伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2015年05月

土井敏邦監督最新作 記憶と生きる

記憶と生きる 001
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土井敏邦さんは、イスラエル・パレスチナ問題を中心に取材活動をしているジャーナリストで、ドキュメンタリー映画の「沈黙を破る」「“私”を生きる」「異国に生きる」「「飯舘村―放射能と帰村―」の監督です。
 「“私”を生きる」という、教師の生き方をえがいたドキュメンタリーは、このブログでも以前紹介しましたが、その映画に共感し、「どもりの映画」を作っていただけないかとお願いしたことをきっかけにして、いろいろとご連絡いただけるようになりました。今回も、この映画の上演の案内をいただきました。

 時々、このブログでも書いていることですが、どもりの問題は、ひとりどもりの問題だけで成立するものではありません。差別をゆるさない、戦争をさせない、「人がいかに平和に生きるか」を追求する、根本思想がないと、自分だけが幸せに生きればいいにつながってしまいます。
 だから僕は、憲法の平和主義をもとに、過去の戦争への思いや、原子力発電の問題、あらゆる差別問題に関心を持ち続けたいと考えています。

 しかし、僕のからだはひとつです。あれもこれもできる訳ではありません。僕は、僕のライフワークであるどもりについては、大げさに言えば、命をかけてやり抜きます。残念ながら、自分が直接関われない分野については、強い関心を持つ続け、できる場合は、側面的に応援するしかありません。

 慰安婦問題は、今とても微妙な立場にあります。いろんな考えもあるでしょう。しかし、原爆の被害者である僕たち日本人が、原子力の反対を訴えるとき、日本が加害者であった過去の歴史を、ちゃんと認識すべきだと思います。いろんな考えの人も、この映画をみて、考えるきっかけになればと思います。
 この時期に、この映画を上演する意義を思います。関心がある方がおられましたら、多くの人にこの情報を知らせていただければうれしいです。詳しくお知りになりたい方は、土井敏邦さんのブログをお読み下さい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/05/30 

子どもの意見表明権


 今僕は8月の吃音講習会「どもる子どものレジリエンスを育てる」の準備のために、「レジリエンス」関係の本を読み進めています。レジリエンスとは、これからこのブログで何度もでてくるキーワードのひとつですが、レジリエンスとは、もともとは物理学の用語で、「回復力」「弾力性」という意味ですが、その定義も、おいおい詳しく書いていくとして、とりあえずは、「逆境を、しなやかな回復力で生き抜く力」と使っておきましょう。

 同じような困難な状況にありながら、ある人はその状況に負け、つらい生活を余儀なくされます。ある人は、生き延びていきます。その力は、本人の持つ力と、環境による力があります。
 今回スタタリングナウの紹介は3号ですが、子どものレジリエンスを引き出すためには、子どもの表現を押さえつけないまわりの大人の、社会の環境が必要です。そのひとつが、こどもの意見表明権をみとめる、親、教師など周りの大人の態度にあると思います。
 1994年にかいたものですが、そのまま紹介します。スタタリングナウの 1号 2号と合わせてお読み下さい。
 スタタリングナウは僕の巻頭言に続く特集があり、この文だけではわかりにくいかもしれませんが。

 「スタタリングナウ  1994.9.8  NO.3号」

 子どもの意見表明権
 
 「子どものくせにえらそうなことを言うな」
 「自分の都合のいいことばかり言うな」
 家庭で、学校で、子どもが自分の意見を言うと、このようなことばで遮られることが多い。子どもの意見をまず聞くよりも、親や教師は子どものためを思ってと言いながら、まず自分たちの立場を子どもに分からせようとして意見を押しつける。

 日本のこのような子どもを取り巻く環境の中で、子どもの権利条約第12条「子どもの意見表明権」が真に大人から理解され、受け入れられ、子どもたちが自信をもってこの権利を行使するようになるにはかなりの時間がかかるように思われる。
 このことは自然に育つものではなく、意図的に積極的にこの権利について親、教師、子どもたちが考え、理解し、話し合う必要がありそうだ。

 そして実際に家庭で学校で、親、教師、子どもが、自分の気持ちを素直に話す練習をすることだ。さらには、論理的に筋道立てて話す練習も必要だ。

 どもる子の場合、特にこれらのコミュニケーション能力の育成が大切になる。次のような事例があるからだ。
 「学級の中で金銭が紛失した。現場近くにいた私と別の子にその疑いがかけられた。先生から問いただされた時、私はどもってしどろもどろになり、話のつじつまが合わなくなった。そして、疑いは更に深まり、私は犯人にされてしまった」

 20年以上も前になるこの事件を振り返って、そのときの悔しさをぶつけるどもる人は、どもりたくないあまり、ことばをごまかしている内に表現がおかしくなってしまったと、述懐する。

 平気でどもっていた子どもが吃音を恥じ、悪いものと考えるようになると、だんだんと話す意欲を失っていく。必要最小限のことしか話さなくなると自分の気持ち、考えを徐々に言わなくなる。それでも日常生活にあまり差し障りはないからだ。そして、いざ話したい、話さなければならない時話せなくなってしまう。

 また、自分の気持ちを言わない生活が続くと、嫌なことを一杯経験していても、「嫌だった・・」としか言えず、だから腹が立ったのか、悲しいのか、悔しいのか、自分の気持ちをどう表現したらよいか分からなくなってしまう。
 どもる子をもつ親の多くが、将来、子どもがどもることでからかわれたり、いじめられたりしないかの不安を持つ。どもる子にかかわる者としては、その子の吃症状の軽減より、たとえどもっても、自分の気持ち、考えを伝えるコミュニケーション能力の育成こそが先決で、大切なことのように思える。

 もちろん、子どもが話したとしてもそれを全く受け入れようとしない《森本君のいじめ体験》にある教師のような場合もあり、受け手の側の、子どもに対する人権意識と、上手に聞き、ポイントを的確にとらえる力量が問われるのは言うまでもない。『子どもの意見表明権』に関して、私たち大人が考え、しなければならないことはあまりにも多い。

 「私は悲しい、私は腹が立つ、私はさみしい、私は悔しい、私はうれしい、私は怒っている、など、思ったこと、感じたこと、自分の気持ちを遠慮なく話していいんだよ」
 「私は〜がしたい、私は〜して欲しいなど、それが全てかなえられるかどうかは分からないけれど、心の中で願うことをことばに出して言ってもいいんだよ」
 まず子どもたちに伝えたい。

 日本吃音臨床研究会  伊藤伸二 2015/05/29

傾城反魂香 どもりの又平のどもり方


 このブログはずっと前に書く予定でした。2月大阪松竹座で、中村鴈治郎四代目襲名興行に言って来ました。初代鴈治郎は知りませんが、二代目、三代目はよく知っています。二代目は映画によく出ていたからですし、三代目は今の藤十郎です。藤十郎よりも扇雀の時代の方がよくしっています。

 さて、今回は傾城反魂香をみたくて行きました。あらすじはビラの後にネットからのコピーを載せいてます。近松門左衛門のこの作品は、どもり絵師又平と恋女房お徳との夫婦の情愛をえがいたものですが、どもる僕たちにとっては、又平の「どもりっぷり」に興味が湧きます。ひどくどもる人間として描かれているので、どもり方も訳者の演じ方でかわります。

 以前のブログに書きましたが、中村吉右衛門の又平と、片岡仁左右衛門の又平の三人をこれまで見ています。役者のどもり方に二通りがあります。いわゆる連発(繰り返し)のどもり方と難発(ブロック)のどもり方です。役者はそのどちらかを選ぶのですが、今回のか鴈治郎はブロックのどもり方でした。ブロックはことばが詰まって「・・・・・・・」となるので表現はできません。そこで息を吸いながらどもる、いわゆる「引きどもり」というどもり方でした。この選択はまちがいだったと思います。

 息を吸いながらどもるので、何を言っているのかが聞き取れないのです。ただ「わあわあ騒いでいる」だけに周りに見えるのです。

 中村吉右衛門も片岡仁左右衛門も、はでな連発(繰り返し)のどもり方だったので、すごくどもっているのですが、何を言っているかはよくわかるのです。二人とも、見事などもり方でした。

 ここで、僕が思ったのは、ひどくどもっても、「ぼぼぼぼぼほぼく・・」の連発のどもり方のほうが、日常生活でもずっと楽だということです。著名人でテレビに出てくる人は、自分がどもりだと公表していても、あまりどもりません。ブロックの軽い状態で、どもらないように工夫しているのがよくわかります。

 最近はほとんどテレビに出なくなりましたが、映画監督の羽仁進さんは、すごくどもりながら、気持ちよく話していました。子どものように連発してのどもり方は、とても心地よいものでした。どもりたくないとすることが、かえって聞き手には違和感を持たせますが、羽仁監督のように堂々とどもると、とてもさわやかです。

 僕も最近、講演でもよくどもるようになりましたが、目立つどもりかたを心がけています。
 またどこかで、「傾城反魂香」が歌舞伎でかかることがありましたら、是非見て下さい。とてもいいお芝居です。どこがいいかは、以前のブログで書いたので今回は省きます。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/05/13


傾城反魂香のチラシ縮小版




 
土佐将監閑居の場
 時の帝の勘気を受け、絵師・土佐将監は妻の北の方と山科の国に隠れ住んでいる。その里に虎が出没する騒ぎが起こり、弟子の修理之助は我が国に虎は住まぬのにといぶかる。そこへ裏の藪から巨大な虎が出現。驚き恐れる村人を尻目に、将監はこの虎こそ名人狩野四郎次郎元信筆の虎に魂が入ったものと見破る。修理之助はわが筆力でかき消さんと筆をふるい、見事に描き消す。弟子の実力を認めた将監は、修理之助に土佐光澄の名と免許皆伝の書とを与える。

 これを聞いた兄弟子の浮世又平は妻のお徳ともども、師に免許皆伝を頼み込む。又平は人がよく絵の腕は抜群なのだが、生まれついての吃音の障害を持ち、欲がない。折角の腕を持ちながら大津絵を書いて生計を送る有様である。そんな弟子にいら立ちを覚えた師は覇気がないとみなして許可しない。妻のお徳が口の不自由な夫に代わって縷々申し立てても駄目であった。

 折しも元信の弟子の雅楽之助が、師の急難を告げる。又平は、これこそ功をあげる機会と助太刀を願うが、これもあえなく断られ、修理之助が向かうことになる。
 何をやっても認められない。これも自身の障害のためだと絶望した又平は死を決意する。夫婦涙にくれながら、せめてもこの世の名残に絵姿を描き残さんと、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。「名は石魂にとどまれ」と最後の力を込めて描いた絵姿は、あまりの力の入れように、描き終わっても筆が手から離れないほどであった。水杯を汲もうとお徳が手水鉢に眼をやると、何と自画像が裏側にまで突き抜けているのであった。「かか。ぬ、抜けた!」と驚く又平。お前の執念が奇跡を起こしたのだと感心した将監は、又平の筆力を認め土佐光起の名を与え免許皆伝とし、元信の救出を命じた。

 又平は、北の方より与えられた紋付と羽織袴脇差と礼服を身につけ、お徳の叩く鼓に乗って心から楽しげに祝いの舞を舞う。そして舞の文句を口上に言えば、きちんと話せることがわかる。将監から晴れて免許状の巻物と筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのであった。

国際吃音連盟の基本理念


僕は国際吃音連盟の顧問理事をしていますが、今、国際吃音連盟が、これまでの「吃音の理解を広げよう」とした、理念を変えようとしています。
 世界から活動基金を集めやすいように、吃音の苦しみを前面に出し、「吃音の治療・改善」を、吃音研究者・臨床家に求めようとする内容です。

 2013の第10回オランダ大会で、「私はどもるけれど、それに何か問題がありますか?」の缶バッジをつけて、堂々とみんながどもっていた姿が、とても印象的でした。世界の多くの人と話す中で、「と゜もりは治らなかったが、楽しく、充実して生きている」との話をたくさん聞きました。なので、少なくとも、ヨーロッパの人たちは、僕たちの「吃音と共に豊に生きる」方向になっていると思っていました。だから、この唐突な国際吃音連盟理事会の提案に戸惑いました。

 そこで、理事会にこのような発信をしました。海外の人たちに少しでも伝わるようにと、英文では少し変えいますが、内容はこのようにものです。紹介します。

     提案  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 1986年夏、私が大会会長として第一回世界大会を京都で開いた時、「研究者、臨床家、どもる人が、互いの研究、臨床、体験を尊重し、情報交換すべきだ」とする大会宣言を採択した。

 どもる人には、どもる人の役割がある。国際吃音連盟は、世界のどもる人のセルフヘルプグループのゆるやかなネットワークだ。セルフヘルプグループの活動の中で得た、知識や、生きるための工夫、つまり、「吃音と共に、サバイバルして生きる」ための情報交換の場だ。吃音の理解を広げ、どもる人が生活しやすくするための情報発信の場だ。さらに、セルフヘルプグループの活動を世界に広げる役割をもつ。

 もし、国際吃音連盟の基本の理念として、吃音は本来あってはならないものとして、「吃音治療・改善」を活動の中心に置くなら、それはセルフヘルプグループの活動ではなく、患者団体になってしまう。
 患者団体と位置づけるなら、どもる人は、常に援助されなければならない弱い存在として、吃音研究者・臨床家に、「吃音の原因究明や、治療・改善」を要請することになるだろう。
 セルフヘルプグループと位置づけるなら、専門家の支援を受けつつも、私が人生の主人公だとし、「吃音と共に生きる」ことを仲間と共に探り、実践していくことになる。

 100年以上の本格的な吃音研究・臨床が続けられながら、いまだに吃音の原因が解明できず、確実な治療法がない現在、私たちは、「吃音と共にいかに、サバイバルして生きるか」を追求し、そう生きているどもる人の存在を、世界に発信していく必要がある。日本吃音臨床研究会は、吃音がその人にマイナスの影響を与えているものは何で、それにどうすれば対処できるかを常に考えてきた。論理療法、交流分析、認知行動療法、マインドフルネス、アサーティヴトレーニング、ナラティヴ・アプローチが、吃音改善のための言語訓練より遙かに役に立ち、吃音と共に豊かに生きる、どもる子どもやどもる人が育った。

 今、精神医療・福祉の世界で「レジリエンス」への関心が高まり、研究・実践が広がっている。また、「リカバリー」の概念も広がり、「障害や病気が治らなくても、自分のかけがえのない人生を生きる」とする生き方が追求されている。そのような大きな流れの中で、なぜ、吃音だけが、かつての「脆弱性モデル」から抜け出られずに、「治療・改善」にとらわれるのか。私たちは、好むと好まざるに関わらず、すでに「吃音と共に生きている」。そこで得てきた生活の知恵や工夫を、当事者の立場から発信し、共有する時にきている。狭い意味での吃音治療から脱却すべきだ。

 国際吃音連盟が、その先頭に立ってほしいと切に願っている。

 1986年の第一回世界大会・大会宣言を紹介しておく。
             
 大会宣言
 話しことばによるコミュニケーションが欠かせない現代、吃音は人間を深く悩ませる大きな問題のひとつだと言える。また、吃音は人口の1%の発生率があり、これは国や民族の違いを越えてほぼ同率である。この世界の多くの人々が悩む吃音問題を解決しようと、様々な調査、研究、及び治療プログラムが世界各国で進められ、セルフ・ヘルプ・グループも多く発足した。しかし、長年にわたる調査、研究にもかかわらず、吃音の本態で不明な部分は多く、したがって全ての吃音児・者に100%有効な治療法はまだ確立されていない。吃音児・者は吃音にどう対処すればよいか、また臨床家はどのようにアプローチすればよいか悩んでいるのが現状である。
 一方、一般社会には「どもりは簡単に治るものだ」という安易な考えがあり、吃音児・者の真の悩みは知られていない。社会における吃音問題への理解の浅さが、吃音児・者本人にも影響を及ぼし、吃音問題解決に大きな障害となっている。

 このような吃音を取りまく厳しい状況の中で、吃音問題の解決を図ろうとするためには研究者、臨床家、吃音者がそれぞれの立場を尊重し、互いに情報交換することが不可欠である。互いの研究、臨床、体験に耳を傾けながらも相互批判を繰り返すという共同の歩みが実現してこそ、真の吃音問題解決に迫るものと思われる。

 ここで、研究、臨床上、考慮しなければならないことは、吃音は単に表出することばだけの問題ではなく、その人の人格形成や日常生活にまで大きく影響するということである。だからこそ、吃音問題解決は、吃音児・者の自己実現をめざす取り組みであり、吃音症状の改善、消失もその大きな枠の中に位置づけられるべきである。
 1986年8月、京都で行なわれた第一回吃音問題研究国際大会を機に、我々は世界各国の研究者、臨床家、吃音者に呼びかけ、吃音問題解決のための輪を広げることを宣言する。

 1986年8月11日 第一回吃音問題研究国際大会・京都大会

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/05/08

いじめと 『こどもの権利条約』


 骨折をして、ギプス生活のおかげで、外出好きの僕も、さすがに外へは出にくくなっています。おかげて、今年の8月に行われる「第4回、臨床家のための講習会」のテーマ、レジリエンスの資料を読む時間にあてることがてきています。6月には、その準備合宿が名古屋でありますので、今の時期、ちょうどよかつたのかもしれません。レジリエンスについて学ぶに従って、「いじめの問題」とリンクしていきます。前回から始めた、スタタリングナウの紹介です。1994.7.16日のものですが、このころから、もっとレジリエンスが浸透していればと、レジリエンスの必要性を強く感じます。


        いじめと『こどもの権利条約』

 「僕だってまだ死にたくない。だけどこのままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」
 東京の当時中学校2年生だった、鹿川裕史君はこう走り書いた遺書を残して自殺をした。この悲痛な叫びは裁判官には届かなかった。教師までも寄せ書きに加わった『葬式ごっこ』を「ひとつのエピソードとみるべき」とした判決に、当時多くの批判が出された。

 それから3年、今年の5月20日、「自殺はいじめが原因で、適切な指導をしなかった学校にも貴任がある」と訴えた、《鹿川君いじめ訴訟》に対して、東京高裁は一審判決を覆した。
 「多数の生徒に教師まで加わった、鹿川君の存在を否定するような行為は、彼にとって、教師が頼りにならない存在だと思い知ったに違いない」として、『葬式ごっこ』をいじめと認定し、自殺に対して、学校の責任を厳しく糾弾した。

 その日のほとんどの新聞の夕刊は、この判決を支持し、一面で大きく取り上げた。
 その10日後の5月30日、岡山の中学3年生菅野泰樹君が、いじめた子の名前と、取られた金額や暴行の様子を書いたメモを残して自殺をした。

 この中学の学校長は、はじめは「自殺の原因は、いじめかどうか断定できない」と言っていたが、調査され、追求される中で、「自殺の原因はいじめだった」と認めた。
 鹿川君の命をかけた訴えは、新聞、テレビなど、マスコミで大きく取り上げられたが、この岡山の中学校には何も届かなかったということになる。

 昨年、いじめによる自殺が8月までは、ほぼ一ヶ月に一度の割合で起こった。一時表面的に沈静化したかにみられたいじめは再び増加の兆しがみられるという。
 いじめられている子どもたちの多くは、周りに何らかの、シグナルを送っている。学校側も知っている場合が多いが、事の重みを感じず、対応しようとしない。そして、自殺者が出ても、なお自らの責任を回避し、いじめの存在を否定する。

 もう、学校現場には何も期待できないのか? 《鹿川君いじめ訴訟》の判決が下った2日後の5月22日、日本においてもやっと、『こどもの権利条約』が、発効した。1989年11月、国連総会で採択されてから、多くの国が次々と批准していく中で日本では、5年近くかかっている。この批准の遅れは、単に時の政局の事情だけにあるのではなく、日本における人権意識の遅れを表していると言えよう。確かに、戦争が自国の中であり、悲惨な状態におかれている子どもたちに比べ、日本の子どもは恵まれている。しかし、物質的にも恵まれてはいる日本で、いじめ、体罰、虐待など、子どもをめぐる問題は山積している。

 前文で言われる、「こどもの人権を十分に配慮し、一人一人を大切にした教育」が現実になされていたら、鹿川君、菅野君のような事件は起こらなかっただろう。

 子ども自身が声を出せる場を保証し、それを真摯に受け止める環境をつくらなければならない。

 「あの時、いじめている連中が悪いと思ったが、鹿川君に手を差しのべなかった自分にも責任がある。それを忘れずに生きていく」との鹿川君の同級生の声に救われる。そして、この声は、『こどもの権利条約』をこどもたち自身へ、周りのおとなへ、徹底させる必要性を訴える声でもある。今、『こどもの権利条約』の精神を積極的に学校教育に生かさなければ、鹿川君、菅野君等、多くのいじめの犠牲者は浮かばれまい。 
                          『スタタリング・ナウ 癲2号』 1994.7.16日

 日本吃音臨床研究会  伊藤伸二 2015/05/05

いじめは人殺しや  

日本吃音臨床研究会では、毎月「スタタリング・ナウ」と名付けた、ニュースレターを発行しています。
 この4月号で、248号になります。吃音と共に生きるのテーマで、よくここまで続いてきたと思います。幅広い領域から学んだこと、世界大会の話題や、どもる子どもや、どもる人、保護者やことばの教室の先生や、言語聴覚士の実践など、毎月掲載してきました。その特集に合わせて、僕が1面の巻頭言を書いています。

 その巻頭言も248回書いたことになります。
 「スタタリング・ナウ」の全ての内容は、年会費5000円で購読して下さっている多くの人たちのことを考えると掲載できませんが、一面の巻頭言だけでも、ときどき紹介していこうと思います。その時、どのように考えていたかも、書ければ書きたいと思います。

 日本吃音臨床研究会が活動を初めて記念すべき第一号が、小学校の時代から、どもることでいじめにあってきた青年の体験です。僕がインタビューしたものを掲載しました。今、それを読み返しても、からだが震えるほどの怒りをいじめた友達、教師に覚えます。このようなことは、今はないとは言い切れないと思います。この第一号からずっと、僕たちは「いじめ」への対応を考え続けて来ました。おいおい、お伝えしたいと思います。
 
 
   いじめは人殺しや


 「いじめは人殺しと同じや。僕は本当に何度死のうと思ったか分からへん」
 彼は今、死なずに生きている。しかし、頭痛、胃痛、不眠、目の前のちらつき、等様々な身体症状は消えない。
 どもりが原因で幼稚園の頃から辛い体験を繰り返した。それでも、どもりでいじめられないようにと、彼はスポーツや勉強に打ち込む。そして、ラクビー部でも勉強でも人一倍がんばり、人からも認められ、自信がつく。いい中学校のスタートを切ったかにみえた時、いじめが始まった。

 いじめられている子どもの味方にならなければならない教師が、反対にいじめの側にまわる。教師公認となったいじめは執拗に続き、彼の気力も体力も奪っていった。
 彼に、いじめられ体験を書いてくれるよう頼んだ時、この問題に決着をつけるためにも書きたいと言った。しかし、書き始めると、なかなか書けない。書くことで、辛く、嫌だった過去を思い出すからだ。思い出しては眠れない日が続く。「書こうとするけれど、書けません。聞いてもらえれば、話せると思います」

 伝えてあった原稿締め切り日の数日前に、彼から電話があった。私と向かい合い、マイクを前にして、彼は2時間近く話してくれた。その生々しい、いじめの実態に耳を傾け、怒りと、腹立たしさに、私のからだは震えた。

 彼は、昨夏の吃音親子サマーキャンプに参加し、程度は違っても、どもりのために、からかいやいじめを体験している同年代の子どもたちと出会った。また、かつてどもりに悩んだ経験をもち、現在はどもりながらも、教師やスピーチセラピストとして働く吃音の先輩と出会った。

 同じ悩みを持つ子ども、先輩との出会いの中で、自分自身を見つめた彼は、少しずつ元気が出始める。そして、高校を卒業したら、大学では教育か心理の方面に進みたいとの意欲をもち始めた。
 しかし、意欲はあっても、あまりにも体が弱っていた。何度も病院で検査を受ける。検査の数値上では異常はないが、頭痛、胃痛その他のからだの変調は相変わらず彼を苦しめる。

 通っていた高校で、彼に対するいじめがあるわけではないが、からだがついていかない。このまま、高校を卒業するまで、からだと気持ちをなんとかだましながら頑張れるだろうか? 彼は悩んだ。いろいろと話し合う中で、無理をして、からだに逆らってまで、学校にこだわる必要はないとの結論になり、彼は退学を決意する。大学に行きたいとの気持ちが堅かったため、自分のペースで学べ、大学受験の資格も得られる、通信制の高校に入学し直す事を考えた。両親も納得し、高校に退学届けを出した。その後、彼は高校に合格し、新しい道を歩み始めている。

 幼稚園の教師から、中学校の教師まで、彼は随分ひどい教師に受け持たれている。小学校1・2年の時の教師だけが彼を理解し、その時の彼は生き生きし、どもることへの悩みもなかったと言う。
 子どものころに教師から受ける影響は絶大だ。
 彼の小学校の教師の場合、どもりに対する、無知、無理解というより、教師そのものの適性が問われるべきだと言いたい。中学の暴力教師は、「僕は、子どものために指導しているんだ。子どもから嫌われる教師を目指す」とうそぶき、体罰教師として、反省することなく、教師の仕事を続けている。 このような、体罰で子どもを押さえつける教師が力を持つ学校は、学校そのものが、いじめを生み出す。暴力教師はもう、犯罪者だといえよう。
 彼のような暴力教師がいるかぎり、犠牲者は後を絶たない。この特集は怒りの告発でもある。

                         『スタタリングナウ 癸厩罅戞 。隠坑坑粥ィ供ィ

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/05/02 
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