伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2016年12月

吃音のブログをお読み下さった皆様 ありがとうございました。


 今年最後の投稿です。
 お読み下さったみなさんに感謝します。僕はほとんど毎日文章を書いていますが、原稿であったり、講義や講演のレジメであったり、毎月発行している月刊紙「スタタリングナウ」のきじなどです。つい、このブログの投稿か戸切りがちでした。それでも見捨てず、覗いて下さるみなさん。このブログはコメントできないように設定していますので、直接の反応はいただけませんが、アクセス数で関心をもつて下さったことはそうぞうできます。フェイスブックは基本的にしないのですが、ブログを書けば自動的にアップされているため、ときどき「いいねえ」と記して下さるみなさんに励まされています。旧知の人もいますが、まったく知らない人もいて、こんなありがたいことはありません。
 もし、感想や質問ががありましたら、日本吃音臨床研究会のホームページの問い合わせのところから、メールをいただければ、返事は致します。
 書きたいこと、発信したいことは山ほどあるのに、時間がないもどかしさを感じています。でも、来年はがんばります。僕も来年は73歳。いつまで吃音の活動ができるかわかりません。できるときにがんばろうと思います。

 いつも、「更新します」と書きながら、1週間以上旅行することも多く、行事が立て込んでくるとついかけなくなります。また、オオカミ少年になりそうですが、来年は今年よりは頻繁に更新したいと思います。
 どうか、よろしくお願いします。
 吃音について、発信したいことたくさんあります。吃音のブログとして、関心のある人に広めていただければありがたいです。吃音以外のことでも、今後は書きたいと思います。

 この一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

 今、東京にいます。吃音に悩み続けていた僕の青春の城下町は東京です。大学1年生から、二つ目の学科を卒業するまでの7年間、東京での生活は、失ってしまった、学童期・思春期・成人期をやり直す、とてもありがたい期間でした。故郷の三重県津市には楽しい思い出はほとんどありませんが、東京は楽しいことのとても多かった場所です。その東京でどんな年末年始をおくつたか。新しい年が始まってから書きたいと思います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/31

吃音を生ききるに、同行する仲間のありがたさ

大阪スタタリングプロジェクトの忘年会 

忘年会の後、幹事をした僕たちに、メールで何人もの人が感想を送ってくれました。その中から、2人のメールを紹介します。坂本英樹さんと藤岡千恵さんのメールです。

坂本さんのメール
 運営委員の皆さん、忘年会についての感想を少し。
 まず、2人組の演奏に感謝です。生演奏でこの年でクリスマスソングを歌えるなんて、贅沢なことです。来年もよろしくお願いします。特に井上さんには、今年はギターだけでなく、機材等で頑張ってもらいました。感謝です。
 Tさんに、「いつも、なんとかなってる」と私が言ったとのことですが、Tさんはいつもうまくいっていないという話をよくされます。でも、そんな話から伝わるのはそれでもなんとかやっているTさんの姿です。それはTさんのレジリエンスかと思います。

 Aさんとは沖縄でご一緒しました。そこでの話し合いで吃音をめぐる自分と家族との関わりを語ってくれました。成人が当時を振り返って、そして今はどう感じているかという話は参加者にとって、意味ある話だったと思います。その後日談が伊藤さんのブログに紹介されていますが、沖縄行きがAさんの家族との物語を豊かにしていることが伝わる内容でした。そんなAさんのスピーチが聞けて、よかったです。

 そして、Oさん。初めての機関紙の編集を無事終えられての忘年会。まずはぎりぎりまで粘っての編集に感謝です。体調が悪い中、ありがとうございました。きれいにできています。

 私にとって今回の忘年会は、Nさんの衝撃の報告!?という話もありますが、Oさんの小3の作文でした。「(作文の内容が)嫌で、破ったと思っていたので、残っていないと思っていた」と席にいた時、話していましたが、それは多分、破りたかったという思いは確かにあったものの、一方で当時のOさんはあの作文が自分にとって大事なものであると感じていたので、そのままにしておいた。でも、見たくないという思いもあったので「破いた」というような記憶が作られたのかなと、(すいません)勝手に解釈しています。それをあの場で披露しようと考えてくれたことが嬉しいことです。あの作文から発見されたのは、今と同様、小3のOさんも吃音とともに生きていた、サバイバルしていた。そして、そんなOさんをちゃんと見ていた、認めていた人がいたということです。
 私は、教員の仕事は、子ども、生徒、学生の、頑張りという言葉はあんまり好きではないですが、何かすることをそれと認め、証しすることだと考えています。私はそんな生徒の姿をおもしろいと感じ、逆に励まされてきました。Oさんの作文に感じたのはそんな担任とOさんの関係です。
 あの場にいられたことは幸せなことでした。
 みなさんと一緒のこの一年、人生を深く、濃く味わうことができました。
 では、みなさん、良いお年を! 来年もよろしくお願いします。

藤岡さんのメール
 伊藤さん、今年も忘年会の企画をありがとうございました。
 大阪吃音教室の忘年会は、笑いも涙も心が動くことも、人生のすごく贅沢なところを一晩でぎゅっと味わっている感じがします。
 坂本さんがOさんへのコメントで言われたコメント、出会いと経験によって過去も変わること、そこに立ち会えること、まさにこれが一番の醍醐味なんだと感じました。
 それに今年は、IさんとSさんのギターで歌うというサプライズもありました。仲間の演奏で歌う歌は格別です。幸せすぎですね。

 時間に限りがあるスピーチですが、本当にみなさん(私も含めて)あの場で話すことが大好きで、それを聞いてくれている感じがとてもうれしいです。あの場に立つと喋りすぎてしまう気持ちが本当によくわかります。あの場で話すことを、みんなが「聞いてくれている」という感じ、たまらなくうれしいです。

 前日の大阪吃音教室に初めて参加された2名の方が勇気をもって参加して下さったこともうれしかったですね。その一人、Yさんが、会場のカフェ・グッデイズに入った瞬間「素敵な雰囲気ですね!」と言われていました。あのあたたかい照明や木のぬくもり、どことなくゆるい雰囲気、私も大好きです。
 Mさんがあの場にいて、しかもトップバッターで、今Mさんが生きている世界の豊かさについて語ってくださったこと、Hさんが育児と仕事を両立しながら元気に頑張っておられること、Oさんがあの場で小3の時の作文を聞いてほしいと思った気持ち、Oさんの思いも受け止めていたお母さんと担任の先生、言いたいことをど忘れしたHさんと脇で祈る溝口さん、Mさんのお母様との関係、Tさんの日々是好日、沖縄のキャンプを支えたIさんとAさんなど、書ききれないほど、心が動いたエピソードがたくさんありました。

あの場で以前しんどい心情を語られたKさんの変化もとてもうれしいですし、Oさんが怪我をしたポンポン山をきっかけに山に目覚めて今は登山中毒になって、精悍になったMさんなど、あの場で語られたエピソードが今につながっていること、その時間の流れも一緒に味わえることが本当にぜいたくだなと思います。
 久しぶりに会った人たちも、毎週のように会う人たちも様々ですが、「この仲間と人生を重ねているんだ」と一番思うのが、この忘年会です。

 私は、「私と吃音」についてこれまでの人生を自分の底から掻き出して考えた一年でした。全てを吃音のせいにしていた長い歴史もありましたが、吃音が私をここに連れてきてくれたと思うと、今、吃音に感謝しかないです。もちろん日々、吃音で不便なことはあり、思うように言葉を発することができない自分に歯がゆく、吃音を腹立たしく思うこともあります。ですが、それをはるかに超える、全く次元の違うところで、「私にどもりがあって、本当によかった」と思える今を生きられていることは、本当に幸せです。
 40年前に「どもりとともに豊かに生きる」を宣言して下さった伊藤さん、そして、それを身をもって体験して人生を歩んでいるたくさんの人たち。同じ時代に生きていることのありがたさを感じます。
 とびきりの時間、ありがとうございました。来年も楽しい一年になりそうな気がします。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/31

吃音と共に豊かに生きている仲間たち


 大阪スタタリングプロジェクトの忘年会は、ひとりひとりのスピーチが、とびきりのごちそうです。笑いあり、涙あり、温かいヤジもあり、そんな中でひとり、前に立ち、今年一年を振り返ります。午後6時に始まって、終わるのが10時を過ぎるという、この珍しい忘年会。そこで語られるひとりひとりの人生を、参加した31人分、ほんの少しずつですが、紹介します。メモを元に再現されたものなので、正確さには欠けますが、大筋はまちがっていないと思います。メモをとってくれた人に感謝します。

☆北九州のお盆、普通は、お坊さんが檀家に行ってお参りするけれど、檀家が多いため反対に檀家の皆さんがお寺にやってくる。僧侶としてそのお手伝いに行き、1日10回、おつとめと法話のセットを行った。来て下さっている人に、どうしたら伝わるだろうかと考えた。借り物のことばでなく、聞いているその人にぴたっとくることばで話したとき、しっかりと聞いてくれるという経験をした。

☆NHKのバリバラの番組で、自分がしゃべっているのが放映された。普段、どもりというけれど分からないとよく言われるけれど、ちゃんとどもっている、分からないはずはないと思った。でも、どもりと一見分からない、そういうどもる人の思いを伝えていくのが私の役割かなと思った。もうひとつ、NHKスペシャルで、デイビッド・ミッチェルさんと自閉症の東田直樹さんの番組を見た。東田さんが言った「人は、命をつないでいくために生きるのではない。自分の命を完結するために生きているのだ」ということばに、感銘を受けた。

☆平凡な会社員から転職して、児童養護施設で働いている。僕は、困っている人を助けるというか、一緒に考えていくのが好きだ。採用の面接で、どもっていること、セルフヘルプグループに参加していること、人を支えるのが好きだということを伝えた。貢献感も味わえるし、楽しく仕事をしている。仕事以外では、北海道や四国へ旅行したし、海外旅行もした。

☆忘年会は、6年ぶり。そのときは、学生だったが、今は仕事をしている。姫路から参加した。仕事のため、金曜日の大阪吃音教室には行けないが、日曜の吃音教室には参加している。まだ、どもったら恥ずかしいという気持ちは変わらないし、どもりたくないと思う。でも、「ラブソング」の番組をきっかけに、得意先にカミングアウトしてみると、「どもっていても、ちゃんと仕事をしている」と言われて、うれしかった。

☆サマキャンの事前レッスン、吃音講習会、吃音親子サマーキャンプと、夏は、アクティヴになる。その後、当事者研究の全国交流会に参加し、500人くらいの前で発表した。後悔しないよう、何度も原稿を書き直した。喫茶店で、最終の原稿を書いているとき、「どもりのおかげで、こういう出会いがあったと思うと、どもり、ありがとう」との思いが浮かんできて、うれしくて泣いてしまった。私が出ている、Eテレのバリバラは、父と一緒に見ようと思い、実家に行ったが、私が出るちょうど前に父は席を立ち、見られなかった。そして、「ゆっくり、しゃべったらええんや」とつぶやいていた。昔なら、カチンときたと思うが、「そうやねえ」と返すことができた。父と吃音について話すことはできなかったが、原点は、父がどもっていたことだったので、父にも感謝している。テレビを見た人から、「ええとこ(大阪吃音教室のこと)に行ってるね」と言われた。

☆今年は、結婚をし、仕事でも責任のある仕事をするようになり、いろいろと考えることの多い1年だった。小学校3年生の時の文集に、自分の吃音のことを書いていたので、持ってきた。題名は、「ことばがつまる」(作文を朗読)。担任の先生が、作文のあとに、コメントを書いてくれている。「どもっていてもいい。あなたはあなたのままでいい」と。
両親も担任の先生も、どもっていてもいいんだよというメッセージをたくさん送ってくれていたことを改めて思い出した。

☆結婚をし、祝賀会をしてもらい、感謝している。どうも、僕は、一人でいるときは、気持ちが安定しているけれど、誰かと一緒に生活したり、家族と一緒だと、怒ってしまったり、甘えてしまったりするところがある。でも、大阪吃音教室でいろいろと勉強してきているので、学んだことを活かしながら、生活している。人生、無駄なことはないなと思う。
仕事にも変化があり、本来の仕事以外に、趣味だったカメラの商業写真の仕事の依頼があった。

☆仕事で異動があり、應典院の近くになり、吃音教室に参加することができるようになった。滋賀の吃音親子サマーキャンプに行っていないけれど、第一回の沖縄のキャンプに行った。「吃音理解」の話になったとき、自分のことばで自分の状態を伝えてこなかったのだから、からかったり、もっとはっきり言ったらと言ってきた人に分かってもらえないのは当たり前だと思った。でも、同時に、説明していないのに、笑わずに聞いてくれた友だちもいた。理解してほしいと思ったら、意識して、自分のことばで説明していかないといけないと思った。

☆仕事も趣味も充実していた。売り上げは、去年の3倍くらいになり、楽しく仕事ができた。趣味の山登りは、30回くらい行った。富士山にも登った。運営委員にもなったし、吃音教室の講座の担当も、レクの実行委員もした。それらが自信になっている。

☆定年を迎えたが、まだ週に3日、仕事をしている。火曜と木曜は自分の時間。同級生の話を聞くと、親の介護、妻の介護などをしている人もいる。何が起こるか分からないので、今日一日を大事に生きようと思う。来年の夏は、北海道に行きたい。「新生」のコラムは、自分のために書いている。

☆バリバラを見て、映っている自分の表情が硬くて、ショックだった。40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持たないといけないと言われる。責任を持てるよう、ライフスタイルを変えていきたい。昔の彼女と復縁し、来年は結婚をと思っている。

☆新潟の禅の老師・櫛谷宗則さんの講座に感動した。吃音に揺るがない考え方、生き方を櫛谷さんから改めて学んだ。吃音があったから、ここにいるみんなと出会え、すばらしい仲間と知り合えた。すごくよかったと思う。昔、編み物を習っていたが、その先生や仲間と30何年ぶりに会って食事をし、なつかしかった。生きていたら、いいことがあるなと思った。

☆うれしかったことが2つ。ひとつは、6月に会社を辞めて、新しい会社の見学に行ったら、自己紹介でめっちゃどもったけど、「君って、吃音があるんやね」と言われて、「気にしなくていいんや。正々堂々とどもったらいいんや。君は君でがんばってくれたらいい」と言ってくれた。1月から働いて貢献しようと思った。もうひとつは、昔からあこがれていた桂文福さんに会って、「気の笑顔はいいね」と言われたこと。

☆仕事を辞めることになり、もう嫌だと思ったけれど、みんなに聞いてもらえて、人の縁や人の温かさを思った。辞める前の有給休暇を利用して、念願の一人旅をして、大好きな相田みつを美術館に行った。続けている合唱団が、今年、全国大会に出場した。そのおかげで、四国の丹さんにも会うことができた。来年も、まだまだ迷走しそうだけど。

☆10月から、生活が激変した。仕事量が1.8倍くらいになり、からだがしんどい。来年は、からだを壊さないよう気をつけたい。そして、目標を持って、努力していきたいと思う。大阪吃音教室では、レク実行委員になったり、いい仲間ができて楽しかった。

☆産休、育休で休んでいたが、4月から教師の仕事に復帰して、ばたばたしている。普段、吃音教室に行くことができないでいるが、こうして温かく迎えてもらえて、いい仲間だなと改めて思った。今年は、仕事で、自分の吃音をカミングアウトする機会が2回あった。ひとつは、支援学級の先生向けの研修会。自分の体験を踏まえながら、合理的配慮の話をした。吃音を隠していたときならこういう講師依頼があったときどうしようと思っただろうけれども、引き受けてよかった。もうひとつは、就学前相談のとき。兄が通級教室に来ている子どもなので、知っている母親だが、弟がどもることで相談に来られたとき、「実は、私もどもります」と話ができた。どもりはマイナスだと思っていたけれど、どもりでよかったなと思えた。こんなふうに思えたのは、みんなと出会えたからで、ありがたいと思っている。

☆みんなが歌を歌っているのを聞いて、うらやましかった。国民学校の時代は音楽がなかったので、歌ってこなかったし、歌をあまり知らないから。外国の人に日本語を教えるボランティアをしているので、ことばを実践するのが私のライフワーク。そのため、金曜日の吃音教室には参加できないが、日曜の吃音教室には参加している。

☆昨日、初めて吃音教室に参加した。昔からどもっていて、周りの視線も気になっていたけれど、どうしたらいいか分からないまま、去年、社会人になった。仕事をする中で、どもりによる壁を感じるようになり、自分自身を変えようとしていた。仕事は一生懸命していたが、同期が退職してしまい、相談する人もいなくなった。先輩に話をしたら、ネットで調べてくれて、大阪吃音教室に参加した。共感することが多く、うれしかった。なぜ今まで知らなかったのだろうと思う。これから、継続して参加していきたい。

☆小学校3年生のときに書いた作文を聞いて、両親や先生がどもることを認めてくれることの大切さを思った。教師の仕事というのは、「あなたのしていることはおもしろい。いいで。それでいいで」ということを伝えることだと思っている。作文を書いたOさんも、沖縄に一緒に行ったAさんも、大阪吃音教室と出会うべくして出会っているのだと思う。

☆10月から参加している。子どものころから、連発でどもっていた。難発になって、こんなにしんどいものなのかと思って、ショックだった。人も避けるようになってしまい、これではやばい、ひきこもりまっしぐらになると思って参加するようになった。私は、人見知りする方だけど、多くの人から声をかけてもらってうれしかった。

☆学童保育の仕事から接客のアルバイトに変わって、今も続けている。教室では、レク実行委員をして、みんなと仲良くできた。1年半前から高校に行き始めて、3月に卒業する。自分でもよくがんばったなあと思う。そして、4月からは大学に進学する。楽しく生活できたらいいなと思っている。

☆吃音ショートコースに参加したとき、難発だけど、連発でしゃべれるようになりたいと言った。でも、それができていない。連発でどもることは恥ずかしいし、難しかった。私の吃音は、小学校6年生のとき一旦治って、また中学生でぶり返したと思っていたけれど、小さいときはあがり症だったけれど、ちゃんとしゃべっていた。中学生のとき入院して、そのときからどもるようになったんだということに、最近気がついた。

☆山口と大阪を往復する生活をしている。96歳の母は、長生きし過ぎたと言いながら、毎年、インフルエンザの予防注射をしている。今年の夏が一番暑いわと毎年言うし、風邪なんかひいたことがないわと言いながら毎年ひいている。このマッサージ器、使ったことがないから使うわと言って、いつも使っている。今までは、それらを訂正していた。でも、今は、訂正せず、軽く流すことにしている。それは母の課題であって、僕の課題ではないと学んだから。

☆吃音ドキュメンタリー映画、「The Way We Talk」に字幕を入れても日本語版をリリースできたことが一番心に残っている。映像化プロジェクトも何本か、映像を撮ることができてよかった。来年は、ドキュメンタリーを撮ってみたい。会社はばたばたしたけれど、沖縄のキャンプにも行けてよかった。
◇コメント 沖縄で、「先生」と言われていたIさん。半生を振り返って話すことで、どもる子どもや保護者に具体的な先輩としての姿勢を示すことができた。メンターの役割を果たしたことになる。千葉の看護師がどもることで落ち込んでいたが、Iさんの作成したYouTubeを見て元気になったという話を千葉のことばの教室の先生がしてくれた。映像が彼女を元気づけたということだろう。

☆いつも、年の初めに、その年のキーワードを決めている。今年は、「外」だった。一人暮らしを始めたこと、劇団で活動をしているが、今年初めてソロで歌う機会をもらったことなど、「外」に出て活動できたことがよかった。

☆忘年会は、昨年も一昨年も参加できなかったが、今年は予定が入ったけれど、こっちを優先した。ホームページの更新について少しずつしているが、近いうちに、スマホ対応画面にしたいと考えている。

☆初めてのことが多かった1年だった。運営委員になったし、吃音教室の講座も担当したし、「新生」の編集もした。自分の能力を超えていると思ったけれど、がんばれた。レクの世話人をして、みんなの輪をつなげたいと思っている。来年もいろいろ企画したい。

☆なぜこの場にいるかというと、上司が、大阪吃音教室をみつけてきてくれて、紹介してくれたから。忙しい時期で間に合うかどうか分からないけれど、行ってみようと思って、昨日の金曜日、終了ぎりぎりの片付けている時に会場に入った。遅れても行動することが大事と思った。どもりを隠していたけれど、上司が気づいてくれた。どもりながらでも、なんとかやれると思っている。

☆どもりを治す・改善するを目標に活動をしていた頃の仲間は、こんなにたくさんおしゃべりしなかった。どうしたら軽くなるかとか、また元に戻ったとか、あいつよりはまだ自分の方が軽いとか、そんな、幅の狭い会話でしかなかった。17歳のとき、初めて参加して、43年経った。吃音とともに豊かに生きるを目指している今は、幅広く人生を考え、対話がすすむ。先輩たちは、自分の体験を書いてこなかった。自分が経験した体験を話したり、書いたりする活動の大切さを伝えていく役割を果たしていきたい。

☆相変わらず忙しかった。多くは、退職したら暇になり、時間をもてあましているようだが、したいこと、しなければならないことがあることは幸せだ。吃音に関して、主流じゃないけど、本流をいく取り組みができることはありがたい。

☆今年も、たくさんのどもる子どもたちや保護者、ことばの教室の担当者との出会いがあった。特に、どもる子どもたちから直接質問を受け、やりとりをし、哲学的対話を試みたことが楽しかった。吃音ショートコースなどて、私たちに関わって下さったかたがたが、折りにつけて私たちとの出会いの体験を話して下さっていると聞いた。今日、明日と、国重浩一さんのナラティヴ・セラピーの研修会があって、参加している。そこで、ナラティヴ的実践をしているとして、吃音の話をする機会をもらった。吃音への取り組みが、吃音以外の分野の人にも、普遍的なものとして考えてもらえるということがうれしい。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/30

吃音は言語訓練より、哲学的対話のレッスン

 埼玉県越谷市での、ことばの教室の教員への講演

 越谷市での講演は、本当は夏休み中に予定されていました。しかし、台風が関東地方に直撃した日で、主催者は実施するか、中止にするかずいぶん迷われたようですが、大事をとって中止になりました。残念ながら講演はなくなったと思っていたのですが、せっかく計画したのだからと、再び話が持ち上がり、結局、冬休みに開催することになりました。夏に話す予定だった内容は、パワーポイントの配付資料として、たくさんの資料とともにすでに印刷されています。それが無駄にならずに済んだことを、主催者は喜んでくれました。冬休みに入ってすぐの12月26日、研修会が開催されました。年末を控えた休み中なのに、60人を超える人が参加してくれました。

 前半は、参加者全員に質問を書いてもらい、それにすべて答えるという形で、進めました。最近、この形をとるよえうになっていますが、僕には、これが一番合っているようです。何を知りたいと思っているのか分からない中で話をしていくのは、なかなかしんどいです。参加者が知りたいと思っていることにズバリとこたえていく方がお互いにいいようです。後半は、今、僕が考えていることをお話しました。

 4か月が過ぎているため、その間に、僕の方も「オープンダイアログ」の勉強も進み、「読書介助犬」との出会いなどもあり、話すことか少し違ってきました。もちろん基本は変わらないのですが、切り口の幅が少し広がりました。なので、冬に延びたことは、僕にとっても、聞く側にとってもよかったかもしれません。夏には、レジリエンスを中心に話す予定でしたが、今回は「哲学的対話のレッスン」が中心となりました。
 話の基本は、ナラティヴ・アプローチです。「その人が問題なのではなく、問題が問題なのだ」と、ネガティヴな部分だけに目を向けず、その人に必ず問題に対処する力があると信じ、対話を通して、否定的な物語(ナラティヴ)を肯定的な物語に変えるのが、ナラティヴ・アプローチです。これはジヨゼフ・G・シーアンの吃音氷山説そのものです。

 小学校2年生の学芸会の、セリフのある役から外すという、担任教師の教育的配慮で、僕は、強い劣等感をもって悩みの世界に入っていきます。それが21歳で大きく変わり、以降は幸せに生きています。それは、吃音の症状が改善したからではなく、吃音否定のナラティヴ(物語)を肯定的なナララティヴに変えることができたからだというのが、僕の話の骨子です。

 日本の精神医療、心理臨床、福祉の世界で注目されているトピックスがあります。
 ‥事者研究…北海道・浦河のべてるの家の取り組みです。統合失調症の人たちは、べてるの家と出会うまでは、入院や薬漬けでおとなしくさせられていました。医者や、家族から管理されていたのです。効き目の薄い薬に変えたり、薬を最小限にとどめることで、活動的になった人たちは、社会生活に出て行きます。社会に出て行くことで起こる摩擦や困難を、当事者は、「苦労を取り戻す」といいます。それまでは、周りから、苦労する権利を奪われてきたのです。その困難を自分で助けるために当事者研究をします。

 これは、僕が長年主張してきたことと通じます。言語訓練室やことばの教室で訓練して、ある程度改善されたとしても、それは、管理された条件の中でのことで、日常生活では使えません。日常生活で苦労しながら、恥ずかしい思いや、時には傷つきながら、どもりながら話していくしかありません。もし、吃音が変わるとしたら、日常生活の真剣勝負の中で話していくしかないのです。日常生活に出て行くのを励ますのが、専門家の役割だと、ずっと長い間主張してきました。吃音のことだけで話すと、なかなか通じなくても、べてるの家の当事者研究と絡めて話すと通じやすいことがわかりました。
 その他、レジリエンスとオープンダイアローグの実践をからめると、さらに説得力を増し、わかりやすくなります。
 レジリエンス、PTG(心的外傷後成長)、オープンダイアローグを絡めて話しました。その結論は、言語訓練より対話の力を育てようです。
 吃音の症状の改善だけで、人生を乗り切れるのは、比較的少数例です。少しでも改善できたら、その人は自信がもて、人生が楽しくなるほど、吃音は単純なものではありません。だから、100年以上の治療の歴史がありながら、吃音治療に取り組む人にとっては、吃音は大きな問題であり続けているのです。私たちは、吃音を否定し、吃音の改善を目指して戦ったことで悩みを深めました。その戦いから降りて、自分の人生を生きることに努力した人は、吃音の問題から早く解放されていきました。

 言語訓練より対話のレッスン
 「会話」は知り合い同士の楽しいおしゃべりで、「対話」は他人との新たな価値や情報の交換や交流です。子どもたちが今後話していく相手は、何を考えているか分からない他者で、相手が何を考えているかを知る方法が「対話」だと子どもたちに伝えたいと思います。思春期、青年期、社会人になって、吃音について自分のことばで説明する必要がでてきます。その対話をいとわない、対話する力を育てることは、言語訓練で吃音が改善されることよりはるかに大事だと思うのです。考え方の違う他者との対話は、意識的に育てないとなかなか育ちません。楽しく取り組む対話のレッスンをことばの教室の実践の中でしてほしいと話しました。具体的にことばの教室の指導の時間にどう反映させるかを、今回かなり詳しく話しました。機会があれば、またその時の話を報告したいと思います。

 こうして2106年最後の講演が終わりました。
 しばらくそのまま東京にいます。年末年始の『江戸』情緒を味わって、大阪に戻ります。
東京では、この1年間がんばった自分へのご褒美のつもりで、のんびり過ごすつもりです。
 まずは、1年前から予定していた、東京ステーションギャラリーでの「追悼特別展 高倉健」で、大好きな健さんに会ってきました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/29  

吃音(どもり)に明け、どもりで暮れた一年の終わりは越谷市 

2016年の仕事納めは、埼玉県越谷市で

 毎年吃音の講義で行っている、神奈川県久里浜の国立特別支援教育総合研究所で受講生として来ていた、埼玉県越谷市のことばの教室の飛田さんが、僕を講師に呼んで下さいました。前日の夜は、ことばの教室の担当者4人と、旧知の人二人が加わって、食事をしました。質問をして下さったのでつい、翌日話す予定にしていたことなどを話していました。

 12月26日、午前中は、子どもと保護者に向けての学習会でした。ことばの教室の卒業生の中学生の体験談の発表は見事でした。自己紹介が不安だったけれど、最初の自己紹介で「音読などで、ことばがつまることかあります」と、話したことで、いい中学生活をスタートできたことなどを話し、部活や、勉強に忙しいので、吃音に悩んでいるヒマがないという話でした。本人はこの発表を楽しみにしていたのですが、残念ながら風邪のために参加できなくなり、母親が代読しました。見事な文章でした。他の卒業生の話も、在籍する子どもたちに向けて、心配しないで中学校へおいでという、応援のメッセージでした。

 その後、僕が90分話すことになっていたのですが、はじめに、子どもにも保護者にも、質問を書いてもらいました。その後、質問に答えていったのですが、それは、たとえば、「僕は、小学2年生から悩み始めましたが、どんなことがあって、悩み始めたと思いますか」と、僕自身の当事者研究のようなことをしながら、みんなの質問に答えていきました。

 「伊藤さんは、どんな時困りましたか」の質問に、「僕は吃音で困ることはありませんでした。なぜだと思いま すか」と、逆に子どもたちに尋ねました。僕は、音読も発表も逃げていたので、困らなかったけれど、とても、悔しくて、悲しかったなど、僕の小学、中学、高校生の頃のことなどを話しました。そして、吃音を治すことをあきらめてからは、楽しく生きていることなどを、子どもの質問に合わせながら話しました。子どもの質問に続いて、保護者の質問に答えました。子どもにとっては難しい内容でしたが、小学2年生から6年生の子どもが90分集中して聞いてくれました。

 6年生の女の子が、どもりかるたを作って、それを僕にプレゼントしてくれました。市販のカルタのように、化粧箱に入れた立派なものでした。子どもがつくった読み札に、絵の得意なことばの教室の教師が絵札をつくった、それはりっぱなものでした。こんな読み札がありました。

 あらふしぎ 体たたくと 言葉がでる
 かっこいい きつおん でてても どうどうと
 きにしてない これが私の 話し方
 けんかした  姉にきつおん バカにされ
 さいしょにね 自分のことを 話しておこう
 せいちょうと 同時に気分も 楽になる
 中学生になる時は 不安な気持ち 少しでる
 手をあげる 先生私に あてないで
 

 日常生活での吃音との向き合い方が伝わってきます。
 全国で、このような「どもりカルタ」の実践が広がっていくことは、うれしいことでした。

 明日は、講演会での話を紹介します。


眼を向いて話す

子どもと話す1


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/27


松元ヒロさんの 憲法くん

松元ヒロさんとの出会いは2004年から

 笑いの芸人、松元ヒロさんに、僕たちの吃音ショートコースに来ていただいたのは、2005年の秋でした。
吃音を考える上で、笑いとユーモアは欠かせないと考えていた僕は、笑いやユーモアについて共に考えていただける人をずっと探していました。吉本興業のお笑いを、僕は好きではありません。笑いやユーモアは、苦しいとき、辛いときに、にもかかわらず笑うというもので、きっと僕たちが生きていく上で武器になると信じていたからです。

 定期購読している「週刊金曜日」に、ヒロさんの記事が載っていました。それを読んで、僕は、この人だと直感しました。2004年、名古屋でのヒロさんのライブに行き、その直感が間違っていないことを確かめた僕は、その場で、吃音ショートコースの講師依頼をしました。
 自分の芸を見せるライブだけでなく、参加者と体験学習をするという、ヒロさんにとって今まで経験したことのないことだったと思いますが、快く引き受けて下さいました。
 2泊3日のショートコースの間、僕たちは本当によく笑いました。

 それ以後、ライブの情報があると、よくでかけていました。「スタタリング・ナウ」もお送りして、読んでいただいています。

 一番最近では、宝塚市長の中川ともこと歩む会主催のライブに行きました。最前列に陣取って、変わらぬヒロさんを観ました。ライブの最後は、憲法くんという、ヒロさんの今注目されている演目です。ヒロさんが憲法くんになって、前文を心をこめて、からだ全体で高らかに読み上げます。圧倒される迫力です。

 そのヒロさんの憲法くんが、絵本になったという新聞記事をみつけました。
ヒ ロさんとの出会いから、吃音ショートートコースでの対談など、また、皆さんに紹介したいと思いますが、今日は、その新聞記事の紹介にとどめます。

松元ヒロ 憲法くん

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/25

スピーチがごちそう どもる人の楽しく、豊かな忘年会

大阪スタタリングプロジェクトの忘年会

12月17日(土)は、大阪スタタリングプロジェクトの忘年会でした。
毎年、この時期に、僕の家の近く、学研都市線の「忍ヶ丘」駅から徒歩5分くらいの所にある、カフェ・グッデイズという店を貸し切りにしてもらって、行っています。今年の参加は、31名。午後6時に始まって、終わったのが、なんと10時過ぎでした。姫路や堺など、かなり遠いところから参加して下さった方もいらっしゃいました。4時間以上の忘年会は、珍しいと思います。でも、あっという間に終わったような感じがします。

カフェ・グッデイズのスタッフの方も、僕たちの忘年会が終わると、いよいよこれで年末だなあという気分になりますとおっしゃっています。こんなに長時間、使わせていただいて、いつも感謝しています。

グッデイズの看板

グッデイズの中

ツリー



僕たちの忘年会は、もちろん、食べ、飲みますが、それ以上に、ひとりひとりのスピーチがすばらしいです。今年も、ひとりひとりのスピーチに、しんみりしたり、大笑いしたり、拍手もヤジもとびかう、僕たちらしい忘年会でした。みんなのスピーチを聞きながら、いろいろなことがあったなあと思いました。
<吃音とともに豊かに生きる>をまさに実践して、生きている皆さんの話は、本当に胸打たれます。それにしても、よくしゃべること、しゃべること、いつも時間が足りなくなります。今年も例年に増して、そうでした。10人終わった時点で、8時半。少々あせりました。

奥田さんが、小学3年生のときの文集を持ってきてくれて、そのとき書いた自分の作文を紹介してくれました。本読みでどもって、つらかったこと、嫌だったことを素直に書いていました。おうちの人や先生が「あせらないで、いいよ」とやさしく声をかけてくれていました。小学3年生が、こんなふうに自分のことを正直に書くのか、それもずっと残る文集に、とまず思いました。文集は後々残るので、そういうところに自分のことを書くなんて、奥田さんの秘めた強さのようなものをそこに見た思いがしました。そしてまた、それに対する先生のコメントがすてきでした。「どもっていてもいいんです。あなたはあなたのままでいいんです」とのコメントはもどんなに奥田さんを勇気づけたことかと思います。

会長の東野さんのスピーチも心に残りました。どもりを治す・改善するを目標に活動をしていた頃の仲間は、こんなにたくさんおしゃべりしなかった。どうしたら軽くなるかとか、また元に戻ったとか、あいつよりはまだ自分の方が軽いとか、そんな、幅の狭い会話でしかなかったのでしょう。今は、吃音とともに豊かに生きることを目指しているので、幅広く人生を考え、対話がすすみます。また、先輩たちは、自分の体験を書いてきませんでした。自分が経験した体験を話したり、書いたりする活動の大切さを伝えてくれました。仲間を信頼している会長のさすがのスピーチでした。

この忘年会を盛り上げてくれた、もうひとつの要素は、急遽結成された男性2人組によるギター演奏でした。井上さんと鈴木さんの、エレキギターとギターによる演奏で、雰囲気はぐっと盛り上がりました。
発声訓練を兼ねて、初めに3曲歌い、スピーチ、そして、フィナーレに「若者たち」を歌いました。

前日の金曜日の吃音教室に初めて参加した人が、2人も、この忘年会に参加しました。誘う方も誘う方ですが、来る方も…と言いながらも、とてもうれしかったです。みんなの温かい雰囲気を感じ取り、このチャンスをつかんで下さった2人に、乾杯!です。4時間を超えるこの時間は、参加している人の人生を聞くことができる、とてもすてきな時間です。大阪吃音教室のロングバージョンのようです。大勢の人の人生に触れることができました。

恒例となった、大阪吃音教室の年間参加回数も発表しました。大阪吃音教室の講座は、年間40回あります。
一番たくさん参加したのは、会長の東野さん。たった1回の欠席でした。多分、職場の歓送迎会で休まれただけでした。2回欠席したのは、坂本さん、数村さん、奥野さんの3人です。用事があったり、体調が悪かったりすることもあるでしょうに、この出席率には、頭が下がります。上位3人には、こころのこもった、その人に合ったプレゼントをします。それをとても喜んでくれるのも、贈る側の喜びです。
忘年会を写真で振り返ります。

全体1

全体2

演奏する二人

伊藤のスピーチ



日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/24

第一回 吃音問題研究国際大会


 内須川先生の思い出は尽きませんが、なんといっても世界で初めての世界大会である、第一回吃音問題研究国際大会は一番大きな思い出です。

 1994年に僕は言友会から離脱し、言友会とは関係がなくなりましたが、全国言友会連絡協議会の会長をしていたとき、会創立20周年を記念して開いたのがこの大会です。インターネットがまだなかった時代、総費用2000万円という世界大会がどうして開くことができたのか、当時は必死で分かりませんでしたが、今考えても、奇跡のような気がします。

 1986年夏、第一回吃音問題研究国際大会が、京都国際会議場で、11か国、33名の海外参加を含めて、総勢400人が参加して開催されました。大会会長は僕で、内須川先生は、顧問という形で、全面的に応援していただきました。それから2年後、ようやく大会報告集ができあがりました。内須川先生は、巻頭のあいさつと、大会を振り返って総括をして下さいました。大会報告集の文を紹介します。

巻頭あいさつ
大会顧問 内須川洸 筑波大学心身障害学系教授

 歳月の過ぎ行くより速いものはない。世界でその類をみない第一回吃音問題研究国際大会が京都で開催されて早2年。想い起こせば暑い夏の盛りであった。ここにその報告書が漸く出来上がったが、不思議なことに記憶に薄れがない。参加した一人一人の顔が浮かぶ。姿が見える。太鼓の音すら響いてくる。時の流れが速いのに、時が止まったようにさえ感ぜられるのは何故であろう。

 時を経だてて物を見ることは、時には、酒瓶のもろ味の沈澱を待って澄んだ酒を味わうように、澄んだ中味を吟味するのによいかもしれない。果たして第一回吃音問題研究国際大会は参加した我々にはどうその味を醗酵させたのだろうか。遅ればせながら報告書が発刊されたことを喜びたい。名酒は古いほどよいという。その風味が時とともに熟成するからである。
 報告書の巻頭の言を述べるに当たって、現在の所感を率直に語って挨拶としたい。

1)第一回吃音問題研究国際大会は、参加者に強烈な印象を残した。我が国の吃音者はいうに及ばず、吃音研究者にも、吃音児をもつ両親にも、吃音児を指導する教師にも、しかも世界の吃音者や吃音学者にも同様であろう。まさに国際的といえよう。

2)吃音問題の解決は、様々な立場の人々の協力なくしては進まないことを認識した。吃音者自身の問題は、吃音学者の問題であり、吃音児の親の問題であり、立場は相違しても、そこに産み出される問題は種々様々であっても、考え方や追究の仕方はいろいろあっても共に語らねば解決に至らない。しかし、この課題は容易ならざるものと痛感した。

3)世界で初めて、国際的に、吃音者自身が参集し、そして共に吃音学者も、吃音に関係する両親、教師、社会人が語り合った感動の意味は、即興的、一時的なものであってはならない。今後の継続的かつ発展的課題として、今後に継承されてこそ、第一回吃音問題研究国際大会の香しい風味というものであろう。

4)私どもは「心を開いた」。世界に向かって心を開いた。その心がたとい傷を受けても心を開き続けたい。我が国の中でも、世界の中でも、どこの場所でも、どのようなぶざまなすがたであっても、口を閉ざしてはならない。
5)吃音者自身の団体であるセルフ・ヘルプ・グループが主催して、吃音問題研究国際大会が開かれた意義は極めて大である。
 
 明年は西ドイツのケルンの地で、第二回吃音問題研究国際大会が開催される。担当される方々のご苦労も大変なものと思う。是非とも第一回と同様成功を期したいものである。心から声援を送りたい。
 終わりに、この素晴らしい第一回吃音問題研究国際大会の開催に、蔭ながら心を砕きご援助を惜しまなかった大勢の方々に対して、心からなる感謝を述べさせていただきたい。


第一回吃音問題研究国際大会総括 大会顧問内須川洸

 1986年8月、第一回吃音問題研究国際大会が京都の地に開催された。その総括に当たり、2〜3の点について反省と回顧をしてみたい。この時は丁度、言友会にとって20周年に当たる記念すべき年でもあった。時も時、我が国の日本音声言語医学会にとっても、東洋で初めて、東京で国際音声言語医学会が開催される記念すべき時機でもあった。学会と大会の開催が、その時期を一つにしたのは今にして想えば幸運なめぐり合わせであった。

 吃音問題研究国際大会が我が国で開催されるためには、世界の吃音学者が一堂に会するこの機をおいて他になかったし、たまたま私も、国際学会では財務委員長の責任ある立場と同時に、国際吃音委員会委員として、吃音学者の一群に列していた関係から、吃音学者の招へいに一役を担うことができたのである。一方、全国言友会連絡協議会の委員の方々とは、年来の交わりがあり、折に触れて吃音問題に共同労作を重ねていたことも幸いした。良き時が与えられても、実施に踏み切る英断なしには事は実現しない。時は熟したというよりも、全国言友会連絡協議会の大きな決断による冒険がその背景にあったというべきであろう。私は国際会議の財務問題に係わっていたこともあり、会議を成功に導く一つの鍵は必要な財源を確保することにある点を熟知していた。

 しかしどう考えてみても、全国言友会連絡協議会には当時その成算はなかったとみてよい。にも拘らずである。その道が開かれたのは、言友会会員の一致団結と止むに止まれぬ必死の叫びに、知人も友人も社会の人々も共鳴現象を起こしたからに他ならない。実際、私が一番心配し不安を感じたのは、本当に必要な資金が集まるだろうかという点であった。結果はご承知の通りである。予想を越え、心配を外にして、必要な資金は確保された。この事実を通して、私たちは大切なものを学んだ。本大会の成功の鍵は、実はここにあったのかもしれない。それは資金問題を遥かに超えて、人々の心を打ったし、学者の「知恵」ではなく、「心」を動かしたのであろう。心を合わせ、知恵を絞れば、良きものは自ら集まって事を成すのである。
 大会を回顧し、現時点で心に残る2、3の点にふれてみよう。

1)人々の心の交流にこそ感動:吃音者自身は言うに及ばず、吃音学者も、吃音児をもつ両親も、吃音問題に関わる教師も、そして一般社会人も、交流に参加し、一つの輪を作ったことは目を見張るものがある。諸外国の吃音学者が口を揃えて感動していたことによっても立証されよう。大会の流れを作るのに、最初の導入で、心を和らげたのも有効であった。懇親会の太鼓もよかった。全員揃った盆おどりもよかった。さらに毎夜の話し合いもよかった。本大会開催の意義は、この連帯の輪の広がりにあるなら、第二、第三の国際大会への継承こそ重要となるであろう。

2)国際大会の成否を握る隠れた要素:会議のスムーズな進行を保証する準備は、特に国際大会においては大切である。文化や歴史そして言語を異にする諸国民が一堂に集まり、各々の考えや意見を交換する以上、コミュニケーションに支障があってはならない。この点について思うことは、京都の地で、会場を京都国際会議場にしたことは成功の第一歩であったといえよう。さちに同時通訳者に優秀な人材を獲得し得たことはコミュニケーション問題に素晴らしい効果をもたらした。重要なシンポジウムやワークショップにおいて「ことば」の壁を感じさせなかったのは本大会のメンバーの交流をいやが上にも昂めたものと考えられる。日本においての、初めての国際大会が成功裡に終わった一つの要因はここにあったものであろう。準備にエネルギーを集中した事務局の苦労が偲ばれ、改めて敬意を表したい。

3)マスコミユニケーションの協力:マスメディアの活用は言うまでもなく一般世論の喚起や大会開催の情報伝達にとって極めて重要な要因であるが、言友会会員の会衆まき込みと同時に新聞社やテレビ、ラジオへの訴えがタイミングよく作用したように思われる。日頃の活動の成果がその効果を発揮したものであろう。

4.)ボランティアの活動:本大会の別の特徴を列挙するならば、ボランティアの方々の献身的支援がその背後にあったことに注目しなければならないであろう。事務処理や通訳の働きがプロフェショナルな方々だけに依存するのでは、到底成功を期し難かったであろう。生々として働かれたこれらの多くの人々の姿が目に浮かぶ。回顧の中で忘れえぬできごとであった。

5)吃音に関する真実な「ことば」:学術講演の素晴らしさは目を見はるものがあった。参加された一人一人が印象に止めたことであろう。基調講演も実に見事なものであった。シンポジウムで発言されたそれぞれの先生方の意見も実に胸を打つものがあった。演題に立たれた方々の発言のみが素晴らしかったのではない。吃音者は吃音者なりに、吃音学者もそれぞれの立場で、吃音について真実の「ことば」の出会いがあったことこそ、本国際大会の圧巻であったと感じる。もの言われなかった一般人の方々も、この出会いの中で、それぞれの心の中で発言をしたと思う。話された内容については、必ずしも相入れないものもあったであろう。しかし発言は内容だけにその意味を持つものではない。発言者の話し方にも、吃り方にも、その態度にも、その表情にも、その身振りりにも、胸を打つものがあり、学ぶことが多い。
 それでこそ世界の国々から集まる意味があるのであろう。口をひらくと共に心を開いて、真情を吐露する集まりが今後も続けちれたら、その値千金というものではないだろうか。涙を流し、喜びを歌い、眼を輝かせ、酒を酌み交わしたときも、「吃音」の故に、「吃音」を目指して、「吃音」あって繰り広げられた人の出会いであった。

6)私たちは現在、世界のどこの国でも、吃音学者と吃音者の相互扶助が必ずしも満足すべきものではない現実を確認した。第一回吃音問題研究国際大会が、全国言友会連絡協議会を中心として、吃音者や吃音学者の協力の下に開催されたことの意義は、逆に、世界の諸国では、吃音学者と吃音者、吃音関連者との相互交流の必要性に目が開かれるという結果を産んだ。本大会の学術講演者、グレゴリー博士は積極的にその成果を第二回吃音問題研究国際大会に反映すべく活動を開始していることが、他の世界の吃音学者にも大きな励みとなっている。

7)流暢に吃らずに話す(speak more fluently)というアプローチと、流暢に吃る(stutter more fluently)というアプローチとの対話:グレゴリー博士は、現状における吃音治療のアプローチには、ある意味で一つになり得ない先述の二つの行き方がいかに将来、混合(combined)されるかにかかっていると提言された。この課題は、第二回吃音問題研究国際大会へと継承される重要なテーマとなった。
 第一回吃音問題研究国際大会の幕あけがあまりにも華々しかったので、その成功に酔いしれた感が無きにしもあらずであったが、反省点に立ち返って厳しく検討されてこそ、大会開催の意義も今後ますます望ましい方向に生かされるものであろう。

1)与えられた3日間の大会運営があわただしすぎたのではないか。各国のセルフ・ヘルプ・グループの中には、吃音者団体自身がもっと十分な時間をとって討論したいという要望があったように思われた。しかし、短い時間の中に、学術講演、基調講演、シンポジウム、ワークショップ、懇親会、人物交流と多種目の企画を盛り込んだので、これ以上の無駄な時間の割愛はなかったといってよい。むしろ、問題として今後考えねばならない点は、大会の流れの中に、いかに自由な時間、無駄と思われる時間を自然に挿入するかにあるのかもしれない。

2)本大会を「活動」と「交流」を中心として「動く大会」ど称するなら、今後は「沈思」と「討論」を中心として「静かに考える大会」が必要になるであろう。各国のセルフ・ヘルプ・グループの行き方にはそれぞれの文化と歴史があり、特徴があるから、それらの相違点を洗い出し、十分に対比するには、相当な時間が必要であろう。また吃音学者のグループについても、吃音者との支援・協力にはどのような方法があるか。吃音者団体が吃音研究において専門学者にどのように協力しうるか。社会的啓蒙や社会的対策の諸問題などは今後十分な「知恵」と「時間」をかけて実現していくテーマでもあろう。
 時代はまさに情報交流、経済交流、学術交流、文化交流の加速的交流現象の中に突入している最中に、吃音者はようやくその眠りから醒めたといってよい。吃音者自身に向かって、そして社会に向かって、心を開いた意義は、本大会の出来・不出来にかかわらず、極めて意義の深い事実であった。
 今後は、慌てず、騒がず、着実にゆったりと常に漸進を続けることこそ肝要で、決して「息切れ」があってはならないであろう。そのために世界が「横」に連帯すると同時に、それぞれの国において吃音者も吃音学者も関連する人々も「縦」に連帯し、それぞれの継承の歴史を確立する課題が検討され、具現化されねばならない。
 第一回大会の準備に尽力された多くの人々に感謝するとともに、第二回吃音問題研究国際大会に精神を集中し、その準備に忙殺されている西ドイツの人々に心からなる感謝と声援を送りたいものである。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/23

水の若く淡き交わり 内須川先生と、私たちとの関係


 内須川先生が亡くなって、いろいろなことが思い出されますが、その時々で書いてきたものを読み返すと、いいつきあいをしてくださったと、つくづく思います。ずいぶん以前に書いた文章です。

 
水の若く淡き交わり

 「君子の交わりは淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと禮(れい:甘酒)の若く」『荘子』

 1年に2度程お会いするかしないか、普段は全く音信不通の状態なのだが、何か私たちがお願いした時快く応じて下さる。押しつけは全くなく、過度な情報提供も全くない。このようなおつきあいをさせていただいた中で、パンフレット『どもりの相談』、『人間とコミュニケーション』の出版、そして第1回吃音問題研究国際大会をご一緒することができた。

 西ドイツのセルフヘルプグループと研究者・臨床家の関係は厳しい対立が、イギリスのグループでは指導する側とされる側のはっきりした依存関係が見られた。海外の吃音の研究者・臨床家と成人吃音者の関係は、敵対か依存かが少なくない。

 日本の吃音研究の第一人者、内須川洸筑波大学教授と私たちの関係は敵対でも依存でもなく「淡きこと水が若き」関係であった。それだからこそ、吃音の第1回国際大会を日本で開くことができたのだと思う。その国際大会。大会顧問として「こうしたらいいのに、こうあるべきだ」というものがおありになったであろう。しかし、「こうしたらどうか」式の押しつけは一切なかった。いろいろアイデアやアドバイスが過剰にされていたら、とても私たちは対処できなかったであろう。緊張し、自由に行動できなかったのではないか。

 自由に動けたおかげで、また大会顧問として後ろに控えていただいたおかげで無謀とも言えたゼロからの出発の第1回吃音問題研究国際大会は大成功を収めた。大会フィナーレ。舞台で満面に笑みをたたえて大きく両手をふり、拍手に応え、子どものようにはしゃいだ姿が忘れられない。

 このおつきあいの中から、セルフヘルプグループとグループに属さないどもる子ども、どもる人とのつきあいにおける私たちのスタンスを学んだ。

 成人のどもる人であれば、私たちの考え方に賛同し、セルフヘルプグループに入るべきだと私たちは考えていない。私たちの会が全てのどもる人に有効だとは思わない。人それぞれの考えがあり、「吃音と共に豊かに生きる」という私たちの主張を受け入れられない人もあろうし、民間のクリニック、宗教、スポーツ、芸術、心理療法など、どのようなルートからでもどもる人が自分らしさを発揮し、よりよく生きていればうれしい。

 私たちだけが成人のどもる人のためになっているという意識はない。しかし、吃音に悩むどもる人が私たちを求めてきたら、私たちは最大限の努力と工夫で応えたい。私たちを必要とする人が、必要なときに、門をたたいてくれたらよい。

 ある研究者から、「吃音者宣言を出し、治すという目標を下ろしたのだから、具体的に何をすべきか、羅針盤を示すべきだ」と言われたことがある。吃音の悩みからの脱出は共に考えられても、その後の生き方は個々人の問題だ。私たちが、「このように生きるべきだ」と押しつけるものではなく、押しつける必要もない。押しつけられることこそ迷惑だ。人それぞれよりよく生きる道は違うはずである。それは、個々人がみつけることだ。

 どもる子どもやどもる人との交わりは、内須川教授から学んだ「淡きこと水の若く」でありたい。

 この春、内須川洸教授は、筑波大学を定年退官される。学生時代から一貫して吃音を研究テーマにされ、定年まで続けられた初めての人だ。成人のどもる人間として、長年、吃音と私たちと、つきあって下さったことに心から感謝したい。その感謝の気持ちを込め、昨年末私たちが呼びかけ、『内須川先生の退官記念の関西の集い』を持った。水の若きつきあいの人々ばかりが大勢集まって下さり、心温まる集いができた。

 そのときのフィナーレ。今度は「ありがとう」と、内須川先生がことばをつまらされた。私たちも胸がいっぱいになった。ギブ・アンド・テイクがつきあいの基本なのに、私たちの一方的なテイクだった。いただいたことへのギブは、どもる子ども、どもる人にしていきたい。きっと喜んで下さることだろう。内須川先生の4月からの新しい出発に乾杯!
 1991年1月『吃音とコミュニケーション 23号』

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/23

吃音研究の第一人者 内須川洸先生、ありがとうございました

 内須川洸先生が、11月10日お亡くなりになりました。すぐにブログに投稿したかったのですが、日本吃音臨床研究会の機関紙「スタタリングナウ」で追悼特集を組むことにしましたのて、それが、購読者に届くまではと、書くことを伸ばしていました。たくさんお世話になりました。たくさんの思い出があります。
 日本の吃音の世界で、僕の考えに心底共感し、援助を惜しまなかった吃音研究者はふたりしかいません。内須川先生と、一足先になくなつた愛媛大学教授現役でなくなった、水町俊郎先生です。当事者である僕たちの考え、声によく耳を傾けて下さいました。僕たちはふたりの大きな後ろ盾を失ったことになります。特に、内須川先生とは、プライベートでの旅行が28年も続きました。僕の良い仲間たち、ことばの教室の教師や言語聴覚士たち、通常は20名前後でしたが、多いときは30名ほどの時もありました。いつも大笑いの楽しい、楽しい旅行でした。九州から、関東から集まった仲間がいたから、いろんな活動ができたのだと思います。
 内須川先生追悼の文章です。

 
内須川洸先生 ありがとうございました

内須川洸先生
 11月10日、内須川先生がお亡くなりになったとの報に接し、ずいぶん前から覚悟はしていたとはいえ、いいようのない寂しさと、大きな感謝の気持ちが広がっています。ありがとうございました。

 1966年、言友会を創立したばかりの私は、東京学芸大学の研究室で内須川先生にお会いしました。それが、先生とのつきあいの始まりでした。吃音、グループの活動について、何かとアドバイスをいただきました。

 その後、私が大阪教育大学言語障害児教育1年課程で学んだ後の研究生の時、内須川先生の集中講義として、「治らない吃音をどうするか」がテーマの5泊6日の合宿、「吃音ショートコース」の計画に携わりました。大学の講義の枠を超え、大学病院、民間吃音矯正所、国立特殊教育総合研究所、全国各地のことばの教室から、教師、医師、言語聴覚士など、当時吃音に携わっていた人がほとんど集まる、これまでになかった集まりでした。朝から深夜まで、6日間という長丁場。参加者の理解度、関心の変化に合わせて刻々変化していくプログラム。最終的には内須川先生と私が、方向を決めていく、綱渡りの進行に、私の心は躍っていました。この合宿を乗り切ったことで、どんな研修にも対応できる自信がつきました。この経験が、後の第1回吃音問題研究国際大会に活かされました。

 その後、私は、大阪教育大学の教員になり、その1年後、内須川先生が大阪教育大学教授に赴任されました。それからは、早朝の吃音勉強会など、身近に指導をしていただきました。

 アメリカ言語財団の冊子、『To The Stutterer』をNHK出版社から『人間とコミュニケーション−吃音者のために−』として翻訳・出版したときも、何度も何度も合宿につきあって下さいました。
 その合宿から、先生を囲んでの2泊3日の旅行が始まりました。「舌のもつれた仲間、もつれあって楽しく」から、「もつれ会・内須川旅行」と名づけた2泊3日の旅行は、先生が大阪を離れて、筑波大学教授になられてからも続きました。28回の旅行の中から、『どもりの相談』のパンフレット、『吃音評価法』の制作、第1回吃音問題研究国際大会の計画が話されました。秋の学会シーズンのお忙しい時期にもかかわらず、必ず私たちのために日程をとって下さいました。2001年の箱根旅行が最後になりました。たくさんの写真で、楽しかった旅行のひとつひとつが思い出されます。

 1983年、先生が学会長として筑波大学で開かれた第28回日本音声言語医学会総会で、私は学会の吃音検査法を強く批判しました。それをまとめた論文を学会誌に投稿しましたが、先生の存在がなかったら、学会批判の論文など、絶対に掲載されることはなかっただろうと思います。

 1986年の第1回吃音問題研究国際大会も、大会顧問として、全面的な支援がなかったら、開けなかったでしょう。私が、大会会長として、世界にさきがけて、世界大会を開くことができたことを、とても喜んで下さいました。その他、言語障害事典やいくつかの書籍に、私に執筆する機会を多く与えて下さいました。

 7年ほど前、吃音について整理するため、藤沢のご自宅にお伺いしお話したいと手紙を差し上げた時、ご長男から体調を崩してお会いできないとのご連絡をいただきました。とても残念でした。

 「吃音はどう治す、改善するかではない。どう生きるかの問題だ」との私の主張に心から賛同し、支援を惜しまなかった二人の吃音研究者が、内須川先生と、愛媛大学教授の水町俊郎先生でした。 今、「吃音を治す、改善する」が復活し、50年前に逆戻りしてしまった感のある吃音の世界。お二人がいない中でも、私たちは主張しなければなりません。

 22歳の時に初めてお目にかかってから50年、私も72歳になりました。どもる子ども、どもる人の幸せを常に願ってこられた先生の遺志を引き継ぎ、あと何年、吃音に関わることができるか分かりませんが、命の続く限りがんばります。
 心からご冥福をお祈りします。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/12/22 

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