伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2014年01月

どもる人たちが、「べてるの家」と出会った


吃音の夜明けは近い


 このブログで、まだ昨年秋に出版された「吃音の当事者研究−どもる人たちが「べてるの家」と出会った」(金子書房)の紹介をしていないことに気づきました。
 僕たちにとって、これまでの主張の集大成のような本になりました。是非、お読みいただきたくて、紹介をします。
 あとがきに、このような内容のことを書きました。

 「伊藤さん、吃音の夜明けは近いですよ」
 向谷地生良さんが対談で何度も言って下さっているのに、「いやあ、そうは思えませんよ」と、私はそのたびに返しています。いかに悲観的だったかが分かります。それでも、この本がその夜明けにに導いてくれると、向谷地さんは何度も言って下さいました。

 今回の出版は、向谷地生良さんが、吃音ショートコースの二日目の当事者研究の演習の後、「伊藤さん、これ、おもしろいよ。出版しましょうよ」と言って下さったことが実現したものです。長い時間、夜遅くまで私たちにつきあって下さったことが、かたちになりました。ものすごく忙しい向谷地さんが、3日間も、ひとつのグループに関わって下さるなんて、おそらく始めてて最後のことではないかと、向谷地さんを知る人が要っていました。とてもありがたいことでしたる
 向谷地さんと出会うきっかけをつくって下さり、序文を書いて下さった斉藤道雄さんの、「この人は、自分のことばを話している」は、私にとって一番うれしいことばです。
 向谷地さんに出会うきっかけは、1986年の第一回世界大会にさかのぼります。世界の人々が出会う最初が大事だと、「出会いの広場」を担当してくださったのが九州大学の村山正治さん。村山さんの九重でのベーシック・エンカウンターグループで初めてファシリテーターをさせていただいたときに私と組んでくださったのが、九州大学の高松里さん。セルフヘルプグループを研究していた高松さんから紹介されたのが、大阪セルフヘルプ支援センター。そのメンバーで読売新聞記者の森川明義さんは、私のセルフヘルプグループで生きた半生を7回シリーズで写真付きの大きな記事にして下さいました。森川さんに紹介されたのが、人と人とが出会うお寺として有名な應典院の住職・秋田光彦さん。應典院の小さなニュースレターで私のインタビュー記事を目にして、東京から私に会いに来て下さったのがTBSの斉藤道雄さん。斉藤さんの浦河の別荘でお会いしたのが向谷地さん。こうして人と人とがつながっていくのだと、不思議な縁を思います。

  吃音の当事者研究−どもる人たちか「べてるの家」と出会った (金子書房) 2000円+税
                                           向谷地生良・伊藤伸二

  
    目次
機々岷蕁‥事者研究と私        向谷地生良
 1精神医療の世界で起こっていること
 2浦河でべてるで行われていること
 3当事者がもつ力
供々峙善藹 当事者研究の実際 向谷地生良
 1 講義 当事者研究について
 2 演習 グループによる当事者研究
3 質問
掘‖价漫‥事者研究を吃音に生かす 向谷地生良 伊藤伸二
 1 伊藤伸二の当事者研究
 2 吃音の悩みから解放される道筋 
 3 どもる人のセルフヘルプグループ言友会の設立
検ゝ媛擦療事者研究 吃音が治る、治せるを、あきらめる生き方 伊藤伸二
 1 世界の吃音治療の現状
   1 対談 カナダ・北米の吃音治療の現状について
  2 統合的アプローチ
2 吃音の定義から始める吃音の取り組みの再構築
 3 映画「英国王のスピーチ」の当事者研究


当事者ビラ'

吃音相談・講演会 北九州が近づきました


 一昨日、北九州市立障害福祉センターの言語聴覚士の徳本郁恵さんから電話がありました。「今年も昨年同様たくさんの申し込みがありました」との連絡です。ここ20年ほど毎年開いている相談会ですが、いつも、たくさんの人が集まって下さるのはありがたいことてず。
 いろんな人の話を聞きました。それに対していろんな話をしてきました。私は、参加者の質問が大好きです。少なくともその人が、吃音について疑問に思っていること、知りたいことを、僕が経験してきたこと、出会ってきたたくさんのどもる子ども、どもる人の体験を紹介できるのは、本当にありがたいことです。参加者の声に耳を傾けての話になりますので、当然話す内容は毎年違います。今年はどのような人たちと出会えるか楽しみです。

 北九州市・小倉に近い方々、ご紹介いただきご参加下さい。今年は、オランダでの世界大会のこと、出版した親の会のパンフレット「吃音と共にゆたかに生きる」と、北海道浦河のべてるの家の、向谷地生良さんとの共著「吃音の当事者研究−どもる人がべてるの家と出会った」(金子書房)の話もできるので楽しみです。

 前にも紹介しましたが、主催者の案内をもう一度紹介します。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/30


  吃音講演・相談会 「吃音とともに豊かに生きる」

日本の吃音指導のリーダー的存在であり、吃音の当事者である伊藤伸二氏をお招きして、講演・相談会を行います。第10回吃音世界大会(オランダ)に参加して得た世界の吃音臨床の状況やどもる人の生き方。ことばの教室や吃音親子サマーキャンプで出会った子どもたちの体験などを元に、どもる子どもの子育て、指導、教育、成人のどもる人の吃音への対処の仕方などについて具体的な体験やエピソードを盛り込みながら話していただきます。日頃、困っていることや疑問に思っていることなど、参加者からの相談に答える形で話が進みます。多くの方の参加をお待ちしています。

1 日時  平成26年2月2日(日)
第1部(幼児、小学生、中学生の部) 午後1時30分〜4時
対象者:吃音幼児・小・中学生の親、保育士、幼稚園・小学校教諭等

第2部(高校生、大人の部)   午後6時〜8時30分
対象者:吃音で悩んでいる大人(高校生以上)とその関係者

2 会場  北九州市立障害福祉センター 電話 093-522-8724  Fax 093-522-8772
       北九州市小倉北区馬借一丁目7−1(総合保健福祉センター3階) 

3 講師  日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 氏 大阪教育大学非常勤講師  
言語聴覚士養成専門学校非常勤講師・国際吃音連盟顧問理事

 著書:『吃音の当事者研究』『吃音と認知療法・認知行動療法』(金子書房)
     『どもる君へ いま伝えたいこと』『どもりと向きあう一問一答』
     『親、教師、言語聴覚士が使える吃音ワークブック』(解放出版社)
     カルタ教材:学習・どもりカルタ(日本吃音臨床研究会)など多数

4 参加費 無料
5 主 催 北九州市立障害福祉センター
6 申し込み、問合せ先  北九州市立障害福祉センター  徳本郁恵
電話 093-522-8724  Fax 093-522-8772

どもる どもった時の対処に関連して


 日本吃音臨床研究会では毎月「スタタリングナウ」というニュースレターを発行しています。2007年に発行した、153号の巻頭言を紹介します。

 私の声とことばの履歴書

    
 吃音はどう治すかではなく、吃音と共にどう生きるかが大切だと、私は30年も前から提案し続けてきた。その「治すかではなく」が、常に誤解を受けてきた。吃音を認めて生きることは、声やことばに関しては何もしないと受け止められたのだった。しかし、私たちが、実は声やことばに対して一番取り組んできたのではないだろうか。

 どもる人のセルフヘルプグループの大阪吃音教室においては、読むことや話すことのトレーニングを取り入れたり、演劇にも取り組んできた。また、どもる子どもたちの吃音親子サマーキャンプも、吃音について話し合うことと、ことばの表現に取り組む劇の上演が2つの大きな柱になっている。

 声やことばに私たちが本格的に取り組み始めたきっかけは、竹内敏晴さんとの20年ほど前の出会いにある。その出会いは衝撃的だった。
 グループのリーダー研修会で、体をゆらし、童謡や唱歌を、今ここで生まれる表現の歌として腹から声を出して歌った時の弾んだ気持ちと、声を出す喜びは今もはっきりと思い出すことができる。
 息が流れ、その息と共に声が出て、歌となっていく。からだがいきいきとし、うれしくなる。声を出すとはこれほど楽しく、体と心が喜ぶものだったのだ。この感動は今も忘れない。

 吃音に悩んでいた頃の私にとって、声を出すことや思いをことばにすることは、相手に近づくためではなく、相手との距離を置くためのものだったと言えるだろう。私のどもることばを聞き手がどう受け止めるか、常に不安と恐れがあった。近寄りたくて発したことばは、時に相手から拒まれた。
 声を出すたびに身構え、からだはこわばった。どもることばを相手に聞かれないようにと、ことばを自分のからだに閉じこめた。

 私が声に関して取り組んだのは、謡曲の師範である父親から手ほどきを受けた謡曲と、大学時代のクラブの詩吟と講談師・田辺一鶴さんから教わった講談だった。かぼそかった声が詩吟でだんだん大きくなり、講談で話のリズムをつかんだ。一時期、「お前の話は講談を聞いているようだ」とよく言われ、喫茶店では恥ずかしいから、もっと小さな声で話してくれと友だちから言われた。

 その後、セルフヘルプグループをつくり、リーダーとなった。人を遠ざけてきたことばは人と人とを結びつけるものになった。リーダーになって人前で話すことが多くなり、大勢の前で話す場に慣れ、話すときの不安や恐れがやわらいでいった。

 20代の終わり、私は大学の教員となった。吃音について独自の哲学をもち主張することばをもっての講義や講演では、家族や友人と話すように話していたのでは伝わらない。一音一音を丁寧に、相手に伝えたいという熱意をもって、相手に伝わるように私はゆっくりと話し始めた。しばらくして、日常生活や親しい人との会話では、相変わらずどもるのだが、大勢の人の前で話す時は、ことばをゆっくり目にコントロールすることが自然と身についたのか、あまりどもらなくなった。
 
その後、「吃音と共に生きる」プログラムを作る時、声やことばにも取り組みたいと考えた。国語教育の朗読、アナウンサーの訓練、歌手や声優のボイストレーニングなど、様々なワークショップを経験し模索を続けたが、どもる私たちが取り組みたいと思えるものとは出会えなかった。その後、出会えたのが竹内敏晴さんのレッスンだった。

 今の私は、また人前でもよくどもるようになった。8年ほど前に、私の講演を聞いた人が、今の私のどもる状態にびっくりするくらいだ。自分では意識していなかったのだが、自分の考えを人前で話すとき、竹内敏晴さんの言う「説明・説得的な口調」が身についていたのだろう。それを壊して「表現としての声」を育てて下さったのが、竹内さんだった。今、自然にどもる私が好きだ。

 どもる私たちにかかわり、その延長として大阪で毎月開かれるようになった竹内レッスンの様子を、日本吃音臨床研究会編集の「たけうち通信」をもとに竹内敏晴さんが本として出版して下さった。それが、竹内敏晴(演出家)著、 『竹内レッスン−ライヴ・アット大阪』(春風社)だ。どもる私たちとのレッスンの様子、私たちとの話し合いが含まれている。私たちの声とことばの履歴書でもある。 (2007年5月21日記)

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/29

どもりそうな時のサバイバル



   声が出ない時の対処法

 大阪吃音教室で講座の最終です。教室で話し合われたことを紹介します。 

 大阪吃音教室では、吃音を知る、基礎知識としてどもる人に役立つ知識を整理し学んでいます。予期不安と並んで大きなテーマは恐怖です。それが場面恐怖、吃語恐怖です。それに対する対処が、どもった時、声が出ないときの対処です。
 場面恐怖…ある特定の場面に対する恐怖
 吃語恐怖…ある特定の語に対する恐怖

 例えば二度と会わない人の前でどもる場面など、どもっても我慢ができる場面では気楽にどもろう。取るに足りない、どうでもいい場面では、できるだけ自然にどもるくせをつけておくと、いざと言うときでも楽にどもれる。どもってもいい場面をできるだけ作っていくのが、どもる人が楽に生きられる道。どもりたくない場面では、あの手この手を使って、サバイバルする。そのように、優先順位を決めていかないと、どの場面でも同じように「どもりたくない」と思うと、緊張するし、つらくなる。

 どうでもいい場面では、気楽にどもろう。従って、対処はしない。

 自分でどもりたくない場面、よくどもってしまう場面では、「どんな手を使ってでも生き延びる」ことが必要。大阪吃音教室でみんながどのように切り抜けているか聞きました。

 Q.声が出ないときにはどのようにして切り抜けていますか?何か工夫はありますか?
【対処】 どもりそうなことばの前に、言いやすくてかっこいいことばを緊急時に備えてレパートリーとして持っておく。自己紹介で、周りの人が名前だけ言っていっても、自分だけ、「藤井寺の藤田です」「緊張しやすい伊藤です」「阪神ファンの横山です」など。
 
【対処】随伴症状を行動として生かす。相手に向かって、息が流れるような、相手に向かっていくためのアクション。普段からジェスチャーを豊かにしておく。

【対処】ブロック(つまる)したら、どもったまま言わないで、一旦キャンセルする。一旦やめて「ハー」と息を吐く。息が流れたところで、もう一度挑戦する。

【対処】「えーと」「ん」など、言いやすいことばを頭につける。

【対処】低い声、高い声など声のバリエーションを持ち使い分ける。
・高い—低い ・早い—遅い ・大きい—小さい ・強い—弱い
 これら、どちらの方が言いやすいか実験、工夫してみる。人によってどちらが言いやすいか違う。

【対処】間を上手に活用する。「わたしは あなたが すき」の、どこを強調したいかで、どこに間を置くか変わってくる。どもることを間として生かす。

【対処】自分なりのゆっくりさを身につける。

◎どもってでも突破するか、それとも対処法を使って切り抜けるかはその人の選択。
バリエーションをたくさん持っておく。それを使うか使わないかは、その時の選択。

      ----- 対処法のおさらい ------
1.アクション使う(目立たない、かっこいいもの)

2.言いやすいことばをつける(「えーと」「ん」など)

3.音色(声のバリエーション)を豊かにもつ。
◎普段から声を出すことを意識して練習する。歌がおすすめ。

4.母音を常に意識する
例)「次の日」なら「つう ぎい のお ひい」(「ういおい」と母音の流れを意識する。まず母音だけで「ういおい」→次に頭にほんの少し「つ」をつけてみる。
◎日本語は母音が大事。「一音一音母音をつけて丁寧に」を心がける。
◎母音がどもる場合→語頭「あいうえお」がくる場合、「おつかれさまでした」→最初の「お」を子音と考え、その後ろに母音の「お」をつけるイメージで「ぉおつかれさまでした」
◎どもらないためのものではなく、いい日本語を喋る。
 吃音治療法がいろいろと考えられたが、結局はゆっくり喋るしかない。母音をつけて一音一音丁寧に発音することで、結果として、自分なりのゆっくりさになる。

5.リズム(自分なりのリズム)日常生活で声を出すことを取り入れる。
・好きな小説を一日10分でもいいから声に出して読む。
・「声に出して読みたい日本語(斎藤 孝)」
・谷川俊太郎さんの詩や、俳句、和歌などを声を出して読む
◎新聞のコラム(天声人語など)を声に出して読むと、論理的に考える力も身につく。

 大阪吃音教室で時々するのが、宗教学者・町田宗鳳さんの提唱する「ありがとう念仏」 

 ありがとうと言いたい人などを想像して息が続く限り「あーりーがーとーうー」と声に出してみる。それを繰り返す。「ことばのちから、音のちから、声のちから」
声を出すことで自分のちからになり、生きるエネルギーになる。

 常日頃から声を出すことで、緊急避難の時にも普段の時にも役に立つ。

 「どもって声がでない時の究極の対処法は、どもること」

 どもるから声が出ないのではない。どもりたくないから声を出さない。どもってもいいと思えば声が出る。僕らはどもるということを覚悟すること。「この場面ではどもってはいけない」と自分で勝手に決めてしまう。実際はどもってはいけない場面はない。 (大阪吃音教室の報告

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/28

どもって声がでない時の、サバイバル



   声が出ない時の対処法

 大阪吃音教室で講座の最終です。教室で話し合われたことを紹介します。 

 大阪吃音教室では、吃音を知る、基礎知識としてどもる人に役立つ知識を整理し学んでいます。予期不安と並んで大きなテーマは恐怖です。それが場面恐怖、吃語恐怖です。それに対する対処が、どもった時、声が出ないときの対処です。
 場面恐怖…ある特定の場面に対する恐怖
 吃語恐怖…ある特定の語に対する恐怖

 例えば二度と会わない人の前でどもる場面など、どもっても我慢ができる場面では気楽にどもろう。取るに足りない、どうでもいい場面では、できるだけ自然にどもるくせをつけておくと、いざと言うときでも楽にどもれる。どもってもいい場面をできるだけ作っていくのが、どもる人が楽に生きられる道。どもりたくない場面では、あの手この手を使って、サバイバルする。そのように、優先順位を決めていかないと、どの場面でも同じように「どもりたくない」と思うと、緊張するし、つらくなる。

 どうでもいい場面では、気楽にどもろう。従って、対処はしない。

 自分でどもりたくない場面、よくどもってしまう場面では、「どんな手を使ってでも生き延びる」ことが必要。大阪吃音教室でみんながどのように切り抜けているか聞きました。

 Q.声が出ないときにはどのようにして切り抜けていますか?何か工夫はありますか?
【対処】 どもりそうなことばの前に、言いやすくてかっこいいことばを緊急時に備えてレパートリーとして持っておく。自己紹介で、周りの人が名前だけ言っていっても、自分だけ、「藤井寺の藤田です」「緊張しやすい伊藤です」「阪神ファンの横山です」など。
 
【対処】随伴症状を行動として生かす。相手に向かって、息が流れるような、相手に向かっていくためのアクション。普段からジェスチャーを豊かにしておく。

【対処】ブロック(つまる)したら、どもったまま言わないで、一旦キャンセルする。一旦やめて「ハー」と息を吐く。息が流れたところで、もう一度挑戦する。

【対処】「えーと」「ん」など、言いやすいことばを頭につける。

【対処】低い声、高い声など声のバリエーションを持ち使い分ける。
・高い—低い ・早い—遅い ・大きい—小さい ・強い—弱い
 これら、どちらの方が言いやすいか実験、工夫してみる。人によってどちらが言いやすいか違う。

【対処】間を上手に活用する。「わたしは あなたが すき」の、どこを強調したいかで、どこに間を置くか変わってくる。どもることを間として生かす。

【対処】自分なりのゆっくりさを身につける。

◎どもってでも突破するか、それとも対処法を使って切り抜けるかはその人の選択。
バリエーションをたくさん持っておく。それを使うか使わないかは、その時の選択。

      ----- 対処法のおさらい ------
1.アクション使う(目立たない、かっこいいもの)

2.言いやすいことばをつける(「えーと」「ん」など)

3.音色(声のバリエーション)を豊かにもつ。
◎普段から声を出すことを意識して練習する。歌がおすすめ。

4.母音を常に意識する
例)「次の日」なら「つう ぎい のお ひい」(「ういおい」と母音の流れを意識する。まず母音だけで「ういおい」→次に頭にほんの少し「つ」をつけてみる。
◎日本語は母音が大事。「一音一音母音をつけて丁寧に」を心がける。
◎母音がどもる場合→語頭「あいうえお」がくる場合、「おつかれさまでした」→最初の「お」を子音と考え、その後ろに母音の「お」をつけるイメージで「ぉおつかれさまでした」
◎どもらないためのものではなく、いい日本語を喋る。
 吃音治療法がいろいろと考えられたが、結局はゆっくり喋るしかない。母音をつけて一音一音丁寧に発音することで、結果として、自分なりのゆっくりさになる。

5.リズム(自分なりのリズム)日常生活で声を出すことを取り入れる。
・好きな小説を一日10分でもいいから声に出して読む。
・「声に出して読みたい日本語(斎藤 孝)」
・谷川俊太郎さんの詩や、俳句、和歌などを声を出して読む
◎新聞のコラム(天声人語など)を声に出して読むと、論理的に考える力も身につく。

 大阪吃音教室で時々するのが、宗教学者・町田宗鳳さんの提唱する「ありがとう念仏」 

 ありがとうと言いたい人などを想像して息が続く限り「あーりーがーとーうー」と声に出してみる。それを繰り返す。「ことばのちから、音のちから、声のちから」
声を出すことで自分のちからになり、生きるエネルギーになる。

 常日頃から声を出すことで、緊急避難の時にも普段の時にも役に立つ。

 「どもって声がでない時の究極の対処法は、どもること」

 どもるから声が出ないのではない。どもりたくないから声を出さない。どもってもいいと思えば声が出る。僕らはどもるということを覚悟すること。「この場面ではどもってはいけない」と自分で勝手に決めてしまう。実際はどもってはいけない場面はない。 (大阪吃音教室の報告)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/28

どもった時の、ことばの言い換え

 
 大阪吃音教室の僕たちの仲間である、西田逸夫さんが、ことばの言い換えについて、興味深い記事を紹介してくれました。みなさんにも紹介したくて、一部分ですが紹介します。

 ことばの言い換え

 自分で話を切り出す前は、相手のことや、その場のことを考えて言葉を選んでいても、いざ話そうとして、その言葉の最初の音に詰まってしまうと、たいていの場面で別の言葉に言い換えてしまいます。いまでは(後で書く事情により)平気になったそんな言い換えが、当時はつらくてたまりませんでした。
 10才の頃に吃音症状が始まってから、言葉の言い換えをずっと続けていたことに、その頃すっかり疲れてもいました。それは、吃音に抵抗し続けることから来る疲れでした。言葉を言い換えなければどもってしまい、たとえ言い換えても、代わりの言葉でどもってしまうことが多く、幾ら抵抗しても吃音にはかないませんでした。ごくたまにうまく話せて、余りどもらずに済んだ後でも、言葉を言い換えた果てのことなので、徒労感ばかりを感じたものでした。更に多かったのが、そのように詰まらずに話せる言葉のセットを用意している間に、話し出すきっかけを失ってしまうことでした。一言で言えば、言葉についての違和感、自分の言葉を話しているという実感を持てないことが、私を苦しめていたのです。

<吃音に降参して>

 こんな風に、吃音に抵抗するのにすっかり疲れを感じていた私は、あるとき、言葉の言い換えをやめてしまおうと思いました。話そうとして言葉に詰っても、どもってしまっても、そのまま話し続けることにしたのです。自分の吃音に降参することにしたのです。21才の秋。7年通って中退した大学の、3年生でした。
 当時親しくしていた友人と一緒に、生物学のある研究室に向かう道すがら、「どもりを避けることをやめたんだ」とその友人に話したことを覚えています。その研究室で話した内容は忘れてしまったものの、その日は随分ひどくどもりながら、色々と話した記憶が残っています。
 ひどくどもったのに、それがつらくなくて、むしろ爽快でした。その場にいた先生や友人がどう感じたかはとにかく、自分では平気でした。それまでは、同じ研究室で動物学の大層面白い図版を色々見せてもらっても、ごくたまにポツリと感想を言うくらいしか出来なかったのに、その日は自分からたくさん話せたのです。このとき初めて、「自分の言葉を話す」実感を持てました。
 しかし、何人もを相手にこれを続けているうち、自分は爽快だけれど、聞き手はこれではたまらないだろうと思うようになりました。電話では特にそうです。私も吃音の知り合いから電話を受けることがあり、電話口で相手がどもるとどれほど聞きづらいか、良く分かっていたからです。
 そんなことから、「私は吃音です」と、自分から言うようになりました。同じように聞きづらい思いを聞き手にさせてしまうにせよ、あらかじめ吃音だと伝えて置く方が、少しは良いかと思ったのです。初対面の人には必ず、私を知ってる人にも、その日の調子によって、ひどくどもりそうなときにはまず、「これからどもります」と言うようになりました。
 自分の吃音を公表している吃音者は、たいてい「初めて公表したときには勇気が必要だった」と言います。大きな葛藤を体験した人もいます。それに比べると、私の場合は、自然な流れでいつのまにか公表を始めていました。吃音を公表するに当たって、勇気とも葛藤とも無関係でした。吃音に降参したときから、公表への流れは出来ていたのです。


<更なる降参が待っていた>

 しかし私の、「どもるときにはどもってしまおう」という方針と、それに伴う爽快感は、長くは続きませんでした。その年の冬、あることがあって、私の高揚感は見事に砕けてしまいました。
 ことさらに言うまでもなく、会話は相手があってのことです。私の会話の相手になってくれる人は、私と話がしたいわけで、私のどもりと付き合いたいわけではありません。自分がいくら爽快でも、ひどくどもりながら話すのは、自分勝手という点では、酔っぱらいが回らない舌で、クドクドと喋るようなものです。
 冬にあった出来事で、そのことを手ひどく思い知らされた私は、一旦は自分に禁じた、音に詰まりそうになったときの言葉の言い換えを、再び始めることにしました。吃音への降参に続いて、言葉の言い換えに降参したわけです。不思議なことに、以前はとてもつらくて、いやだと思っていた言葉の言い換えが、自らの選択で再開してからは、それほどつらいことで無くなっていました。
 こうして、吃音を巡る2度の大きな波を、僅か数ヶ月の間に経験して、それまで自分の中に閉じこもり勝ちだった私は、初めて他者との関係で自分の吃音を考えるようになりました。
 思えば、吃音の公表と、それに続く言葉の言い換えの再選択が、初めて私が自覚的に行った、他者への積極的な配慮でした。それまで私と他者との関係をさえぎる原因の一つだった自分の吃音が、この時期から、私と他者との関係を結ぶ窓の一つになったのです。   西田逸夫

平井雷太編集『教えない教育』 2002年4月号への寄稿記事に、2004年5月一部加筆修正

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/27 

どもりの効用

 言い換えは 言葉の魔術師 得意技 (学習・どもりカルタ) 

 NHKの番組に「落語でブッダ」という番組があります。落語も仏教も大好きな僕は、珍しくテレビを見ました。その日の落語は「猿後家」。

 猿によく似た商家の後家さん(お家はん)は「猿」という言葉が大嫌い、その商家に出入りする太兵衛はおべんちゃらの得意な調子者。おべんちゃらでお家はんを機嫌良くさせて、食事や小遣いをもらっています。「猿」は禁句なのですが、つい奈良の話をしている時に、「猿沢の池」と言ってしまって逆鱗に触れ、出入り禁止。その後いろいろとおべんちゃらで挽回しようとしますが、やはり「サル」と言ってしまう。言ってはいけないと思えば思うほど言ってしまうことで、どたばたが起こります。
 
 この落語を、宗教学者の釈徹宗さんが仏教にからめて深読みします。
 釈徹宗さんは、仏教徒が生活の中で守るべき戒めとして十善戒を紹介します。不殺生(ころさない)(盗まない)などの十の戒めの中で、四つがことばに関する戒めだとして、仏教がいかにことばを慎重に扱おうとしていたかが分かるといいます。相手の気持ちになって、慈しみのことばをかけることを説いてきた。どうすれば、ことばは相手の心に届くのかを考えてきたと言います。

 スッタニパータというお経の中に、「人は口の中に斧を持て生まれてくる」とのことばがあります。暴れることばは、斧であり、使い方を間違えたら、人を傷つけるし、自分も傷つけてしまうというのです。思ったことをそのまま口に出すことは、あまりいいこととは考えません。ことばを出す前に一旦整えて、いいタイミングで出す。このことばを言うべき人に言うふうなトレーニングを日々送る。それが、仏教の大きな特徴たせと、釈徹宗さんは言います。
 
 十善戒の中のことばに関するもの

不妄語 ふもうご…うそをついてはいけない
不綺語 ふきご…おべんちゃらを言ってはいけない
不悪語 ふあっく…人の悪口を言ってはいけない
不両舌 ふりょうぜつ…二枚舌を使ってはいけない

 釈徹宗さんはポイントとして、ことばは整えるけれど、できるだけ、思いと大きくずれたことばは使わない。良かろうと思って言ったことばが、相手を怒らせてしまったり、何気ない発言で相手を傷つけてしまったり、受け手の性格や人生観によって、解釈は全く違ってしまう。猿後家は、人は口の中にある斧の意味をかみしめよとの教えだと深読みします。

 この番組を見て、どもりの効用を考えました。僕は話そうとするとき、一瞬のうちに「このことばはどもらずに言えるか」を察知します。声が出そうにないと思えば、瞬間的に言い換えます。子どもの頃お使いに行って「たまご」が言えずに「鶏卵」と言って、八百屋のおばさんが、一瞬小学一年生が言っていることばが分からない風でした。オランダの世界大会で会った、小説家のデイビッド・ミッチェルさんも、子どもが決して使わないような言葉を使ってきたと言います。僕は、この思ったこと、言おうとして、そのまま瞬間に出してしまうことを、どもりそうな時にしてきた、訓練のようなものが、役に立っていると思うことがしばしばあります。
 
何か、相談を受けて話している時、一瞬思ったことでも、この言葉でこの人はかえって落ち込むことにならないか、傷つかないか、瞬間的に考えます。そして、口についてでてくる言葉は、それに近い言葉であっても、別の言葉がでてきます。これは、セルフヘルプグループの活動の中でも生かされました。否定的な言葉かけになるものが、気がつくと肯定的な言葉になっていることがよくありました。

どもるために、すぐに口に出すことができず、一瞬間を置く週間が、ことばを整えることに役立ったのです。
  
 落語「猿後家」の太兵衛のような、おべんちゃら、思ってもいないこといっているわけではありません。言わなくてもいいことは言わない、気分を悪くさせてまで、思ったことを言う必要がないことは言わない。できるだけ、相手を「勇気づける」ことばを使いたい。これは、どもりの言い換えの技術が、自然と身についたものだと思います。

 こう書いてくると、僕の身近な周りの人たちは、「????・・・・」と思うでしょう。基本的には周りの人は僕のことを言いたいことを言う「毒舌」、「厳しいことを言う」と、きっと思っていると思います。僕は、お世辞や、おべんちゃらは大嫌いです。常に本音で生きています。だけど、必要な時は、釈徹宗さんが言う「ことばを整えている」のです。

 どもる僕たちは、立て板に水の流暢なことばは使えません。その分、人を傷つけることばは使わないようにしたいものです。
 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/20

日本語は、どもる人にとって、とても有利な言語


 どもって声が出ないとき

 大阪吃音教室の例会は、幅広いテーマで学び合いますが、この「どもって声が出ないとき」のテーマは、僕の大好きなテーマです。どもる人の、したたかな、しなやかなサバイバル術を共有できるからです。

 まず、僕の考えていることは、どんな手を使ってもいいから、人に伝えよう、関わろうということです。

 どもりは治りません、治せません。
 だから、どもりながら話していくことになります。どもって声が出ないときどうするかは、どもる人は常に対策を考えておいた方がいいことです。
 どもりを治すため、克服するためには、どんなにどもっても、言い換えや、どもらない工夫はすへきではないと、アメリカ言語病理学のある本で読んだことがあります。また、どもりを認めて、どもりを受け入れているのなら、どんなにどもってもどもり続けるべきだとの考えがあるかもしれません。しかし、僕たちは、柔軟に考えています。

 「どもるもよし、どもらないのも良し、逃げたくなったら時には逃げるのも良し、強行突破でどれただけ時間がかかってもどもり続けるのも、また良し」。「吃音と共に生きる」とは何でもありなんです。基本的には、自分を、相手を、仕事を、人間関係を大切にしていれば、どんな表現でもいいと思っています。

 「たまごから 鶏卵・エッグと 七変化」
 この読み札がどもりカルタにありました。ある音が出なくて困ったとき、言い換えをする。どもる人でことばの言い換えを絶対にしないという人はおそらくいないでしょう。どもる人の悩みに、「とっさに言い換えた言葉が、本当にいいたかったことではない、吃音を受け入れているはずの私が言葉を言い換えるのは結局どもりたくないからだ。それは吃音を否定していることだ」と考えてしまう人がいます。
 ことばの言い換えを「どもりたくないから、ごまかした」のだと、自分を責めるのです。

 言い換えることで、コミュニケーションが成り立つのなら、いいかえたらいい。それを「ごまかす」とは言わず、「サバイバル」だと僕たちはいいます。

 どもりそうだ、声がでそうにない、その時に言い換えることができるなら、言い換えればいい。言い換えができない、固有名詞なら、どもるしかない。ただそれだけのことです。
 でももうひとつ、みんなが自然にしているサバイバル術があります。「エート」や、言いやすいことばをつけて勢いでいったりは、みんなが普通にしていることです。それは。どもりをごまかすと考えず、サバイバルと考えると楽しくなります。日本語はそれがとてもできる言語なのです。

 平田オリザさんの「わかりあえないことから、コミュニケーション能力とは何か」(講談社現代新書)には、日本語を話す人の、コミュニケーションについて、とても本質的で、僕たちにとって実用的な知恵が詰まっています。
 
 日本語は、言い換えがとてもしやすい言語だ、この本を読んで思いました。
 ・「アノー」などの間投詞をつけてもいい。
 ・言いやすい主語を入れてもいいし、言いにくければ省いてもいい
 ・言いにくければ、いくらでも語順を変えることができる。
 ・強調することばをくりかえしてもいい。
 ・言いやすいことばを、どみもりそうな言葉の前につけても、意味が伝わるようにできる。

 昨年6月のオランダの世界大会で、海外の人たちがとてもどもっていると感じたのは、日本人よりも、言葉を言い換えるのが難しい言語のせいかもしれないと思ったものでした。必ず主語を入れなければならないし、語順も日本語のように自由自在にかえることができない。どもって声が出ないとき、どもるしかないのです。

 僕たちは、日頃言い換えたり、語順を変えたりしていることに、罪悪感や、劣等感をもたずに、むしろ、言い換える技術は、言葉を豊かにして、一テンポ遅らすことが、絶妙の間となっていきてくることがある、と考えることができます。言い換える技術が実は大きな力を発揮できることを次回に書きます。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/25

どもって声が出ないとき

  どもる時は、どもるがよろしい

 先週の大阪吃音教室のテーマが、どもって声が出ないとき、どうサバイバルしているかがテーマでした。それに着いては後日詳しく報告したいのですが、例会の最後に出てきた話題について。

 どもって困るときは、一般的には大勢の前で話すときや電話や、上司への報告などだと思っていました。ところが、友だちと話すとき、どもらないようにしている、どもることを話していないなどの話が出ました。聞くと、友だちに、自分の劣等感や、弱点、短所をしられたくないとの話でした。そこで私はこんな話をしました。

 政治家や、企業の競争している場合では、弱点をみせることはマイナスかもしれないが、友だちなどの人間関係では、自分の弱みを隠していることは、よりよい人間関係をもちにはかえってよくない。どもることで、からかいや、いじめを心配するのは、小学生、中学生までで、成人になった友だち関係で、どもることがわかったからといって、その人を仲間はずれにしたり、軽んじたりはほとんどの場合ありません。僕は吃音に深く悩んできましたが、中学生、高校生の時、どもることで笑われたり、からかわれた記憶はありません。まして、大人になってからはありません。これは、僕がラッキーだっただけでしょうか。

 自分の弱さや、弱点を認め、それを自慢するわけではないけれど、素直に表現している人を、馬鹿にしたり、さげすんだり。仲間はずれにするような人がいたとしたら、それは、もう友だちでも、仲間でもありません。そんな人とはつきあわない方がいいと僕は思います。
 とても有名な大学の先生がいます。僕の尊敬する大好きな人です。その人はある面ではすごい業績のある人ですが、ご自分で言うには、弱くて、ドジです。よく失敗をします。しかし、それを隠すことなく、どうどうと認めて、周りの人にも自分の弱みを話します。その人の周りには常に人が集まり、いろんなことが出来ていきます。弱さを、ドジさを素直に表して下さるから、とても安心できるのです。「僕も失敗してもいいや」と自分を認められます。この先生のように、他の面では能力があり、実績があるからというのではなく、そのようなものがなくても、僕の身近な人で、本当の自分、等身大の自分をそのままに提示してつきあってくれる人は好きですが、自分の弱みを人に見せたくないと、自分以上の自分を演じる人は、僕は好きになりません。

 会社などで。無理をしなければならない場面もあります。しかし、親しい友だち、親しくなくても、利害関係のない、プライベートな場では、どもる自分をそのままにだしていきたいなあと、僕は思うのです。

 わざわざどもりを公表する必要はありませんが、そのような場では、どもって声が出ないときの対処はしないで、
どもる時は、どもるに任せるのが楽な生き方だと思います。
 僕は、どこでも平気でどもっていますので、とても楽です。この間の東京での吃音ワークショップの時、こんなにどもる伊藤さんは初めてだと言われました。気持ちよくどもつていたのですが。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/22

どもる小学6年生からの質問


 勇気を出して。一歩踏み出そう 


 仲間のことばの教室の先生から、電話が入りました。ことばの教室に通っている小学6年生の女の子が、僕に質問があるというのです。必ず返事をするからと、その子が書いた手紙をファックスで送ってもらいました。
 それに対する返事を紹介します。

 齊藤さんへ 

横山先生から、 齊藤さんの4つの質問をファックスでいただきました。
 齊藤さんのような質問は、、島根県、岡山県、静岡県、群馬県、そして、僕たちが滋賀県でしている吃音親子サマーキャンプどもる子どもとたくさん出会い、たくさん質問も受けました。その質問に僕が答えたのが、『どもる君へ いま伝えたいこと』(解放出版社)です。もう読んでいるかもしれませんが、もし、まだ読んでいなければ、を読んで下さい。齊藤さんが知りたいことは、この本にかいてあるかもしれません。
 それはそれとして、齊藤さんの質問については、僕のたいけんしたことをお答えします。同じようにどもる人でも、体験することは、ひとりひとり違います。僕のたいけんしたことは、あなたが求めていた答えではないかもしれませんが、お答えします。参考になればうれしいです。
  
 1 中学で友だちができましたか
 2 小学校の卒業式のりこえられましたか
 3 いじめとかいやがらせとかやられませんでしたか
 4 中学生になって女の子のグループを見て、ひとりぼっちの人とかいませんでしたか

1 中学で友だちができましたか
 僕は小学5年生の中頃から、中学校にはいっての最初の自己紹介がとてもふあんでした。いつも「いとう しんじ」の「いとう」では必ずどもっていたので、自己紹介では絶対にどもると思っていました。いじめや、からかいが始まることがとても不安でした。
 覚えていないのですが、じっさいにどもって自己紹介したと思います。だけど、からかいやいじめは、中学の3年間一度もありませんでした。だけど、どもることに強いれっとうかんをもっていたので、ともだちと気楽に話せませんでした。今から思えば、自分から友達の輪の中に入ることができませんでした。
 だから、ともだちと言える友達はひとりもできませんでした。今から思えば、とても損をしたと思います。どもっても、どもっても、友達に話しかけたら、友達ができたかもしれません。自分からみんなの輪の中に入れなかったのは、「どもりは悪いもの、恥ずかしいもの」と考えていたからです。悪いものでも恥ずかしいものでもないのに、どもっている僕とはだれも友達になってくれないと、勝手に思っていました。

 60歳をすぎて、中学の同窓会に行きました。みんなの前で特別に発言させてくれたので、どもりのことをみんなに話しました。すると、「いとうが、そんなにどもりに悩んでいるとは知らなかった、話してくれたらよかったのにと、何人もの人から言われました。みんなは、僕のどもりをもちろん知っていましたが、ともだちが「どもりは悪いものでも恥ずかしいものでも何でもない」と考えていたのです。なんだか、とても損をした気持ちになりました。  
 あなたが、どもっていても、あなたのことを認めて、友達になりたいと思う人はきっといます。僕のように、自分から身を引いて、友達をつくらないのは損だと思います。ただ、無理をして、自分を見失ってまで友達はつくらなくてもいいとおもいますよ。僕はひとりぼっちだったけれど、なんとか生きてきました。一人で、こどくだったから、本をたくさん読みました。映画もよく見に行きました。本と映画が僕の友達でした。ともだちができなくても、自分が好きなこと、大切にできること、夢中になれることが見つけられたらいいね。
 友達ができるかどうか、不安な気持ちは分かりますが、どんとぶつかれば案外うまくいくかもしれませんよ。

 2  小学校の卒業式のりこえられましたか
  50年以上もまえなので、あなたの卒業式のように、何か一言言うようなことはありませんでした。どんな卒業式かは分かりませんが、それなりに練習をして、「どもったら、どもっただけのこと、どもってもいいや」と考えることですよ。映画「英国王のスピーチ」をよかったら、DVDで見て下さい。日本語の吹き替え版もあります。国王が、戦争をしなければならないことを国民にうったえるとても大切なスピーチをするまでの映画ですが、国王は「どもる時は、どもってもいいや」と、どもるかくごができたために、スピーチをすることができました。国王のスピーチからすれば、卒業式のスピーチで、どもっても平気だとという気持ちでのぞんで下さい。うまくいっても、失敗しても、どっちでもいいと思えたらいいですね。

 3 いじめとかいやがらせとかやられませんでしたか
 中学3年間、高校3年間そのようなことは僕はありませんでした。だけど、そのようなことが起こるかもしれませんね。そのときは一人で悩まないで、友達に、先生に、家族に相談して下さい。きっと味方になってくれます。僕の所に電話してきてもいいですよ。

 4  中学生になって女の子のグループを見て、ひとりぼっちの人いませんでしたか
僕がひとりぼっちだったので、他人のことをかんさつするよゆうはありませんでした。

 僕は、どもりを否定して、自分がだいきらいだったから、ひとりぼっちでした。そんな僕でも、21歳で、「どもってもいいや」と思えるようになつたからは、友達がたくさんでき、世界大会を僕はしているので、日本中に世界中に友達がたくさんいて、とても幸せに生きています。あなたは、中学で友達ができればいいですね。でも、できなくても、自分をきらいにならないで、好きなことを見つけて下さい。
 お返事がおそくなってごめんなさい。少しでも、参考になればうれしいです。
 お元気で       

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2014/01/20 
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