伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2018年01月

どもる、自己紹介が嫌さに、好きな卓球部を退部


 昨年の吃音にかかわる活動を、遅ればせながら報告をしていますが、今回は、2017年10月21・22日に開催された第19回島根スタタリングフォーラムについて報告します。 

 島根スタタリングフォーラムは、以前、ニュースレター『スタタリング・ナウ』で、「吃音キャンプの老舗の味」と書いたことがありますが、本当に長く続いています。中心となる担当者が引き継いでくれていること、ありがたく思います。
 いつも、島根には、前日入りします。今回も、10月20日金曜日の夕方、広島まで新幹線で行き、そこに、現在の事務局の森川さんが迎えに来てくれています。広島から約2時間、車中でいろいろな話をします。
 翌日からフォーラムが始まります。午前中は出会いの広場があって、午後は、どもる子ども、親、スタッフの教師など参加者全員の前で、自己紹介をした後、質問があればして下さいと話しました。すぐに中学生男子の手がさっと挙がりました。

中学生男子 中学校の頃はどんなでしたか。
伊藤 中学校のころは、みじめだった。小学校より中学校の方が苦しかったように思う。卓球部に入っていたので少し救われた部分はあったけれどもね。
男子 僕も、卓球部です。
伊藤 そうか、君も卓球部か。卓球をしているときだけは、元気だったように思います。3年間、卓球をがんばって、卓球をしているときだけが、ほっとする場だった。
 中学校2年生の英語の時間、研究授業か授業参観かがあって、リーディングが当たって読んだ。でも、どもって、読めなかった。先生が「おまえは筆記試験はいいのに、練習してこなかっただろう。今日は、先生がたくさん見に来るからちゃんと練習してこいと言ったのに」と怒られた。悔しかった。授業が終わってから、英語の先生のところに行って、「僕は練習してこなかったわけではない。僕はどもるから、リーディングができなかったんです」と言った。その先生は、「ああ、分かった、分かった、分かった」と軽くあしらわれて、すごく悔しかった。それで、英語が嫌いになった。あの先生がいなかったら、もっと英語ができていたかもしれないのにね。
 もうひとつ、悔しいことがあった。高校に入学して、やっぱり卓球部に入った。君も、当然、また卓球に入るよね。違うものをする?
男子 どうでしょう。
伊藤 そうか。僕は、入学式のとき、「かわいい子だなあ」と思っていた子が、卓球部に入っていて、ラッキーだ、これからの高校生活は楽しいぞと思った。普通は、男子コートと女子コートは別々で練習していたから、よかったんだけど、何週間か経って、男女合同の合宿があると言われた時、すぐに、「合宿だと自己紹介がある、彼女の前でどもりたくない」と思った。
男子 じゃ、紙に名前を書いて、私は何々ですと言ったらよかった。
伊藤 そうだよね。君の言うように、紙に書いてもよかった。また、その合宿だけ、体の具合が悪いからといって、休めばよかった。いろいろ考えられたかもしれないのに、もう、だめだと思って、結局、「自己紹介が嫌だ」という理由だけで、好きだった卓球部を辞めてしまった。
男子 ああ。
伊藤 あほみたいやろ。
男子 ですね。
伊藤 ですね、か。そうだよね。あれだけ好きだった卓球を、自己紹介でどもるからといって辞めないといけないのか。それから、僕は「逃げるくせ」がついてしまった。何かちょっとでも、困難なことがあると、「どうせ僕なんか、どもりだからできない」と、思ってしまって、逃げまくった。どもりを隠し、話すことから逃げて、つらかった。そんな中学校、高校生活でした。全然楽しい思い出はない。
男子 大学は?
伊藤 大学は楽しかったね。どもりを治そうと思って、1年生のときにどもりを治す学校に行った。1ヶ月間、どもりを治す練習をした。その練習はすごかったよ。上野の西郷さんの銅像の前や、山手線の電車の中で、演説をした。ラッシュアワーだったら怒られるけれど、お昼頃ならいいので、池袋駅から入って目白駅までの一駅分の1分間の原稿を用意して「皆さん、突然大きな声を張り上げまして失礼ですが、僕のどもりを治すためのスピーチを聞いて下さい」と言って、毎日毎日演説していた。今から思うと、よくやったと思う。池袋駅から演説を始めて、「ありがとうございました」と言って、目白駅で降りる予定だったけれど、調子が悪いときはそうはいかず、ドアが閉まってしまう。次の駅までの1駅、乗客のみんなの、冷たい哀れみのような視線がとても嫌だった。
 そうして、1ヶ月がんばったけれど、僕のどもりは治らなかったんだ。
 でも、みんながこの島根吃音フォーラムに来て、どもるのは自分だけじゃないということが分かってうれしかった、というのと同じで、どもるのは自分ひとりではないと知ってよかった。もうひとつ、よかったのは、どもていたら仕事ができないんじゃないかと思っていたが、そこに来ている人たちは、みんな、田舎に帰ったら、お坊さんだったり、学校の先生だったり、農業をしていたり、商店を経営していたり、いろんな仕事をしていた。あのときはびっくりしたね。どもっていたら、大学を卒業しても、仕事に就けないと思っていたけど、この人たちは、悩んでいるから、どもりを治そうとここに来たけれども、帰ったらちゃんと仕事を持って生きている。これを知ったことは、ものすごく大きな勇気になった。
 今までは、どもりが治ったら友だちもできるし、どもりが治ったら勉強もする、とどもりが治ったらとばかり思っていた。でも、1か月必死でがんばっても、どもりが治らなかったから、このままで、どもりながらでも、自分のしたいこと、しなければならないことをしようと、覚悟を決めた。その瞬間から、僕の人生は全く変わったね。
 あれだけ、自己紹介が嫌で卓球部を辞めたり、音読や、発表、クラブに入って友達をつくることからも逃げ回っていた人生から、何でも挑戦するという人生に変わった。その時21歳で、今73歳ですが、本当に幸せに生きています。こんなに幸せでいいのかなと毎日毎日思う。あれだけ苦しかった21歳までの生活に耐えたご褒美かなと思うくらい。
 何年か前に、中学校の同窓会があった。本当は同窓会なんか行きたくなかったんだけど、僕が書いた『新・吃音者宣言』という本の書評が週刊誌に大きく載って、その書評をコピーしてみんなに配ってくれた人がいた。そして、伊藤を同窓会に呼ぼうという話になって、強く誘われたので、これは行くしかないと思って行ったんだ。僕を呼んでくれた同窓会の幹事が特別に僕にだけあいさつをさせてくれて、「みんなは、僕のことなんて覚えていないと思うけど、友だちがひとりもいなくて、本当にしんどい中学生時代を送りました」と話した。
 そしたら、「伊藤、お前と一緒にお伊勢さんに自転車で行ったじゃない」とか、一緒にこんなことをしたじゃないかということを話してくれた。僕にはそんな記憶が全くない。寂しくて寂しくて、ひとりぼちで生きてきたという記憶しかなかった。本当はそうじゃなかったみたいでした。女の子も何人か声をかけてくれた。「私、伊藤さんのこと好きだったんたけど、なんか声はかけられなかった。声をかければよかったね」と言ってくれた。
 そんな話を聞いて、僕は、ひとりぼっちで生きてきて、どうしようもない人生だと思っていたけれど、周りは、ちゃんと認めてくれていたんだなと思った。だから、週刊誌に書評が載ったときに、それをコピーしてくれて、配ってくれた、同窓会の幹事にすごく感謝しています。ひとりぼっちだと思っていたけれども、ひとりぼっちではなかったんだね。
 そんな中学校、高校時代を送り、大学生活は、どもりを認めて、どもりながら逃げずに生きていたから、楽しかった。この前、大学の同窓会があって、80人のうち半数ぐらいが参加した。僕は、地位も名誉もお金もないけれど、「どもりの人生を楽しく生きた」という誇りはあるので、堂々と参加できた。全員が70歳を過ぎているわけで、みんな、毎日、釣り、ゴルフばかりしているという人が多い。その中で、僕は、どもる子どもたちとのキャンプ、講演、世界大会など、社会的な活動をしていて、みんなにうらやましがられた。小学2年生から21歳まで、どもりでとても苦しんできた分、悩んできた分、今、褒美のようなありがたい生活をしています。どもりでよかったと思っている。
 
 中学生が、興味をもっていろいろと質問をしてくれたおかげで、その中学生に話すつもりでいろいろと話すことができました。興味、関心をもって質問をしてくれると、いろいろと思い出して、話すものです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/01/21

どもる子どもの母親からの質問ーどうして、どもるようになったのか



 NHK BSプレミアムの 吃音の原因説のモンスター研究の紹介を前回しました。
今は、絶版になり、古本や、図書館にしかないだろう僕の本『吃音と上手につきあうための 吃音相談室』(芳賀書店・1999年)に、どもる子どものお母さんからの手紙への返信として、書いた文章を紹介します。診断起因説の功罪を書きました。

1.どうしてどもるようになったのか

 この質問は、どもる人々からもよく受けます。子どもがどもるようになった原因で何か思い当たることがありますか。これまでの吃音研究は、原因の究明が主要なテーマでした。アメリカなどの学者を中心に、重要な研究がなされ、論議されましたが、明言できる原因は未だに分かっていません。それでも、「吃音は母親が作る」と言われた時期がありました。
「子どもが何か悪いことをしたとき、きつく叱ったことはありませんか」
「ことばがつっかえたとき言い直しをさせたことはありませんか」
こう質問され、日常生活のいろいろな場面で、そのほとんどが自分に当てはまるようで辛い思いをし、「そのお母さんの接し方がお子さんを吃音にしたのですよ」と言われた時は、ショックを受けられたそうですね。

2.ジョンソンの診断起因説

 「吃音はお母さんが作る」となぜ言われたのか、吃音の原因として、この考え方を信じる人は少なくなりましたが、吃音を考えるヒントは得られますので知っておくとよいでしょう。アメリカの言語病理学者で、その研究成果が世界的に認められているウェンデル・ジョンソン博士を中心に、心理学・医学・教育学などの専門家が1934年から1959年にかけて大がかりな調査・研究を行いました。
 子どもを吃音と考えている母親とその子どもの群(A群)、そうでない母親とその子どもの群(B群)とを比較して、どこが違うかを調べました。子どもには心理テストや医学的な検査などで心と体の働きやことばの状態を、母親には性格テストや子どもの話しことばに対する意識や態度などを調べました。

子どもについての比較
○ことばをつっかえる量やつっかえ方にはほとんど差がない。
○性格的、身体的な差は全くない。

母親についての比較
○子どもの吃音を気にし始めるのは3才前後が多く、それを最初に発見するのは、ほとんどの場合、母親である。
〇A群の母親はB群の母親に比べ、子どもの発達や行動、特にことばの面での期待が少し高い。

 この結果からジョンソンは、診断起因説を次のように説明しました。
 『吃音の子どもは、心も体も異常はない。3才の頃にはよくみられる、流暢でない話し方をA群の母親はどもると考え、B群の母親はごく普通の話し方と考えている。子どもの話し方に《吃音》とレッテルを貼るのが吃音の子のお母さんだ。《吃音》と診断された後から吃音が起こる』

3.ジョンソンのアドバイスの功罪

 ジョンソンはこの説をもとにして、次のようなアドバイスをしています。
○自分のことばの異常を気にするような、注意を向けさせてはいけません。そのために《吃音》というレッテルを貼ったり、「言い直してごらん」「もっとゆっくり言ってごらん」などと言ってはいけません。
○子どもが喜んで話したくなるようなよい聞き手になって下さい。
○子どものことばに寛大になって下さい。
 どう接してよいか分からなかったお母さんに、これらのアドバイスは大きな勇気を与えました。どもるたびに嫌な顔をされたり注意されてきた子どもも、話す時のプレッシャーから解放されました。しかし、この説がよい影響ばかりを与えたわけではありません。
 これまでの育児態度を頭ごなしに責められ、自分がこの子の《吃音》を作ったのだと自責の念にかられ、育児に自信をなくした人。当然躾けなければならないこともつい甘やかしてしまい、子どもがひとりでは何もできなくなったという人。また、成人になってからお母さんのせいだと責められた人もいました。
 「吃音を作るのはお母さんだ」とは言えません。18才の子どもから、吃音矯正所に行きたいと言われ、初めて自分の子どもが吃音だと知ったなど、お母さんが吃音だと診断していない例は少なくないのです。どうか《私が悪い》とご自分を責めないで下さい。たとえ、反省することがあったとしても、お母さんなりに子どもの幸せを願って努力してこられたのです。いたずらに過去を振り返るより、これから子どもとどう関わればよいかを考えましょう。
  『吃音と上手につきあうための 吃音相談室』(芳賀書店・1999年) p36〜 p41

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/01/17

どもりは母親がつくる 原因説の裏話


「フランケンシュタインの誘惑 科学史の闇の事件簿」
    2018年1月25日(木曜日) NHK BSプレミアム 午後10時から放送 
   

 NHK BS放送のBSプレミアムに「フランケンシュタインの誘惑 科学史の闇の事件簿」という番組があります。その番組で、「吃音は母親の耳から始まる」とした、吃音の原因論としては一番有名で、影響力をもった「診断断起因説」で有名な、ウェンデル・ジョンソンが取り上げられます。
診断起因説は、その名の通り、子どもが言語発達の過程の中で、多くの子どもがみせる「非流暢性」、つまりどもっているような話し方を「これはどもりだ」と診断して、将来を心配し、不安に思い始めることで、本物のどもりになるというもので、「母親がどもりをつくる」と、母親の育て方を問題としたものです。その結果、日本でも、保健所や児童相談所などで、母親の育て方が問題視されました。原因論としてのこの説は、現在否定されていますが、その説を証明するために、「モンスター研究」と言われる、人体実験のようなことが行われました。
 企画した、NHKの担当ディレクターから相談を受けたのは、昨年の10月ですが、東京で会い、2時間以上、吃音についていろいろと話しました。当初は、吃音の原因論としての診断起因説だけでなく、最近の吃音事情についても取り上げる予定のようでした。取材することばの教室も紹介したのですが、予算その他の事情で、ジョンソンの人体実験ともいえるモンスター研究のみが取り上げられるようです。どのような番組になるか、大体のアウトラインはディレクターから送っていただいたのですが、まだ放送されていないので、紹介はできません。代わりに、「診断起因説の秘話」について、2002年に日本吃音臨床研究会の月刊紙『スタタリング・ナウ』で紹介した記事がありますので紹介します。
 
     
診断起因説秘話
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
       2002.3.16
 
 ウェンデル・ジョンソンの『診断起因説』ほど、数ある吃音学説の中で、有名なものはない。単一の原因論としては現在では否定されているものの、当時としては革命的なものであり、現在も少なからず影響を与えている理論でもある。
 聞き手への認識を高めたこと、どもる子どもにどう接すればいいか悩んでいた母親に、少なくともマイナスのかかわりを止めさせた点で大いに貢献したと言える。
 その学説が、倫理的にあってはならない実験によってなされたものだという、衝撃的な真実が65年の歳月を経て、明らかにされた。資料の保管のよさ、粘り強いジャーナリストの熱意に驚かされる。
 ウェンデル・ジョンソンの研究が、『モンスター研究』と呼ばれ、人体実験とも批判されるのは、当然のことだろう。ジョンソン本人も、それが悪いことだったと認識したから、その実験を隠そうとしたのだろう。実際に実験を担当した大学院生、被験者に大きな傷を与えたことには疑いがない。
 ジョンソンと同じように吃音に苦しんできた、吃音の当事者の私が、このジャーナリスティックに展開される秘話に触れて、どう感じたかを述べたい。
 まず、被験者の反応だ。報告があまりに長文であったために、全ては紹介できていないのだが、実験をそれとは知らずに受けて、どもる人としての人生を送った人の感想がいくつも紹介されている。その人たちは一様にその実験を知り、驚き、実験者を恨み、現在の不本意な状態を嘆いている。被害を受けた当事者としては当然の思いだろうが、ジャーナリストとしては、このような非道な実験がなされ、このような悲劇が起こったと、センセーショナルに扱いたくなるのだろう。
 「私は、科学者にも大統領にもなれたが…」と、吃音のために、いかに大きな損失を被り、人間関係を閉ざされたことが紹介されている。私にはそれが痛い。
 本来、吃音にならなかった人が、ジョンソンのために吃音になり、どもっていたために人生で大きな損失を被ったと、ジャーナリズムが被験者の悲劇性を強調すればするほど、今現に、ジョンソンのせいではなく、どのような原因かは分からないが、どもって生きている人がみんな悲劇の人となってしまう印象を与える。そもそも、吃音はそんなに忌むべきものなのか。
 「どもっているあなたのままでいい」と心底思い、自分自身へも、どもる人、どもる子どもたちへもメッセージを送り続け、吃音と共に生きてきた人生を、とてもいとおしく思う今の私にとって、吃音へのこの強い否定的なメッセージは、胸苦しさを覚えるのだ。
 吃音になったからといって、それがマイナスの人生になるとは限らないのだ。
 あとひとつ。実験のつもりではなくても、ジョンソンの実験に似たようなことが、無自覚に、一般的に行われていないか、ということである。
 「そのうちに治りますから心配しないで。吃音を意識させるのが一番いけないから、どもっていても知らんぷりしていなさい」
 このアドバイスは、ジョンソンの原因論からくるひとつの弊害だと私は思っているが、現在でも児童相談所や保健所などで言われている。そのうち治ると言われ、どもっているのを見て見ぬふりをして、ひたすら治るのを待ったが、中学生や高校生になっても治らないがどうしたらいいか、という相談が最近実に多い。
 何の根拠もないのに、安易に、「そのうちに治ります。吃音のほとんどは一過性のものだ」と言い切る臨床心理や教育の専門家の意見を新聞や雑誌等で現在でも見受ける。治ると信じていたのだろう。子どもの頃に吃音に一切向き合うことなくきたために、波乱の思春期に問題が吹き出す。そうなってから、吃音と直面せざるを得ないのは、難しいことだ。こうして、吃音に悩み、戸惑う人と接すると、「モンスター研究」と似たようなものを感じてしまうのだ。
 「吃音は必ず治る」と、多額の器具を売りつけたり、書物などで自己の吃音治療法を紹介しながら、実際は効果がない場合もそうだ。その宣伝を固く信じたが、吃音が治らずに悩みを深める。ジョンソンの被験者のように現在の不本意な生活を嘆く人がいる。この現実を暴いてくれるジャーナリストはいないのだろうか。
 吃音でよかったとまでは言わないけれど、「どもっていては決して有意義な、楽しい人生は送れない」とする考え方に、「どもっていても決して悪い人生ではない。自分の人生に、吃音というテーマを与えられたことであり、一緒に考え、取り組むことができる。自分の人生は自分で生きよう」と、私は言い続けたいのだと、ジョンソンの秘話に接して改めて思った。
 日本吃音臨床研究会 月刊紙 「スタタリング・ナウ」2002.3.16 NO.91

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/01/14

どもる子どもとの、哲学的対話 岡山キャンプ

 岡山キャンプの保護者からの質問はまだあり、それについての話をした後、用意していた、ポジティヴ心理学について話しました。保護者への講演はこれくらいにして、岡山では定番となっている、子どもたちへの僕の話に入ります。  
 午後は、子どもたちとの時間でした。はじめに、築山さんが、子どもたちに、僕の紹介をしてくれました。

 「日本で初めて、吃音があって何が悪い、吃音があっても、そのまま生きていけばいいじゃないかと、吃音者宣言を作った、えらい先生です。吃音について思ってきたこと、考えてきたことを話してもらいます」

 ちょっと恥ずかしいけれど、うれしい紹介でした。
 子どもたちにこう語りかけました。
 「僕はえらい人ではないけれど、どもりの名人です。なぜ僕は、どもりの名人だと自分で言っていると思いますか」と問いかけて、子どもたちに想像してもらいました。

・「えーと、えーと」と言うから。
・どもりをはじめは気にしてたかもしれないけど、後から気にしなくなったから。
 
 これくらいなら、参加しているみんなも、すぐ名人になれます。これは時々、ことばの教室のグループ学習などても聞くことがありますが、中にはとても納得のいく答えが出ることがあります。もうちょっと何かないかなと聞きましたが、出てきませんでした。
 
 「僕は、50年以上も前からどもりのことばかり考えてきました。世界で一番どもりについて考え、一番たくさんどもる人に会い、一番たくさんどもる子どもと会ってきたと思っています。そして、僕はどもっても平気で、どんな場でも話します。そして、どもることを楽しんでいます。これが、僕がどもり名人だという理由です」
 このようなことを話しました。

 「今年の8月に、滋賀県で第28回吃音親子サマーキャンプがあって、僕は4年生の子どもたちの話し合いのグループに参加しました。そこで、どもることでからかわれたり笑われたり、真似をされたりして、とても嫌だと、みんなが言いました」と、言った瞬間、ひとりの男の子が「そう?」と不思議そうに言いました。「そう?」と思う子もいるのです。それを受けて、僕は、「どもってからかわれたり笑われたりしても、別に平気なときもあるし、すごく嫌だなあと思って悩むときもあると思うけれど、どうですか」と尋ねました。「ある」「平気なときが多い」という答えが返ってきました。そこで、「平気なときっていうのは、どういうときか。考えてほしい」と言いました。実は、この質問をサマーキャンプのときもしたのですが、難しくて、なかなか子どもたちから答えが出てこなかったのです。

・いらついていないときは平気だし、いらついているときは平気じゃない。

 どもること以外のことで、いらついているときや気持ちが落ち着かないときは、どもることをからかわれたり笑われたりすると、すごく嫌だけど、そうじゃないときは、まあ大丈夫ということらしいです。

・失敗したって自分で思ってないとき。
・友だちがはじめから分かってくれていたら、いい。

 周りの人が自分のどもりのことを知っていて、理解してくれていると分かったときは、平気だということでした。

・話す話題が多いとき。
・ほかにどもる子ども、仲間がいたら平気。他の子もがんばっていると思ったらがんばれる。

 一所懸命考えていた子どもたちでした。
 なぜ、こんな話題を出して、子どもたちに考えてもらったのかというと、それは、1975年にさかのぼります。この年、僕は、全国をずっと回って、吃音相談会・講演会をしました。35都道府県38会場で、その土地のことばの教室の先生が、会場を探して広報してくれました。そのとき、どもるための苦しみ、悩みをたくさん聞きましたが、同時に、どもる人やどもる子どもが、悩みをどう乗り越えてきたかについてもたくさん話を聞いたのです。「どもる子ども、どもる人の悩みの実態調査」もしました。多くの人に聞いてみたら、すごくどもっていても、平気だったときがあると言いました。僕は、自分がどもっていてつらく、すごく悩んでいたので、どもる人はみんな悩み苦しんでいると思っていたのですが、そうではないときもあったという話は衝撃的でした。
 なぜそうなのかと聞いたら、からかったり笑ったりする子もいたけれど、クラスに友だちがいっぱいいた、特に仲のいい友だちがいた、熱中して何かに打ち込むことがあった、スポーツが好きでがんばっていた、と言いました。つまり、人間関係がすごくよかったから、好きなものがあったから、気分が幸せだったからだというのです。幸せなときは、からかわれても、幸せな気分の方が大きくて、平気だったというのです。それを聞いて、自分のことを振り返ってみると、僕も、どもりに悩んでいたけど、なんとか学校へ行くことができていました。どもるしんどさはあったけれど、なんとかしのいで学校に行っていたのです。それは、僕に大好きなこと、熱中することがあったからです。本が大好きだったし、映画を見るのが好きでした。そういう自分が好きなものがあったから、どもりに悩みはしたけれど、それなりに学校に行くことはできたのだと気づきました。

 話を少し変えて、将来、大人になって、なりたい仕事ってあるか聞いてみました。それぞれ、看護師、ユーチューバー、飛行機のパイロット、アイドル、卓球の選手、ケーキやさん、デザイナー、野球の選手、水泳の選手、バスケットの選手、将棋の棋士など、夢があるようです。そこで、僕は、今年の吃音親子サマーキャンプに来てくれた消防士の兵頭君の話をしました。
 消防士になりたいが、どもっていて消防士になれるだろうかと相談してきた兵頭君に、僕は、本当になりたいんだったら、なったらいいと言いました。彼は、試験を受けて消防学校に入ったけれど、「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか」と言われた。僕だったらやめてしまうかもしれないけれど、彼はがんばって消防士になった。彼ががんばったのは、なぜだろうか、みんなに考えてもらいました。
 子どもたちの答えです。

・将来の夢が消防士だったから、どもるとかどもらないとかそれ以上に、将来の夢がしっかりしていたから、耐えて、がまんできたと思う。
・この仕事には絶対就きたいと思う気持ちが強かったから。
・吃音というコンプレックスより、やるという気持ちの方が勝ったから。
・吃音があったけれど、夢に向かってがんばっていたから。

 自分と重ね合わせて考えた子どもたちに、僕は、次のようなことを付け足して、話しました。

 「彼には、同じようにどもりながら、がんばっている友だちがいた。どもりながらがんばっている先輩や相談できる人がいた。ひとりで悩んでいたら、消防士になっていなかったかもしれない。周りに仲間がいたこと、大人の先輩に相談したことが大きかったと思う。これから、困ったり、悩んだりしたら、おうちの人、友だち、先輩、ことばの教室の先生など、誰でもいいから、誰かに相談してほしい。みんなにはそれぞれ夢があるし、いろんな仕事に就くことができると思う。僕も、どもりに悩んでいたときは幸せな気持ちにはなれなかったけど、どもる自分を認めて、どもる覚悟ができてからは、どもりについて勉強して、友だちもたくさんできた。世界中のどもる人に会いたいと思って世界大会を開いて、国際吃音連盟をつくって、幸せに生きてきた。きっとみんなも、どもることで嫌なこと、つらいことがあるかもしれないけれど、何か好きなもの、熱中できるものをみつけ、友だちや信頼して相談できる大人をみつけて、それを自分の財産にして持っていてほしい」

 子どもたちにとっては、ちょっと難しかったかもしれません。でも、こうして、考え続けること、問いかけに対して、一所懸命答えようとすることで、それが刺激となり、考える習慣となるでしょう。どもる子どもには、吃音について、自分について、一所懸命考えてほしいと思います。大人を交えて、対等に考える中で、自分の生き方をみつけていってほしいと願っています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/1/13

どもり(吃音)は治りますか?


 岡山キャンプでの保護者への講演会で出された質問について書いてきましたが、まだまだ長く続きますので、今回で一応ストップします。いろんなところで出される質問について、機会があれば紹介していこうと思います。


7. 伊藤さんが、どもりでよかったことはありますか? どんな時ですか?

 どもりに深く悩み、「どもりが治らなければ人生はない」と思っていた時には、このような質問が出ることも想像できませんでした。この質問をしていただくこと自体が、とてもありがたいことのように思います。
 どもることがいいということはないけれど、どもりに悩み、どもりを認めて生きようと覚悟してからは、いろんなことを学ぶことができました。悩んでいなければ、交流分析、森田療法、アサーション、認知行動療法などを学ぶことはなかったでしょう。大阪教育大学の教員になることも絶対になかったと思います。そして、吃音親子サマーキャンプなどで、たくさんのどもる子どもと出会い、どもる人の世界大会を開くなど、様々な経験ができました。
 4月に大学の同窓会に行ってきました。80人ほどのクラスでしたが、40人ほどが集まりました。定年後10年も経っていると、ほとんどの人が、釣りやゴルフなどで時間をつかっていて、社会的な活動をしている人は多くありませんでした。その中で僕は、どもりのおかげで、この年になっても、たくさんの人に出会い、講演もし、友だちも多く、とても幸せに暮らしています。どもりをいつまでもネガティヴにとらえていたら、どもりは、困ったものだけの存在だったけれど、ポジティヴにとらえることができたおかげで、吃音が人生のいいテーマになりました。
 僕の知人に、関節リウマチの人がいます。その人の話をじっくり聞く機会があり、関節リウマチについてまったく知らなかった僕は本当に驚きました。激痛が24時間続くというのです。薬が効いて痛みが和らいでいるときだけが眠れるという、あまりにも過酷な生活に驚きました。そんな過酷な病気であっても、「病気のおかげで今がある」という人がいるそうです。痛みに弱い僕にはとてもそのような境地にはなれないと思います。しかし、吃音はありがたいことに、痛みもかゆみもありません。どもることを認めさえすれば、多少の恥ずかしさはあっても、どもりながらできないことは何ひとつありません。
 実際、僕は、さまざまなことに挑戦し、学び、たくさんのいろいろな領域の人と出会えて、本当に幸せで豊かな人生を送りました。どもりでなければ別の人生だったかもしれませんが、どもりと生きた今の人生は、ありがたい人生だったと思うのです。


8.吃音は治りますか?
 
 治るということに関連して、アメリカ言語病理学は「流暢性」の3つについて説明しています。
  ー然な流暢性 本人もまったく意識しないで常に流暢に話せること
 ◆.灰鵐肇蹇璽襪気譴仁暢性 本人は意識はしているけれど、なんとかコントロールして、聞き手からはどもっていると分からない程度に話せること
  受け入れられる流暢性 どもっているけれど、困っていない状態

 ,蓮¬詰だと思います。これが無理だということは、アメリカ言語病理学も認めています。
 △癲∨佑脇颪靴い隼廚い泙后これができれば治ったも同然です。僕も一時期このような状態になりましたが、今は立派にコントロールできなくなっています。どもる時はどもるに任せるしかありません。ただ、いろんな工夫は、僕だけでなくどもる人はしていると思います。ことばを言い換えたり、少し間をおいたり、言いやすいことばを前に言ってその勢いで言いにくいことばを発言するなどです。僕もそのようなことはしていますが、それができない時は、どもるに任せています。「どもらないのもよし、どもるもよし」で、どっちでもいいと僕は考えています。
 「どもりは治るか」と尋ねられたら、「治らないと考えた方がいいと思いますよ」とは言います。ただ、幼児の場合、小学校入学前までなら、自然治癒があり、それは45%程度だと言われています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/01/11

どもり(吃音)の波現象


 岡山キャンプの親の講演会での質問の続きです。

5. どもりがひどくなるのはどんなときですか? そのときの周りは、どう対応したらいいのでしょうか?

 吃音は、「波現象」と呼ばれて、すごくどもる時と、そうでない時、もう治ったのかと思えるくらいしばらくどもらない日々が続くなど、どもる状態の変化がかなり大きいです。一般的に子どもがひどくどもるようになると、学校で何かあったのではないか、家庭の中で私が何かストレスやプレッシャーを与えたからではないかなど、つい、原因を探ろうとしてしまいます。原因らしきことが思い浮かぶ場合と、まったく思い浮かばないことがあるでしょう。仮に、これが原因かもしれないと思っても、必ずしもそれが原因とは限りません。何もなくても、自然に変化するのが吃音だと考え、原因探しをするのは、やめた方がいいと思います。
 とは言うものの、夏休みなど長期の休みの後、何かの発表会で人前に立たなければならない時、自分が何かの責任を持たなければならない時、その「予期不安」によって、どもることが多くなることはあります。ある意味それは正常な反応だともいえます。また、何かに挑戦しようとしている時、たとえば、今まであまり発表してこなかったけれど、今日はしてみようと思って発表したりする時など、慣れていない場合もどもるかもしれません。
 それらを全部ひっくるめて、どもりは「変化する」と考えて下さい。大きい変化も小さい変化も含めて、変化するのです。ただ、親からみて、異常な変化は、ひょっとすると、いじめなどの可能性もあるかもしれません。そのような時、「○○ちゃん、最近、前よりもすごくどもるように思うんだけど、何か変わったことがあったの?」と聞いてみることはいいと思います。「どもりは意識させてはいけない」がまかり通っているので、親はつい聞くのを躊躇してしまいますが、正直に、率直に自分の不安や懸念など、直接子どもに聞いてみることがおすすめです。
 つまり、いつでも吃音については話題にしてもいいんだと、親子ともども考えてほしいのです。子どものからだが何か変調を来しているときには、平気でからだのことは聞くことができるのに、どもりについては聞くことをためらうことが多いようです。
 
6. 小3の女子です。どもりを受け入れたようですが、その後、「どうせ、私はどもりだから」と冷めているようで、気になります。夢を持ってほしいと思うのですが?

 小学3年生から中学生頃までの僕の口癖は「もう、あかんわ」でした。小学2年生の秋からどもりに劣等感をもって悩み始めてからは、何事にも意欲がなくなりました。ちょっと難しくなると「もう、あかんわ」、からだが疲れて何かできなくなると「もう、あかんわ」でした。意欲も夢もない状態でした。今から考えるとこの「もう、あかんわ」のことばの癖は、いい影響をしなかったと思います。気持ちや生活態度、考え方は、普段よくつかうことばに影響されます。ネガティヴなことばを使うことで、どんどんネガティヴになっていった気がします。
 「どもりを受け入れているようだ」がどのようなことなのか、「どうせ、私はどもりだから」をどのような意味で使っているのか、子どもと、ゆっくりと「哲学的対話」を続けて下さい。子どもの思いをしっかりと受け止めて、親の「夢をもってほしい」の思いもしっかりと伝えていきたいと思います。対話の中で工夫すれば挑戦できること、がんばれることがみつかるかもしれません。後で話す予定にしている、「ポジティヴ心理学」が役に立つかもしれませんね。 
 「どうせ、私はどもりだから」のことばに代わることばを、親子で見い出せたらいいですね。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/01/07

3 吃音(どもり)について伝えること。 4どもりを受け入れたきっかけ。

 岡山キャンプでの保護者の講演での質問の続きです。質問への答えそのままではありませんが、少し書き足しました。


3 今はまだどもることを指摘されていないのですが、一度だけ、真似されたことがありました。そのときは、「やめて」と言ってそれ以上はなかったのですが、これからのことを考えると、先生にどもりのことを言ってもらった方がいいのでしょうか?


 よく出る質問です。今は、からかいは少なく、悩みは深くないけれど、将来クラスや学年が変わる、中学生になったらなど、状況が変わると、問題が起こる可能性があります。
 将来のために、自分が自分の吃音について自分のことばで説明できるようになるためには、子どもの頃から、先生に言ってもらうより、自分で言う練習をしておくことが大切です。
 社会人になると、周りはどもりについて全然知らない人が多いのが現実です。その時、自分のどもりについて、過不足なく説明できる人になってほしいと思います。差別解消法案など、法律が整備されたとしても、自分が考えているようには、周りは、世間は、吃音には無理解だと考えておいた方がいいでしょう。広く社会の理解を求めることも大切ですが、目の前の相手に、たとえば同僚や上司に、自分のどもりについて、自分のことばで説明できることはもっと大事なことです。そのために、今、小学校の教育の中でも、「こども哲学」が注目されていますが、自分のことを理解し、自分を把握し、自分のことについて相手に説明できるだけでなく、相手のことばに耳を傾け、相手との本質的な話ができる「哲学的対話」の能力を育てたいと僕は思います。

4. 伊藤さんが、自分のどもりを受け入れるきっかけは何ですか?

 
 どもりを認め、受け入れるきっかけは、人さまざまです。人との出会い、文学、スポーツ、絵や音楽など、自分の好きなことに取り組む中で、自然とどもりを受け入れる人はいるかもしれません。しかし、何か特にそのようなものとの出会いのない人でも、誰でもできるのは、「どもりとの出会い」です。僕はどもりについて、小学2年生の時から、深刻に悩んできましたが、どもりとは何かの知識もなかったし、どもりについて、他人の体験を知ることもありませんでした。深刻に悩みながらも、真剣にどもりについて考え、取り組んでいませんでした。
 1965年、今から50年も前ですが、東京正生学院という「どもりは必ず治る」と宣伝する、大きな、歴史のある民間吃音矯正所で1か月間、宿舎に泊まり込んで「どもりを治す努力」をしましたが、僕だけでなく、当時来ていた300人ほどの全員が治りませんでした。しかし、ありがたかったのは、初めて自分のどもりの悩みを話して、共感をもって聞いてもらった体験です。そして、どもりについていろんなことを教えてくれた、梅田英彦という副院長との出会いです。父親の梅田薫院長は「どもりは必ず治る」とゆっくりした話し方だけを教えてくれましたが、息子の英彦さんは、アメリカ言語病理学の「どんどん、どもっても話していこう」と教えてくれました。真剣にどもりと向き合い、なぜ僕はこんなに「人の目が気になるのか」などについても考えることができました。
 この、東京正生学院で、どもる仲間と、いい専門家に出会えたこと、これが僕がどもりを受け入れるきっかけを作ってくれました。
 「どもりは必ず治る」と宣伝しながら、300人の誰一人治らなかった現実に、僕は「どもりが治ってからの人生を夢見る」ことから、「どもりながらも、自分の人生を生きよう」と、どもりが治らないことを認めたことが、「どもりを受け入れる」に一番大きかったことのように思います。社会では「どもりは必ず治る」という情報ばかりでした。
 東京正生学院以外にも、花沢忠一郎吃音研究所、東洋語声学院、原宿スピーチクリニック、池袋矯正スピーチなどがありました。通ったのは東京正生学院だけですが、ひやかしのためにそれらのところには行きました。「治す、治せる」ばかりの中でも、僕は治すことをあきらめられたことは、とてもよかったと思います。
 初恋の人と出会えたこと、どもりながらもいろんな仕事に就いている人に出会えたこと、生きるためのアルバイト生活で、どもっていてできないことはないことを実感できたこと、それらがどもりを受け入れることにつながりました。
 小さい子で、どもることを意識していないこともあるかとは思いますが、僕の仲間のことばの教室では、1年生でも、初めてことばの教室に来たときに、「どうしてここに来たの?」と尋ねるし、ここでどもりは治すことはできないけれど、一緒にどもりについて勉強していこうと話しています。1年生がつくったどもりカルタに、「こわかった、どもりの勉強するまでは」というのがあります。
 どもりについて真剣に学ぶこと、これがどもりを受け入れる出発だろうと思います。
質問はまだ続きます。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/01/06

どもる僕が、体験して経験したことだけを頼りに話す。


 岡山キャンプ

 10月14日は、第16回目の岡山キャンプでした。長く宿泊を伴うキャンプだったのですが、今は、宿泊しないデイキャンプになっています。それにしても16回も続くとはすごいことです。岡山県のことばの教室の担当者が、みんなで計画し、当日の運営をしています。ことばの教室の担当者が2,3年ごとに変わることの多い中で、ずっと変わらず「主(ぬし)」のように居て下さる築山道代さんをはじめ、代々実行委員長が引き継がれていったおかげで、2017年度も岡山のキャンプが開催され、僕は毎年最初から呼んでいただき、そこでどもる子どもや保護者、担当者との出会いがありました。ありがたいことです。
2017 岡山キャンプ1 集合
 
 はじめは、保護者向けの講演会でした。今回の配布資料として、夏、大阪で行われた全国難聴・言語障害教育研究協議会での講習会【吃音】でのレジメ「将来を展望してのどもる子どもへの支援」を配りました。そして、その夏から新たにキーワードとして加わった、レジリエンスの流れからポジティヴ心理学についても、話すことにしていました。
 僕の話を聞くのが初めてという方もいらっしゃったので、自己紹介もかねて、僕自身の体験を3つの時期に分けて話しました。

‐学校2年生の秋まで  どもってはいたが、明るく元気な子どもでした。大きな声で返事をすること、クラス随一だと通知表に書かれたくらいです。
⊂学校2年生の秋から 21歳まで  学芸会でせりふのある役を外されたことをきっかけに、どもりに悩み、苦しみ、みじめな生活を送ることになりました。学芸会の練習の期間に全く別人になってしまったのです。楽しい思い出はひとつもありません。高校時代の一番苦しい思い出は修学旅行でした。いつもひとりぼっちでした。みんなが楽しいと思うイベントが嫌でした。
21歳から 73歳まで  相変わらずどもっていますが、明るく元気で幸せです。高校時代、音読を免除してほしいと先生に頼みに行った私が、大学の教員になりました。講演や講義をたくさんしています。なぜ僕は、21歳から変われたのでしょうか。21歳のとき、僕はどもりを治すという東京正生学院に行き、必死で治す訓練をしました。でも、治りませんでした。おかげで、どもりが治ること、治すことにあきらめがつきました。「吃音とともに生きる」覚悟ができました。吃音を認めて生きている今は、どもることで困ることも悩むこともありません。
 1965年にどもる人のセルフヘルプグループである言友会を作った創立者のひとりです。たくさんのどもる人、どもる子どもに会ってきました。滋賀県で開催している吃音親子サマーキャンプは今年で28回になりました。滋賀県以外でも、ここ岡山、静岡、群馬、島根、沖縄など各地でキャンプをしています。また、1986年に世界大会を初めて開催しました。そして、国際吃音連盟という世界的な組織を作りました。

2017 岡山キャンプ2 円くなって

 こんな僕に何か質問があったらしてくださいとお願いして、5分ほど全員に質問を書いていただきました。そして、その質問に答えていきました。こんな質問が出ました。出た質問と、少しのコメントを紹介します。

☆英語を習っているが、どもる人で 2か国語を話す人、それを生かして仕事をしている人はいますか?

 話すことの多い仕事に就けるかどうか、親は心配します。同時通訳は難しいかもしれませんが、翻訳、通訳をしている人はいます。その他、話すことの多い仕事に就いている人の話をしました。教師、消防士、看護師、など、実際に僕が出会った人の話です。

☆小3と小 6のきょうだいがどもっていて、今、ことばの教室に通っている。今後、親として、どうフォローしていけばいいか?

 今はいいけれど、将来悩むことがあったらどうするかの質問です。小学校の間は、ことばの教室があるけれど、中学生になったらどうしたらいいか、よく出される不安です。基本的には、子どもはどんなに苦しくても、自分の人生は自分で生きるしかありません。悩むこと、困ることも自分で対処するしかありません。その「生きる力」を学童期に育てておきたいものです。しかし、悩んだときは、ひとりで抱えないで、親や誰かに相談する「人に助けを求める力」も必要です。僕の開設している吃音ホットラインの電話相談や吃音親子サマーキャンプなどを利用して、決してひとりでは悩まないようにしたいものです。

 僕の両親は、僕のどもることについて聞いてくることはありませんでした。僕は今となっては、これでよかったと思っています。一緒に考えていくというのが基本ですが、僕の親のように、「どんなに苦しくても、自分で悩んで、自分で対処していけ」と手を離すこともひとつかもしれないと僕は思います。

 次回も岡山キャンプの続きです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/1/4

新年のごあいさつ


   
       迎 春
                           2018年 初春

 昨年は、渋谷で、私へのインタビューも出てくる、アメリカ青年制作の吃音ドキュメンタリー映画の上映とトークライブで幕を開けました。スキャットマン・ジョンの軽快な音楽のオープニング、その後のトークと、楽しく、豊かないい時間を過ごしました。

 「吃音の夏」は、沖縄の第2回目のキャンプから始まり、難聴・言語障害教育・鹿児島県大会、
山形県大会、大阪での全国難聴・言語障害教育全国大会でのコーディネーター、
第6回吃音講習会、第28回吃音親子サマーキャンプへと続きました。

 「吃音の秋」は、静岡、岡山、島根、群馬の吃音キャンプ。
 ナラティヴアプローチ、レジリエンス、オープンダイアローグ、ポジティブ心理学、ネガティブ・ケイパビリティなどをもとにした話は、吃音の広く、奥深い世界へと広がりました。
また、沖縄での「幼児吃音」の講演会では、幼児期から学童期へ続く、子どもへの取り組みをまとめることができました。
 「吃音を生きる」は、極めて少数派ですが、吃音の取り組みでは本流だとの確信は揺らぐことはありません。したい仕事、なすべき仕事があり、大勢の仲間がいるということは、とても幸せなことだとしみじみと感じています。これまで以上に、どもる子どもの幸せにつながる支援を考え、がんばろうと決意を新たにしています。
 今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。
〒572-0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1-2-1526
         TEL/FAX 072-820-8244
         伊藤 伸二
    日本吃音臨床研究会 http://kituonkenkyu.org
        伊藤伸二のブログ http://kituonkokufuku.com/


 新しい年を迎えました。昨年はブログを読んでいただきありがとうございます。コンスタントにはなかなか更新できませんが、なんとか発信していきたいと思います。今年もよろしくおつきあい下さい。
 また、吃音は「治す・改善する」が大きな流れになりつつある今、「吃音を認めて、吃音とともに豊かに生きる」の主張は残念ながら、少数派です。少数派ですが、吃音としては本流だと、僕や僕たちの仲間は確信しています。いろんな活動を通して学んだこと、考えたことをできるだけことばにしていこうと思います。
 吃音について関心のある人に、このブログや日本吃音臨床研究会のホームページを、フェイスブックやツイッターなどでご紹介いただけると、大変ありがたいです。

 さて、僕は、新年を、島根県の玉造温泉の健康増進ホーム玉造で迎えました。ここは、宿泊者のほとんどが70歳以上で、長期湯治の施設です。旅館やホテルとは違って食事は1600キロカロリーで制限されているため、糖尿病の僕にはぴったりの場所です。ゆったりと過ごせるので、2017年を振り返り、新しい年を考えるのにふさわしい地で、年末年始を過ごしています。
 何日か前の天気予報では、元旦は雪でしたが、雪のちらつく様子もなく、曇り空ながら穏やかな新春です。山陰特有のどんより厚い雲に覆われてはいますが、時折、日も指しています。健康増進ホーム玉造の近くの日帰り温泉の朝風呂に行き、だんだん明るくなっていく空を見ながら、熱い湯の中で、いろいろと考えていました。

 今、ブログで、吃音の秋を振り返って書いています。2017年の1年間の中でも、ずいぶんと変化をしてきているのが分かります。どう治すかではなく、どう生きるかだと転換した21歳から52年、吃音一筋で生きてきました。どもりがどもりとしてそのまま認められる社会の実現、その道は遠くとも行かねばならないと、「吃音者宣言」のあとがきに書いたそのままの思いを、今、改めてかみしめています。

 できることは限られていると思いますが、少しでも、できることをしていきます。どんな小さな集まりでも、僕の話を聞きたいとおっしゃって下されば出かけるつもりです。どもる子ども、保護者、ことばの教室の担当者や言語聴覚士などの臨床家、どもる当事者など、多くの方との対話の旅を続けたいと願っています。
 今年もよろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2018/01/01
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