伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2019年01月

共感力と想像力

共感力と想像力

 昨年7月の台風で壊れたままだったベランダの、隣の部屋とのパーテーションの修理がようやく行われることになりました。1月23日の午後、業者の方が来て、直して下さいました。
 6月の地震の被害の修理もできないまま、まだブルーシートに覆われている家が、寝屋川にもあります。ベランダの隣の家との仕切りがなくなったくらい生活上に支障はないので、大したことはないのですが、それでも、きちんと区切られていた部屋と部屋の壁がないのは、ひとつの家に住んでいるような不思議な感覚で、不安定な気持ちになります。ようやくひとつの区切りがつきました。

 自然災害などで、それまでの生活を奪われた人たちのことを思うと、心が痛みます。
 僕のマンションは、7月の台風の区切りがついたのですが、ひとつひとつのできごとがきちんと終わらないまま、新しいことが行われているようです。
 例えば、原発事故をそのままに、原子力発電所が再稼働したり、原子力発電の輸出が計画されたり。それは頓挫しそうです。また、日本はパチンコや競輪競馬など、世界有数のギャンブル大国なのに、ギャンブル依存症対策が考えられないままに、大阪では万博とカジノがセットで計画がなされるなどです。このおきざりにされた出来事や哀しみを、忘れてはいけないと思うのです。
 毎日新聞の日曜くらぶに掲載されていたコラムに、「共感力と想像力」とありました。そのとおり!と思います。これこそが、今の時代、かけがえのない、とても大切なことだと思います。
 コラムを紹介します。

 
(前略)共感力や想像力というのは、日常生活の中で軽視されがちだが、困難な状況の中を生きぬくためにとても大切なのではないだろうか、そして、気になるのはこうした力が明らかに不足している人が増えているような気がする。というのは、私は社会人対象の講座を開きその中でワークショップを行ったりする時にそれに気づくのだ。ワークショップで、例題を出し、それを自分なりに解いてもらうのだが、ちょっとした困難やトラブルをどうのり切るかというテーマの例題で、夫とのトラブルを出したところ、「自分は結婚していないからわかりません」と答える人がいる。あるいは、仕事場での同僚とのトラブルをテーマにすると、「私は仕事をしていないし、その予定もないからそういうトラブルには出合わない」と答える人もいる。これはワークショップであり、自分がその立場になったと想像してみたり、そんな状況の人はどんなふうにすればいいか、を考えよう、という趣旨を前提に行っているにもかかわらず、である。違う立場や環境の人の気持ちを想像しようとしないと共感はできない。また人生には想定外のことが起きるものだが、想定外のことは起こらない、という前提のもとでも想像力は発揮できない。考え方の違う人の視点を想像したりすることは自分のものの見方の幅を拡げ人生の困難をのり切るために不可欠なのだが。(心療内科医 海原純子)
        毎日新聞2019年1月20日 日曜くらぶ 新・心のサプリ より


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/28

生まれて初めての仕事キャンセル 講演『病気や障害を生き抜く力〜70年の吃音人生でみえてきたこと』

1月24日は、箕面市人権セミナー『病気や障害を生き抜く力〜70年の吃音人生でみえてきたこと』の講演予定でした・・・


 このお話があったのは、昨年の10月初めでした。テーマは、「病気や障害などを生き抜く力」についてでした。このようなテーマでお話することは何回かあります。パソコンや映像・録画などとてもお世話になっている方の依頼で、大阪府の人権擁護連合会総会でお話しましたし、そのことがきっかけで、泉佐野市から呼んでいただいたり、地元・寝屋川市の寝屋川地区更生保護三団体研修会でお話したこともありました。
 「病気や障害などを生き抜く力」というテーマですが、もちろん話の切り口は、吃音です。僕には、吃音から学び、考えたことを通してしかお話することはできません。吃音のことをしっかり考えていると、病気や障害、様々な依存症など共通することは多く、生きづらさをどうとらえ、どう共に生きていくかは、同じ1本の線上に位置していると思っているので、いつもお引き受けしています。

 当初、参加対象は、市の職員や一般の市民の方など、2、30人くらいかと思っていました。担当の方から、100名くらいになることもあるとお聞きしていましたが、狭い分野なので、それほど多くないのではと思っていたのですが、参加申し込みが200を超えたとお聞きし、驚きました。直前の連絡では、市民の方を除いて283名の聴講希望があったとのことでした。病院や消防など、仕事の関係で参加できなくなることもあるようですが。吃音が切り口だと明記しているにもかかわらず、たくさんの方が、関心を持って下さったようです。ありがたいことです。

 ところが、前日の23日、熱っぽく、咳が止まらないので、念のためにと近くの医院に行きました。ちょうど、インフルエンザが猛威を振るっているとのニュースもあったので、その検査もされました。結果は、「インフルエンザの可能性は低い」とのことでした。このはっきりしない結果を訝しく思いながらも、翌日の講演会にはもちろん行くつもりでしたが、咳止めの薬があまり効かずに、あまり眠れませんでした.
 翌日、講演会の当日ですが、僕の自宅の周りには、徒歩圏内にたくさんの医院があり、講演会は、午後からなので、念のために軽い気持ちで別の医院に行きました。ここでもインフルエンザの検査をされて、検査結果は「A型インフルエンザ」でした。午後から講演会があるというと、「残念ですね。それは行けませんね」とあっさり言われました。昨日はインフルエンザの可能性は少ないと言われ、今日医院に行かなかったら分からなかったのだからと、強行突破もちらっと頭をよぎりましたが、会場は、箕面市立病院のホールで、聞いて下さる方は医療従事者が多いことを考えると、感染を拡大させるわけにはいきません。すぐに担当の方に連絡をとりました。メールをし、電話をかけると、すでに研修会場に行って準備をして下さっているとのことでした。なんとか連絡をとっていただいて、インフルエンザのため、行けないことを伝えました。不思議なことに、その頃には、熱も上がってきて、体もだるくなってきました。

 体調の不調など、僕自身の都合で仕事をキャンセルしたことは一度もありません。僕自身もとても残念でしたが、配布資料や当日のパワーポイントの資料もたくさん印刷していただいていた関係者に申し訳なく思いました。そして、タイトルを見て関心をもち、予定を組んで下さった参加予定だった人に申し訳ない気持ちがいっぱいになりました。僕も、かなり準備をしていました。吃音を通して考えてきたこと、今まで出会ったたくさんの、病気、障害のある人の顔を思い出しながら、お話してこようと思っていたのですが、本当に残念でした。
 そよ風のように町に出ようと運動をしてこられた牧口一二さん。24時間介護が必要で、大泉洋主演の映画「こんな夜更けにバナナかよ」の主人公によく似ている日本一明るい障害者だろうと僕が思う谷口明広さん。聴覚障害者で内科医の原誠二さん。この三人とは「障害を生き抜く」という本を出版しようと話し合っていたのが実現しなかったのですが、三人のことを話すつもりでした。また、「パッチンして、おばあちゃん!」のアニメにもなった、200人もの人が介護にかかわった関丕(せき ひろ)さんのお母さんのことも話そうと資料も送っていました。講演で話そうとして準備をしたこれらの方々のことを思い出し、整理できたことは、僕にとってはありがたく、有意義な講演準備でした。また、機会があれば話したいと思います。

 夕方、担当の方からメールがありました。体のことを気遣っていただき、中止に関して大きな混乱はなかったと知らせて下さいました。市の関係者には連絡がつきやすいと思いますが、一般市民の方には連絡ができず、ご迷惑をおかけしたはずです。それでも、このように言っていただき、少し安心しました。

 インフルエンザの予防のためのワクチンは、昨年10月に済ませています。だから、重症化はしなくて済んだようです。それでも、まだすっきりせず、珍しく食欲もあまりなく、ほどとん毎日欠かさなかったジョギングもできず、まだ病人状態です。もうしばらく時間がかかりそうですが、無理せず、ゆっくりすごそうと思っています。
 皆さんも、ご注意下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/27

対話する仲間のいることの幸せ

語っても語っても尽きることない吃音の話

 1月12・13・14日と、東京でした。
 12日と13日は、吃音プロジェクトという、ことばの教室の仲間たちとの合宿でした。
 14日は、7回目となる東京での伊藤伸二・吃音ワークショップがありました。
 集まった仲間は、鹿児島、大阪、千葉、神奈川、栃木、愛知、東京からでした。
合宿 合宿は、12日の午後1時から夜まで。近況報告に始まり、金子書房から出版した『どもる子どもとの対話〜ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力』作成中の話やその後の反応、夏、三重県で行われる全難言大会の話など、尽きることなくしゃべりました。
祝賀会 そして、夜は、出版記念の祝賀会を行いました。2時間半、たくさん話し、たくさん食べ、たくさん飲みました。いつも話題は決まって、吃音のこと、吃音にまつわるいろいろなことです。まあよくここまでしゃべることがあるなと感心するくらい、話は尽きません。ひとりで考えていたのでは思いつかないようなアイデアが次々と浮かび、新しい課題が見えてきます。みんな教員として忙しい毎日なのに、それにプラスされる忙しさをまるで楽しんでいるかのような仲間たちです。こうして、今までも、『どもる君へいま伝えたいこと』や『吃音ワークブック』『学習・どもりカルタ』、そして今回の『どもる子どもとの対話』などが、この仲間たちと生まれました。

 13日は、朝9時から夜9時まで、今夏の第9回吃音講習会の話が中心でした。
 せっかく東京に来ているのに、東京らしいところには足を踏み入れることなく、合宿の会場付近にしか行っていないとぼやきながら、みんな楽しそうです。

東京ワークショップ 14日は、朝10時から、第7回伊藤伸二・吃音ワークショップin東京です。ホームページの案内を見た人、こくちーずの案内を見た人、学校の先生から紹介された中学生の親子、吃音にはまったく関係ないのに、自分の生きづらさのために読んだ、僕と石隈利紀さんとで書いた『やわらかに生きる−論理療法と吃音に学ぶ』(金子書房)を読んでつながった人など、15名の参加でした。思いもかけない話が飛び出してきて、このワークショップに参加している人たちでつくる場の力を感じました。詳しくは、また紹介したいと思います。真剣な仲間だからこそ出てくる話ばかりでした。
 参加した仲間2人が、後日送ってくれた感想を一部紹介します。


 〇合宿が終わりました。あっという間の3日間でした。今年のプロジェクトの活動についていろいろと考えたのですが、3日間、しゃべりまくってもまだまだ足りない感じでした。
本当によくしゃべる!でも、そのしゃべりからどんどんアイディアが浮かんでくる感覚は、とても楽しくて、おもしろいです。
 1日目の夜は、本の出版記念のお祝い会をしました。一人一人が本への思いを語りました。対話をすることの意味や大切さがさらに深まりました。講習会でも、対話をキーワードにして進めていきたいと思います。
 皆さんと出会い、プロジェクトに入れていただいたことから私の人生は変わりました。しなやかな考え方やへこたれない前向きさが私の日常にも生かせるようになりました。
これからも、楽しくプロジェクトのイベントに参加し、がんばっていきたいと思います。


 〇吃プロの合宿と相談会、本当にあっという間に終わってしまいました。
 あれから一週間…何とか毎日の仕事はしていましたが、ちょっと気の抜けた状態でした。
 金曜日、職場の男の先生の新年会がありました。
 話の分かる先生もいるので、決して全部の時間がつまらないわけではないけれど、ほんとはもっと違う話ができれば…と、一週間前と比べてしまいます。
 合宿では、講習会のこと、全難言の発表のこと、本のこと、とにかくいろいろ話がでました。(ご飯食べてる時も、お酒飲んでる時も、とにかくずうーっと話しっぱなしでした)
 東京ワークショップでは、中学生も含めて参加者の真剣な語りを伊藤さんがどんなふうに聞いて、そして語りかけていくのか。対話の大切さを改めて確かめるとともに、自分にとっては、とにかく刺激いっぱいの時間でした。場の力も感じることができました。
 先週は、「対話」に興味をもってくれた、発音が課題で来ている子の保護者ととなりの教室の先生が本を紹介すると「アマゾンのレビューを見て、涙が出てきた。是非、買いたい」となったどもる子の保護者が『どもる子どもとの対話』を買ってくれました。とにかく地道に紹介していこう…そう思っています。

 いい仲間とのいい時間、みんな元気になって、それぞれの地に帰ったようです。

 僕も、東京に行く前は風邪気味だったのに、元気になって帰ってきました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/22

高知の相談会・研修会の番外編

高知での相談会・研修会の番外編 ひろめ市場と高知城

 12月23日、高知県言語聴覚士会主催の吃音研修会が終わった後、お昼ごはんと観光を兼ねて、車で案内していただきました。車で案内してくれたのは、23年前に高知に僕を呼んでくれたことばの教室の担当者でした。
 広い歩道の両側に市がたっていました。野菜、果物、お菓子や食べ物、植物、そして刃物類など、たくさんのお店、そしてたくさんの人出でした。
ち ひろめ市場看板 ち ひろめ市場4人ち ひろめ市場人が多いち ひろめ市場塩たたきお昼ご飯をと案内していただいたのが、まあにぎやかな「ひろめ市場」というところでした。日曜日、3連休の真ん中ということもあったせいか、すごい人でした。お店がいっぱいあって、真ん中にテーブルといすがある、屋内の市場です。それぞれ好きなものを買ってきて、テーブルを囲み、話しながら、飲みながら、食べるというスタイルです。朝から飲めると聞き、さすが高知だと感心しました。雰囲気に圧倒されながら、それでも、おいしいかつおのたたき、有名な餃子など、たくさんいただきました。
 ひろめ市場で合流して一緒に食事をしたのが、吃音相談会の会場の手配をしてくれ、織田さんの子どもさんを担当している先生、支援センターに勤める言語聴覚士でした。1986年の国際大会に参加したなど懐かしい話がたくさんでました。
ち 高知城ち 羽織とうさぎのかぶと その後、土佐の歴史と文化の新拠点である高知城歴史博物館に案内してくださり、体験コーナーに置いてあった兜と陣羽織、せっかくなので、着て、記念撮影もしました。
 とてもいい時間を過ごし、夕方の飛行機で大阪に帰りました。たった2日間でしたが、中身が濃く、もっと長い時間、いたような気がしました。
 伝えたいことがあること、聞いてくれる人がいることのありがたさをしみじみ感じた高知でのできごとでした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/19

高知県言語聴覚士会の吃音研修

高知県言語聴覚士会の吃音研修会の感想


 「どもる子どもの保護者のための相談会」が終わった後の懇親会で、川野通夫先生のなつかしい思い出話をしました。その懇親会から1ヶ月もたたないうちに、川野先生が亡くなったとの知らせを受けたことになります。急遽、川野先生への追悼のブログを、前回書きました。今日は、高知行きの続きです。

 相談会・懇親会の翌日の12月23日は、高知県の言語聴覚士会主催の研修会でした。若い言語聴覚士の方、幼稚園や保育園の先生方など、50名の方が参加して下さいました。
ち 表の看板ち 始まる前のホワイトボード
 ここでの講演のタイトルは、「子どもの非認知能力を高めるために」としました。パワーポイントは使わないけれども、資料として配付したパワーポイントの資料に沿って話したいと最初に言いましたが、やはりそうはいかず、今、伝えたいという思いのまま、資料は見ないで語りました。皆さん、熱心に聞いて下さっていることが伝わってきます。
 研修会が終わって2日後、参加者の感想を送って下さいました。すぐにパソコン入力して下さったのだと思います。その感想の中から一部紹介します。

高知研修1高知研修2高知研修3高知研修4
〇伊藤さんの話は、どもる私にとってとてもわかり易く、本質を突いたものでした。とても勉強になりました。伊藤さんは、今でも常に新しい知見を取り入れながらも、ブレずにどもる子どもやどもる人のサポートをされていることがよくわかりました。

〇伊藤さんのお話の中で、いくつも思い当たり、 共感するところがたくさんありました。
 お話はどもる子どもや成人の方々への向き合い方だけでなく、私たちがかかわるすべての子どもや成人、親御さんへの向きあい方にとても参考になると思いましたし、基本的なことだと思いました。
 私自身、地域の臨床をする中で、社会モデルや当事者研究を学び、私の言語療法を根本的に変える(パラダイムシフト)契機になりました。今は改めて、その大切さを確認しました。

〇今後のSTの仕事に生かしていきたいと思います。
 吃音に対して、自分が思っていた事や感じていたことの考えが「全然違うな」と思った部分がたくさんあり、改めて勉学に励まないといけないという考えがさらに強くなりました。また子どもさんや患者さんに対しての接し方も気を付けていかないといけないと感じました。

〇日頃は、障害を抱える又は診断が下りている否かにかかわらず、発達に困り感を抱える子どもや親御さんに関わる仕事をさせていただいてます。今日の伊藤さんの話は、私の日頃業務でいつも自問自答している内容ばかりで、また明日からガンバロウ!と思えるようになりました。親御さんの子どもへの思い、それは期待感でもあり、現実を受け止め切れない苛立ちや焦りでもあり。これらの思いにどう寄り添い、どう動くか、今日のお話を思い出しながら、一緒に歩ませていただこうと思います。

〇伊藤さんの実体験や母親との関わりを聞かせて頂いてよかったです。
 また、安全地帯を作っておくことは、すごく重要だと実感しました。今まで通り、焦ることなく、よりそっていこうと思いました。

〇私は将来、言語聴覚士になりたいと考えております。そう考えるようになったきっかけが、吃音に悩む人の相談を受けたことからだったので、実際に吃音を持ちさまざまな経験をなさっている伊藤さんの講演に興味を持ちました。
 吃音に苦しむ人の側にいる私にできることは一体何なのか、専門性を持つことで、そこから先は何をしなければいけないのか、お話を聞くことでそれが見つかればいいなという思いがありました。
 講演を聞き終えた後は、その人の幸せを一緒に考え、苦しみとどう向き合うか、失敗した時はどういうことに努力すれば今後うまくいくだろうかということを共に考えることが私の役目なのだと、大きな気づきを得ることができました。
 これから目指していく言語聴覚士像をより明確にしてくれる貴重なお言葉をいただき、この度は本当にありがとうございました。

〇初めて吃音について学ぶ機会に参加できました。幼児と過ごす日々の中で、吃音に対してどう受けとめれば良いか分からず、吃音に関して触れないように対応してきました。今回、お話を聞かせて頂き、幼児のそのままのしゃべりを受けとめ、話していけるようにしていきたいと思いました。

 あっという間に時間になり、吃音研修会は終わりました。新しい本の販売もしましたし、サインもしました。サインをしながら、個別の質問にも答えました。
 その後、車で高知を案内していただきました。合流してくださる方もいて、5人でお昼ご飯をいただきました。その番外編は、次回のブログで。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/17

川野通夫先生、ありがとうございました

川野通夫先生との思い出


 昨日、知人の喜多順三郎さんから、川野通夫先生がお亡くなりになったとのメールがありました。長年病床にあったために、覚悟はしていたものの、寂しさがこみ上げてきます。
 言語病理学を日本に導入した神山五郎先生、心理学から吃音研究の第一人者だった内須川洸先生、高知県の須崎市のことばの教室の教員から、京都大学音声科学研究所へ、そして京都教育大学教授として主に口唇口蓋裂にかかわってこられた川野先生。ここ2年でとても親しくしていただいていた言語障害の分野の草分け的存在が相次いでお亡くなりになったことになります。ひとつの時代の終わりを感じざるを得ない別れになりました。

 43年前、僕は、大阪教育大学特殊教育特別専攻科の教員をしていました。「どもりはどう治すかではなく、どう生きるかだ」との僕の吃音哲学が、単にセルフヘルプグループでの活動、大学の研究室での研究だから言えるものなのか、グループも治療機関もない地方都市でひとりで悩んでいるどもる人に通用するのか、受け入れられるのか、検証することなく、次の段階に進むことはできませんでした。そこで、ひとりで悩んでいる人を主な対象として、全国を巡回して、吃音相談会をすることにしました。僕の研究室の研究生ふたりが同行してくれ、僕を含め三人で出かけました。 
 
 「日程と会場だけ、ことばの教室の先生や親の会で確保してもらえれば、講師料なしで、交通費も自分で負担して行きます」と、全国各地のことばの教室にお願いをしました。昭和50年のことで、ことばの教室が全国各地にできていった頃でした。その初期のころの活動を支えてきた全国各地のことばの教室の先生方がたくさん僕の要請に応えてくれました。

 そのひとりが、高知県須崎市でことばの教室担当だった川野先生でした。お酒が大好きで、豪快な人でした。相談会のことはよく覚えていませんが、川野さんは自宅に僕たちを泊めてくれて、歓迎してくれました。「伊藤君、男なら酒が飲めないといかん」そう言って、注いでくれるのですが、僕はお酒は全く飲めません。その頃は今ほどはっきり断ることができず、少しは口をつけたように思いますが、まいったなと思っていたことは覚えています。その後、川野さんは、京都に出てこられ、京都大学医学部の音声科学研究所に転身されました。
 深いおつきあいになったのは、「口蓋裂の相談」というパンフレットを作ったときでした。僕たちが、「どもりの相談」という薄いパンフレットを作った後、口蓋裂のパンフレットも作りたいとの話になりました。パンフレット2冊
 「似て非なるもの」という文章が残っています。吃音と口蓋裂、隠したいという思いが強いこと、そこからくる問題など、吃音と似ていることを挙げ、さらに、似ているけれど、口蓋裂には吃音とは非なる深い問題があると書きました。パンフレットの制作を通して、川野さんとはかなり濃密なやりとりをしました。
 
 12月22日、高知市での吃音相談会が終わった後の懇親会でお会いした大崎聡さんは、川野さんのご親戚でした。大崎さんは、翌日の言語聴覚士会の吃音研修会のお世話をして下さいました。大崎さんとは、川野さんのお家か、僕の研究室かでお会いしたそうですが、僕は覚えていませんでした。僕が、大阪教育大学を辞めてカレー専門店をつくろうとしていたころだったようで、大崎さんは、「大学を辞めてカレー屋さん? 珍しい、おもしろい人だなと思った」と、そのころのことを思い出してなつかしそうに話してくれました。懇親会では、川野さんのなつかしい思い出話をたくさんしました。
 高知に、川野さんの考え、行動は、確かに根付いているようです。島根に、大石益男さんがいたように、川野さんも高知に大きな影響を与えたのでしょう。残念ながら、入院中の川野さんにはお会いすることができませんでしたが、何度もお会いしたことのある、おつれあいとは電話でお話させていただきました。

 昨日、川野先生が亡くなったとの報に接して、直接会えなかったものの、みんなで、川野先生の思い出話をして、おつれあいと久しぶりにお話ができたこと、よかったなあと思いました。
 高知県とはほとんど縁がなくなっていたのが、昨年末、「どもる子どもの保護者のための相談会」「言語聴覚士会の研修会」で高知市に行くことができたことは、川野先生の導きだと感じました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/16

実現した、高知での吃音相談会

高知での吃音相談会

 2018年の吃音親子サマーキャンプの2日目の夜、2回目の参加の高知の織田すみ子さんが相談があると話しかけてきました。お話を聞いてみると、高知でぜひ吃音キャンプをしたいとのこと。また大胆なことを、と思いましたが、織田さんは真剣そのものです。僕の話をぜひ、高知のみんなに聞いてもらいたいと熱心に話してくれました。秋は、島根、岡山、群馬、千葉、沖縄と各地のキャンプが続くので、12月であればぜひとお答えしました。
 高知へ帰ってからの織田さんの動きは素早いものでした。まず、子どもが通うことばの教室の担当者に、そして教育委員会に働きかけました。担当者が賛成してくれ、高知県の言語聴覚士会にも働きかけ、だんだんと高知でのスケジュールが決まっていきました。ひとりでも、熱意のある保護者の力の大きさを見せられました。そして、その保護者の思いを受け止めた担当者のおかげで、昨年をしめくくる高知でのイベントが実現したのです。キャンプは無理でしたが、どもる子どもの保護者のための相談会と言語聴覚士会の吃音研修が実現しました。
 ことばの教室の担当者のひとりが長年の知り合いだったことも大きかったようです。僕は、43年前に、全国巡回吃音相談会で高知を訪れています。そのとき、会場の手配をし、自宅に泊めて下さったのが、須崎市のことばの教室の教師であった川野通夫さんでした。川野さんのことは、別の機会に書きたいと思っていますが、その川野さんの指導を受けたことばの教室の担当者が今回の相談会・研修会の後押しをして下さいました。
ち 相談会看板ち 相談会日程表
 12月22日、朝7時30分に伊丹空港を出発しました。高知空港まで、フライト時間はたった37分でした。あっという間に高知龍馬空港に着きました。迎えに来て下さった織田さんの車で、桂浜に寄り、はりまや橋小学校へ。打ち合わせをし、ランチをいただき、ゆったりとした中で、吃音相談会が始まりました。参加者は、小学校1年生から中学校2年生までの本人と家族でした。初めは、子ども、保護者、ことばの教室の担当者全員に僕の話を聞いてもらいました。子どもにとっては、ちょっと難しかったかもしれませんが、小さな集まりでは、こうして全員の前で話をすることがあります。その後は、保護者と子どもに分かれて、話し合いの時間を持ちました。最後にまた全員が集まり、声とことばののレッスンとしての歌を歌い、ふりかえりをしました。短くも充実したひとときが終わり、午後6時から懇親会がありました。
ち 相談会織田さん高知6高知9
 そこで久しぶりの再会をしたのが、大阪教育大学の伊藤研究室に出入りしていた、当時京都大学の学生だった喜多順三郎さんでした。40年以上前に会ったきりだと思っていましたが、彼は1986年の京都での世界大会に参加していたと聞き、32年ぶりということになりました。400人参加していた世界大会で、喜多さんと会った記憶はなく、僕にとっては、40年以上の本当になつかしい再会でした。お互いに風貌は変化していますが、話し出すと、思わず、どもり方は変わっていない! あのときのままだ、と思いました。
 彼のどもり方は、ブロック(ことばがつまる、いわゆる難発)のどもっている間が絶妙で、とても思慮深い印象を聞き手に与え、つい聞き入ってしまいます。本当に素敵などもり方をします。映画や芝居では、清水次郎長一家の森の石松みたいにちょっとおっちょこちょいな人間として描かれることもあるどもる人ですが、彼はその正反対です。僕の場合は、森の石松型なので、彼のようなどもり方にひかれます。
 その場には、川野さんの親戚で、僕も会ったことがあるようなのですが、全く覚えていなかった、大崎聡さんという方がいました。翌日の研修会の企画をしてくれた人です。長年高知市でことばの教室の教師をし、言語聴覚士会の役員をしています。その他、言語聴覚士会の会長をはじめ、役員の方が参加して下さり、なつかしい話や言語指導・治療の現状の話など、尽きることなく話が続きました。
 43年前と、23年前にも講師として招いて下さったことのある高知。遠いと思っていた高知が、意外に近くにあること、そして物理的だけでなく、距離がぐんと縮まった気がしました。懇親会が終わり、高知の夜の商店街を歩きました。どこにこれだけ人がいるのだろうと思うくらい、にぎやかでした。川野通夫さんもお酒が大好きだったなあと思いながら、歩きました。では、その川野さんとの思い出は、次回に。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/6

「対話」を拒否し、軽視するアベ政治に断固反対する

 国会議事堂前で、少数派の仲間と共に

 この年末年始、東京で過ごすことを決めた目的のひとつに、1月3日の国会前の集まりへの参加がありました。これは、88歳の作家、澤地久枝さん提案による「毎月3日午後1時に『アベ政治を許さない』を掲げて、「対話」をまったくしない、「アベ政治を許さない」静かな抗議の集まりです。
 2年前も、年末年始を東京で過ごしたのですが、1月3日の国会前での集まりについては、大阪に帰ってから、落合恵子さんが書かれたコラムで知りました。そのコラムには、「松元ヒロさんも来られていました」とありました。もしかしたらヒロさんに会えるかもしれないと思いながら、ぜひ、次回はと思っていたので、今日は、満を持して国会正面入り口に行きました。
アベ4
 もちろん国会議事堂の正面前には行けません。国会が正面に見える歩道の片隅に、通行人の邪魔にならないようにと線がひかれ、その周りに人が集まります。みんな、あのプラカードを持っています。「アベ政治を許さない」との力強い、故金子兜太さんが書かれた筆の文字のプラカードです。これを黙って掲げるという集会でした。歌もシュプレヒコールもデモもありません。黙って、ただプラカードを掲げることで、自分たちの抵抗の意思を示すのです。

 着いてすぐ、ヒロさんをみつけました。ヒロさんは、私たちを見て、本当に驚いていました。「えっ、伊藤さん。大阪から?!」でした。思わず握手して、写真を撮って、なつかしい再会でした。ヒロさんは人気者で、たくさんファンがいます。
アベ1アベ5
 しばらく待っていると、この集まりを始めた澤地久枝さんが来られました。88歳になられる澤地さん、座る椅子もなかったからなのですが、立ったまま、仲間のひとりとして参加されました。集まりの最後に、澤地さんは思いを語ります。いつも、マイクを通さず、生の声で、みんなにメッセージを届けるのだと聞きました。
 その澤地さんのご指名で、はじめにヒロさんが話しました。いつもの舞台の上のヒロさんのようでした。おもしろおかしく、しかし、鋭く社会をみつめる姿に、いつも勇気づけられます。その後、2人の方が話し、そして、最後に澤地さんの登場です。
アベ3
 「こういうことを掲げ続けることがもう過去のことになるように、今年はがんばりたいと思います。本当にこんなひどい政治はないです。全く問答無用で、野党さえ無視して、政治が暴走している。彼らが必要とする法律が次々に通っていく。これは許されないことだと思います。許されないということを、私たちは示さなければならない。ここに集まる会は、ほんのささやかな会ですけれども、そのほんのはしっこに属していると思います。もっとこういう力が大きい力になって、アベという人が心を寒くして、早くやめてくれるといいと私は心から願っています。今日はありがとうございました。お天気もよくて、何よりでした。皆さん、お元気で」

 ひとりの力は小さくても、思いを同じくする人が集まってその意思を示し続けていく、ただ黙ってプラカードを掲げ続けていく、許さないという毅然とした態度を示し続けていく、そんな人たちに、胸が熱くなりました。小一時間立ち続けて少々疲れましたが、年の初めに大きな勇気をもらったようで、豊かな気持ちになりました。今日の参加者は、120人、いつもよりは少し多いと主催者は言っていました。
アベ2
 国会議事堂前に集まった人たちは、少数派であることは自認しています。少数派だけれど、しっかりと現実をみつめ、少しでも社会が明るくなるようにと、あきらめず、粘り強く主張する仲間がいます。120人の集まった人たちは、松元ヒロさん、澤地久枝さんを除いて知らない人ばかりですが、熱い連帯の気持ちは共有できました。

 『どもる子どもとの対話〜ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力』の本を書き、対話を大切にしていこうとしているとき、徹底的に「対話」を拒否する「アベ政治」に抵抗する仲間と出会えたことはうれしいことでした。
 吃音の世界でも僕たちは圧倒的少数派ですが、仲間がいるから、今年もがんばれそうです。
 今年もよろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/01/03

東京・吃音ワークショップ〜2109年の幕開けに 

 人生をみつめるために〜東京・吃音ワークショップ

 2019年が始まりました。
 最近、新聞や雑誌で、よく「対話」ということばを目にします。政治の世界でも、教育の世界でも、社会全般で、今こそ「対話」が求められていると言うことでしょう。2018年の年末に金子書房から出版した、『どもる子どもとの対話〜ナラティヴ・アプローチがひきだす物語る力』というタイトルは、まさに時代が求めているそのものを言い表したものと言えます。
 今年は、この「対話」をキーワードに、活動を展開していこうと思います。
 そんな2019年の幕開けに、以前案内した「伊藤伸二・東京ワークショップ」を再度、案内します。

 正直に、率直に、自分のことを語る。
 自分が考えたことをことばにして他者に語る。
 他者のことばに耳を傾ける。
 困った時、悩んだ時は他者に助けを求める。
 常に複数の選択肢を考える。
 考え、選択したことを行動に移す。

 これらのことを大切にしたワークショップを、1月、東京で行います。毎年、この時期に東京で行ってきたもので、今回で第7回になります。
 僕は、思春期、ひとりで、吃音に深く悩んでいました。これらのことの必要性を教え、育ててくれる人がいたら、そして、実際に私がこうしたことができていたら、もっと早く吃音の悩みから脱出して、自分の人生を生きる道筋に立てたのではないかと思います。

 昨年の第6回東京ワークショップには、中学2年生の女の子が母親と共に参加しました。僕がする質問に対して彼女は考え、自分のことばで応答していきました。彼女が考えている時間や息づかいは今でもよく覚えています。深刻な話題だったけれど、爆笑する場面もあって、あっという間に時間が経過していきました。それくらい充実していたのです。それは、その場を支えるいい聞き手がいたからだったと思います。

 僕のことばの師匠である竹内敏晴さんは、いつも個人レッスンに入るとき、「意味あるレッスンになるかどうかは、立会人である周りの皆さんにかかっている」と必ず言っていました。
 最近の僕のワークショップは、ひとりに焦点を当てた、当事者研究風な、オープンダイアローグ的なものになることが多くなってきています。東京ワークショップも例外ではありません。僕もいつも、対話を始める前に必ずこの話をします。

 これまでの東京ワークショップでは、こんなことが話題になりました。

・若い人が将来の仕事について悩んでいました。どんな仕事を考えているのかを聞きながら、起こってくるプラス面とマイナス面を一緒に考えました。最終的には、どんな仕事に就いても、どもることの苦労はついてくる。それならば、本当に自分がしたいと思う仕事に就いてほしいと伝えました。
・どもりを隠さず、逃げずに、言い換えもしないで、話していきたいと思うが、苦しいという人がいました。逃げてもいい、言い換えてもいい、どんな手をつかっても、生き抜いていけばいい。それが僕たちのサバイバルだ。でも、どうあがいても出ないときはどもるという覚悟を持つことだ。強行突破しかないと思っていたその人は、気持ちが軽くなったと、ほっとしていました。
・自分のどもりと徹底的に闘っているという人がいました。その生き方は、しんどいので、変えたいと思うが、今更変えることができないと言います。僕は、変える必要はないんじゃないかと言いました。人それぞれの生き方がある。こうでなければならないと縛ることはないと思うからです。返ってきた僕の答えがその人にとっては意外だったようですが、それでいいと言ってもらえてよかったと言っていました。

 いろんな人が、さまざまなことを考えています。ひとりひとりの人生に寄り添い、自分を振り返ることのできる時間をご一緒しませんか。

   伊藤伸二・吃音ワークショップin東京
日時  2019年1月14日(祝日) 10:00〜17:00
会場  北とぴあ(東京都北区王子1-11-1 TEL03-5390-1100) 601会議室
参加費 5000円…当日、受付でお支払い下さい。
参加申し込み方法 〔樵亜´年齢 住所 づ渡暖峭罅´タΧ函´ο辰傾腓辰討澆燭い海箸篳垢たいこと О貌伸二・吃音ワークショップを知ったきっかけ を書いて郵送かFAXでお申し込み下さい。
問い合わせ・申し込み先  日本吃音臨床研究会
     〒572-0850 寝屋川市打上高塚町1-2-1526   TEL/FAX 072-820-8244


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/1/1
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