伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2017年05月

沖縄キャンプ前夜の吃音学習会

5月19日、キャンプ前夜

 沖縄での第1回親子吃音キャンプから半年。今年は、11月のスケジュールがつまっていたため、第2回は、5月20・21日に開催されました。大阪からは昨年の井上さん、坂本さん、溝口さんに加えて、西田さんが初めて参加しました。

 僕は、沖縄リハビリテーション専門学校の講義があるため、みんなより1日早く沖縄入りをしました。講義が終わって、19日土曜日の夕方に、みんなと合流しました。
 会場は、沖縄県立石川青少年自然の家。昨年11月は、セミが鳴いていて、びっくりしました。さて、今年はと期待していましたが、期待を裏切らず、今年もセミの鳴き声に迎えられました。2、3日前には梅雨のため豪雨だったらしいのですが、キャンプの期間中は、梅雨の中休み。蒸し暑さは全くなく、さわやかな沖縄の風が吹いていました。
2回沖縄キャンプ 前夜学習会 伸二 
2回沖縄キャンプ 前夜学習会 全体 

 19日の夜には、吃音学習会が予定されています。キャンプには参加できないけれど、吃音のことを学びたい、知りたいという人のために設けられた学習会です。参加人数は、30人前後。レジメは作っていたけれど、それは話が終わってから配ることにして、レジメに沿って話をする予定でした。今年の夏、大阪で全国難聴・言語障害教育研究協議会の近畿大会が開催され、僕は、午前中は吃音の講習会の講師、午後は吃音の分科会のコーディネーターをします。そこでの話の予行練習のつもりで話そうと思っていたのですが、いつものとおり、タイトルを言ったときに、浮かんできたことがあって、導入から全く自分でも予想していなかった展開になっていきました。そのタイトルは、「将来を展望しての、どもる子どもの支援」です。「将来を展望して…」と話し始めて、ふと浮かんだのが、随分前に書いた「聴覚障害児の自己同一性形成」についてでした。20年近く人前で話していなかったことが、ふと浮かぶとは不思議な感覚でした。

 「ろう教育科学」という雑誌に、1990年に掲載されていた、坂田浩子さんの論文に触発されたものでした。予想外の展開になりましたが、話したかったトピックの、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグ、そして、ネガティヴ・ケイパビリティまで、ほぼ話せたようでした。坂田さんの論文については、後日ふれたいと思います。
 
 終了予定の午後9時30分を少し過ぎて学習会が終わり、その後、スタッフが集まって、顔合わせとキャンプの打ち合わせをしました。大広間に大きな輪になったスタッフ会議は、圧巻でした。ここに、翌日には、専門学校の学生さんが27人参加することになっています。
2回沖縄キャンプ スタッフ会議
 キャンプの参加者は、総勢97人と聞きました。キャンプ前夜、翌日からの楽しい時間を予感させながら、過ぎていきました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/31

吃音キャンプ沖縄は、そよ風のようにさわやかだった


第2回吃音親子キャンプinおきなわ

5月20・21日、沖縄で、第2回吃音親子キャンプinおきなわが開かれました。
昨年11月に第1回を開いてから、半年後の開催です。

大阪から、昨年に引き続き、坂本英樹さん、井上詠治さん、溝口稚佳子さん、今年初参加の西田逸夫さん、鹿児島から溝上茂樹さん、僕を加えて計6人が参加しました。参加者総数は、なんと97人でした。

沖縄のキャンプは、他のキャンプと違う特徴があります。他のキャンプのスタッフがことばの教室担当者が中心なのに比べて、沖縄のキャンプのスタッフは、ことばの教室の担当者と言語聴覚士、むしろ言語聴覚士の方が多いことです。また、今年は平良和さんが教師として勤めている、言語聴覚士養成の専門学校の2回生の学生が全員、講義の一貫として参加しました。

5月19日、定刻通り、飛行機は那覇空港に着き、僕以外の5人がそろって、会場の石川青少年自然の家に向かいました。僕は、専門学校の講義のため、木曜日から沖縄入りしました。自然の家に着くと、昨年11月にそうだったように、セミの鳴き声が出迎えてくれました。11月でも、5月でも、沖縄キャンプは、セミの鳴き声から始まりました。

 19日は、キャンプには参加できないけれども、吃音の学習はしたいという人たちのために、吃音学習会をしました。

 僕が、夏の全国難聴・言語障害教育研究協議会の講習会・吃音のレジメとして書いたものをもとに、話をしました。「夏のための練習です」と前置きして始まった学習会。「子どもの将来を展望しての・・・」と話し始めて、これまでほとんど話してこなかった、「聴覚障害の子どもの自己概念」について話していました。僕は自分でも予想していなかった出始めにびっくりしながらも話していました。大阪の人達も初めて聞く話に、新鮮だったようです。

 その後は、レジメにある、オープンダイアローグ、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、おまけにネガティヴ・ケイパビリティまで、カタカナ用語が多かったので、初めて耳にする参加者にとっては、少々とまどいがあったようです。しかし、そのようなキーワードをもつことは、これから物事を考えていくとき、アンテナを張ることができ、その視点で考えることができる軸になります。予想したとおり、レジメどおりには全く進みませんでしたが、話したいと思っていたことはほぼ話せました。

 そして、いよいよ、キャンプ当日。参加者がぞくぞくと集まってきました。
 出会いの広場は、言語聴覚士の若い人が緊張しながら進めてくれました。じゃんけんゲームや、3人組になって始める「リスと木」のゲーム。
 「リスが怖いものは何でしょう」の問いかけに、「ハブ!!」という答え。「リスも木も怖いものは何でしょう」には、嵐ではなく、「台風!!」。さすが沖縄です。
 最後は、みんなが知っている歌をグループに別れてパフォーマンスをしました。曲は、ちょうちょ、ぶんぶんぶん、海、キラキラ星、どんぐりころころ、です。不思議なことに、初参加の人も多いのに、短時間のうちに、パフォーマンスが完成していました。

 話し合いは、滋賀のキャンプと同じで、子どもは年代別、親もグループに別れて行いました。
 低学年の子どもたちが、去年の話し合いのことをよく覚えているのにびっくりしました。キラッと光ることばがたくさん拾えました。2段ベッドにのぼったり、遊び始めたり、これも想定内の子どもたちの動きでした。
 中学校の子どもたち、話さないのではないかと心配しましたが、よく笑う子もいて、なごやかに進みました。
 親のグループも、普段感じていることを出し合い、セルフヘルプグループができあがったようでした。

 保護者やスタッフとの話し合いの時間、子どもたちのナイトウォーク、作文、2回目の話し合い、2日間だけれども、話し合いの時間をたっぷりとり、ひとりで自分の吃音と向き合う作文の時間もあり、すてきなプログラムになっています。

 最後は、90人以上が円く輪になって、ふりかえりの時間です。大きな大研修室がいっぱいになりました。時間は、90分ありますが、一人1分しゃべったらそれで90分になります。パスはありにしましたが、2周まわると、全員が発言し終わりました。

 沖縄特有のまったり感に、去年は、なんか違うなあという感覚を持ったのですが、今年はすっかり染まってしまい、全然違和感がありません。
 大阪の気温はかなり高めということでしたが、沖縄は、梅雨の中休みで、とてもさわやかです。涼しい風が吹き、湿度も低く、本当に過ごしやすい2日間でした。

番外編
 日曜日の夕食は、ステーキ。
 なんか、これが定番になりそうです。自然の家の粗食のせいか、キャンプの終わり頃から、「さあ、ステーキだ」とはりきっていました。私たち6人と、平良さん、平良さんの子どもたち、滋賀のキャンプに来たこともある宮城さん、車で送迎をしてくれた森田さんの11人で、超人気店のジャッキーというステーキ屋さんに行きました。リーズナブルで、外にはたくさんの人が待っていました。伊藤は、迷いながら、200グラムを注文しましたが、ペロリと食べることができました。西田さんや坂本さんは、もちろん250グラムのLサイズ。まだ食べられそうだったようです。夜、国際どおりに戻って、昨年行ったショットバーの「あっちゃんの店」へ。

 翌日は、レンタカーを借りて、平和祈念公園、知念岬、佐喜眞美術館、旧海軍司令部壕を回りました。佐喜眞美術館では、丸木位里・俊さんの沖縄戦の絵に圧倒されました。昼食は、「最強食堂」。ネーミングからして、安くて、ボリューム満点のお店でした。戦争と平和を考え、青い海に癒された6人でのドライブ、名運転手の溝上さんに感謝です。井上さんは、記録を残そうと、ずっとカメラを回し続けてくれました。知念岬のきれいな景色も収まっているはずです。

 少なからず犠牲を払って参加してくれた井上さん、坂本さん、西田さん、溝上さんのおかげで、いいキャンプになりました。もう少し、沖縄での出番はありそうです。
 おおざっぱな報告をしました。詳しくは、これから紹介しいく予定です。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/24

小椋佳のトリビュート・コンサート 顧みれば、素晴らしい吃音人生に感謝

 
 5月9日、小椋佳のトリビュート・コンサート〜命はいつも生きようとしている〜に行きました。会場は、フェスティバルホール。先日の芸人9条の会同様、ここも、年齢層は高いようでした。
 小椋佳は、1944年1月18日生まれの、今年73歳。ちなみに僕と同年齢です。小椋ファンというわけではないのですが、同年齢でがんばっている人への共感でしょうか、初めて聞きに行きました。
 2014年に、生前葬コンサートを、2015年には、余生あるいは一周忌コンサートをしている小椋さん、まだ生き延びているので、今年は、トリビュート・コンサートと名前がついていました。偲ぶ会ということらしいです。小椋さんが作詞や作曲でかかわりのある歌手が出演されました。道上洋三さんの司会で、コンサートは進行しました。
 僕が知っているのは、中村雅俊、堀内孝雄、研ナオ子、梅沢富美男さんたちです。和楽器の琵琶や琴、ミュージカルの人、ウクライナから来られた人など、小椋さんの幅の広さというか、つきあいの広さを感じさせる人たちが出演されました。へえ、これ、小椋さんの作詞だったのか、知らなかったという歌も結構ありました。
第一部も終わり、第二部に入っても、肝心の小椋さんは登場しません。小椋さんだけが歌うコンサートだと勘違いしていたので、想像していたものと違い、あれっと思いましたが、まあそれはそれとして、楽しむことができました。

 やっと登場した小椋さん。「潮騒のうた」、井上陽水との「白い一日」、美空ひばりが歌った「愛燦燦」など、後何曲か歌いました。すなおで、のびやかな声。父親の琵琶師範の声を受け継いでいるのでしょう。同い年としては、まだまだやれる!と思ってしまいます。
 最後に、全員が登場し、会場のみんなと一緒に「さらば青春」を歌いました。アンコールがあったらと考えていたという歌が、一番新しいアルバム「闌(たけなわ)」の中の最後に収録されている「顧みれば」です。歌を聞きながら、歌詞が、僕自身の人生と重なり、不思議な感慨がありました。
 
 思い起こせば、僕も、どう生きていこうか全く展望が持てず、夢も持てなかった21歳の頃、どもりさえ治ればと思いつめて、治す訓練を必死にしたけれど吃音は治りませんでした。それならと作っセルフヘルプグループ言友会。仲間との活動の中で、学童期・思春期を取り戻し、初恋の人との出会いで、どもっている自分を好きになることができました。

 どもりと共に生きてきた70年を思うと、本当にたくさんと人との出会いがありました。あの人と出会わなかったら、あの人の援助がなかったら、一人でも出会いが欠けていたら、今の私はありません。

 小椋さんは「教科書のない一度限りの人生」と表現しています。私の故郷には少年鑑別所がありました。表現は良くないとは思いますが、その少年鑑別所の塀の上を歩いているような、中学・高校時代でした。どっちの世界に転んでもおかしくなかったのが、今こうして生きているのは、奇跡としか言いようがありません。

 自分の意志で、計画を立てて生きてきたのではなく、本当に「風に吹かれて」風に乗って生きてきた不思議な人生です。27歳のとき、後輩が、大阪教育大学に勉強に行くと言わなかったら、そして学士入学した大学の卒業と時期が重ならなかったら、大阪に行くこともなく、大阪教育大学の教員にもなっていないでしょう。

 もし大学の教員になっていなかったら、本を出版するような機会などあるはずがありません。現在でも大学や専門学校で講義しているような、今の僕は絶対に存在していません。綱渡りのような人生でした。運に恵まれすぎた人生でした。だから、時々の大きめの挫折を経験させてくれたのでしょう。

 小椋さんとは業績については比較のしようもないほど違いますが、「力不足 才能超えて 果たせたことも 数多く」と同じようで、今の僕は僕なりに満ち足りて生きています。
 小椋さんには歌があり、僕にはどもりがありました。改めて吃音(どもり)に感謝しているのです。


 死を意識した20日間の入院。普通なら再起できそうにない、大きな挫折。それでも多くの仲間に支えられてきた僕なりの人生でした。小椋さんのやさしく歌う、5分に満たないわずかの時間に、これまで出会ったたくさんの人たち、かかわりのあった多くの人たちが思い浮かびました。そして、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 すべての人に「ありがとう」。

 「顧みれば」の歌詞を紹介します。ひとつ、ひとつの文章が僕と重なってきます。

       顧みれば
顧みれば 教科書のない 一度限りの 人生を
まあよく生きて 来たと思う
友の支え 女性の救い 出逢いの恵み 数多く
運良く受けて 来たと思う
運命を 満喫したと 思われる今

顧みれば 過ち挫折 一度ならずの 重なりを
まあよく越えて 来たと思う
力不足 才能超えて 果たせたことも 数多く
心は充ちて 来たと思う
運命を 満喫したと 思われる今

楽しみ 悲しみ 笑いも 涙も
生きていればこその 味わいと
瞳綻(ほころ)ばせて 見晴るかす

顧みれば 事故災いに 幾度ともなく 襲われて
まあよく無事に 来たと思う
人が見れば 名も実も得て 心豊かな 暮らし振り
望み以上で 来たと思う
運命を 満喫したと 思われる今

楽しみ 悲しみ 笑いも 涙も
生きていればこその 味わいと
瞳綻(ほころ)ばせて 見晴るかす

顧みれば今 込み上げる想い
わたしの運命に 関わった
全ての人々に ありがとう
                     ユニバーサルミュージック

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/17

風に吹かれて 不器用に生きてきた

 
 5月10日締め切りだった、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会の吃音講習会の原稿を、今日やっと事務局に送りました。ゴールデンウィークも、この原稿で頭がいっぱいでした。
 私は、ひとつのことに集中すると、緊急のこと以外の、他のことはすべてストップしてしまいます。つくづく不器用だなあと思います。
 50字、50行、A4版、4枚の原稿なのですが、書き出しで、二転三転四転と書くたびに変わっていきます。これまでたくさんの原稿を書いているので、つぎはぎをすれば、すぐにでも完成するのでしょうが、今回もそれが出来ませんでした。

 吃音についてだけなら、5時間でも6時間でもメモなしに話せます。原稿も書けるでしょう。しかし、今回は、参加して下さることばの教室の先生たちが初めて聞くような、ほとんど知らないことについて話すことにしています。
 先日30名ほどが参加した教員研修がありました。そこで、冒頭、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグ、レジリエンスについて、一度でも聞いたことがあるか、何かの記事などで見たことがあるか、質問したら、全員が聞いたことも見たこともないと答えました。

 今回の全国大会の2時間30分の講習会での講演は、これらをベースにした、吃音についての新しい提案です。もちろん、これまで話してきたことではあるのですが、切り口が聞き手にとっては新しいものなので、どこまで理解してもらえるか不安です。
 
 吃音を吃音症状の問題と考えてはいけない根拠を、どもる人の体験を紹介して示し、これまでの吃音治療の歴史を振り返って、「疾病生成論」から「健康生成論」への転換を、レジリエンスやナラティヴ・アプローチをもとに提案します。オープンダイアローグの関心の高まりを説明し、これらの動きが、私たちの45年の取り組みと通底していることを説明して、「哲学的対話」をどもる子どもとすることを提案します。

 このような話の流れを組み立てました。吃音に関してならいくらでも書けるのですが、最近勉強し始めた、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、オープンダイアローグ、レジリエンスを、初めての人にわかりやすく、吃音を絡めて説明したり書いたりするのは、僕にとってはかなり難しいことです。
 僕自身が、書籍を読んだりワークショップに参加したりして理解した、分かった、ということと、それを何も知らない初めての人が理解できるように、吃音を通して話をする、書くこととは、かなり大きな開きがあります。丁寧にならざるを得ません。そんなわけで、ブログも完全にストップしていました。

 今日、なんとか書き上げて事務局に送信し、さあ、溜まりに溜まった仕事を片づけなくてはなりません。不器用で、いい加減にできない性分は変わりようがありません。

 吃音に深く悩んで生きてきた21歳までの私の人生。社会人になれるとは思えませんでした。子どものころから、何の根拠もなく63歳で「野たれ死にする」と思っていました。それも、金沢市の繁華街の香林坊の路地裏で、と場所も決まっていたのです。なぜ香林坊なのか。それは、子どものころからよく夢に見た、野たれ死にする場所が、大学4年生の時、3か月の日本一周の貧乏旅行で立ち寄った香林坊とよく似ていたからです。

 中学生、高校生の時、非行少年にならなかったのは、ただ田舎なので、暴走族も、シンナーもなく、非行仲間がいなかったからです。時代が私を救ってくれたのでしょう。少年院にいても不思議がないほどのすさんだ思春期でした。 それが、先月、73歳になりました。

 死ぬ予定だった63歳から、10年も生きたことになります。ありがたいことに、60歳からの10年が、人生の中でも実りのある充実した10年でした。大阪教育大学の教員時代に2冊の本を出した後、しばらく途絶えていたのですが、55歳から10冊の本を出版しました。その間、8校の専門学校、3つの大学の非常勤講師として講義をする忙しい毎日でした。今、講義をする専門学校も大学も、以前と比べて少なくなりました。

 今からの人生は、おまけのような、おつりのような、これまでのがんばりのご褒美のような、そんな一年一年になりますが、それでも、学びたいこと、したいこと、しなければならないことがあるのは幸せなことです。

 先日、73歳と同年の、小椋佳のコンサートに行き、改めてその幸せをかみしめました。そのことは次回に。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/15

ネガティブ・ケイパビリティーと吃音


ネガティブ・ケイパビリティ( negative  capability )という考え方


 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』朝日選書 帚木蓬生(ははきぎ ほうせい) を読みました。

 「ネガティブ・ケイパビリティー」という言葉は、『週刊金曜日』1134号(4/28・5/5合併号)の憲法特集の中で、法政大学総長の田中優子さんの文章「憲法9条と自衛隊」で初めて知りました。精神科医の北山修さんの退職記念講演で紹介されたもので、その講演会の時のことを田中さんはこう書いています。

 
「詩人ジョン・キーツが言った「ネガティブ・ケイパビリティ」は、「短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることができる」こと。つまりネガティブなものを包み込む環境や場を作る力である。それがあってこそ、自らの内面のために創造する人々の能力は発揮できる。これは教育とりわけアクティブラーニングの根本だ」


 田中さんは、週刊金曜日では、憲法9条に重ねてこう書いています。
 「憲法9条と自衛隊の存在は矛盾している。だからいろいろと考えてきた。9条を現実に整合させてしまったら、もう考えなくなってしまう。そうやって、憲法や法律は「考える手間を省くためのもの」に成り下がる。現実を憲法9条に整合させようとしても、ぴったり収まることは永遠にありえない。だから絶えずその距離を縮める思考と努力が必要になる。これこそが憲法9条の存在理由だ。その憲法をもつ国民は、いつも軍事力について悩み、議論し、現実と理想の乖離に心地悪い思いをもつ。そのことの意味は深い」
 

 憲法記念日。一番守らなければならない立場にある人、首相が、現実にある自衛隊を憲法に位置づけようと憲法改正を表明しました。「戦争をしたい人などいるはずがない」と日本人は考えるでしょうが、結局は戦争をできる国にしたいのです。日本は、どんどん平和から遠くなっていく国になっていきます。僕たちに何ができるのか、考えた憲法記念日でした。ネガティブ・ケイパビリティならって言えば、現実と憲法9条の不整合に耐え、9条を守り、戦争を回避する努力をし続けるしかありません。考え、議論し、悩み続け、目の前のできることをするしかないようです。

 桂文福さんから、「芸人9条の会」5月7日の案内がきました。僕の大好きな松元ヒロさんも来ます。そのような会に参加して、少数派ではあるけれど、これが本流だよねと確認し、粘り強く主張し、考え続けるしかありません。

 ネガティブ・ケイパビリティーの言葉を知ってすぐこのタイトルの本が出ました。

 『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』の中で、帚木蓬生さんは、ネガティブ・ケイパビリティ(  negative  capability )について、こう書いています。

 「私たちは、「能力」と言えば、才能や才覚。物事の処理能力を想像します。学校教育や職業教育は、問題が生じれば、的確かつ迅速に対処する能力が養成されます。
 ネガティブ・ケイパビリティーは、その裏返しの能力です。論理を離れた。どのようにも決められない、宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く能力」
  「すぐには解決できなくても、なんとか持ちこたえていける。それは、実は能力のひとつなんだよ」ということを子どもに教えてあげる必要がある

・解決できない、わけがわからない場面にあっても、そのプレッシャーに負けない。
・性急に問題を設定しない。性急に解決を求めない。
・わけのわからないまま、理解し難いまま、持ちこたえていく。
 
 これらの能力は、どもる人やどもる子どもが生きていく上で、必要です。原因もわからず治療法もない。今後、どうなっていくかとても不安です。生活の中でどんどん話していくことで、吃音は変わっていくことが多いのですが、確実なことではありません。いつどもるか、どの場面でどもるか、どもる本人も、多少の予想はできても、確実にはわからないのです。どうなるか分からない不確実なものに耐える力。どもる子どもたちに、このような力もあるんだよと伝えたいと思います。

 今、注目されている「オープンダイアローグ」も「不確実性への耐性」を言っています。 今、僕は、この夏の全国難聴・言語障害教育研究協議会・全国大会の原稿を書いています。

 ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、当事者研究、オープンダイアローグに、このネガティブ・ケイパビリティも加えたものになると思います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/05/04

全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会での吃音



滋賀県東近江市での打ち合わせ

 今夏、大阪で開かれる全難言大会(全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会)の吃音分科会で、コーディネーターをすることになりました。滋賀県東近江市のことばの教室担当者が、手を挙げて、これまでのグループ指導について発表したい、伊藤伸二をコーディネーターに、という希望を出してくれてこの企画が通ったのだと聞きました。東近江市では、4つの小学校の担当者が月に一度集まり、どもる子どもたちのグループ指導をしているのです。

 その東近江市には、昨年秋、どもる子どもたちとの授業に招かれて、参加しました。事前に用意してくれた質問を、子どもたちから直接受け、それに僕が答えると言う形でした。単に答えを話すのではなく、そこで、僕と子どもひとりひとりと対話をしました。担当者は、子どもたちが、しっかりと受け答えをしているのを見て、みんな驚いたようです。どもる先輩に会おうという企画のひとつでした。

 新年度に入り、夏の大会に向けて、準備も進んでいるようでした。
 全難言大会では、午前中に講習会、午後に分科会があるのですが、その打ち合わせをしたいと連絡が入り、それならば、僕の方から出かけていくので、担当の先生だけでなく、できたら近くの先生方にも連絡をして、小さな学習会ができないだろうかと提案し、4月20日の午後からの研修会が実現しました。
 会場の八日市南小学校に着き、板張りの広いろうかを通って、会議室に入りました。会議室にはすでに30人弱の先生たちが集まっておられました。
 お話する時間は、90分。今、お伝えしたい大切なことをたった90分でお話できるとは到底思えません。いくつか資料を配付し、話し足りない部分を少しでも補っていただこうと思いました。

 
話した内容の抜粋を紹介します。

 精神医療、福祉の世界は、どんどん変わってきている。それに比べ、吃音、言語障害の世界は依然として変わっていない。それがとても不思議で、残念に思う。
 オープンダイアローグ、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、レジリエンスなどのことばを聞いたことがある人は、ほとんどいない現状を知り、今後、勉強してほしいなと思った。吃音は、今までどおり、音読の練習などをして指導の時間を過ごしていても大きなマイナスは起こらない。どんな指導でも、吃音は命を落とすことはないからだ。ただ、吃音を肯定して生きる覚悟ができるまで、少し時間がかかる。

 将来を見据えて、どもる子どもの本当の生きる力を育んでいこうと思ったら、まず担当者が広い視野を持ち、勉強しなければならないことはたくさんある。せっかく、夏の全難言大会で、滋賀県が吃音の発表をすることになったのだから、これをいい機会にして、どもる子どもへの新しいアプローチのあり方を、ここ滋賀県を発信元にして、全国に発信していければいいなと考えている。目新しいことではなく、今までしてきたことと大きな違いはないのだが、視点が大きく違う。新しい視点のでの取り組みには、新しいことば、新しいキーワードが出てくるので、それに基づき、整理していこう。今までしてきたことの意味づけをきちんとしていこう。今後、いろいろな分野に対するアンテナをはるきっかけにしてもらえれば、とてもうれしい。

 これまでのアメリカ言語病理学や日本における伝統的な治療法は、すでに破綻していて役に立たない。アメリカ言語病理学から学ぼうとしている日本の吃音研究者、臨床家は、その延長上にいる。その人たちの前提は、「吃音は症状の問題である」ということだ。子どもに困ったことが起こると、それはどもるという症状が問題なのだから、その症状にアプローチしていくことになる。しかし、成果はあがっていない。これは、臨床家たちの責任というより、吃音の本質だといえる。

 僕は、43歳のとき、世界で初めて、どもる人の世界大会を京都で開いた。そのとき、僕は、あいさつや基調講演などをした。同時通訳者が驚くくらい、僕はどもっていなかった。子どもの頃、かなりどもっていた僕が、そのころはあまりどもらずにしゃべれるようになっていた。「伊藤さんは、どもりは治らないと言っているけれど、伊藤さん自身、あまりどもっていないじゃないですか」とよく言われた。それから、15年くらいして、また人前で話す時にも、どもるようになった。僕のからだを実験台として言えるのは、どもりは治らないということだ。あまりどもらなかったときでも、特定の音は言いにくかった。固有名詞、数字の「7」などだ。アルバータ大学の最新の治療法でも100%再発する。アメリカのどもる青年が監督をして制作した「The Way We Talk」でも、何度も吃音治療をうけながら、治っていない体験が多く紹介されていた。治っていないことは事実だ。なのに、どもる人は、どもりが治ることあきらめきれないでいる。それは、どもりには、波があり、治ったかのように思える時期があるからだ。人や場面によっても違う。これが、吃音が、ほかの障害と大きく違う点だ。言語障害のひとつとして入ったことで、研究がなされ、いろいろなことが分かったことはよかったが、もうそろそろ吃音を言語障害と見るのではなく、話すことばに特徴がある人という捉え方をしていきたい。

 昨日(2017.4.19)の朝日新聞に「見た目問題」という記事があった。病気や障害で、顔がいわゆる普通とは大きくかけ離れている。子どものころから、周りから好奇な目で見られてきた。そのために社会に出るのが怖くなる。消極的になっていく。これをどう認め、どう受け入れていくか、このことは、吃音にもあてはまると思った。「見た目問題」の見た目は治ることはないが、どもりは治るかもしれないと思ってしまう。現実に治ったという人もいる。すると、本人は治したいと思うし、周りの人は治してあげたいと思ってしまう。
 大人の僕たちが、どもる状態は、何も言語訓練をしなくても、日常生活で話していくうちに、変わっていったように、吃音親子サマーキャンプに参加している子どもたちも、何もしなくても変わっていっている。なんとかしてあげようと思う必要はない。安心して、吃音は治せないものとして考えて、人間として大切なことに取り組んでほしい。

 オープンダイアローグは、フィンランドで、統合失調症の人を対象に、投薬も入院もしないで回復していく画期的なアプローチだ。連絡があったら、24時間以内に、その人の家を、医師、看護師、ソーシャルワーカーなどの専門家がチームを組んで訪問する。そして、本人、家族を含めた人たちで、対話を続ける。すると、その問題が回復していく。従来の治療法に凝り固まっていたら、この対話だけでの成果は信じられない。でも、僕は、すぐに確信に近いものを感じた。50年前、僕は、どもりが治らなければ僕の人生はないと思いつめていた。東京正生学院という民間の吃音矯正所で1ヶ月治療に励んだ。しかし、治らなかった。ならば、どもりながら生きるしかないと思い、セルヘルプグループを作った。そこで何をしたか。対話だ。吃音の問題とは何か、人の目が気になるのはなぜか、恥ずかしいのはなぜか、そのようなことを対話していくうちに、全て自分の思い込みではないかと気づいた。どもっていたら人は話を聞いてくれないと思い込んでいたが、実際にどもりながら話してみると、人は聞いてくれる。治すのではなく、生きることだと気づいていった。「見た目問題」の人たちが、顔を恨んで閉じこもって生きるか、顔をさらしていろいろな視線がある中で生きていくのか、の選択を迫られているのと、同じようなことだろうと思う。

 吃音に関しては、ずいぶん前から、このことは、考えられ、提案されていた。1950年、ウェンデル・ジョンソンは、言語関係図を出し、X軸だけでなく、Y軸、つまりクラスの雰囲気がよければどもる子どもにとって大きな問題とはならない。また、Z軸である自分の受け止め方を考えていけば、大きな問題にはならない。しかし、アメリカは、X軸しか求めようとはしなかった。
 1970年には、ジョゼフ・シーアンが、氷山説を出し、水面下へのアプローチが大切だとした。水面下の問題とは、吃音から受ける影響、吃音をマイナスのものと考えることによって受ける影響のことをいう。つまり、物語、ネガティヴな物語を語ることによって、問題が起こり、大きくなる。吃音を隠し、話すことから逃げて、どんどん消極的になっていく行動や、話すことへの不安や恐怖、どもったあとの惨めな思い。そして、どもりは劣ったものだとする考え方だ。「見た目問題」の人たちと同じ構造だ。
 僕は、小学2年の秋、教師から、せりふのある役を外された。そこから、僕は悩み始めた。僕は、どもりで苦しんだのではなく、「どもりは悪いものだ、劣ったものだ」という物語(ナラティヴ)に苦しんだ。水面下へのアプローチは、水面の上の症状にも変化をもたらす。

 水面下へのアプローチが対話、子どもとの哲学的対話であり、それこそが吃音の臨床だ。6年ほど前に、ナラティヴ・アプローチと出会った。ナラティヴアプローチは、人は自分が作ったストーリーに沿って生きていくという。そのストーリーを変える必要がある。自分が作ったストーリーといったが、それは、社会や他人から受け取ったストーリーだ。どもりのままでは楽しい人生は送れないというストーリーに沿って生きた僕は、小学2年生から21歳まで悩んだ。21歳で、どもりながら生きていこうと物語を変えた。僕の吃音症状は何ら変わっていない。変わっていないのに、とても楽に生きることができるようになった。社会はそんなに悪くない。からかったり笑ったりする人もいるけれど、大多数はいい人たちだ。どもりながらできたという経験を積んでいく。そんな材料をたくさん集めて、新しい物語を作っていった。

 こんな内容のことを一気に話した後、事前に知らせていただいた質問に答える形で、話を進めました。
 その中のひとつのエピソードを紹介します。
 どもる子どもの問題
 卒業式で呼びかけがあるが、練習でどもってしまい、落ち込み、もう卒業式に出たくないという子どもがいた。ことばの教室の担当者として、どんな対話ができるか、参加者の皆さんで選択肢を考えてもらいました。

 どもる大人の問題
 どもる教師は、卒業式で子どもの名前を言わなければいけない。普段の授業ではなんともないが、厳粛な雰囲気の卒業式ではどうしても特定の音が言えそうにない。さて、どうするか。これについても、どんな選択肢があるか、考えてもらいました。

 ことばの教室の修了、ゴールについても質問もありました。木の実ナナや英国王の例を出し、大切なのは、「どもる覚悟」がもてるかどうかだと伝えました。「どもっても、まあ、しゃあないか」と、今、そして今後も思えること、これがゴールでしょう。どもりから受けるマイナスの影響を小さくすること、今後、いろいろなことがあるだろうけれど、なんとかやっていけるという決意表明、ほかのどもる子どもへの先輩としてのメッセージの中に、どもりながら生きていく覚悟があれば、それが修了、ゴールだと考えます。
 子どもの本来もつレジリエンスを発見して、それを育てる。それがことばの教室の担当者の仕事です。子どもがこれから生きていく上で大切なレジリエンスをみつけ、育てていくのは、本当に素敵な仕事です。どもりながらどう生きるか、そのお手伝いができれば、うれしいことではないでしょうか。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2017/5/2
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