんだけれど、また、ちょっとしたきっかけで不登校になった。きちんと確認していく作業がなされていなかったからだと僕は思う。君も、なぜ自分は、吃音を認め受け入れることができたのだろうか、自分で研究し、文章にしてみたら、今のあなたの、くだらないという悩みにも活かせるんじゃないかな。
 くだらない悩みと君は言ったけれど、悩みは周りから見たらくだらなくても、本人にしたらくだらないことはないですよ。他人から、その悩みはしょうもないと言われる筋合いは全然ない。その人が悩んでいたらその悩みは、ほんとにその人にとっての悩みなんだから、練習して、自分のこれまで経てきた道を文章化してみたら、いい財産になると思うな。いいですか。
参加者 ありがとうございます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/25

群馬での吃音キャンプ 若い人たちとの対話 3

  群馬での吃音キャンプ 若い人たちとの対話3
      吃音でよかったこと


群馬キャンプ2日目 伸二

参加者(小学6年生) 伊藤さんは、どもっていて、一番よかったことは何ですか。
伊藤 よく聞かれるけれど、どもっていてよかったことってまずないですね。それはないけれど、僕は吃音に悩んだおかげでよかったことは山ほどある。吃音でよかったことと、どもっていてよかったことは、ちょっと意味が違うよね。僕は世界一幸せなどもる人だと思っています。どもっているおかげで、1965年にどもる人のセルフヘルプグループを作り、世界で初めての世界大会を開き、大学の教員になり、本もたくさん書いた。75歳にもなって、あちこちから話を聞きたいと呼んでもらえる。子どもたちも伊藤さんに会いたいと言ってくれる。こんな幸せな人生はないよね。
 何年か前に、大学の同窓会があったけれど、みんな70歳を越えて、自営業や研究者などで現役の人も中にはいるけれど、大体がリタイアして10年経っている。ゴルフ三昧、釣り三昧で、最初はそれでよかったけれど、だんだんとおもしろくなくなってくると言っていた。でも、僕は、吃音のおかげで勉強を続けることができる。吃音を治そう、言語訓練をしようという立場だったら、新しく勉強することなんてほとんどない。だけど、吃音と共に生きていこうと提唱すると、どうしたらそういう心境、考え方になるんだろうかと考え、精神医学、臨床心理学、社会心理学など勉強しないといけない。僕は、小中高と全く勉強しなかったけれど、75歳のこの年になって、今一番勉強していると思う。常にたくさんの本を読み、勉強しているけれど、こんなこと、吃音でなかったら、絶対やっていない。そういう意味では、めちゃくちゃ吃音で幸せだったと思います。
 それと、吃音でよかったことのもうひとつは、どもっていると異性にもてたことですね。僕は大学4年生のとき、3ヶ月間、無銭旅行に近い、日本一周旅行をしたんだけど、そのときの写真は、女の子と写っているものばっかりです。たくさんの友だちができました。どもっていたら、異性に好かれないと、ずっと思っていたけれど、たくさん友だちができた。初めの頃は、どもるから、最初のひとことが話しかけにくい。一人旅で、しゃべらずに旅行していても楽しくない。でも、気仙沼だったか、黙って日本一周するのはつまらないと思って、思い切って話しかけやすそうなおばちゃんに「ちょっと写真、撮ってもらえませんか」と言った。その一言がきっかけで、それからはしゃべっていこうと思った。どもりながら一生懸命しゃべったら、どもる人は誤解されるようで、誠実に聞こえるらしい。一生懸命しゃべっているように聞こえたのか、誤解されたのか分からないけれど、行く先々で女性と出会い、一緒に旅行し、旅行が終わってからでもつきあう人もいた。
 どもるからもてた、とは思わないけれど、どもるという劣等感とか弱点とか言われるものがあるから、精一杯自分のやれることはやろうと思った。そのことが結果として、僕のことを好きだと言ってくれる人が現れたということじゃないかなと思います。僕は、初恋の人とは、21歳のときに出会った。彼女とは、東京正生学院という吃音を治すところで出会ったけれど、そのとき、僕はすごくどもっていた。彼女は全然どもっていなかったけれど、すごく悩んでいた。伊藤さんはこんなにどもっているのに、こんなに一所懸命に話をして、内容もおもしろい。おもしろいというのは、吉本興業のようなお笑いの話ではないよ。僕は、どもりに悩んできたから、本はいっぱい読んだし、映画もいっぱい観てきた。だから、映画のストーリーや児童文学とか小説のストーリーなどをいっぱい話していたような気がする。それがおもしろかったのかもしれない。でも、僕はいまだに雑談は苦手なんだよね。懇親会とかパーティは苦手です。どうでもいいような話をする時は、どもりたくはない。でも、ちゃんと自分のことを話したい、誠実に向き合って話したいということだったら、どんなにどもっても話す。全体としては、吃音でよかったと思う。どもることでよかったことではないけれど、そんなことでいいですか?

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/24

群馬での吃音キャンプ 若い人たちとの対話 2

群馬での吃音キャンプ 若い人たちとの対話 2

群馬キャンプ 伸二少し大きく
参加者 僕の妹もどもるんですが、妹が、「夏より冬の方がどもる」と言っていた。季節に関係あるのかな。


伊藤 吃音は波があるんだよね。君の妹のように、夏よりも冬の方が調子が悪いという人のことは聞いたことがある。でも、どもる人がみんな、季節に関係あるかというと、そうではない。昨日も、千葉市のことばの教室で、どもる子どもの保護者から、「どもったりどもらなかったり、調子がいいときと悪いときとがあるが、どういうときが悪くて、どういうときがいいのか」と聞かれた。その保護者の子どもは、今、調子の波が悪く、心配だから聞いたらしいのだけれど、これはひとりひとり全部違うので、どもる人はこうだとは言えないです。波だけでなく、吃音に関しては全てといっていぐらい、どもる人はこうだとは言えなくて、どもる人ひとりひとりが全部違うと考えた方がいい。妹は冬に調子が悪い。でも、他の人はそうではないということになる。冬は寒いし、風があるから、しゃべりにくくなるのかもしれない。君はどう? 冬と夏とは違うの?
参加者 はい。僕も妹と同じで、冬の方がひどくどもる。
伊藤 そうなんだ。そう言われたら、僕も季節に関係していたかも。今はそうじゃないけど、一番どもっていたのは、春だったね。それも、早春の3月ごろ。新学期が始まる不安と恐怖で、なんともいえない気持ちになったからかもしれないけれどね。だけど、不安やストレスがあるから、どもるという人もいるけれど、そんなことには関係ない人もたくさんいる。緊張するとどもる人もいれば、緊張するとどもらない人もいる。お酒を飲むとどもらない人もいるし、お酒を飲むとめちゃくちゃどもる人もいる。ひとりひとり本当に違うんだね。君は、妹がそう言ったのを聞いて、僕に質問をしたのは、妹に何かアドバイスをしたかったのかい?
参加者 うーん。そういうことではないけど。
伊藤 そうか、吃音は波があって、それもひとりひとりが違うものだと自分で思っているだけでいいかな。波があるのは、仕方がないね。それでいいですか。
参加者 はい。


参加者 難発で、ことばが出ない吃音なんですが、緊張するとどもらないんです。仕事上や大勢の前で話すときに限って吃音の症状は出てこない。逆に親とか親しい友だちと話すときにものすごくどもるんです。それも難発の状態になるんです。


伊藤 へえ、家族とね? 君の場合は難発なんだね。
参加者 家族とだったら、ものすごい難発で、出てこない。初めての人と話すときなどは、吃音は出てこないんです。今日のこんな場面ではあまり出なくて、親しい人になればなるほど、どもりが出てくる。自分の中で整理がつかなかったんですけど、今、緊張するとどもる人もいれば、緊張するとどもらない人もいるとおっしゃったので、じゃ、私は緊張するとどもらないタイプなのかなと思いました。私は、栄養士ですが、栄養士の勉強をしているとき、どうしてもどもりを治したいと思っていたときがあって、食事でなんとかならないかと、考えてました。
伊藤 えっ、食事? 栄養士だから、そう思ったのね。おもしろいね。
参加者 栄養素から、脳の神経に刺激を与えて、なんとかできないのかなと思った。サプリメントとか、DHAがなんとかとか。もちろん、治らなかったんですけど、そういうのって、関係しますか。一時期、すごく調べたこともあったんですけど。
伊藤 おもしろいね。
参加者 治すって、なかなか難しいのかなと思ってるんですけど。
伊藤 身体的な怪我のリハビリなんかでは、よほど間違った方法でない限り、少しずつよくなっていくよね。だけど、吃音に限っては、治そうという意識を持って、治そうとすればするほど治らない。一番いいのは、こういうものだとあきらめて、できるだけ緊張する場面でもどこでも、しゃべっていくことしかないね。僕は、43歳のときに、初めて世界大会を開いたけど、1時間の講演の通訳をしてくれていた同時通訳者が、「伊藤さん、1時間、話を聞いたけれども、伊藤さんは、一言もどもっていなかった」と言っていた。確かに43歳の頃は、普段の生活、たとえば自分の名前を言うときや、家族としゃべっているときはよくどもっていたけれど、講演など緊張する場面ではほとんど、どもらなくなっていた。僕は大学の教員をしていたので、話す場面に慣れている。常に人前でしゃべるということをずっと仕事としてきたから、人前でしゃべるときの話すスピードやテンポや間がそれなりに、知らず知らずのうちに身についてきたのだと思う。僕が、「どもりは治らない。どもりながらちゃんと生きていこう」と言うと、「伊藤さんは、全然どもってないじゃないですか」と言われたことがあった。「どうしたらそうなるんですか」とよく言われたけれど、知らない間に少しずつ少しずつ変化していったので、言語化できないし、説明できない。あなたも、なぜ家族のときはどもるのか、説明できる? こじつけでもいいけど。
参加者 緊張のあるときとないときの違いですかね。それとも、ストレスか。
伊藤 家族の中で話すときに、緊張したりストレスがあるということ?
参加者 いや、リラックスしているときによくどもる。不思議なんです。
伊藤 リラックスしているときには、ブロックという難発ではなくて、ぼぼぼくという連発の状態が僕は出てくるんだけど、あなたの場合は、リラックスして、家族としゃべっているときに、難発が出てくるんだよね。それは、僕も初耳で、おもしろいと思う。ひとりひとり違うということなんだよね。吃音の進展について、チャールズ・ヴァンライパーという研究者は、最初は、「ぼぼぼぼく」という連発の状態で、そんなに派手にどもるのが嫌なので、「ぼ」が出るまで待っていると、難発になっていくと、言っていた。だから、吃音の治療としては、難発の状態から最初の頃の「ぼぼぼぼく」というどもり方にすれば、症状としては軽くなったことになる。だから、随意吃音という、わざと意図的にどもるという方法が1930年頃から始まった。家族と話すとき、どもってもいいと思っているのだったら、難発ではなくて、連発が出てくるんだけど、あなたの場合は、その逆になっている。おもしろいよね。そのことについて、自分で研究してみたらどうだろう。家族としゃべっているときに、すごくどもったとしても、別に恥ずかしくもないでしょう。
参加者 そうですね。
伊藤 周りもそれを受け止めてくれているわけでしょ。だったら、全然問題ないじゃん。人前でしゃべるときは、それなりにあなたの持っている工夫で、自然になんとかしているのかな。
参加者 無意識だけど。
伊藤 無意識でしょうね。僕も、無意識のうちにだんだんとどもらなくなったんだけど、20年くらい前からまたよくどもるようになった。講演や講義など、人前でもすごくどもるようになっている。家族と話していてもどもる。だけど、一切どもらないでしゃべって下さいと言われたら、15分くらいだったら、一言もどもらずにしゃべることはできるよ。そのときは、いろんなことをやっていると思う。なんか力を抜いてみたり、間をとってみたり、言い換えてみたり、勢いで言ってみたり、微妙に何かやっていると思う。でも、とても疲れるね。そんなことは説明がつかないし、不思議だと思う。よく、治す方法を教えてくれと言われるけれど、言語は、高機能なものだから、簡単に教えたり教えられたりはできないと思う。君は栄養士をやめて言語聴覚士という専門家になろうとしているんだけれど、どもりを治そうなんて考えたりしたらだめだよ。自分で話し方をそれなりに自然に身につけてくるので、自然治癒という言い方よりは、自然に変化していくものだと信じて、自然に変わっていくのを待つことだね。自然に変わるために基礎的なこととして何がお手伝いできるかを考える。サプリメントはだめだとしても、生活習慣を変えるなどのお手伝いはできる。たとえば、僕は、どもりたくないからできるだけしゃべらないで、話すことから逃げていた。そんな生活習慣を続けている限り、自然治癒力は働かない。けれども、どもったっていい、どもってこれまで生きてきたんだから、これからもどもっていこうと覚悟を決めてしゃべっていたら、圧倒的にしゃべる量が増える。しゃべる量が増えるということは、それだけエンジンが回転していくわけで、だんだん話せるようになる。けれども、そういうふうにしていっても、変わらない人は変わらない。自然治癒にしても、自然治癒力が働く人もいればそうでない人もいる。免疫力が強い人は、自然治癒力が働くけれども、変わらない人もいる。だから、アメリカでは、慢性的吃症候群という名前があるぐらい。どんなに治療しても全く変わらないという人もいる。それはそれでそのままで生きていくしかない。だから、吃音って、奥深くておもしろいんだよね。僕は、そんなどもりに魅せられて、生きてきたようなものだ。いいですか。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/22

群馬での吃音キャンプ 若い人たちとの対話1

第11回 吃音キャンプ IN GUNMA 
比べず、今の吃音のままで


 ちょうど僕が、秋のキャンプロードであちこちに行っているとき、NHK神戸放送局が、大阪吃音教室のことを取材してくれました。きっかけは、9月、吃音親子サマーキャンプと大阪吃音教室の取材をしてくれて大きく取り上げられた朝日新聞でした。
 先日、12月9日、「おはよう関西」で5分間という短い時間でしたが、大切にしていることをコンパクトにまとめて、映像が流れました。以下のURLで見ることができるようです。

・NHK総合「おはよう関西」公式サイト
https://www4.nhk.or.jp/P2849/
・同上「受け入れ 前向きに生きる」ページ
https://www.nhk.or.jp/osaka-blog/ohayou/417037.html


 さて、時間の経過を追って、という訳にもいかず、思いついたところから、報告していきます。群馬の吃音キャンプは、今年11回目でした。どもる子ども、保護者に加え、ことばの教室や言語聴覚士、医師など臨床家が多く参加したキャンプでした。その群馬のキャンプの初日の夜、小学高学年から社会人まで、比較的若い人たちと円く輪になり、ひとりひとりの質問に答えていきました。目の前にいる人たちから出される素朴な質問に、頭をフル回転させて答えていく時間、僕は好きです。
群馬キャンプ 伸二とタイトル
参加者 吃音は自分では受け入れているつもりだし、普段は平気なんですが、人前で話すときに、途中でことばが出なくなると、話が切れてしまって嫌なんです。話が伝わっていない気がして。人前では、うまくしゃべりたいんですが、伊藤さんは、人前で話すとき、緊張したりしないんですか? どうしたら、人前で話すことが平気になりますか。


伊藤 昨日、千葉市の特別支援教育振興大会で、1000人くらいの前で講演したけれど、全くドキドキしなかった。それは、どもりたくないとか、どもったら嫌だとか、途中で話が途切れたら聞き手がどう思うかとか、そんなことは全然考えないからです。話す内容については、どう話せば伝わるか考えるけれど、どもるかもしれないという不安や恐れは、100%ないね。もし、それがあったら、講演や講義は引き受けられないよ。僕は、2度、テレビのスタジオ出演をしている。テーマは、「セルフヘルプグループ」だったので、どもらない人も何人もいたけれど、みんな、緊張すると言っていた。僕は全然しなかった。 僕たちどもる人間は、どもっていた方がいいと思うよ。すなおにそのままどもっていた方がいい。どもることを理解してほしいとか、どもる人のことを理解してほしいとよく言うけれど、それなら、吃音を隠さずにしゃべっていくべきだと思う。自分はどもりを隠しておいて、隠しているどもりを相手にどう理解してもらうのか、そんなことはできない。すなおにそのままどもっていくということが、どもる僕たちの権利であり、義務であり、責任でもあるように思う。途中で、というのは、やっぱりどもりたくないという気持ちがあるのかな。
参加者 ありますね。
伊藤 どもりたくないという気持ちから離れることかな。でも、演劇をしているときは、どうってことないわけだね。
参加者 そのときは、特にそういうのはない。
伊藤 不思議だよね。僕も芝居をしたことがあるけれど、芝居のときはしゃべれるよね。
参加者 しゃべれます。
伊藤 役になりきると、そうなるね。東京と名古屋で大きな舞台に立ったことがあるけど、そのときも、みんな、「緊張する、緊張する」と言っていたけど僕は緊張しなかった。舞台で演じながら、これじゃいけない、緊張した方がいいんじゃないかと思った。緊張していない舞台、普通に平気でいる役者の舞台など、観客は見たいだろうか。越路吹雪という歌手は、長く舞台に立っていたけれど、ずっと最後まで緊張したそうだ。それでも舞台に立ち、緊張する自分を支えていたと話していた。緊張もしなくて、仲間と一緒にカラオケで歌っているような舞台を、人はお金を出して見に来ないし、聞きに来ない。やはり緊張しながら、しんどい思いをしながらも舞台に立って、自分を支えて歌い、演じる。それが本当の姿じゃないかと思った。僕たちどもる人は、どもっていた方がいいと思うんだけど、そういう考え方についてはどうですか。あまり、賛成しませんか。
参加者 いや、そういう考え方はいいと思います。
伊藤 いいと思うけれど、自分にはできない? やりたくないですか?
参加者 しゃべるのは結構好きなんです。
伊藤 そう、いいじゃない。
参加者 しゃべっているときに、どうしてもちょっとテンポがずれてしまう。普通にしゃべってるときはいいけど、おもしろいことを言おうとか、うまい掛け合いをしようというときにどもると、どうしてもズレて、テンポが変わってしまうのが嫌なんです。
伊藤 今、話がズレてきているんじゃない? おもしろいことを言ったりする掛け合いと、最初に君が言った、人前でパブリックな話をするときというのは、別なんじゃないの。
参加者 別なんですけど、話すときに、そういうのを心がけてる。
伊藤 そういうのを心がけてるというのは、どもらないように心がけてるということ?
参加者 どもらないようにというか、難しいけれど、テンポよくしゃべるというか、そういうことを心がけている。
伊藤 どもる僕たちは、君のように話すことに劣等感を持っているね。でも、テンポよく、アナウンサーのように、とは言わないけれど、それに匹敵するようなしゃべり方を基準にして、それができない自分は劣っていると思っていたら、いつまでたっても、しんどいと思うよ。全然どもらない人間でも、話をするのが下手で、テンポが悪く、滑舌が悪い人はいっぱいいる。この前、精神医学だったかの雑誌に、筑波大学の教授の斎藤環さんという精神科医が、「私は自他共に認める滑舌の悪さで、よく人から、話が分からないと言われる」と書いていた。確かに、講演を何度か聞いたけれど、そうだなあと感じていた。大学教授という、話さなければならないような仕事をしている人でも、テンポよく明瞭にしゃべる人間なんてそうは多くない。どう、みんなの学校の先生は、ちゃんとしゃべっている?スピーチする人で、上手だなあと思う大人はいる?
参加者 国語の先生なんかは、上手だと思います。
伊藤 『吃音の認知療法・認知行動療法』(金子書房)という本に、国語の教師が出てくる。自分が大好きな児童文学を生徒たちに読み聞かせたいんだけど、どもってうまく読めない。これじゃ、国語の教師として失格かなと思っていたくらいの人だ。今は大学の先生をしているけれどね。高校や大学で講義を受けていて、テンポよくちゃんとしゃべっている先生は多いの?
参加者 そこまでの人はいないですね。
伊藤 この先生は、ちょっと下手だなあと思う人もいる?
参加者 そうですね。たくさんいたと思います。
伊藤 ね。そうでしょ。みんなは、一流のかっこいい人と比較していると思わないですか?僕たちは、そんなに大したことはない、ちょぼちょぼの人間なのに。一流を目指すことはやめた方が、僕は楽になると思うよ。途中で切れて、話が分からなくなるんじゃないかと言ったけれども、それほど聴衆は馬鹿じゃないから、途中で切れたって、うまい具合につなぎ合わせて理解すると思うよ。君は、これまでずっとキャンプに来ていて、自分は吃音を認めているし、大丈夫だと思っていると言ったけれども、結局、君には、内心は、どもりたくないという気持ちがあるんだろうね。でも、それは決して悪いことじゃない。どもりたくないという気持ちはあっていい。僕たちには、どもる権利もあるし、どもらない権利もあるのだから、どもりたくないと思う場面でサバイバルしながら、必死でどもらないようにするということもあっていい。うまく話せたり、ときどきだめだったりする、今のままでいいと思うよ。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/17

吃音サマーキャンプの意義を、You Tubeで語る

吃音親子サマーキャンプという場

 今年、吃音親子サマーキャンプは、30回目を迎えました。長く続けてきたものだと自分でも思います。全国から参加する参加者と、全国からかけつけてくれるスタッフのおかげで、ここまで続けることができました。
卒業式会場
 30回を記念して、サマーキャンプ卒業生の井上詠治さんが、サマーキャンプビデオメッセージを作ってくれました。サマーキャンプの当日、ビデオ撮影している姿をちらちら見ましたが、詳しいことは分かりません。当日の僕たちは、ビデオの前で話す時間がとれなかったので、後日、井上さんが、僕の家に来てくれました。僕たちにとってサマーキャンプとは何か、どのような経過で始まったのか、プログラムに芝居や作文、話し合いを入れたのはなぜか、などいろいろな質問に答える形でたくさん語りました。
 その後、編集作業をしてくれて、先日、大阪吃音教室の場で、仲間と一緒にサマーキャンプビデオメッセージを見ました。どんな構成になっているか全く知らないのでとても楽しみでした。
 吃瑤蓮35名もの参加者が入れ替わり立ち替わり画面に登場し、「私にとってサマーキャンプとは」を語っています。にこやかな笑顔で、誇らしげにサマーキャンプについて話している姿を見ているだけでも、サマーキャンプという場がみんなにとって居心地のいい場所なんだろうなということが伝わってきます。
 局瑤蓮∨佑燭舛、語っている場面です。その合間に、これまでのサマーキャンプのいろいろな場面が写真や動画で挟み込まれていました。サマーキャンプとは何か、映像を通して語りかけてくる編集でした。
 サマーキャンプに、高校生の時は参加者として参加し、その後スタッフとして参加し続け、意義・意図・大切さを熟知している井上さんならではの編集でした。サマーキャンプって、こんな場なんですよと説明するときに使える入門書のような役割も果たしています。 参加者のメッセージの映像は、個人情報等の関係で、残念ながらYou Tubeでの公開はできませんが、僕たちが語っている映像だけのものをYou Tubeで公開しています。
 「吃音親子サマーキャンプ」で検索してみて下さい。
 僕たちにとっていかにサマーキャンプが大切で、また参加者にとっても有意義だったから30年も続いたことが、ご理解いただけるでしょう。吃音親子サマーキャンプの豊かな世界の一端を知っていただければうれしいです。
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/12/12
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