伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2018年10月

第2回ちば吃音親子キャンプ3 作文も、どもりがテーマ 

第2回ちば吃音親子キャンプ ひとりで吃音と向き合う作文の時間

 子どもたちの当事者研究、できないことはないと思っていましたが、やってみて、手応えを感じました。滋賀県での吃音親子サマーキャンプの話し合いで行ってきたことは、当事者研究そのものでした。複数回参加している子どもたちがいるからできるのではなく、初めて参加する子どもたちばかりでも、それは成り立つことが証明されたと思います。ちばキャンプの目玉は、当事者研究にしようかなと、スタッフの渡邉美穂さんが言っていました。充分にできそうと思いました。

 夜は、スタッフ会議です。子どもたちと保護者は、入浴、そして就寝と続くのですが、そんなに簡単に寝るはずはなく、非日常の夜を楽しんでいたようです。日帰りのキャンプと違い、一晩共に過ごすことの大きな意味があると思います。どんなことがあったとしても、また、何もなかったとしても、きっと代えがたい一夜になったことでしょう。
ちばキャン 旗

ちばキャン 作文
 翌朝、いい天気でした。ちばキャンプの旗を揚げ、ラジオ体操をし、2日目のスタートです。

 まずは、全員で作文を書きました。どもる子どもは自分のどもる体験を、保護者は子どもの体験とそのときの自分の気持ちを、スタッフは担当している子どものことを、そして、きょうだいやスタッフの子どもたちは、直接吃音とは関係ないのだけれど、もし書けるようなら吃音のことを、と初めにお願いして、スタートしました。
 滋賀県でのキャンプでも、作文の時間があります。話し合いは、みんなでどもりのことを考える時間、作文はひとりでどもりと向き合う時間です。作文の後に、もう一度、みんなで話し合う時間を設定しています。このサンドイッチの組み合わせが、絶妙です。
 書いてきた作文をその場で読み、もう少し詳しくとお願いして、もう一度席に戻り、書き足してもらったり、内容にふさわしいタイトルを考えてもらったり、その場で説明してもらって話し込んでしまったり、10時までたっぷり作文の時間を過ごしました。
 その後は、子どもと保護者に別れて話し合いです。
 たくさん話し合っているのに、まだ時間が足りないくらい白熱していました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/10/16

第2回ちば吃音親子キャンプ2 どもる子どもとの当事者研究

第2回ちば吃音親子キャンプ2 応援団長になりたい

 ちば吃音親子キャンプの夕食は、バイキングです。広い、明るい、レストランと言ってもいいような食堂でいただきました。
 その後、夜のプログラムは、子どもも保護者も一緒に、どもりの問題を考えました。
 第1回のときは、オープンダイアローグの手法で、フィッシュボウルというエクササイズをしました。2重円を作って、中の円に子どもたち、外の円に保護者やスタッフが座って、子どもたちを囲みます。中の円に座っている人が話すことができ、外の円にいる人は、聞き役です。でも、話したくなったら、中の円に入ってきたらいいのです。中の円にいる人も自由に外に出ることができます。場所を移動することによって、話をする立場と聞く立場を相互に入れ替えて対話をしました。

 第2回目の今回は、当事者研究をしてみようと思いました。
 出したテーマは、「本当はしたかったのに、あるいはやってみたらできたかもしれないのに、どもるからといってしなかったこと」を、子どもたちに出してもらい、なぜしなかったのか、どうしたらできたのか、そんなことを考えてみようとしたのです。
ちばキャン 子ども当事者1ちばキャン 子ども当事者 伸二のみちばキャン 子ども当事者2ちばキャン 子ども当事者3 子どもたちに経験を聞いてみると、僕にはたくさんあるのに、子どもたちはその経験があまりないというのです。僕にとって、卓球は、どもりで辛い毎日の唯一の救いでした。高校でも、その卓球部に入りました。でも、男女合同の合宿があると聞いて、きっと自己紹介がある、入学式で好きになり、卓球部に入っていたその女の子の前でどもりたくないという、ただそれだけの理由で、合宿の前日に卓球部を辞めてしまいました。

 その例を話して、「自己紹介が嫌だからという理由で大好きだった卓球部を辞めた。あほみたいやろ」と言うと、思わず子どもたちもうなずきます。そして、自己紹介が嫌だからといって逃げたりはしないと言います。僕が、発表も音読も逃げたと言うと、みんな「ちゃんとしている」と言います。このテーマで話すことは無理かなあと思ったのですが、一緒に話し合いに参加していることばの教室の担当者に、どもりだからといって、やったらできるかもしれないことをしなかった子どもはいないかと聞いてみました。
 
 出てきたのが、本当は応援団長になりたかったのに、どもる自分には無理かなあと思って、応援団員にはなったけれど、団長には立候補しなかった子がいたという話でした。その話を聞いて、「そのことは、自分の体験と似ている」と話し始めた子がいました。応援団長や応援団のことは、子どもたちにとって、身近なことのようで、みんなも自分のこととして考えられそうな雰囲気でした。そこで、応援団長のことで、当事者研究をしてみることになりました。

 ところが、僕は、今時の小学校の運動会で行われる応援団のことがよく分かりません。団長になると、どんな仕事があるのか、どんなせりふを1人で言わないといけないのか、練習ではどんなことが大変なのか、当日はどんなことをするのか、など子どもたちにていねいに聞いていきました。応援団は、運動会の花形のようで、低学年のときからかっこいい団長を見てきて、ずっと憧れている子もいるようでした。

 そこで、この場で応援団長を誰かがして、ここで応援の様子を教えて欲しいと言いました。サイコドラマやゲシュタルトセラピーがそうですが、実際に「今、ここで」してもらうと、話が立体的になってがぜんリアリティーが感じられます。ここが僕の勝負所でした。「誰かしてみてくれないか」程度の提案ではみんな乗ってきてくれなかったかも知れませんが。「さあさあ、ここで応援団をつくってみよう」と、あたかも当然みんなが出て来てするものだと決めつけたように子どもたちを促しました。「えっー、ここでー」と言いながらも、僕の当然出てくるものとの気迫におされたか、5人の子どもが出て来ました。

 赤と白の2組に分かれてもらい、「フレーフレー、あかぐみ(しろぐみ)」と実際に応援団長になったつもりで、応援をしてもらいました。大きな声で真剣に、「フレーフレー、あかぐみ(しろぐみ)」と声を出す子どもに「かっこいい、すごい」など声をかけ、周りも手拍子で加わり、みんなで、わいわいと応援団をしているうちに、ふっきれたような、やってみればできるかも、みたいな雰囲気が出てきたようでした。初めに言い出した子も、ためらいながらも、実際に団長をしてみました。キャンプの参加者の前でしたが、みんなの前でやってみて、手応えを感じたのかもしれません。チャンスがあれば、次回、団長にチャレンジしてみると話していました。

 5、6年生が多かったので、応援団の話から、次は、間近に迫った中学校での心配ごとや、からかったり笑ったりしてくる子に対してどう対処するかという話に移りました。別の小学校からも集まってくる中学校では、自分のことを知ってくれている子ばかりではないので、やはり心配のようでした。きっと真似したりからかってくる子は出てくるだろうから、そのときどうしたらいいかと話が進みます。

 そこで、まねする子やバカにしてくる子の研究をしてみました。当事者研究は、自分のことを研究するのですが、相手を研究することもできます。真似する子やからかってくる子は、どんな子だろうと問いかけると、次のような答えが返ってきました。
・いつも先生におこられている子 ・僕のことを嫌いで、僕もその子のことがきっと嫌いな子 ・自慢する子 ・ことばづかいの悪い子 ・わざとひっかかってくる子 ・いじわるな子、などでした。
 具体的な子どもの像が見えてくると対処の方法も出てきます。そんな相手にこちらが嫌な気分になることはないとの思いが出て来ます。

・我慢する ・誰かに愚痴を言う ・距離を置く ・あいさつのみにして深くつきあわない ・笑ってごまかす ・別の友だちを作ってつきあわない、などでした。

 真似されたりからかわれたりして嫌な思いをし、落ちこむのではなく、そうしてくる子はどんな子だろうと研究してみるという視点をもつことの大切さを思いました。

 高学年が多かったのですが、初参加の1年生もいました。どもらない子どもたちも同じように参加していました。そんな子どもたちが、午後6時30分から8時まで、休憩なしで、話し合いをしたのです。これを見ている周りの保護者やスタッフにとっても、この1時間30分は、貴重な時間のようです。子どもたちが、こんなに、どもりのことを話すという事実は大きいようです。
 この同じ空間を、子どもも保護者のスタッフも共有できることが一番大切なことだったと思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/13

第2回ちば吃音親子キャンプ 吃音は治るかの質問に答えて

第2回ちば吃音親子キャンプ 吃音は治りますか?


 9月16・17日、第2回ちば吃音親子キャンプがありました。前日の15日は、吃音親子サマーキャンプの打ち上げ・反省会があり、翌朝、始発で出発し、飛行機で羽田へ、品川経由で千葉駅に行きました。千葉駅で、キャンプのスタッフと合流し、車に乗せてもらって、会場の自然の家へ行きました。第1回の会場と同じです。ちょうど半年前の3月、年度末の忙しいときに第1回を開催したのが懐かしいです。ちばキャン 出会いの広場
 第1回に参加した人もたくさんいます。参加者は、27名。こじんまりとした集まりですが、それぞれの顔が見えて、とてもいい雰囲気でした。
 出会いの広場では、ゲームをしてみんな仲良くなりました。第1回のとき、大いに盛り上がった「島渡り」ももちろんメニューに入っていました。子どもたちも楽しみにしていたようでした。

 出会いの広場の後、子どもたちと保護者・スタッフは別プログラムでした。
 子どもたちは、会場の周りの自然を活かした活動としてザリガニつりと工作でした。スルメをえさにしてザリガニをつるとのことでした。
 その間、保護者とスタッフに向けて、僕が話をしました。珍しく、スクール形式に机を並べ、まとまった話をしようと思いました。これまでは質問をしてもらって、それに答えるというスタイルをとってきました。そのスタイルは、いきいきとしたやりとりができるから好きなのですが、逆に語り落とすことも出てきます。今回はまとまった話をするつもりですが、これを聞きたいというものがあったらと思い、まとまった話の前に、一番知りたいこと、聞きたいことを質問してもらいました。
ちばキャン 保護者ワーク 伸二ちばキャン 保護者ワーク 保護者後ろ姿

1.吃音は、治りますか。

 初参加の人の質問でした。最初の質問が究極のものになりました。自然治癒はありますが、50パーセント程度で、小学校入学までの子どもの場合です。それ以上の子どもには自然治癒はそう多くはありません。「治らないです」と、僕は答えました。そう言ってしまうと、身も蓋もないのですが、だからといって、悲観的になることはないのです。「治らない、でも、大丈夫」を丁寧に伝えたいと思っています。「治る」をどう考えるかですが、全くどもらない人と同じように、自然に、まるで空気でも吸うかのように話せるようにはならないでしょう。アメリカも、今まで自然な流暢性を求めてきましたが、それは無理なので、次はコントロールされた吃音を目指しています。工夫してどもらないように操作しようとするのですが、これも難しいです。僕が目指すのは、「どもりはそのまま認めて、自然に変わることを、期待しないで待つことです。よくなることもあるし、ひどくなることもあるし、状態がほとんど変わらないこともあります。なるようにしかならないと思っています。
 吃音は生活習慣病と似ていると思うので、日常生活で気をつけることはたくさんあります。どもりを隠し、話すことから逃げて、しゃべらない生活を続けていると、口に潤滑油がない状態になります。すると、いつまでもどもりの悩みからは解放されません。
 僕は、21歳のとき、どもりを治そうと行った民間吃音矯正所でどもりが治らず、そこで治ることをあきらめてから、どもりながらしゃべっていきました。そんな生活を続けていたら、いつのまにか、7年か5年くらい経ってからでしょうか、ふと気がついたけれど、前はかなりどもっていたのに、最近しゃべれているなと思えるようになりました。治すことをあきらめ、どもりながら、自分が伝えたいことは伝え、相手に対して誠実に話していく生活を続けていくと、自然に変わっていったのです。治すことを諦めて、自分の人生を幸せに生きる、楽しく生きることを考えていけば、自然に変わると思います。
 そう話した後、質問した人に、この話をどう思うか聞いてみました。その保護者も、自身がどもる人でした。ことばを置き換えたりして、コントロールしてきた自分の経験から、それを子どもにもさせないといけないのかと思うと、つらい気持ちになると言いました。僕は、あなたはちゃんと生きてきて、今、どもりながら、仕事をし、家族を養っている、そのことに自信をもったらいいと思うと伝えました。
 僕の父親はどもっていました。どもりを治そうと思ってしていた謡曲の師匠になり、ちゃんと立派に生きていました。僕とどもりの話はしなかったし、相談相手になってくれなかったけれど、父は自分の生きる姿で、どもりながら誠実に生きていくことの大切さを教えてくれたと思います。どもりながらでも、幸せに生きていくことができるという、どもりを楽観的にとらえる根拠になっていたと思います。子どもにしてやれるのは、どもりながら自分自身が楽しく幸せにちゃんと生きていくことです。自分と同じような苦しみを、と思わないで、オレでも生きてきたのだから、オレの子どもも大丈夫だと思えるような楽観的な考え方をもってもらえたらいいなと思います。

2.今、小学校の1年生で、どもるけれど、ケロッとしている。治したいと言っていたこともあるが、ことばの教室へ行くようになって情報を少しずつもらって勉強して、今は言わなくなった。私があまり深く考えすぎるといけないのかなと思っています。


 僕は、こういうとき、おどすわけではないけれど、今はいいけれど、将来のことを考えると、しっかりと吃音について勉強しておくことは大事だと思っています。学校で教科を勉強するように、です。吃音は、治療ではなくて、吃音学、吃音哲学として学ぶものだと思っています。
 今はいい、将来、どんなことが起こるかもしれない。将来問題が起こる可能性があるからというので、そのために、アメリカ言語病理学は、今のうちに治しておこう、軽くしておこうとします。
 僕は大反対で、僕は予防教育として、どもりが将来マイナスのものとならないよう、幸せに人生を生きることができるように、親としてできることを精一杯しておこうと言いたいのです。どもる状態は変わります。調子よくいっていたとしても、何かの拍子でまた元の状態に戻ることも、もっとひどくなることもあります。そんな不安定などもる状態をなんとかしようとするのではなく、「どもりを否定的にとらえない、マイナスにとらえない考え方」は、しっかり身につけば、多少のことで揺らぐことはありません。そんな、考え方、覚悟のようなものを、吃音学、吃音哲学で学んでおいてほしいのです。

 この後も質問は続きました。それに答える僕の話が長すぎるからなのですが、こんなふうに、ひとりひとりの質問に答えていったら、まとまった話をするという最初の意図はどこかへ行ってしまいました。せっかくちばキャンプのためにパワーポイントの資料を作ったのに、ほとんど使うことができませんでした。終了間際に少しだけお話しました。100人を超えるような参加者なら最初からあきらめるのですが、これくらいの適度な人数だと、どうしても顔を見ながら参加者と対話をしたくなります。今回もそんな形になってしまいました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/09

第29回吃音親子サマーキャンプ8 「人間」になる

第29回吃音親子サマーキャンプ8 「人間」になる場

おわり全体 前回の報告で終わりと思っていたのですが、後日行われた打ち上げ・反省会の様子をお知らせして、今年のサマーキャンプ報告を閉じることにします。
 温かく、楽しく、豊かな空間だったサマーキャンプを終え、参加者はそれぞれまた自分の世界に帰っていきます。見送りに行って、バスが小さくなると、さみしくなります。同時に、また来年!元気で会いたいと祈るような気持ちにもなります。現実は厳しい、でも、荒神山が待ってるよ、そんな気持ちです。

 参加者からぽつぽつと感想が送られてきます。今回は、メールアドレスをお伝えしたので、メールで感想を寄せて下さった方も少なくありませんでした。

 9月15日、土曜日の午後5時半、スタッフの打ち上げ・反省会が始まりました。どうしても、大阪近郊の人だけになってしまい、申し訳ないのですが、今年も15人が集まりました。前回のブログで紹介したサマーキャンプ卒業生が東京から参加してくれました。関東地方のスタッフで、この打ち上げ・反省会に一度でいいから参加したいという声はよく聞きます。仕事をちもちながらなので、難しいのですが、チャンスがあればぜひ。

 少しおなかが大きくなった頃から、ひとりひとりのスピーチが始まります。ひとりがしゃべる時間も長いけれど、それに対する質問やつっこみがあるので、ますます長くなります。同じグループだった子どもの名前が書いてある資料を持ってくる人、ほかのグループの子どもの名前が出たとき分かるように、またプログラムの流れが分かるようにと、しおりをもってくる人など、みんな用意周到です。終わったのは、午後9時過ぎ。今年もロングランでした。
 サマーキャンプは、事前レッスンに始まり、打ち上げ・反省会で終わると誰かが言っていました。出た話、少し紹介します。

打ち上げ1打ち上げ2・久しぶりに参加した。参加者がみんな協力的で、楽だなあと思った。
・2回目の参加で少し余裕があった。自分のどもりとも向き合う時間になった。参加するにあたって、子どもたちとできるだけ遊ぼうという目標を立てたが、たくさん遊ぶことができ、目標を達成できた。
・昨年参加した子どもたちの大きな変化がうれしかった。この1年、どんな生活をしていたのだろうと想像している。劇も、子どもたちのアイデアを取り入れて作っていった。柔軟性があって、子どもの力はすごい。
・今年、初めて子どもたちの話し合いのグループに入った。高校生の話を直接聞ける機会なんてないので貴重な時間だった。自分のことも思い出していた。きょうだいは、思いっきり遊んで楽しんでいるが、どもる子たちが話しているとき、じっと待っていてくれる。その姿がうれしかった。
・事前レッスンで、渡辺貴裕さんが子どもたちとのエクササイズをいろいろと教えてくれるのが、当日、とても役に立つ。サマーキャンプは、大事にしたい空間だ。
・14年ぶりに参加した。初参加みたいなものだった。事前レッスンから参加し、今までしてこなかった劇でセリフを思い切り言うこと、演じることが気持ちよかった。
・スタッフとして4回目の参加。初めて子どもたちの話し合いに参加した。何を話したらいいのかと戸惑いがあったけれど、子どもたちはきちんと考え、語り、行動していた。すごいと思った。来年は、母も姉もスタッフとして参加したいと言っている。
・中学生の話し合いの時間が印象的。子どもたちが、自分のことを自分のことばで語るのを聞いていると、スタッフも、自分のことを語りたくなる。いつのまにか、スタッフが自分のことを語っていた。今まで一緒に活動しているのに、知らない一面も聞けた。これが対等性なんだと実感した。
・スタッフは年々高齢化していっているけれど、卒業生がたくさん参加してくれて、ありがたい。事前レッスンに参加しているスタッフがグループに何人かいるので、劇の練習はとてもやりやすい。やはり、サマーキャンプは、事前レッスンからだ。
・私にとって、とても大事な3日間。どもりの魅力を味わうことができ、ますますどもりのとりこになってしまった。参加者ひとりひとりが、悩み、ここで出会い、そして変化していく。その凝縮された時間をともに生きているのがうれしい。3日目の卒業式やふりかえりでは、いつも泣いてしまう。今年の卒業式も、卒業生に合わせた形ですすんでいき、違和感は全くなかった。それがとてもよかった。
・長く、きょうだいを担当している。保護者から、「きょうだいをみてもらえるので、本当に助かる」と言われ、貢献感を味わうことができた。
・このサマーキャンプの場は、本当に不思議な空間だ。気持ちのきれいな人間になれるというか、人間になれるというか。私にとって、サマーキャンプは、「人間になる」場だと思っている。他のスタッフのやさしい関わりもすごいなと思う。
・ラグビーの神戸製鋼の平尾誠二が、「ラグビーは究極の遊びだ」と言った。それと同じように、僕は、どもる人のセルフヘルプグループ活動や、このサマーキャンプは、究極の遊びだと思っている。楽しいからする。楽しいことをしていると、人は幸せになれる。幸せなどもりだと思う。
・来年は、30回。何か記念になることをしたいなあ。これまでの参加者は、今、どうしているのだろう。その人にとって、サマーキャンプはどんな意味をもっていたのだろう。そんなことを聞いてみたい気がする。

 簡単なメモだけを頼りに参加者の感想を拾ってみました。この10倍以上もしゃべっていました。いい仲間たちだと心から思います。いい仲間たちと、楽しい活動ができる、これほど幸せなことはありません。
 吃音の夏は、こうして終わり、次は吃音の秋。各地でのキャンプロードが続きます。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/7

第29回吃音親子サマーキャンプ7 子どもたちの劇 

第29回吃音親子サマーキャンプ7 子どもたちの劇

 吃音親子サマーキャンプに関するブログを、6回に渡って綴ってきました。そろそろ終わりに近づいたようです。最終日、いよいよ、子どもたちの劇の上演が始まります。
 今年の劇は、「からすのくれた聞き耳ずきん」です。
劇1 松島劇2 森田劇3 井口劇5 相談中劇6 うんとこしょ劇7 くすのき前田
 荷物運びの藤六が拾った頭巾は不思議な力があります。かぶると鳥や木のことばが分かるのです。藤六がかぶったり脱いだりすると、後ろにいる小鳥役は忙しいです。チチチチと泣いていたかと思うと、「小鳥はとっても歌が好き」と人間に分かることばに変わります。その不思議な頭巾の力で、お屋敷の娘さんの病気を治したり、水不足で命の危険にさらされている森の仲間たちを救ったりします。最後、みんなで「ぼくらはみんな生きている」を歌っておしまいになります。
 4つのグループに分かれ、それぞれ練習して、つないでひとつの劇に仕上げます。それぞれのグループがどんな演技を見せてくれるか、楽しみです。
 昔は、劇を仕上げることに意識が向いてしまうこともありましたが、最近は、スタッフも子どもたちも、練習のプロセスを楽しんでいます。子どもたちからのアイデアを取り入れ、まさにみんなで作り上げます。このサマーキャンプのブログの初めに紹介した、演劇の演出を担当してくれている渡辺貴裕さんが、「今年の芝居は、次のステージに上がった感じがします」と言っていましたが、そんな気がします。サマーキャンプになくてはならない大事な目玉プログラムです。

 最後に、サマーキャンプ卒業生が送ってくれた感想を紹介します。

 
ここ1、2年で気がついたことがある。私は吃音についてずっと悩んできたと思っていたが、実のところはそうでもないのだろう。これまでの3年、私はずっと親の話し合いに参加してきた。その度に当事者目線として色々と聞かれるのだが、返答に窮することが多々あった。「自分の場合はサマーキャンプに来て解決したから…」と答えたいところだが、それでは親御さんの溜飲は下がらない。だからどうにか言葉を捻り出して答えを取り繕ってきたのである。
 今年は初めて子供の話し合いに割り当てられた。小学5年生4人のグループ。小学5年で初めてサマーキャンプに参加した私としては縁を感じるが、それ以上に不安の方が大きかった。ただでさえ親相手に話すことがないのに、子供相手なら尚更だ。何年も参加している卒業生の胸中は決して穏やかではなかった。
 だが、そのような私の懸念はあっさりと崩れ去ることとなった。子供達に話を聞いてみると、口々に「悩んでいることは特にない」だの「将来の不安もない」、果ては「自由研究で吃音についてまとめて発表した」やら「全校生徒の前で話をして今では6年生と仲良くなった」などという武勇伝が飛び出てきたのである。かつての私よりもよほど高い胆力と行動力を持つ彼らに言って聞かせる高説など私はおろか4人いたスタッフの誰も持ち合わせていなかった。大人という肩書きの上に胡坐をかき三味線を弾いていた私達がいかに空疎であるかをその逞しさを以て暴いてみせたのはわずか十余歳の子供達に他ならなかった。彼らの強さは世間を知らないことからくる慢心などではない。これから先訪れる苦境も自力で乗り越えていけるだけのものを持っている。私は小さくも大きい彼らの姿にそれを確信した。
 そんな中で、今年、同じグループだったひとりの男の子のことが、私は気になっていた。サマーキャンプが終わり、家に帰ってからも、どうも気になる。気になっていることを伝えたくて、そして、その子がその後どうだったか確かめたくて、私は、今年ははるばる東京からサマーキャンプの反省会に乗り込むことにした。参加したところで何が解決するわけでもないが、サマーキャンプ以降ずっと宙を漂っている私の心を少しでも落ち着けずにいては私自身の精神衛生上宜しくない。そのためには移動時間も交通費も安いものだ。
 私の今年のサマーキャンプは、いつもより少しだけ長い。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/04


第29回吃音親子サマーキャンプ6 親のパフォーマンス

第29回吃音親子サマーキャンプ6 弾けた親のパフォーマンス


 2日目の夕食は、野外で食べます。かなり前からそうしています。そして、メニューは、特別メニューのカツカレーです。カツクラフト棟での食事クラフト棟での食事2カレーといえば、昼食の定番なのですが、夕食にカツカレーを出してもらっています。20回の記念のときに食堂にお願いしてから、定番になりました。
 今年の出会いの広場で、来年の30回を記念しての前年祭の替え歌に、「カレーにのるのはエビフライ」とありましたね。カツではなくエビフライなのか、カツ+エビフライなのか、さてさてどうなることでしょう。

 僕は、この、野外での夕食風景が好きです。
 小山
 以前、斎藤道雄さんがTBSのドキュメンタリー番組「報道の魂」で、サマーキャンプを特集して下さったとき、みんながカツカレーを食べている光景に「揺れながら、緩やかで、ひとつの家族のような…」というナレーションが流れました。すぐ近くの小山には、夕陽が射していて輝いています。ずっと前から変わらないこの荒神山の風景が、夏の終わり、僕たちを迎えてくれます。なんだかふるさとの田舎に帰ったような気持ちになります。
 ここで育っていった子どもたちはたくさんいます。就職し、結婚し、仕事が忙しくなっているのに、サマーキャンプだけはと参加してくれるスタッフもいます。
 「結婚して子どもがどもっていたら、どもる子どもの父親として参加します」と卒業式で挨拶した子もいました。大きなひとつの家族になって、温かい幸せな時間が過ぎていきます。

 夕食後、子どもたちは劇の練習に、各部屋に戻っていきました。親は、子どもより先にお風呂に入り、学習室でフリートークです。和室は、子どもたちが劇の練習で使うので、そこにはいられないというのが実情なのですが、少しゆったりと過ごすことができます。思い思いに話が弾みます。話し合いや学習会で聞けなかった話も飛び出します。子どもたちは厳しい?練習中ですが、親は別世界を楽しみます。

 さて、最終日。子どもたちはリハーサルをして、劇の仕上げです。親たちは、子どもたちの前座をつとめるので、話し合いのグループごとにパフォーマンスに挑戦です。

 10時半、劇の上演が始まりました。
 前座をつとめる親たちのパフォーマンスは、「荒神山ののはらうたPART14」。工藤直子ののはらうたからとっています。短い時間しかないのに完成度は高く、普段見ない親の姿に子どもたちもびっくりです。一人で読んだりみんなで読んだり、動きも加わって、詩が立体的になります。2回の話し合いをしてきたグループだからこその信頼で結ばれているから、思いがけないパフォーマンスも飛び出します。弾けた親の姿は、子どもたちの目に新鮮のようです。
 孫と一緒に初めて参加した祖母は、初めてにもかかわらず、他の親たち数人の肩に担がれて、うれしそうに愛の告白を受けていました。これにはびっくりです。見ていて楽しく、幸せな気分になります。工藤直子さんの詩の持つ力でしょうか。仲間の力でしょうか。
親の表現1親の表現3親の表現4
 今年は、次の4つの詩を選びました。僕の、こんなはじめのことばから、親のパフォーマンスはスタートしました。

 荒神山ののはらうたに登場したたくさんの仲間たち。あり、だんごむし、かまきり、せみ、犬、ねこ、たぬき、いのしし、いぬ、ねこ、めだか、いるか、木や風も。
 今年は、空の上から見守ってくれている仲間たちを紹介しましょう。荒神山から、空を見上げてみると、気持ちよさそうに空を飛んでいる仲間がいます。

       
どこまでも        こうのとりけいた
   つばさ ひろげて
   ひかり せおって 
   くちばしのばして
   うたうよカッタカタ
   ぼくら
   おおぞらたんけんたい
   なかま さがして
   とべ! どこまでも
     ひとみ きりりと
     あしを ふんばり
     じまんのくちばし
     ひびくよカッタカタ
     ぼくら
     おおぞらたんけんたい
     あすを めざして
     とべ! どこまでも

       うたいます             ひばりゆうこ
   じめんから そらまで
   いっちょくせん!
   それが わたしの とびかたです
   はねいっぱいに はばたいて
   おひさまに よびかけます
   ♪チーチクチ・チーチクチ
    スキデス・スキデス
    オヒサマ・スキデス
   わたしの うたごえ
   いっちょくせん!
   おひさまの ひかりを
   そらに ぬいつけたくて
   おひさまに よびかけます
   ♪チーチクチ・チーチクチ
    スキデス・スキデス
    オヒサマ・スキデス
   あんまり「スキ」っていわれて
   おひさま あかくなっている

       いまの「いま」          おおわしひろし
   あさひを あびて つばさ ひからせ
   そらに はばたく ぼくは おおわし
   さんぽしていた わたぐもが
   ぼくをみていった
      ああ きみは まるで
      「ひかる ひとりぼっち」だ
   そうなんだ!
   ひとりぼっちで とぶときの
   ぼくのまわりを ながれるじかんは
   はじまりもなく おわりもなく
   ほんじつ ただいま
   いまの「いま」だけ!
   あさひを あびて つばさ ひからせ
   ひとりぼちは さびしいが
   ひとりぼっちは ほこらしい
   ね、おひさま いまぼくは
   あなたとおなじ きもちです

     おおぞらのグー・チョキ・パー       とんびまさお
   ぼくたち とんびは
   そらと なかよし
   いつも いっしょに あそぶんだ
   たとえばね
   そらに むかって
   グーッ と とびたち
   つばさを
   おもいきり
   パーッ と ひろげ
   くるりと そらを ひとまわり
   チョキ・チョキ・チョキと
   あおいところを きりぬいて
   そらに おおきなマルをつくる
   すると そらが
   「よくできました     はなまる!」
   って いってくれるんだよ
       
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/10/01
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