伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2016年05月

吃音講習会の歩み


これまでの吃音講習会

第5回目となる今年の「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」の案内を昨日、このブログでしました。
詳しくは、下記の、吃音講習会のホームページをごらん下さい。


 これまでの講習会の報告、大会要項に載せた資料などご覧になれます。 講師の先生方からの貴重な提案や、ことばの教室の実践報告、どもる当事者の方の声など、参考になる資料が満載です。ぜひご覧ください。
どもる子どものレジリエンスを育てる
−親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会−
アドレス:http://www.kituonkosyukai.com/

 これまでの4回の吃音講習会の概要をお知らせします。どのような歩みを経て、訓戒の5回目にたどり着いたのか、その足跡を見ることができるでしょう。
各回のテーマ、講師、プログラム内容を紹介します。



 ◇第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
期日:2012年8月4日(土)〜5日(日)
会場:千葉県教育会館 千葉市中央区中央4−13−10
テーマ:吃音否定から吃音肯定へ
 吃音の原因は解明できず、治療法はなく、治らない吃音が多い中で、「吃音否定」の前提が、「治さなければならない」と吃音の当事者や親を長年追い詰めてきました。吃音を否定することで、吃音を隠し、どもりたくないために、話すことから逃げ、対人関係に消極的になり、それが人生へも影響する人が少なくなかったのです。吃音に悩む人にとって、それは、深刻で大きな問題です。
 「吃音肯定」の臨床には、まず、これまでどもる子どもやどもる人に向けられてきた否定的なまなざしを、肯定的なものへと転換する必要があります。この新しい転換を推し進めるために、精神医療、福祉、心理臨床の分野で大きな注目を集め始めている、ナラティヴ・アプローチや当事者研究などの理論や手法を学んでいこうとしています。             (講習会案内より一部抜粋)

講師:浜田寿美男・奈良女子大学名誉教授
   牧野泰美・国立特別支援教育総合研究所総括研究員
   伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長
   
主な内容:
・基調提案   ナラティブ・アプローチ的吃音臨床の提案 伊藤伸二
・講演     ありのままを生きるというかたち―治すという発想を超えて― 浜田寿美男
・対談     治す文化に対抗する力 浜田寿美男・伊藤伸二 司会 牧野泰美
・話し合い   講習会の感想・疑問、そこから私たちに何ができるか考える(グループに分かれて)
・シンポジウム ことばの教室担当者や言語聴覚士による子どもたちへの取り組み
・実践講座   親の公開相談会を通して、親との関わりについて考える」
・ティーチイン 2日間をふりかえって(参加者全員で)


 ◇第2回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
期日:2013年8月1日(木)〜2日(金)
会場:宝山ホール 鹿児島市山下町5−3
テーマ:子どもとともに、ことばを紡ぎ出す
    −当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンスの視点から−
 これまでの否定的な吃音観から、吃音を否定せず、吃音に悩むことで起こる課題に取り組む「吃音肯定」が前提の取り組みが求められています。それにはまず、これまでどもる子どもやどもる人に向けられてきた否定的なまなざしを、肯定的なものへと転換する必要があります。吃音にまつわるネガティヴな物語から、「どもっていても大丈夫」の吃音肯定の物語を、子どもだけでなく、どもる子どもに関わる人々と共有したいと思います。その上で、自分自身や学校生活の中で苦戦していることについて、当事者である子ども自身が自ら研究する当事者研究を、ことばの教室の担当者や言語聴覚士がサポートすることが、今後の取り組みの中心になるでしょう。    (講習会案内より一部抜粋)

講師:高松 里・九州大学留学生センター准教授
   牧野泰美・国立特別支援教育総合研究所総括研究員
   伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長

主な内容:
・基調提案   ,修譴召譴寮犬るかたち 牧野泰美
・基調提案◆  ,匹發觧劼匹發砲箸辰討療事者研究とレジリエンス 伊藤伸二
・記念講演    自分らしい臨床を行うための『当事者研究』入門
           〜自分の中にある宝物に気づくために〜    高松 里
・ワークショップ どもる子どもの当事者研究」 高松 里
・話し合い    子どもとの対話について(グループに分かれて)
・対談      当事者の語りの意味 高松 里・伊藤伸二
・みんなで語ろうティーチイン この講習会に関しての質疑応答とふりかえり


 ◇第3回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
期日:2014年8月2日(土)〜3日(日)
会場:石川県文教会館 金沢市尾山町10−5
テーマ:ナラティブ・アプローチを教育へ
 「どもることで困ること、ある?」と子どもに尋ねても、「別に」のひと言で終わってしまうと、ことばの教室担当者や言語聴覚士、保護者から聞くことがあります。子どもたちひとりひとりの思いや考えは異なり、マニュアル的な対処はできませんが、子どもたちの語りを丁寧に聞き、こちらの思いや考えを丁寧に伝えていく中で、吃音の課題にどう向き合い、対処するかが明確になってきます。ナラティヴ・アプローチの考え方や技法は、吃音とともに生きる生活の中での体験を、一つの物語として理解します。子どもは物語の語り手、当事者・主人公であり、保護者や担当者はその子に関わる当事者となります。その時、唯一の正しい物語があるととらえるのではなく、お互いの語りを摺り合わせる中で、新しい物語を作り出していくことが大切だと考えています。  (講習会案内より抜粋)

講師:斎藤清二・富山大学保健管理センター長・教授
   牧野泰美・国立特別支援教育総合研究所総括研究員
   伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長

主な内容:
・基調提案   ,匹發蠅覆ら豊かに生きる物語 伊藤伸二
・講義     ^緡鼎砲けるナラティブ・アプローチ 斎藤清二
・講義◆    .淵薀謄ブ・アプローチによる発達障害大学生支援 斎藤清二
・面接の実際   斎藤清二・溝上茂樹
・対談      ナラティブ・アプローチの可能性 斎藤清二・伊藤伸二
・グループ討議
・基調提案◆  /佑筏媛擦隆愀言の構築とナラティブ・アプローチ 牧野泰美
・基調提案   吃音の現象学に向けて
           〜ナラティヴ・アプローチが開く、どもる人たちの世界〜 坂本英樹
・実践発表と討議 ことばの教室の実践、セルフヘルプグループの活動実践
・みんなで語ろうティーチイン この講習会に関しての質疑応答とふりかえり


 ◇第4回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会
期日:2015年8月1日(土)〜2日(日)
会場:帝京平成大学 池袋キャンパス  
テーマ:どもる子どもが問題なのではなく、吃音を否定的にとらえることから起こる影響が問題だとして、子ども自らが主体となって生き抜く力が育つために、親・教師・言語聴覚士の役割を考える。どもる子どものレジリエンス(生き抜く力)を育てる。
講師:石隈利紀・筑波大学副学長(学校心理学)
   牧野泰美・国立特別支援教育総合研究所総括研究員
   伊藤伸二・日本吃音臨床研究会会長
主な内容
基調提案  ^貌伸二
講義 \亰利紀 子どものレジリエンスを育てる
講義 石隈利紀 子どものレジリエンスを育てる
対談 石隈利紀と伊藤伸二
グループ討議
基調提案◆ )厂鄲挌 レジリエンスと関係論
基調提案 桑田省吾 つながりのちから〜親子のつどいからみえること
実践発表と討議 幼児期の実践
実践発表と討議 学童期の実践
みんなで語ろう、ティーチイン


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/29

第5回親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会の案内

第5回吃音講習会、夏、愛知で開きます


吃音の夏の到来です。
今年で、第5回目となる吃音講習会の案内をします。
今年のテーマは、昨年に引き続いて、「子どものレジリエンスを育てる」で、滋賀県立大学の松嶋秀明教授を講師に迎え、レジリエンスをどもる子どもの指導にどう生かすか、参加者とともに一緒に考えます。
多くの方のご参加をお待ちしています。
これまでの講習会に、どのような講師が来て下さったのか、そして、講師を交えて、参加者のみんなでどのようなことが話し合われてきたのか、このブログで、少しずつ紹介していきたいと思っています。

 詳しくは、吃音講習会のホームページをご覧下さい。
 講習会の参加申し込み書なども、ホームページから、ダウンロードすることができます。


−親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会−
アドレス:http://www.kituonkosyukai.com/



 今回は、まず、今年8月、愛知県で開催する第5回吃音講習会の案内です。

各所属長並びに関係の皆様
               吃音講習会実行委員会
              顧問 牧野泰美        
               (国立特別支援教育総合研究所)

「子どものレジリエンスを育てる」
第5回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会のご案内

1 趣旨
 最近、発達障害者支援法の支援対象に吃音が入っていることが新聞等で取り上げられ、目にすることが多くなりました。親、ことばの教室の教師、通常の学級の教師は、この状況をどう受け止め、どもる子どもとどうかかわるか、吃音やどもる子どもにかかわる自分の姿勢を明確にする必要があるように思います。
私たちは、吃音を発達障害としての支援を必要とする子どもとしてではなく、苦労や困難があっても、自分で自分の人生を生きる子どもに育つことを支援します。吃音を言語障害、発達障害ととらえるのではなく、吃音を紀元前の時代から、人間と共存してきた、人間として向き合うテーマだと考えます。そのため、当事者研究、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンスをもとにした取り組みが、言語指導以上に必要だと確信しています。
「吃音の課題は、どもることにあるのではなく、吃音を否定することで起こる影響、つまり、吃音を隠し、話すことを避ける行動、吃音は劣ったもので、治らないと幸せになれないなどの思考、どもることへの不安や恐怖、どもった後の惨めな感情にある。この課題に向き合い、日常生活の中での困難を自らの力で対処する力が育つために、子どもに同行するのが、教師や臨床家の役割だ」
 吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会では、このように考えて、吃音講習会を開いてきました。第1回は「子どもと語る吃音肯定の物語」、第2回は「当事者研究」、第3回は「ナラティヴ・アプローチ」、第4回は「子どものレジリエンスを育てる」をテーマにして、講習会を続けてきました。第5回目の今回の吃音講習会は、これまでの議論を引き継ぎ、昨年と同様「子どものレジリエンスを育てる」をテーマにします。
 『児童心理2014年8月号』(金子書房)、『教育と医学2014年1月号』(慶應義塾大学出版会)で「レジリエンス」の特集が組まれるなど、精神医学・臨床心理学などの領域で注目される「レジリエンス」が、教育の世界でも関心がもたれるようになってきました。「逆境を乗り越え、心的外傷となる可能性のあった苦難から新たな力で勝ち残る能力、回復力」というレジリエンスの概念は、どもる子どもの支援にとってもっとも必要なテーマだと言えます。
 「吃音と発達障害」の議論は避けて通れません。吃音講習会ではその議論を踏まえ、真に子どもに役立つ支援について考えます。
 今回は、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンスをもとに、スクールカウンセラーとして、少年非行など学校臨床に取り組んで来られた、滋賀県立大学松嶋秀明教授を講師に迎え、レジリエンスの基本的な考え方を学び、レジリエンスをどもる子どもの指導にどう生かすか、参加者と実践を交流しながら、一緒に考えます。
 全国のことばの教室の担当者、関係する教師、言語聴覚士、保護者と一緒に、日ごろの取り組みを見つめ直し、新たな展望を開くために、熱く、楽しく有意義な時間を作りましょう。
実行委員長 奥村 寿英(愛知県岩倉市立岩倉東小学校)

2 主 催  吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会

3 後 援  NPO法人全国ことばを育む会
岩倉市教育委員会
愛知県言語・聴覚障害児教育研究会(申請中)
4 日 時  2016年8月11日(祝)10:00〜19:45
              12日(金) 9:20〜16:15

5 会 場  愛知県・岩倉市生涯学習センター 研修室1・2
 愛知県岩倉市本町神明西20番地 サクランド岩倉(岩倉駅東開発ビル)2階
        TEL 0587−38−0100

6 アクセス 
       名鉄電車・犬山線「岩倉」駅改札口から徒歩2分(岩倉駅地下東西通と直結)
◆JR名古屋駅からお越しの場合
。複厂掌轍葦愃通り口(東側)から出て右方向へ行き、名鉄名古屋駅の改札へ。
¬湘憾せ垣(緑色)で犬山方面の電車に乗車。乗車時間は、約14分。
4篩勹悗撚室屬掘改札を出て右方向へ。案内表示に従って直通地下道から、エレベーターで2階へ上がる。

7 内容・プログラム 予定
8月11日(木・祝)9:30  受 付
10:00−11:30  基調提案 ^貌伸二・日本吃音臨床研究会
11:30−12:30  昼 食
12:30−14:00  講義 ‐湘莉明・滋賀県立大学人間関係学科教授
14:15−15:45  講義◆‐湘莉明
16:00−18:00  対 談 松嶋秀明&伊藤伸二
18:15−19:45  グループ討議
20:00−       懇親会(希望者のみ)

8月12日(金)  9:00  受 付
 9:20−10:05  基調提案◆峙媛擦犯達障害、障害者手帳」
  牧野泰美・国立特別支援教育総合研究所総括研究員
10:05−10:50  実践発表とふりかえり
               黒田明志(千葉県千葉市立花見川小学校ことばの教室)
11:00−12:30  演 習 仝開面接、グループ討議
              ・伊藤伸二による公開面接と、それを受けてグループ討議
12:30−13:30  昼 食
13:30−15:00  演 習◆仝畫庵罎量明椹例のまとめ、面接ポイント解説
15:15−16:30  みんなで語ろう、ティーチイン

8 講習会参加費  5,000円

9 参加申し込み  参加ご希望の方は、参加申込書に必要事項を記入し、郵送、またはメールに添付し下記の申し込み先までお送りください。同時に郵便局より参加費の振込をお願いします。入金確認ができましたら、受講票をお送りします。
申し込み締め切りは2016年8月8日(月)です。
なお、参加費は当日キャンセルされてもお返しできません。受講票は他の方にお譲り下さい。

※郵便振替 加入者名:吃音講習会 口座番号:00960−0−282459

10 申し込み先   愛知県岩倉市立岩倉東小学校 ことばの教室  奥村寿英
            〒482−0041 愛知県岩倉市東町掛目1番地
          Mail:kituon-kosyukai@live.jp

11 問い合わせ先  日本吃音臨床研究会 TEL/FAX 072−820−8244
      〒572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526

12 宿泊その他   宿泊は、各自直接お申し込み下さい。名古屋駅周辺には、たくさんホテルがあります。早めに宿泊の予約をされることをおすすめします。
講習会中の食事は、近くのコンビニやスーパー、レストランをご利用ください。研修会場内での飲食が可能です。

13 講師紹介
【特別講師】
◇松嶋 秀明(まつしま ひであき) 滋賀県立大学人間文化学部人間関係学科教授
 専門は「臨床心理学」。「臨床心理士」として学生相談や小中学校のスクールカウンセラーといった実践活動にたずさわる一方、そこで起こる様々な問題、非行少年の更生プロセスや、学校臨床領域における支援のあり方を研究。
 著書として、『リジリアンスを育てよう―危機にある若者たちとの対話を進める6つの戦略』松嶋秀明 奥野光 小森康永/金剛出版、『ナラティヴ・プラクティスとエキゾチックな人生』小森康永監訳 他5名と共訳/金剛出版、『「非行少年」の質的研究?なぜ彼(女)らが「問題」なのかと問うてみる』能智正博 川野健治/東京図書、『ナラティブセラピーの冒険』小森康永監訳、他7名と共訳/創元社 など。

【講師】
◇牧野 泰美 国立特別支援教育総合研究所総括研究員
 専門は言語障害教育、言語獲得、コミュニケーション障害とその支援など。「全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会(全難言協)」をはじめ、各地の「きこえとことばの教室」の担当者や、親の会等と連携しながら、子どものことばやコミュニケーションへの支援の在り方、きこえとことばの教室の役割などについて研究活動を進める。
著書に、『言語障害のおともだち』(ミネルヴァ書房)など。

 ◇伊藤 伸二 日本吃音臨床研究会会長・国際吃音連盟顧問理事
 21歳の時、セルフヘルプグループ言友会を創立。大阪教育大学専任講師(言語障害児教育)などを経て、現在伊藤伸二ことばの相談室主宰。第1回吃音問題研究国際大会を大会会長として開催し、国際吃音連盟の礎を作る。論理療法、アサーティブ・トレーニング、竹内敏晴レッスン、認知行動療法などを活用し、吃音と上手につきあうことを探る。著書に、『両親指導の手引き書41 吃音とともに豊かに生きる』(NPO・法人全国ことばを育む会)、『吃音の当事者研究−どもる人がべてるの家と出会った』(金子書房)など。


   『リジリアンスを育てよう―危機にある若者たちとの対話を進める6つの戦略』訳者あとがき
      岐阜県立大学人間文化学部教授 松嶋秀明[第5回吃音講習会特別講師]
 
 本書の主題となる「リジリアンス」とは、ウンガーによれば「重大な逆境の下、自らの幸福を維持するための心理的、社会的、文化的、そして身体的資源に自らを導く個人的能力、およびそれらの資源が文化的に意味のある仕方で提供されるよう個人的にも、集団的にも意味の交渉を実現する能力」です。
 本書の原題「ストレングス」と類似していますが、逆境におかれた際に発揮されるのがリジリアンス、平時から存在するのがストレングスと使い分けられます。当初は、個人の特質として議論されたリジリアンスですが、近年では、環境との相互作用に注目したエコロジカルなモデルが注目されています。
 第1章はウンガー自身の少年時代のいじめられ体験が開示され、いじめっ子であったジェフリーと自分との境遇が実は似たものであったのにもかかわらず、どうして行動には違いがでたのかを考えるところからはじまっています。本書で主題となる「危険(dangerous)」「非行(delinquent)」「逸脱(deviant)」「障害(disorder)」の4D行動をとる若者たちは、私たちからみれば「問題」ですが、他方では、リスクを抱えた若者のサバイバル戦略とも考えられます。
 第2章では、こうしたサバイバル戦略を、どこにいても誰といようと自分のアイデンティティにしがみつく「パンダ」、日和見でどこにでも融け込もうとする「カメレオン」、そして自分が相手をコントロールできるように自分に注目させる「ヒョウ」の3つに分類しています。
 第3〜5章はリジリアンスを育てるための戦略の紹介です。若者たちの4D行動に対してウンガーが提案する戦略は「やめさせるのではなく代わりを探す」です。戦略1の「若者の真実を聞く」をはじめ、「若者が自らの行動を批判的に見るよう援助する」「若者が必要だというものにフィットする機会を創造する」「若者が耳を貸し、敬意を払うような仕方で話す」「最も大切な差異を見つける」という5つの戦略です。
 第6章は、いじめの臨床実践。パンダ、カメレオン、ヒョウのアイデンティティがそれぞれどのようなイジメっ子の姿となってあらわれるのかが示されます。近年、わが国においても知られるようになったイジメ予防をうたう心理教育プログラムについても若干批判的なスタンスを披露しながら、イジメっ子にイジメでない代案を提案するための会話を展開しています。そして最後に第7章と8章では、リジリアントな若者のストレングスを評価するインベントリーを紹介し、その利用法が紹介されています。
 わが国では、本書でとりあげられるような若者に対して、社会は年々寛容さを失っているようです。少年法の厳罰化をはじめ、学校教育をめぐるトピックには「ゼロ・トレランス」「毅然とした対応」といった言葉が踊ります。本書の訳出がはじまった2012年の夏、ある痛ましい事件をきっかけにして沸き起こった「いじめ」撲滅についての言説の多くも、イジメ=犯罪という図式をもちだし、警察官を学校に派遣するといった解決が語られます。こうした方策に共通するのは、当の若者たちが何を考えているのかを聴き、どうすればいいのか私たちが思い悩むかわりに、若者をより大きなパワーで従えようということでしょう。もしかしたら、私たちはウンガーが結論で述べたように「若者についてのある種の考え方にはまって抜け出せないでいる」のかもしれません。彼(女)らに変わることを求める前に、私たちも変わることが必要でしょう。


   ◇◆◇◆  懇親会のお知らせ   ◇◆◇◆
 講習会1日目の終了後に、懇親会を企画しています。これまでの講習会でも、「この時間に本
当にいろいろな話ができた」「日頃どもる子どもたちと関わる中で感じていることが、お互いに
共感できた」「ちょっと悩んでいることへの解決の糸口が見つかった」などの感想が寄せられて
います。とっても貴重で、素敵な出会いの場です。ぜひ、皆様のご参加をお待ちしております。 なお、会費は講習会参加費とは別に、当日、3,500円を集金させていただきます。


 日本吃音臨床研究会  伊藤伸二      2016/05/28






吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違いとは 


毎週開催される大阪吃音教室。日曜日に開かれていた例会を金曜日に変えてもらったのは、第一回吃音世界大会の翌年の、1987年でした。京都で開いたその世界大会で、世界の参加者は、伊藤の理念は理解できるが、それをセルフヘルプグループのミーティングや活動の中でどう取り組んだらいいのか、また、子どもを指導する臨床家が、何を、どのように取り組めば「吃音と共に生きる」につながるのか、具体的なプログラムを示すべきだとの指摘を受けたからです。こうして始まったのが、これまでの話し合うだけの例会とは、まったく違う、学び合うことを中心にした、「大阪吃音教室」でした。交流分析や論理療法、森田療法など、僕が学んできたことを中心に、講座を組み立てました。最初の1年間だけはモデルを示す意味で、僕が全ての講座を担当しました。その後、みんなが見よう見まねで担当するようになり、担当するために、しっかり勉強するようになりました。現在、世話人が30人いて、その人たちが担当するために、僕の出番は一年で3回程度になりました。ちょっと寂しいけれどうれしいことです。

 数少ない僕の担当の「吃音基礎知識」。おもしろかったと藤岡さんがテープ起こしをし、まとめて下さった報告も、今回が最終となりました。藤岡さんがこうしてまとめて下さらなかったら、この報告はなかったことになります。僕の発言もなかったことになります。仲間の力で、こうして紹介できること、僕にとってこの上ない喜びです。グループで話し合い、僕に質問をぶつけてくれた仲間にも感謝です。

 この報告を読み返しながら、僕はつくづく、質問を受けるのが好きで、質問に答えるときが、僕のコンピューターが一番機能を発揮するのだと思いました。今回で最終ですが、これまでの僕の講演記録など、見つけ出して、またいろいろと紹介したいと思います。


伊藤に出された質問

1.吃音と進化論 
2.吃音は遺伝するのか
3.幸せに生きるには 
4.相手によって喋りやすかったり喋りにくかったりするのはなぜか
5.なぜどもらない人は、どもる人を笑うのか
6.どもりは治るのか
7.男女比のなぞ
8.「環境調整」とは何ですか?
9.吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違いとは 


      9.「吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違い」


【参加者】この大阪吃音教室に来ている人のようにどもりを隠さずに明るく生きている人もいますし、その一方でどもりをずっと隠して生きている人もいます。その違いはなんでしょうか?

【伊藤】どもりを隠し続けている人との違い? どこがどう違うと思いますか?

【参加者】考え方が違う。

【伊藤】
 確かに考え方が違うでしょうね。吃音に対する考え方に正解というものはないし、隠し続けて生きられるなら隠し続けて生きていけばいいと思います。他人がとやかく言う筋合いの問題では全然ないですしね。でもあえて違いについて考えるとしたら、隠し続けることに疲れた人間が「もう隠すのは嫌だ」と思うところから、どもりを認めざるを得なくなることはあるでしょうね。

 「隠し続けて生きることの危うさ」。この表現をしたのは、昔NHKのセルフヘルプグループを扱った番組「週刊ボランティア」に、僕と一緒にスタジオ出演した、筋萎縮無力症という難病の浅野さんが「隠し続けて生きることの危うさ」という表現をしていました。浅野さんは、隠して生きることの切なさ、つらさ、苦しさを持ちながら、ずっと難病であることを隠して生きていましたが、同じように悩む人と出会って、隠し続けることに「もう嫌だ」と思った時、難病をオープンにしたら、すごく楽になり、生きるエネルギーが沸いてきて、セルフヘルプグループをつくり、エネルギッシユに活動をされていました。「隠して生きてきた」のとは、全く違う人生が開けていきました。

 吃音の場合も、隠し続けて生きることのしんどさに耐えられる人、そして、その生き方がいいと言う人は、吃音を隠し続けて生きたらいいと思います。

 僕らのような凡人には隠し続けて生きることはすごく難しい。小学2年生から21歳まで、どもりを隠し、話すことから逃げて生きてきました。その人生に疲れたとき、「どもりは必ず治る」と宣伝する「東京正生学院」に出会えたことはラッキーでした。必死で1か月、吃音を治す努力をしたけれど、当時来ていた、300人全員が治らなかった。あれだけ「治したい」と思い、あこがれていた「どもりが治る」だったけれど、治らない現実に向き合って、もう隠すことはやめようと思いました。僕は21歳で方向転換ができてよかったと思っています。早いうちに降参した方が良いと思います。結局僕たち凡人には、たいした能力もないし、人より自信がもてる能力もないし、隠し通すだけの気力もない。そういう僕らが救われる道となると、「どもりを認めて生きる」というのが、一番楽な生き方だと思います。

 どもる僕たちが、何をよりどころにして生きていくかというと「この社会を信じる」ことしかないと思います。「どもっているとみんなが変な顔をするに違いない」「どもっていると劣った人間と思われるに違いない」という、社会に対しての敵対心や、「みんなは自分の敵だ」という気持ちを捨てて、社会を信じて生きる。他者を信じて生きる。時に裏切られることがあり、信じられないと思うときもあるだろうけれど、それでも信じる。こちらが目の前の相手を信じ、相手を信頼すると、相手も信頼してくれる可能性があります。

 相手が信じることができる人、信頼できる人でないと、自分は相手を信じないとなると、それはいつになるか分からない。今日からできることは、自分からまず、相手を信じることです。相手を信じて、素直にどもって生きる。どもりながらそれを晒して生きることは、実はとても楽なんですよね。

 これを、浄土宗の開祖法然の「ただ信じて、念仏を称える」で、誰もができる易行(いぎょう)といいます。どもりを治してから相手とつきあうでは、いつその日がくるか分からない。発声練習して常に吃音をコントロールして、どもりを隠して生きて、さらに自分のやりたいこともして、それで楽しい人生が送れる人間なら、そうすればいいと思います。それは誰にでもできることではなく、仏教の悟りへの道で言えば、難行苦行です。凡人である僕らにはできない。だったらもうそのままを認めて生きるしかない。これの方がずっと楽な道です。

 鎌倉仏教の前の平安仏教の「修行だ、修行だ、修行だ」と「難行苦行」の旧仏教に対して、「そんなことでは人は救われない。全ての人が救われる易行でないと意味がない」と言って、「ただ、信じて南無阿弥陀と称えるだけでいい」と言ったのが法然、親鸞の考え方です。僕はどもりを治すための努力は続けられないし、隠し通すだけの気力も、隠しても社会から認められるだけの特別の能力もありません。

 僕は社会を信じて生きたいです。確かに嫌な人間もいるし、気分が悪いこともいっぱいあるかもしれないけど、アドラー心理学で言う「共同体感覚」を持って「社会はそんなに悪い世界ではない」と信じてどもりながら生きる。その中で考え方が変わるし、どもりそのものも自然に変わるのであれば変わると言えるんじゃないでしょうか。どもりは本当にわからない、神秘に満ち満ちています。こういう神秘なものを持っているということを、僕は、誇りに思います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/26

どもる子どもの 母親は悪くない 環境調整される存在ではない。

 大阪吃音教室 吃音基礎知識の続きです。

伊藤に出された質問

1.吃音と進化論 
2.吃音は遺伝するのか
3.幸せに生きるには 
4.相手によって喋りやすかったり喋りにくかったりするのはなぜか
5.なぜどもらない人は、どもる人を笑うのか
6.どもりは治るのか
7.男女比のなぞ
8.「環境調整」とは何ですか?
9.吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違いとは 

  
         8.環境調整

【参加者】
 話し合いをしている時に、「環境調整」ということばが出てきました。環境調整とはいったい何でしょうか?

【伊藤】
 環境調整とは、嫌なことばです。僕は、吃音の講義をしている大学や専門学校で「臨床家は、『環境調整』ということばを使わないようにしよう」と言っています。「幼児吃音の臨床は、環境調整である」と、国家試験には出るので、このことばを知っておく必要はありますが、僕は使いたくないです。

 環境調整の基本的な考え方は、原因論として出された、ウェンデル・ジョンソンの診断起因説からきています。診断起因説とは、わかりやすく言うと、どもりは「子どもの口から始まるのではなく、母親の耳から始まる」という説です。子ども時代の誰にでも見られる、どもっているように聞こえる「非流暢性」を「どもり」だと診断することから、どもりが始まるというのです。ここから、どもりは母親が作ると言われた時代が長く続き、お母さんが責められたりしました。

 また、ウェンデル・ジョンソンは、この大阪吃音教室でも学んでいる「言語関係図」も提案しました。どもる状態のX軸、聞き手の反応のY軸、本人の反応のZ軸の立方体をつくり、これが吃音の問題の箱だと考えます。これは、これまで吃音の問題は、どもる状態だけにあるとしていたことから大きな転換をはかる画期的な提案です。聞き手の反応をどもる子どもにとって良いものにしていこうとする考えそのものはいいのですが、それがあまりにも、強調されると弊害が出てきます。

 「母親の態度、家族の態度が吃音に影響する。どもる子どもに、早く言うように言ったり、ことばで言わないまでも子どもがどもったら眉をひそめたりする環境が、子どもの吃音に影響するので、そういうことをしないでよい環境にしよう」というものです。具体的には言語聴覚士やことばの教室の教師が、家族にカウンセリングやガイダンスをして環境調整をしようとします。これは、環境があまり良くないから子どもがどもり続けているという前提に受け取られてしまいます。

 しかし、僕が直接出会ってきた、また電話相談で話を聞くお母さんたちに、調整しないといけないような問題を抱えている家庭はほとんどありませんでした。むしろ環境調整しなきゃならないのは、こんなことばを作ったり、治そうとする吃音の専門家たち、「治そう、改善しよう」とする臨床家の方だろうと思います。
 理想的な母親や父親、兄弟、姉妹関係の中で育ったとしてもどもる子どもはどもります。食べ物も与えられないような劣悪な環境にあったとしてもどもらない人はどもらない。

 幼児期の吃音の母親指導の一番の眼目として「幼児の吃音は環境調整にある」と言われていますが、言語聴覚士やことばの教室の教師たちが保護者と面接しても「この保護者の、この家庭の環境のどこが悪いのだろう?」と困ることがあるようです。でも「何か問題があるのではないか」という環境調整の視点で探っていると、誰だって問題に気づき始めます。問題がありそうだという前提で、問題を探れば、子育ての中でもいらいらして、気が立ったりしてつい子どもを叱ったりすることもあるし、急がせたりすることもありますよね。そんなことを言ったらきりがない。
 周りの環境も大切ですが、「環境調整」などと言う必要はないと僕は思います。それよりもずっと大切なのは、環境がどうであれ、子どもが生きる力をそだてることです。「レジリエンス」に僕たちは注目しています。 

 参考 
『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)P.56 ワーク9言語関係図をつくろう
『吃音とともに豊かに生きる』 両親指導の手引き書41(NPO法人全国ことばを育む会)

どもる人に男性が多いのはなぜ?

  

大阪吃音教室の吃音基礎知識の続きです。


  7 <男女比> どもる人に男性が多いのはなぜ?

質問

 大阪吃音教室でもそうですが、吃音は男性の方が圧倒的に多いですよね。先ほどの進化論とはつながるものがあるのかもしれませんが、どういういきさつでこうなったのでしょうか?


【伊藤】

 いきさつというのは、どういう理由、原因かということでしょうが、事実としてどもる男性は、どもる女性の3倍から7倍だと言われています。この数字も研究者で幅はありますが、大きな差があることは事実です。男女比がこれだけ違うということが、吃音は遺伝的な因子があるのではないかという説が根強くあるのだと思います。
 
 男女比は、吃音の世界大会でも話題になりました。「男性は女性よりも社会的な期待が大きいから、ストレスやプレッシャーが大きい」「男尊女卑が影響している」「女性は結婚すると社会にでなくていいから」「もともと女性は子どもの頃は、男性より成長が早い」などいろいろな説が言われていますが、僕はそういうこととは全く関係ないと思います。スウェーデンでも日本でも、韓国でもどの国でも、男女の期待や社会的地位などにかなり差がある国であっても男女比は同じです。
 遺伝子についても分かっていません。アメリカではいろいろと研究して、論文は発表されているようですが。確実にこうだとは言い切れないものばかりです。もう「わからない」ということです。吃音にはわからないことばかりなのに、様々な研究がされています。もう「わかりません」といえばいいものを、何か理由をつけて成果を出さないと大学の教授や研究者としての役割ができてないように思うのでしょうか。いろんな仮説が出ますが、すべてが結局は否定され、何もわかっていません。

  「なぜ歌う時にはどもらないのか」という単純な吃音のメカニズムですらわかっていません。科学的な説明も誰もできていません。それくらいにわからないことばかりなんです。世の中には原因不明、解明できないことは山ほどあります。
 昔から吃音は謎の障害、謎の問題と言われており、科学や医学が進歩し、IPS細胞、STAP細胞などと言われるこの時代においても未だに何にもわかっていません。それなのに最近の吃音の本では「これだけのことが科学的な根拠でわかってきました」「遺伝が0パーセントです」などと、ごく一部の論文を紹介して、まことしやかに書かれていますが、嘘っぱちです。
 それほど吃音は、謎めいたもの、不思議なものなのです。

2016/05/24  伊藤伸二

どもりは治ると宣伝するところがありますが、どもりは治りますか 

 大阪吃音教室  吃音基礎知識の講座のつづきです。

     6. 「どもりは治るのか?」

 質問
 大阪吃音教室に来る前は「どもりが治るのか、治らないのか」ということが一番気になっていました。どもりは治る・改善できる」と宣伝するところはありますが、そのことについてはどうなのでしょうか?

【伊藤】
 「どもりは治る、改善できる」と宣伝しているところは、ほとんどインチキです。僕は自分自身の経験、7千人ほどのどもる人、世界大会で世界の人と出会つていますが、「治った人」には会っていません。ただ、どもらないように「極端にゆっくり話す人」には3人ほど会いましたが。

 どもりが治るか治らないか。これが本当に明確になれはいいですよね。僕は科学的にどもりが治るか治らないかについて厳密には言えないですが、圧倒的多数が治っていないのは事実として認めざるを得ないと思います。
 僕はよく、吃音が完全に治る確率を宝くじに例えます。三億円の宝くじに当たる人はいます。確かにいるけれども確率としては非常に低い。となれば、確率の低い宝くじが当たってから「家を買おう」と思っていたらいつまでも家が買えません。宝くじを当たることを前提にした人生はもったいないですね。どもりが治るというのはおよそ3億円の宝くじが当たるような確率と言っていいと思います。
 アメリカ言語病理学のバリー・ギターでは、治ることに関連して3つの言い方をしています。

  ,匹發蕕覆た佑空気でも吸うように何の意識しないで、どもらないで話す。
 ◆ーりからはどもっていると分からない程度にコントロールできているが、どもることは意識している。
  どもっていて、周りからもされは分かるが、悩むことなく自然にどもっている。
 
 
  ーったという人はいるんでしようが、僕は,両態になった人にであったことはありません。子どもの時代どもっていたが、いつのまにかどもらなった、「自然治癒」と言われている状態になっている人の話は、たびたび聞きます。幼児吃音の「自然治癒」の確率は、以前は80パーセントと言われていましたが、45パーセント程度だと、言われています。これは、小学校入学までで、小学校に入ってどもっている場合は、「自然治癒」はあまり期待ができません。

 ◆,海両態になっている人は、たくさんいるだろうと思います。僕も大勢の前で話すときは、このような状態になりました。大学の教員になって、講義や、講演などで、人前で話すことを仕事にして、場になれたためと、四六時中話すことが、僕は意識していませんでしたが、結果として言語訓練になったのでしょう。アナウンサーの小倉智昭さん、女優の木の実ナナさんも、この状態でしょうが、どもることは意識しています。小倉さんは「吃音は治らない、僕は吃音キャスターだ」と言い、木の実ナナさんは、渥美清の「寅さんの映画」で「おにいちゃん」のセリフが言えずに撮影が2日間ストップした経験をハナしています。アメリカでは吃音は言語訓練でコントロールできると言いますが、僕はできないと思います。訓練してできるものではなく、自然に身につくものでしょう。
 僕はここ15年ほど、人前でもよくどもるようになりましたし、寿司屋で「トロ、タマゴ」は、ほほ言えません。コントロールできません。

  この状態になっている人は、僕たちの周りにもたくさんいます。どもっていとも、困ることも、悩むこともありません。僕はこの状態で、「トロ、タマゴ」が言えない、名前の「イトウ」が言えないのは不便ですが、どもって、時間をかければなんとか通じるので、困ってはいません。

 自分が損か得か、自分が生きやすいか生きやすくないかという観点から考えても、どもりは治らないものと覚悟を決めて生きていく方が得策ですよね。吃音研究者や専門家がたくさんいるアメリカでも、先週の映画を見てもわかるように、「何回も何回も治療を受けたけれども、治らなかった」ということが今も昔も起こっている。つまり「本来、吃音は治らないもの」と考えた方がいいです。僕らは何かの拍子に自然にどもり始めて、それが自分の体に入り込んでいる。言ってみればどもりは自分の体の中にあるものだから、それを取り出して治そうという発想自体、人間としてのあり方として間違っているんじゃないかと僕は思います。だから早く認めた方が勝ちです。

 正確には治るかどうかは分かりませんが、治る可能性があるものを、「治らない」と覚悟を決めて生きるのは素敵なことだと、僕は思います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/23

どもる、と笑われる。どもることを、どうして人は笑うのか

 大阪吃音教室、吃音基礎知識の続きです。この報告今回で5回目です。

    5. 「笑うことの意味」


参加者
どもって喋っていると笑われることがあります。どもっている張本人は苦しいのですが、どうしてどもらない人は、どもる人の喋り方を面白いと思うのでしょうか? それにどう対応したらいいですか。

【伊藤】
みなさんの中で、人がどもっているのを見て面白いと思ったことある人はいますか?

【西田】小学校の頃、同級生がどもりの男子生徒をからかっていて、それが面白いと思って僕も真似していました。真似が原因かどうかは分かりませんが、僕もどもり始めました。当時は、少なくとも僕も、同級生も、どもる喋り方を面白いと思ったのでしょうね。

【伊藤】
人はどうして笑ったり、面白いと思うのでしょうか?ちょっとみなさんで考えてほしいのですが、どういう状態を人は面白いと思うでしょうか?

【藤岡】昔は、どもっている人を笑うなんて私の中で絶対にタブーでしたが、大阪吃音教室では人がどもつているのを笑えるのが私はいいなあと思っています。私自身も言葉が出ない時は思わず自分で笑ってしまうことはあるし、人が一生懸命どもって喋ろうとしている姿を見て微笑ましくて笑うとか、そういうのはあります。

【伊藤】
普通だったら「僕は」と言うところ、「ぼぼぼぼぼぼぼぼ、ぼくは」って言ったら、単純に面白くないですかね?

【溜】自分と違うっていうことですよね。

【伊藤】
そうそう、自分と違うことした人のことなどに対して、自分の予想外のことが起こると、それを面白いと思うということは、ないですか?

【西田】堤野さんが大学時代、最初の授業の自己紹介で名前が言えなくてクラスのみんなに笑われた。それがきっかけで彼は大学に行けなくなったんですよね、

【川崎】予定調和が崩れた時というか、予想外のことが起こったら、純粋に面白いと思いますね。相手が苦しんでるか、苦しんでない関係なく。

【伊藤】
思いもよらないことが起こったら、人は笑う場合があるよね。

【西田】特にみんなが緊張している時に思いもよらないことが起こったら余計に笑うと思います。それこそ、みんな緊張している大学の最初の授業の自己紹介で、順番に名前を言う場面で一人がすごくどもったら、これは何だと、びっくりして笑いがでるかもしれない。

【伊藤】
以前、奈良に北海道浦河の「べてるの家」の統合失調症の当事者の講演を聞きにいったことがあります。当事者が話の中で「僕のこの辺にね、いつも『こうしろ、こうしろ』と命令をするやつがいる。この前、こんなことをしたけれど、俺が変なことをするのは、この命令するやつが悪いんだ」と言って、命令する幻聴のエピソードをユーモアたっぶりにいくつか紹介してくれました。そしたら、そこに参加していた奈良の統合失調症の当事者が「その命令をしているのは僕なんだ」と言ったんです。

 そのやり取りがめちゃくちゃ面白くて僕はゲラゲラ笑ったんです。今でもその場面を思い出すと単純におもしろいと思いますよ。でも他の参加者(統合失調症の家族)は「笑っちゃいけない」と思っているか、笑わない。僕だけがゲラゲラ笑っていて変な感じがしました。べてるの家の統合失調症の話をしている人たちは、「笑ってくれて当然」だと思って話をしているのに、みんなシーンとして聞いていたら、なんだか深刻な感じがします。 北海道の浦河の「べてる祭り」に行きましたが、「幻聴・幻覚大賞」をつくつて、自分がいかに大変な幻覚、幻聴があるかを競って話し、大きな会場の参加者は大笑いして拍手をしている。それを経験していたからか、経験していなくても僕は大笑いしたかもしれませんが、面白い時は笑ってもいいですよね。

 最近の日本は、いや世界中もそうですが、とても不寛容な時代になりました。「人を笑ってはいけない」「不謹慎なことをしてはいけない」になりすぎて、すごく窮屈になってきている気がします。だから僕たちは「笑われる」ということに対して、反対に「おお、笑ってくれるのか」と考えてもいいと思います。実際にそう考える人もたくさんいますしね。

 「笑いとは何か」ということを研究してもいいですね。だから、僕たちの吃音ショートコースで、「笑いとユーモア」をテーマに2泊3日のワークシヨップをしましたね。笑い芸人の「松元ヒロ」さんにきていただきましたが、普段もよく笑う僕だけど、90分ほど笑い転げたのはあまり経験がない。「日本笑い学会」の井上宏さんの講演も勉強になりました。笑いについて知っておき、笑いに強くなれば、自分も笑える。そういう意味ではユーモア感覚を磨くことは大切ですね。落語を聞きに行ったりして、面白いことにはゲラゲラ笑うということを経験すると笑いに対するセンスができる。自分が笑われても大丈夫になってくるし、人のことを素直に笑えるようになると思います。

 また、笑われるということをネガティブな反応として捉えているとつらいですね。笑いには、攻撃の笑いもあれば共感の笑いもあるし、応援の笑いもあります。国語の音読でどもった時にシーンとされて、「かわいそう」という雰囲気になると自分もつらいですよね。反対に、クスっと笑ってくれたりゲラゲラと笑ってくれたりした方が楽だったという人もいます。「笑う」ことについても、考えてもらいたいですね。

 人をおとしめようとして意図的に笑うこともあれば、攻撃の笑いもあれば、思いがけずふと笑う笑いもある、励ましの笑いもある。そう考えると笑いの意味が変わってくると思いますね。どうでしょうか?みなさんの中で笑われて嫌な感じがしなかった経験、むしろ笑ってくれてよかったという経験はありますか?

【溜】職場の電話でどもって言えなかった時に、笑ってくれてホッとした経験があります。私が電話口でどもったら、クスって笑って「緊張しなくていいねんで」と言ってくれたんです。それで私はホッとして緊張が解けました。

【伊藤】
どもりとつき合うための有効なヒントのひとつは「相手がどんな反応をしようと、それは相手の反応なので僕たちの責任ではない。相手の反応を僕たちでコントロールすることは不可能なので、その反応に対して嫌な思いをするかホッとするかは全て自分が”どう受け止めるか”にかかっている」ということです。

 こう考えると、僕たちは相手を変えることはできないけれども、自分の反応の仕方を変えることや、相手に過剰に反応するのをやめる練習はできますね。この練習の方がずっと有効だと思います。相手に「自分の期待通りに反応してほしい」と言ってもそれは無理です。となると、どんな反応がきても自分で対処できるようにすればいい。それには「研究」をすることも有効だと思います。

 自分のアクションに対して相手がネガティブな反応をした時に、「この人はどういう意味で反応したんだろうか?」と研究する。研究した後はその人に「あなたが反応したことを僕はこういう風に研究したのですが、実際はどうですか?」と聞いてみるとか。そうすれば相手も「そんなつもりじゃなかった」となるかもしれない。これが当事者研究です。そんなことができれば、どもることも、相手の反応も研究材料になって、楽しい「吃音人生」になると思うんですけれどもね。  つづく

参考 『笑いとユーモアの人間学』 日本吃音臨床研究会・年報13号

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/22

相手によって、どもる。どもらないが変わる


 大阪吃音教室の吃音基礎知識の続きです。

1.吃音と進化論 
2.吃音は遺伝するのか
3.幸せに生きるには 
4.相手によって喋りやすかったり喋りにくかったりするのはなぜか
5.なぜどもらない人は、どもる人を笑うのか
6.どもりは治るのか
7.男女比のなぞ
8.「環境調整」とは何ですか?
9.吃音を隠して生きる人、認めて生きる人の違いとは 


      4. 「対等」

 質問
 1対1のコミュニケーションでも、喋りやすい人と喋りにくい人がいる。上司や立場の上の人、怖い人の前ではとてもしゃべりにくくて、普段以上にどもってしまう。その時の自分の内面をどういう風に考えていけばいいのでしょうか?

 【伊藤】
 僕は相手によってどもることが変わることはありません。どもるということで言えば、しゃべりやすい家族とのあいだの方がむしろどもります。確かに、しゃべりにくい、苦手な人はいるけれと、それは偉い人、上司だから、年上だからではなく、単に人間の好みであって、しゃべれにくさには全く結びつきません。僕がそうだからと言って、あなたのように、人によって、しゃべりにくい、どもる度合いが多くなるというのは、よく理解できます。どうしたらいいかはよく分かりませんが、とても根本的なことを話します。

 「人間関係は常に対等だ」ということをきちんと押さえておくことだろうと思います。人間は決して平等ではないけど、人との1対1のかかわりでは、常に対等だと僕は思っています。

 僕が大阪教育大学に勤めていた時のエピソードですが、有名な誰もが知っている大きな会社の社長さんが脳卒中で倒れて失語症になりました。その社長のセラピーについて、大阪教育大学、早稲田大学、失語症関係の病院と、失語症の一流のスタッフが集まって、今後の治療についてチームが組まれました。責任はチームがもつとして、実際に週に二回スピーチセラピーをする人間として、30歳前の若い僕が選ばれました。技術も実績もない僕がどうして僕が選ばれたか。もちろん他の人は忙しい人ばかりなので。週二回もセラピーの時間はとれない。それが一番の理由ですが、他には、僕が人に「物怖じしない」から選ばれたのだと思います。

 僕は大政治家でも社長でも大学教授でも、どんな立場の人間であっても僕は物怖じしなかったからです。自民党の幹事長だった田中角栄さんに会うときも、平気でしたし、NHKのテレビ局のスタジオ収録を2回経験していますが、テレビのカメラがあっても、目の前に千人いようと平気です。一対一で、相手が中学生や高校生であろうと、「人間としては対等」だと思っています。だから、感心するときは感心し、尊敬できます。年上だから、経験をつんでいるから、尊敬できるということでもありません。

 だから人によって話し方が変わるとか、恐ろしさが変わるということはない。もし相手の地位や肩書によって「自分は劣っている」と考えてしまうと、「この人の前では緊張する」「この人には言えない」「この人にはどもってしまう」ということが起こってくる。だから「人間としては少なくとも対等だ」と、「相手が社長であろうとどんな立場の人であろうと、人間としては対等だ」という感覚を持つことが大切だと思います。そういう感覚が本当に持てた時に、人間はすごく楽になるだろうと思います。

 なぜ僕はこのような考えられるようになったのかと言うと、父親の強い影響だと思います。とても貧しかったですが、父親は自分の仕事、「謡曲の師範」に誇りを持っていましたし、貧しいことを恥ずかしいとは思っていなかった。親父の口癖は「清貧に甘んじる」「鶏口となるも牛後となるなかれ」でした。すごくどもっていた父ですが、警察官や役所の上の人などの権威に、とてもアサーティヴに主張していました。

 明治生まれですが、戦前は絶対的な権威であった天皇の戦争責任を口にしていました。何かの話題の時「お天ちゃん」と言っていたのを覚えています。天皇に対してそのような態度だったので、子ども心に「人間は対等」との意識が自然に身についていたのだと思います。

 「私はどうしてこの人の前でどもるんだろうか?」「どうしてこの人の前だと恐いんだろうか」ということをちょっと考えてみる。当事者研究をしてみると、苦手な上司が、昔自分をよく叱ってきたお父さんに似ているとか、親戚の人とそっくりとか、過去の自分の経験が影響している場合もあります。苦手な人に対して研究をしてみるといいですね。研究をして「お父さんの怖かったイメージを上司に投影しているから苦手意識を感じるんだ」ということがわかったとしたら、苦手な人への対策も少し立てられる。

 「基本的に人間は対等である」。これをしっかりと自分で言い聞かせる。そうすることで少しずつ楽になっていくんじゃないかなと思います。

 「人間に慣れていく」ということも必要でしょうね。苦手な人がいて、うまく喋れなくても、話さなくても、その人の近くに行ってただ座ってみるとか。相手の目はこわくてもしっかりと見るようにするとか、苦手意識を持っている人間に慣れていけばいいと思います。「この人は、自分のどもる姿をどう思うのだろうか」と考えているとどもれないし、しんどいですよね。僕たちは、他人が思うことはコントロールはできないので、「自分の望むように自分のことを思ってほしい」というのは不可能です。

 「相手にどう思われようが自分は知ったこっちゃない」という気持ちでいかないとしんどいですね。人はそんなこと難しいとよく言いますが、自分の持っている非論理的思考に気づき、それを変えればそんなに難しいことはない。僕たちがいつも学んでいる、「論理療法」がとても役立つと思います。

 参考になる本
 石隈利紀・伊藤伸二 『やわらかに生きる−論理療法と吃音に学ぶ』 (金子書房)
 向谷地生良・伊藤伸二 『吃音の当事者研究−どもる人たちが「べてるの家」と出会った』 (金子書房) 

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/21

どもる人が 幸せに生きるには

 大阪吃音教室の僕の吃音基礎知識3です。

     3. 「幸せに生きるために」

質問 「どもる人が生きていくなかで、人生の楽しさや充実感を味わうにはどうすればいいいか。どのようにすれば幸せに生きられるか」ということを知りたいです。

【伊藤】
 それはとても簡単です。「どもる人が」という前提を外せばいいのです。どもるということを抜きにして、「人が幸せに生きられるということはどういうことか」を考えていけばいいです。もちろん、全ての人にとっての幸せなんてありえないので、一人ひとりの幸せについては自分で考えていくしかないですけどね。

 でも仮に、あえて、「どもる人が」という条件で考えると、一番必要なのは「どもりそのものを認めて生きるという」ということだと思います。「どもる事実を認める」ということが大前提です。それ以外の前提はありません。その前提があった上で、「自分は何がしたいのか」「何が好きなのか」「何を美味しく感じるのか」「どんなことに、ワクワクするのか」。それを追求していくしかないと思います。

 幸福論で有名なアランは「よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ」と言い、「悲観主義は感情で、楽観主義は意思の力による」と言います。「人は誰も幸せに生きる能力があり、幸せになる権利がある」、さらに、「人は誰も幸せになる義務がある」とまで言います。幸せを素直に追求していけばいいんだということです。世の中には「幸福論」の本がたくさん出ているので、そういうものから、自分に合いそうなものを選んで、読みながら、「自分にとっての幸せは何だろう?」と考えていくのは、とても意味のあることだと思います。

【川】
 この質問をしたのは僕で、まさに伊藤さんのおっしゃる通りなんです。どもりという要素は関係なく、幸せになることは僕も一緒だと思いますが、そこに「+(プラス)どもり」という要素が加わることで、「どもる人ならではの幸せ」みたいなものがあれば考えたいと思いました。

【伊藤】
 それは大いにあると思います。「+(プラス)どもり」という視点で考えると、他の人だったら、朝起きて挨拶をして「おはよう」と言った時に、「おはよう」がスムーズに言えたからといって「おお!今日は1日気持ちいいぞ」とかそういう喜びはないですよね。ところが僕たちは「気持ち良くおはようが言えた」という、そのことだけでも幸せに感じたりします。一日幸せな感じが昔の僕はしました。今はその程度では幸せは感じませんが。

 1965年の夏、僕は東京正生学院でどもる人たちに出会った時、どもっていっぱいしゃべり、いくらどもってもみんなが平気で聞いてくれた。仲間がいて、おしゃべりが気兼ねなくできる毎日がお祭りのような感じがしました。どもらない人間だったら毎日がお祭りなんてことはありえないですが。苦しんできた人間が仲間と出会い、思う存分どもれる環境で話し、聞いてもらう。そんな環境に置かれた時に僕は「ああ、幸せだな」と思いました。
 
 それは苦しんできた人間だから感じることです。そういう意味では、どもりで苦しみ、人間関係やコミュニケーションで苦しんできたという、”苦しみ”が前提にあるから、人と通じ合えた時の喜びは普通の人が感じるよりも大きいのだと思います。それは神様から苦しんできた人間へのある意味ご褒美のような気がします。

 竹内敏晴さんも似たようなことを言っていました。「ことばが劈(ひら)かれる」体験をしたあと、「おはよう」と自分が言ったのが相手に伝わり、それが自分にも伝わってきた。耳がまったく聞こえない時期があった竹内さんは自分では「おはようございます」と言っているつもりが、相手には「おあよおおあいあう」としか聞こえていなかった。耳が聞こえるようになって、自分のことばも変わってきて、ことばが相手「ぢか」に伝わった感じした。しばらくの間「毎日がお祭りのようだった」と言っています。

 いろんな感覚、感性は苦しんできた人間に与えられたものだと思いますね。それが苦しんで生きて来た人間の特権だと思います。ありがたいですよね。

 それと、どもりと認めても、どもりと共にサバイバルしていくのは、そんなに簡単なことではない。どうしたら、劣等感をもった、弱点と一般的にはみられるものと共存して生きていくかには、それなりの覚悟と、知識と、訓練が必要になる。そのために僕たちは、精神医学、臨床心理学、演劇、笑いやユーモアなど、一般の人なら学ばないようなことを、どもりに悩んできたおかげでいっぱい学ぶことができました。どもりでなければ出会えない、様々な領域の第一人者と出会うことができた。これもどもりで悩んだけれど、どもりを認めて生きるようになったからこそのプラスですね。僕たちの20年続いた研修会である、吃音ショートコースで学んだことは20冊の雑誌となりました。その時の講師と共著で4冊の本を出版し、合計、15冊の本を書いて出版できたのも、多くの人との出会いのおかげです。

 「どもりを治す、改善する」の地点に居続けたら、「かわいそうな、理解してあけなくてはならない存在」とはみてくれても、幅広い共感は得られなかったと思います。「吃音と共に豊に生きる」は、どもらない多くの人と共感し合えるものだからです。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/20

チャールズ・ヴァン・ライパーのメッセージ


 今、大阪吃音教室での僕の担当「吃音基礎知識」の連載をしています。
 ふと、1978に書いた「どもの相談」と名付けたパンフレットのチャールズ・ヴァン・ライパー博士の巻頭言を思い出しました。ヴァン・ライパーとは深い交流がありました。「吃音を治す努力の否定」「吃音者宣言」を翻訳して送ったところ、とても共感したとのメッセージを送ってくれました。

 僕が「どもりの相談」のパンフレットを書いていると、内容を説明し、巻頭言を書いて欲しいお願いしたところ、書いて下さったのが紹介する巻頭言です。今の連載にぴったりだと思いましたので、紹介します。


巻頭言

 恐怖・差恥・無知、私たちはこれまでこの3匹の悪魔にとりつかれてきました。その中でも、無知という悪魔は最も手ごわく、そのためにどもりは、わけのわからないのろいのように思われてきたのです。
このパンフレットは、3匹の悪魔すべてと戦うために編まれました。特に、無知という悪魔と戦うために、どもる人自身にも、またどもる子どもや、どもる人のまわりの多くの人々にも、どもりの本当の問題は何かを知らせています。
 私たちは、どもりながらも実りある人生を送ってきた多くの先輩たちに学び、どもることによっておこる恐怖から逃げたり隠れたりせず、どんどん話していかなければなりません。そうすることが、どもりのことをあまり知らない人々が作りあげたどもりに対する悪いイメージを変えていくことにもなるのです。

 どもることはそれ自体、少しも恥ずかしいことでもなく恐れるものでもありません。ただ、どもる人がどもらないようふるまおうとすることに問題があるのです。どもることを恐れ、恥ずかしがり、どもっていたら自分のやりたいことが何もできないと思いつめることにこそ周題があるのです。

 どもりにとらわれたあまり犯してきた私たちの失敗を、どもる子どもたちが繰り返さないように、また私たち成人のどもる仲間が自分を無価値な人問であると思いこんで卑下することのないように、私たちは私たち自身を変えていかねばなりません。また、社会を啓発していかねばなりません。
 どもるからといってそれにとらわれ、自分の人生を台なしにするのではなく、輝きあるすばらしい人生を共に送っていきましょう。 1978年10月
   ウェスタンミシガン大学教授(言語病理学)チャールズ・ヴァン・ライパー


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2016/05/20
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