伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2016年10月

今、吃音キャンプロードの真っ最中

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 吃音の秋は、各地でのキャンプロードです。

 まず、10月15日の静岡のキャンプから始まりました。今年の静岡のキャンプは、「吃音を語ろう」というテーマで行われました。まず、どもる子どもの保護者、ことばの教室の教師に向けての講演会でした。資料は用意したものの、急遽、参加者の質問に全て答えるという、初めての試みに挑戦しました。

 質問に答える伊藤伸二が少し自己紹介をして、5分間の時間をとって、みんなに質問を書いてもらいました。保護者が知りたいことと、ことばの教室の教師が知りたいことは違うので、バラエティーに富んだ質問が出されました。その全ての質問に答えていくのです。このような形にしても、話したいことと同じなので、かなり話すことができました。時間ぎりぎり、30ほどの質問すべてにそれなりに答えられてよかったです。

 その後は、静岡のキャンプと吃音親子サマーキャンプの両方に参加して卒業した森田俊哉君と、静岡大学大学院の学生の二人に、僕が質問をする形で話をしました。吃音に悩みながらも、それぞれが自分の進みたい道を明確に持っていて、頼もしい青年たちです。おもしろい内容だったので、いつかこのブログで紹介したいと思っています。

 先週日は、岡山でした。そして、今週末の29・30日は、島根です。島根スタタリングフォーラムは、僕たちの滋賀県・荒神山での吃音サマーキャンプの27回に次ぐ回数で、今年で第18回になります。
 11月5・6日は、群馬です。佐藤雅次さんから、群馬のキャンプの案内を送っていただいていたのですが、これまで紹介できずにいました。申し込み締切はすでに過ぎているのですが、こんなことをしているのだという案内だけはしたいと思い、紹介します。キャンプは締め切られていますが、僕の講演会には参加できます。関心がありましたら、問い合わせてみて下さい。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/10/27

読書介助犬 どもる子どもは喜ぶだろう


 音読が不安で、怖くて不登校になった僕

 糖尿病の僕は、食後に、スロージョギングをしています。いつも通る道とは少し違う道を通ってみると、新しい発見があります。普通の家のように見えるけれど、「絵本カフェハーゼ」という看板がかかっていて、中に入ってみると、そこは看板どおり、カフェで、絵本がたくさんおいてありました。

 コーヒーを注文して、店の主と話をすると、お連れ合いは、幼児教育専門の先生で、糖尿病だということなど、いくつかの共通点があり、話が弾みました。しかし、その後、いろいろと忙しく、通りかかった時が、店が休みの日だったりして、半年以上行けていなかったのですが、久しぶりに通りかかったので、入りました。

 初めて行ったのが今年の1月で、それから9ヶ月も経っています。僕たちのことなどきっと覚えてはおられないと思っていたのに、覚えていて下さり、最初行ったときに会えなかったお連れ合いもおられ、研究している絵本の話や、幼児教育について、また話が弾みました。吃音について取り組みをしていると話すと、「読書介助犬」の話をして下さいました。

 盲導犬、介助犬は知っていますが、読書介助犬とは初めて耳にしました。読むのがあまり得意でない子どもが本を読むのを、そばに寄り添いながら、じっと聞いている犬のことらしいです。その温かさや安心感から、子どもは、本を読むのが苦ではなくなったという実践があり、『読書介助犬オリビア』『犬に本を読んであげたことある?』(講談社)の本もあることを知りました。さっそくその本を取り寄せて読みました。おもしろい実践です。

 音読には、いい思い出がまったくありません。言い換えのできない国語の本の朗読は、小学校から高校時代までずっと続きました。知らない漢字などひとつもないのに、順番に指名されていくときなど、自分の番が近づいてくると、ほかの人の朗読している声など全く聞こえなくなります。「次、伊藤」と指名されて、どこを読むのか分からなくなってしまい、叱られたことが時々ありました。

 高校2年生の時、よく当てる教師がいました。古文の音読が当たる日は、学校を欠席し、ついには、しばらく不登校になりました。これ以上欠席を続けると進級できなくなるというとき、その教師に音読の免除を申し出て受け入れてもらい、やっと卒業できたくらいです。

 読書介助犬の活動をしておられるのは、ドッグセラピーのNPO法人を運営している田中理恵さんという人でした。僕の居住圏に住んでおられることを教えてもらったので、ファックスで、僕が吃音の取り組みをしていると書いて、是非お会いしたいとお願いしました。

 そうして、先日、お会いすることができました、田中さんが連れてきてくれたのは、バカラとカレンという、やさしい目をした犬でした。やんちゃらしいバカラが尾を思い切り振って歓迎してくれました。田中さんは、今、高齢者の施設や障害者施設などで、ドッグセラピーをしておられますが、その中で、認知症や知的障害、発達障害など、生きづらさを抱えている人や子どもの支援につながるのではないかと思ったそうです。効果はすぐには表れないけれど、多動の子どもが部屋から出なくなった、犬に触れられなかった子どもがさわれるようになり、一緒に寝そべることもできるようになった、いつも飛び跳ねていた子が飛び跳ねることが少なくなった、犬を見たらパニックになっていたのにそうならなくなった、など少しずつ変化をもたらしているなどの話をして下さいました。

 読書介助犬については、アメリカの図書館で実践がすすめられていますが、日本ではあまりありません。この介助犬、どもる子どもに対して、何か役に立ちそうです。どもる僕たちは、どもっていても、どもることや、仮に間違っても指摘することなく、しっかりと聞いてくれれば、とても読みやすくなります。僕が音読が嫌だったのは、どもって読む僕を笑ったり、からかったり、指摘する子がいたからです。

 どもりながら読む子どものそばに寄り添い、静かに耳を傾け、ゆっくりと聞いてくれたら、読むことに抵抗のある子どもも安心して読むことができます。好きな犬のからだのぬくもりを感じながら、読むことが苦手でなくなったり、本の好きな子に育てることができるのではないでしょうか。アメリカの図書館のように、読書介助犬がいなくても、この発想は、当然人間に使えます。親やことばの教室の担当者が、犬の代わりをするのです。

 読み聞かせというと、親や先生など大人が読んで子どもに聞かせることが多いようですが、反対に、子どもが大人に向かって読むというのもあるだろうと思います。音読練習のために子どもに読ませるのとは全く違うものとして、ことばの教室でのメニューのひとつに挙げてもいいのではないかと思いました。親や教師も読むし、子どもも読む。読んでもらうときは、ただしっかりと聞く。

 今、幼児吃音の臨床で、はやり始めた、どもると、言い直しをさせて、流暢性を形成するというリッカムプログラムとは、まったく違うものです。
 読書介助犬(リーディング・エデュケーション・アシスタント・ドッグ)の発想を生かしたいものです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/10/25

ラグビーは究極の遊びだ 平尾誠二さん逝く

 「ミスターラグビー」と言われた、平尾誠二さんが亡くなりました。53歳のあまりにも早すぎる死に、ことばもありません。先代の若乃花の時代の相撲も、長島茂雄現役時代の野球も好きでしたが、今では両方ともまったく興味を失って20年以上になります。唯一、ラグビーだけは大好きで、テレビでも見ますし、球技場にも出かけます。新日鉄釜石の7連覇は今でも忘れられません。同志社大学の大学日本一の3連覇もテレビで見ていました。松尾雄治さんなど往年の名選手の華麗なステップを見てきたひとりです。

 正月の大学ラグビーと1月15日に行われていた日本選手権をいつも楽しみにしていました。平尾誠二さんのファンということではありませんでしたが、その姿はよく覚えています。サッカーよりはるかに人気のあったラグビーでした。

 吃音親子サマーキャンプの卒業生の森田俊哉さんが、早稲田大学のラグビー部に入り、毎年12月の第1日曜日に行われる、早稲田大学と明治大学の早明戦のチケットを買ってくれるようになり、彼が大学を卒業するまで、彼の家族と一緒に早明戦を見に行っていました。オリンピックのために取り壊され、使えなくなる最後の年の国立競技場での早明戦。松任谷由実が来て、「ノーサイド」を歌うなど、盛り上がりました。
 僕は明治大学出身なので、校歌を歌う、学生時代の気分に戻れるうれしい時間でした。今年も、すでにチケットは買ってあり、12月の僕の楽しいイベントなのです。

 1989年、平尾誠二さんの神戸製鋼が初めて日本選手権で初優勝しました。これまでの、まじめに、努力を重ねて7連覇した新日鉄のセオリー通りのラグビーとは違うラグビーで、日本一になった時、「ラグビーは究極の遊びだ」と、平尾さんは言いました。あれほど、大変な、からだとからだが激突する格闘技のようなスポーツを「究極の遊びだ」と言う、そのことばが、とても印象的だったので、当時発行していたニュースレターに、それをもじって巻頭言を書きました。紹介します。僕たちにとって今は、17年続いている、吃音親子サマーキャンプは究極の遊びなのです。


 
セルフヘルプグループの活動は“究極の遊び”だ
伊藤伸二
 “ええかっこしようぜ”
 キャプテン平尾誠二の大きな声と共にグランドに出た神戸製鋼フィフティーンは、楽しそうに走り回り、ラグビー日本一の座についた。
 雪の中のきびしい練習に酎え、“鉄の男たち”の異名をとり、連戦連勝を続けた新日鉄釜石のラグビーとは一味違うラグビーの出現であった。根性よりもしなやかさが強さを発揮する時代のあらわれだとも言えよう。
 神戸製鋼の練習は短く、ユニークだという。その練習について、平尾はインタビューで次のように話す。

 『どうしてもっと練習しないのかと言われるが、これでいいと思う。我々はラガーメンである前に、一人の企業人であり、家庭人なんです。練習を倍にしたら、どれだけ犠牲が出るか分からない。
 ラグビーは“究極の遊び”だと思う。遊びだからこそいろいろ考えて創造できるが、仕事みたいになれば、義務感が先に立って創造力がなくなる。練習はやりたい練習をしているが、やる時は真剣です』     毎日新聞1989.1.28

 セルフヘルプグループの活動が停滞している時のリーダーは苦しい。例会への参加者は少なく、新しいリーダーも育たない。楽しかったはずの活動がおっくうになり、あまり活動していない仲間に批判的になる。それでも「今ここで自分がくじけたら…」と義務感からがんばり続ける。楽しさよりも悲壮感が漂い始めると事態はさらに悪化する。

 セルフヘルプグループに集まる人たちは“遊び人”の集団ではない。しかし、「努力」「忍耐」「まじめ」「世のため人のため」だけでは、一時的な活動はできても、創造的な活動を長年続けることはできない。10年、20年と活動を続けるのは、活動の中に喜び、楽しさを見い出した人々である。

 1965年にセルフヘルプグループを作った当初の活動は、楽しいものであった。誰のためでもない自分自身のためにだけ、力いっぱい活動した。そして、楽しい活動の中から多くの夢が語られ、そのほとんどが実現した。

 第一回吃音問題研究国際大会は、私たちにとってまさに遊びであった。国際大会を開こうと提案された時の重く、長い沈黙が過ぎてからは、もうお祭りであった。
「一人でも二人でも外国からの参加があれば国際大会や」
「赤字が出たら、実行委員のメンバーがボーナスを一回パスすればええんや」

 私たちは楽天的に考えた。しかし、最悪の事態も考えていた。そして最悪の事態になっても、たいしたことでも恐ろしいことでもないと思っていた。失敗するなら堂々と盛大に失敗してやろうとさえ考えた。実際は、『人、この素晴らしいもの』と心の底から思えるほどの多くの人々との出会いがあり、とびっきり楽しい、夢のような5日間があっという間に過ぎた。

 日常の活動でも同じである。例会には大勢が参加すべきである、吃音で悩んできた者は、後に続くどもる人のために活動を活発にすべきであると考えると、そうならない現実を目の前にして苦しむことになる。自分にとってセルフヘルプグループ活動を遊びと考えることができれば参加者の数に一喜一憂することもなくなるだろう。

 『学習が「何々のため」というせっぱつまった目的から「自分のため」に変わった時、知ることは100%楽しい、最高の贅沢になる』 −週刊朝日・生涯学習Vプラン−

 「自分のどもりを治すため」に入ったグループで活動し、活動の意義を見い出し、「後に続くどもる人のために」から「自分自身の成長のために」が加わり、「グループの活動は究極の遊びだ」と感じる人が増えていく時、私たちのグループはさらに素晴らしいグループに成長する。そして、楽しく活動する結果として、後に続くどもる人やどもる子どもの役に立てればなお素晴らしいことである。

 神戸製鋼の平尾は、理想のラグビーはと問われて『見て楽しいラグビーです。そんなラグビーはやっている者も楽しいんです。ラグビーは楽しまないとね』と言う。

『吃音とコミュニケーション』1989.2.23

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/10/24

吃音はコントロールできない


「吃音の当事者研究」の発表にあたり、気になったことをメールでやりとりしました。少し、わかりにくいかもしれませんが、そのまま紹介します。いずれ、明確に文章化していと思います。

 伊藤
 藤岡さんが小学校高学年で「吃音をコントロールする術を身につけた」という記述は、誤解を受けるかも知れません。アメリカ言語病理学は吃音をコントロールできると言っていますが、僕は、吃音はコントロールできないと言い続けてきました。結果としてコントロールできていることはあるのですが、いつでも、どこでも意識的にコントロールすることはできません。

 吃音をコントロールするとは、「ゆっくり、そっと、やわらかく」発音する、バリー・ギターの流暢性形成技法を身につけてどもらないようにすることなのです。
 藤岡さんのしてきたことは、吃音そのもののコントロールではなく、どもらないようにする工夫ではないですか。僕がそうでした。どもりたくない、どもりを周りの人に知られたくないために、できるだけどもらないようにする。どもらないようにする一番は、話さないことで、できるだけ話さなければならない場に出ない、話したいことでも、話さない。話さなければどもらないからです。

 僕は、できるだけ話さないようにしてきました。無口で、非社交的で、消極的でした。どうしても話さなければならない場面では、どもりそうだとからだが感じ取った時は、様々な工夫をしてきました。

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 「持ってきて下さい」の「も」が出ないと感じ取ったら、瞬間に「持参して下さい」と言う。一番古い記憶は、小学校入学前、おつかいを頼まれて、八百屋で「たまご4個下さい」がどうしても出ず、「鶏卵4個」と言い換えました。子どものころからよく本を読んでいたので、「鶏卵」ということばを知っていたのです。八百屋のおばさんにしては、小さな子どもが「鶏卵」と言うわけはないと思ったのか、結局、伝わりませんでした。
 ⊆膰譴判匕譴鯑れ替える。
 日本語は主語を入れなくても伝わる言語です。また、主語と述語を入れ替えても伝わります。「私はあなたが好きです」と言わなくても、「あなたが好きです」でも、「好き。あなたが」でも内容は伝わります。ことばが出ないとき、主語を入れたり省いたり、主語と述語を入れ替えたりしていました。 
 出やすいことばを前に入れ、勢いをつけて、どもりそうな語を一気に言う。
 い海箸个出るまで待って、間を置く

 これらのことを僕は、吃音を否定しなくなった今でも、無意識のうちに使っていると思います。無意識なので、自分でも分からないのですが、おそらくしていると思います。

 吃音を否定し、どもりたくないために、必死でこれらをしている人がいます。以前の藤岡さんは、これをしていたのではないでしょうか。これはつらいです。だから藤岡さんも、表面的にはどもっていなくても、つらくて苦しかったのです。
 固有名詞などは言い換えできません。言い換えできない、主語と述語を入れ替えられない、短い決まったあいさつでは、これらの工夫が使えません。そうすると、話せなくなります。どもりたくないと強く思えば、話せなくなってしまいます。

 藤岡さんや、僕がこれまでしてきたことを、「吃音をコントロールできる」と言ってしまうと、だったら、ずっとコントロールしていればいいということになります。アメリカ言語病理学の言う、吃音はコントロールできると同じだと誤解されてしまいます。僕たちがしてきたことは、どもりを否定し、どもらないように必死になって、ごまかしてきたのです。
 しかし、ごまかすと言ってしまうと、悪いことをしているようで身もふたもないので、工夫、サバイバルと、僕は言っていいと思いますが。
 ちょっとわかりにくいでしょうか。「吃音をコントロール」するとは、吃音そのものをコントロールすることで、どもりそうなことばを「「ゆっくり、そっと、やわらかく」、どもらないで発音することで、どもらなくさせることだとは、わかっていただけるでしょうか。

 ことばの言い換えなどとは、本質的にまったく別物だと理解したいと思います。良い機会なので、このことを明確に、みんなで区別ができればいいですね。文章で分かりにくければ、直接話して説明すれば分かってもらえると僕は思っているのですが。
 発表原稿では、吃音を、隠すことを身につけた小学校高学年、と書いています。さらに、その後、大阪吃音教室との出会いで、「どもるそのままの自分、どもる喜び、気持ちよさ」とされています。

 吃音をコントロールする術ではなく、また、どもらないように話す工夫でもない。「どもらないように話す工夫」と書いてしまうと、それができることになってしまいます。「どもりを隠し、どもる自分から逃げる工夫」が本当のところですが、今現在、前回書いた、違うことばへの言い換え、主語と述語の入れ替えなどは、僕も現在していることで、以前は、吃音を否定し、「どもりを隠し、どもる自分から逃げる工夫」だったものが、吃音を肯定している今は、そのとき身につけた工夫が、サバイバル術として生きていると言えるだろうと思います。
 
 現在、僕たちも使っているので、「どもりを隠し、どもる自分から逃げる工夫」と書くことに僕は躊躇したのですが、藤岡さんの小学生時代のそれは、「どもりを隠し、どもる自分から逃げる工夫」とした方がいいかもしれません。
 くどいようですが、吃音を否定していた時は、「どもりを隠し、どもる自分から逃げる工夫」が、今は、肯定しながらも、そのスキルが、相手にことばを届ける、話しかけるためのスキルとして役立っていると説明できると思います。
 今回の「吃音当事者研究」の7分という少ない時間では説明しきれませんが、今後のこととして、きちんと確認しておけばいいですね。

 藤岡
 「吃音コントロール」については、「スタートライン」の映画を観た後に伊藤さんたちと喫茶店で話し、わかりました。私は「コントロール」ということばを、何も考えずに使っていました。私たちが「サバイバル」と呼んでいる言い換えなどのスキルも「コントロール」と表現していました。「コントロール」はアメリカの言語病理学で「どもらないようにゆっくり言う」に代表される、どもることを徹底的に避けることに使う表現で、それを私が使ってしまうと、聞く人にとっては、その技法とごっちゃになってしまう危険性があるということを理解しました。まだ私の理解は不十分なところがあると思いますが…。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/10/23

どもることができる幸せ 藤岡千恵さんの吃音の当事者研究

 「吃音の当事者研究」の発表者藤岡千恵さんの、スライドと発表原稿をみんなで検討する中で、おもしろい論議がありました。「吃音をコントロールする術を身につけた」の表現に僕は疑問を投げかけました。 今後考えたいテーマなので、やりとりをそのまま、紹介します。
 藤岡さんと最初に出会ったときは、ほとんど彼女が吃音だとはわからないくらい、どもらないで話していました。今は、気持ちよいくらい、どもります。そして、今がとても楽だといいます。
 吃音のコントロールの論議を紹介する前に、藤岡さんの発表を紹介します。


藤岡 千恵の当事者研究

歴史
◇幼少の頃…どもりに出会う
 →両親にどもりを指摘される、言い直しをさせられる。「私のしゃべり方はおかしいの?」
◇小学校入学…劣等感が芽生える
 →国語の音読などで、クラスメイトとの違いを意識する。真似される、笑われる。
◇小学校高学年…コントロールする術を身につける
 母から「どもりが治ってよかったね」
◇19歳…母に初めて打ち明ける
 就職を前にして母に涙ながらに打ち明ける「実はどもりが治っていない。今も悩んでいる。就職したくない」
◇21歳…大阪吃音教室と出会う
 仕事で行き詰まり、意を決して、どもる大人のセルフヘルプグループ「大阪吃音教室」を訪れるが、どもりを受け入れられない自分には「合わない」と去る
◇29歳…再び、大阪吃音教室と出会う
 なんとかごまかしてやってきたが社会の中で生きるうちに「これは治るたぐいのものではない」と確信した。22歳頃から服用を始めた精神薬をやめるためにも「自分の核心部分から目をそらさないで、吃音を向き合いたい」と思い、再び「大阪吃音教室」を訪れる
◇40歳…現在。のびのびと(!?)どもりながら、自分を発揮して生きている。

私にとってのどもり
◆かつては、私もどもりをマイナスととらえ、「どもりを治さなければいけない」と思い、常にコントロールして喋っていた。
少しでもどもりが出そうになると「気づかれたのでは?」と心配。
Q. なぜそこまで心配するのか?
「どもっていたら愛されない」
→両親に言い直しをさせられていた経験から「どもる私は愛されない。どもらなければ親が認めてくれる」
「私のどもりがバレたら、見下される」
クラスメイトに笑われた経験から「どもりは笑われる対象」

◆話すことの多い仕事で行き詰まったことにより大阪吃音教室に出会ったけれど、どもる事実をどうしても受け入れられなかった。
どもる仲間を直視できず、グループを去った。
治る希望を持ち「催眠療法」を受けたくて精神科を受診。薬の服用をはじめる。

◆どもりは私を苦しめる「諸悪の根源」。「この世から消し去りたい存在」「どもりのせいで私は自分の思い描いた人生から少し離れているかもしれない」「どもりさえ治ればいい」
どもりを治す努力をしたわけではないが、感覚で「治らない」と確信。それでも隠せるなら死ぬまで隠し通したい。
精神的なしんどさがいつまでも晴れない。「薬をいつまで飲み続けるんだろう」「薬をやめたい」「それには吃音と向き合うしかない」
「私にとって吃音は手強すぎて、一人では自信がない」「あの人たちと一緒なら向き合えそうな気がする」

◆再び訪れた大阪吃音教室「よく来たね」
そこからは学ぶこと、語ること、経験することのすべてが楽しい。自分に染み入る。
・アサーション・論理療法・交流分析・認知行動療法・森田療法・内観療法・ゲシュタルトセラピー・アドラー心理学・サイコドラマ・当事者研究・ナラティブアプローチ・レジリエンス・仏教・言語病理学の考え方(言語関係図、吃音の氷山説、吃音評価法)・話す聞く書く読むアプローチ・コミュニケーション能力を高める・ことばのレッスン(自分のことばを大切にする、日本語を味わう)
これらを年間を通して学び、仲間と語り、お互いにフィードバックし合う。この循環を続けるうちに(正しい知識を得る、認知の歪みが修正、仲間の経験に刺激を受ける)自分を発揮して生きることの楽しさを全身で味わう。「どもる自分のままでOK」
私の人生の回復に必要だった三つの要素「共同体感覚(他者信頼、他者貢献、自己肯定)」が常に循環。より強化。
家族や友人、知人にどもりを伝えても、誰も何も変わらない「私がどもろうが、どもるまいが、何も関係ない」。
長年かけて自然に身につけていた「どもりのコントロール」を徐々に外していった。
どもるそのままの自分で、表現したいことを、表現したいように、思う存分表現できる身軽さ。

◆吃音親子サマーキャンプ
どもる子ども、どもる子どもに同行する親や専門家などの「どもりを一緒に考える仲間」が増えた。
どもる子どもたちの世界の豊かさ。
年に1回、滋賀の彦根で全国のどもる子どもたちと2泊3日の合宿をしている。(参加者は全員で約140名。今年で27回目の開催となった)どもる子どもたちは小学校1年生の頃から、どもりのこと、自分のこと、友達、恋愛、将来の仕事、結婚など、語り合う。どもりは100人に1人の割合ということから「神さまが僕たちを選んで、どもりをプレゼントしてくれたんだ」と話す。自分を語ることばを持ち、自分の力を発揮して豊かに生きる子どもたち。

「私にとってどもりは、長年自分を苦しめてきた(と思っていた)存在だけど、どもりでなかったらこの仲間たちには出会えなかった。この素晴らしい経験ができなかった。そう思うと、どもりでよかったと心から思う。どもりでなかったら、こんな風に自分のことや生きることについて深く考えただろうか?この経験ができた人生を思うと、どもりに感謝」
「どもり=マイナス」だけではない。むしろ、どもりは豊かに生きるテーマになる。
どもりに悩む子ども、大人に、これからも、どもりの世界のユーモア、豊かさを、発信していきたい。

大阪吃音教室の講座(一例)

どもりと上手につきあうために・吃音基礎知識・自分のどもりの課題を分析する・と゛もりカルタ・吃音川柳・聴き上手になろう・質問上手になろう・ 一分間スヒ゜ーチ・ホ゛イストレーニンク゛(自分の声やことばを磨く、日本語の豊かさを味わう、表現することの楽しさを味わう)・ことは゛文学賞(吃音体験を綴る)・ 電話とのつき合い方・ 職場て゛の吃音について考える・吃音恐怖と予期不安・朗読を楽しむ・狂言に学ふ゛・と゛もって声か゛出ない時の対処法・インタヒ゛ューケ゛ーム・吃音とともに生きた著名人・文学作品に描かれた吃音・エリクソンのライフサイクル論・アサーション・論理療法・交流分析・認知行動療法・森田療法・内観療法・ゲシュタルトセラピー・アドラー心理学・サイコドラマ・当事者研究・ナラティブアプローチ・レジリエンス・仏教・言語病理学の考え方(言語関係図、吃音の氷山説、吃音評価法)

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月20日

「治さない」というキーワード


 僕はこれまで15冊の本を書いてきました。今回、向谷地生良さんとの出会いで、これまでのことが整理され、新たな展望が開けました。僕の本の中でおすすめの本です。ぜひお読みください。


『吃音の当事者研究 どもる人たちが「べてるの家」と出会った』
  金子書房 2013年9月30日   定価2000円+税

  目次

「吃音の当事者研究」に寄せて 斉藤道雄

まえがき−吃音という可能性  向谷地生良

機々岷蕁‥事者研究と私   向谷地生良 

はじめに−「治さない」というキーワード

1 精神医療の世界で起こっていること
 「吃音」の議論の流れは変わる
 福祉の中での対立
 「保護・管理」から「治療」へ
 1970年代、エンパワメントの潮流
 私が直面したテーマとメンバーとの共同生活
 認知行動療法と協同性
 1980年代、薬物療法への傾倒
 「リカバリー」の時代へ

2 浦河で、べてるで、行われていること
 〈非〉援助の援助=助けないという助け方
 当事者研究とは−自分自身でともに
 リハビリテーション現象学
 二百年研究してもわからない
 専門家と当事者の関係の変化
 「証」としての当事者研究
 当事者研究の実際−統合失調症の影響で顔面へのバッティングに苦労した宮西勝子さんの当事者研究
 自由さと自在さがおもしろいところ

3 当事者がもつ力
 精神科医も追い詰められている
 相談するソーシャルワーカー
 ともに無力になる
 そんなに幸せにならないから大丈夫
 効果があるから広まる
 陰の情報は一切伝わってこない
 当事者が語ることの重み
 解消というかたちでの、生きやすさのための手立て
 悩むではなくテーマをもっている

供々峙繊Ρ藹"当事者研究の実際   向谷地生良

1 講義−当事者研究について
 当事者研究の先行研究
 「幻聴さんエデュケーションの研究」−どんなときにどんな幻聴さんがくるか
 「部屋がどんどん狭くなる」
 当事者研究の発想・展開例

2 演習−グループによる当事者研究
 土井香緒里さん当事者研究−「土井式緊張ダイエット法」
 横田洋子さん当事者研究−「人と比べるモード」の研究
 黒崎明志さん当事者研究−「どもれない、どもりの研究」
 グループでの当事者研究の振り返り

3 質問
 当事者研究の誕生
 自分自身でともに
 受容的な傾聴から、対話的な傾聴へ
 場をダイナミックにつくっていく聴き方
 自己と過去の経験に学ぶ

掘‖价漫‥事者研究を吃音に生かす   向谷地生良・伊藤伸二

 はじめに

1 伊藤伸二の当事者研究
 なぜ、吃音に悩み始めたか
 悩みの悪循環
 なぜ治したかったのか
 逃げの人生のはじまり

2 吃音の悩みから解放される道筋
 どもる仲間と出会う
 必死の治す努力の結果、どもりは治らなかった
 なぜ、吃音を治すことをあきらめられたか
 どもりながら社会に出て行く

3 どもる人のセルフヘルプグループ言友会の設立
 「吃音を治す」から、「吃音とつきあう」へ
 当事者研究の芽生え 
 吃音を治す努力の否定の提起
 全国吃音巡回相談会
 どもる青年との出会い
 吃音者宣言から第一回吃音問題研究国際大会

4 対談
 アメリカ言語病理学との違い
 弱さについて
 対等性について

検ゝ媛擦療事者研究−吃音が治る、治せるを、あきらめる生き方 伊藤伸二

 はじめに−今、選択する時

1 世界の吃音治療の現状

 【対談】カナダ・北米の吃音治療の現状について
 統合的アプローチ

2 吃音の定義から始める吃音の取り組みの再構築

 常識に挑戦する
 吃音の常識を変える
 定義
 吃音が治ること、治すことのあきらめのすすめ
 吃音放置のすすめ
 治らないものと考える
 吃音とつきあうためのプログラム

3 映画『英国王のスピーチ』の当事者研究

 あとがき   伊藤伸二

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月17日
 

吃音の夜明けは近いか ? 


斉藤道雄さん、向谷地生良さんの文章を紹介しました。今回は、僕のあとがきです。

 
あとがき

 「伊藤さん、吃音の夜明けは近いですよ」

 向谷地生良さんが対談で何度も言ってくださっているのに、「いやあ、そうは思えませんよ」と、私はそのたびに返しています。いかに悲観的だったかがわかります。それが、こんなに早く、「夜明けは近いかもしれない」と少し思えるとは思いもよりませんでした。

 2013年6月10日から13日まで、第10回どもる人の世界大会がオランダで行われ、私は6年ぶりに世界大会に参加しました。
 本書でも紹介した、カナダの治療機関・アイスターの現状。幼児がどもったときに言い直させるリッカムプログラムの広がり。バリー・ギターの統合的アプローチが日本でも紹介されたことで、効果がないにもかかわらず、「完全には治せなくても、吃音に悩む人に、吃音を軽減してあげることが必要だ」との専門家の声が、日本で広がりそうだったから、世界もその流れが強まつているのではないかと思っていました。しかし、アメリカ、オーストラリアはともかく、参加者の一番多かったヨーロッパのどもる人のグループやどもる人個人の生き方、専門家はちがっていました。

 これまでの世界大会が、言語病理学者の基調講演やワークショップが主体のプログラムであったのに比べ、今回は長年セルフヘルプグループで活動する当事者の声が反映されていました。薬物療法やDAF(聴覚遅延ブイードバック)などを使っての吃音治療の発表が姿を消しました。治っていない現実に向き合い、「吃音治療、軽減、コントロール」から、「吃音とともに豊かに生きる」にシフトしているように、私には思えました。

 7つの基調講演のうちの二つが言語病理学者で、5つがどもる当事者である2人の小説家と3人のセルフヘルプグループのリーダーでした。大会会長の大会宣言や、事務局長が伝える毎日のスケジュールの連絡など、会場にはどもることばがあふれていました。吃音をコントロールすることなく、みんな自然にどもっています。どもる人の世界大会だから、当然のことなのですが、こんな印象をもったのは5回の参加のなかで初めてのことです。かなりどもる人たちが表舞台に出ていたことは、どもりが治らないことを見事に表していました。「見ない、聞かない、言わないでいた、これまでの吃音のあらゆるタブーを打ち破ろう」のオランダ大会のテーマにふさわしいものでした。

 最終日、アメリカの小説家キャサリン・プレストンの「吃音とともに生きる」の基調講演は、圧巻でした。「今日の・・、今日の…、今日の…」と、何度も同じフレーズを繰り返して次のことばを出そうとしても声が出ません。困ったような、それでも笑顔を浮かべて「…が出ない」と、小さな声でつぶやく余裕をみせてことばをつないでいきます。話の内容以上に、彼女のどもる声、悪びれずにどもりながら話す姿に魅了されました。

 会場にあふれる、みんなの見事などもりっぷりを耳にして、教育評論家の芹沢俊介さんが私の著書『新・吃音者宣言』(芳賀書店)を、『週刊エコノミスト』(毎日新聞社、200年2月)で「どもる言語を話す少数者という自覚は実に新鮮である」と紹介してくださったことを思い出しました。1997年、私はこのような文章を書いていたのです。

 「治らないから受け入れるという消極的なものではなく、いつまでも治ることにこだわると損だという戦略的なものでもない。どもらない人に一歩でも近づこうとするのではなく、私たちはどもる言語を話す少数者として、どもりそのものを磨き、どもりの文化を作ってもいいのではないか。どもるという自覚を持ち、自らの文化を持てたとき、どもらない人と対等に向き合い、つながっていけるのではないか」(『新・吃音者宣言』176頁)

 私はこれまで3回、世界大会で基調講演をしていますが、今回の「吃音否定から吃音肯定への語りナラティヴ・アプローチの提案」が一番関心をもたれました。2007年、タイム誌で「世界にもっとも影響を与える100人」に選ばれ、日本語でも翻訳されている、アイルランドの世界的な作家、デヴィツド・ミッチェルさんが、大会プログラムに掲載されている私の基調講演の要約を読み、とても共感したと話しかけてくださいました。吃音に対する考えが共通し、楽しい対話となりました。100分があっという間に過ぎたなかで、次の話が強い印象として残りました。

 「これ以上吃音との戦いを続けていたら自分が壊れると絶望しました。そして、吃音との内戦をやめたとき、そこには豊かな世界が広がっていました。子どもの頃から吃音に悩み、どもることばを言い換えて生き延びてきたことが、語彙を豊かにし、小説家としての私の能力を育ててくれたと思います。今では、吃音に感謝しています。悩んでいたときなら飲んだかもしれませんが、今は、どもりを治す薬があっても決して飲みません」

 また、アメリカの著名な言語病理学者、ディヴィツド・シャピロ博士も私の講演に熱心に耳を傾け、吃音親子サマーキャンプに強い関心を示してくださいました。第1回の世界大会を開いた私に、特別プログラムの臨床家のための一日講義のためにもってきていた、567頁の大著『StutteringIntervention(吃音への介入)2版』をプレゼントしてくださいました。「深い敬意と心からの感謝を込めて。あなたの長年の吃音への献身的な取り組みと、かけがえのない友情に感謝」とサインがありました。「吃音の考え方はちがっても、どもる人の幸せを願うことは共通だから、互いのいい面をすりあわせ、一緒に取り組もう」と、いろんな提案をしてくださいました。吃音の経験者ならではの誠実な専門家でした。
 
 たくさんの人にインタビユーしましたが、ヨーロッパの人々の多くは、ヴァン・ライパーの技法などの吃音治療を受けていました。しかし、言語訓練をしても治らず、自分が変われたのはセルフヘルプグループのおかげだと言います。治らないことを認めて、どもりながら豊かに、誇りをもって生きていました。私たちのように、「吃音は生き方の問題だ」とは言い切ってはいないものの、少なくとも「吃音の軽減や流暢性」にはこだわっていません。私が見て、聞いた範囲ですが、第10回世界大会に参加して、「夜明けは近いかもしれない」と少し思えたのでした。

 今回の出版は、向谷地生良さんが、吃音ショートコースの2日目の当事者研究の演習の後、「伊藤さん、これ、おもしろいよ。出版しましょうよ」と言ってくださったことが実現したものです。3日間の日程で長い時間、夜遅くまで私たちにつきあってくださったことが、かたちになりました。向谷地さんと出会うきっかけをつくってくださり、この本の序文を書いてくださった、斉藤道雄さんの、「この人は、自分のことばを話している」は、私にとって一番うれしいことばです。私を励まし続けてくださるお二人にあらためて心から感謝します。

 向谷地さんに出会うきっかけは、1986年の第1回世界大会にさかのぼります。世界の人々が出会う最初が大事だと、「出会いの広場」を担当してくださったのが九州大学(当時)の村山正治さん。村山さんの九州でのベーシック・エンカウンターグループで初めてファシリテーターをさせていただいたときに私と組んでくださったのが、九州大学の高松里さん。セルフヘルプグループを研究していた高松さんから紹介されたのが、大阪セルフヘルプ支援センター。そのメンバーで読売新聞記者の森川明義さんは、私のセルフヘルプグループで生きた半生を7回シリーズで写真付きの大きな記事にしてくださいました。森川さんに紹介されたのが、人と人とが出会うお寺として有名な慮典院の住職・秋田光彦さん。鷹典院の小さなニュースレターで私のインタビュー記事を目にして、東京から私に会いにきてくださったのが当時TBSディレクターの斉藤道雄さん。斉藤さんの浦河の別荘でお会いしたのが向谷地さん。こうして人と人とがつながっていくのだと、不思議な縁を思います。

 この本の出版にあたり、私のような吃音に対するきわめて異端な考えをもつ人間を、あなたは間違っていないと支持してくださっている多くの人に感謝の意を表します。
 まず、吃音ショートコースに講師としてきてくださった、いろいろな領域の第一人者の方々です。どれだけ多くの勇気をいただいたかしれません。あらためて感謝いたします。

 今回、吃音ショートコースの記録の4冊目の出版となりました。これまでの出版は、一度は年報として編集され、書き起こされた原稿があるものでしたが、今回は何の原稿もできていない時点で、金子書房編集部が出版を決断してくださいました。これは、たいへんありがたいことでした。ワークショップの記録という難しい編集を、今回も渡部淳子さんが担当してくださいました。ていねいな編集に感謝します。

 私が活動を続けられるのは、多くの支えがあるからです。どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人・大阪スタタリングプロジェクトの東野晃之会長がリーダーを務める、大阪吃音教室で毎週議論し合う仲間たち。また、臨床家のための講習会や、吃音ワークブックなどを一緒に作る、吃音を生きる子どもに同行する教師の会の、ことばの教室の教師を中心とした教員の仲間たち。

 英語ができない私の耳となり口となり、過去五回の世界大会に同行し、通訳、翻訳をしてくださっている親友の進士和恵さん。彼女の存在なくして、私の海外での活動はありえません。「井の中の蛙」ならぬ、「日本の小さな世界にこもるどもる人」にならずにすみました。そのほか、数え切れないほどの多くの人との出会いが私を支えてくれています。あらためて、みなさんに感謝します。

 1965年から始まった私の吃音一色の人生で出会った、数千人以上のどもる子どもやその保護者、どもる人、吃音にかかわる臨床家。たくさんの人との出会いで、たくさんのことを学ばせていただきました。そのなかで、私の「異端力」は磨かれていきました。最高に幸せな吃音人生です。これまでおつきあいくださってきたすべてのみなさんに感謝いたします。
 最後に、すぐに弱音を吐き、失敗ばかりのドジな私を支え、常に活動をともにしてくれる、パートナーの溝口稚佳子に感謝の気持ちを伝えます。
 この本が、「吃音の夜明け」がくるきっかけになれば、望外の喜びです。
 2013年7月7日伊藤伸二

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月16日

向谷地生良さんの、『吃音の当事者研究』へのまえがき


 「吃音の当事者研究」に寄せて書いて下さった、斉藤道雄さんの文章。僕たちにとって、とてもありがたい応援のメッセージでした。まえがきで書いて下さった、向谷地生良さんの文章も、大きな応援となりました。吃音ショートコースの3日間「伊藤さんたちの夜明けは近い」と何度もいって下さいました。そのとき、そう思えたのですが、発達障害支援法などの出現で、また夜明けは遠くなった気がします。

 
まえがき  吃音という可能性

 私が「吃音」の世界に足を踏み入れるきっかけは、斉藤道雄さんが北海道浦河町内にもつ「別荘」にお邪魔した際に、一緒に来町されていた伊藤伸二さんを紹介されたことでした。「べてるの"非"援助の考え方の中に、私がこの分野で長年主張してきたことが、そのままあるんですよ!」と「治さないこと」の大切さについて語られる伊藤さんの熱い思いに耳を傾けながら、吃音をめぐる議論が、統合失調症のそれとあまりにも似ていることに、驚きを禁じ得ませんでした。それは、脳科学や遺伝子レベルの研究をはじめ、養育環境やストレスとの関連から、その原因を探ろうとするところまで、ほとんど統合失調症に対するアプローチの歴史と重なるものがあります。

 そして、私は、お会いした瞬間、失礼ながら伊藤さんに独特の「匂い」を感じていました。実はこの手の匂いをもつ人は、敵が多いし、往々にして「嫌われる」ことが多いものです。本や映画にもなった『奇跡のリンゴ』(幻冬舎文庫)で知られる青森県弘前市のりんご農家、木村秋則さん(世界ではじめてりんごの無農薬、無肥料栽培に成功)にも、同じ匂いを感じたことがあります。木村さんも、無肥料、無農薬という究極の「非」援助な農業に挑戦するなかで、病気や害虫の蔓延を心配する地元から村八分にされるという経験をもっています。その木村さんに、そのような困難を生き抜く「極意」をうかがったことがあります。すると木村さんは、ニコニコしながら「向谷地さん、それは"狂う"ことと、"嫌われること"だよ」といいました。そういえば、「よそ者・ばか者・若者」が地域を変えるキーワードだと聞いたことがあります。「非」援助を志ざそうとする人には、そのような固有の"ばか"を貫く趣があるのです。

 そんな出会いの後にお誘いをいただいたのが、このたびの出版のきっかけとなった滋賀県のアクティプラザ琵琶で開催された「第17回吃音ショートコース」(2011年10月)への参加でした。
 
 「吃音の当事者研究」というまったくの未経験の分野に、ほとんど準備もなく、出たとこ勝負のように参加した私は、吃音の世界のかかえるテーマの奥深さにひとり興奮していました。それは、吃音の世界は、生きる"研究素材"の宝庫であり、ともすれば「治したい」「治りたい」という括りでとらえられがちな「吃音」のテーマが、一方では「どもりたい」「どもれて安心した」という当事者の見えざる思いを内包していることを知ったからです。同様に、統合失調症をもった人たちの中にも、「向谷地さん、大変だ!病気が治ったかもしれない」と〃治ること"への危機感を訴える人たちもいます。このことは、吃音が、単なる「どもらなくなる」ことを越えたテーマ性をもっていることを示唆します。

 今回の「吃音の当事者研究」は、吃音という現実を単なる克服すべき問題や病理としてとらえるのではなく、吃音という"難題"がもつ可能性に着目し、それを生きている人たちのしたたかな知恵とたくましさに学ぼうと企画されたものです。そして、私は、この当事者研究のアプローチが、(統合失調症の領域がそうであったように)吃音をめぐるさまざまな議論、時には対立的にとらえられている見解を融和させ、この新しい風は、吃音の世界の「夜明け」をもたらす大切な一里塚になると確信しています。

          2013年6月5日  向谷地生良


 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月16日

斉藤道雄さんからのメッセージ


当事者研究全国交流会で、僕たちの仲間が発表し、その中で紹介した向谷地生良さんと僕との共著『吃音の当事者研究-どもる人がべてるの家と出会った』 (金子書房)に関心をもって下さった人がいましたので、この本について紹介します。最初に、べてるの家との出会いを作って下さった、元TBSディレクターの斉藤道雄さんの、この本に寄せて下さった文章を紹介します。


「吃音の当事者研究」に寄せて
斉藤道雄(さいとうみちお・ジャーナリスト)

 「治るかどうかではない、どう生きるかが問題なのだ」
 この言い方には、深いなじみがある。
 伊藤伸二さんにはじめて会ったとき、ああ、この人はぼくの出会った多くの人たちとおなじことばをしゃべっていると思った。
 吃音は治らない、治さない、仲よくしていまを生きる。

 この「吃音」を「精神病」と言い換えれば、それはそのまま北海道浦河町の精神障害者グループ、べてるの家の人びとの言い方になる。吃音と精神病はまったくちがうものだといわれそうだが、どちらも、治らない、治しても再発をくり返すし、多くの人は一生をそれとともに生きていかなければならない、ということでは共通している。治らない、治しがたいにもかかわらず、人は「治すこと」にとらわれ、そこから抜け出すためには自分自身を拠り所とする知恵と仲間の存在が欠かせない、そういった点でも、吃音と精神病はおどろくほど似かよっている。

 考え方、価値観がおなじ地平にある吃音の伊藤さんとべてるの家の人びとは、言語までもが共通している。治すのではない、自分自身を生きるのだという言い方、来るかどうかわからない明日のしあわせより、今日の、今のしあわせをたいせつにするということ。どんなに離れていても、いっぺんも出会ったことがなくてもおなじことばがぼくらはどこかでつながっているという安心感、既視感をもたらしてくれる。

 その一方で、ぼくは大多数の人びとがしゃべる別のことばも知っている。
 治そう、治さなければいけない、治そうとしないのは敗北だ。そう語る人びとは、あなたはそのままでいてはいけない、変わらなければいけないという。しかもそれはどうやら無条件に、みんなとおなじになること、多数派とおなじ人間になって多数派とおなじ人生を歩むことを前提としている。

 彼らは、みんなとおなじになうるというだけではない。いまよりさらに大きく、強くなろう、病気や障害だけでなく自分の弱さや迷いを克服し、さらなる高みをめざそうという。それがあなたのあるべき姿なのだと。そうした別のことばは、ぼくらが生まれてからこのかたずっと変わることなく学校で、会社で、社会で、テレビや新聞で、あらゆるすき間を埋めてぼくらに投げかけられてきた。治そうということばを聞いているとき、ぼくらはこの社会のまぎれもない多数派だった。
 治さないという少数派のことばと、治すべきだという多数派のことばは、まったくちがう別のことばなのだと思う。
 そのちがいは、自分のことばと他人のことばのちがいからきている。

 伊藤伸二さんと彼の仲間は、自分のことばをしゃべっている。吃音を治すべきだという多数派の人びとは、他人のことばをしゃべっている。ぼくにはそう思えてならない。
 自分のことばは、自分の抱えた苦労や困難を真剣に悩んだ人びとが、その悩みのなかで自分自身が感じ考えたことを、自分のことばで語ろうとする。けれど他人のことばをしゃべる人びとは、自分の困難について自分で考えることをやめ、人に説明してもらい、人に語ってもらう。あるいは人がしゃべったこと、とくに権威や専門家といわれる人びとのことばをそのままわがものとしてしゃべっている。自分のことをいっているようでも、また自分のことばだと思っていても、それはほとんどいつも他人のことばの受け売りだ。ときには権威や専門家といわれる人びとですら、そのいっていることは他人の受け売りにすぎない。

 もちろん、自分のことばと他人のことばは画然と分けられるものでない。ぼくらはいつだって他人に影響され、他人との会話のなかで自分の考えをまとめているし、まったく自分ひとりでことばを見いだす人なんていない。どんなに受け売りの上手な人でも、いくばくかの独自性はあるだろう。けれど二つのことば、自分のことばと他人のことばのちがいは、本人がほんとうに悩んだか、ただ迷っただけかのちがいからはじまっている。

 吃音であれ精神病であれ、治すか治さないか、あるいは治せない自分はそんな自分の人生をどう生きるかは、自分で考え、最後まで自分で考えなければならないこととしてある。周囲がなにをいっても、どんなことをいわれても、また専門家がどう説明してくれても、それが自分自身の問題として投げかけられている以上、自分ひとりで引き受けなければならない。少なくともべてるの家の人びとは、三十年に及ぶ当事者活動で無数の失敗を重ねながら、そのことをくり返し学んできた。アルコール依存や統合失調症をはじめとする精神病は、自分自身のことばで語りださないかぎり出口を見いだせない。それは彼らが命がけで見いだした、病気を生きる手段であり、知恵であり、ついには目的でもあった。

 自分のことばで、自分自身を語るということ。それがどれほどたいせつなことかを、そしてときにはそれこそが生きることの意味なのだということを、べてるの家の人びとはいつでも語ってくれるだろう。それは決してひとりではできない作業だということも。そのために仲間がいて、仲間とともに進める当事者研究というしくみがあるのだということも。
 自分のことを、自分のことばで語る。それがはじまったときに、当事者研究ははじまっている。だとするなら、伊藤さんたちの当事者研究はべてるの家と出会うずっと前からはじまっていた。伊藤さんがべてるの家の向谷地生良さんと出会うことで、二つの当事者研究が交差し、それぞれの当事者の悩みはさらに深められることになった。吃音者が、精神病者が、自分の苦労と悩みを自分のことばで語り継ぐとき、ぼくはそのことばを彼らの名前とともに記録しつづける。それこそがぼくにとって理解可能なことばであり、伝えるべき価値をもつことばだからだ。



斉藤道雄さんの紹介
 ジャーナリスト。TBSテレビ報道局の記者、ディレクター、プロデューサー、解説者として報道番組の取材、ドキュメンタリー番組の制作に従事。先端医療、生命倫理、マイノリティ、精神障害、ろう教育などをテーマとしてきた。2008年から5年間明晴学園の校長、現在は理事長を務める。著書に『悩む力 べてるの家の人びと』『治りませんように べてるの家のいま』『手話を生きる』(みすず書房)など。

2016/10/15 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

当事者研究全国交流集会 映像で見ることができます。


 13回当事者研究全国交流集会に参加した二人から報告がきました。映像でみることができると知らせてくれました。興味のある方、見てみてください。

 
藤岡です。発表について報告します。

 いつもの調子でどもり時間が足りなくなって話ししながら色々カットしましたが「これだけは伝えたい」ということは伝えられたのでよかったです。2番目の発表だったので、早くに発表が終わり、あとは心おきなく他の人の発表を楽しめました。
 私の発表でのフロアからの質疑応答で、質問してくださった植山さんとは吃音ショートコースでお会いしていたのに、お顔も名前も覚えていなかったので、質問の最初にドキッとしましたが、次の瞬間、伊藤さんと交流があったことを思い出し、ちょっと安心しました。その後、ポスター展示のホールで植山さんとバッタリ会った時に「今日来てみたら吃音の発表があると知ってびっくりしました。思いがけず発表が聞けてうれしかったです」と言ってくださいました。
 昨日の私の発表を聞いて、たくさんの人が声をかけてくれました。中でも、医学書院の白石さんが興味を持って声をかけてくださったこと、どもりで悩んでいる山口の男性、患者さんがどもりで彼にどう接していいか悩んでいるという精神科医の二人とは時間を少し長い時間話しました。

 伊藤さんの吃音者宣言を読んで感銘を受け他の方にも勧めている。視覚障害の方の本を作っていて「ことばの言い換えをしている時の時間の流れ」に興味を持っているというお話でした。
 精神科医は「彼は、工場勤務でどもるからいろんな工場関係の資格を取って頑張ろうとしているが、電話で数字や名前が言えずに上司に怒られて悩んでおり、せっかく資格もあるのにライン作業で働こうとしていてもったいない。彼がしている言い換えは、私は工夫だと思って応援しているけど、彼にとってはそういう言葉もつらいようで、何と言えばいいのかわからない。症状か、気持ちか、どこからアプローチしたらいいか…」という話でした。
 言葉の言い換えも教室ではサバイバルスキルの一つ、治らない事実を認めること、ことばの教室の教師や言語聴覚士も同じように吃音の子どもや大人と出会って対応がわからず私たちとつながって一緒に活動していることなど伝えました。どもりに悩んでいるという、山口の彼が「その彼にYouTubeの映像を見せたら?」と言ってくれ、映像があるって何て便利なんだ!と思いました。精神科医の方は私たちのホームページもよく見てくれていたようです。

 昨日の発表で「昔は吃音を否定してどもれなかったけど、今はどもりとともに楽しく生きている」というキーワードがよかったようです。「どもらないように隠すって具体的にどういうこと?」という質問もいくつかありました。
 映像と「吃音の当事者研究−どもる人たちが「べてる」と出会った」(金子書房)の本の紹介ができたこともよかったです。昨日は、「吃音の当事者研究」の本は会場での販売がなかったのに、私が「販売してます」と言ってしまったので、後から「買いたいんですが、どなたに言えばいいですか?」と聞いてくださった人がいました。
 パワーポイントのスライドと私が資料に入れた紹介だけより、伊藤さんが金曜日に持ってきてくださった紹介ページを資料に入れることができたのは、すごくよかったと思います。昨日の大会の映像が見られるようです。
https://www.facebook.com/cocoronotobiranet/
 

 西田です。
 10月9日日曜日、阪大構内の大阪大学会館で開催された「第13回当事者研究全国交流大会」に、藤岡さん、東野さん、坂本さん、阪大生の佐々木大輔さんと若井さん、西田の6人で参加して来ました。大阪吃音教室は、口頭発表とポスター発表で参加したのですが、どちらも藤岡さんの力作で、井上詠治さんの強力な協力の賜物でもあります。

この大会の様子は、下記のフェイスブックで映像が公開されています。
(フェイスブックのアカウントを持っていなくても視聴できます。)

・Facebook「こころのとびら.」公式ページ
https://www.facebook.com/cocoronotobiranet/

・同上「第13回 当事者研究全国交流集会」映像ページ
https://www.facebook.com/cocoronotobiranet/videos/827499960724199/

・「オープニング」
※1時間以上と、ものすごく長いです。途中から向谷地生良さんが登場し、べてる流SSTのライブが行われます。そういうことに関心の高い人には、お奨めデス。

・「発表(午前の部)」
※藤岡千恵さんの発表「吃音の当事者研究」は、午前の部の2番目、06:30付近から24:00付近です。
※同4番目の中村創(なかむら はじめ)さんという男性精神科看護師の発表「詰所アレルギーの研究」は、なかなか面白いものでした。支援職に就いている人の多いOSPMLメンバーの参考になるかと。38:30付近から58:00付近です。

・「トークイベント」
※昼休みに設けられた座談会。向谷地生良さんと医学書院の白石正明さんの対談を、阪大人間科学研究科教授の村上靖彦さんが進行。約40分。

・「エンディング」
※これも1時間。べてるファンには面白い。

メイン会場となった大阪大学会館講堂は、長時間座っていても足や腰が痛くなりにくい、設備も雰囲気もなかなか良い会場でした。その階下の「アセンブリーホール」という名の小ホールに各団体のポスター発表が約20貼り出されていたのですが、「吃音の当事者研究」は入口近くの結構いい場所を占めていました。多分、運営側の配慮によるものだと思います。
このホールはイベントのサブ会場も兼ねていて、昼休みにはおなじみ「当事者研究すごろく」など、いくつかの小イベントが行われていました。

岡山言友会の植山文雄さんが来場されていて、藤岡さんの発表後の質疑応答で、発表の補足を促すような質問をして下さいました。
参加者には向谷地さんの息子さんの宣明(のりあき)さん、應典院の秋田光軌(こうき)さん、釈徹宗さんらの姿もありました。

定員の450人は満席となったと聞いています。
大勢の人と居るのが苦手という参加者の多そうなイベントだけに、「ねころび&ひきこもり部屋」も用意されていました。
懇親会が終わったのは夜8時。
朝10時開始ですから、実に長丁場のイベントでした。
8時半に会場入りした藤岡さんと坂本さん、実にお疲れ様でした。


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016年10月14日
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