伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2014年12月

吃音とマインドフルネス


 なぜ、吃音(どもり)の世界だけが、進化しないのか


 2014年も今日一日。滞在中の大分県湯布院では、今、雨が降っています。これから気温が下がっていくので、明日はホワイトクリスマスならぬ、ホワイト元旦になる予定です。よく行く亀の井別荘の喫茶店「天井桟敷」で、今年一年と、吃音のこれまでをゆったりとしたいすと、良質の音楽を聴きながら振り返っていました。

 「吃音は治らない、治せない」と覚悟を決めて45年。「症状をとることを目指す」弊害についても、多くのどもる人の体験を通してみてきました。

 「どもらないように話したい、と思えば思うほどどもってしまう現実」
 「どもってもいいや、と腹をくくればかえってうまく離せてしまう現実」
 「治したいと思えば思うほど、治す努力をすればするほど吃音にとらわれてしまう現実」

 これらの現実に向き合って、僕たちは「吃音を治す努力を否定」を提案しました。そして、治す努力に変わる、僕たちが努力しなければならないことは何かを探って、さまざまな領域から学んできました。

 「自分が本当にしたいことは何か」
 「よりよく生きるために何をしなければならないか」

 この40年、ずいぶんいろんなことを学んできました。パーソンセータード・アプローチ、交流分析、アサーティヴ・トレーニング、論理療法、森田療法、内観法、認知療法、認知行動療法、ゲシュタルトセラピー、サイコドラマ、竹内敏晴からだとことばのレッスン、演劇の表現など、それぞれその道の第一人者から、ワークショップ形式で学び、冊子や書籍として出版してきました。

 最近は、当事者研究、ナラティブ・アプローチ、リジリエンスを集中的に学びました。その中で、8月の臨床家のための吃音講習会で、ナラティヴベースド・メデスン、エビデンスベースド・メディスンについて、斉藤清二富山大学教授から学び、対談したとき、僕はこう質問しました。

 「私たちの考えで生きてきてよかったという、ナラティヴはたくさんある。しかし、エビデンスがないといわれる。しかし、吃音の世界では、治っていないことがエビデンス(科学的、統計的根拠)なのに、それを数値的に証明できない。一方で、エビデンスに基づいた臨床をしろと、数少ない数値で、治療の効果をいう、へんてこりんなことになっている。僕たちのやりかたのほうが、有効だと説明するにしどうしたらいいですか」

 「伊藤さんたちの仕事は、症状に直接アプローチしないという、マインドフルネスと同じだ、吃音を認めて生きるが、エビデンスとして出されていなくても、他の領域で立派にエビデンスになっている。エビデンスは、伊藤さんたちの、強い味方ですよ。それをどんどん発言していけばいい」

 斉藤教授はこう言ってくださいました。以前から「マインドフルネス」は知ってはいたけれど、深くは学んでいなかったので、湯布院に来て、少し本を読んでみると、なんだこれは、40も前に僕が考えてきたことと、とても近いと思えました。当事者研究、ナラティヴアプローチ、レジリエンスと平行して、マインドフルネスを2015年度の学ぶターゲットにしようと思いました。

 症状の改善が中心的なテーマだった行動療法が、認知行動療法へと進化し、さらにマインドフルネスという次元に変化してきています。かつて、オペラント条件付けに批判的で、行動療法は、僕たちの「吃音を治す努力を否定する」「吃音とともに生きる」とは対立するものだと、漠然と考えていたのが、行動療法のほうが、僕たちに近づいて来てくれました。これはとてもうれしいことです。

 行動療法を実践する研究者から、僕は厳しく批判されたことがあります。何か、とても不思議に気がします。精神医学、臨床心理学などの領域が、これまでの臨床を総括し、どんどん変化していくのに、吃音が、ただ一人、
従来の「流暢性形成のための言語訓練」にいつまでも固執するのが不思議でなりません。

 僕たちは、僕たちの信じる道を、いい仲間たちとともに、さらに発展させていこうと思います。
 このブログ、なかなか更新できませんでしたが、2015年は今年以上には発信したいと思います。この一年のご愛読に感謝します。吃音に関心のある人たちに、ご紹介いただければ幸いです。
 また、このブログには直接のレスポンスはできませんが、日本吃音臨床研究会のホームページには、問い合わせのコーナーがあります。そこからのメールは僕に届くようになっています。メールくださった方には、必ずレスポンスしますのでよろしくお願いします。

 この一年ありがとうございました。皆さんの新しい年が、いい年でありますよう願っています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/31

語る人生、語ることばのある幸せ


 楽しかった3時間

 健康増進センター湯布院では、食事は1600キロカロリーの食事三食ついています。四人がけなので、誰か相席になるかで、話が弾む楽しい食事になります。昨年はTBS系列の福岡の放送局のプロデューサーで演出家であった半田明久ご夫妻と同席でした。東芝日曜劇場やドキュメンタリー番組の制作の裏話や、小津安二郎の映画の話題で、あっという間の二週間をすごしました。四年前は山口大学農学部教授で、天文学、農業、環境学の権威の、早川誠而ご夫妻と同席で、このときも、教育や、農業、環境問題などの話を聞いたり、僕の話をしたりし、楽しい時間が流れました。半田さん、早川さんは過去に同席したことがあり、昨年は三組の夫婦で、近くの隠れ家的な食事処でたのしく食事をしたのでした。帰ってから「吃音当事者研究」(金子書房)の僕の著書をお送りし、早川さんからはご自分の著書やいろんな資料を、半田さんからは、小津安二郎についての論考や、映画と音楽についての文章を送っていただき、またの再会を楽しみにしていました。

 そして、今年も半田さんと事務所に頼んで同席になり、二日遅れて早川さんもこられました。再会を喜び、また六人で食事処で食事をしました。互いのこれまでの仕事に敬意をもつ人との語り合いほど楽しいものはありません。現在の政治状況、環境問題、教育もんだいなど話題は多岐にわたり、大笑いしながらも真剣な、楽しい語らいです。半田さんは80歳、早川さんと僕は同年齢の70歳。それぞれがひとつの仕事を成し遂げた上に、さらに仕事を続けています。半田さんは、書家、画家としてカルチーセンターで3つも講座をもち、講演もされています。早川さんも「日本学術会議」の環境部会での活動や、シンポジウムやワークシヨップなどを主催しています。

 これまで誇りの持てる仕事をしてこられた人と、こうして対等に会話を楽しめるのは、僕も、僕にしかできない仕事を長年続けてきた、そしてこれからも続けるという自負があるからです。

 もし僕が、学童期・思春期、どもりにあれだけ悩むことなく、生きてきたら、今のこの充実した人生はないだろうとはっきりということができます。どもりに悩んできたから、そして「吃音を治す・改善する」にとどまらずに、「吃音と共に生きる」を45年以上追求してきたから広がった世界。幅広い、いろんなことに関心をもち、いろんな人との出会いの中で学んできたたくさんのこと。それが今、花開いているような気がしてなりません。

 六人が大きな声で笑いながら、それでいて、人として大切なことを、真剣に話ができるのはもこれまでの人生、それぞれの人生の中で、語ることばをみにつけてきたからです。こんなときにも、「どもりに感謝」している僕がいるのです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/30



湯布院日記


 大分県の湯布院に来ています。


 18年ほど前から恒例になった、年末年始の厚生年金保養ホームでの滞在。最初の頃は島根県の玉造温泉でした。年末年始滞在することを知った、島根県のことばの教室の先生たちが12月28日に、松江市の雑賀小学校で「吃音講演会」を開いてくれました。そのときかなりの人が集まり、その後の懇親会で「島根県で吃音キャンプ」をする話が持ち上がれました。それがその後、今年で16回めの「島根スタタリングフォーラム」へと続いています。

その後、九州大学の村山正治先生の「湯布院エンカウンターグループ」が始まり、僕もファシリテイターの一員に加えていただき、湯布院とつながりができました。それが8年ほどだったか続いて、それが終わってからも、今度は湯布院の厚生年金保養ホームに来るようになりました。今年から名前が「健康増進ホーム湯布院」に名前が変わりましたが、ゆったりとした時間の流れの中で、行く年を振り返り、来る年の計画をたてるよい時間になっています。 もちろん。パソコン2台を持ち込んで、仕事をすることが多いのですが、場所が変わればリラックスすることができて、とてもいい時間になっています。

 ・吃音ショートコースの報告の年報「ゲシュタルトセラピー」の作成
 ・新しくつくる、吃音の臨床家へのメッセージを掲載する「吃音講習会のホームページ」の構想
 ・今年学んだ「ナラティヴアプローチ」の復習
 ・来年度学ぼうと考えている「認知行動療法の三次元・マインドフルネスの勉強
 ・第四回・臨床家のための吃音講習会の構想

 しなければならないことは多いのですが、黒川温泉や阿蘇などに行きながら頑張りたいと思っています。23
日からきていますのですが、やり残した仕事をかたずけている最中です。
 インターネットの環境がなく、センターのパソコンからの作業なので十分には出来ませんが、このブログも更新していきたいと思います。とりあえずの発信です。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/27

 

 

どもりを、人生を語る、語る、語る 語りの忘年会


2014年 大阪吃音教室忘年会


今年も32名が参加した忘年会が終わりました。ひとりひとりの人生の語り、ひとことひとこと、丁寧に語る物語を聞き、とても幸せな気持ちになりました。僕たちの忘年会は特別です。40分ほど食事、飲んだ後は、ひとりひとりがスピーチをします。それをみんなは、真剣に聞き、ヤジを飛ばしたり、質問したり、感想やコメントをしたり、時に議論になります。
 
 一年一年、その人なりの成長が、変化が、このような語る場があることで、みんなで共有できます。他の忘年会では、絶対に考えられない、至福の時間です。今年も、元気で忘年会が迎えられてよかったと、何人も、この忘年会を大切にしていることがよくわかりました。一年一年を大切に生きていきたいと、みんなで確認できる、僕たちにとっては大切な時間です。

 6時から始まり終わったのが10時30分。4時間半とは、とんでもない時間です。それでも飽きることなく、だれることなくみんなの話に集中が出来るのは、自分のことば、真実のことば、自分が今、本当に話したいことを、みんなが話しているからでしょう。

 吃音の世界は、一気に50年前、僕が言友会をつくった当時に逆戻りしてしまいました。当時、当事者だけだったのが、どもる当事者と、研究者、言語聴覚士がひとつの方向へ向き始めました。僕の50年近い「吃音と共に生きる」の取り組みは、何だったのだろうと、むなしさや悲しさなど、いろんな感情が湧いてきます。

 しかし、忘年会に集まり、大阪吃音教室に出会い、「吃音を治す、改善する」ではなく、「て゜はなくったことで、人生に新しい展望が開けたという人たちの話を聞いて、絶望ばかりもしていられない、自分のできる限りのことはしたい、しなければならないと思いました。

 32名の人が語る人生は、明るく、楽しいものばかりではありません。職場での苦労や、学校生活の中での黒労が話されたり、その中で、サバイバルしているもしなやかさも感じられます。この人が、こんなことを考え、具体的にこんな行動を起こそうとしている。拍手もわき上がります。

 それぞれの人が、忘年会で何を話そうかと、ノートに書いてきたりするのをみると、まじめなひとたちだとつくづく思います。つらいこと、苦しいことも、仲間がいるからがんばれると、多くの人が話しました。どもりながら、どもりながら、自分の人生をかたる若い人たちの姿をみて、「どもらずに、流暢に話す」が、いかに薄っぺらいものかと思えます。丁寧に、間を置いて話すことばに、つい聞き入ってしまいます。
 忘年会を大切にし、笑い、楽しい時間をみんなで喜び合える。互いが、勇気や元気をもらう忘年会です。

 大阪吃音教室は基本的に毎週金曜日に開かれますが、皆出席が3人いて、プレゼントが渡されたり、一番出席者の多かった講座は何か考えたりする時、毎週の大阪吃音教室をふりかえることになります。この3つがベスト3でした。

 ・職場での吃音を考える
 ・ボイス・トレーニング
 ・仏教思想に学ぶ吃音
 

 仲間の藤岡さんからメールがきました。
 今年も忘年会の開催をありがとうございました。
 スピーチもゆったりペースで、4時間半の忘年会となりましたね。あれだけの時間を過ごせること、カフェグッドディズのスタッフの皆さまに感謝です。もし閉店の時間がなければ、まだまだ続いていたでしょうね。大好きな仲間と豊かな時間が過ごせること、幸せです。

 私は年々、どもり方が派手になってきて(笑)、「こんなにどもって大丈夫かな」(伝わっているのかな、聞き苦しくないかな)と思うこともありますが、それ以上にみなさんからの「そのままでいいよ!」というメッセージをたくさんもらって、のびのびといられる自分がいます。仲間がいるからどもれる、本当に感謝です。

 素敵なプレゼントをありがとうございました。他の人が見過ごすような部分を見てくれる仲間の優しいまなざしを感じます。坂本さんへの「坂本ですが」のマンガを見つけられたのも面白いですね。
 今年もみなさんとたくさんの時間を過ごして本当に楽しい1年でした。少し早いですが、良いお年を。
                                                       藤岡千恵

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/17

忘年会3忘年会4忘年会5

吃音(どもり)障害か 子どもたちの考え


 口々に「障害ではない」と言った子どもたち

 この秋の、静岡、岡山、島根、群馬で吃音キャンプの報告です。
 この中のひとつのキャンプで、小学6年生、中学生、高校生が参加したグループの話し合いです。90分ほどの時間設定でしたが、話がとても弾み、たのしいものでした。

 小学6年生の男の子が「どもりは障害ですか?」とみんなに質問しました。すると、口々に「障害ではない」と発言し、なぜならと理由も話しました。
 
 「どんなにどもっても、コミュニケーションはできるのだから障害じゃない」
 「言いたいことは、どもって言えるから障害じゃない」

 障害のある人への否定的な感情ではなく、自分自身の今の生活を押さえた上で、どもりながら、時に苦労しながらも、この子どもたちは自分なりに精一杯生きているという自信があるのでしょう。
 吃音は障害でなければ何なのかと話し合いは進んで行きました。「病気」「個性」など、考えられることばを出して、結局「はなしことばの特徴」に落ち着きました。
 ひとしきり「障害」について考えた後、自分が就きたい仕事をひとりひとり話し始めました。

 21歳まで深刻に悩んでいた僕は、将来の仕事などとても考えられませんでした。それが、ひとり一人が現実的な仕事観をもち、将来への楽天的な展望をもっていることに驚きました。静岡、岡山、島根、群馬のことばの教室の先生たちとのつきあいは長く、それぞれのことばの教室が、「吃音を治す・改善する」にこだわらない吃音とのつきあい方を一緒に考えているからでしょう。そして、吃音キャンプに参加をすることで、さらに吃音について向き合い、話し合うチャンスがあるからでしょう。いつも、僕の子ども時代を振り返ると、キャンプに来ているこどもたちは、僕にとって、まぶしい存在です。これらのキャンプに参加する度に、吃音教育の成果を考えます。

 子どもたちと、吃音について語り合う、僕にとって幸せな時間です。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/19

吃音(どもり)と上手につきあうことは、簡単なことではない

 東京吃音ワークショップ

 何度か電話で相談にのっている人から今日電話がありました。
  「吃音を治す、改善する」が、100年以上も歴史がありながら、ほとんどの人が失敗し、結局は、治すことをあきらめて、「吃音と共に生きる」ことは理解してくれました。しかし、本人が、いくら吃音を認めても、やはり周りの視線が,吃音を否定しているようで、どもることは怖いと言います。

  吃音治療は100年以上の歴史がありますが、僕が「吃音を治す努力の否定」を提起し、「どもりを治す・改善する努力」を、「自分の仕事や、趣味、豊に、楽しく生きるための努力」への転換を提起しも吃音と共に生きようと「吃音者宣言」の文章を書いてから、38年の歴史しかありません。

 しかし、この提起は成功したと確信しています。25年の吃音親子サマーキャンプでの子どもたちの成長。大阪吃音教室に集まる人々の吃音について学び続けることで、人生が変わっていいきました、大勢の人々の人生が証明しています。エビデンスもありナラティヴもあるのです。

 「吃音と共に生きる」は、実は誰にでもできることです。
 如何に吃音を否定し、「吃音を改善しなければ」と思い詰めているひとであっても、現に「吃音と共に生きている」事実には変わりがありません。病院などに入院したり、社会生活から隔離されていないのであれば、みんな「吃音と共に生きている」のです。 ただ、「吃音と共に、不本意に生きている」かもしれませんが。

 どっちみち、「吃音と共に生きる」のなら、不本意ではなく、納得していきたいものです。しかし、社会には「吃音を改善すべきだ、努力次第で改善できる」との誘惑が充ち満ちています。社会の理解も多くのどもる人にとっては、納得できるものではないでしょう。その中で「納得して、吃音と共に生きる」ためには、いろんな勉強が必要ですし、ある程度訓練も必要です。努力なしに生き方を変えることはできません。

 大阪吃音教室の人たちは、自分たちは大阪に住んでいてよかったとよく言います。
 毎週金曜日に、多くの仲間たちと学び会えるからです。しかし、全国の人たちにはその機会はありません。そこで、通信教育のように、毎月発行する「スタタリング・ナウ」のニュースレターや、年刊雑誌を購読してもらったり、僕の書いた本を読んでもらい、電話での対話でそれを補おうとしています。

 今日、電話をかけて下さった人は、幸い関東圏の人なので、是非、東京吃音ワークシヨップに参加することをすすめました。一人一人の日常生活の中での困難を、参加した人たちと共に「当事者研究」をしようとすすめました。ひとりで悩んでいると、堂々巡りになります。幸い「吃音と共に豊に生きる」ための実践は、38年の歴史があります。その積み重ねをもとに、みんなで語り合います。

 東京吃音ワークシヨップといいいながら、遠くは九州、近畿、東北、新潟、長野などからの参加があります。今年は、沖縄からの参加者がいます。一日、ゆっくりと吃音について考えるいい機会になると思います。
 よかったら、ご参加下さい。

下記の申し込み方法にそってお申し込み下さい。ただ、僕たちは12月23日〜 1月5日まで、大分県の湯布院に滞在していますので、参加証をお送りするのが、6日以降になると思います。湯布院でもメールはチェックできますので、日本吃音臨床研究会のホームページの問い合わせホームから。メールで申し込みいただければ、対応できるかもしれません。
 ハガキか、ファックスで申し込みとありますが、メールで申し込みくださっても構いません。

吃音と向き合い、語り合う 伊藤伸二・吃音ワークショップ

 「吃音を治すことにこだわらず、どもりながらどう生きていくかを目指そう」と、大阪を基盤に活動している日本吃音臨床研究会の伊藤伸二と一緒に、どもる問題について考えたり話し合ったりする関東地方でのワークショップです。
 参加者ひとりひとりの吃音の悩み、知りたいこと、体験したいこと、学びたいことに関わり、それを皆で共有するスタイルで進めていきます。
 吃音について深く考えたい方、どもりながら生きていく上でいろんな思いを抱えている方、吃音の仲間とじっくり話したい方、伊藤や日本吃音臨床研究会の活動に関心があっても大阪まではなかなか行けない方、この機会にぜひご参加下さい。
 内容は参加者の要望によって組み立てますが、次のようなことが考えられます。
◇吃音を生きる、論理療法、交流分析、認知行動療法、アサーティヴ・トレーニングなどについて
◇吃音で苦戦している問題についての具体的対処
◇どもって声が出ないときの対処・サバイバル
◇吃音を治す言語訓練に代わる、日本語の発音・発声のレッスン
         
□日時 2015年1月11日(日)   10:00〜17:00

□会場 北とぴあ 東京都北区王子1−11−1  TEL 03−5390−1100
      JR京浜東北線「王子」駅北口徒歩2分
      東京メトロ南北線「王子」駅ト崕亳直結

□定員 18名  

□参加費 5,000円

□申し込み方法 
 〔樵亜´年齢 住所 づ渡暖峭罅´タΧ函´ο辰傾腓辰討澆燭い海箸篳垢たいこと О貌伸二・吃音ワークショップを知ったきっかけ
 を書いて郵送かFAXでお申し込み下さい。

□申し込み締め切り 2015年1月8日(木)

□問い合わせ・申し込み先  日本吃音臨床研究会
     〒572−0850 寝屋川市打上高塚町1−2−1526
           TEL/FAX 072−820−8244

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/18

どもる女の子からうれしい電話 中学生の主張で作文を読んだ

 どもるからできないと、悩みながらも、逃げずに読んだ

 先月、どもる中学一年生の女の子の母親から相談がありました。
 僕の著書「どもりと向き合う一問一答」(解放出版社)を読んで共感し、娘と一緒に、吃音とつきあうことを考え、友達にも恵まれて、楽しく中学生活を送っていた子どもです。ところが、書いた作文が、とってもいいと、担任から、寝屋川市の中学生の主張に出場することをすすめられました。いったん引き受けたものの、やはり、大勢の前でどもりそうな気がするし、引き受けたことを後悔し、やっぱり読めないと母親に言い、とても悩んでいます。

 僕の本を何度も読んでいる母親は、ここで逃げてしまうと、これからも逃げることになりそうなので、「がんばれ」と励まします。すると娘は「お母さんは、どもらないから、私の気持ちがわからない」と言います。どうしたらいいかと困っての相談でした。

 僕は、いつの場合も、「逃げる」という選択肢は必要だと思っています。
 「そんなに苦しいのなら、作文を読むことを断わってもいいんじゃないの」といいました。でも最終的に本人が判断すればいいことなので、どもる子どもに直接話しかけている、「どもる君へ いま伝えたいこと」(解放出版社)を子どもがしっかり読んだ上で、子どもの判断にまかせたらどうかとすすめました。そして、本を届けました。

 僕の吃音ホットラインには、毎日3件ほどは電話相談があります。彼女のこともすっかり忘れていました。それが、その子ども本人から電話がありました。とても可愛い声で「作文読みました」と言ったので、すぐに彼女だと分かりました。12月13日にその発表会があったのです。どうするか悩んだけれど、結局は逃げずに大勢の前で、作文を読み上げたのです。うまく乗り切った、明るい声です。

 それを、僕に報告したくて、母親からではなく、本人が電話をしてきてくれたことが、とてもうれしくで、「僕に、報告の電話をしてくれたの、がんばったんだね。うれしい報告、ありがとう」と電話を切りました。

 詳しく、どうしてがんばれたのか、どうだったのか、聞かなかったのが残念でした。機会があれば、作文にかいてもらおうかなあと思います。
 こんな、電話をもらうと、「どもる君へ いま伝えたいこと」(解放出版社)が少し役に立てたように思えて、うれしくなりました。うれしいクリスマスプレゼントになりました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/17 

吃音を改善する波の中での、吃音講義


 よく理解された吃音の本質
 ここ2年ほどのことでしょうか。「吃音は完全には治らないにしても、少しでも吃音症状を軽減したいと考えている人に、専門家として、そのニーズに応えるべきだ」の考え方が、ぶり返しています。

 1965年の夏、東京正生学院が朝は呼吸・発声練習、昼は街頭訓練と称して、一日100人「郵便局はどこですか」などと話しかける。上野公園の西郷隆盛像の前で、最低2回は演説する、山手線の電車の中で演説する。夜は遅くまでスピーチ訓練や話し合いをする。朝から夜遅くまで、1か月、徹底して治す努力をしました。ところが、僕だけでなく当時来ていた300人ほどの全員がなおりませんでした。
 1965年秋、どもる人のセルフヘルプグループ「言友会」を11名で創立し、現在まで、吃音一色の人生を歩んできました。数千人を超える人々と対話を続け、吃音を否定し、自分を否定し、いつまでも「治る・改善する」への思いをもちつづけることで、却って吃音の悩みは深まり、行動ができなくなると、「吃音を治す、改善する努力はやめよう」と提起したのは、会の創立6年ほどしてからです。

 大阪教育大学の教員になったことで、さらに、多くの人と議論を重ね、「吃音と共に豊に生きる」を提案したのでした。それまでには、小学2年生の秋から、吃音を否定し、21歳まで「治る、改善する」ことばかりを考えて、どもりを隠し、話すことから逃げる消極的な人生を送ってきた僕の、大きな、内省、反省からうまれたものでした。

 深い議論を重ねた、あの頃と吃音の状況はまったく変わっていません。脳科学に期待する人はいるのですが、健康情報レベルと大差ない程度のことしか分かっていませんし、相変わらず「ゆっくり話す」こと以外訓練法がない中で、どもる人々は、どうして「治す・改善する」に取り組めばいいのしょうか。

 戦争は絶対にしないと誓った、日本の平和主義が、今音を立ててて崩れていくように、大勢の吃音に悩む人々ともに育んできた『吃音と共に生きる」が音を立てて崩れようとしています。

 そんな状況の中での、昨日までの2014年の最後の仕事、大学での講義は、少し、気持ちが重いものでした。学生さんたちは「吃音治療」の役割を担っている多くの人が考えている、言語聴覚士になるために、国家試験をうけるために勉強している人たちです。彼女たちには「吃音を治す・改善する」の情報は影響していると考えたからです。

 今回の授業は、質問に答えること、学生の発言にコメントすることに徹しました。まとまった話はしなかったので、僕の講演記録や、書いた文章を資料として渡し、今、この時の考えたこと、学生の発言にそって話していくスタイルを最後まで貫きました。

 その都度の学生の発言、感想などから、僕の考えていることが確実に伝わっていると思いましたが、最後の一人一人の感想を聞いてとてもうれしくなりました。23人のそれぞれが、自分の頭で考え、自分のことばで、僕の講義への感想を語ってくれました。最後に僕が次のようなことを話して、講義を終えました。

 「今回の、みなさんへの授業が今年最後の仕事です。みなさんが、とても真摯に、先入観なしに僕の話を真剣に聞いて下さっているのがとてもよく分かりました。みなさんの「こんな言語聴覚士になりたい」との感想を聞いて、とてもうれしくなりました。これで気持ちよく一年をしめくくることができました。ありがとうございました」

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/17

今年最後の 吃音の講義

 手応えを感じた、初日の授業

 15日、16日の二日間の奈良にある女子大学の言語聴覚科の吃音の講義が、今年の僕の最後の仕事でした。
このような講義や講演で僕が必ず言うことがあります。

 「僕の、吃音と共に生きるの考えは、極めて少数派です。圧倒的、とういうよりもほとんどの吃音研究者、吃音臨床家は、吃音を完全には治らないにしても、少しでも改善すべきだ、でまとまっています。僕の話を聞いて、これまでの吃音の話を聞いたりね勉強してきた皆さんは、違和感をもったり、時に反発したくなるかもしれません。吃音を治す、改善することが、自分たち専門職者にとっての使命、責任とかんがえる、職務に誠実でまじめな人にとっては、吃音は治らない、治せないとの僕の考えは、受け入れ難いかもしれません。僕の考えに同意する必要はありませんが、頭の片隅に、伊藤のような考え方も存在することだけでも、しって置いてもらえればうれしいです」

 23名の女子大生は、とても熱心に耳を傾けて下さいました。僕の講義は、一方的に話すことはしません。まず、
4つのグループに分かれて、僕に対しての質問の項目を考えてもらいました。これまでの講義で、国家試験かの過去の問題を通して、彼女たちは吃音について学んでいます。それら吃音の知識や、僕の吃音の体験について、たくさんの質問が出されました。結局初日の40分の吃音親子サマーキャンプのビデオ視聴意外は、質疑応答に使いました。質問したグループにまず、あなたたちはどう考えるかを聞き、そとて僕の考えを、経験を、僕がであった人々の体験を話します。全ての学生を、何度も何度も当てていきます。この学生との対話が、僕の一番好きな講義のスタイルです。

 一日目の振り返りに
 ・吃音の具体的な臨床のイメージがもてた
 ・改善しようとすることばかりにこだわらないよう気をつけたい・
 ・治してあげようではなく、人がかわっていくきっかけがつくれる言語聴覚士になりたい。
 ・どもる人、家族が吃音を認めて、それと共に人生ほ歩んでいめるよう援助できる仕事はすばらしいと思った。
 ・家族へ適切な提案ができるセラピストになりたい。
 ・「吃音を治したい」りことばの意味がひとつでないと学んだ。「いつもどもらないように話したい」なのか、「どもっても積極的な人間になりたい」なのか、「どもらず誰かと話したい」なのか。
 ・「治す」という思いは、セラピストのおごりであるだけでなく、心身共に取り返しの付かない傷を与えてしまうこともあり得ることを感じた。
 ・吃音があっても素敵な人間がたくさんいることを知り、どもることもがそのような大人に会える手伝いをしたい。
 ・吃音の授業だが、失語症、発達障害、聴覚障害など言語聴覚士がかかわる全ての人に共通すると思えた。

 吃音のイメージが変わった、吃音に苦手意識がなくなった、早く臨床に出たいと思った、教科書や他の本でしる知識とはまったく違っていた。このようなたくさんのことが書かれ、全ての学生が僕の少数の考えを好意的なとらえてくれていることが実感できうれしかった。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/16

吃音(どもり)の旅 2014年回顧

 どもる度に「すみません」を言う女子高生

早いものでもう今年も残りわずか。この一年もどもり一色の生活を楽しくおくれました。糖尿病という持病がありながら、一度もスケジュールの穴をあけることなく、されなりに元気で過ごせたのは、吃音に関して、「しなければならないこと」「したいこと」「想いを伝えたいこと」がたくさんあったからでしょう。スケジュールが立て込むと、振り返ることなく、スケジュールに精一杯向き合いました。なので、このブログも、ほとんど書くこともなく過ぎていきました。

 時系列に出来事、考えたことを書いていくと、とてもかけそうにありません。順不同で、思い出したことから書いていこうと思います。考えたこと、思ったことのきっかけとなった出来事、スケジュールも正確ではないかもしれませんが、書いていこうと思います。

 静岡のキャンプの時です。
 中学生・高校生との話し合いです。看護師に将来なりたいという、女子高生は仕事への期待や、不安を話しました。少しどもるのが目立つのですが、それはまったくきにならないのですが、どもって声がでないとき、「すみません、すみません」と下をむいて言うのがとても気になりました。
 「こんなにどもる私が、看護師としてやっていけるか」と少しの不安はあるようですが、看護師になりたいとの想いがとても強い女の子です。母親が看護師で、父親も病院で働いていて、家族の会話の中で、仕事に関していろんな話が出て、それで、看護師の仕事に就きたいとおもったのでしょう。
 昨年、札幌の病院に勤める看護師が、吃音を苦にして自らの命を絶ったことも話しながら、しばらく仕事について話し合いました。「あなたと同じ程度によくどもる人が、看護師になり、苦労しながらも定年ちかくまで、働き続けているはなしなどをしながら、誠実に、責任感があり。まじめに取り組めば、苦労があるけれど、仕事はできる。そこまで、強い決意があるのなら、是非、がんばって欲しいと話しました。

 吃音は、治らないものの、自然に変化はしていきます。その人の資質のようなもので、何が影響しているのかわからないのですが、吃音を治そうと訓練せずとも、生活の中で、どもりを認め、隠さず、できるだけ丁寧に話していくことで、どもりは変わっていきます。それは僕の経験でもそうですし、数千人のどもる人に出会って、あまりどもり方が変わらなかった人は、ざつと思い返しても、20人もいません。だから、ほとんどの人は自然に、完全には治らないにしても、随分と話せるようになると言っていいと思います。僕も、かなり変わりましたが、自分の名前を言う時は「・・・・いいいとう」なったり、数字の「なな」や「いち」を言う時、寿司の注文で「たまご」と言う時、ほとんどの場合どもります。どもる「音」は残り、かなりどもることもあるけれど、日常生活の会話や、講演・講義で困ることは、100パーセントありません。そんな話をしました。そして、

 「すみません、すみません」と、どもる度に言うのは、絶対にやめて欲しいといいました。「何が、どうして、どもることが、すみません、になるのか」「何も悪いことをしているわけでもない」「すみません、といってしまうと、極端に言ってしまうと、すみませんと思うなら、どもるのをやめろ」言われることになってしまう。「どもるな」と言われることは、どもる僕たちには「話すな」と同じことになる。

 「そんな言語生活をしていると看護師にはとてもなれない。まず、顔をあげて、堂々ととまでは言わないが、平気なふりをして、相手の目を見て、「すみません」を言わずにどもろう」

 これからの生活で、心がけることは「すみません、と言わずにどもることをこころがけて欲しいと言いました。無意識レヘルまで「すみません」がからだに入ってるので、強く意識しないとできないでしょう。

 「がんばって、半年つづけてみな」と話して、また後日報告して欲しいと話して分かれました。

 「すみません」と言うのは「何を目的にした行動なのか」しっすり考えて欲しいといいました。アドラー心理学の「目的論」にたつと、いろんなことが考えられます。どもりは哲学たどつくづく思います。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/12/14
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