伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2014年09月

20代の自殺の番組で考えたこと


 諦める・捨てる

 NHKの番組で20代の自殺について取り上げられ、その番組への反響が昨日放送されていました。
 「死にたい、消えてしまいたい」と、どもり(吃音)に深く悩んでいた21歳までは、僕もよく思いました。番組を見ながら、なぜ僕は死なずに済み、その思いから解放されたのか、「死にたい」と思い続けることから抜け出られないのはなぜなのか。画面下に出てくる、視聴者からのメッセージも読みながら考えていました。

 僕が死にたいと思ったのは、どもり(吃音)という具体的な悩みがあったからで、その悩みにある程度距離が持てたとき、「死にたい」との思いがきえたのではないかと、今、考えます。ところが、番組で紹介されていた20代の若者は、具体的な悩みではなく、原因としては、虐待やいじめなどが考えられるものの、将来への「漠然とした不安」、漠然とした自己否定感なのではないかと思いました。実は、この漠然とした「不安や恐れ」「自己否定」が、そこから抜け出すことをむずかしくさせているのでしょう。漠然としているから、どうそのことに、向き合い、対処すればいいか、とてもつかみにくいのだろうと思います。

 どもりに悩んでいた時は、これさえなければと、どもりを悪者にしていれば、それなりのバランスがとれたのですが、「これが悪い」という明確な「悪役・敵」がいないと、これはつらいだろうなあと思いました。

 「どもりさえ治れば、楽しく生きられる」と思えたから、それが,当時の僕を助けることになっていたのです。しかし、21歳で「東京正生学院」で、1か月必死で「治す努力」をした結果治らなかったから「どもりを治す」ことにあきらめがつきました。この「あきらめ」がついたことが、僕には幸いでした。「諦める」「治す努力をやめる」という、捨てるものがあったから、僕は「死なずにすんだ」のかもしれません。

 番組に出てきた20代の若者に、「あきらめるもの」「捨てるもの」がないから、苦しく、つらいのだろうと思います。

 番組にも出てきた、同じようなつらさを持っている人との出会い、自分の弱さや、悩み、苦しみを語れること。悩んでいる自分を恥じる必要はないと思えたこと。誰か一人でも、自分を好きになってくれる人と出会えること。僕は幸いにも21歳でそれらを得ました。それが、僕が死なずにすんだ要因だと思っていましたが、それ以上に「捨てる・諦める」具体的などもり(吃音)があったからではないかと思いました。

 20代の若者の自殺は、日本社会にとても大きなものを突きつけています。個人の資質や努力では解決できない大きな問題です。それを感じ取れない政治屋ばかりの日本では、絶望的になります。誰か一人でも真剣にこの問題に向き合う、有力な政治家はいないのでしょうか。今の日本の、政治、経済の劣化、崩壊を思わざるを得ませんでした。

 一度ならず、何度も「死にたい」と考えた僕にとっては、この問題は避けて通ることはできません。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/26

 

 

「若者たち」のシナリオライター・山内久さんとの思い出

 「常に、ユーモアを忘れずに」

 これまで見なかった、2014年「若者たち」の最終話を見ました。第一話を見たのですが、あまりの騒々しさに、ちよっとしんどくなったのと、一番忙しい時期に重なっていたせいかもしれません。見なくなっていたのが、最終話だけでも見ようと思いました。最終話で気づいたのですが、「原案・山内久、森川時久」とありました。

 山内久さん。失礼ながら、まだがんばっておられたのかとネットで調べたら、山内久さんの現在の写真もあり、89歳とありました。僕と19歳離れていたと初めて知りましたが、もっと離れているとの感じをもっていました。

 山内久さんは、前回紹介した映画「若者たち」のシナリオライターです。
 若者たちを無料で借りだし、「公開討論と映画の夕べ」のイベントが終わってからも、山内久さんとは長いつきあいがありました。言友会5周年記念祭では「若者を明日を築くために」のタイトルで、公害闘争、障害者運動、青年運動、福祉活動など、様々な領域で活動する若者をシンポジストに「真のいきがいとは何か」の討論会をしたとき、山内久さんも加わって下さいました。

 この5周年記念祭は、僕たちにとって大きな転換点でした。
 吃音に悩む青年である前に、この社会の中で、様々な矛盾、葛藤を抱えながらも、一人の青年として、この日本の社会の中で、貢献したい。熱い思いをもった人たちと話し合ったのです。

 若者たちの、あの歌の作曲者で、「映画・若者たち」の音楽を担当した、映画音楽の巨匠・佐藤勝さん。黒澤明監督の音楽をよく担当されていた人です。僕たちのセルフヘルプグループの歌を、その佐藤勝さんに作曲してしたいたぎました。「一人ぼっちから、二人へ、そしてみんなへと」大きな輪になって広がっていく歌です。シュリークスというグループに歌ってもらった、5周年記念祭には、500人もの人が参加して下さいました。

 「どもりを治す・改善する」という、どもりにとらわれた生き方から、「人間として、どう生きるか」を考える、新しい旅立ちの一歩を、温かく見守って下さっていたのが、山内久さんでした。
 逗子市山の根のご自宅に遊びに行ったこともありました。毎年の年賀状で、いつも僕への声援を書いて下さっていました。山内久さん独特の字が、好きで、一年間僕の机の前に飾っていました。残しておけばと悔やまれます。

 「常に、ユーモアをわすれずに」は、山内さんの書体と共に、僕の中に生き続けています。僕たちの大会で、僕と対談をしたことがありました。内容は忘れましたがタイトル、「時こそ、今」は忘れたことがありません。

 「常に、ユーモアを忘れずに」
 「時こそ、今」

 年賀状で、長く僕を励まし続けて下さっていましたが、いつか年賀状のやりとりもなくなって、どうしておられるか思い出すこともありましたが、月日が流れていきましたが、再び出会えました。

 「若者たち 2014」の冒頭で、「原案・山内久」を目にして、今、いろんな思い出や、だいたい見ている、山内さん脚本の映画を思い出しています。代表作である、ネットでの紹介作品だけでなく、僕には、山田洋次監督作品、ハナ肇主演の「運が良けりゃ」が好きでした。おそらく、「フーテンの寅」さん映画の源流だと思います。「若者たちの」の三部作は、DVDとして持っていますが、他の山内さんの作品を、もう一度見たいと強く思いました。


 山内久・脚本家(1925年〜)
1950年に東京外国語大学卒業後、松竹大船撮影所脚本部に入社。
1959年に松竹を退社し、フリーとなる。
■「幕末太陽傳」(1957年 日活/監督 川島雄三)
■「豚と軍艦」(1961年 日活/監督 今村昌平)
■「私が棄てた女」(1968年 日活/監督 浦山桐郎)
■「聖職の碑」(1978年 東宝/監督 森谷司郎)
■ テレビドラマ「若者たち」(1966年 フジテレビ)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/25

映画  『若者たち』

若者たち


 「君のゆく道は はてしなく遠い だのになぜ 歯をくいしばり 君は行くのか そんなにしてまで」

 1966年から始まったテレビドラマ「若者たち」は知らなくても、この歌を知っている人は多いでしょう。
 このドラマが映画化された頃、どもる人のセルフヘルプグループ言友会をつくり、どのように会を発展させていくか、悪戦苦闘しているころでした。

 僕は今は言友会から離脱して20年ほどがたち、関係はなくなっていますが、懐かしい思い出です。

 この「若者たち」が2014年版としてテレビドラマとなり、今週最終回を迎えるようです。あのころと、今は時代があまりにも違いすぎて、新しい設定はされているものの、あまり視聴率はとれなかったようです。しかし、森山直太朗の歌う歌は、今の時代でも、共感できることでしょう。

 映画「若者たち」は僕にとって、特別の思いの深い映画です。
 そのことを、以前も書いたかもしれませんが、『吃音者宣言−言友会運動10年』(たいまつ社)1976年出版の第3章 言友会の歴史、活動の思い出 の中で書いています。

 映画「若者たち」のこと

 事務所が言友会の活動の中心の場となるにつれ、そこには常に明るい笑い声が絶えなかった。若い私たちには雨もりのするどんなボロ屋でも、5人も10人も同じ屋根の下で夜遅くまで語れる場があるということはありがたかった。マージャン屋や酒場に早替わりすることもたびたびあったが、悲しいときうれしいとき、自然と足は事務所に向かった。
 会が充実するにしたがって、これまでの活動では物足りなくなってきた私たちは、何か夢のあることがしたくなっていた。また言友会の存在を大きくアピールすることはできないか、常にそのことが頭の中にあった時期でもあった。

 ある日、新聞で「若者たち」という映画が制作されながら、配給ルートが決まらず、おくらになりかけているという記事を読んだ。テレビで放映されていたものが映画化されたのだった。テレビで感動を受けていた私は、いい映画が興業価値がないことでおくらになることが不満だった。そしてその置かれた立場を言友会となぜかダブらせていた。

 「そうだ、この映画を全国に先がけて言友会で上映しよう。そして吃音の専門家に講演をお願いし、講演と映画の夕べを開こう。吃音の問題を考えると同時に、映画を通して若者の生き方を考えよう」
 そのことが頭にひらめくと私の胸は高鳴り、もうじっとしておれなくなった。さっそく制作した担当者に電話をし、新星映画社と俳優座へと出かけていった。どもりながら前向きに生きようとしている吃音者のこと、言友会のこと、そして今の私たちに必要なのは、映画『若者たち』の主人公のように、社会の矛盾を感じながらも、社会にたくましくはばたこうとする若者の生き方であることを訴えた。私たちの運動には理解や共感をしえても、末封切の映画の無料貸し出しとは別問題であった。あっさりと断わられたが、私は後ろへ引き下がれなかった。東京の吃音者に言友会の存在を広く知らせ、共に吃音問題を考え、生きる勇気を持つにはこの企画しかないと私は思いつめていたのだ。

 私は、六本木にある俳優座にその後も何度も足を運んだ。交渉を開始してすでに7ヵ月が過ぎた。そして、映画『若者たち』も上映ルートが決まらぬままであった。再度私はプロデューサーに長い長い手紙を書いた。あまりのしつこさにあきらめたのか、情勢が変化したからなのかわからなかったが、この手紙がきっかけとなって映画を無料で借り出すことに成功した。そして、上映運動が展開される時には協力を惜しまないことを約束した。これまで私が生きてきてこの日ほどうれしかった日はかつてなかった。さっそく事務所にいる仲間に伝え、手をとりあって喜んだ。
 とにかく、250名もの人を集め、主演の山本圭も参加してくれての夕べは成功した。会場を出る時参加者は『若者たち』の歌を口ずさんでいた。
             『吃音者宣言−言友会運動10年』(たいまつ社)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/23

どもる子どもとの 当事者研究の豊かな世界


 北海道大会の吃音分科会


 すばらしかった吃音分科会について前回書きました。僕は助言者ではなく、一参加者なので発言は控えましたが、当事者研究についてだけ少し話しました。

 周囲のことが気になって仕方がない子どもの話題でしたが、子どもとの2回目の出会いで、「先生大好き」と、家で書いた絵をプレゼントしてくれ、プレゼントが続くことに担当者は戸惑います。
 プレゼントをすることで「周囲に注目してほしいかもしれない子」としてレポートをまとめながら、「周囲のことが気にかかってしまうのかもしれない子」へと、子どもに対する思いの変化をしていきますが、「プレゼントの是非に焦点化しすぎたために、子どもの気持ちをとらえられなかったのでは」との担当教師は内省していきます。

 分科会の参加者からも、このプレゼントが一つの話題になりました。プレゼントしなくても、「あなたは私にとって大切な人でよ」と発信し続けることと、プレゼントをしなくても、人とのコミュニケーションや人間関係は結べることを伝えたいなどの発言がありました。子どもとのかかわりを丁寧に、子ども自身のことばを拾いながら、子どもとの関係をどうつくっていくかの発言もありました。

 そこで僕がひとつ提案したのは「当事者研究」の発想でした。
 子どものプレゼントの中に、どのような意味があるのか、ことばの教室の担当者が勝手に想像するのではなく、一方的に、プレゼントにかわるコミュニケーションの取り方を提案するのでもなく、子どもと教師が、対等の立場で共同研究するというものです。

 「先生へのプレゼント研究」として、こともが主人公になって、私が先生にプレゼントすることを研究するのです。これを担当者と一緒に研究すると、彼女が今後成長していく中で直面する、人間関係、コミュニケーションについて、とてもすばらしい共同研究ができると思いました。

 もうひとつは、「ことばの教室、大好き研究」です。彼女はことばの教室が大好きで、担当者が大好きです。どうして、ことばの教室が大好きで、大切なものと考えるのか、子どもと一緒に研究すれば、通常学級や、家庭でのいろんな思いが、ひょっとするとでてくるかもしれません。
 ことばの教室で、子どもと一緒に取り組む課題が見えてくるかもしれません。

 「当事者研究」という視点をもつと、子ども自身が、自分の課題を担当者とともに発見し、担当者と共に、ことばの教室で取り組むことが明確になります。この子ども気どもるから、言語訓練が必要なはずだと、一方的に自分が立てた言語訓練・指導計画を子どもに押しつけることがなくなります。

 吃音分科会の温かい、真剣な討議を聞いて、この人たちなら、子どもと一緒にいる「当事者研究」こそが、「吃音症状を少しでも改善しよう」との取り組みよりも、似つかわしいと思ったのでした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/22

北海道大会の吃音分科会


 真剣な温かい討議


 北海道言語障害児教育研究大会・渡島、函館大会。
 僕の記念講演の翌日は。午前と午後の時間がたっぷりとある分科会です。僕は全国難聴言語障害教育の全国大会、九州大会、東海四県難言大会などで、何度も分科会の助言者をしています。助言者とひとりの参加者としてその場にいるのとは当然違うのですが、今回ほど気持ちよくその場にいられたのは初めてです。

 事例検討は、医療、教育、福祉の臨床の場の全てで、必要不可欠なもっとも大事にしなければならないことだと思います。しかし、僕は本当は「事例検討」の「事例」のことばが、どうも好きになれません。自分がどもる当事者だから、事例と言われるのが生理的に抵抗があるのだと思います。大切なことなので、もっと違う言い方はできないのだろうかといつも思います。「事例検討」そのことには、ありがたいことだと思うのですが。

 その名称はともかく、多くの事例検討会に参加して、事例である、Aさん、Bさんのことは当然のことながら、生育力などを含めて、詳細に述べられるのですが、指導、支援した側の思いが、あまり語られなかったとは、僕の印象です。詳しく語られる、Aさん、Bさんであったとしても、客観的なことがら、自分が観察したことが中心で、その子どもの考え、思いなどを主観的な、実際にその人が語った言葉として表現されることはあまりありません。

 子どものことばを、親のことばを、担当者のことばや思いを、もっと出した「事例検討」ができないかなあと、常に考えていました。今回僕が参加した分科会、濱崎健さんの「周囲のことが気にかかってしまうAさんの事例」の報告には、その時々のことばが紹介され、その時、担当者である自分がどう感じ、どう考えたかが、正直な反省も含めて、表現されていました。

 吃音の分科会では、ともすれば「言語指導・言語訓練」でこのように改善され、それがその子どもの自信につながった、というような発表になりがちです。濱崎さんの発表にはそのようなものはなく、子どもの思い、担当者の思いの軌跡が丁寧に語られました。

 討議の時間です。感想、質問を無理強いされていないのに、つぎつぎと出される、質問や、感想は、発表者へのねぎらいと、敬意と励ましに満ちていました。
 2000年全難言全国大会・千歳大会で千葉市の渡辺美穂さんが、子どもの様子をビデオをみせたら、6年間ことばの教室で指導しながら、こんなにどもらせていいのか」と助言者から批判され、周りもそれに影響されて、批判的な空気が流れて、悔しかったとの思いをしました。だから、同じ北海道だったこともあり、その違いを思いました。

 僕も、何度も助言者をしていますが、僕の考えと多少違うところがあり、疑問があっても、できるだけ、すばらしい所を探そうとします。それを伝えた後で、僕はこう考えると伝えることはありますが、発表者への敬意を失ったら、その分科会は後味の悪いものになります。今後の展望を考える意味で、時に厳しく感じるような発言を僕がすることは時にあるかもしれませんが、それは、個人攻撃ではありません。どもる子どもに、こうかかわって欲しいとの思いを、その事例とは別の次元で伝えることはありますが。

 この分科会、それぞれの発言が。とても共感できるものでした。僕が発言しているような気持ちにさえなりました。だから、コーティネーターが好意で、僕に発言する機会を与えて下さいましたが、僕が言いたかったことは、ほとんど参加者が発言していましたので、あえて、僕が繰り返すことも有りませんでした。なので、僕ならではの、必要最小限の発言にとどめました。

 それは、この発表を聞いて、ふたつのテーマで子どもと「当事者研究」ができるのではないかというものでした。

 長い時間を、ひとつの事例で徹底的に話し合う。それも発表者への、ここまでまとめた、思索への労をねぎらい、敬意と、温かさにあふれる発言に、この人たちにかかわってもらえる、どもる子どもは幸せだと思いました。

 コーディネータのまとめが終わり、これで終了という間際になって、「すみません、一言だけ感想を言わせて下さい」と、「僕は今までたくさんの吃音の分科会に出ているが、今回初めて、北海道のことばの教室のみなさんの分科会に参加して、みなさんの、ひとりひとりの、よく感じ、よく考えた発言のすばらしさに敬意を表します」と、発言していました。気持ちのいい分科会でした。
 そして、吃音の症状を改善しようとする「言語訓練」は止めて欲しい、強くと訴えていたのが、北海道では、取り越し苦労に終わるかもしれないとも思えました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/20 







どもり(吃音)の話は、いろんな生きづらさをもつ人と共通

 あなたはあなたのままでいい、あなたはひとりではない、あなたには力がある


 北海道大会の記念講演の前、とてもうれしい報告をしてくれた教師がいました。7月に札幌で行われた吃音がテーマの言語障害臨床研修会に参加して僕の話を聞いて下さった人です。

 ・吃音を肯定し,「治そう、改善しよう」ではなく、「つらくても、苦しくても、今を大切に生きる」
 ・病気や障害、劣等感を理由にして、人生の課題から逃げる、アドラー心理学で言う「劣等コンプレックス」におちいらないようにしよう
 ・「何々があるから、何々ができない」と考えないで、「何々があっても、自分のしたいこと、しなければならないことをしよう」

 僕の話は、簡単にまとめるとこのようなことを話しているのだと思います。僕に話しかけ、報告して下さった教師の話はこうです。

 「私は、社会不安障害だと診断され、薬もずっと飲んできました。教師だから、不安やおそれの気持ちや態度を子どもや保護者、周りの人に感じさせるのは、だめな教師だとずっと考えてきました。だから、常に自分をある程度支えるためには、薬は必要でした。だけど、7月の伊藤さんの話を聞いて、教師も弱さをみせてもいい、弱いながらも、誠実に子どもや保護者に向き合えば良いというようなことを気づかされました。

 「あなたはあなたのままでいい、あなたはひとりではない、あなたには力がある」
 このメッセージに勇気が出ました。弱さを隠さず、そのままの自分で良い。そう考えたら長い間手放すことができなかった「社会不安障害」として処方されていた薬をやめたいと思いました。伊藤さんの講演を聴いたその日から、私は薬をやめることができて、9月の今まで続いています。今、薬がなくても、とても楽になっています。ありがとうございました。それをどうしても報告したくて、講演前の伊藤さんに声をかけてしまいました」

 この報告をきいて、涙がにじみました。どもる子どもをどう支援するかの僕の話が、自分の「社会不安障害」のことと結びつけて聞いて下さり、その後の彼を変えたのです。

 「お名前はもちろん出しませんが、今のお話、講演の冒頭に紹介してもいいですか」と聞いて、了解を得て、その教師の話を講演の冒頭に話しました。

 講演が終わっての懇親会の時も「私はうつで悩んでいましたが、7月と今回の伊藤さんの話を聞いて元気がでました。うつの私でも、教師をしていても良いんだと思えました。なんとかやれそうです」

 この話を聞いただけでも、札幌と函館に来た意味があったように思え、とてもうれしかったです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/17



北海道大会の記念講演で歌を歌った 2

 吃音を否定しないで欲しい

 僕は、2000年に開かれた、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会(山形大会)の記念対談によばれました。
記念講演を詩人の谷川俊太郎さんに何年も前から交渉し、引き受けてくださったものの、谷川さんは単独での講演ではなく,誰かと対談したいと希望を出されました。何人かの候補があがったようなのですが、「伊藤伸二はどうか」と、谷川さんが推薦して下さり、「内なることば、外なることば」のタイトルの記念対談になりました。

 600人もの人を前にしての公開対談です。いろいろと準備をと、谷川さんの詩を改めて読んだり、散文を読んだりして対談の計画を立てようとしましたが、途中で諦めました。何も準備するのはやめようと思いました。出たとこ勝負で、無手勝流に谷川俊太郎さんと向き合うしかないと覚悟を決めました。ただ,最初のことばと、最後の締めくくりに、谷川さんの詩である「鉄腕アトム」をみんなで歌おうとだけ決めていました。

 さて、今回の北海道大会の僕の記念講演、かなり準備をしました。パワーポイントも用意しましたが、話したいことが多くて、長くなりそうでした。発表原稿も準備しました。

 ところが、前回書いたように、前置きとして、函館の夜景のことを話そうとふと思い立ちました。夜景をみて涙を流したことを思い出して、それが、僕が孤独で、夜のちまたをさまよったことに関連すると思いました。講演直前まで迷っていましたが、僕が講演で言いたかったことは、究極的にはたったひとつです。
 僕が21歳まであれほど悩んだのは、吃音を否定したからです。そのために苦悩の学童期・思春期を送った、ひとつの象徴として、非行少年のように夜の町をさまよった、その時に歌っていたのが小林旭の「さすらい」ではなかったのかなあと思ったのです。
 吃音を否定するような動きには断固反対する。吃音否定にむすびつく、リッカムプログラムや、バリー・キターの「ゆっくり、そっと、やわらかく」の言語訓練は止めて欲しいが、今回の講演で話したかったことです。

 「私は、全難言山形大会で、詩人の谷川俊太郎さんと対談したとき、対談の最後に「鉄腕アトム」の歌を最後に歌いました。今回は、最初に歌を歌います。今回の講演の「吃音を否定することで起こる苦悩と関係するからです」

 こう説明し、「夜が また来る・・・」と歌を歌ってしまいました。
 まさか記念講演で、230名の人の前で歌を歌うなんて、誰もがびっくりしたことでしょう。でも、僕にとっては、函館の夜景をみて流した涙は、この歌の通りで、自然な流れでした。

 こんな苦しみを味わったのは、吃音を否定したことで、吃音を隠し、話すことから逃げ、アドラー心理学で言う、人生の課題(仕事・人間関係・愛)から逃げてきたからで、吃音の問題は吃音にあるのではなく、吃音を否定することで起こる、マイナスの影響だとする、僕の講演の本題へとつながったのです。

 講演のあと、「いつも、講演で歌を歌うのですか?」と尋ねられましたが、もちろん、単独で歌ったのは初めてで、これがおそらく最後でしょう。

 函館の夜景を見て流した涙は、僕の孤独の象徴だったのです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/16












 

北海道大会の記念講演で歌を歌った 1

 函館の夜景に涙した理由

 学童期から悩んでいた、どもり(吃音)にさらに深刻に悩み始めたのは、中学2年の夏休みが過ぎてからです。「どもりは必ず治る」との浜本正之さんの本を読んでも大声で発声練習していた時、「うるさい、そんなことをしても、どもり治りっこないでしょ」の母親の言葉に深く傷ついた僕は、それから学校だけでなく、家庭でも居場所がなくなりました。非行、不良少年の一歩手前までゆき、勉強もせず、夜のちまたをさまよっていました。

 北海道言語障害児教育研究大会の函館大会、記念講演の冒頭に、いつものように、落語のまくらにあたる話をしようと考えたとき、函館の夜景を山の上から見たとき、涙をぼろぼろこぼしたことを思い出しました。景色をみて泣いたのは、函館の夜景が初めてで最後です。なぜ、あんなに泣いたのか、その訳もこれまで考えたこともありませんでした。

 開会行事の全体会の控え室で、なぜなのか考えていたとき、ひとりぽっちの「夜が怖かった、つらかった」、自転車でいつも海岸の波打ち際で、波がきらりと光るのを眺めていた、中学、高校時代を思い出しました。

 函館に来たのは、大学4年生の時、3か月、8万円の日本一周の一人旅の時です。北海道には礼文利尻島から知床岬、襟裳岬とほとんど廻るなど、1か月近くいたのでしょうか。函館はその旅の終わり頃です。

 21歳の夏からは、僕は孤独ではなくなりましたが、函館の夜景の小さい家々の明かりをずっとみていたとき、温かい家族団らんが、中学2年生の秋からは求めても得られなかったときのことをおもいだしたのでしょうか。その時、小林旭の「さすらい」を口ずさんでいたかどうかは記憶にはありませんが、「函館の夜景に、なぜあんなに泣いたのか」を考えていたとき、

 「夜がまた来る 思いで連れて 俺を泣かせに 足音もなく 
 何をいまさら つらくはないが 旅のあかりが 遠く遠くうるむよ」

 を思い出し、歌いたいとおもったのです。しかし、懇親会ではなく、記念講演です。大雨で交通マヒをした時もあった中で、全道から230名ほどが集まっています。その冒頭でまさか歌を。誰も想像もできないことでしょう。しかし、今回の僕の講演で一番言いたかった「吃音を否定しないで欲しい」と結びつきます。吃音を否定することで、自分を否定し、あれだけ苦しかった学童期・思春期を送ったその象徴ともいえる「夜が怖い」。

 僕は、歌いたくなりました。しかし,歌詞を正確におもいだせません。国立特別支援教育研究所の久保山茂樹さんが近くにいたので、スマートホンで歌詞を調べてもらいました。でも、歌うかどうかはわかりません。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/15 
 

北海道言語障害児教育研究大会 渡島・函館大会無事終了


 函館から先ほど帰りました。その様子はぼちぼち報告しますが、まず、ドシな体験から。これを書かないと先にすすめないので、しばらくおつき合いを。

 僕の周りの人たちは、僕のドジをみんなしっているので、またかと思うでしょうが,函館医空港で大慌しました。以前も、新潟県・言語障害教育研究会での帰りも、新潟空港で大慌てしました。搭乗手続きをしようとして、クレジットカードがないことに気づきました。真っ青になりました。以前も金沢で落としたことがあります。紛失手続きをするなど大変ですが、JALカードの僕は、航空券とカードが一体なので、のれないのです。

 とりあえず、ホテルに置き忘れたかもしれないと連絡しようとおもいましたが、ホテルの名前を覚えていません。いろいろとお世話をして下さった、ことばの教室に聞いてみようと連絡しましたが、連絡がつきません。空港で主なホテルの電話番号をおしえてもらい、片っ端から電話をしなければなりません。
 
 とにかく、ホテルが分かり、連絡したら、カードがクローゼットに落ちていたそうで,とりあえずは紛失届けはしなくてすみ、JALも予約は確認できて、新潟からかえることができました。

 今回は、大切なUSBメモリーのケースがないことに、函館空港のレストランで、食事を注文した後で気づきました。スーツケースに入れるはずはないと思いつつも、確認のために、カウンターに預けたにもつを取り戻し調べたもありません。ホテルは何度もドジをしているので、確認したはずなのにとおもいつつも、ホテルに問い合わせるしかありません。忙しい時間帯確認ができません。宿泊室だけでなく、UABメモリーを実際に使った、記念講演をした宴会場かもしれない。ふたつの場所を調べて、連絡してもらうことにして、函館を後にしたのでした。

 僕はいつもそうなのですが、「まあいいか、命を落とさなかっただけでいい」と論理療法的に落ち込みを和らげました。4本のUSBメモリーには、今後必要なたくさんの文書データが入っています。本当はとても大変なのですが、論理療法の威力です。これまでのデータはなくても、「全くまっさらの中からまた、書いていけばいいや」「これまで書いたことは、過去のこと、全く新しく書いていくのもいいかもしれない」と本当に考えると、気持ちが楽になりました。気をつけて、退室するとき確認したのだから、今回は、USBメモリーは絶対に出てこないと覚悟をしたのです。

 ところが、僕は本当に悪運が強い。どこにあったのか聞かなかったですが、部屋にあったと、自宅に帰る電車に連絡が入りました。ないものと考えていたので、拍子抜けで、クジットカードがあった時のような、ほっとした思いはありませんでした。
 このドジは死ぬまでつづくことでしょう。

 吃音親子サマーキャンプの報告もまだですが、しばらく北海道大会の報告をします。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/14





 


明日から 北海道言語障害児教育研究大会


 大雨が心配です

 函館に来ましたが、函館は晴れています。ところが、札幌では大雨です。小学校が避難所になるなどの混乱が続いています。明日からの大会の運営会議にさんかできなかった人がいたそうです。
 
 夜、開催事務局の学校の校長先生、事務局のふたりと、臨床研修会の講師の、発達障害者支援センターの岩田昌子さんの5人で懇親会の夕食でした。学校の現状や、発達障害の支援について、いろんな話が出ましたが、吃音共通することが多くて、楽しい時間でした。

 明日は、どこまで、私の主張が受け入れられるか不安ですが、7月の札幌での吃音研修会の時以上に、遠慮なく、思い切って僕の主張を話すつもりです。しかし、この北海道の大雨です。申し込んでいた人たちも、参加できないかもしれません。天候心配ですが、自然には勝てません。大勢の人に聞いていただきたいと思っていますので、避難解除が広がること、雨がやむことを祈るしかありません。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/09/11
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