伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2017年06月

ネガティヴ・ケイパビリティ


 1965年夏、「吃音が治らないと人生はない」と思い詰め、民間吃音矯正所で1か月必死に訓練したものの、治らず、治すことをあきらめてから、僕の人生は大きく変わりました。「吃音を改善する」には、吃音治療・言語訓練しかありませんが、「治らない・治せない」となると、吃音とどう向き合うか、考え、工夫せざるを得なくなります。そこには「吃音で良かった」とまで言う、吃音の豊かな世界が広がっていました。

 僕は、吃音の原因究明や言語訓練に終始するアメリカ言語病理学には関心がなくなりました。代わりに、治せない、簡単には解決しない、人間の普遍的な悩みや問題に関心を移し、様々な領域から学んできました。

 交流分析、アサーション、論理療法、森田療法、パーソンセンタードアプローチ、トランスパーソナル心理学、ゲシュタルトセラピー、サイコドラマ、認知行動療法、内観法、笑いとユーモア、竹内敏晴レッスン、演劇・詩などの表現、アドラー心理学、当事者研究、ナラティヴ・アプローチなど、その道の第一人者から、ワークショップ形式にこだわり、3日間のワークショップで学んできました。それぞれが僕たちの考えの血となり肉となりました。

 その中でも、論理療法、ナラティヴ・アプローチは、吃音のために作られたのではないかと思えるくらいに、吃音の問題を考えるのに、ぴったりとくるものでした。その二つの加えて、これも吃音について考えるのにぴったりだと思える概念に出会えました。
 
 「どうにも答えの出ない、対処しようのない事態に耐える能力。性急に証明や理由を求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」の、ネガティヴ・ケイパビリティ(negative capability)です。ネガティブ・ケイパビリティは拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐えぬく力。その先には必ず発展的な深い理解が待ち受けていると確信して、耐えていく持続力を生み出すと言います。最近注目されている、オープンダイアローグの「不確実性への耐性」そのものです。紹介者の帚木蓬生さんは、こう紹介しています。

 「私たちが、いつも念頭に置いて、必死で求めているのは、問題解決能力だ。しかしこの能力では、表層の「問題」のみをとらえて、深層にある本当の問題は浮上せず、取り逃してしまう。その問題の解決法や処理法がない状況に立ち至ると、逃げ出すしかない。それどころか、そうした状況には、はじめから近づかない。私たちにとって、わけの分からないことや、手の下しようがない状況は、不快で、早々に解答を捻り出すか、幕をおろしたくなる。しかし私たちの人生や社会は、どうにも変えられない、とりつくすべもない事柄に満ち満ちている。むしろそのほうが、分かりやすかったり処理しやすい事象よりも多い。だから、ネガティブ・ケイパビリティが重要になってくる。私自身、この能力を知って以来、生きるすべも、精神科医の職業生活も、作家の創作行為も、随分楽になった。ふんばる力がついた。それほどこの能力は底力を持っている」。  (帚木蓬生)

 この本で、帚木さんは、ネガティブ・ケイパビリティについて話したときの、スクールカウンセラーのコメントを紹介しています。

 「学校現場は、すぐに解決できない問題だらけで、教育者には問題解決能力以上に、「ネガティブ・ケイパビリティ」が重要になってくる。子供たちにも、ネガティブ・ケイパビリティを培う視点も重要だ。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。消極的に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められている。どうにもならないように見える問題も、持ちこたえていくうちに、落ち着くところに落ち着き、解決していく。持ちこたえていれば、いつか、そんな日が来る。「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力のひとつなんだよ」と子供にも教えてあげたい」
 
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 朝日選書 帚木蓬生
 
 僕の、吃音に深く悩んでいた学童期・思春期は、本当につらいものでした。吃音を完全に否定し、「どもりが治らないと僕の人生はない」と思い続けていました。実際、『どもりは必ず20日間で治る』の本をバイブルのようにして練習していました。でも、一向に治りません。いつ先生に当てられるか、音読させられるか、いつもびくびくしていました。いったい、この僕の吃音はどうなっていくのか、まったく見えてきません。

 友達との楽しい遊びも、スポーツも、勉強もせず、何一つ楽しいことのない学校へ僕が行き続けていたのは、何だったのだろうと思います。このネガティヴ・ケイパビリティの考え方に出会って、そうか、僕にはこのネガティヴ・ケイパビリティがあったのだと思うと、あの苦しかった、学童期・思春期が、いとおしいものに思えてくるのです。この力が僕にはあり、その状況に耐えている中で、何かの力が熟成され、今の幸せな人生につながったのだと思います。

 この能力は、どもる子どもや保護者、臨床家にとって、極めて重要です。原因もわからず治療法もない吃音が、今後、どうなっていくかは誰もが不安です。展望をもって、自信をもって、どもる子どもの指導をしている人がいるとしたら、それこそ変です。あまりも、無知で傲慢です。どもる本人も、親も、臨床家も確実なことは何も言えません。
 
 いつどもるか、どの場面でどもるか、どもる本人も、確実にはわかりません。臨床家も、かなりどもる子どもを目の前にして、なんとかしてあげたいと思うでしょうが、これまでの治療法を見よう見まねで取り組むだけで、何の展望ももてません。

 吃音は生活の中でこそ変化するものだと信じて、子どものそばにいることしかできないのです。どもる子どもにとって、一人ではその状況には耐えられませんが、一緒に考え、見守ってくれる人がいれば、耐えることができるのです。

 この6月、県難聴・言語障害教育研究会 鹿児島大会の講演で、吃音には、ネガティヴ・ケイパビリティが必要だと話しました。興味をもって下さった人が多かったのは、ありがたいことでした。ことばの教室の教師が、誠実に吃音に取り組み、悩んできたからでしょう。

 ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、レジリエンス、オープンダイアローグに通底しているのが、このネガティヴ・ケイパビリティだと思います。これまで学んできたことが、どんどんつながり、深まっていきます。「吃音を治す・改善する」の取り組みでは、決してつながっていかないものです。45年前に、大きな方向転換をして本当によかったと思います。

 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 朝日選書 帚木蓬生
この本の朝日新聞の記事も紹介します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

新ネガティヴ・ケイパビリティ 新聞記事

吃音相談会への、人それぞれの参加動機


 参加者のひとり一人の力がいい対話に

 今年の岡山での吃音相談会は、主催者側が「参加者に恵まれていい相談会になった」と言っていたように、バラエティに富んだ参加者でした。

 まずは、岡山言友会の中心的なメンバーの人たちが、どもる人本人として、どもる子どもの保護者として、小学校6年生と高校2年生の、それぞれに思春期を迎え、また青年期に向かっていく今後の不安をもつ保護者の人たちです。その他に、小学校のことばの教室の教員、幼稚園のことばの教室の教員、初めて吃音と向き合ったという65歳の女性、吃音ではないが、緊張すると声が小さくなったり出なくなったりするという青年でした。これだけバラエティに富んだ参加者がいると、ひとつのことを話し合っても、それぞれの立場から、さまざまな意見を聞くことができます。とても刺激的な相談会でした。

 幼稚園のことばの教室の教員は、どもる経験をしていない私のに、どもる子どもやどもる子どもの保護者に、吃音の事実をどう伝えればいいか悩んでいました。当事者の声は説得力があるけれども、どもらない私には、なかなか腹を据えて、どもりは治らない、治せないということを伝えきることができないという悩みでした。私は、即座にその考え方は今日限り改めてほしいと話しました。どもる子どもの保護者でも、ことばの教室の教員でも、誠実な人であればあるほど、自分が吃音の体験をしていないことで、吃音の人の悩みを知らない自分がどれだけのことを伝えることができるかということに悩むことが多いようです。僕は、これは大きな間違いだと思っています。

 それは、当事者同士なら分かるかといえば、そうではないからです。どもることでの表面的な困難や辛さは、自分が経験しているので、想像することは、どもらない人より正確にできるでしょう。しかし、ほんとうのところ、その人の悩みや困難は分からないのです。吃音というひとくくりにして、とらえることはできません。ひとりひとり、さまざまな状況によって、困難や悩みは違います。かなりひどくどもっていて、日常的に常に不安と怖れにさらされて、どもるたびにしんどい思いをしている人には、ほとんどどもらないのに、大きな不安や悩みを抱えているということはなかなか理解できません。一方、普段はあまりどもらずある特定の音や場面でどもる人に、四六時中かなりひどくどもる人の悩みや苦労は、実際のところ分からないのです。どもるからとって、悩みや苦労が同じではありません。ひとりひとり違うのだから、どもらない保護者やことばの教室の教員が、どもる人の気持ちが分からないというのと同じように、どもる人だって、どもる他者の気持ちは本当のところ、分からないのです。つまり、全ての人々が、自分以外の他人のことは、本当のところは、わかり合えないというところから出発すればいいのではないでしょうか。

 だから、相手を理解しようとする誠実さこそが、保護者やことば教室の教師、言語聴覚士に必要だと思うのです。幼稚園のことばの教室の教員に、私は、「あなたもこれまで、挫折や失敗など、いろいんなことを経験しながら、ここまで教師として生きてきた。その実績は、あなた自身のものであり、その体験を踏まえて、誠実に、自分が知り得た情報や、どもる人やどもる子どもたちとのつきあいで得てきた知識を、話せばいい。そのとき、私はどもらないからという遠慮は不必要だ」と言いました。

 小学校のことばの教室の教員は、広島から来た人でした。周りの吃音を治す、改善するの波がかなり強まっているということを感じとっているのでしょう。「しばらく伊藤伸二の話を聞いていないので、久しぶりに伊藤の話を聞いて、自分自身への確認と、活力にしたい」と参加の動機を話していました。
 どもる子どもの保護者は、当然、思春期の子どもの将来への不安を持っています。親として、できることはあまりない、ただ子どもの力を信じて、子どもと一緒に吃音について悩み、考え、苦労し、そして、喜び、楽しみを共有することしかないと、今回の吃音相談会の全体を通して感じてもらえればいいなあと思って話をしていました。

 65歳の女性は、どもりながらも、最近になって私はどもりますと公表して、自分なりの対処のしかた、人間関係の結び方を身につけていた人でした。しかし、吃音を治したい、改善したいという思いを捨てきることができず、相談会に来た第一の動機は、少しでも吃音を治す、改善する方法を教えてほしいというものでした。一方で、吃音を認めて生きる生き方とはどのようなものなのかにも関心を持っていました。相談会での話し合いが深まるにつれて、途中での感想として,「吃音についてこれだけ真剣に深く話し合う吃音相談会とは想像していなかった」と発言していました。教師になりたいという大学1年生との面談を通して、また、周りの人たちのレスポンスを聞きながら、自分なりによく生きてきたなあと、自分の人生を振り返っていたようです。吃音を治す、改善する方法を教えてほしいと思って参加した相談会で、彼女は、180度考え方が変わったと言いました。そして、相談会終了後の喫茶店での語らいにも参加してくれました。思い起こせば、吃音と共にいい人生を歩んできたと振り返っておられました。

 吃音ではないけれども、緊張する場面で声が出なくなるという問題を持ち、何かヒントになるかと思って参加した青年は、自分の得意な英語を生かして、通訳者になりたいという夢、希望を持っていました。ところが、子どもの頃から、緊張する場面で声が出なくなるという悩みを持っていたため、その道をあきらめ、エンジニアになったと発言しました。この相談会で、吃音についての様々な考え方にふれ、自分の体験や問題と重ね合わせて考えて下さったようでした。彼も、終了後の喫茶店に来てくれ、今回の相談会に参加してよかったと言ってくれました。

 そして、何より、1時間近く、インタビューのような、面接のような、当事者研究のような形で、どもる私が教師になれるだろうかとの不安を持っていた、教育学部の1年生の女子学生は、吃音に対する考え方が180度変わったと言ってくれました。参加者の温かい応援のメッセージも、きっと彼女の胸にしみこんでいったことでしょう。

 ことばの教室の教師、保護者、初めて参加したどもる人、そして、吃音ではないが、似たような課題を持った人、そのような人たちと、吃音というひとつのテーマで話し合ったことで、声が響き合て、吃音で悩んだとしても、豊かな人生を送ることができるということには、合点をしてもらって、相談会を終えることができました。吃音に悩む人だけでなく、さまざまな動機をもつ人たちが、それぞれの思いで参加し、発言をしていったことが、フィンランドで行われているオープンダイアローグに似た働きをしたように、僕は思いました。まさにさまざまな立場からの複数の声が多声的にシンホニーのように響き合う、ポリフォニーになっていたと思うのです。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/6/23

どもる私が、教師になれるでしょうか

 退院後の初仕事は、岡山での吃音相談会でした

 古くからの知り合いが多い岡山言友会が、毎年、年に一度開催している吃音相談会。参加人数の多いときもあれば、少ないときもあり、それでも集まってくれた人たちと一緒に吃音のこと、どもる自分のことを考える時間は、僕にとって、かけがえのないいい時間です。

 この相談会の2日前、僕の開設している吃音ホットラインに、ひとりの女子大学生から電話相談がありました。小さいころからどもってはいるが、将来は、小学校の教師になりたいと思っている人でした。教師になったらできない仕事を、学生のうちに経験した方が、後の教師生活に生きてくるとの先輩のすすめで、いろいろなアルバイトをしているそうです。そのアルバイトの接客業で、決まり切ったことが言えず、悩んでいるとのことでした。

 住んでいる所を聞くと、岡山市内だといいます。吃音相談会の2日前です。予定があったとしても、自分にとって大切な問題である吃音のことを考えるいい機会だと思い、会場と開催時刻を伝えました。強引に誘っても、来るか来ないか、それは本人が決めることです。僕にできるのは、誘うところまでです。

 6月18日、電話をしてきた女子大生は参加するだろうかと思いながら、岡山駅に着きました。
 彼女は参加していました。これまでも、似た状況はたくさんありました。「必ず参加するんだよ」と、必要性を必死に伝えても、本人は来ないということもありました。参加することで、すべてが解決するわけではないけれど、少なくとも、これまでとは違う考え方を知り、仲間に出会うことで、何かが変わります。そのチャンスをつかむかどうか、本人次第ということになります。

 せっかく参加してくれたので、彼女に僕が質問していきながら、彼女のもつ課題を明らかにし、参加しているみんながその場を支え、最後にみんなでシェアするというナラティヴ・アプローチ的というか、当事者研究的というか、いつもの僕の関わり方をしました。最近、このようなスタイルが多くなりました。

 彼女から出たのは、アルバイトでの苦労より、やはり、どもっている自分が、教師としてやっていけるかの不安でした。まず、入学式で、子どもの名前が言えるだろうかの不安が出されました。
 僕は、僕たちの仲間の教師の、実際にあった話をしました。採用試験の面接で自分の名前が言えず困っているときに、面接官の「ゆっくりでいいですよ」とのことばに落ち着き、どもっている自分だからこそ、悩みを抱えている子どもに寄り添えるとアピールできたという話、採用されてからの仕事上でのさまざまな苦労の話など、出された悩みや不安、問題に対して、僕なりの考えを伝えることを基本としています。
 また、僕だけでなく、出された問題に対して、みんなで考えていくことにしています。だから、当事者研究のようになります。今回の参加者は、ことばの教室の教師が2名、保護者が3名、子どもの支援にかかわる専門家、そしてどもる人本人と、バラエティーに富んでいたため、話は深まりました。

 場を支えたみんなの力も大きく、彼女も一所懸命考え、ことばを選び、質問に答えていきました。そのやりとりの中で、今できることをみつけ出してくれたようでした。「参加する前と今では、吃音に対する考えが180度変わった」と発言した彼女の表情は、最初出会ったときと全く違っていました。
 インタビュー後のシェアで、「あなたのような人に、是非、教師になって欲しい」との、どもる子どもの保護者やことばの教室の教師の感想は、彼女に勇気を与えたことでしょう。参加者も彼女の表情の変化に気づき、彼女も「教師になる自信がついた」と言いました。

 相談会の最後の、ひとりひとりの振り返りは、彼女への応援と、自分自身への応援のようでした。
 
 「当事者研究を見ているようでした」と主催者のひとり、植山文雄さんが、後で、感想を伝えてくれました。
 ひとりひとりの課題に寄り添い、その場をともに生きることができて、僕もいい時間を過ごせたと思いました。このような時間を持つことができると、やっぱりまた来年もと思います。きっと主催してくれた岡山の古い友人たちも同じ思いでしょう。
 最後に、「参加者が素晴らしかったので、今回もいい相談会になりました」と、主催者の挨拶がありました。1年後、また岡山で、吃音相談会が開かれることでしょう。地道な取り組みを続けてくれている岡山の人たちに、心から感謝します。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/6/21

完全復活しました。



 入院のお知らせをしたために、ご心配をおかけしていましたが、昨日、退院しました。
 ブログも完全復活で行きたいです。

 喉の奥の痛みはなくなりました。鼻から通したカメラでも、腫れはかなりひいていましたし、炎症の数値も低くなっていました。点滴から服用に切り替えができたので、入院を続けなくてもいいだろうということになり、退院することができました。

 5月18日から21日まで、沖縄の専門学校での講義と沖縄キャンプ、6月に入って2・3日は、鹿児島での難言鹿児島県大会での講演と翌日の吃音学習会と続きました。県大会では、また、2時間30分休憩なしに講演してしまいました。聞き手の皆さんには迷惑をかけたのですが、私自身は全然疲れていませんでした。なので、沖縄、鹿児島での疲れでは決してなく、口の中のケアが不足していて、雑菌が喉の奥に入り込み、炎症を起こさせたようです。

 沖縄の人たちや、鹿児島の人たちには、私たちのハードスケジュールのせいではないかと、心配をさせてしまいました。
 本当は、6月12日に退院し、6月13日の専門学校の一日の講義にでる予定で、治療計画をたててもらいましたが、腫れが予想外に引かなくて、途中で、これは無理だろうと、専門学校は、4日間のスケジュールを変更してもらいました。ゆっくりと、納得できるまで治療ができてよかったです。

 もともと糖尿病なので、他の人ならこれほどまで重症化はしなかったのかもしれません。血糖値もかなり高くなってしまったので、そのコントロールも合わせて入院して診てもらいました。大した病気ではないと思いましたので、また、僕が担当するものもありましたので、入院したことをお知らせしました。皆さんから「この際なので、病院でゆっくりして下さいね」とメールなどをいただきました。僕もそうしようと思ったのですが、病院にいるからといって、ゆっくりできるものではないとつくづく思いました。
 特に、最初は、必要だとはとても思えない、24時間点滴だったから、夜中でも看護師さんが何度も病室に入ってきます。ぐっすり眠ることなどできませんでした。点滴の管につながれていて、すっかり病人になってしまいました。

 病人のようになりましたが、時間はありますので、デイコーナーを自分の書斎のようにして、パソコンを使っていました。おかげで「ネガティヴ・ケイパビリティー」は、熟読できました。とても素晴らしい本でした。それはまた報告したいと思います。

 土曜日は、大阪吃音教室で「からだとことばのレッスン」の担当だったのですが、翌日、岡山で吃音相談会があるので、東野さんに代わってもらいました。
 今日一日ゆっくりしましたので、完全復活です。明日の日曜日は、岡山での吃音相談会です。退院後の初仕事として、岡山に行ってきます。火曜日には追手門大学の心理学科の学生300人への講演です。これまで、何度もいろんな大学の講義に来るように呼ばれたことはあったので、最初30人ほどの学生に話すのかと思っていたのですが、300人ほどの人たちが聞いて下さる予定だそうです。楽しみです。

 そして、変更したための専門学校の講義が4日間待っています。まあ、なんとか乗り切って、全難言大阪大会、吃音講習会、吃音親子サマーキャンプと、「吃音の夏」を楽しみたいと思います。

 今回、いろいろと皆さんにご心配をおかけしました。少し遅かったら、喉の腫れがひどくなり、気道を塞ぎ、呼吸困難を起こしたかもしれないと医者から言われましたが、なんとか無事戻ってきました。
 まだしたいこと、しなければならないことはたくさんあります。また次がある、来年がある、そのうちに、なんて考えないで、したいこと、しなければならないことは、先延ばしにしないで、できる時に、取り組んでいきたいと思います。
 からだのことを一番に考えながら、したいことをしていきたいと思います。
 これからも、よろしくお願いします。
 ご心配おかけしました。

 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/06/17

6月18日 岡山市で吃音相談会です。


 鹿児島行きや、入院騒動でお知らせできませんでしたが、岡山の相談会のお知らせです。さきほど、電話相談があり、その人がたまたま岡山市の人でした。その人に、相談会に参加を勧めました。そこで、もう遅いとは思ったのですが、岡山での相談会の案内をします。

2017

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2017/06/16

緊急入院していました。今日退院しました。

 久しぶりのブログです。
実は、緊急入院をしていました。沖縄の専門学校の2日の講義、沖縄吃音キャンプの2日間の後、元気に帰り、翌週は、鹿児島県の全難言・鹿児島県大会での講演や、翌日の相談会。ハードスケジュールには慣れてて、むしろ大好きなので、疲れていたわけではないのですが、「嫌気性菌」には負けました。

仲間宛てに、家族に書いてもらったメールの一部を今回はそのまま使います。

6月7日は、めまぐるしい一日でした。
今、伊藤は、緊急入院しています。でも、決して重篤な状態ではありませんので、ご心配なく。

6月3日に、鹿児島から帰り、翌4日は元気で、
夕食後はジョギングもしたのですが、夜、喉の痛みで眠れませんでした。

5日は、内科、歯科、耳鼻咽喉科と、近くの病院のはしごでした。
食べることはもちろん、唾を飲み込むことも、水を飲むことも痛いのです。
歯茎の腫れから来ているのかと思い、歯科にも行きました。
耳鼻咽喉科で、「喉の奥がかなり腫れている。炎症を起こしている」とのことで、抗生物質と痛み止めをもらいました。

6日は、歯科で消毒してもらい、耳鼻咽喉科で点滴を打ちました。
でも、その夜、熱が39度近くあがり、それに伴って、血糖値が、今まで見たことがないくらい高くなっていました。水が飲めないことが、影響しているように思えました。
喉だけでなく、胸の上あたりまで痛くなり、炎症が広がっているようにも思えました。

そこで、今日は、糖尿病でかかりつけの病院に行き、調べてもらうと、急性咽喉頭炎ということでした。通院で点滴をと思ったのですが、血糖値が高かったので、血糖値のコントロールも合わせてみてもらった方がいいだろうと判断し、通院ではなく入院を選択しました。

点滴をしたので、少しは痛みが引いてくれるといいのですが、まだその効果は現れていないようです。
ただ、痛いのは、喉だけで、からだは元気です。病室にパソコンも持ち込み、できる仕事はしています。原因は分からないようです。どもりと一緒。
原因が分からない病気なんて山ほどありますね。

糖尿病なので、免疫力が落ちています。
そのため、口の中に入ったか、元から口の中にいたかは分からないけれど、その雑菌の力が強く、炎症を起こしたようです。

沖縄や鹿児島の疲れでは決してありませんのでご心配なく。

ということで、とりあえず、1週間程度の短期入院のご報告でした。
皆さんも、からだにだけは気をつけて下さい。  6月7日


病院の経過と退院は次回に。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2017/06/16

吃音は、言語訓練より哲学的対話を このテーマで話します。

 
 沖縄吃音キャンプの報告を中断して、鹿児島の報告です。

 今、鹿児島市にきています。2013年に鹿児島で開かれた全国大会で僕は記念講演をしましたが、その時の大会事務局長の宮内さん、今回の企画者の福田さん、溝上さんと4人で食事をしながら、打ち合わせをしました。

 明日、第41回鹿児島県難聴・言語障害教育研究会・鹿児島大会で講演し、翌日は、吃音学習会が開かれます。2日間フルに使って下さること、僕はとてもうれしいのです。
 吃音学習会には、ことばの教室に通う保護者が34名、教育や療育に関わる人が22名、ことばの教室の教師が25名、合計81名が参加して下さるようです。
 
 僕はいつも、「こき使って下さい」とお願いします。講演もできるだけ長い時間を希望しますし、めったに行かないところに行く時は、講演だけでなく、翌日、相談会のような、保護者も参加できる学習会のようなものができればとつい思ってしまいます。僕の吃音にかけるその気持ちを、今回は「忖度」して下さり、難聴学級・ことばの教室の鹿児島県大会だけでなく、保護者も参加できる学習会を、翌日に企画して下さいました。

 僕は、つくづく、吃音について話したいこと、伝えたいことがあるのだと、自分ながら「吃音への業」を感じます。このような話す機会を作って下さること、本当にありがたいです。

 明日からの二日間がとても楽しみです。吃音が縁でいろんな出会いができる喜びを、73歳になったせいかもしれませんが、とても感じるし、感謝しているのです。
 
 2013年の、第42回全国難聴・言語障害教育研究協議会・全国大会鹿児島大会の報告集に、僕の講演記録が紹介されています。講演記録は長いので、その抜粋を、僕たちの機関紙で紹介しました。そのごく一部分を紹介します。 

第42回全国難聴・言語障害教育研究協議会
      全国大会鹿児島大会   <記念講演>
 子どもと語る、肯定的物語〜吃音を生きて、見えてきたこと

 はじめに
 昨日、鹿児島市内に入り、とても懐かしい感じがしました。48年前に、私の吃音との旅が鹿児島市から始まったような錯覚を覚えました。
 私はそれまで、吃音に深く悩みながらも、真剣に考えることも、治す努力もしませんでした。1965年の夏、新聞や雑誌などで「どもりは必ず治る」と宣伝しており、子どもの頃から行きたかった、念願の吃音治療所「東京正生学院」に行きました。そこでまずやらされたのが、上野公園の西郷隆盛の銅像前での演説です。「突然大きな声を張り上げますが、私のどもりの克服にご協力下さい」と、西郷さんが見下ろす下で、毎日演説しました。西郷さんが見守り、応援してくれているような気がしました。
 今、鹿児島市内のあちこちで西郷隆盛の銅像を見たとき、私は、ここを出発し、今またここにようやくたどり着いたなあという感じがしたのです。
 吃音については様々な考え方があります。「吃音に悩み、治したいと考えている子どもに、完全には治らないまでも、少しでも症状を軽減してあげるのが、ことばの教室の教員、言語聴覚士の役割ではないか」との主張があります。一般的な考え方かもしれません。しかし私は、少しでも治そう、軽減しようと考えることでとても辛い人生を歩んできたので、吃音症状に焦点をあて、軽減しようとする取り組みには反対してきました。
 午前中の岩元綾さんの講演の、ダウン症を否定しないでほしいとの心の叫びは、私の、どもりを否定しないでほしいと結びつきます。「吃音を治そう、軽減させよう」とすることが、吃音否定につながらないことを願っています。
 私は今年69歳になりました。吃音と向き合った48年の人生で、いろんな人と出会い、いろんなことを学びました。セルフヘルプグループ、交流分析、論理療法、アサーティヴ・トレーニング、認知行動療法、アドラー心理学などから学んで、考えてきたことを90分の講演で話すのは難しいのですが、当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、リカバリーの概念でこれまでの取り組みを整理し、今後の吃音の新しい展望を話します。
 今回話す、4つの概念について、少し説明します。

 <当事者研究>
 生活の中で困っていることを自分一人で、あるいは、周りの人と一緒に研究して、対処法を見いだす。
 <ナラティヴ・アプローチ>
 物語・物語るの意味で、人は「ストーリーを生きている」と考え、自分を苦しめてきた語りを、自分が生きやすい語りへと変える。
 <レジリエンス>
 困難な状況にあっても、生き残る力、回復力、しなやかに生きる力。
 <リカバリー>
 病気や障害が治らなくても、自分が求める生き方を主体的に追求する。吃音に当てはめると、吃音に振り回されずに自分が幸せに生きる主人公になること。

 吃音を治したい、軽減したいと願うことで今の自分を否定し、悩みを深めた私や、多くの人の経験から、「吃音を治すではなく、吃音と共に生きよう」と主張してきました。その私の考えに、「吃音を治そう、軽減しよう」としても、吃音を否定しているわけではない、吃音を肯定して生きることと、吃音症状の軽減を目指すことは両立する、と主張する人からは、私は偏った意見の持ち主とだと思われているようです。

 上野公園の西郷隆盛の銅像の前で、「吃音を治そう」と必死に演説していた青年が、48年の年月を経て、西郷隆盛のふるさと鹿児島市で、どもる子どもを援助することばの教室の先生の全国大会で「吃音を治そうとしないでほしい」と講演をしていること、感慨深いものがあります。

 おわりに
 教育評論家の芹沢俊介さんが、『新・吃音者宣言』(芳賀書店)で私が書いた文を、「どもる言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と紹介して下さったのを最後にお伝えします。

 「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化を持てた時、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」     <大会報告集より>

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/06/01

沖縄吃音(どもり)親子キャンプ はじまりは、三線の音色から

第2回吃音親子キャンプinおきなわ 1日目
開会式・出会いの広場・勉強会


2回沖縄キャンプ 横断幕

 受付は、9時30分。少しずつ人が集まってきて、入所の集いの頃にはほぼそろいました。主催g者の平良和さんのあいさつ、参加者を代表して、中学生の女の子とその父親のあいさつ、そして、僕も歓迎のあいさつをしました。カラーの横断幕をバックにして、みんなで、集合写真。大きなファミリーのようです。
2回沖縄キャンプ 開会式伸二挨拶
2回沖縄キャンプ 集合写真撮影前

 その後、大研修室で、出会いの広場が始まりました。オープニングは、三線(さんしん)の演奏がありました。参加者を代表して挨拶した父娘によるもので、すてきな音色と歌声に、沖縄に来たんだという思いでいっぱいでした。
2回沖縄キャンプ 出会いの広場 三線

 じゃんけんゲームをいくつかして、最後はじゃんけん列車をしました。鹿児島から参加した溝上さんが最後の2人というところまで残っていました。最後には、大きなひとつの輪ができました。

2回沖縄キャンプ 出会いの広場 ジャンケンゲーム
2回沖縄キャンプ 出会いの広場 ジャンケン列車

 次は、3人組になって「リスと木」。僕たちは、「嵐、嵐、大嵐」と呼んでいるものです。「リスが怖いものは何でしょう」の問いかけに「ハブ!!」という答え。さすが、沖縄です。3人全員が動くとき、僕たちは「あらし、あらし、大あらしー」と叫びますが、リスと木の両方が怖いものは、台風だそうです。沖縄バージョンのゲームでした。
 みんなで動き回った後は、グループに分かれ、よく知っている歌を歌いながらのパフォーマンスです。ことばの教室の担当者が中心になって、どのグループも、短時間に完成させていました。「どんぐりころころ」「ちょうちょ」「キラキラ星」「ぶんぶんぶん」「うみ」の5曲でした。進行役をして下さった若い言語聴覚士さん、緊張しながら、担当されたようですが、十分、参加者の気持ちをときほぐしてくれました。

2回沖縄キャンプ 出会いの広場 歌で表現

 プログラムとプログラムの間の30分の沖縄スタイルの長い休憩をもてあましていた昨年と違い、そんなものだという沖縄モードに慣れてしまっていた僕たちです。
 昼食は、ソーキそばとおにぎり。炭水化物を控えている僕には少々酷なメニューでした。沖縄ならではの歓迎メニューなのでしょう。
 午後のプログラムは、子どもは、専門学校の学生さんたちとレク。親とスタッフは、僕が担当する吃音の勉強会です。この時間は、質問をまず全員に書いてもらい、それに答えていく形をとりました。これは、最近、よく使っている、僕の好きな形です。僕の話を聞くのが初めてという人が7〜8割ほどだったので、質問に答える前に、自己紹介もかねて、僕のこれまでの人生を伝えました。
2回沖縄キャンプ 勉強会全体
2回沖縄キャンプ 勉強会伸二

 「どもっていても元気だった僕が、小学2年生のときから悩み始めました。それはなぜでしょう」
 こう問いかけると、友だちから、どもることをからかわれたから、大きなストレスがあったから、まねされたから、いじめられたから、などの答えが出ました。
 僕は、そういうことなら耐えられたのではないかと思っています。僕が、2年生から悩み始めたのは、担任から、学芸会でせりふのある役を外されたことによります。
 「なぜ、担任は、僕をせりふのある役から外したのでしょうか」
 この問いかけには、どもって時間がかかったら困るから、どもって恥をかいたらかわいそうだから、劇をスムーズに進行したいから、一人で言うより3人で言った方が僕にとっていいだろうと思ったから、などの意見が出ました。教師のいじめとは考えたくありません。でも、教育的配慮であったとしても、僕は、このとき強烈に、どもりは悪いもの、劣ったものだというメッセージを受け取ってしまいました。これは、後々まで、僕の生き方を支配しました。
 21歳のとき、僕に転機が訪れました。どもりが治ったわけではありません。治ると宣伝する矯正所で必死で訓練したけれど、治らなかったので、どもりは治らないものだとあきらめがついたのです。そして、どもりながら豊かに生きていくという道を僕は選びました。どもる覚悟ができたのです。
 吃音は、それと共に生きていけるよう、基本設定されているものだと最近考えるようになりました。紀元前から生き残ってきた吃音です。今、吃音を生きて、不都合はほとんどないのですから、人間は吃音と共に生きていけるようになっているのだと、考えてもいいと思います。
 そして今、精神医療、福祉の世界が大きく変わってきています。疾病生成論から、健康生成論への変化は、僕にとってある意味、当然のことでした。吃音について、ネガティヴな側面ばかりを考えるのではなく、「たくさんのどもる子どもや、どもる人が、吃音を認めて生きることができるようになった」ことを考えた方が、建設的です。50年近く僕がどもりについて考えてきたことと、驚くほど似た構造だったのです。ここまでを前提として話した後、書いた下さった質問に答えていきました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/06/01
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