伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2016年05月

どもり(吃音)は遺伝するか

  吃音を生きるために、知っておきたい基礎知識 2
 前回に続いて、大阪吃音教室での僕の担当の講座です。

出された質問
1.吃音と進化論 
2.吃音は遺伝するのか
3.幸せに生きるには 
4.相手によって喋りやすかったり喋りにくかったりするのはなぜか
5.なぜどもらない人は、どもる人を笑うのか
6.どもりは治るのか
7.男女比のなぞ
8.「環境調整」とは何ですか?
9.吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違いとは 

2.「遺伝」

 先週の映画「The Way We Talk」で、学者が「吃音の8割が遺伝」だと言っていました。その説を前提にした場合、残りの2割、つまり後天的に発症する人は、どういう理由で発症するのですか?

【伊藤】
 あれは、真っ赤な嘘です。ああいうことを言うこと自体、吃音の研究者のレベルがあまりにも低く、アメリカにおいても、いい研究者が育っていない証明だと思います。

 遺伝に関しても、脳に関しても、たくさんの説がありますが、今もほとんどわかっていません。それなのに「8割が遺伝」だと言い切る学者がいること自体信じられないですね。おそらく映画に出てきた、マイケルの家族のように、家族の中にどもる人がたくさんいる家族のことを調べた結果をもとにしているのでしょう。

 吃音が人口の1パーセントとしたら、日本では100万人ほどいることになります。その数も信用できなくて、いいかげんだと思いますが、100万人の中のかなりの割合を調べなければ、こんなことはいえません。病院や、吃音研究所にくる人は、どもる人の中でごくごくわずかです。塵のような数です。

 吃音に対していろんなパーセンテージが挙げられて、それをエビデンスだと紹介する吃音研究者がいますが、それらは、ほとんど勝手な推測で言っているに過ぎないと言っていいと思います。パーセンテージを挙げるためには、多くのどもる人のデータが必要です。しかし、吃音には目立つどもりと目立たないどもりがいます。それらの人を全て研究するということはありえない。どもりを隠している人を含めて、どもりを統計的に調べるなんてことは不可能です。

 僕のような糖尿病の患者は病院に行かなくてはいけないので、データはある程度蓄積されます。それでも、糖尿病と思われる人でも、病院に行っていない、治療を受けていない人はとても多いのです。

 アメリカの吃音研究が出しているパーセンテージは、大学や吃音治療所に来た人の数だけで出しているのです。どもる人の4割が社会不安障害があると、よく売れている吃音の本に書いてありますが、これもとんでもないことです。吃音に深く悩んでいるから、言語病理学のある大学や、吃音治療、研究機関に行くのであって、ある意味、精神的にしんどい思いを抱えている人でしょう。その人をベースにして4割だと言っているに過ぎない。吃音にこまることはあっても、なんとかサバイバルして生きている人がほとんどで、その人たちは相談にも行かない。 アメリカでも日本でも、ほとんどのどもる人が治療所や研究所を訪れないのです。当然その人たちの数字は全くカウントされません。ごく一部の悩みの深い人が治療所に訪れ、その人たちのデータん゜蓄積されていくのです。

 ここでみなさんに質問します。僕の父親はどもりですが、みなさんの中で、家族にどもる人がいるという人、手を挙げてください。(30人中、手を挙げたのは5人程度)

 この程度です。僕が講演会や研修会などて聞いても、この程度か、これよりももっと少ないです。となると、映画ではどのような意味で言っているか分かりませんが、「吃音の8割は遺伝」という表現は、単純にその文言だけを聞くと、びっくりしますよね。そんなことはありえないです。遺伝をどのように考えての8割なのか、もっと慎重に発言すべきです。

 いかに吃音の研究者たちがいい加減な研究をして人を惑わしているか。吃音に関してパーセンテージや数値を挙げる人は、ほとんど眉唾ものだと考えていいと思います。

 吃音は原因も分からず、なぜ独り言はあまりどもらないのか。歌ではどもらないのかなどの、単純なメカニズムも。憶測でいうことはできても、科学的に説明できる人はいません。独り言でどもる人もいますし、ぼくなんか夢で、寝言でもどもっているらしいですし、歌でどもらない人が圧倒的に多いですが、歌でどもる人を大人ひとり、子どもひとりに僕は会いました。遺伝子研究、脳の画像診断の技術で、分かった風なことを言う研究者はいますが、いいかげんなものです。数字にはほとんど意味がないと考えた方がいいです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/19

吃音と進化論


 大阪吃音教室2016年4月15日(金)、どもりって何だろう(吃音基礎知識)を僕が担当しました。その講座がおもしろかったと大阪スタタリングプロジェクトの機関紙「新生」に掲載するために。テープ起こしがされてまとまったものになりました。紙面の都合で全文は掲載できないので、このブログで紹介します。テープ起こしをし、編集して下さった仲間の藤岡 千恵さんに感謝します。9つ質問があったのですが、まず一つ目です。

 どもる僕たちがよりよく生きていくために
 報告藤岡千恵  

 僕は21歳まで深刻にどもりに悩んでいました。深刻に悩んでいたけれども、真剣に吃音に向き合っていなかった。吃音に対する知識も全くなかった。だから僕はあれだけ悩んでいたんだと考えます。そして21歳からの僕はどもりの知識や、情報、知恵を学ぶ歴史であったように思います。その過程からすると「吃音に関して、どんなことを知っていたら、苦しんでいる人間が方向転換ができて、新たな道を歩み始めることができるのか」。そういう観点からどもりの知識を整理したいと思います。

  僕が一方的に話しても意味もないので、みなさんから質問を出してほしいです。今回は「どもる僕たちが、より良く生きていくためにはどんな情報を押さえておけばいいのか」ということをまずはグループで話し合ってみてください。
     (3つのグループに分かれて話し合う。グループで出た質問を出す)


 どもる僕たちがより良く生きていくために、どんな情報を知りたいか

3つのグループに分かれて話し合い、グループの代表者が伊藤さんに質問しました。

伊藤さんに出された質問

1.吃音と進化論 
2.吃音は遺伝するのか
3.幸せに生きるには 
4.相手によって喋りやすかったり喋りにくかったりするのはなぜか
5.なぜどもらない人は、どもる人を笑うのか
6.どもりは治るのか
7.男女比のなぞ
8.「環境調整」とは何ですか?
9.吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違いとは 

質問1 吃音と進化論
 人類の歴史の中で「進化論」がありますが、「進化の過程において不利な要素を持っているものがどんどん淘汰されてきた」の考え方をした時に、吃音という、一見デメリットが多そうなものが今もなお生き残っている意味とは何でしょうか?

【伊藤】人間が社会生活を営むようになり、コミュニケーションを必要とするようになった時点から、すでに吃音が始まっています。現在残っている一番古い有名な記録でいうと、紀元前300年代の政治家デモステネスです。デモステネスは神経質で体も弱い、そしてどもりだったのですが、それらを何とか克服します。どもりについては小石を口に含んで発声練習をする。荒波に向かって、波の音に負けない大きな声を出す訓練をします。その結果かどうかは疑問ですが、大雄弁家になった。どもる人がデモステネスのように雄弁家になりたいとの強い思いを、「デモステネスコンプレックス」と言います。

 その時代からすでに吃音の悩みがあり、そして現在まで途切れることなく続いている。どこの国でも人口の1パーセント程度存在し、男性、女性の割合も男性が5倍以上と、その比率はどこの国でも同じです、男尊女卑の国であっても、男女が対等な国であっても、アフリカでもスエーデンでもアメリカでも同じです。進化論的に考えれば、「人類が生きていくのに1パーセント程度はどもる人間がいた方がいいのではないか」と考えることもできますね。

 機関銃のように勢いよく喋る人間やおしゃべりの人ばかりだとやかましくてしょうがないと思います。オドオドしながら、慎重に言葉を選びながら、喋る人間がいてもいい。寡黙な、無口な人も良い。先週この大阪吃音教室でみんなと一緒に観たドキュメンタリー映画「The Way We Talk」の中で、監督であり主人公でもあるマイケルの親友が「マイケルは言葉を選んで大切なことだけを喋っている。他の人とはちょっと違う。マイケルのそういう喋り方が好きなんだ」と言っていましたね。僕も自分自身が話す場面になればおしゃべりですが、口数の少ない、静かな人が好きです。寡黙の人といわれた俳優の高倉健がすきなのも、そのせいかもしれません。逡巡しながら、戸惑いながら、恥ずかしいと思いながら、それでも、ことばに詰まりながら喋る人間が、人間社会には必要なんじゃないか。僕は、そういう風に考えてもいいと思います。

 今は「何でもスピーディーに」「効率的に」が優先される社会です。その中で「社会には、こういうひと握りの人間が必要なんだよ」という警告のような気がします。自分たちをそういう存在であると位置づけたら、豊かに生きていられそうな気がします。

 僕は昔、「どもり方を磨く」という表現を使っていました。そのタイトルの文章も書きました。どもりを治す、改善するのではなくて、どもりながら喋るなかで、どもり方のバージョンを豊かに持ち、自分のどもり方のスタイルを作っていく。そうすれば、すごく爽やかなどもりになるんじゃないかと思います。難発(ブロック)の状態を「間」として、話すと、映画「英国王のスピーチ」のラストでの開戦のスピーチのように、厳粛な、人に訴えるスピーチになります。開戦のスピーチは、ジョージ6世がどもらないように、ゆっくりと話そうとしたことが、ブロックになっても、それが絶妙の「間」になって国民に戦争という大変な負担を掛けることに、申し訳ない思いと、それでもそれを選択しなければならない苦渋の思いを伝える、素晴らしいスピーチになりました。ジョージ6世はただ必死に話しただけですが。連発(繰り返し)の場合も磨けば、明るさ、軽快さ、人柄の良さの表現になります。

 「スタタリング・ナウ」3月号の一面にも書きましたが、映画でマイケルがどもっている、連発の”どもり音(おん)”が、僕にとっては、とても心地よいバッググラウンドミュージックのように聞こえてきました。

 どもりを否定的に考えていたら、人がどもっている”どもり音”なんて聞きたくない。だけど、どもりを認めてしまって、それもひとつの喋り方だと思ったらどうでしょうか。ゆっくりしたしゃべり方、早口もあり、訥々した喋り方もある。どもりも、いろんな喋り方があるうちのひとつの”喋り方”と考えたら、連発をしているマイケルの喋り方も心地よく響きます。

 進化論から考えても、どもりはこの人間世界から無くならないと思うし、無くしてはいけないと思います。どもりに今現在すごく悩んでいる人には申し訳ないですが、「どもり保存会」を作ってもいいと思うくらいです。ここにいる僕も、皆さんも、悩んでいた時には、今の僕の発言は不謹慎だし、とても受け入れがたいときこえるでしょう。しかし、ここにいる皆さんには、共感できることもあるのではないでしょうか。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/18

名古屋で吃音相談会 開きます。

001


 吃音が発達障害者支援法の対象に入ったことが、最近、一般にも知られるようになり、どもる子どもの保護者、どもる子どもを支援することばの教室の教師や、言語聴覚士が吃音にどう向き合うか、自分の姿勢を明確にしておく必要が、これまで以上に必要になりました。

   峙媛擦鮗し、改善しないといけない」の立場に立つ
 ◆ 峙媛擦魏善しようとして効果がなかったら、発達障害者支援法を活用する
  吃音は人を悩ませるものと認識しながらも、吃音に向き合えば、子どもの将来は暗くないと考える

 どのような立場に立つことが、どもる子どもの幸せにつながるか。
 伊藤伸二の小学校2年生からの苦悩の人生、21歳で吃音に真剣に向き合ってからの、幸せで豊かな人生を検討しながら、参加者と共に考えます。

 名古屋の近くにお住まいの方のご参加をお待ちしています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/18

吃音親子サマーキャンプの場の力

児童心理6月号表紙 001


  教育・心理の専門書を出版している金子書房が発行する「児童心理」3月号の特集は、『「つらさ」を抱える子どもたち』でした。その中に、「つらかった私の子ども時代」があり、僕も学童期の吃音の悩みを書きました。

 今から思い出しても、本当につらい子ども時代でした。どうしてあんなにどもりに悩んだのだろう。どうして、あんなに孤独で、ひとりぼっちで生きてきたのだろう。ずっと考えてきました。それを文書にしたのでした。

 その3月号の編集担当の方から、今度は4回の連載で、「学校外の子どもの今」のシリーズへの依頼がありました。
 そこで、「吃音親子サマーキャンプの場の力」をメインテーマに書くことにしました。6月号の第1回は「悩んできた大人だからできること」として、吃音親子サマーキャンプをなぜ27年前に開催することにしたのかのいきさつなどを書きました。書き始めてみると、このキャンプで僕たちがたくさんの子どもたちと出会い、たくさんのスタッフに恵まれ、本当に素晴らしい世界をみんなでつくりあげてきたのだということが、よく理解できました。

 それをこの機会に多くの人に読んでもらえること、とてもありがたいことでした。「児童心理」は僕が定期的に購読している数少ない購読誌のひとつです。是非、多くの人に僕の文章だけでなく、この雑誌を読んでいただきたいと願っています。是非お読み下さい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/17

高倉健 あなたに褒められたくて


 高倉健さんのことを書いていて、25年前に書いた、ニュースレターの巻頭言を、その後出版した「新・吃音者宣言」の中ににいれました。その文章を思い出しました。ついでと言ってはなんですが、紹介します。

 ほめる子育て、ほめる教育がかなり浸透した後、こんどはアドラー心理学などでは「ほめない」が言われます。ほめるには上からへの感じや、相手のコントロールにもつながのかねないの用心しなければなりませんが、交流分析でいうプラスのストロークのほうが僕にはしっくりきます。

 ナラティヴセラピーでいう「ユニークな結果」は僕は好きですが。
 いろんな論議がありながら、高倉健さんが、「あなたに褒められたくて」と言うと、無条件に納得してしまう。ファンならではのことでしょうか。


あなたに褒められたくて

 お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて返り血浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハン力チ』のタ張炭鉱、雪の『八甲田山』、北極、南極、アラスカ、アフリ力まで、30数年駆け続けてこれました。

別れって哀しいですね。
いつもー。どんな別れでもー。
あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。

 高倉健 『あなたに褒められたくて』集英社

 数々の賞を受け、大勢のファンを持つ最後の映画スターと呼ばれる映画俳優の高倉健さんは、母親からのストロークが欲しくて、30数年俳優を続けてきたのだという。

交流分析のエリックバーンは、人が生きていく上で、食物をとり、睡眠が欠かせないように、プラスのストローク(撫でられる、微笑みかけられる、褒められる)は、欠かせないと言う。マイナスのストロークを与えられ続けると、自分自身にもマイナスのストロークを与えるパターンが身につく。そして他者に対してストロークを与えることができない。そして、素直にストロークを受けることができなくなる。

 あるワークショップで、「みんなの前で、自分のことをことばに出して褒めよう」というエクササイズがあった。なかなか自分を褒めることができない人が多かった。たとえ、褒めてもいいなあということに思い当たっても自慢話をするようで気恥ずかしい。自分を甘やかしているようだという人もいる。自分のことをけなしたり、叱ることはいくらでも浮かんでくるが、自分を褒めることばはどうしても浮かんでこないと立往生した人もいた。

 他者や自分を褒めることは、他者や自分を批判し、けなすよりはるかに難しい。
 自分に他者にストロークを与える人にどうしたらなれるだろうか。自分が与えるストローク、受けるストロークにまず気づくことである。そして、他者に自分にマイナスのストロークを与えがちな人はプラスのストロークを与える練習をする必要がある。

 どもる子どもの両親教室で、「子どもを叱るよりも少しでもいいことをみつけて子どもにプラスのストロークを与えて下さい」と親にお願いする。

 「捜してもいい所はみつかりません」「そんなことをすると子どもがいい気になって困ります」「いい所なんてない子を褒めるなんて、嘘をついていることになります」と親は少なからず抵抗する。

 物事には必ず両面があり、短所と思っていることが裏返してみると長所ともなる。またいろいろと捜してみて全くいい所がないという人はない。何がしかのいい所は必ずある。子どもの中のどの部分に注目するかの違いであって、嘘をついているわけではない。嘘をついているようだという人は、「私はワンパターン人間で、狭い見方しかできません。そして、その見方を変えたくありません」と表明しているに等しい。

 吃音に関して私たちは、「流暢に話せたという経験」を積み重ねるよりもむしろ「どもってでも目標を達成できた」ということを評価している。たまたまどもらずに成功したことよりも、嫌だと思いながらも逃げすに実行し、上手といかなくてもそれなり目標が達せられたことにプラスのストロークを与えたい。それはその後の人生を肯定的に生きる支えになる。
 「これまでの私なら、どもるのが嫌さに友人の結婚式の挨拶を断ったろう。でも、今回は逃げずにやれた。どもってうまく話せなかったが、最後まで言い切った。こんな自分を褒めてやろう」

 高倉健さんは、母親に褒められたくて30数年間、俳優を続けた。私は、吃音の悩みの中にあるどもる人に「あなたと出会えてよかったです」と言ってもらいたくて、25年間活動を続けてきたのではないか。そう、あなたに褒められたくて。  1991.7.25 記 

 『新・吃音者宣言』 芳賀書店 1999年11月23日発行より

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/16 

高倉健さん ありがとう

 日本吃音臨床研究会が毎月発行するニュースレター「スタタリングナウ」の巻頭言を毎回書いています。その後の特集記事にあわせて書くのですが、それに会わせての巻頭言なので、毎回苦労します。244号は、千葉市のことばの教室の担当者、渡邉美穂さんの25回の吃音親子サマーキャンプの〜仲間との出会い〜のタイトルの報告でした。それにあっているかどうか分かりませんが高倉健さんのことを書きました。
 神山先生関連のものとして、紹介します。

   高倉健さん ありがとう
  
    日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二

 吃音に深く悩んでいた学童期・思春期、私はひとりぼっちで、学校に居場所はなかった。中学2年の夏からは、母親との関係が悪くなり、家庭にも居場所がなくなった。孤独な私を救ってくれたのが、読書であり、映画だった。
 もし、本と映画がなければ、今まで生きてこられたかどうかわからない。それほどに読書と映画は私の心の支えだった。子どもの頃、特に、下村湖人の「次郎物語」とジェームス・ディーンの「エデンの東」は特別の本と映画だった。

 強い劣等感をもつ子どもや人に、「何か自信をもてるものをみつけなさい」と周りの人は言う。特別の能力もない私にとって、自信がもてるものなど何一つなかった。自信はないけれど、読書をしている時、映画を観ている時は目の前の苦しさを感じない、意識しないで済んだ。何かに夢中になっているときは、私にとって唯一、強い劣等感から解放される時間だった。今日一日、今日一日と、21歳の夏まで生き延びてきたような気がする。
 小学生の高学年頃から、当時、父親が収集していた記念切手を売りさばいては映画館に入り浸っていた。私は、女優よりも男優が好きだった。バート・ランカスター、クリント・イーストウッド、高倉健の三人だ。この三人はデビュー作品から、映画人としての変化、成熟を見続けてきた。

 バート・ランカスターは、「真紅の盗賊」などのアクション映画から、重厚な「山猫」や「エルマー・ガントリー」などアカデミー主演男優賞俳優に変わっていく。クリント・イーストウッドも、テレビドラマの「ローハイド」のカウボーイから「マカロニ・ウェスタン」を経て、ハリウッドを代表する俳優・映画監督になった。高倉健も、デビュー作「電光空手打ち」などでは、ここまでの俳優になるとは思わなかったが、大きく化けた。

 私が言友会を創立した1965年、国家権力・大学当局と闘っていた私たち全共闘世代に圧倒的に支持を得た「昭和残侠伝」「網走番外地」のヤクザ映画が始まった。そして、「幸せの黄色いハンカチ」のような作品へと転じ、健さんは文化勲章を受章する映画人に変わっていった。健さんが亡くなって1か月になるが、「週刊朝日」臨時増刊が出版されたり、共演者だけでなく、裏方のスタッフ、ロケ地で撮影に協力した人々にも、優しく接し、出会ったことを宝物のように語る、テレビの特別番組を見て、人が、変化、成熟する姿を思った。

 1976年の私の二冊目の著作、「吃音者宣言−言友会運動10年」(たいまつ社)の裏表紙に、私の恩師、大阪教育大学の教員への道を作って下さった神山五郎先生が、「常にすがすがしい好漢」のタイトルで次の文を書いて下さった。

 「高倉健に惚れ、かつどもりである大学教官というように彼を紹介しておこう。事実、伊藤伸二を慕うどもる人びとや関係する学生は多い。彼自身も面倒見がよくつねにすがすがしい。
 彼がどもりながら話すせいか、聞き手はつい彼の指示に素直に従ってしまう。かようにどもりであるメリットを生かし続けている好漢である。
 この度、どもりであることを主張し生かす自他の方法、体験などを集め、評価し、書となすという。草稿はまったく見ていない。世のなかから厳しく批判された方が薬になる段階に彼はいる。読者の叩き方が強ければ強うほど、彼は強くなる。一つおおいにやっつけてください。彼がどうさばくか、それをみるのもまた楽しい」

 健さんは、映画史上最も過酷な雪中のロケに自分をさらした映画「八甲田山」を転機にあげ、人との出会い、作品との出会いが自分を変えたという。三人の映画人のように、私が成長してきたかと言えばこころもとないが、健さんが大切にしてきた「人に、想いを伝えたい」は、ずっとしてきたように思う。同時代を生きた健さんの死は寂しいが、自分の人生を振り返る機会にしたい。

 どもる人間としての想いを伝えることで、どもる子どもたちが、吃音親子サマーキャンプで出会って欲しい。その出会いやできごとを通して、変わっていくきっかけとなればうれしい。 健さんありがとう 合掌

 2014.12.23 「スタタリング・ナウ」NO.244

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/14
 

高倉健に惚れ、かつどもりである大学教官

吃音者宣言裏表紙 001

 大学の教員に僕がなれたのは、100%神山先生のおかげです。今も心から感謝しています。
 大学はありがたいところでした。自由に時間が自分で使える。今の大学とはちがって随分と自由でした。
 大学の教員になって一番よかったのは、僕のこれまでの吃音の体験、セルフヘルプグループの経験を、時間をかけて検証できたことでした。振り返る間もなく、7年間駆け抜けるように必死で言友会の活動を続けてきました。一度立ち止まって、僕たちはどんな経験をし、何を得たのか、じっくりと検証する時間が必要でした。幸い、僕の研究室には全国からどもる人が集まってきました。専攻科の学生は、現職の教員で教育のベテランです。どもる人、これからことばの教室の教師になる人、さまざまな考えや経歴を持つ人と、時間をかけて話し合うことができました。

 中でも、吃音ショートコースと名付けた4泊5日の吃音の集中講義はすごい合宿でした。準備に大変な時間をかけました。そして、当時学芸大学の内須川洸教授が講師で来て下さいました。神山五郎、内須川洸という、日本の吃音研究では、この二人しかいないという、別格の専門家が二人揃うのですから、吃音に関心を持つ人なら誰もが参加したくなります。大学の集中講義でありながら、誰もが参加できるように神山先生が門を開きました。おかげで、全国のことばの教室の担当者のリーダー的存在の人、国立特殊教育総合研究所(当時)の研究員や病院のスピーチセラピストたちが、一大学の集中講義の枠をこえて集まってくれました。その時のテーマは僕が考えるのですから、全て、自分が検証したい、考えたいテーマにできました。

 「治らないどもりをどうするか」が常にベースにあるテーマでした。僕の研究室はいつも大学の門限ぎりぎりの夜の11時まで明かりがついています。ものすごい時間をかけてどもる人の人生、グループの経験を専攻科の学生、非常勤講師として来た下さった先生、大阪教育大学の先生たちなど、とても贅沢な組み合わせで、考えを深めることができました。その結果出版できたのが、「吃音者宣言」です。それが出版にいたる経過はまた紹介しますが、神山先生との関係では、この本の推薦文です。

 正直に言うと、神山先生に頼みたくなかったのです。これまでブログで書いてきたように、とても怖くて、厳しい先生です。厳しい指摘で推薦文にはならないのではないか。不安がありましたが、神山先生にお願いしないわけにはいきません。そして、書いて下さったのが次の文章です。やはり神山先生らしい文章です。


   つねにすがすがしい好漢   

 高倉健に惚れ、かつどもりである大学教官というふうに彼を紹介しておこう。事実、伊藤伸二を慕うどもる人びとや関係する学生は多い。彼自身も面倒見がよくつねにすがすがしい。
 彼がどもりながら話すせいか、聞き手はつい彼の指示に素直に従ってしまう。かようにどもりであるメリットを生かし続けている好漢である。
 この度、どもりであることを主張し、生かす自他の方法、体験などを集め、評価し、書となすという。草稿は全く見ていない。世のなかから厳しく批判されたほうが薬になる段階に彼はいる。読者の叩き方が強ければ強いほど、彼は強くなる。一つおおいにやっつけてください。彼がどうさばくか、それを見るのもまた楽しい。

         神山五郎   (郡山市熱海総合病院・健康教育センター所長)

たいまつ新書4
吃音者宣言
言友会運動十年
0236-7604-4434     680円

「盲導犬理由に差別」が9割 差別と理解を考える


 神山先生とのエビソードはまた書きますが、忘れてしまいそうなので別のことを。

 今、日本吃音臨床研究会のニュースレターでは、1月号からずっと障害認定、発達障害者支援法について特集を組んでいます。これは、6月号まで続く予定です。5月号は、まだ発行されていませんが、今、編集中で、掛田力哉さんの文章を掲載します。掛田さんの文章は、次の「おわりに」で締めくくられています。

 障害児教育に携わり、そこから給料をもらっている私のような人間が言うと大きな語弊があるかも知れないが、敢えて言うなら、「障害のない人」が「ある人」に対して常に完璧な配慮や支援を重ね続けなければならないような、寒々しい人間社会にしたくないとの強い思いが私にはある。
 「あなたの事、良く分からないし、全部共感する事なんて出来ないけど、でもお互い色々あるよね」というごく人間的で緩やかな人間関係が許されない世の中ほど、窮屈なものはない。もっと互いがそれぞれの持つ固有の困難や生き難さについて、喜びや悲しみについて、語り合い伝え合い、想像力を働かせ合い、学び合いながら「対等に」生きる社会は作れないものだろうか。そんな思いの延長線上に、「吃音を安易に障害にしたくない」という私(たち)の主張がある。是非、私たちと一緒に、皆さんにも考え続けて欲しい。

 ここでふと、毎日新聞5月1日号「くらしなび」のコーナーで、盲導犬とともに買い物をする人の写真と共に、『「盲導犬理由に差別」が9割』というタイトルの記事があったことを思い出しました。

 このタイトルだけ読むと、なんと日本はひどい国だと感じてしまいます。ところがよく読むと、僕からすると違うものに感じ取れるのです。

 盲導犬育成と視覚障害者への歩行指導をする公益法人アイメイト協会が盲導犬現役使用者へのアンケートの結果、「盲導犬を理由に嫌な思いをしたことがあるか」の問いに、89.2%の人が「ある」と答えていると書いてあります。そのような差別を経験した場所として、居酒屋や喫茶店を含むレストランが78.3%と、最も多いと言います。

 記憶違いなら申し訳ないですが、今話題の乙武洋匡さんが、以前イタリアレストランで店に入れてもらえなかったことを怒り、ブログで店の名前を公表したことで、その店が苦境に陥ったと、そんな記憶があるのですが。前もって予約の時にそのことを伝えればよかったとのコメントもあったと記憶しています。

 毎日新聞の記事に戻ります。差別を経験した際の対応として、使用者の4分の3が「その場で説明し、理解を得る」ことを挙げ、その結果、理解不足の是正や居合わせた人のフォローなどによって、約7割が「入れるようになった」と言っています。最後まで記事を読んで僕はほっとしました。

 メディアはどうしてこのような切り口で記事を書くのでしょう。なぜ、メディアはこの7割に注目しないのでしょう。ここに焦点をあてれば、違うタイトルになり、記事内容も違うものになっただろうと僕は思いました。差別ではなく、知らないがための対応をしてしまったが、説明を受け、周りのサポートもあって対応を反省し、その対応を変える。これは「9割が差別」とは違うだろうと僕は思います。

 知らないこと、未知の経験であれば、人間はとりあえず、これまでしてきた、慣れた行動をとります。時にその行動が、当事者にとって不快なものだったとしても、説明を受けて、行動を変え、今後はこのような状況があった時は、適切な対応をするとなれば、このプロセスはやむを得ないことだと思います。

 吃音は、どもらない人にとって、とても理解しにくいもののひとつでしょう。「吃音の苦しみ、困難さを理解してほしい」と声高に叫ぶのではなく、困ったとき、理解が必要な時、「吃音とは」という一般的に広げるのではなく、個別にその人が自分のことばで自分のことを語って理解を求めることをすれば、事態は変わってくるのではないでしょうか。「全ての人が、自分が快適に過ごせるように、説明しなくても理解すべきだ」と考えると、自分にとって社会は生きづらいものになります。直面したときに、その都度説明し、理解を広げていく。このことが、回りくどくても、自分が主体的に関わり、自分が生きやすい環境に変えていくことにつながるのだと僕たちは思います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/13

沖縄での吃音相談・講演会

 5月29日沖縄に行きます。沖縄リハビリテーション福祉学院言語聴覚学科の平良和さんが、毎年、学院の学生の講義に僕を呼んで下さっています。90分の講義を4コマ、担当させてもらっています。

 2012年夏、千葉で開かれた、第一回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会で、平良さんと初めて会いました。沖縄からよく千葉の講習会に参加して下さったと、その熱意に感謝したのでした。平良さんはこれまで持っていた、吃音の臨床のイメージとまったく違う世界に驚き、しかし、自分のこれまでもっていた疑問が解消されて、当初参加の予定のなかった懇親会にまで参加して、僕たちの仲間と親しく話す機会がもてました。昼間の講習を受けただけでは、その後のつきあいには発展しなかっただろうと思います。

 言語聴覚士の専門学校の教員として、平良さんは、ほとんどの人がそうであるように、吃音の検査や、治療法を教えていたそうです。教えながら、これでいいのかと違和感をもっていたのが、吃音は治そうとするのではなく、吃音を認めて、吃音と共に子どもが生きることに、同行するのが専門家の役割だとの僕たちの考えに出会い、強い共感を覚えたそうです。懇親会の酔った勢いもあって、僕に是非、沖縄に来て下さいと言って下さいました。まあ、社交辞令だと思っていたのが、その年の12月にそれが実現しました。この行動力には脱帽です。

 それから、専門学校の講義だけでなく、言語聴覚士会の講演会を翌年開催し、これまで参加したことのないような大勢の100人近くの人が参加してくれたと喜んで下さいました。そして、今年のこの、「講演会・ワークショップ」につながりました。沖縄に、吃音のことを学びたい、理解したいと考える人が増えていくのがとてもありがたいことです。11月には沖縄で初めての吃音親子キャンプが開かれます。

 吃音を通して、このように人の輪が広がること、ありがたいことです。沖縄にお知り合いのいらっしゃる方、是非ご紹介下さい。今年は、どのような出会いがあるか、とても楽しみです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/12



おきなわ講演会 新

私信が真っ赤になって返送された 文章修行

 神山先生の思い出の続きです。
 卒寿のお祝いの会では、ひとりひとりがスピーチをしました。僕は3番目だったので、4分ほど話したのですが、後の方の人は申し訳ないことに、名前を言うだけにとどまりました。その時に話したエピソードの一つです。

 横浜のご自宅宛てに、まったく個人的な用事で手紙を書きました。すると、しばらくしても返信がきたのですが、返信に添えて、僕の手紙が赤ペンでかなり添削されていました。拝啓や敬具の形式的なことや、宛名、差出人、書いた年月日、文章までです。「おいおい、ここまでするのか」と一瞬「ムッ」としましたが、これはありがたいことでした。手紙を書くとき慎重になりました。

 提出した論文を目の前でさっと読んだ神山先生は、「ボツ」と一言言って、どこが悪いのか指摘もせずに、破ってしまいました。ここでも、「おいおい、そこまでするか」と腹が立ちました。破られた原稿を読み直しても、どこが、破られなければならないものなのかが分かりません。神山先生に尋ねたのか、自分で気づいたのか忘れましたが、「句読点」がなかった程度のミスだったと思います。ほとんど変わらない文章を句読点に気をつけて再提出したら受け取ってもらいましたから。内容がどうかよりも、最初でダメだったということでしょう。

 固有名詞、機関名などは、絶対に間違ってはだめだと、何度も叱られました。気をつけてもつい、間違うこともあったのです。これらにも神経をとても使いました。非常勤講師の先生への依頼文や、文部省への申請文書など間違いはあってはならないのは当然のことでした。

 できるだけ一文は短く、が神山先生の文書スタイルでした。確かに先生の書く文章は、テンポよく歯切れのよいものでした。長くなった文章をよく添削されました。確かに声を出して読んでみると、僕の書いた文章が歯切れが悪いのがよく分かりました。一文を短く、は今でも心がけています。
 
 「データをして語らしめよ」ともよく言われました。論文や文章は短ければ短い方がいい。しかし、それがきっちりと相手に伝わる必要がある。書いた人が死んでも、その文章が理解されないといけない。文章を要約して、短く書く訓練もさせられました。朝日新聞コラム「天声人語」を文意が伝わるように圧縮することもよくしました。当時、京大型カードと呼ばれたA6版のカードを使っていました。ほとんどをこのカード一枚に書くのです。トヨタ自動車が、一枚の文書ですませることが、経営の秘密だとの本もありますが、あの当時から神山先生は、一枚のカードに書くことにこだわりました。しかしその内容は、カードを書いた人が死んでも、そのカードだけでひとつの内容が明確に分からなくてはいけないというのです。これもとてもありがたいことでした。

 書いた本人は、前に書いた文章が頭に残っているので、つい読み手も知っていると錯覚して、文章をはしょってしまいます。A6版のカードを読む人が、そのカードだけを読むと想定して、その人に分かるように書かなくてはいけない。これは今でも、僕はできているかどうかは心許ないのですが、心がけてはいます。


 東京都立大学の教授だった、国語学者、大久保忠利さんに、「表現読み」のワークショップに来ていただいたことがあります。講師依頼の手紙のやりとりや、僕の書いたニュースレターなどの文章を読んで、大久保さんは、「伊藤さんは、なかなかの文章の書き手だと私は思うが、どこかで文章修行をしましたか」と言われたことがあります。文章を褒められたのは初めてだったのて、とてもうれしかったのでよく覚えています。私信を赤ペンで返信するなどの、厳しい神山先生の指導のおかげだと感謝しています。
 残念ながら、今、あのころの緊張した中での文章が書けているかというと、自信がありません。このブログも時間に追われて書いているために、読み直しをまったくしないので、誤字脱字だらけだと思います。このような文章なら、また、赤ペンで真っ赤になることだろうと反省はしていますが、一度ゆるんだものは、なかなか元には戻りません。お許し下さい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/12
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