伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2013年12月

今年一年のご愛読に感謝します。


 このプログをお読み下さっている皆様


 今、由布院で、ベートーベンの第九を聞きながらこのプログを書いています。夕食後、人通りも少なくなった由布院の町を歩きながら、この一年を振り返っていました。大変に忙しい一年でした。4月5月は、言語聴覚士養成の専門学校う4 校が同時にスタートするなど、頭がこんがりそうになりながら、よくがんばつたなあと思います。

 いろんなことがあり、いろんな人と出会い、いろんなことを考えました。書きたいことがたくさんあるのに、書くことができなほどスケジュールがいっぱいで、とても残念でした。前回書いたようにぼぼちと書いていきたいと思います。

 このように、発信できる場があることとても幸せです。来年は、今年とは違って、格段にヒマになります。たくさん本を読み、いろんな人と出会い、いろいろと考えて発信していきたいと思います。

 このように発信できますのも、読んで下さる人がいて下さると信じるからです。時々、何かの機会でお会いした人から読んでいるよといっていただくと、とてもうれしいです。どこかでお会いしたら、声をかけて下さい。

 書きたいことも話したいこと、お伝えしたいことが僕にはたくさんあります。どうか、今後ともお読みいただければうれしいです。また、お知り合いにご紹介いただければうれしいです。

 「吃音を治す、改善する、軽減する」の大きな流れに対して、違う角度から考え、実践していることを今後も発信していきます。どうかよろしくお願いします。

 みなさまのご健康お祈りします。
 よい年をお迎え下さい。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/31

どもりながらの、楽しい語らい


 由布院の楽しい日々

 12月22日に来て、2013年があと一日。月日の流れの速さを常に感じているものの、由布院に来てからのひの流れの速さにもおどろきます。
 吃音の旅の、この一年の回顧を書こうとおもっても、旅先で、まったく資料がありません。その中で記憶に頼って書こうとは考えていますが、今日は由布院での生活を書きます。

 由布院厚生年金保養ホームは、文字通り保養の施設です。長期の滞在型で、年末年始だと2週間ほじの人が多く、今は、ほぼ満室です。3食つく食事は、1600キロカロリーに制限され、病院食のようで、糖尿病の僕には、このような施設が一番です。リタイアした人がほとんどで、平均年齢は80歳前後でしょうか。

 食事は四人がけのテーブルで、同席する人がどのような人かで、滞在期間の楽しさは倍増します。今年もおもしろい夫婦と同席で、楽しい食事が続いています。

 21歳の夏まで、どもりに悩み、人と話せなかった僕。人の話の輪の中に自分からは決して加わらなかった僕が、初めて出会う人と、楽しく話をしている。これは自分でも驚きます。

 どもりたくない、ども.くらいなら話すのはやめようとしていた僕が、人との会話を楽しんでする。この違いは何か、それはただ一つです。どもりが治ったわけでも、格段に吃音が軽減したわけて゜もありません。どもる不安や、嫌悪感がなくなっただけです。どもるときはどもるしかない。ただこれだけのことで、こんなに人との会話、対話が変わるとは、吃音に悩んでいたとき、治さなければなにも始まらないと思い詰めていたときには想像もできません。

 5年前に同席した国立大学の教授と再会したのはうれしいことでした。今、同席しているのが、民間のテレビ局で、ドキュメンタリーやドラマを演出していた監督で、もうリタイアしている人です。映画好きの僕には、その人が語る、ドラマの演出の話、映画の話がとても興味深く、いつも聞き入っています。僕たちの席はいつも大きな笑い声が絶えず、周りから、ひんしゅくをかっているのではないかとおもうほどです。

 先日は、5年前に出会った人と、私たちと近くの、とてもおいしい食事処で食事をしました。これまで、まったく違う世界で生きてきた、年齢も違う人が、一期一会でであい、楽しい会話ができる。

 人が、楽しそうに会話を楽しんでいる姿を、うらやましそうに眺めていた、21歳までの僕はもう、どこにもいません。僕が話さなければ、そんな苦悩の時代があったとは誰もおもわないでしょう。

 ひとりの友達もなく、孤独で生きた、小学2年生の秋から、21歳の夏までの自分が、ふと、懐かしく、別の人の人生をみるかのように思い出す、不思議な経験をしています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/30
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吃音(どもり)との内戦をやめたとき、どもりと仲良くなれた


デイヴィッド・ミッチェルさんとの対話

 ミッチェルさんは、久しぶりに長い時間を日本語で話すことを楽しむかのように、吃音について、いっぱい思いを語って下さいました。講演とは違う、僕たち数人が聞く、とても贅沢な時間でした。
 ボイスレコーダに残ったミッチェルさんとの楽しい対話は、僕たちの宝です。その一部を録音されたそのままに紹介します。

ずっと私のどもりは、敵だと思っていました。このどもりを殺したい、攻撃したい勝ちたいと、長年長年そういう風に考えましたけど、いつもダメでした。どもりも私を攻撃しました。結局自分のなかの戦い、内戦です。長年のどもりとの戦いは、この「内戦」という言葉になりました。自分のなかの内戦がだめだ。だから結局、私が考え方を変わらなければいけないと思うようになりました。
 敵ではなく悪戯が好きな子どものように考え始めました。その時まで。ダウンダウンダウンしましたがその後はゆっくりゆっくりup up upしていきました。少しずつ流暢に話せるようになりました。

 私の友達にアルコール依存症者がいます。彼によると今は全然飲みません。成功しましたけれど、今もアルコール中毒者です。しかしアルコールを飲まないアルコール中毒者です。私も、全く同じようになりたいと思いました。いつも私のどもりは左の腎臓のように体の部分です。私のどもりもいます。存在の権利があります。私の遺伝子にあるもの俺は私の遺伝子と遺伝子を攻撃したくないじゃない。戦うのはおかしい。折り合いをつけて自分の吃音と私は私のどもりに、「いいです。はい。存在の権利を認め尊敬しますと言いたい」。そうすれば吃音は同じように言うでしょう。「あなたを存在の権利を存在尊敬します」。実際そう言ってくれました。

13歳のときには全く考えられないです。書いた本のプロモートをする時、ラジオとかアメリカのイギリスのテレビに出ます。どもりなのにテレビに出ます。そして、この小説は、私の話ですと言います。どもりの話を聴いていただいてありがとうございます。これは私のどもりの歴史です遍歴ですと言います。
 私とどもりの旅は、続いています。時々私のどもりは、「ねぇねぇねぇ俺はまだいるで」。大阪のおばちゃんのように「ねぇねぇねぇいるで」と言ってきます。今では私のどもりとは友情関係になりました。

 そう言う風に変わったきっかけはなんですか

 絶望です。もう我慢できない。どもりを攻撃できない。もういいよ。君の存在を認めるよ。だいじょぶだいじょぶと思いました。
 十代の子どもを持っている両親として、反抗期の子どもに、ゆっくりゆっくり責任を渡して行けば、子どもはそれに応えてきちんと責任を果たせるようになります。責任以上のことをいきなり渡してしまうと果たせなくなる。時々私はお父さんでした。私の吃音が私のお父さんでした。吃音が私の父親の割をしてくれています。吃音に自分が役割を与えることもあるけれども吃音が私に役割を与えることもある。

 だから、シンジさんの基調講演の要約を読んだとき、吃音は病気じゃないと読んだとき、シンジさんに探しましょうと話したいと思いました。今、こうして話せて、とてもうれしいです。

◇デイヴィッド・ミッチェル(英国)さん略歴◇
 デイヴィッド・ミッチェル(1969〜)は、今世界で最も注目されている小説家のひとり。代表作『クラウド・アトラス』(2004年)は、ブッカー賞にノミネートされ、ミリオンセラーとなった。1993年から8年間、広島に住み、英語を教えるかたわら、『Ghostwritten』 (1999年)や『ナンバー9ドリーム 』(2001)を執筆。その後、アイルランドに移り住み、2006年に『Black Swan Green』が出版された。これはミッチェルの自叙伝的な作品であり、自らのどもりを主人公である13歳の少年に託している。イギリスの言語療法の教育課程で教材として広く使われている。上記の記事は、イギリスのオブザーバー紙とオランダ人文科学・社会科学研究所の機関紙36号に同時掲載されたものである。ミッチェルがいかにどもりと向き合い、折り合いをつけて行ったかが克明に書き記されている。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/28

 デイヴィッド・ミッチェルさんとの出会いが、2013年のハイライト


 楽しい語らい

 6月に参加したオランダで開かれた、第10回吃音世界大会。1986年に僕が大会会長にとして京都で開いた第一回世界大会が10回目という節目。僕も基調講演をしましたが、7人の講演者の中の一人が、ミッチェルさん。
 ミッチェルさんが、講演が終わった後の夕食の時、僕たちに話しかけてくれました。

 「こんばんは、変な日本語の人です。私は、シンジさんの基調講演の要約を読んで、とても共感しました。是非話したいと探していました。話をしてもいいですか」

 オランダ大会の目玉であり、誰もが話したい人気者です。その人が、わざわざ私たちを探して話しかけてくれたのです。みんな大喜びです。しばらく話していたら、レストランが掃除のために席を離れてほしいといいに来ました。そこで、場所を変えて、本格的な話し合いが実現しました。

 みなさんは大阪ですか、なるほどみなさんには関西ぽい雰囲気があります。私は広島で英語の教師として働いていました。妻は日本人です。ところで、どうしてシンジさんはこんな仕事をしているのですか」

 僕にとっても興味をもってくださり、いろいろと質問もしてくださり、私たちからの質問にも丁寧に答えてくださいました。久しぶりに日本語で話すことがうれしいのか、時々通訳の進士和恵さんの手助けをうけながら、ほとんど日本語で90分ほどの楽しい語らいがあっという間に過ぎました。人気者を僕たちが独占しているのも申し訳なくて、まだまだ話したいことはありましたが、お別れしました。その時、日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリングナウ」(年間購読費5000円)にメッセージを書いていただけないかとお願いしました。世界的な小説家に対する厚かましいお願いを快く「いいですよ、必ず書いて送ります」と言ってくださいました。そして、3か月後、やくそく通り、ご自分と吃音との関わりを書いたメッセージを送って下さいました。

 それは、「スタタリングナウ」の10月号に、ある新聞に書いた吃音についての記事とともに紹介しました。考え方、吃音に対する向き合い方がほとんど同じだつたことが、不思議であり、うれしくもありました。
 その時の印象に残った話をひとつ、次回紹介します。

◇デイヴィッド・ミッチェル(英国)さん略歴◇
 デイヴィッド・ミッチェル(1969〜)は、今世界で最も注目されている小説家のひとり。代表作『クラウド・アトラス』(2004年)は、ブッカー賞にノミネートされ、ミリオンセラーとなった。1993年から8年間、広島に住み、英語を教えるかたわら、『Ghostwritten』 (1999年)や『ナンバー9ドリーム 』(2001)を執筆。その後、アイルランドに移り住み、2006年に『Black Swan Green』が出版された。これはミッチェルの自叙伝的な作品であり、自らのどもりを主人公である13歳の少年に託している。イギリスの言語療法の教育課程で教材として広く使われている。上記の記事は、イギリスのオブザーバー紙とオランダ人文科学・社会科学研究所の機関紙36号に同時掲載されたものである。ミッチェルがいかにどもりと向き合い、折り合いをつけて行ったかが克明に書き記されている。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/27



吃音(どもり)の旅 2013年の回顧


 いい年でした


 今年も残すところあとわずか。新聞紙上では今年の10大ニュースなど回顧の記事があふれています。
 1965年、どもりを治したいとあこがれの「東京正生学院」の門をくぐった年が、僕の吃音に正面から向き合った元年です。その後の48年の中で、さまざまな出来事がありましたが、今年ほど、幅広く、充実し、密度の濃い一年はなかったのではなかかと思うほどに、楽しく、動いた一年でした。

 ブログに書きたいとおもっていると、すぐに次の行事がきて、執筆なとにも追われて、書きたいことの多くが埋もれてしまいました。来年は、今年ほど忙しくはないと思われますので、時期がずれてでも、2013年の回顧を、多少ダブルことも覚悟で書いていきたいと思います。

 結局、オランダの世界大会のこともほとんど書かないままにすんだしまいました。行事のほうこくではなく、いろいろと考えたことを、宇ぼちぼちと書きたいとおもいます。
 お読みいただければうれしいです。

 年賀状にはこのような内容のことを書き添えました。

 これまで生きてきた中で、昨年ほど、充実した密度の濃い時間を過ごしたことはないのではないかと思うほど、楽しく動いた一年でした。

 パンフレット「吃音とともに豊かに生きる」(NPO法人全国ことばを育む会)。向谷地生良さんとの共著「吃音の当事者研究−どもる人がべてるの家と出会った」(金子書房)などの出版。

 第10回世界大会(オランダ)での基調講演、全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会全国大会(鹿児島)
での記念講演や沖縄県・言語聴覚士会など、全国各地での講演。

 島根、岡山、静岡、群馬の吃音キャンプ、24回吃音親子サマーキャンプ、吃音相談会やことばの教室訪問などでの、どもる子どもや保護者との出会い。

 第2回臨床家のための吃音講習会、第19回吃音ショートコースでの、新しい学びと出会い。
 その他、3つの大学と5つの言語聴覚士養成専門学校での講義など、忙しく駆け抜けた一年でした。 
 
 長年勤めた大学の非常勤講師も70歳で定年になり、今年は、少し余裕ができるので、「法然・親鸞・道元」や
ナラティヴ・アプローチのなどの勉強ができそうです。

 来年は少しゆつたりと思索を深めたいと思います。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/26

語る力

 大阪吃音教室忘年会

 12月21日、大阪スタタリングプロジェクトの忘年会でした。食べ放題、飲み放題のすてきなカフェでここ数年、忘年会をしています。おいしい料理とワインなのお酒があるのですが、この忘年会のメインはスピーチです。今年は28名の参加でしたが、くじを引いたテープルの一番からスピーチが始まります。みんなは、このスピーチのために、何を話そうかを用意してきます。一年を振り返り、来年の抱負を語る。時間制限がないので、長い人はかなり話します。

 食事とお酒がある程度回ったところでスピーチを始めないと、人数が多いと大変です。今年も、6時にスタートして、終わったのが10時でした。世界のセルフヘルプグループの中で、私たちのミーティングである、大阪吃音教室ほどバラエティーにとんだ内容のものはおそらくないでしょう。今年6月に開かれた第10回世界大会(オランダ)で多くのグループのミイテイング内容を聞いても、話し合いがほとんどで、私たちのように、コミュニケーションについて学んだり、吃音の治療の歴史を学んだり、たくさんの種類の心理療法や精神療法を学んでいるところはありませんでした。

 スピーチもさることながら、私たちは人の話を聞くことをとても大切にし、トレーニングもしています。忘年会という場には似つかわしくないような、まじめな話をし、みんな真剣に聞きます。私もいろんな忘年会に参加したことはありますが、スピーチがごちそうだと、参加者のみんなが考えている忘年会はおそらくないでしょう。

 28人の吃音とともに生きる人生が語られ、時にヤジが飛び、質問をし、コメントわしていきます。本当にまじめな人たちです。真剣に聞いてくれ、関心をもって質問やコメントをしてくれるから、人は語ることができます。語るべき内容があり、それを真剣に聞く仲間がいる。だから、「対話する力」「語る力」が身につくのだと思います。

 いわゆる吃音の症状の軽減のための訓練よりも、この対話の力、自分を語る力を育てることが、吃音とともに生きる人にとって何よりも大切なことなのです。子どもが生まれたばかりの母親に声援が、仕事が決まった人にはお祝いの拍手が。他者の人生に関心をもつ人たちの温かい雰囲気が、私はとても好きです。

 合間には、大阪吃音教室の講座別の参加状況や、出席率が紹介され、表彰したい個人が自分のポケットマネーから賞品を選んで贈ることが定着し、今年は3人の皆出席者がいて、その人に見合ったプレゼントが渡されていました。

 こうして、一年を信頼できる仲間と締めくくれる幸せを、多くの人が語っていました。

 「吃音ともに生きる」と言っても、人によっては、そんなに簡単なことでありません。何度も就職試験に挑戦する人もいます。そのエネルギーが出るのも、自分を語ることばをもち、聞いてくれる仲間がいるからでしょう。
 幸せな気持ちで、みんなは家路につきました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/24

湯布院での 奇跡のような出会い


 福岡人間関係研究会の村山正治先生とその仲間との出会い

 例年のように、今年も、年末年始は、大分県の湯布院・厚生年金保養ホームで過ごしています。僕は時々奇跡のような出会いをします。昨年は島根県の浜田市のレストランで、北海道浦河のべてるの家の向谷地生良さんと、ばったり出会いました。北海道の人間と大阪の人間が、島根県の小さな市のレストランで再会する。不思議な体験でした。

 今日、昼食を終えてスロージョギングをしながら、湯布院御三家のひとつの旅館「無量塔」の近くにある、「HAMANO」という喫茶店に行きました。以前、湯布院在住の中曽根不二さんに連れていっていただいた、チーズケーキとコーヒーがおいしくて、落ち着いた音楽が流れる、すてきなカフェです。一段落した時、入ってきたお客さんにびっくりしました。九州大学名誉教授の村山正治先生の、福岡人間関係研究会のメンバーの村久保雅孝さんご夫婦でした。九重のベーシック・エンカウンターグループで知り合った仲間です。本当にびっくりしました。

 九重のグループは一昨年終了し、僕も最後のグループに参加しました。そのグループのファシリテーターが、ひとりを除いて全員が集まり、同窓会のような集まりをしていたのです。少しの休憩時間に、会場の近くにあるそのカフェに村久保さんが来たというわけです。きっとみんな驚くからと、顔を出すことにしました。二年ぶりの、思いがけない、奇跡ともいえる再会です。湯布院にいても、こちら方面に来ることはほとんどありません。そのカフェにこの時間に寄らなかったら、村久保さんが休憩時間に来なかったら、決して出会うことはありませんでした。

 集まっていたのは、村山先生夫妻をはじめ、8人。皆さん、とてもびっくりして突然の珍客に喜んでくださいました。2時から始まったカンファレンスに、もしよかったらと、招待して下さいました。もちろん喜んで参加させていただきました。

 まず、村山尚子さんが最近音楽に目覚めて、自分の好きな楽器で、福岡人間関係研究会の周りの人たちを中心にみんなが演奏する「自由演奏会」の提案がありました。村山正治先生が80歳に、尚子さんが喜寿になることを記念しての演奏会、平和を願い、あるがままの自分を生きるのメッセージを込めた演奏会です。僕も70歳になるので、参加したかったのですが、予定の3月30日は予定があり、参加できませんが、福岡人間関係研究会のつながりの豊かさと、深さが羨ましくなりました。

 続いて、村山正治先生。来年の7月、アルゼンチンで開かれる、パーソンセンタード・アプローチの世界大会で記念講演をすることになり、その時話す内容について、みんなの感想や意見を聞きたいということでした。

 カール・ロジャーズから学んだこと、福岡人間関係研究会の活動の意味、そこから考えたことなどを話されました。アルゼンチンの記念講演の内容を、いち早く、こんなに身近に聞くことができる幸せに、心が震えました。内容は書けませんが、すべて納得できる、とても共感できることばかりでした。
 村山先生は、1986年、私が大会会長になって開いた、第一回の世界大会のオープニングの「出会いの広場」を担当して下さったときからのおつきあいです。1989年、僕は九重のグループにメンバーとして初めて参加し、その後ファシリテーターもさせていただきました。春の湯布院でもエンカウンターグループを7年ほどしましたが、最初から終わりまで、ファシリテーターとして、大阪の僕をわざわざ指名して下さいました。長いおつきあいの中で聞かせていただいたお話、考えておられること、著書、僕たちの吃音ショートコースの講師として来て下さった時のお話など、共感することばかりでしたが、あらためて、記念講演の草稿のような話を聞かせていただき、僕が、吃音の悩みの中で、そこから解放されていく中で、考えてきたことと、共通することが多く、とても勇気づけられました。

 2013年は、僕が吃音に向き合った1965年からの48年の中で、一番、バラエティーにとんだ、充実した一年でしたが、その最後の最後で、こんなすてきな「ご褒美」が待ち受けているとは思いも寄らないことでした。僕にとって初めから最後まで、本当にすばらしい、多くの人との出会いがあった一年でした。まだ終わってはいませんが。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/23 

吃音の取り組み・沖縄の言語聴覚士のみなさんへの思い



 沖縄の夜は熱かった

 100人以上の人が集まってくださった「吃音講演会」。4時間思い切り話している最中、皆さんが本当に真剣に聞いてくださっているのがよくわかりました。僕は小さな講演でも小さな講演でも、できるだけ一人一人の顔を見て話すことを心がけています。うなずいて聞いてくださっているのがわかり、こちらも話に熱が入ります。
 私は講演や講義の前に必ずこう伝えます。

 「僕の考えは、きわめて少数派です。これまでと違う考え方に戸惑ったり、反発を覚えたりすることがあるでしょう。すべてに同感していただく必要はありませんが、こんな考え方も、吃音の場合できるのか」と頭の片隅にでもおいておいていただくとありがたいです」

 全難言鹿児島大会の講演の感想に、180 度考え方が変わったと言ってくださる人もいました。そこまで行かなくても、少なくとも、興味をもって、共感して聞いてくださっているのが伝わってきました。だから15 の休憩時間にたくさん質問用紙に書いてくださってのでしょう。その質問について答えていくのが僕にとって幸せな時間なのです。

 興奮のままに、懇親会にゆくと沖縄の言語聴覚士のみなさんがこんなに集まってくださいました。用があって講演を聞けなかった人もいたので、いろいろと質問をしていただいて、いろんな話をしました。その中で、沖縄の吃音に着いての取り組みの様子も聞けました。

 アメリカの言語聴覚士の96パーセントもの人が吃音の臨床に苦手意識をもつているそうです。カナダの60人もの言語聴覚士のいる病院でも、吃音に取り組む人は4人程度しかいなかったと、カナダで3年間働いていた、池上久美子さんが報告してくださいましたが、それはヨーロッパでも同じでした。
 沖縄にはことばの教室がたくさんあって、学童期の子どもはそこで吃音について勉強をしていますが、幼児の場合相談してもてきとうなアドバイスが、必ずしもなされていないということでした。そこで、懇親会に集まってくださった方々に、アメリカやカナダの言語聴覚士が吃音に苦手意識をもつのは、「治す、軽減」してあげなくてはならないと考えるからで、吃音を学び、吃音ともに豊かにいきることを目指せば、自然に消える吃音は消えていくし、きえない吃音は、うまくつきあうことを一緒に勉強していけばいいので、是非、苦手意識はもたないで、どもる子どもとその保護者のいい味方、仲間になってほしいとお願いしました。なんとかがんばってくださると確信しました。

 最後の写真の右端の人が、専門学校の講義を私にさせてくださり、今回の講演会を企画してくださった、沖縄リハビリ学院の教員の平良和さんです。この人が中心になって、沖縄に吃音のいい取り組みが広がればと、心から願っているのです。男性は鹿児島のことばの教師の僕の仲間の溝上さん。鹿児島と沖縄は比較的近いので、連携しながら取り組んでいただきたいなあと、願っているのです。

 うれしい、楽しい3時間30分があっという間に過ぎました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/22



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沖縄での吃音講演会 100名以上が参加


 4時間の長丁場、熱心に聞いて下さいました。

 沖縄の言語聴覚士のみなさんが、はたして吃音に関心をもって下さるのか。企画して下さった、平良さんとは、30人も集まってくれればありがたいと話していました。僕も、直前までその程度だと思っていたので、販売する書籍もその程度を見越して発送しました。ところが、直前になって70名は参加するだろうと伝えていただき、しまった、もっとたくさん書籍を送るべきだったと後悔しました。何冊程度送ればいいか、参加者の見込みを問い合わせすべきでした。うかつでしたが、30人もはていただければありがたいと、その程度だとしんじこんでいたのでした。

 ところが、言語聴覚士が50人程度、ことばの教室の教師と保護者で50人、その他、言語聴覚士養成校の学生を入れると、100名を超えていたそうです。本当にうれしいことでした。

 僕は、聞いて欲しいことがたくさんありますので、講演を依頼されると、出来るで毛長い時間をとお願いします。今回も9時30分開始なので、12時30分くらいまで話したいとお願いしていました。そのつもりだったのですが、案内のパンフレットには、終了が13時30分になっていました。僕のこれも確認しなかったミスですが、これは僕にとっては大変ありがたいことことでした。でも、ふつう、4時間も、13時30分と昼の時間を超してまではないでしょう。

 4時間なので、聞く方も大変です。そこで、講演の前にスケジュールを話し、3部構成にしました。

 1 講演
 僕が90分ほど吃音の治療の歴史や、僕の吃音の取り組みの歴史を紹介し、吃音を治す、軽減ではなく、吃音と共に豊かに生きる、理論と実際を、どもる子どもの作文などを紹介しながら話しました。
 2 質問に答える
 10分ほどの休憩をとり。その間に僕への質問を書いてもらいました。たくさんの質問が出ました。それを一枚一枚読み上げて、全てに僕なりの考えを話しました。バラエティーに飛んだ質問で、講演で抜け落ちたところを補うことができた、とてもありがたい時間でした。僕は質問が大好きです。質問に答える中で、考えを整理したり、新しいことを思いがけずに話せたり、とてもうれしいのです。結局全ての質問に答えることが出来ました。
 3 日本語のレッスン
 吃音を治す、軽減させるためではなく、誰もが取り組んだ方がいい「日本語のレッスン」の話と、実際に経験してもらいました。バリー・ギターなどの統合的アプローチ「ゆっくり、そっと、軟らかく」の言語指導は、英語でどもる人のためのものです。英語と日本語は「発音・発声の仕方」が違います。子音がはっきりと発音出来なければ意味が分からない英語と、「ん」以外全ての子音に母音がつき、母音さえわかれば意味が伝わる日本語とは違います。その違いをみなさんが理解して下さり、発音・発声に取り組み、一緒に歌を歌いました。

 4時間の長丁場も、私はあっという間でしたが、参加者のみなさんも、長く感じなかったと言って下さり、後で感想をお聞きしたら、「吃音に対する考え方が変わった」と言って下さいました。

 少人数でも、僕の考えを伝えるためには、「辻説法」したいと考えている僕にとって、100人以上の人に聞いていただいたのは、本当にありがたいことでした。
 広報のや、印刷物など、直前にお願いしたものをたくさん印刷をし、当日受付や、書籍の販売など、沖縄の言語聴覚士のみなさんは、本当によくやって下さいました。
 書籍は飛ぶようにうれ、売り切れる本が続出、結局代金をいただいて、住所を書いていただき、後日お送りすることになりました。もっていった書籍が売り切れることはこれまでもありましたが、たくさん注文があったのは、沖縄の皆さんの、吃音への関心が高いことの表れで、本当にありがたいことでした。

 沖縄の言語聴覚士会のみなさん、参加して下さり、熱心に4時間も耳を傾けて下さった、沖縄のみなさん、皆さんにお会いできて本当にうれしかったです。ありがとうございました。早速、日本吃音臨床研究会のホームページから、感想をメールで送って下さった、ことばの教室の先生がいました。ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/19


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沖縄県・言語聴覚士会の 吃音講演会が実現したのは

 女性はしなやかで強し


 12月15日、那覇市で言語聴覚士会の主催で「吃音講演会」が開かれました。ことばの教室の教育関係者の講演は数多く経験しているのですが、言語聴覚士会に呼ばれて講演は過去2回しかありません。今回で3回目なのですが、それも沖縄です。
 
 落語が好きな僕は、必ず落語のまくらのような話をまずします。今回は沖縄。まず学生時代、「沖縄を返せ」と沖縄返還闘争や、日本一周で当時沖縄へはパスポートが必要で、与論島から沖縄を眺めていたことを話しました。昨年言語聴覚士の専門学校の講義で沖縄に初めて来たとき、嘉手納基地、普天間基地、平和記念館などを一日かけて回ったことなどを話した後、なぜこの講演会が実現したかを話しました。

 昨年千葉で開かれた、第一回臨床家のための吃音講習会に、那覇市の言語聴覚士の専門学校の専任教師である平良和さんが参加し、これまで疑問に思っていたことが解消されたと、僕たちの考えに共感して下さいました。これまで、学生に教えていたこととは違う僕たちの「治療・軽減・改善」ではなく、「吃音と共に豊かに生きる」ことを支援するのが、言語聴覚士の役割だと考えて下さいました。そして、僕を昨年と今年と、自分の講義の枠の4コマを僕に専門学校で話すようにと招いてくださったのです。さらに、今回他の言語聴覚士にもこの考えを知ってもらいたいと、言語聴覚士会と相談して、講演会が実現しました。

 簡単な経過はこうですが、これは実は大変に勇気のある行動だと思います。アメリカ言語病理学を中心に、話してきたこれまでの「吃音」とまったく違う「吃音」を学生に話せば、「これまで、平良先生の話してきたことは何だったのか」と学生から批判する人はいるかもしれません。それをこれまでの誤りとはいわないものの、こまでとは違うことを話す自分の考えを表明する。男性ならこんな潔いことはできないだろあなあと考えてしまいます。

 同じようなことは昨年ありました。カナダの大学院で言語病理学を学び、カナダで言語聴覚士の資格をとり、大きな病院で3年間言語聴覚士として働いた経験をもつ、池上久美子さんも、「私が長年学んできた、アメリカやカナダの言語病理学の全ては否定したくないが、これまでアメリカやカナダの吃音の取り組みが正しいと信じてきたことを、大きく転換し、僕たちに、北米の吃音事情を語って下さいました。

 池上さんも、長年カナダで学び、信じて疑わなかった「吃音臨床」から、「吃音と共に生きる」の僕たちの考えへと変わったことを、正直に伝えて下さいました。

 女性は誠実でしなやかで強いと、私は強い尊敬の念をもちました。明日は、講演会の様子をお伝えします。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/12/17 

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