伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2018年06月

揺れにびっくり、阪神淡路大震災を思い出しました


月曜日の地震、阪神淡路大震災を思い出しました

 金曜日の夜は、松元ヒロさんと西谷文和さんのコラボの会、土日は、新・吃音ショートコースと続いたので、その報告をと思っていましたが、月曜日の朝の地震でびっくりしたので、まず、その報告をします。

 新・吃音ショートコースの心地よい疲れでゆったりとした月曜日の朝を迎えたのですが、7時58分、大きな揺れに驚きました。僕の家は、マンションの15階なので、震源地から少し離れてはいるけれど、かなり揺れました。阪神淡路大震災のときとは比べものにならないと思いますが。
 被害というものはほとんどなく、毎月の「スタタリング・ナウ」の残部を積み上げていたものがどさっと落ち、その他書類が散乱しました。本棚にきちんと並べている本は何の問題もなく収まっていましたが、横積みをしていた本は落ちました。ライフラインは、ガスが一時的に止まりましたが、すぐに復旧したので、問題はなかったです。
 最寄り駅の学研都市線は終日ストップでした。午後、病院の予約が入っていたのですが、行けませんでした。テレビの映像では、大きな被害が出た地域もあるようで、地震の恐ろしさをまた目の当たりにしました。
 一番困ったのは、エレベーターが止まったことでした。登校や通勤時間と重なったので、閉じ込められた人がいなかったか気になりましたが、うちのエレベーターはよくできているようで、何か異変が起こると、一番近い階に止まり、ドアが開いて乗っていた人を下ろして扉が閉まり、そこでストップするそうです。感心するのですが、おかげで閉じ込められた人がいるエレベーターを優先して業者が回るそうで、うちは終日動きませんでした。
 ジョギングをやめるわけにもいかず、いつものように小一時間ジョギングして疲れて帰ってきて、さらに15階まで歩いて上がらないといけないのは少々こたえました。

 階段を上り下りしていると、住人とすれ違います。エレベーターに乗っているときは、会話を交わすことなどめったにありませんが、階段ですれ違うと、お互いに「揺れましたね。怖かったですね。階段はきついねえ」と思わずことばを交わしていました。おもしろいものだなと思います。

 一夜明けて、エレベーターも復旧し、病院にも行き、「スタタリング・ナウ」の発送のため郵便局に持っていくこともできました。ほぼこれまでどおりの日常生活を送っていることのご報告でした。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/06/19

どもりカルタの読み札が、漫画のタイトルに

「けふもまた 声にならない 音(おん)が出る」

 日本吃音臨床研究会のホームページ、なかなか更新できないのですが、仲間たちが仕事をしながらその合間に時間を作って、情報を掲載してくれています。僕の講演記録やことばの教室の実践、最新のイベント案内など、読み応えのある内容なので、ぜひ、のぞいてみて下さい。そこに、掲載している問い合わせのメールから、こんな内容のメールがきました。

 
「伊藤伸二の吃音(どもり)相談室」のブログ記事を見てお伺いしたいことがあり、お問い合わせ致しました。今回お問い合わせしたのは2018年1月12日「大阪吃音教室 どもりカルタを作ろう」の記事についてです。
 私は趣味で漫画を描いていまして、新作漫画を自費出版本にしようと今制作中です。内容は「トーキー映画に変わる時代。吃音の映画俳優がトーキーになる事で俳優人生の危機に直面しつつも吃音を演技に取り入れる事で役者として成長する」といった内容です。
 お伺いしたい内容というのは、この記事の中のどもりカルタ読み札「けふも また 声にならない 音(おん)が出る」を、今制作中の漫画のタイトルに使わせていただけないかということです。参加者の方が作ったものですし、いきなりこんなお願いするのはどうかとも思い、ここ数週間、他のタイトルを考えたのですが、考えれば考える程この読み札が一番だと思えて来てしまい諦めきれず、せめてお伺いだけもと無理を承知でこうして筆をとりました。
 このような私事でお手数をおかけして申し訳ありませんが、ご返答いただければ幸いです。


 驚きましたが、興味津々のメールです。大阪吃音教室の講座で作ったどもりカルタの読み札なので、早速、会長などに問い合わせ、OKが得られたので、「できたら、ぜひ1冊、送ってほしい」と厚かましいお願いをして、すぐにOKの連絡をしました。けふもまた声にならない音が出る
 楽しみに待っていたら、送ってきて下さいました。想像していた以上の、本当にきれいな絵です。表紙だけですが、紹介します。

 添えられていた手紙には、こんなことが書かれていました。

 
今回、描いていて、何気ない一言であってもキャラの心情をこんなに考えて一音一句を考えたことはなかったと気がつきました。私は吃音ネイティブではないので、もしかしたら表現がおかしいところがあるかもしれません。ですが、日本映画史も吃音も勉強すればするほどもっと知りたいし描きたいと思いました。ご送付していただいた「スタタリング・ナウ」も、人の数だけ物語があり、自分の知らない世界や考え方に触れられて、とても勉強になり、おもしろかったです。
 ことば文学賞の作品を読んで思ったのですが、吃音で悩んでいる方々にとっては無くなって欲しいものなのかもしれませんが、自分の吃音を語ることでその人の人生を物語れるのはすごいなと思いました。私が自分の人生を語るとしたら漫画なのですが、友人曰く、そういった、人生に一貫して寄り添う物がある人はあまり居ないと言われました。私が日々、漫画のお話作りばかり考えて、自分の人生の引き出しをひっくり返しているからかもしれませんが、語れる物があるというのはとてもうらやましいことだと感じました。


 どもりさえなければ、と21歳までの僕は強く思っていました。今は、どもりのおかげで豊かに生きています。どもりのおかげで、自分を語ることができます。今回、連絡を下さった漫画家の方、そしてその友人の方の素直な感想に、大きく頷きました。

この漫画の話、もう少し続きます。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/06/15

クマのプーさんのルーツ 2

クマのプーさんのルーツ 2

 前回のブログで、石井桃子さんの英訳のすばらしいことを書いて、英文のみ紹介しました。そんなに難しい単語ではないけれど、だからこそなのかもしれませんが、どう訳したらいいのか、考えてしまいますね。
 長谷さんが「さすが、石井桃子さんです」と言っておられた日本語訳を紹介しようと思いますが、その前に別の人の訳をまず紹介します。
クマのプーさん 3

      
おしまい
  ぼくがひとつのとき
  生まれたて

  ぼくがふたつのとき
  まだまだ生まれたばかり

  ぼくがみっつのとき
  やっとぼくらしくなった

  ぼくがよっつのとき
  たいしたことなかった

  ぼくがいつつのとき
  ひとり歩きだして

  でもぼくはいまむっつ いちばんあたまがいいんだ
  だからいつまでも、いつまでも、むっつのままでいようとおもうんだ
                                藤代恵美子訳
             『クマのプーさんと魔法の森へ』求龍堂グラフィックス


 
 では、石井桃子さんの訳です。

       
おわりに
  一つのとき ぼくは
  まだはじまったばかりだった

  二つのとき ぼくは
  まだうまれたてのままだった

  三つのとき ぼくは
  まだまだぼくじゃなかった

  四つのとき ぼくは
  そうたいしてかわっていなかった

  五つのとき ぼくは
  ただげんきいっぱいだった

  いまぼくは六つで だれにもまけないおりこうさん
  だからぼくはこのままいつまでも六つでいたい

 いかがでしたか。
 原書にあたると、こんな読み方もあるんだな、こんな気づきもあるんだなと新しい発見がありました。また、訳者によっての違いにも気づきました。

 次のハーゼのお話会は、10月ごろだということです。「ディズニーの秘密」にしようかなと、長谷さんはおっしゃっていました。また楽しみです。

  日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/6/11

クマのプーさんのルーツ

くまのプーさんのルーツ

 近くの絵本喫茶「ハーゼ」主催のお話会、6月4日のテーマは、「クマのプーさん」でした。クマのプーさんと言えば、ディズニーのキャラクターらしいのですが、僕はそのことも知りませんでした。そういえば、ディズニーランドに行ったとき、いたかなあという程度です。これまでのムーミン、キューピー同様、ほぼ何も知らない状態で、お話を聞きました。

 「クマのプーさん」は、1926年、イギリスの作家、アラン・アレキサンダー・ミルンによって書かれた物語に、E・Hシェパードが挿絵をつけました。ミルンは、息子クリストファー・ロビンの子ども部屋の住人であったぬいぐるみ(玩具)に、生命を与え、彼らにさまざまな事件を経験させ、それらをユーモラスに描きました。
 現代では、ディズニーのキャラクターとして知られていますが、それはウォルト・ディズニーが世界中に広めたからです。ミッキーマウスは1928年生まれだそうで、ミッキーより2歳年上だとのことでした。ディズニーの娘が、このプーさんのお話が大好きで、夜、『ウィニー・ザ・プー』の話を楽しそうに読んでいたそうです。それを見たディズニーも読んでみるとおもしろいので、これはぜひ、アニメにしたいと思い、スタッフをイギリスに送り、版権を譲ってもらおうとしました。なかなか許可してもらえず、ディズニーが版権を買い取るのに、21年もかかったそうです。ディズニーは、プーコーナーを作り、世界的に人気が広がりました。正確に言うと、21年目にやっと、ミルンさんが亡くなった後、その奥さんに頼んで、版権を譲ってもらったとのことでした。

 プーさんには、3人の父親がいると言われています。一人は、文字通りこのお話を書いた作家のアレクサンダー・ミルンさん。二人目は、挿絵を描いたシェパードさん。このやさしい、あたたかい絵が、人気作品になるために大きな役割を果たしています。そして、三人目は、世界的に広めていったウォルト・ディズニーです。

 プーさんに関する本は多く、ハーゼの長谷川雄一さんは、分厚い原書、『クマのプーさんと魔法の森』(求龍堂グラフィックス)、『プーさんとであった日』(評論社)なども含め、たくさんの本をお持ちでした。

 そして、驚いたことに、このプーさんのお話は、実話に基づいて書かれています。軍医が、戦争に行く途中、小グマに出会い、20ドルくらいで買い求め、戦地に連れていった。いよいよ最前線に行かなければならないというとき、そこへは連れていけないので、ロンドン動物園に預けた。クマは、小さいときから人間に飼われていたので、人間に慣れていて、一緒に並んで写真を撮ったりしていたのが、残っているそうです。お話のタイトルは、『プーさん』ではなく、『ウィニー・ザ・プー』だそうです。動物園のクマの名前がウィニーだったから、そのタイトルになりました。
クマのプーさん_0001
クマのプーさん_0002
 プーさんのお話には、息子をモデルにした少年が登場します。実の息子が、1歳のお誕生日に、ハロッズ百貨店から送られたクマのぬいぐるみを大切にしていました。ミルンさんは、子どもにとってぬいぐるみはそんなに大切なものなのかと思います。それと同時に、自分は子どものころ、どうだったのだろうと思いを広げたそうです。それらがヒントになって、お話を書きました。
 長谷さんは、その話のとき、幼児教育とからめて、次のように話されました。

 この物語は、6歳以前の幼児の世界を表しています、特にミルンは、物語を書くことによって、息子のクリストファー・ロビンの世界を知ると同時に、自分が過ごした幼年時代に戻ることが可能であることに気づきました。ここが、幼児教育に携わる人にとって、大変重要な意味を持ちます。彼は、自分の子ども(ロビン)の生活を探索しているうに、子どもにとってのおもゃの意味を再確認し、子ども特有の心理に気づき、その世界を探索したのです。幼児教育・保育・子育てのあり方を探っている人たちにとって、この探索行動と子ども性の気づきは、大変重要な意味があります。私たち大人がこの2つの視点を再考し、子どもの視点に立った、子どものための子育て・保育教育を考える機会を与えてくれる題材だと思います。

 私は先生なんだから、先生の言うことを聞け!ということではなく、自分が子どもでこう言われたらどう思うだろうかと振り返り、こういう言い方の方がいいのではと気づくのがいい先生じゃないかというのです。数学がとても得意で先生になった人は、子どもが間違えると、なんでそんなことを間違えるのかと思ってしまいますが、子どものころ、分からなかったという人が先生になると、自分の経験を生かして、その問題を丁寧に教えるのではないかというのです。「これは、難しいぞ。間違えるぞ」と言いながら教える。子どもたちは「間違わないよ」と言いながらも、やっぱり間違える。「なんで、間違えると分かっていたの?」と聞かれて、「先生も子どものころ、ここ、間違えたからな」と、子どもに笑いながら言う。得意な先生もいいけれど、分からない先生もなおいいということでしょう。

 550ページを超える原書、日本語訳も、それくらい分厚い本だそうです。その最後のページの訳がすばらしいと、長谷さんは紹介して下さいました。石井桃子さんの訳だそうです。分厚い本ですが、描かれているのは、登場人物が6歳までのことだけ。それ以降のことは書かれていません。それを明記した最後のページは、こんな英文が並んでいます。
皆さんなら、どう訳しますか? 翻訳者になったつもりで、考えてみませんかと、長谷さんは言いました。実際に、長谷さんが短大で学生にこの課題を出してみたことがあるそうです。石井桃子さんのようにはいかないが、とてもセンスのいい学生がいたとか。
石井桃子さんの訳は、次回、紹介します。

    The End
  When I was One,
  I had just begun.

  When I was Two,
  I was nearly new.

  When I was Three,
  I was hardly Me.

  When I was Four,
  I was not much more.

  When I was Five,
  I was just alive.

But now I am Six,I'm as clever as clever.
So I think I'll be six now for ever and ever.



日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/06/08
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