伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2018年02月

三度のめしよりミーティング べてるの家・語録


 カモの大集団、夜のミーティング

 僕のマンションのすぐそばに、大阪府立寝屋川公園があります。陸上競技場や野球場、テニスコート、芝生広場など、かなりの広さです。そして、よりマンション寄りに、寝屋川南公園という公園ができました。ここは、広い芝生の公園で、小さい子ども向けの遊具がひとつふたつぽつんとあるだけの、シンプルな公園です。自転車やジョギングをする人のために、コンクリートの道がついています。朝、夕方は、歩いたり、ジョギングしたりする人の姿が多く見られます。
 
 僕は、食後に、その公園でジョギングをしています。スロージョギングで、大体40分から60分くらい走ります。走ると、血糖値が下がるので、ほぼ毎日欠かさず走っています。公園は、野鳥の天国です。名前は知らないのですが、たくさんの種類の野鳥が飛んできて、いろいろな鳴き声で楽しませてくれます。
 昨年2月の夜、いつものように、芝生のそばのコンクリートの道を走っていると、芝生の上になにやらうごめくものがあります。何だろうと思って、そうっと芝生の中に入ってみると、カモの大群でした。200羽か300羽いたでしょうか。その数の多さに圧倒されました。その日だけなのか、それまでもいたけれど気づかなかっただけなのか、それは分かりませんが。
 今年の冬、カモの姿が少しずつ見られるようになりました。昼間、公園の中を流れる打上川にいるカモを数えると、15羽くらいです。夜は、どうだろうかと楽しみになってきました。
 
 夜、芝生公園にさしかかると、カモの鳴き声が聞こえてきます。いる、いると思うと、うれしくなってきます。ジョギングの疲れも吹き飛ぶようです。
そうっと近づいていくと、さりげなく、離れていきます。みんな一斉に、しっぽを振りながら動き出すます。コンクリートの道を横断しているのを見たこともあります。人が近づくと、横断をやめ、人が通り終わるのを待ちます。以前、皇居の近くでカルガモの親子が道を横断する姿がニュースになったことがありましたが、まさにその図です。いつだったか、今夜はいないなあと思って、芝生公園を出ようとしたら、高い声で鳴きます。まるで、「ここにいるよ」と言わんばかりに。
 
 そして、先日、カメラを持って出ました。デジカメで挑戦したことはありますが、暗いし、遠くからの撮影なので、うまくとれません。できあがったきた映像は、真っ暗。そこで、2月21日は、一眼レフのカメラ持参で外にでました。そして撮ったのか、次の写真です。
 真っ暗ですが、カモの姿、見えますでしょうか。
 圧巻ですよ。それだけで、しんどい思いをして、ジョギングをしている甲斐があるというものです。どこから集まってくるのだろう、この場所で集まるということをどうして知らせるのだろう、何を話し合っているのだろう、謎は深まるばかりです。
 
 僕たちは、セルフヘルプグループに集い、救われました。きっと、カモたちも、と思いたいです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/02/25



カモ1カモ2カモ3カモ4カモ5

2018年度も、楽しく豊かに

大阪吃音教室の運営会議

 2月17・18日、吃音教室の会場である應典院で、2018年度の計画を立てる大阪スタタリングプロジェクトの運営会議がありました。
 17日は、「新生」や「スタタリング・ナウ」の発送作業の後、午後1時30分から9時まで、18日は午前9時から12時まで、長時間にわたる会議でした。
 参加者は22人で、新しく入った2人も参加しました。大阪の運営委員のほぼ8割の出席率です。それぞれが仕事があっての活動なので、この出席率は毎年思うのですが、すごいことです。

運営会議の様子

 まず、ひとりひとりの振り返りと近況報告です。1年間の活動や行事全体を通しての振り返り、自分が担当した講座の話、印象に残っている講座の話、仕事や家庭のプライベートの話など、忘年会のときと同じような、温かな穏やかな時間が過ぎていきました。
 その後は、毎週金曜日の世話人や、ニュースレター「新生」の編集担当者を決めました。そして、大阪吃音教室の年間スケジュールを決めていきます。そのときにも、あの講座での、あの発言がよかったとか、あの進め方がわかりやすかったとか、今度はこんなふうにしてみたいとか、運営委員同士へのレスポンスあり、次回への抱負あり、反省あり、で賑やかに続きます。
 そして、いつの間にか、前期、後期合わせて40回を超える吃音教室の講座内容が決まっていきます。基本形は残しつつ、毎年新しい講座ができるのも面白いです。
 今年は、「どもり内観」と「吃音キャラクターを作ろう」と「物語る力を育てる」が入りました。どんな講座になるか楽しみです。

 1986年、第1回吃音問題研究国際大会を京都で開いたとき、吃音と上手につきあうことの大切さは分かったが、現実にどうしたらいいのか具体的に知りたいと海外の参加者からも尋ねられました。そんなことはそれぞれが考えればいいことと思っていましたが、そうもいかず、大阪吃音教室の全講座を僕が担当することになったのです。年間すべての講座の資料を作るのは、大変でしたが、それはとてもいい経験になりました。その後、だんだんとみんなが講座を担当するようになり、2018年度の僕の担当は、年間5、6回くらいです。
 スケジュールが決まれば、担当者です。これは翌日参加の人もいるので、翌日の午前中にかけて決めていきました。自分のしたい講座をどんどん名乗り出ていきます。押しつけることがまったくなく、決まっていくのも毎年のこと。頼もしい仲間たちです。
 その他、親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会、吃音親子サマーキャンプ、新・吃音ショートコースなどのイベントへの参加についても話し合いました。
 特に、吃音講習会への参加は、ことばの教室担当者にとって意味のある大きなものになっています。担当者の中には、成人のどもる人に出会ったことがないという人も少なくありません。学童期のどもる子どもたちと関わっていますが、その子どもたちが大きくなってからのモデルを実際に見て、話をし、一緒に活動をすることの意義は大きいです。同時に、私たちの当事者としての発言も大切になってきます。いいモデルでありたいと思います。

 金曜日の大阪吃音教室が始まったのは、国際大会の翌年の1987年で、会場は森ノ宮のアピオ大阪でした。そのアピオ大阪が閉館になり、今の應典院に会場を移したのが、2008年でした。應典院での吃音教室は、2008年4月11日金曜日から始まりました。10年目に突入です。新たな歴史を刻んでいく、そのスタートにふさわしい、運営会議でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/02/22

ローズオニールのキューピーの本当の話  絵本カフェで

 
 最後は必ずハッピーエンドで終わる話 今、子どもの世界に必要なこと

 キューピーと聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか。マヨネーズのマーク、ただのかわいいお人形、天使、妖精、などでしょうか。僕も、キューピーといえば、マヨネーズのマークに使われている、かわいい裸の人形くらいにしか思っていませんでした。
 1月28日、僕の家の近くの絵本カフェ・ハーゼで、「キューピーの本当のお話」と題した集いがありました。昨年、ムーミンのお話をして下さった、保育や絵本に詳しい長谷雄一さんによる第3回のお話会でした。
 長谷さんによると、キューピーには、実はいろいろと深い話があるそうです。

 キューピーの名前の由来は、ギリシヤ神話の、愛のキューピットです。そのまま、キューピットにしなかったのには理由があります。神話の中の愛のキューピットは、愛する二人の仲をとりもって、その愛が成就するようにしてくれるのですが、ときどきうまくいかない場合、愛が成就しない場合があります。キューピーの生みの親のローズオニールは、自分が描くものは、ときどき成就しないのでは困る、愛はすべて成就してほしいと思い、キューピットではなく、キューピーと名付けました。
 1909年、キューピーは、イラストレーターのローズオニールによって描かれました。イラスト入りの物語です。それは、アメリカの婦人雑誌「レディース・ホーム・ジャーナル」に掲載され、発表されました。その物語は、登場したすべての人が必ず幸せになります。最後は必ずハッピーエンドで終わる話だったのです。
 お話は広く読まれました。そして、キューピーの人形が作られたのは、1912年でした。当初から絵だけでなく人形をという話があったのですが、ローズオニールが気に入らなくて、なかなか実用化されませんでした。ようやく、ドイツの人形づくりのマイスターによって作られました。それ以後、キューピー狂時代と呼ばれるくらい、広まりました。

 長谷さんの好きな原画の1枚です。
キューピーアーミー

 よく見ると、すべての人が幸せになるという話なのに、ピストルを持って、ねらっているキューピーがいます。これは、キューピーアーミーと呼ばれます。このキューピーは、相手をやっつけるためのものではありません。ローズオニールは、すべての人が幸せになるためのものを描いています。では、このキューピーアーミーは、何を撃とうとしているのでしょうか。子どもたちを守るために何を撃とうとしているのかと考えたらわかりやすいのでは、と長谷さんは、参加している人たちに問いかけました。
 出てきた答えと長谷さんの解説を加えると、それは、病気や不安、悲しみや恐怖などでした。やつつけるものではなく、守るためのものだったのです。そして、物語の最後には、「あなたも、キューピーアーミーになりませんか。ピストルをもって、現場に出てみませんか」とあるそうです。

 キューピーの仲間たちです。
キューピー 仲間

 キューピーに仲間がいるなんて、全く知りませんでした。ムーミンにも、ムーミン谷に仲間がいました。アンパンマンにも、たくさんの仲間がいます。
それと同じような構成になっているようです。キューピーの仲間を一部紹介します。

ワグ…キューピーたちのリーダー。頭にKの旗をつけている。キューピームラの村長さん。
カーペンター…大工。かなづちをもっていて、壊れたものを直すのが得意。人の心の傷ついたものも直す。
コック…エプロンをしている。みんなにごちそうを作る。
ファーマー…農夫。麦わら帽子をかぶっている。
アーミー…兵隊。ピストルを持っているのは人を撃つためではなく、困っている人や苦しんでいる子どもの悲しみや恐れを退治するため。

キューピーのお話1 少年とおもちゃ

キューピー 話1

 キューピーは、困った人も、困らせた人も助けます。この絵は、持ち主の少年が引っ越しをしてしまって、使われなくなったおもちゃを描いています。よく見ると、屋根裏部屋に入れられたおもちゃたちはどれも寂しそうです。木馬の目には涙がありますし、ピエロも悲しそうです。この状態を見て、キューピーはどうするでしょうか。

キューピー話2

 おもちゃが汚れているのできれいにする、磨く、そうです。でも、それだけではありません。キューピーは、どうしたら、おもちゃが幸せになるかを考えるのです。木馬は、何をしてもらったら、涙が消えるでしょうか。それぞれのもつ使命というか、役割を、キューピーは考えます。そして、次の絵で、それが明らかになります。

キューピー話3

 おもちゃなどもらったことがない子どもたち、もらえない子どもたちのところに、キューピーは、おもちゃを持っていき、おもちゃを子どもたちに渡します。子どもは大喜びです。おもちゃも喜んでいます。そして、それを見て、キューピーも幸せな気持ちになっているのです。

キューピーのお話2 わんぱく三人組
 強くて、わんぱくな三人組がいました。三人は、みんなをいじめています。キューピーは、いじめられている子どもだけでなく、いじめている三人組も助けようとします。何をしたでしょうか。三人より強い、巨人の町に連れていって、三人に怖い思いをさせました。みんなは、こんなに怖かったのかという思いを三人にさせます。反省した三人は、戻ってきてから、みんなをいじめなくなったそうです。
 キューピーは、困った人だけでなく、困らせた人も助けるのです。
 いじられている子どもだけでなく、いじめている子どもも、何かの問題を抱えている場合もあります。その場合、いじめている子どもにも手をさしのべる。あんな昔にこのようなことを考えていたローズオニールはすごいです。 


キューピーのお話3 ゴブリン
 ゴブリンは、人をおどかすのが好きです。パーティなどに行って、みんなをおどかします。そんなゴブリンに、キューピーがしたことは何でしょう? 本当に、ゴブリンは、おどかすことが目的だろうか。本当はパーティに参加して、みんなと楽しみたいのではないか。そうキューピーは考えます。そして、一緒に仲間になって楽しみたいのなら、すなおに自分の気持ちを表していいんだよ。その手伝いをしてあげると、ゴブリンに言うのです。

 キューピーは、相手が一番何をしてほしいのか、その訳を考えて、援助します。ただ単に手を貸すのではありません。本質を分かっていないと真の援助にはならないことを知っているからです。また、キューピーは、ひとりで何もかもするのではなく、チームで動きます。それぞれ得意なこと、不得意なことがあります。それぞれの特徴を生かし、チームで、困った人も困らせている人も支援していく、今、さまざまな行きづらさを抱えている人たちの支援に関わる者に、必要で大切なことではないかと、聞いていて思いました。
 100年以上も前の時代に、ローズオニールは、こんな物語がなぜ書けたのでしょうか。作者の幼少期はどんな子どもだったのでしょうか。その辺りの詳しいことが分かっていません。2回離婚して、子どもはいないというくらいのことしか分かっていないのです。ローズオニールの背景を知りたいと、長谷さんは言っていました。

 僕はさっそく、アマゾンでキューピー物語や絵本などを買いました。今の時代に生きる子どもたちにもいろんなヒントがありそうだと、楽しみにしているのです。絵本の世界が広がっていくのが、これから楽しみです。

そのほか、たくさんのお話を聞かせていただいたのですが、いつか機会があればということにしましょう。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二   2018/02/17

親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会と、新しい吃音の本の出版計画


 吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会の合宿

 「吃音を治す・改善する」の研究・臨床が世界中で取り組まれている中、おそらく世界で唯一、僕たちの会だけが、「吃音を治す・改善」を目指さないグループです。吃音を改善するための取り組みではなく、子どもが幸せに生きるために、教師や言語聴覚士としてなすべきことがたくさんある、というのが僕たちの主張です。これまで、親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会を6回開いてきました。今年7回目となる講習会を、どうするのかの計画をたてる合宿です。

 2月10日の午後1時から夜10時まで、11日は午前9時から夜10時まで、合計すると大変な時間になりますが、よくまあ話がつきないものだと感心しながら、みんなで楽しく話し合います。
 栃木県、神奈川県、埼玉県、千葉県、愛知県、大阪府、鹿児島県から、9名の教師・言語聴覚士が集まりました。高校や専門学校の試験とぶつかったために必ず参加している常連が参加できなかったのは残念でしたが、同じ価値観をもち、志を同じくする仲間といる時間は本当に幸せです。どんなに疲れていても、いや疲れていてしんどい時だから、「ほっと、一息がつける場」だと、みんな口をそろえて言います。

 これまでの講習会は特別講師をゲストに迎えて開いていましたが、今回は、これまでの自分たちの実践を、多くの人に知ってもらい、どこのことばの教室、言語室でも実践できるように、ゆっくりと時間をかけて紹介し、体験していただこうと、講師をおかないことにしました。合宿の一日目におおよその内容を決めて、合宿二日目には実際に実践を紹介する模擬演習をしてみました。話し合っていただけでは分からなかった実践の提示も、実際に講習会を想定して演習してみると、よりよい提示の仕方、演習のスタイルが見えてきました。とても有意義な時間でした。

 今回の合宿では、講習会の内容を検討することと、もう一つテーマがありました。今年出版予定の「どもりの会話術(仮題)」の編集会議です。ナラティヴ・セラピーの国重浩一さんと、僕たちのコラボレーションの本です。どもる子どもの物語る力を育て、ネガティヴな吃音についてのナラティヴを変えるお手伝いをする、「吃音を改善する」ための臨床とは、まったく違う臨床の提案です。

 僕たちの会では、これまで「どもる君へいま伝えたいこと」「親・教師・言語聴覚士か使える吃音ワークブック」「学習・どもりカルタ」をつくってきました。今回は、久しぶりの出版です。「吃音ワークブック」の制作では、毎月のように合宿をしていましたが、再度その力を結集することになりました。教師をしている人たちばかりなので、年度末はとても忙しい時期ですか、なんとかがんばろうと確認しました。長い、長い二日間の合宿が終わり、翌日は「伊藤伸二・吃音ワークショップin東京」でした。

 大雪で交通機関が心配なところから、中学2年生の女子と保護者が参加しました。高校生、成人、教師や対人援助の職に就いている人など、参加者の年代もバラエティーに富み、とても興味深く、深まりのあるワークショップになりました。
 「そんなことを教師が言うのか」と思うくらいのことばを浴びせられ、大変な思いをしながら、将来を考えている中学2年生に、参加者全員がかかわる時間は、中学生の時、ひとりぼっちで誰にも相談できずに悩んでいた僕にとっては、感慨深いものでした。
 東京ワークショップの様子は、ブログでも紹介したいと思います。

 例年1月にしているこの合宿、今年は2月に行いましたが、僕たちの2018年の活動が始動しました。今年の一年も楽しい、意義深い一年になりそうです。
 東京ワークショップの翌日、行きつけのところへ行き、今、大阪に帰るため、羽田空港のラウンジでこれを書いています。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/02/13

オープンダイアローグ レジリエンス ポジティヴ心理学 ノーベル経済学賞

 沖縄での「幼児吃音の理解と臨床」の講演の続きです。

 残念ながら、肝心の幼児吃音の取り組みを話した後半が録音されていないので、前半だけの紹介ですが、このような話の流れで幼児吃音について話したのだなあとは、想像できると思いますので、紹介します。
 講演を終えてから、どもる子どもの保護者とその日のホテルの近くで会いました。女の子ですが、絵本を音読してくれました。少し早口で、読みこなしていく感じがしました。感想を求められたので、一音一音を母音をしっかり出して読めばいいとアドバイスしました。そして、実際に僕が読んで聞かせました。竹内敏晴さんのレッスンを長年受けて、芝居にもたくさん出させていただいたことが、こんなところで生かされたようで、少しうれしくなりました。

 沖縄にかなり来ていますが、今回の嘉手納の社会福祉協議会が用意して下さったホテルは、これまで来たことがない地区にあり、「アメリカ村」と言われているようです。ハワイに来ているような感じがしました。
沖縄幼児吃音4 アメリカっぽい町1
沖縄幼児吃音5 アメリカっぽい町2
沖縄幼児吃音6 ワイキキのような浜辺
沖縄幼児吃音7 変わった屋根の家


 では、前回の続きです。ながくなりますが、今回で沖縄の講演会の報告は終わりです。



日本でオープンダイアローグが注目され始める少し前、レジリエンス(回復力・逆境を生き抜く力)が注目されるようになりました。これは、精神医療の世界の大きな転換だと言えます。これまでは、脆弱性といわれる、弱い、悪い、欠陥といわれるものを治そうとする立場だった精神医療が、病気や障害やトラウマになり得る体験がありながら健やかに生きている人がいることに注目し始めたのです。何がその人を健康的にさせるのか、に注目したのです。

 レジリエンス研究の始まりは、ドイツのアウシュビッツの強制収容所に、自分の親が連れて行かれる姿を目の当たりにしていた子どもなど、アウシュビッツ関係の人々が、どういう力があって生き延びたかの研究です。いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)といわれるトラウマになる可能性のある子どもたちがすべてその影響を受けているのではなくて、それなりに健康的に社会的に立派に生きているという研究です。その人たちには、どういう力があったのだろうかに注目し、レジリエンスという「回復する力」に注目が集まり始めました。

 もうひとつ大きなトピックスは、ハワイ諸島のカウワイ島の町で行われた調査研究です。貧困、犯罪、病気、精神疾患などが渦巻いている、極度に悪い環境の中で1955年に生まれ、育った698人の人たちを追跡する調査研究です。劣悪な大変な環境に育った2/3の人は、脆弱性がある、問題を抱えている成人になっていたけれど、1/3は、通常か通常以上の社会的に健康な人間になっていた。その人たちは、どんな力を持っていたから、あれだけの悪い環境の中でも、ちゃんとした大人になっていったのだろうかという研究です。
 また、身体的・性的虐待、ネグレクトなど問題の多い家族に育てられた人々が、逆境に立ち向かう能力を強化する鍵となる過程を詳しく紹介している本や、医療少年院にいる子どもたちの調査もあります。思春期、大変な状況の中で犯罪を起こして少年院に入った人の場合、通常は再犯率が高いが、その後、ちゃんと大人になっていく人たちもいるし、社会的に成功した人たちもいる。一時、非行や犯罪に走ったその人たちがそうした社会人になっていくのには、どんな力があったのか、インタビューを通して、レジリエンスの視点から、立派に成長していった大人を調べています。

 それらの研究の中の一つに、レジリエンスの構成要素として7つの項目を挙げているものがありました。それが、皆さんにお配りしている資料です。
 表になっていて、洞察、独立性などが書かれています。その人たちが、そういうものをもっていたのであれば、問題がない人にも、これらの項目について、幼児期、学童期に、教育や保育の中で育てていけば、仮に逆境などが起こってもそこから回復する力が育っていくのではないかと、7つのレジリエンスを育てていこうとしています。
 これまでの、病的なもの、悪いもの、弱いものを治すという方向ではなく、ポジティヴなものを抽出して、それを育てていくということが必要なのではないかとの考え方ですが、精神医療の世界では、パラダイムシフトと言って、大きな転換をしていっています。

 臨床心理学の世界でも大きな変化が起こっています。1998年にマーティン・セリグマン教授が、アメリカ心理学会の会長の時、年頭所感の中で、これまでの治すための臨床心理学ではなくて、いわゆる普通と言われている人がより幸せに生きるにはどうしたらいいか、病的であったとしてもその中で回復していった人にはどんな力があったのかに、注目していこうと語りました。それがポジティヴ心理学です。弱い部分にメスを入れて何かするのではなくて、その人の、本来もっている力そのものを発見し、それを育てていくという観点で、レジリエンスと共通します。
 このように、精神医療や臨床心理学の世界で、大きなパラダイムシフト、これまで当然だと思ってきたことからの大転換が起こっているにもかかわらず、残念ながら、言語病理学の吃音の世界は、全くこれまでどおりで変わっていこうともしません。私はすでに、45年前から提唱しているので、変わらないことがとても不思議です。

 保育・幼児教育の世界も変わってきています。人間の能力には「認知能力」と「非認知能力」と言われるのがあります。「認知能力」とは一般的には知能検査で測定できる能力のことを言い、「非認知能力」とは主に意欲、自信、忍耐、自立、自制、協調、共感などの私たちの心の部分である能力のことを言います。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、アメリカのシカゴ大学の経済学者・ジェームズヘックマンは2000年に『子育てや保育などを含めた教育への投資効果は、経済学的に効果的な時期はいつか』の研究でノーベル経済学賞を受賞しました。就学前の乳幼児時期における教育が最も経済的に効果的だと言っています。

 その研究がとても注目され、幼児教育、保育に大きく生かされようとしています。その研究は、成功する人と失敗する人の、どこにどんな違いがあるのかというものです。成功する人には、粘り強く何かに取り組むとか、自分の力で何かを作っていく、そういう力がある。そういう力は、大人になってからよりは、幼児期に育てた方がいい。だから、経済効果としては、大人になってからお金を使うよりは、保育や幼児教育にもっとお金を使うべきだというのです。経済政策として、保育・幼児教育にお金を使うべきだと主張したことで、ノーベル経済学賞になったのです。
 IQ(知能指数)といわれるものよりも、EQ(情動指数)、つまり、物事に感じたり心を動かされたりすることが、人の成功や幸せにつながるとする考えは、ポジティヴ心理学につながっていくと思います。日本でも、一時、EQがすごく流行ったときがありました。ちょっと下火になってきたけれど、それが今また注目されてきています。

 その能力は非認知能力といわれ、それは子どもの頃から、幼児教育として、育てていくことができる。そちらの方にお金を配分し、育っていった子が立派になって、たくさん給料をもらって、社会的に成功し、税金を払う方が経済的な効果になるんじゃないかという経済学の視点からの主張です。大学教育よりも、幼児教育や保育にお金を使おうというのが、大きな発想の転換になります。2017年度の幼稚園教育・保育の新指針がインターネットで調べたら出てきます。その中に、子どもの頃に、育てておくべき教育指針というのが出てきますので、機会があれば調べてみて下さい。

 ここまでのところをまとめます。今、大きな転換が起こっています。精神医療の世界では、開かれた対話によって今まで重篤と言われていた精神疾患が回復していく、オープンダイアローグが注目されています。臨床心理の世界でも、今までは治すための、癒やすための臨床心理学から、その人のもっているポジティヴな面を育てるためのポジティヴ心理学が注目されています。幼児教育も、非認知能力といわれる粘り強さとか、自分で自分のことをコントロールする力を育てていこうと変わってきています。
 どもる子どもに対して、これまでは、吃音の症状を治す、改善することしか考えてきませんでした。しかし、果たして、それらは、どもる子どもの幸せにつながるのでしょうか。私は、別の力を育てた方がずっと効果的だと考えています。
 これまでのところ、合点していただけましたでしょうか。(ガッテン、ガッテンの声)
 
 何か疑問があれば、わかりにくいことがあれば、質問して下さい。
 ほんとはムーミンノの話をするつもりはなくて、パワーポイントで順番に話をするつもりだったんですが、僕は、パワーポイントがない方が話しやすいので、話し始めたらこんな展開になりました。

 吃音の取り組みは、「放っておいてもその内になんとかなる」ような、単純、簡単なことではありません。僕自身、21歳まで深刻に悩んできたし、小学校、中学校、高校時代と、楽しい思い出が全くないのです。21歳までつらい生活を送ってきました。今、子どもが元気で明るくても、将来、どうなるかは分かりません。

 精神医療、臨床心理、教育・保育の世界が大きく変わっていくのと対照的に、吃音の世界は反対に回り始めています。今から4年くらい前に、北海道で吃音の看護師が、勤め先の病院で自分の吃音が理解されないといって自ら命を絶ったことがきっかけだと思います。吃音は自殺者が出るくらい深刻な問題だ、社会は吃音に対して理解しないし、本人はこんなに悩むものだ。だから症状を治し、改善をしなければならないという流れがどんどん出始めたのです。

 幼児の吃音も、吃音の症状を検査して、それを軽減するために訓練するという、オーストラリア発の「リッカムプログラム」の流れが出始めました。とても残念なことです。
 僕は、45年前にどもりを治す・改善するはほとんど効果がない、どもりを治そうとすることが却ってどもりの問題解決を遅らせる、どもりが治ってから〜しようということになり、なかなか自分なりの人生を生きることができないと言ってきました。僕自身の体験だけでなく、たくさんのどもる人の体験からも、治す・改善することをやめよう、それよりも、豊かに幸せに生きることを考えようと提起して、大きく流れを変えたつもりだったけれど、ひとりの自殺者が出たということを契機に、揺り戻しがあって、今、治すという方向にきています。

 ポジティヴ心理学に関連して前半の最後にエクササイズのようなことをします。
 今年の夏、第28回吃音親子サマーキャンプで、僕は、小学校4年生の子どもの話し合いのグループに入りました。そのとき、どもることで笑われたり、からかわれたりして、学校に行くのが嫌だった、いじめとはいかないまでも嫌なことはいっぱいあるという話が子どもたちから出ました。そこで、僕は子どもたちに、確かにそういうことを言われるのは嫌だし、落ち込むだろうけれども、大きなダメージを受ける場合と、同じことを言われても、まあまあ平気だったとき、案外持ちこたえられた場合があるかどうか、考えてほしいと言いました。つまり、レジリエンスがある場合ということですが。いつもいつも落ち込んでどうしようもなくなるのか、それとも言われても平気なときはあるのか、ということです。

 残念ながら、その子たちは、初めて参加した子が多かったからか、どもりについての対話を積み重ねてきていなかったので、僕の質問の意図がなかなか分かりませんでした。
 そこで、皆さんにお聞きしたいのですが、何か嫌なことがあったとしても、自分がまあまあ耐えられる、元気だというときはないか、考えて下さい。多少のことがあっても持ちこたえられるのは、どんな状況のときでしょうか。

 (参加者の声の一部)
・違うことでいいことがあったとき。
・肉体的に元気、健康なとき。
・自分のいいところを把握している場合。
・人間いいことも悪いこともあって、ちょぼちょぼやと思えるとき。
・自分が幸せで、満たされているとき。
・いいことが続いているとき。
・自分は自分でいいと思えるとき。
・明るいポジティヴな気持ちのとき。
・天候がいいとき。
・悩みを相談する人がいて、その人からポジティヴなことが返ってきたとき。
・ぐちを言う、ストレスを解消できるものがあるとき。
・愛する人といるとき。
・みんなと一緒に生きている、自分は社会に所属していると実感できるとき。
・心に余裕があるとき。
・分かってくれる仲間や友だちがいるとき。
・気持ちに余裕があるとき。
・ぐちを言える仲間、相手、友だちがいるとき。
・楽しいとき。
・生活が充実しているとき。
・自分を受け止めてもらっているとき。
・失敗や問題があっても、同じようなことをした人がいることを知っているとき。
・理解者がいるとき。
・開き直れるとき。
・めちゃくちゃ元気なとき。
・食欲が満たされているとき。
・趣味があるとき。
・共感してもらえる人がいるとき。
・家族が味方だと思えるとき。
・居場所があるとき。
・酒を飲んでいるとき。

 たくさん出てきましたね。皆さんが今、言われたことは、普段の生活の中で、相談できる理解者がいる、愚痴を言える人がいる、熱中するものがあって楽しい、つまり、自分が幸せに生きていればいいということになります。
 それでは、後半、幸せに生きるには、どういうことが考えられるかということと、幼児期の吃音のことに立ち戻って話をしようと思います。僕の話は、世間とは違う話なので、なかなか理解してもらえないかもしれませんが、僕はたくさん本を書いています。会場においてありますので、休憩時間にてみて下さい。よかったら買って読んで下さい。
 では、休憩にします。

 ここで休憩にしたのですが、残念ながら、後半は録音がないので紹介できません。長くなりましたが、沖縄での「幼児吃音の理解と臨床」の話はこれで終わりにします。

 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/02/09

ムーミンとオープンダイアローグ


 前回の続きです。

  沖縄嘉手納での幼児吃音の講演

 ムーミンのアニメや絵本、ムーミンのこと、聞いたことがある人?手を挙げて下さい。ほとんどの人が知っているのですね。では、みなさんが、ムーミンについて知っているという前提で話をしていいでしょうか。
 僕は、ムーミンについて、なんかカバのような、動物のような、絵かぬいぐるみで知っていたけれど、それ以上は全然知りませんでした。作者には、物語の中で伝えたい深いメッセージがあるとは知りませんでした。散歩の途中で立ち寄った絵本カフェのオーナーで、絵本を研究する、幼児教育の専門家と親しくなりました。絵本について話をするイベントがあり、そこで初めてムーミンってこういう話だったのかと知りました。
 ムーミンのとても重要なテーマになっているというのが、「三間」です。3つの間です。 ムーミンの世界が大事にしている3つの間、何だと思いますか?
 人が生きる上で、重要なものです。分からないようなので、ヒントを出します。
 ひとつは、「空間」です。ムーミン一家が住んでいる、ムーミン谷が大事な空間です。
 後はどうでしょう? 「時間」です。フィンランドは、冬と夏が全く違うそうで、季節によって、物語が全然違うものになっているというのです。人生にとって、時間は大きなファクターです。もうひとつは、「仲間」です。この3つを、作者が大事なテーマとして物語を作っていきました。構想は1930年くらいからで、出されたのが1945年でした。第二次世界大戦が終わって、その後、人はどうしたら平和に、幸せに生きていくことができるか、ということを作者のトーベ・ヤンソンは考えました。マンガではなくて、小説のようなものだったらしいです。日本ではアニメにしたようですが。
 まず「場所」です。
 安心して弱音を吐くことができ、自分のそのままを出して自分らしさを取り戻す居場所。豊かなコミュニティがムーミン谷です。人が生きていく上でこのような場所がどうしても必要です。幼児では、家庭が一番で、保育所や幼稚園もムーミン谷です。幼児吃音で「環境調整」ということが言われるのも、子どもが安心して生活し、しゃべることができる空間が必要だからです。
 次に「仲間」です。仲間の大切さをひしひしと思うのは、僕は、同じような仲間と出会って、救われました。僕だけがどもりに悩んでいたと思っていたのに、この人もあの人も悩みながらそれなりに生きているという姿を見て、僕も生きる勇気が出ました。ムーミン谷には、ムーミンを支える仲間がたくさんいます。これが、空間と仲間です。
 「時間」ということは、そのときそのときにとても大切なことがあるということです。乳児期には乳児期の大切なことがあり、幼児期には幼児期の大切な課題があり、学童期には学童期の課題があります。そのときそのときにちゃんとした関わりや、教育や保育ができていないと、子どもが大人になっていく成長に結びついていかない。今回、幼児期の吃音がテーマですが、「時間」ということを考えてみると、幼児期にとって吃音はどういう意味合いがあるのかという話になります。
 フィンランドで、トーベ・ヤンソンによって、3つの「間」をテーマにしたムーミンの話が作られました。その同じフィンランドで、今、世界的に注目されていることがあります。それは、精神医療の世界の、オープンダイアローグというシステム、治療法です。開かれた対話といいますが、これは、とても画期的なことなんです。精神疾患としてはとても重篤で治療の難しい統合失調症は、日本であれば、強制的に入院させられて、診断され、薬が投与されます。世界の中で、日本が圧倒的に、病院に閉じ込められている率が高いのだそうです。
 僕の身内に統合失調症の人間がいて、急性期で大変な中、彼を車に乗せて病院に連れていって入院させたという経験があるので、オープンダイアローグの話を聞いて一瞬えっと思いました。でも、詳しく内容を聞くうちに、あっ、そうか、これは当然のことだなと思い直しました。
 この人、ちょっとおかしいなと周りが思ったり、きょうだいや家族、また本人が、最近、幻聴が聞こえるし、妄想が激しいし、なんか変だと思ったときに、病院に連絡すると、24時間以内に、保健師、看護師、精神科医、ソーシャルワーカーなどの専門家がチームをつくって、統合失調症とおぼしき当事者のところに行って、対話を続けるというものです。それがオープンダイアローグです。開かれた対話です。それを毎日毎日繰り返します。また、12日間でも、15日間でも、必要であれば30日間でも続くといいます。
 これまでだったら、すぐに入院、あるいは大量に薬を投与されていた統合失調症の人たちが、毎日毎日対話を続ける中で回復していきます。病院に入る必要もないし、必要なときには薬を使うけれども、基本的には薬を使わないで、多少の問題を抱えながらも地域で暮らしていきます。精神病院そのものが不必要になって、どんどんベッド数が減らされていきました。フィンランドも昔はそうではなく、ベッド数が多かったけれど、今はほんとに数えるくらいしかないようになったそうです。少し強めに言うと、対話をするだけで統合失調症が治るということです。

 「なんだ、これは。自分たちがやってきたことは一体何なんだ。入院させ、診断し、薬物を投与し、集団心理療法をやってきたのに、オープンダイアローグという、ただ対話をするだけで問題が緩和し、解決していくのか」と、ほんとにそんなことが起こり得るのかと、日本の精神科医たちの間では、懐疑的だったようです。しかし、この実践は、1980年頃から始まっていて、成果があり、研究結果やレポートも出されていたので、これは本物かもしれないと、みんなも思い始めて、論文を読み、実際にフィンランドに研修に行き、スタッフや統合失調症の人たちの話を聞いて、その実践の素晴らしさを評価するようになります。国の状況が違うので、日本にそのまま導入するのは難しいけれど、いい点は学んで日本の精神医療にも生かしたい。そう考えた人たちが、日本にこのオープンダイアローグを紹介し始めました。

 オープンダイアローグの特徴のひとつに、対等性があります。当事者も精神科医も看護師もソーシャルワーカーも、ひとりひとりが人間として対等ということ。これは、教育や、福祉、医療などのすべての領域で基本的に必要なことです。インターネットで検索すると、オープンダイアローグの映画を、ユーチューブで見ることができます。それを見ると、誰が精神科医で、誰が当事者で、誰が家族か、全然分かりません。対等性が尊重されて、当事者が幻聴について話すと、みんながそれを受け止めて、みんながそれにレスポンスする。返していく。それを応答性と言います。誰かが発言したときには、必ずすぐにそれにきちっと応答していく。これが、オープンダイアローグの大事なミソなんです。このような対話を続けるだけで、変わっていく。

 考えれば、僕は、21歳までどもりにものすごく苦しみ悩み、治さなければならないと思い込み、訓練をして治療を受けてきたけれども、治らなかった。そして、僕は21歳からがらりと変わりました。21歳でがらりと変わったのは、東京正生学院という吃音治療所で、同じようにどもる仲間と専門家とでオープンダイアローグのような対話をしていたからです。対話をする中で、どもりとはどういうことなのかを考えた。どもりは恥ずかしいものだ、どもったら嫌だ、どもりさえなければ僕の人生は変わるのに、とずっと思い続けてきたのが、開かれた対話の中で、僕は洞察し、変わっていった。そういう経験があるので、オープンダイアローグの成果は、ある意味、当然のことだと思いました。
 つまり、統合失調症のような症状が出たとき、即入院させ、診断し、薬を投与するなどで治療する。そういう従来のあり方ではなく、まずは対話を繰り返す。このあり方は、精神医療の中で、多数にはならないだろうとは思うけれど、大事なことを言っていると思います。   つづく
沖縄幼児吃音3 母親と対話
 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/02/04

幼児吃音 リッカムプログラムへの危惧

 
   沖縄嘉手納での幼児吃音 2017.11.5

 沖縄県嘉手納市の社会福祉協議会主催の「幼児吃音の理解と臨床」と題した、僕の講演の前半部分を何回かに分けて紹介します。僕は、本当にドジで、90分の話の後、休憩しましたが、そのときにボイスレコーダーを止めて、そのままになっていたために、肝心の今後どうするかの後半の部分が記録されていません。前半の部分だけですが、それでも意味があると思いますので、紹介します。
沖縄幼児吃音2 体育館

 こんにちは。どのような方がおられるのか、アンケートをとらせて下さい。言語聴覚士の方、保護者の方、保育・幼稚園関係の方。はい、様々な領域の方にお聞きいただくこと、ありがたいです。
 吃音ということばを知らなかった人? 何人かいますよね。私が教えている言語聴覚士養成の専門学校の学生の中にも、吃音ということばを専門学校に来て初めて知ったという人もいます。吃音の「吃」は、古い漢字で、吃音以外では使わないので、吃音ということばを知らない人は少なくありません。私の子どもの頃は「どもり」としか知りませんでした。それが最近、「どもり」が放送禁止用語のように扱われています。禁止ではなく、メディアが勝手に自主規制しているだけなのですが、あまり使わないようにしているのは事実です。差別語ではないかと言われたりしていますが、私は決してそう思っていません。むしろ、「どもり」ということばをどんどん使ってほしいと思っています。
 私たちは、できるだけどもりということばを使ってほしいとずっと思ってきました。どもる人は、人口の1%と言われているので、沖縄にもたくさんいるはずです。周りにどもる人はいると思うけれど、本人がどもりを隠して、できるだけ周りに知られないようにしているので、なかなか気づいてもらえません。また、どもりぐらいたいしたことはないという考え方も根強いし、どもったりどもらなかったり、場面によって違ったり、すごくどもるときとどもらないときがあったりするので、正しい理解がされないのです。
 吃音の研究・臨床は、1903年から始めた、東京音楽学校の校長の伊沢修二がおそらく世界でも最古の部類に入ると思います。東京の小石川の楽石社から始まり、本格的には1920年ごろから行われ、1930年代には、アメリカのアイオワ州立大学で大きな発展を遂げています。研究・臨床の歴史は古く、紀元前から文献に出てくるほどの吃音ですが、残念ながら原因は分かっていません。こうではないかという説はたくさんありました。
 原因説で有力なものとして、ウェンデル・ジョンソンの診断起因説があります。どもりは、「子どもの口から始まるのではなくて、母親の耳から始まる」というもので、2、3歳の、誰にでもある非流暢な、どもるような子どもの話し方を「どもりだ」と発見・診断することによって、吃音が始まるという説です。この診断起因説は、親に対していい聞き手になりましょうということを提唱したことではいい面もあったのですが、どもりは母親が作る、母親が原因なのだという説が流れたために、相談に行くと、お母さんの育て方が問題なんじゃないかとか、プレッシャーを与えたのではないか、厳しすぎたのではないかと言われて、母親が悪者にされた時代がかなり長く続きました。
 今はもう母親が原因だという説は完全に否定されていますが、未だに、小児科でも児童相談所でも、ついつい母親に原因を求める動きもあり、残念なことだと思います。どもる原因に、母親は関与していません。これは知っておいてもらいたいことです。
 ところが、このジョンソンが、実は大変な人体実験をしていたということが60年ぶりに明らかになって、そのことをNHKのBS番組が取り上げることになりました。ディレクターから連絡があって、ジョンソンがどういう人なのか、どういう人体実験だったのか、知りたいということで、相談にのり、2時間くらい話をしました。来年1月25日夜の10時、BSプレミアムで放映される「フランケンシュタインの誘惑」という番組です。ウェンデル・ジョンソンは、母親が原因だということを証明するために、実験をします。実験には、親の同意が必要なので、その同意が必要ない孤児院にいる子ども22名、吃音の子どもと吃音でない子どもをランダムに半分に分けて、半分には温かい、子どもがどんなにどもろうとやさしく受け止めて、いい環境を作った。片方は、ちょっとでもどもると指摘をして、ゆっくり言いなさいと投げかけた。その11名の中には、どもる子もどもらない子もいた。いい働きかけをするのと、悪い働きかけをするのと、どう違うか実験をする。考えたら大変な実験です。
 ジョンソンは、誤った環境、厳しいことばをかけると、どもらなかった人間でもどもるようになるのではないか。人工的にどもりが作れるのではないかという結果を導き出したかった。ジョンソンとしては、いいふうに考えれば、よりよい聞き手になりましょうということを導き出したかったのでしょうけれど、求めた結果は得られなかった。どもる子どもを作ることもできなかったし、いい聞き手になったとしてもどもりがそれほど改善されたわけでもなかった。その研究は封印されて、60年が経ちました。
 厳しく接した中の半分が、吃音ではないにしても、精神的に異常を来していました。また、なぜこの人は社会に出ていかないのだろうかと調べた結果、その人はこういう実験をされていたということがジャーナリストから知らされて、そういう実験のために、私はこんな生活になったのだということになり、訴訟があって、大学側が賠償金を支払ったということがありました。ジョンソンの実験は、あってはならない実験で、こんなひどいことがあったと紹介する意味で放送するというのが、番組の作り手の趣旨です。
 そこから、学ぶことがあります。子どもがどもったり、言いよどんだりしたときに、それを温かく、どんなにどもっても受け止めることの大切さ、マイナスの刺激を与えることの弊害は、学ぶべきことでしょう。
 もう少し挙げてみます。今、吃音は、言語聴覚士という専門職者がいて、それがゆえに、子どものどもりを治してあげたい、治そうとします。言語訓練をしようとするのです。本当にそのことが、子どもの役に立っているのかということを考えたいと思います。
 僕は、吃音に治すことにこだわってはいけない、むしろ言語訓練はしない方がいいと45年以上、ずっと言い続けてきました。吃音はどう治すかではなくて、どう生きるかということを考えて、子どもの健やかな全体的な成長を支えることが大切だと、僕は考えて、「吃音を認めて、吃音と共に豊かに生きる」ためにこそ、努力を続けるべきだと、ずっと、提唱してきました。でも、なかなか言語病理学の世界の潮流はそうはいきません。やはりどもっている子どもを見ると、治しておいた方がいい、改善しておいた方がいいに決まっている。そうしないと、将来、小学校に入学したらいじめられるのではないかと、将来に対する不安から今のうちに治しておかなければならないとして、訓練が行われています。
 幼児吃音の臨床を考えてみると、初期の段階で、いい聞き手になりましょう、言い直しをさせたり、ことばに注意を向けたするのではなくそのままを聞きましょうと言われています。「環境調整」ということば、これは僕の嫌いなことばですが、どもる子どもの聞き手の環境をよりよいものにしましょうと言われてきました。特に母親に、いい聞き手になろうという指導がされてきています。幼児吃音の臨床は、「親へのガイダンス」が中心で、子どもに対しては「遊戯療法」が中心で、直接的な言語指導はしないのが常識でした。
 ところが、最近、出てきたのが、オーストラリアのシドニー大学のリッカムキャンパスから始まった「リッカムプログラム」です。ウェンデル・ジョンソンは、幼児期は、ことばの訓練はしないでおきましょう、するにしても学童期以降にしましょうと言っていましたが、このプログラムは、幼児期に訓練をしましょう。子どもがどもったら、そうじゃないでしょう。こうでしょうと、言い直しをさせるというものです。言い直しをさせてはいけないとジョンソンが言ってきたのに、180度変えて、言い直しをさせるというものです。これまでの幼児吃音の臨床の問題点をきちんと検証し、問題点をあげた上で、「幼児期から流暢性形成の訓練」が出てきたのではないのです。2004年、オーストラリアのパースで第7回吃音国際連盟の世界大会が開かれたとき、言語聴覚士養成の大学院の学生の多くと話しました。すると、幼児期の吃音の自然治癒が80パーセント、あるいは45パーセントと言われていた時代に、彼女たちは10パーセントだと教えられていました。そのままにしておいては、自然治癒が多くないので、幼児期から言語訓練すべきだという主張でした。
 「リッカムプログラム」はまだ沖縄には上陸していないようですが、阻止してほしいと思っています。関東地方では、言語聴覚士やことばの教室の教師がそれを勉強して、子どもに教えるという流れが出てきています。これは、どもる子どもや親にとって、とてもつらいことです。子どもは自分が表現したいこと、伝えたいことがいっぱいあって、どもってでも一所懸命話そうとする。それを、どもっていたら、止められて、言い直しをさせられる。すると、子どもは自分の表現がだめなんだと思ってしまう。つまり、どもることに対して、流暢でないことに対して、ネガティヴな意識、感情をもってしまう恐れがあります。ここに、大きな問題があると思っています。
 残念ながら、言語障害の分野では、僕が45年前から「吃音をネガティヴなものとして意識することが一番の問題だ」と言い続けてきているのに、全然変わりません。相も変わらず、治さなければならない、治した方がいいと言っています。
 言語病理学という狭い世界は全く変わらないのだけど、そのほかの領域は、治そう、改善しようとか、マイナスのものをなんとか変えようという、ネガティヴなものを変えていこうという動きはあまり効果がないだろうと、今、大きな方向転換が始まっています。それを紹介します。今回は、レジリエンスとポジティヴ心理学をお話して、子育てについて考えたいと思います。 (続きます)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/02/02
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