伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2014年08月

ディヴィド・ミッチェルさんとの、テレビ画面でのうれしい再会


 君が僕の息子について教えてくれたこと


 ディヴィド・ミッチェルさんと、自閉症の東田直樹さんがテレビで紹介されると、仲間からメールが入ってテレビを見ましたが、びっくりしました。
 昨年6月、オランダのどもる人の世界大会で、あんなに長く話したのに、息子さんのことはまったく話にでてきませんでした。オランダの世界大会の時は、「どもり」について話したいことがいっぱいあって、息子さんのことを話すと、そちらに話題がそれるからと考えて下さったからでしょう。

 ディヴィド・ミッチェルさんは、僕たちと話している間に、「アハハハ」と喉の奥での笑い声が頻繁にはいりました。テレビ番組では少なかったのですが、それがとても懐かしく思い出されました。

 ディヴィド・ミッチェルさんの直樹さんへのまなざし、楽しみにしていたミッチェルさんなのに、合ったとたんに窓の外の景色に気をとられの直樹さんに、母親の背中をやさしく触れるミッチェルさんの仕草。
 直樹さんや、母親のすごさは当然なのですが、僕は、ミッチェルさんの雰囲気、笑顔、声のの優しさに、恋人に再会したような胸のときめきを憶えていました。

 東田直樹さんのことは、ホームレス支援の雑誌「ビッグイシュー日本版」を時々読んでいましたので知っていました。あの文章があのような時間をかけて書かれていたこと。母親が直樹さんの才能を見抜いて育てて行った経過を知ることができ驚きました。

 ミッチェルさんの質問に答える直樹さん。
 怖いのは、人を刺すような人間の視線。
 幸せの瞬間は、以前は自然との一体感だったが、今は家族と笑っている時と、自分が書いた本を読んだ人から、感想をいただくとき。
 父親として何が手伝えるかには、そのままで十分。

 このミッチェルさんと、直樹さんの会話は、僕たちが感じていることでもあり、どもる子どもの保護者のみなさんにいつも話していることでもあり、全ての人に通じる普遍的なものだと思いました。

 改めて、自閉症のもつ豊かな世界。ミッチェルさんの人柄に触れた幸せな時間でした。いい番組でした。
 あの番組を見た仲間から感想が届いています。それらをまとめて、ミッチェルさんに送ろうと思います。

 オランダでミッチェルさんと出会ったときのことは、2013年12月27日、28日にブログで書いています。お読みいただければうれしいです。
 吃音親子サマーキャンプの報告の途中ですが、ミッチェルさんについて書きました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/29




第25回 吃音親子サマーキャンプ 無事終了



 すばらしい仲間と共にの25年

 沖縄や鹿児島、四国、近畿地方、茨城、千葉などの関東地方から140名が参加しての、吃音親子サマーキャンプが無事終了しました。25年前に京都児童福祉センターの言語聴覚士のみなさんと始めたときは、まさか、ここまで続くとは想像も出来ませんでした。本当にいろんなことが25年の間にはありました。

 もうこれでキャンプは終わりだと、思った出来事が一度や二度はありました。それも結局は結果はよくてよかったのですが、ひやひやした思い出もいくつかあります。
 たくさんの子ども、たくさんの保護者、たくさんのことばの教室の先生、言語聴覚士、参加した、一人一人が作り上げてきた25年の歴史です。

 まだ、記憶があるうちに25年の歴史をまとめてみたい気持ちになりました。
 親のパーホーマンス、子どもたちの劇の上演の後、ちょつとした25回のセレモニーをした時です。25回皆勤賞の賞状をつくりました。私を含めて3人です。NPO法人スタタリングプロジェクトの会長・東野晃之さん、豊中市で定年までことばの教室の教師として働いていた、松本進さん。25回連続とは、大変です。体調や、仕事など都合が悪くなる時だってあります。全てに最優先して、このキャンプを考えていなければ,実現しないでしょう。この二人がいてくれたから、そして、24回の溝口稚佳子さんたちがいてくれたから、ここまで続けられたのだと思います。

 特別功労賞として、渡辺貴裕さんの賞状を渡そうと読み始めたときです。
 6人の高校生の卒業証書の時は、涙がにじむ程度だったのですが、渡辺さんの顔をまずみて読み始めたとき、ほんの短い時間のはずなのに、超高速でいろんなことが巡り、涙があふれてきました。

 渡辺さんは京都大学の学生のときから、大学院、私立大学の教員になり、現在は東京学芸大学大学院の准教授として超多忙にもかかわらず、東京から参加して下さっています。

 なぜ、特別功労賞なのか。僕たちのキャンプのふたつの柱が、「吃音と向き合い、吃音を語る」話し合いと、「自分のことばに向き合い。他者と向き合う」劇の上演です。
 竹内敏晴さんが、キャンプのために脚本をつくり、合宿で演出し、その劇をキャンプの3日間で仕上げて、最終日に上演します。ずっとキャンプにかかわって下さっていた、竹内敏晴さんが、2009年9月7日亡くなりました。この年のキャンプの脚本を、病床の中で書き上げ、7月には合宿で演出・指導をして下さいました。

 竹内敏晴さんの役割は、僕たちではとてもできません。来年から、どうしようかと困っていたときに、渡辺さんが、私が引き継ぎますと言って下さいました。渡辺さんの専門は教育学で、教育の中に演劇を取り入れているので、お仕事とは関係のあることなのですが、まさか、引き継いで下さるとは思いませんでした。
 竹内さんの脚本をもとに、合宿で僕たちを演出指導して下さいますが、竹内さん以上に、子どもとどう遊んで、声をだして、劇を作り上げるかは丁寧です。子どもへの指導がとてもやりやすくなりました。

  「吃音に何の関係のないあなたが・・・・・・」
 と渡辺さんの顔をみてから賞状を読み上げ始めたとき、竹内敏晴さんのこと、吃音と何の関係のない人が、ずっとキャンプに関わって下さっていることに、大勢のスタッフが、心をひとつにキャンプに取り組み、25回を迎えられたことに、感謝の思いの涙があふれてきたのです。

 25回のセレモニーの時、25年のキャンプのまとめをしたいと、改めて強く思ったのです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/28
 

第25回 吃音親子サマーキャンプ


 今日から吃音親子サマーキャンプ
 
 まさか25年も続くとは、始めたときは考えもしませんでした。たくさんの出会いと、ドラマがありました。今年は沖縄や鹿児島の九州地方から、大阪についで参加者の多い、千葉県など関東地方から、140名が参加します。3年以上参加し、今年卒業式を迎える高校3年生が5人います。

 卒業し、いろんな困難を乗り越えてきた保護者がふたり、社会人になり忙しいので本人は参加しませんが、父親と母親が参加し、保護者の学習会で話して下さいます。
 
 消防学校の一年が大変だったのが、今消防士として働いている息子、大学2年から3年間、信じられないくらい、すごくどもるようになり、不安になりつつも、今、薬剤師として働いている娘。不安だった親の思いと、それを支え続けた周りの人たち、その中の一部に私たちがいて、キャンプの体験が生きた経験です。

 25回記念の、応援グッズもとてもすばらしいものができました。
 さあ、今から出発です。
 今年は、どんな出会いと、ドラマがまっているでしょうか。とても楽しみです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/22
 
 

吃音のナラティヴ・アプローチ的実践

 東海四県言語・聴覚・発達障害児研究大会 吃音分科会


 「吃音と共に生きる」ための取り組み〜幼児か学齢にバトンをつないで〜

 二つ目は、ここ3年ほど、どもる子どもがかつてなく増えたそうで、静岡県、掛川市の幼児ことばの教室から、学齢期のことばの教室へと、吃音のとりくみをつないでいく提案です。

 幼児期にはも「子どものありのままを受け止め、活動を通して認められたり、心地よいやりとりを経験する」から、学齢期には「吃音を知り、吃音をじぶんのこととしてとらえる」「吃音があっても思いを伝え、のびのび活動できる」へとつないでいく、幼児期の担当者、学齢期の担当者のふたりの提案でした。

 幼児期から担当者が折に触れ、吃音に対する肯定的な考え方を話してことで、当初吃音にマイナスのイメージをもっていた保護者が、その思いを受け止められながら、いろいろと話し合ううちに安心し、前向きになってく様子が報告されました。それは、子どもたちも変化していくからでしょう。

 「幼稚園で、なかなか自分から誘えない子が、どもる子どものグループの中では、生き生きと遊び、人前で話すことが嫌だった子が、劇ごっこの主役に立候補した」

 親のことばです。

 吃音を少しでも軽減させるなどの取り組みではなく、吃音を肯定する周り姿勢、雰囲気が大きな力になります。そうして、連携ある学齢期のことばの教室につないでいきます。

 学齢期では一年生と二年生のこどもに対して、吃音のキャラクターを書いたり、職業について考えたり、僕たちのつくった「学習どもりカルタ」や吃音に波について話し合ったりの実践に、「吃音を生きる子どもに同行する、教師・言語聴覚士の会」 の僕たちの仲間の実践ににいてるなあと聞いていました。

 質疑応答になって、低学年の子どもに、どうしてそのような実践をするようになったのかの質問が出されました。低学年の子どもに、どうしてこのような取り組みができるか、不思議だったようです。

 発表者は静岡のことばの教室の担当者の実践を見て、自分も取り入れるようになつたと話し、この分科会にその人はきていると、ことばの教室の担当者を紹介しました。その担当者はこう発言しました。

 ことばの教室の担当者になって、どう子どもと関わればいいか悩んでいた時に、千葉市のことばの教室に見学・実習に行った。そこで、子どもたちが吃音についていきいきと学習するのを実際に見て、自分でもできると考えて実際にしてみたところ、予想以上に子どもたちが興味をもって取り組んだ。現在、千葉市立院内小学校でことばの教室を担当している、渡邉美穂さんの名前がでてきました。、「吃音を生きる子どもに同行する、教師・言語聴覚士の会」 の僕たちの仲間です。

 千葉市で始まった、どもりカルタや、吃音キャラクター、『親・教師・言語聴覚士が使える吃音ワークブック』(解放出版社)のワークが、静岡にも伝わっていたのです。とてもうれしくなりました。
 
 僕たちの仲間の実践が、このような広がりを見せていくことに喜びと、今後の展望がひかかれていく気がしました。吃音キャラクター、どもりカルタなどは、ナラティヴ・アプローチの実践につながります。今後の吃音の取り組みは、子どもを主人公にした当事者研究であり、ナラティヴ・アプローチになつていくと思います。

 また、機会があれば、助言者として僕が何を話したか紹介しいと思います。
 さあ、明日から、第25回吃音親子サマーキャンプです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/21

どもっていなければ立候補したかった



 東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会 吃音分科会


 前回、対人援助の仕事に関わる人の、謙虚さのことを書きました。カウンセリングのかかわる場にいて常に謙虚さの大切さをかんじていましたが、特に言語聴覚士養成の専門学校にかかわるようになって、強調し始めました。
言語聴覚士という専門職者になるという、気負いがあるのでしょう。どうしても、「吃音を治す、改善する」の使命感にとらわれてしまうようです。

 吃音にかかわる人に、僕が常に言いつつけてきたことは、謙虚、誠実さ対等性です。専門的な知識の学習はプロとして当然のことですが、それらを学べば学ぶほど、謙虚さや対等性が失われていく人に、たくさん合ってきました。吃音は、原因が分からず、治療法も確立されていません。誠実な人であれば、謙虚にならざるを得ません。斯うすれば、こうなるという、明確なものがないものに対する対処は、当事者と対等の立場で、試行錯誤するしかないのです。うまくいかなくて落ち込み、あまくいって喜び、日々の取り組みの中で、一緒に迷いながらも、明確な一つの方向「幸せに生きるために」を目指す、同志であればいいのです。

 ふたつの提案の一つのタイトルが、「どもっていなければ立候補したかった−Aさんに必要な支援を模索して」でした。子どもと、吃音についてあまり向き合えなかった担当者が、「あまりにも吃音の本質についてふれない」ことに内省し、吃音について話すことの必要性にきづいていきます。「あなたが、吃音を意識しない方がいいとおもつていたけれど、ほんとうは、気にしていたよね」と、担当者が自分自身のことも語りながら、向き合ったとき、子どもも、自分の言葉のことを堰をきって話し始めた。

 「明るく生活できているかに大丈夫」という姿勢を周りにみせながら、外にみせないつらさを抱えている子どもを、ことばの教室を卒業させたものの、担当者として、もつとかかわれたのではないかと、内省しつつ考察したこの提案に、自信をもって「吃音はコントロールできる。楽にどもる指導をしている」と言い切る、指導報告とは違う、誠実さと、謙虚さを感じました。

 「どもっていなければ立候補したかった」
 この、子どもの語りから、どのように語りを展開していくか、ナラティヴ・アプローチの可能性と、具体的な子どもとの語りを報告する、事例検討がこれまでほとんどなかつたことを考えれば、今回の提案に、自分の発言、子どもの発言が紹介されており、今後の大きな可能性を感じました。


 どもる子どもの指導に自信がないという、ことばの教室の担当者は少なくありません。自信がないからこそ、精一杯、自分の今ある力と、新しく学んだり、体験したことをもとに関わります。

 「どもりは、完全には治らなくても、少しでも症状は軽減できる」
 根拠のない楽観と、意味のない、エビデンス(科学的、統計的根拠)がまったくない訓練法を、見よう見まねでする人たちに比べ、僕は、今回のような提案者の姿勢が好きです。

 もうひとつの提案は、迷いつつもひとつの方向を見いだした提案で、60人をこえる参加者に大いに参考になるものでした。次回はその提案について紹介します。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/21




支援者にとって大切な、謙虚さ、無知の姿勢


 東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会の吃音分科会


 今回二組の発表がありました。僕はこれまで、全国難聴言語聴覚障害教育研究協議会の、全国大会や、九州地区大会や、今回の東海四県、近畿地区などの大会で「吃音分科会」の助言者を、何度もしてきました。その中で、今回の提案者の報告は、新鮮でした。僕が分科会の担当をしたときは、ういう印象はもたのかったのですが、時に、自信満々で、このような実践をしたとの報告に出会うことがあります。実践の成果を報告、提案するのですから、それは、ある意味当然のことかもしれませんが、吃音の場合の本当の成果は、大人になってからわかることで、自信のもてるものではないと、僕は思っています。

 今回の二組の提案は、自信がないと言うわけではないけれど、もう少し、ちがった対応が、取り組みができたのではないかと、謙虚に内省するものでした。とても好感がもてました。助言者としてのまとまった発言は、スレジュールによると、20分なのですが、分科会責任者、司会者も、提案者も、僕に多めに発言できるように、して下さいました。40分はあったと思うのですが、おかげで、参加者の質問や、疑問にお答えすることができました。

 参加者からの質問のひとつ。
 「私は、教師であり、教員免許はもっているが、言語聴覚士の資格はない。そのような人間が、吃音の指導をしてもいいのか」という、こんな質問ははじめてなのでびっくりしました。
 いろんな質問に答える前提としてまずその質問を取り上げました。僕は、吃音の取り組みは、治療・言語訓練ではなく、教育だと考えていますので、はっきりと、幼児期・学童期の吃音は、幼児のことばの教室が静岡の場合設置されているので、学童期は当然のことながら、是非、教員免許をもっている、教師にこそ取り組んで欲しいと話しました。学童期になけば、理科や社会の教科学習とおなじように、ことばの教室では、「吃音学」を学習することだと話しました。言語聴覚士の資格ができ、その認知度がたかまるのは良いのですが、ことばの教室の教師が、このような思いをもつとしたら、残念です。なぜ、このような質問がでるかと言うと、「吃音は、治療、訓練だ」との社会の思い込み、言説があるからです。

 吃音は、治療・訓練で問題がかいけつできるものではなく、「吃音と共に豊かに生きる」生き方を学習するものだとの考え方が一般的になれば、このような質問はでなかったと思います。このことについて話すことができて、この質問は、とてもありがたいものでした。

 しばらく、この大会の話題について触れます。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/19

 

明日から 東海四県言語・聴覚・発達障害児教育研究大会・静岡


 吃音が問題なのではなく、問題が問題なのだ 



 明日から始まる東海四県の大会の吃音分科会で助言者として参加することになっています。それに先だって、知人にあうために、三島に入りました。三島は夏まつりの最終日、三島神社の参道にはびっしりと屋台がでています。僕は旅が大好きです。

  「知らない町を歩いてみたい、とどこか遠くへ行きたい

 この歌が大好きで、知らない町を歩くとつい口ずさみます。しかし、三島は知らない町ではなく、伊豆への旅行の時はもこの三島を起点にしていました。しばらく伊豆には来ていなかったので三島もひさしぶりでした。
 三島の老舗の「うなぎや」はやはり人が並んでいます。知人と、1時間待ってでも入ったうなぎは、やはり好きな味でした。

 今、ホテルで、再度吃音分科会の提案者の指導提案を読んでいます。ここ数年、発表がさまがわりしてきたことわ感じます。以前は「吃音」そのものへの取り組みがおおかったのですが、もちろんそれもあるものの、子どもと吃音について話し合う、吃音についての学習の要素が増えてきました。

 先だって開かれた、全国難聴言語障害教育研究協議会・金沢大会でも、吃音の学習がこいものでした。
 ひとつの流れとして、「吃音に向き合う」ことが大切にされるようになってきたのは喜ばしいことです。ところが、吃音の何に向き合うかとなると議論が分かれます。分かれるると言うよりは、吃音について子どもと話題にできることが、吃音にむきあうこととかんがえる、アメリカ言語病理学の流れが、ほとんどだといえるでしょう。

 私たち、「吃音生きる子どもの同行する、教師、言語聴覚士の会」では、『どもる君へ今伝えたい』、『親・教師・言語聴覚士がつかえる吃音ワークブック』(解放出版社)の2冊の本を作るとき、何度も合宿し、徹底的に話し合ってきたのが、「吃音の何に向き合い、何について学び、話し合うか」でした。
 ここ数年、「ナラティヴアプローチ」について学んでいる僕たちは、「吃音が問題なのではなく、問題がもんだいなのだ」と、吃音を否定的にとらえることで起こってくるマイナスの影響、すなわち、吃音の本当の問題について、向き合い、はなそうとしてきています。

 まだまだ、一般的ではないこの考えを、明日の吃音分科会の討議の中で、話したいと考えています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/17

どもる人よ、どもりと闘うな


 1996年8月15日号の、「スタタリング・ナウ」の巻頭言を紹介することにしました。
 前回も書きましたが、僕たちは今、「吃音者」を使いません。過去の文章なのて、そのまま紹介します。


吃音者よ、吃音と闘うな

 − 人は夢や希望を持つことが大切とよく言われます。しかし、ことがんに関しては、それは当てはまりません。いや、むしろ、夢や希望を持つことは有害とさえいえるでしょう。なぜならば、夢や希望にすがった結果、からだを切りきざまれ、単なる毒でしかないものを使われてしまうからです・・(中賂)
 せっかくよかれと思ってつらい治療をうけたのに、あとで後悔するのは悲しすぎます。後悔しないためには、がん治療の現状を正確に知り、がんの本質を深く洞察することが必要になるのです。できることとできないことをはっきりさせて人々に知らせることも科学としての医学の役割でしょう。これまで、患者や家族が悲痛にあえいできたについては、がんと闘う、という言葉にも責任があったようにも思われます。自分のからだと闘うという思想や理念に矛盾はないでしょうか。
 徹底的に闘えば闘うほど、自分の体を痛めつけ、滅びの道へと歩むことにはならないでしょうか−
   
   『患者よ、がんと闘うな』近藤誠 文藝春秋社

 今、ベストセラーになっている、この本はがんについて書かれたものだが、がんをどもりに置き換えると、そのまま、私たちがこれまで主張してきたこととほぼ同じだ。
 「今まで言われているがん治療法は手術を含め、ほとんど有効ではない。抗がん剤の副作用で多くの患者たちが悩んでいる。抗がん剤が効くのは、1割程度。がん検診は百害あって一利なし」
 近藤さんはこう主張し、がんと闘うなという。

 吃音は、薬も、手術もない。これといった治療方法はまだ確立されていない。その中で、治したいという希望だけが根強く残っている。
 確実な治療方法がないのに、どもりを治したいと夢をもつこと、どもりを治そうと試みることが、どんなにその人の自分らしく生きることを阻害するか。私たちは多くの実例をみてきた。
 ギリシャのデモステネスの時代から、どもりを治す試みは続けられた。多くの吃音者が果敢にも、どもりとの闘いに挑んだ。闘いに挑み、勝利した人もいるだろうが、実際には、努力しても治らない人の方が圧倒的に多い。

 治らないことに気づき、早く闘いを投げ出した人はいいが、諦められず、どもりを治さなければならないと思いつめる人は、果てしない闘いに駆り立てられていく。治らないのは、自分の努力が足りないからだと自分を責め、あくまでどもりとの闘いを止めず、疲弊していく。
 吃音者の悩みは、治せないものに対して、治ると信じて闘いを挑むことだと言っていい。挑戦し続け、それが実現せず、自己不信に陥り、自己を否定していく。吃音の場合の、治療からくる副作用は自己否定である。
 早くこの闘いの無意味さを知らさなければならない。私たちは20年以上も前の1974年、《治す努力の否定》を提起した。

 この20年間、吃音についてどんな進展があったろうか。有効な治療方法が確立しただろうか。一方、私たちの主張は広く受け入れられるようになっただろうか。残念ながら、両者とも全く変わっていない。

 20年前、それこそ清水の舞台から飛び降りる決意で提起した《治す努力の否定》以降も、吃音との闘いに挑む人、吃音児をその闘いに向かわせる吃音研究者、臨床家も後を絶たない。
 吃音者の悩みの多くが、治らないものを、治そうと挑むことなのに、その吃音との闘いをすすめることはなんと残酷なことか。
 私たちは、再び声をあげなければならない。

 『吃音者よ、吃音と闘うな』
 『吃音児・者を、吃音と闘う戦場に送るな』

 1996年8月15日記

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/12

歴史を繰り返すな


 どもりを治そう、完全でなくても少しでも改善しよう


 この動きが再び日本で大きな流れになりつつあります。

 8月10日の朝日新聞の岩波書店の出版広告に、◆日本は再び危険な道を歩んでいる−、として『歴史を繰り返すな』 坂野潤治・山口二郎著の大きな活字が飛び込んできました。
 1944年生まれの僕は、敗戦の時は、1歳3か月。栄養のない時代、とても小さく産まれた僕が、少しでも大きく育つように、伸びるようにと、伸二という名前がつけられました。米が買えない、小学校の時給食代が払えず「忘れました」と何度も言った恥ずかしさ、貧しさゆうの出来事をいくつも憶えている僕は、子どものころから戦争が嫌いでした。小学入学前に学校の校庭でみた「聞け、わだつみの声」という映画のいくつかのシーンが、イメージとして残っています。

 人間は、そんなにもおろかなのでしょうか。
 アメリカは大きな間違いであったイラク戦争を、きちんとした反省、総括もなく、また空爆しようとしています。日本も、戦後、かろうじて貫いてきた、「平和主義」を経済政策の名の下に、簡単に捨てようとしています。「愛する人が死ぬ」のが戦争です。その危険にさらされるかもしれません。

 「平和」という言葉も、語る人によってこんなにも違います。

 「どもる人、どもる子どもの幸せを願って」
 この言葉も、吃音への取り組みによって違ってきます。

 僕は、小学2年の秋から、21歳まで、吃音を否定し、治ることばかりを考え、行動しない理由として吃音を使い、「どうせ、どもる僕なんて、何もできない」と、勉強も、遊びもしないつまらない人生を生きてきました。しかし、いろんな本に書いているように、「吃音を治す、を諦める」ことから新しい人生が始まりました。
 どもりを否定し、治そうと戦い、戦いにいつも敗れて、自分を否定し、苦悩の人生を歩んできました。1965年どもる人のセルフヘルプグループ言友会を創立し、大勢のどもる人たちと、体験を語り合い、人生を語り合い、10年の歳月をかけて到達したのが、「ともりだからと自分をさげすむのはやめよう」「自分の可能性を閉ざすのはやめようと」「吃音と共に生きよう」と呼びかけた「吃音者宣言」です。

 それは、吃音に対する「非戦宣言」「平和宣言」です。「吃音は治らない、治せない」として、日常生活を丁寧に、大切に生きていけば、戦ってきた「吃音」と仲良くなれました。そして、不思議なことに、治そうとしていたときには変わらなかった、いわゆる「吃音症状」も、それを求めていたわけではないのに、どもりながら話していくなかで、どんどん変わっていきました。
 吃音は、治そうと必死にならなくても、「自然に変わっていく」と、僕の体験だけでなく、大勢のどもる人の体験を通して理解しました。

 僕たちが、「吃音を治そう、改善しよう」と考えなくなっていたのに、歴史が繰り返されて、再び「治す、改善する」が吃音研究者・臨床家からの意見として頭を持ち上げてきたとき、私たちの発行するに月刊紙癸横粥屮好織織螢鵐亜Ε淵Α廖複隠坑坑暁8月号)に、「吃音者よ、吃音と闘うな」の文章を書きました。

 『患者よ、がんと闘うな』 近藤誠 文藝春秋社
 の近藤さんの文章も引用しました。

 吃音者の悩みの多くが、治らないものを、治そうと挑むことなのに、吃音との闘いをすすめるのはなんと残酷なことか。私たちは、再び声をあげなければならない。
 『吃音者よ、吃音と闘うな』『吃音児・者を、吃音と闘う戦場に送るな』と書きました。

 僕は、政治の大きな流れには無力です。絶望しますが、諦めないでおこうとおもいますが、僕にできることはたかがしれています。しかし、吃音については、僕にできることはたくさんあります。「吃音の平和主義」を貫くために、僕たちのすばらしい仲間と共に、闘う覚悟を新たにしました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/11

 追記 僕は今、吃音者、吃音児のことばは今は一切使っていません。過去の文章なのでそのままにしました。

蓮如のすごさー吉崎御坊蓮如上人記念館


 北陸は片山津についてからはずっと雨でした。雨の中、以前から行きたかった蓮如上人記念館に行ってきました。かなりの強い雨の中、誰人来館者はいません。記念館の職員は、待ていましたとばかり、つききっきりで説明をして下さいました。

 仏教にはまず親鸞の「歎異抄」が道を開いてくれました。暗記するくらい何度も読みました。親鸞の「たとえだまされて、地獄へおちてもかまわない」とまで信じた法然にとはどのような人かと、何冊かの本を読む内に、法然が好きになりました。日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」でも、法然の選択と日本の吃音臨床という文章を書きました。僕の気にいている文章です。
 
 アメリカ言語病理学、日本の民間のクリニックが行ってきた「ゆつくり。そっと、やわらかく」の発音・発生訓練を中心にした「吃音を治す・改善する」は100年以上、ほとんどのどもる人が失敗してきた「難行苦行」で、僕の死湯徴する「吃音と共に生きる」が、だれでもができる「易業」だと「ただ、念仏すればいいと」との法然の教えになぞらえたのです。

 浄土真宗は親鸞が亡くなった後、ほそぼそと続いていましたが、それを一気に進展させ、大きな教団へと発展させたのが蓮如でした。石川県、福井県は浄土真宗のメッカです。

 蓮如が越前吉崎に入って布教活動に入ってわずか4か月で多くの信者を得て、4年の間に、「吉崎御坊」の周りに宿坊が立ち並び、大勢の参詣者が訪れる宗教都市を作り上げたと、解説委員は説明してくれました。その模型は当時の規模の大きさを表していました。

 車座になって説法する、「南無阿弥陀仏」の札を何枚も書き、250通ほどの「御文」といわれる手紙を書くという、画期的な方法で信者を獲得していったといいます。それにしても、わずか4年の歳月は驚異的です。

 僕は「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だと」提唱してからもう40年以上たっています。それがまだ、吃音のとりくみの大勢にはなつていません。まだまだ「治す、改善する」考え方が主流です。僕は、治療法がなく、原因もわからず、ほとんどの人が「治す・改善する
」に失敗してきた現実。それでも多くの人が「吃音と共に豊かに生きている」現状を考えたら、この対応しかないとと確信しているのですが、少数派です。


 蓮如記念館でいろんな資料を読み、空間で少しの時間を過ごして、いろいろと考えました。いくつかのヒントを得ることができました。金沢での吃音講習会での学びと連動し、ひとつの方向が見えてきました。

 僕はよく宗教の布教活動をなぞらえて、仲間たちと、「辻説法」しようと話し合っています。

 どんな小さな集まりでも、出かけたいと考えています。
 蓮如についてはほとんど知りません。これから勉強したいと思いました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/08/10










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