伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2015年04月

岡山の相談会のお知らせ


 今日から新しくスタートします。

 今日は、4月28日、私は71歳の誕生日を迎えました。
 こんなに長く生きるとは思っていなかったので、不思議な気持ちです。
 どもりが治ることだけを夢み、治らなければ自分の人生はないとまで思い詰めていた私は、これからどう生きていこうか全く展望が持てないまま成人式を迎えました。

 1965年、21歳で転機を迎えた私は、それから、50年、吃音と共に豊かに生きてきました。十分生きたと思うので、これからはおまけのようなものです。志を同じくするたくさんの仲間と共に、楽しく活動していきたいと思います。

 しばらくブログの更新ができませんでした。
 4月の初めに、少し長い旅の途中で、素晴らしい景色を写真に撮りながら歩いていて、転んでしまいました。痛みはあったものの、仲間からもらった湿布でしのいで、旅を続けました。大阪に戻ってから、念のためにと整形外科の診察を受けると、左足の小指の付け根を骨折していました。全治4週間から5週間という診断で、ギプスをまき、高校生のとき以来の松葉杖生活をしています。

 不自由で、動きも鈍いです。4月に入っていた予定は全てキャンセルしました。大阪吃音教室の担当を替わってもらったり、神戸の相談会や岐阜の言語聴覚士の専門学校の講義は延期してもらいました。
 やっと、松葉杖も片方だけになり、少しずつ慣れてきて、今ではゆっくりとですが、20分程度なら散歩もできるようになりました。

 4月からはブログをできるだけ更新しようと意気込んでいたのが、これらの事情でできませんでした。いろいろな計画が、みんな飛んでしまいました。

 2015年度のスタートが1ヶ月遅れたことになりますが、5月の岡山での吃音相談会からスタートします。私を講師として呼び続けてくれている岡山の人たちに感謝し、2015年度の活動を始動します。
 岡山から送られてきた相談会のチラシを紹介します。お近くの人、よかったらご参加下さい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/04/28


2015年岡山相談会

吃音とナラティヴ・アプローチ



  どもりが、どもりとして認められる社会
 
 ナラティヴ・アプローチは吃音を考えるのに、極めて有効です。
 2014年秋、吃音ショートコースで「ナラティヴ・アプローチ」の講師として、僕たちに同行して下さった、ニュージーランド・カウンセラー協会員で日本臨床心理士の国重浩一さんが、「三日間一緒に過ごすというのはたいへん貴重な体験になるものだとつくづく感じている」と、ナラティヴ・アプローチが吃音に対してどのように取り組むことができるのかについて、日本吃音臨床研究会の月刊紙「スタタリング・ナウ」に書いて下さいました。

 その中で、私たちを取り巻くさまざまな常識とされる考え方が、私たちの考えかたや行動に大きな影響をあたえているとし、私たちに影響を与えているものを、ディスコースと呼び、特に、常識として、他の見方を許さない、「支配的なディスコース」が私たちを重圧をかけてくると書いて下さっています。

 支配的なディスコースは、専門家から語られることが多く、つい反論しづらくなります。このディスコースを僕は、社会通念と言って来ました。吃音の研究者が、「どもりは努力すれば治る」「どもっていたら、有意義な人生や、楽しい人生は送れない。少しでも吃音症状を軽減してあげなくてはいけない」などと発言したり、文章として書いているのを知るにつけ、僕たちは、この通念と長年戦ってきたのです。
 ナラティヴ・アプローチとは、そのような支配的なディスコースに反論するための考え方や手段を提供してくれるものなのです。
 吃音については第三者の国重さんが「スタタリング・ナウ」の4月号に書いて下さった文は、僕たちの考えてきたこととほぼ同じです。ということは、僕たちの考えてきたことは、ある意味普遍的なことだとだとうれしくなりました。
 

 1976年に僕は「吃音者宣言」の解説書のような本を出版しました。『吃音者宣言-言友会運動10年』(たいまつ社・1976年)です。そのプロローグとして、―吃音者宣言の目指すもの― として書いたものを紹介します。40年近く前にかいたものですが、僕は今も、まったく同じ考えです。長いですが紹介します。


 
どもりに悩み、不本意な生活を送ってきた私たち吃音者は、一気にその悩みを解消し、有意義な人生を送ることを夢見た。どもりを治したいと願った。その夢を、公的な相談機関がない中で、民間のどもり矯正所に託した。しかし、どもりは治ると宣伝するどもり矯正所で、私たちのどもりは治らなかった。そこで、私たちは長期にわたる努力ができる言友会をつくって、どもりを治そうとした。しかし、どもり矯正所が、どもりを治せなかったように、言友会10年の活動の中でも、どもりを治すことはできなかった。

 私たちは、どもりが「治っていないという」事実を直視する。一方、言友会の活動の中で、どもりつつも明るく生きる吃音者が育ったことを評価した。どもりを持ちながら、明るく生きる人が多くいる事実と、どもりが治っていない事実を前にしても、それでもなお、「どもりを治すことにこだわり続ける」のか、それとも、「治らなくてもどもりを持ったまま自分らしく生きることに確信を持つ」のかの選択を私たちは迫られた。

 私たちは後者の道を選んだ。治すことにとらわれ、治そうと努力すればする程悩みを深めた経験を持つ私たちは、治す努力を否定した。いつまでも、どもりにこだわり続け、そのことでエネルギーの大半を使ってしまい、人間として大切な日々の社会生活がおろそかになってしまうことを恐れたからである。

 どもりは隠そうと思えば隠し続けることができる。人間として当然すべき責務を放棄し、主張すべきことも発言せず、人生のあらゆる場面で消極的になっていれば、自分のどもりを隠し通すことはできる。どもることの苦しみから逃れるために、自分を殺し、相手に迷惑をかけても、「どもりだから仕方がない」と言い訳する甘えを私たちは持っていた。自分に甘え、社会に甘える姿勢が続き、逃げの人生を歩んできたのだった。

 どもっているのはあくまで仮の姿であり、近い将来どもりが治れば、一気に本来の自分をとり戻し、楽しい生活を送ることができる。「どもりさえ治れば」とますますどもりの殼に閉じこもっていった。そのような生活の中では、都合の悪いことが起これば、それを全てどもりのせいにしてきた。あれ程自分を苦しめたどもりが、逃げの人生の中では、自分を守るための隠れ蓑の役割を果してしまったのである。

 隠れ蓑を捨て、逃げの人生から脱皮するため、逃げている自分、甘えている自分を自覚することから私たちは始めた。逃げている自分を自覚し、意識的に生活の中で逃げない選択を続けていると、これまでできないと思っていたことが、思ったよりできる自分に気づいた。今までの甘えた、逃げた自分の生活態度を変えることは苦しい。またどもることに対する不安や恐れは一朝一夕に消えるものではない。不安を持ちながらも、頼りない自分を目覚しながらも、恥をかきつつ自分を出していくしかなかった。

 一方、私たちは、この吃音者の生き方を阻むものにも目を向けなければならない。それは、長いどもりの歴史の中で育まれてきた、一般社会のどもりに対する誤った通念である。「恥しい」「不自由」「みっともない」「小心」「神経質」などのイメージが社会にあり、「どもりは努力すれば治る」という考えも根強い。私たち吃音者が、どもりを持ったまま明るく生きることを、それらが著しく阻害している。私たちは、どもりが治った後の人生を夢みるのではなく、どもりを持ったままいかに生きるかを考える一方、このどもりに対する社会通念を変えていくことに取り組まなければならないと考えた。

 言友会は、10周年を記念した全国大会で、社会にも、自らにも、どもりを持ったままの生き方を確立することを宣言した。この吃音者の生き方を通して、どもりに対する社会通念を変えていこうとしているのである。
 どもりが、どもりとしてそのまま認められる社会の実現こそ、私たちの願いなのである。
 その道は遠くとも、行かねばならない。

 −『吃音者宣言』(たいまつ社)1966−


日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/04/14

「吃音と共に生きる」ために学ぶことは多い


 インターネット環境がない旅だったので、ブログ更新出来ませんでした。帰ってきましたので、ブログ再開です。2015年度の最初として、僕たちが学んできたことを紹介することから始めます。

 3月26日は大阪吃音教室の、2014年度の最終の例会でした。「どもりについてみんなで語ろう」のテーマでしたが、担当の藤岡千恵さんが資料として、これまで僕たちが学んできたことをまとめて、資料として配付してくれました。その資料を見て、これまでの20年間、たくさんのことを学んできたのだと、改めてびっくりしました。

 吃音は「吃音認めて、受け入れて」と言われても、そんなに簡単なことではありません。学び、訓練し、実践する日常的な取り組みが必要です。大げさに言えば、これらの幅広い分野から学んで、考え、行動し,仲間と確認し合い、話し合いを続ける中で、「吃音と共に生きる」が本当のものになるのだろうと思います。大阪吃音教室に参加した人だけでの配布ではもったいないので、ブログで紹介しました。僕たちの仲間である、藤岡千恵さんが、参加出来なかった吃音ショートコースを年刊雑誌(年報)や書籍、大阪吃音教室で学び、気づいたものをまとめたもので、個人の学びの歴史のようなものになつています。


 ◇ 吃音ショートコース ヒストリー ◇   (大阪スタタリングプロジェクト ホームページより)

1995第1回吃音受容
吃音を認めて生きる 内須川洸・昭和女子大学教
民間吃音矯正所の歴史/梅田 英彦・東京正生学院 (年報発行)


1996 第2回  からだ・ことば・こころ
竹内 敏晴・演出家  ( 年報発行)

1997 第3回  話すことが苦手な人のアサーション
平木 典子・日本女子大学教授 書籍(金子書房)

1998 第4回 表現としてのことば
谷川 俊太郎・詩人
からだとことばのレッスン 竹内 敏晴・演出家 (年報発行)

1999 第5回 やわらかに生きる 吃音と論理療法
石隈 利紀・筑波大学教授
講演 吃音サバイバル  村田 喜代子・芥川賞作家 書籍(金子書房)

2000 第6回 吃音と人間関係
村瀬 旻・慶應大学教授 
講演 吃音を豊かに生きる 羽仁 進・映画監督 (年報発行)

2001 第7回 生活に活かす交流分析
杉田 峰康・福岡県立大学名誉教授 (年報発行)

2002 第8回 演劇で学ぶ 自己表現
鴻上 尚史・劇作家・演出家 (年報発行)

2003 第9回 Constructive Living  (建設的な生き方)に学ぶ
デヴィッドK−レイノルズ 文化人類学者・CL教育研究会代表   
講演 どもりを個性に 桂 文福・落語家(年報発行)

2004 第10回 トランスパーソナル心理学−生きる意味を考える−
諸富 祥彦・明治大学教授・日本トランスパーソナル学会会長 (年報発行)

2005 第11回 笑いとユーモアのワークシヨップ
笑いのライブ 松元ヒロ・パフォーマー
講演 笑いとユーモアの人間学 井上 宏・関西大学名誉教授・日本笑い学会会長  (年報発行)

2006 第12回 こころの自然治癒力 −認知療法・認知行動療法
大野 裕・慶應義塾大学教授
講演 重松 清・直木賞作家       書籍(金子書房)


2007 第13回 パーソンセンタード・アプローチ
一人一人でありながら、お互いに支え合う人間関係をめざして 村山 正治・九州大学名誉教授 (年報発行)

2008 第14回 どもる人、どもる子どものための声とことばのレッスン
竹内 敏晴・演出家 (年報発行)

2009 第15回 アドラー心理学入門
岸見 一郎・日本アドラー心理学会理事、アドラー心理学カウンセラー (年報発行)

2010第16回 サイコドラマ入門
増野 肇・ルーテル学院大学大学院教授 (年報発行)

2011第17回 吃音の当事者研究
向谷地 生良・社会福祉法人浦河べてるの家ソーシャルワーカー  書籍(金子書房)

2012第18回 ゲシュタルトセラピ−
倉戸ヨシヤ・福島学院大学教授、大阪市立大学名誉教授 (年報発行)

2013第19回 内観療法
三木善彦・大阪大学名誉教授

2014第20回 ナラティヴ・アプローチ
国重浩一・臨床心理士、ニュージーランド・カウンセラー協会員


  この吃音ショートコースは日本吃音臨床研究会の年刊雑誌として発行され、4冊が金子書房の書籍として出版されています。書籍は書店で購入出来ますが,年報は1000円(送料込み)でお送りします。売り切れているものもありますので、お問い合わせ下さい。ワークショップの報告なので、とても実践的で分かりやすいものになっています。それぞれのテーマを学ぶ入門書になっています。


 ◇ 大阪吃音教室のキーワード ◇ 私が学んだキーワード(藤岡千恵)


(1)「からだ」と「ことば」(竹内敏晴)
からだとことばのレッスン、声を届ける
発音・発声の基礎、日本語の三原則(一音一拍、子音と母音を同時に言う、ひとつの息の流れ)
情報伝達のことば、表現としてのことば、自分の声・ことば・表現力を磨く
連発、ブロック・難発、引き伸ばし、随伴、歌、童謡、唱歌、お芝居、からだほぐし

(2)アサーション(1982年/平木典子)
アサーティブ、さわやかな自己表現
基本的アサーション権・基本的人権
基本的構え(私もOK、あなたもOK)
自己表現三つのタイプ(非主張的、攻撃的、アサーティブ)
DESC、率直・正直・素直

(3)論理療法(1955年頃/アルバート・エリス)
やわらかに生きる、非論理的思考、イラショナルビリーフ、べき思考、ねばならない、自分を縛っている考え、人生はモグラたたき、論ばく、気がかりと不安、残念と落ち込み、人間と行動を分ける、認知と感情を分ける、すっぱいブドウと三匹のキツネ、選択肢療法、過度の一般化、一かゼロか、事実とかけ離れていないか、筋が通っているか、自分にとって得か?
 
(4)交流分析(1950年代後半/エリック・バーン)
過去と他人は変えられない、人生の目的はストロークを交換することにある、
問題と行動を分ける、感情と行動を分ける、行動と人を分ける、Aを働かせる
ストローク、ストロークバンク、やりとり分析
三つの私(親の心、大人の心、子どもの心)、エゴグラム、自我状態(CP NP A FC AC)、ゲーム
禁止令・ドライバー、ストッパー、幼児決断、許可証、許し、再決断、再決断療法、人生脚本

(5)建設的な生き方(デヴィッドKレイノルズ)

(6)認知行動療法(1970年代/アーロン・ベック)
心の自然治癒力、自己変化力、自動思考、スキーマ、認知の歪み、根拠と反証、コラム表

(7)パーソンセンタードアプローチ(カール・ロジャーズ)
来談者療法、カウンセリング、共感、自己一致、受容、共感的理解、エンカウンターグループ、ファシリテーター、守護霊ワーク

(8)アドラー心理学(アルフレッド・アドラー)
勇気づけ、劣等性、劣等感、劣等コンプレックス、症状に注目しない、褒めない、叱らない、短所を長所に、トラウマなんて無い、
人間の悩みはすべて対人関係の悩み、人が変わるのに遅すぎることはない、意味づけ、ライフスタイル、原因論、目的論、課題の分離(自分の課題、他人の課題)、権力争い、三つの課題(仕事の課題、愛の課題、人生の課題)、他者貢献、他者信頼、自己肯定、共同体感覚、キーネーシス、エネルゲイア

(9)サイコドラマ(ジェイコブ・レヴィ・モレノ)
ドラマ、舞台、ロールプレイ、主役、監督、補助自我、フィードバック、シェアリング

(10)当事者研究(2001年/向谷地生良、浦河べてるの家)
べてるの家、統合失調症、幻聴さん、当事者、弱さを絆に、研究、研究する、自己病名、外在化、自分を助ける、ご機嫌
SST(Social Skills Training)、自分いじめ、非援助(論)、ともに無力になる、降りていく生き方、べてるに来れば病気が出る

(11)ゲシュタルトセラピー(フレデリック・パールス)
気づき、今ここ、図地反転、
ゲシュタルトの祈り
私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。
私は何も、あなたに気に入られるためにこの世に生まれてきたわけじゃない。
あなたも、私の気にいられるために生きているわけじゃない。
あなたはあなた、私は私。
もしも、私たちが出くわすなら、そりゃあ、素晴らしいことだ。
しかし、もしも、出くわさなかったら、
そりゃあ、仕方のないことさ。

(12)内観療法(1960年代/吉本伊信)
答えは自分の中にある、集中内観、日常内観、してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと、どもり内観

(13)ナラティヴ・アプローチ(マイケル・ホワイト)
ドミナント・ストーリー、オルタナティブ・ストーリー、「人が問題なのではなく、問題が問題なのである」
エビデンスベースド、ナラティヴ・ベースド・どもりベースド、物語、語り、外在化、ディスコース(対話)、エージェンシー、
マッピング、ユニークな結果


◆ 森田療法(1919年/森田正馬)
あるがまま、「不安や恐れをそのままに、なすべきことをなす」、目的本意、不安神経症、生の欲望と死の恐怖、感情と行動は別もの
◆ レジリエンス
レジリエンス・モデル、自己回復力、逆境を乗り越える力、リカバリー、生き抜く力、

◆ 仏教思想と吃音
易行と苦行(易行…どもる事実はそのままに日常生活に出て行く、苦行…どもりを治す、改善する)

◆ 基本設定の吃音
どもりは神様からのプレゼント、生きていることが奇跡、リカバリー、
「いかに苦しい人生であっても、精神的に病むほどの苦しみであっても、人はこの基本設定に立ち戻る」
◆ 吃音基礎知識
言語関係図(悩みの箱)、ウェンデル・ジョンソン
吃音の氷山説 ジョゼフ・G・シーアン、水面下、行動・思考・感情・身体
吃音チェックリスト 吃音評価法、とらわれ度・非開放度・回避度
吃音恐怖と予期不安 場面恐怖、緊張や不安のメリットデメリット、
ゼロの地点、言語病理学
◆ 例会
どもりカルタ、吃音川柳
聴き上手になろう、質問上手になろう
一分間スピーチ
ボイストレーニング
ことば文学賞(吃音体験を綴る)
電話とのつき合い方
職場での吃音
朗読を楽しむ
狂言に学ぶ
どもって声が出ない時の対処法
インタビューゲーム
吃音とともに生きた著名人
文学作品に描かれた吃音
◆ ノンジャンル
吃音者宣言(1976年) 東京正生学院、治す努力の否定、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるか」どもる事実を認める
吃音親子サマーキャンプ、ことばの教室、吃音ワークブック、言語聴覚士
吃音ショートコース
吃音講習会
ISA(国際吃音者連盟)
セルフヘルプグループ 自助、対等
あなたはあなたのままでいい、あなたにはちからがある、あなたはひとりではない
ニーバー「平安の祈り」
変えることができるなら変えていく勇気を
変えることができないものは受け入れる冷静さを
変えることができるかできないかを見分ける知恵を
3.11 東日本大震災、防災教育
スキャットマン・ジョン、ディヴィッド・ミッチェル、英国王、桂文福
とりあえず言い置く、どもりの悩みはどもれない悩み、機嫌良く生きる、吃音は哲学、吃音は教養、テーマに向き合う、悩む力、考える力、変わる力、どもる力、いのちの吃音、マイノリティー、少数派、吃音を生きる、吃音とともに豊かに生きる、公表、自己開示、隠れ蓑、どもる覚悟、自分を幸せにする考え方、朝礼、面接、電話、自分の名前、自己紹介、プレゼン、発表、サバイバル、工夫、知恵、スキル

卒業式を無事に終えて


 吃音の小学6年生の男子の卒業式についてま報告です

 数日前にその6年生から電話がありました。無事に卒業式を終えた、安堵感が声に表れていました。テンポ良く自分のことばを言う役割は、誰かに代わってもらいました。安心感があって、あまり緊張感なく、卒業証書を校長からもらったのですが、その後の抱負をいう段になってねがんばったものの、声が出ませんでした。なので、仕方なく頭を深々と下げて壇上から降りたそうです。そのいきさつを彼は僕に報告してくれました。

 ある人からみれば、ひとつは友達にかわってもらい、もうひとつは結局言えなかったのだから、かれの卒業式は不満足な結果に終わり、失敗だったのではないか、と思うかもしれません。しかし、僕はそうは思いません。母親から電話で相談があり、直接僕と出会って話をし、いろいろと考えて臨んだ卒業式。からだを壊すほどに悩み、卒業室にでないことも選択肢にあった中で、かれは、友達に自分の吃音について、説明し、助けをもとめた。それは立派なサバイバルです。卒業証書をもらった後、ことばがでなかったことを彼は受け止め、電話で僕に穂亜濃くしてくれました。それも、落ち込んだ様子もなく。

 自分の体験にしっかり向き合い、出来たことと出来なかったことをはっきり認識し、それを言語化する。僕の小学時代ならとてもできないことです。今回のこの体験は彼にとって大きな意味をもつだろうと思います。

 どもらずに堂々と言えたこと、どもりながら堂々と言えたこと。これらも意義あることに違いないのですが、できなかったことを他者に素直に報告できること。これもとても大きなことのように思えます。

 僕たちは、吃音(どもり)は治らない、治せないものととらえています。その「吃音と共に生きる」とは、どのような形であれ、サバイバルしていくことです。僕たちは、どんな手をつかっても生き延びろといいます。彼にとっては、無事に卒業式を終えたこと、話せなかったけれど、「僕はだめな人間」だと考えなかったところに、大きな成長があるのです。

 僕にとって、中学時代は一番苦しい時代でした。しかしそれは、一人で誰にも相談せずに悩んでいたからです。幸い彼には、とても理解ある両親がいて、吃音について一緒に考えてくれています。さらに第三者のぼくという相談相手もいます。また、夏になれば、吃音親子サマーキャンプに参加することができます。その中で、一歩、一歩成長して行ってくれると信じています。
 彼本人から電話があり、ことのいきさつを説明してもらったのは、僕にとってうれしいことでした。

 明日からしばらく大阪を離れます。従ってブログもしばらくお休みします。10日から気持ちも新たに書いていきたいと思います。しばらく間、過去に書いたブログも是非お読み下さい。

 4月10日からはしっかりと書いていきたいと思います。エイプリルフールではありません。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2015/04/01
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