伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2015年06月

大阪でどもる子どもの相談会 こどものレジリエンスを育てる


 6月28日、神戸で講演・相談会がありました。もう30年ほど前からつづいているのでしょうか。毎年4月ごろに開いていますが、今年は僕が骨折をしたために、この日程になりました。このブログで紹介しないままに当日を迎えました。25名ほどが参加し、どもるひとだけでなく、6家族の子どもの問題について考えました。その様子はまた紹介します。今、僕の講演や講義の中心になっている「レジリエンス」について話しました。

 50年近く、「吃音と共に生きる」を提唱してきましたが、されを説明するのに、「レジリエンス」は、ぴったりきます。僕が21歳まであんなに悩んできたのに、そこからどうあまり悩まない、自分らしい人生を歩めるようになったのかが、説明できる概念なんです。
 「落ち込んでも、立ち直れる、がんばろうと思えるようになる」。子どものころにこのような考え方をしっていたら、つらい学童期・思春期をおくらなくても済んだかと思うと、この考えを是非広めたいと思います。

 神戸の相談会は紹介できなかったのですが、大阪の相談会はぎりぎり紹介することができました。よかったら、ご参加下さい。


 
 どもる子どもの親と臨床家のための吃音相談会

 子どもが突然「おおおかあさん」と言い出したら、ご心配なことでしょう。
相談に行って「放っておいたらそのうち治りますよ」と言われたが、一向によくならないどころか、子どもがますます悩みを深めたということもよく聞きます。
 吃音に関するインターネット情報は、治る・治すべきを基調として様々なものが飛び交っています。その中には、誤ったものも多く、吃音に関する正確な情報が少ない中で、吃る子どもも、周りの方も、吃音にどう対処していいのか、困っています。
 今回、下記のとおり、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトと日本吃音臨床研究会の共催で、吃音相談会を開きます。
 この相談会では、参加者から質問を出していただき、みんなで話し合いながら、考えます。また、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二が、どもりについての基礎的な知識や子育ての基本など、具体的な例をもとにお話をします。
 お子さんの吃音のことで悩み、困っておられる方、どうぞお気軽にご参加下さい。

       記

日時 2015年7月5日(日)午後1時〜4時30分(受付 12時30分より)

会場 應典院(おうてんいん)地下鉄「谷町九丁目」・「日本橋」駅下車徒歩7分

対象 どもる子どもの親、ことばの教室をはじめ子どもの臨床に携わる教師や言語聴覚士

スタッフ 伊藤伸二(元大阪教育大学非常勤講師・言語障害児教育)
      東野晃之(大阪スタタリングプロジェクト)
      坂本英樹(高校教師、教育相談担当、どもる子どもの保護者)
      溝口稚佳子(元寝屋川市立国松緑丘小学校教師・支援学級担当)

参加費 資料代として1500円

申し込み方法  ―蚕蝓↓∋臆辰気譴訖討了疚勝↓E渡暖峭罅↓せ劼匹發了疚勝↓デ齢(学年)、α蠱未靴燭い海函知りたいこと、今困っていることを明記の上、はがきかFAXでお送り下さい。

申込先・問い合わせ先 日本吃音臨床研究会
       〒572-0850 寝屋川市打上高塚町1-2-1526  TEL/FAX 072-820-8244

伊藤伸二プロフィール
 元大阪教育大学非常勤講師。言語聴覚士養成の専門学校で吃音の講義を担当。

 小学2年生の秋から吃音に強い劣等感をもち、1965年に吃る人のセルフヘルプ・グループ、言友会を設立するまで吃音に深く悩む。1986年に第1回吃音問題研究国際大会を大会会長として開催し、世界40カ国が参加する国際吃音者連盟の設立にかかわる。現在国際吃音者連盟の顧問理事。

 セルフヘルプグループ、論理療法、交流分析、アサーション・トレーニング、竹内敏晴・からだとことばのレッスンなどを活用し、吃音と上手につき合うことを探る。吃音ワークショップ、吃音親子サマーキャンプ、臨床家のための吃音講習会などを開催している。

 著書に、『吃音とともに豊かに生きる』(NPO法人全国ことばを育む会・親指導手引き書)『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』『知っていますか? どもりと向きあう一問一答』『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)『やわらかに生きる−論理療法と吃音に学ぶ』『話すことが苦手な人のアサーション』『ストレスや苦手とつきあうための 認知療法・認知行動療法 吃音とのつきあいを通して』『吃音の当事者研究』(金子書房)など。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/06/29

国立特別支援教育研究所での講義


 毎年、国立特別支援教育研究所で一日吃音の講義をしています。もう25年ほどにはなるのでしょうか。僕のような、ある意味極端な「吃音治す努力を否定」する考えの人間に、話す機会を与えて下さることに、とても感謝しているのです。否定するだけでなく、吃音を治す努力をする変わりの、努力すべきことをきっちりと提案しているからでしょう。100年以上も吃音を治す努力が世界的に失敗してきている現状で、僕の治す努力より、もっとすべき努力がたくさんあるとの主張が、僕としては、ますます重要になってくると考えています。

 全国から集まった、ことばの教室などの先生のみなさんも、僕の思いをしっかりと受け止めてくださいました。大学や、言語聴覚士の専門学校の時もそうですが、必ず受講生のみなさんの質問を受けることから講演や、講義を始めます。一方的に僕の思いを伝え、聞きたいことがきけないことを避けるためです。今回も、グループに分かれて、吃音についての質問を考えてもらいました。そのひとつひとつに答えていくのですが、この時間が一番好きです。バラウティーに富んだ質問が出されると、バラエティーに富んだ話になります。結局午前中の90分の2コマが質問に対する僕の答えで終始しました。

 さすがに昼からは、僕の話したい「レジリエンス」について話そうとして、時間が残ったらまた質問に答えるので、とりあえず、今、どうしても聞きたい質問だけにして欲しいと講義を再開したのですが、いくつもの質問に答えることになり、一緒に見る予定のビデオをみる時間がとれませんでした。それでも、やはり僕は、この質問に答える時間が大好きです。今回は特に、一般的なことだけでなく、自分が指導している子どものことや、保護者のことの具体的に質問が出されました。
 その中で、僕の主張がみなさんに伝わったという確かな実感がありました。

 この写真と一緒に次のメッセージはうれしいことでした。

 
先日は,私たちの研修のために遠方よりおいでいただきましてありがとうございました。
 また,吃音やご自身についての質問に,1つ1つ丁寧にお答えいただきましてありがとうございました。
 あの日はお話の内容だけでなく,お人柄もあり,みんな弱い自分をさらけ出せた気がしました。笑いあり,涙ありで今も感動の余韻が残っています。
 百万石での津軽海峡冬景色もことばに来ている子どもと歌ってみたいと思います。
 
 「あなたはあなたのままでいい あなたはひとりではない あなたには力がある」
 このお言葉を胸に,子どもと一緒に悩みながら成長していきたいと思います。
 レジリエンスで頑張ります。(担当している子どもに早く会いたくなりました。)
 


伊藤先生と牧野先生1

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/6/28 

吃音の夏が近づく

 また,吃音の夏がすぐやってきます。
足を骨折して、スケジュールが変更されたために、6月は大忙しの1か月でした。二つの言語聴覚士の専門学校の講義が終わり、先週の週末は8月の講習会のための合宿でした。その時の様子はまた報告します。明日から国立特別支援教育総合研究所の一日講義のために、神奈川に向かい、7月には沖縄の専門学校の講義と、講演会、吃音親子サマーキャンプの演劇の合宿、そして、吃音講習会、吃音親子サマーキャンプへと続きます。楽しい、うれしい、吃音ロードです。骨折の後遺症も一段落しましたので、これからは、このブログもできるだけ更新して行きたいと思います。

 とりあえず、僕たちのニュースレター「スタタリングナウ」の一面記事の紹介を継続していきます。今回は、以前は吃音親子ふれあいスクールと呼んでいた時代の記事です。


    吃音親子ふれあいスクール  
 スタタリングナウ NO.5 1994.12.28

  
 「吃音は治らない。したがって、臨床家としては、何もすることはない」
 「どもる子どもに治療的試みをすることは百害あって一利もない。だから何もしないほうがよい」

 いわゆる言語障害の専門家から、こう言われたことばの教室の担当者がいる。その方から「ことばの教室でどもる子どもをどう指導すればよいか?」との切実な質問を受けた。
 直接、間接にこれらの声はよく耳にするが、それらの方々に、私たちの吃音親子ふれあいスクールに参加していただきたいとお勧めしたい。

 「吃音は必ず治る」として、いたずらに吃音治療に明け暮れた頃から比べれば、吃音が治りにくいものであるとの認識が定着したのは前進には違いない。しかし、だからと言って「何もできない、むしろ何もしないほうがよい」とは、それが、言語障害の専門家から出たことばだけに残念でならない。このように言われるようになった責任の一端は私たちにもあるのかもしれない。

 いわゆる吃音症状にのみ焦点をあてた吃音治療の弊害を訴え、《吃音を治す努力の否定》の問題提起をしたのは、私たちだったからだ。吃音受容がまず大切だと訴えたかったのだが、《治す努力の否定》のことばだけが一人歩きしてしまった。

 問題提起した私たちは、治す努力に変わる努力の方向を、《吃音とつきあう》立場で模索し続けてきた。大阪吃音教室の、『吃音とつきあう吃音講座』は毎週金曜日の夜2時間、一回ごとに違うテーマで、年間40回以上続く。それだけ取り組まなければならないことが多いということだ。その講座にほぼ毎回出席し、真剣に取り組んで初めて、《吃音とつきあう》考えが分かり、日常生活に生かせるようになったと言うどもる人は多い。

 《吃音と上手くつきあう》ことはそんなに容易くはない。何もしないで、放っておくだけでは、何の変化も起こらない。大阪吃音教室8年の活動の中で、プログラムは改良に改良が続けられてきた。その成果をどもる子どもにも生かしたいと考えたのが、吃音親子ふれあいスクールで、それも今年で5回目となった。

 楽しい、リラックスした雰囲気でスクールは進行するが、時には緊張する場面もある。他者の前で自分の問題を、自分のことばで話すことは最初は緊張する。しかし、どもっても受け入れられ、真剣に話を聞いてもらえるという安心感の中で、子ども達は実によく話す。また、どもる子にとって、大勢の人前で演じる演劇は最も苦手とすることだが、最初は尻込みした子どもも、仲間やスタッフに励まされ、ほとんどの子どもが最後には喜んでこのプログラムに加わる。

 かなりハードな練習で何度も何度も泣きそうになりながら、このスクールで一番楽しかうたのは演劇だったと最後に感想を言った小学6年の男子。
 セリフも殆ど暗記していたのに、つっかえつっかえ、時にはひどくどもりながら、表情豊かに演じ切り、舞台が終わっての挨拶の時、とても満足そうな顔をしていた小学4年の女子。
 
 私たちは、少しでも楽に話せるようにと、ことばそのものへのアプローチも重視しているが、からだとことばのレッスンによって、子どもの声は見違えるように出始める。ことばの問題ひとつとってもアプローチしなければならないことは多い。

 今回私たちのスクールに、ことばの教室の先生が何人か参加して下さった。
 <何もできない、何もしてはいけない>ではなく、<しなければならないことはたくさんある>ことを実感していただけたのではないか。このように私たちのプログラムに参加していただくことで、《吃音を治す努力の否定》の問題提起への誤解が少しでも取り除かれればうれしい。(1994.12.28)

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/06/22

ノーベル賞と吃音者


 スタタリングナウの紹介です。
 今僕は「吃音者」という言い方はしません。「吃音者宣言」の宣言文の起草者ですが、その当時からこの年ぐらいまで、使っていました。今は使わなくなりました。どもる人を使います。それは世界の潮流でもあります。今、映画監督の羽仁進さんの映画が再評価されて、大阪でも1か月、羽仁進監督の映画が連続して上映されようとしています。スタタリングナウの再録のタイミングに羽仁進さんが今回でてきたのも、何かの縁でしょう。

 スタタリングナウ   NO.4 1994.11.1

             ノーベル賞と吃音者

 −「エッ、江藤、しっ、しっかりしろよ。エ、江藤、お前は堂々としているなあ。しっ、しっかりしろ。だ、だいじょうぶか。江藤。お、お前本当に堂々としているな」

 大江はほとんどひとりごとをいっているのであった。私が聴いているなしにはおかまいなく、吃りをまるだしにして、さすってくれながらそうつぶやいていた。これを聴くうちに、私の両の眼に熱いものがあふれてきた。そういえば、大江が「お前」と言ったのも私を「江藤」と呼び捨てにしたのも、このときがはじめてだったような気がする。大江がそれをまるでひとりごとのようにいっているのがよかった。私はその時、大江の優しさが私を包むのを感じた。−大江健三郎全作品2 付録 新潮社

 若いころ、羽仁進さんらと一緒に飲んで泥酔し、みじめになっている時、大江さんから受けた介抱を、江藤淳さんがいつまでも覚えている。大江さんの人柄が偲ばれて心温まる、エピソードだ。

 「ノーベル賞の受賞者は日本に8人いるが、その中に吃音者が2人いる。物理学賞の江崎玲於奈さんと今回の文学賞の大江健三郎さんだ」との発言から、大江健三郎さんのノーベル文学賞受賞が決まった次の日、大阪吃音教室で大江さんのノーベル賞受賞が話題になった。

 「僕はどもるし、そのことで悩んだことはあったかもしれないが、吃音者とレッテルを貼られるのは…、僕は小説家だ」と、自分のことが吃音者のグループで話題になっていることに、当の大江さんは苦笑いをされることだろう。大江さんがどもるということを知っている私たちは、吃音者の先輩としてだけでなく、さらに平和や障害者問題に対する発言に共感をし、尊敬と親しみを抱いていた。そこで、不躾にも、言友会創立25周年の記念大会に記念講演をお願いした。

 「せっかくですが、私は吃音に関して何も話すものは持っていません…」と、その時丁寧な断りのおハガキをいただいた。吃音ではなく、核の問題、障害者問題について話して欲しいとお願いしたら、来て下さったかもしれない。

 私たちはいろいろなメディァを通して他人の人生を知ることができる。どもったことがある、あるいは自ら吃音者と名乗る方々にお手紙をさしあげたり、講演をお願いしたりする場合がある。その時のその人の対応は様々で、興味深い。吃音者であることをむしろ誇りにし、私たちの働きかけに応じて下さる方もいるが、「かつてどもった経験はあるが、私は吃音者ではない」と、吃音者からの仲間扱いに不愉快さを率直に表明される方もいた。

 大江さんは、『個人的な体験』にみられるように自己受容の人である。吃音を否定されている人ではない。むしろ吃音の受容が大江さんのことばにある《仮の受容》の役割をし、ご子息、光さんの誕生から子育ての過程の《本当の受容》に至ったのではないかと推察することも可能だ。

 吃音に悩み、吃音に大きく人生を左右されている人にとっては、《吃音者》としての自覚が必要な時期はあるが、吃音に影響されずに生きている人にとっては、《吃音者》のレッテルは不本意ではないだろうか。また、《吃音者》のことばには、吃音を過剰に取り込みすぎている感じがしないではない。

 大江健三郎さんのノーベル賞受賞の日、大江さんからのハガキを思い出し、『吃音者宣言』の起草者でありながら、《吃音者》ということばについて改めていろいろ考えてみた。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/06/01
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