伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2013年06月

沖縄 慰霊の日


 いつも、想像力は持ち続けたい

 6月23日は沖縄戦が終わった日。
 昨年沖縄を訪れた時は、講義が終わった次の一日を、沖縄の戦争にかかわる、姫ゆりの塔、普天間基地などを一日かけて個人タクシーに案内してもらってほとんどの場所をまわった。
 沖縄地上戦のすさまじさを、映像や語りによって学んだ。今なお沖縄の人々に苦痛を強い続けることに憤りを覚えたのだつた。
 2度目にきた6月23日は、慰霊の日・沖縄全戦没者追悼式の日だった。30度を超える暑い日、高齢化した遺族の、犠牲の上に立った、平和の祈りや叫びは、参列した安倍首相には全く届かない。

 当事者の声が届かないのは、いつの時代も、どのような場でも同じなのだろうか。沖縄ではテレビでも新聞でも大きく取り上げられるが、本土では小さな扱いだ。この差は埋めようがないものだろうか。ちよつとでも想像力のある人なら、少しでも埋まられるだろうにと思うのだが。

 この想像力をもち、沖縄に思いをはせながらも、私にできること、私にしかできないことを、一所懸命取り組むことができないのだが。

 沖縄の海で、少しは英気を養って、今年の後半戦の吃音の取り組みに全力をあげたいと思います。
 思いがけずに、ホテルでパソコンが使えたので、少しだけ更新しました。

 明日、大阪に戻ります。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013年6月24日

今 沖縄にいます。


 沖縄に新しい風が

 6月22日、那覇市にある、言語聴覚士の専門学校で一日講義をしました。昨年。その年の夏にあった、臨床家のための講習会に参加した専任教員の平良さんが、私たちの考えに共感して、ぜひ学生にも聞かせたいと一日講義をさせてくださったのです。一度きりと思っていたのが、今年も呼んでくださいました。

 前日、3人の専門学校の教員と家族、子どもがどもるという学生さんと、那覇市の大きなソバ屋で食事をしました。吃音が縁で、このような新しい出会いがあること、本当にありがたいことでした。

 当日、車が混んでいなかったために早く学校についたのですが、もう学生は勉強をしていました。国家試験の合格率が100パーセントというのもうなづけます。事前にお願いしていた、英国王のスピーチのレポートも、丁寧にかかれたものばかりでした。私は、すべての専門学校や大学で、事前に英国王のスピーチの感想を提出してもらっています。今回は、とても様子の違うレポートでした。

 これまでは、私の講義を聴く前のものです。だからどうしても、一般的な感想になります。今回は、平良さんがすでに吃音の講義をして、映画をみんなで見て、デッイカッションもした後でのものだつたので、私が解説するものに近いものでした。平良さんはこれまでの教科書をあめて、「親。教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック」を教科書にして吃音の講義をしています。

 おそらく、私がかかわる7校以外で、この教科書をつかっての講義がなされるところはないでしょう。そのような、素地があるうえで「英国王のスピーチ」を見て、さらにディスカッションをしているのですから、これまでのレポートと違うのはある意味当然のことだったのです。 

 一日の講義は、学生さんもあっという間だった言ってくれましたが、一人一人が発言する、楽しいものでした。感想を書いて送って下さるのが楽しみです。

 私の少数派の意見も、平良さんのお蔭で、沖縄で浸透していく予感がしたうれしい一日でした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013年6月24日





土井敏邦 監督作品 飯舘村 是非見て下さい


 当事者として、目をそらしてはいけないもの

 阪急電車の梅田から二駅「十三」に「第七芸術劇場」があります。大きな劇場では決して公開されない、ドキュメンタリー映画や、良質の映画ばかりを上映する小さな劇場です。

 「原発事故で死者は出ていないから、安全を確認しつつ再稼働する」

 自ら事実も調べずに、知ろうとも、学ぼうともしないで、断片的な情報で、簡単にこのようなことばを口走る与党のタカ派の政調会長。3.11から、原発事故のながれで、多くの人は原子力発電に疑問をもち、再稼働には反対していたと思っていました。それが2年ちょっとしかたっていないのに、もう再稼働を容認する人が増えています。
 その人たちは、「飯舘村」で起こっていることを知ったら、誰もその地域の人たちでなくても賛成しないと思います。

 知らないこと、無知は罪です。
 私は以前土井監督からいただいたDVD「故郷を追われる村人たち」を見ていたので、その悲惨さは知っていました。その第一部から今回の映画は「放射能の除染と村帰」がテーマです。

 飯舘村は原発から30キロ離れているのに、風向きや降雪、降雨の影響で大量の放射能がふりそそいだにもかかわらず、政府が全村避難を指示したのは事故から1か月以上たってから。実際に避難するまで3か月かかってしまった。その間村に住んでいたことを、多くの母親は子どものことを考えて悔やんでいる。罪悪感をもっている。若い母親の語りは、静かな口調の中にも、怒りが今にも爆発しそうです。

 大阪での上映を監督の土井さんからご連絡いただいたものの、時間があるか探してやっと、昨日が見に行ける日だったので行きました。30人もいなかったでしょうか。もっと多くの人に関心をもってもらいたいと強く思いました。

 当事者と行政の乖離
 放射能の除染に巨額の資金が投入されています。しかしそれは、大手ゼネコンをもうけさせるもの、こんな大変なことでも、利権にしてしまう、政府と業者にあきれるばかりです。土井監督の怒りが、画面を通して、ひしひしと伝わってきます。除染がどの程度、どの期間で済むのか。100パーセント完了して、人々は村に帰れるのか。
 巨額の資金を投入しても、誰も村には帰らない、帰れないことは誰でも分かります。それでも、村のために何かをしてすいると示す必要がある。そんなために資金を使うのではなく、村を追われて人の生活再建に使うべきだと、当事者だけでくなく、専門家も言いますし、映画を見た人はそう思うでしょう。
 本当におかしい。おかしいことがどうしてまかり通るのか。私にはわかりません。

 再稼働に向けてのポーズ。飯舘村のことなど何も考えていない。当事者の怒りの声に答弁する官僚のことばは、他人事で空虚なことばです。当事者の切実なことば、人間の叫びに対して、なんとそらぞらしいことば。
 情報伝達のことばと、真実のことばがこれほど鮮明になるのも、生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人々と、給料をもらった分だけ仕事をしている、除染をたんなる仕事と考えている人との差です。

 懇談会の地元の当事者と、環境省のやりとりを、私はオランダでの世界大会の、専門家のことばと、当事者のことばの違いとにダブらせていました。

 私たちは、「吃音とともに豊かに生きる」を考えています。吃音とともにの前に、自分の生きる場所がまず前提にあります。住む場所・仕事・自然を奪われた人々の苦悩を、私たちはしっかりとみつめないといけないと思います。
 5月の連休に宮城県女川町、石巻市の津波の被害の大きな地を歩いてきただけに強く思います。

 このような、真実の映像を届けて下さった土井監督に感謝すると共に、私たちはその映画を見ないといけないと思いました。特に、再稼働に理解を示す人には是非見て欲しいと強く願います。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/06/20
 


 

私が尊敬する土井敏邦監督作品 異国に生きる 飯舘村


土井敏邦さんの最新作

 オランダから帰ってきたら、土井敏邦さんから映画の案内が届いていました。このブログでも以前紹介した、筋の通った、私を貫く3人の教師を描いた「私を生きる」の監督が、放射能と帰村に揺れる飯舘村と、祖国の民主化をどうとらえ、どう生きようとしているのか、東京で暮らすビルマ人の青年の14年の記録の映画です。

 大阪では6月15日から十三の第七芸術劇場で上演中です。
 私はぎっしりとスケジュールが詰まっているのですが、なんとか、明日水曜日だけが空いていたので、明日行く予定です。是非、多くの人に見ていただきたいと願っています。
 ネットで十三の第七芸術劇場の上演スケジュールをご確認下さい。

2013年06月18日09時07分11秒00032013年06月18日09時07分11秒0004土井さん映画2013年06月18日09時13分54秒0002

どもる人の世界大会 オランダから帰りました。


 第10回国際吃音連盟・オランダ大会

 昨日オランダから帰国しました。すばらしい旅でした。世界各国の吃音の事情を知ることが出来ましたが、それ以上にすばらしい出会いがありました。私と同じ、基調講演者であった、イギリスの著名な作家で日本でも翻訳されている、デイビット・ミッチェルさんと1時間30分も話すことができました。世界的に有名な作家にはめずらしく、とても謙虚で。誠実で、すばらしい人でした。私にもとても興味をもって下さり、ミッチェルさんの方から話しかけてくださったのです。いろんな質問にも丁寧に答えて下さる幸せな時間を過ごしました。

 アメリカの著名な言語病理学者、シャピロ博士や、ヨーロッパの中心的な人物のアニタなど、また、私が大会会長になって開いた1986年の京都大会の参加者が8人もそろい、パーティーで同窓会を開きました。多くの人が、日本が第一回を開いてくれたから今があると、感謝してくれました。私の基調講演のパワーポイントでは、第一回と二回のドイツ大会の写真も紹介したために、第一回の開催を感謝されました。

 詳しくは、私たちの発行する月刊紙「スタタリングナウ」で紹介ますが、このブログでも、紹介できると思います。
 10日間留守にしたため、大学の講義や、専門学校の講義、さらには週末、沖縄の専門学校の講義でまた、大阪をはなれるために、忙しいのですが、ぼちぼつと、断続的でも紹介していこうと思います。

 とりあえずば、無事に帰国の報告です。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/06/17

宮城県・女川町は静かでした。


 宮城県女川町に行ってきました


 そこは、ただ一面、荒涼たる空き地が広がっているだけでした。この地に足を踏み入れないと、私の新たな一歩が踏み出せないと思っていました。やっと立てたその土地は、人の動きもなく、一軒の建物の工事さえ始まっていません。アベノミクスで浮かれている政府や多くの人から、もう忘れ去られているような気がしました。悔しさ、寂しさ、怒り、悲しみがこみ上げてきます。この国は、幸せのかたちを考え直す、最後の機会を失ってしまいました。

 5月の連休にやっと訪れた、宮城県牡鹿郡女川町は、吃音親子サマーキャンプに3年連続して参加した4人家族の阿部さん一家が幸せに生きていた場所です。どもることでいじめにあい、不登校になった小学6年生の莉菜さんが、キャンプで仲間と語り合い、生きる力をつけて、その後楽しい中学校生活を送り、4月から仙台の高校へと、夢を膨らませていた場所です。常に人のことを考えていた母親は、高齢の隣人を助けようとして、莉菜さんと一緒に津波にのみ込まれました。莉菜さんが、キャンプの作文教室で書いた「どもっても大丈夫」の作文は、今後の吃音の取り組みのあり方に、力強いメッセージを残しています。

 短い作文ですが、その中には、吃音の苦悩、新しい生き方の息吹、決意が込められています。その後の彼女の生きた姿と、この作文は、今、私の大切な宝物となり、これからの私の吃音の取り組みに、勇気を与えてくれます。

 NPO法人・全国ことばを育む会が発行して下さったパンフレット、両親指導の手引き書『吃音とともに豊かに生きる』に、彼女の作文を紹介でき、3・11から学んだ、レジリエンスや防災教育を入れることができたのが、何よりもうれしいことでした。

 私はこれまで何冊も本を書いています。そのひとつひとつに魂をこめて書いてきました。常に時間のかかる仕事ですす。今回のパンフレットは私のこれまでの吃音の体験と、私にとっての3・11が重なり合い、書いても書いても満足できませんでした。木下順二の『夕鶴』のつうが、好きな与ひょうのために、自分の羽を抜いて織物をつくるのに似た、命を削っての仕事だったような気がする。

 なかなか完成しない原稿。期日を延ばしていただいてやっと書き上げて、数日後、あれだけ元気だったのに大きく体調を崩してしまった。無理を続けていたからだろう。手にした人にとっては、55ページの小さな冊子だが、阿部莉菜さんの人生と一緒に、私の人生を差し出した思いがあります。

 津波のためにその後の人生を絶たれた阿部莉菜さん。女川町でお母さんと、莉菜さんの冥福を祈ったことで、また吃音とともに豊かに生きる人々の人生を伝え続ける私の旅が、新たに宮城県女川町から始まりました。
 莉菜さんの作文が収録されているパンフレット是非お読み下さい。
 500円分の切手をお送りいただいたらお送りします。

 あわただしいオランダ行きの準備の中で5月の出来事を掲載できました。明日、オランダに旅立ちます。その旅はできるだけ紹介していこうと思います。しばらくはお休みです。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/06/06


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第10回 吃音国際連盟世界大会 オランダ大会


 世界大会の報告お楽しみに

 私が大会会長として開いた第一回世界大会が、今回10回目です。よく続いたものだと感慨深いものがあります。
 
 明日、大会出席のためにオランダへ出発します。準備ができていないままに、今日は大学の講義。この夏出版予定の「吃音の当事者研究」の原稿を書き直す必要がでたために、この3日はそれにかかり切りで、このブログなんとか更新したかったのが出来ませんでした。

 5月の連休東日本大震災の被災地に行ってきた、その報告もできないままに、オランダ大会です。あまりの忙しさにめが回りそうですが、周りの人たちが準備をした下さり、オランダで基調講演をしてきます。日本でもなかなか受け入れられない私の考えを世界がどう受け止めるか楽しみです。これまで、クロアチア大会でも基調講演していますが、今回は、思い切って率直に伝えることにしました。

 出かける前に5月の報告ができたらしたいですが、できなかったら、ぼちぼちとしていきます。世界大会の報告はて゜きるだけしていきたいと考えています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/06/06

吃音とともに豊かに生きる


 パンフレットのはじめに、目次、あとがき

 
    はじめに この冊子の使い方  

「どもり始めるのも、どもり続けるのも原因は親にはない。どもる子の特別な子育てはない」    「どもることそれ自体は何の問題もない、吃音を否定することで初めて問題になる」  
「吃音は自らの努力によってではなく、生活の中で自然に変わる」
 僕が言いたいことは、これらにつきます。僕の人生は次の3つに分けることができます。
 1期 3歳から小学2年生の秋まで 吃音に悩むことも困ることもなく、平気でどもっていた。
 2期 小学2年生の秋から21歳まで 吃音を否定し、吃音の問題が大きくなった。
 3期 21歳から現在 吃音に真剣に向き合い、吃音肯定し幸せに生きている。
 この僕の大きな変化には、吃音症状のコントロールは関与していません。治ることを諦め、吃音を肯定して生きることで人生は大きく変わりました。吃音を否定せず、肯定することが何よりも大事です。吃音否定が前提の「吃音を治す・改善する」情報は世界にあふれていますが、吃音肯定が前提の取り組みはありません。僕のこの少数派の意見に、違和感や反発を覚える方がおられるかもしれませんが、セカンドオピニオン、選択肢のひとつとしてお読み下さるとうれしいです。
 これまでの吃音の取り組みは、専門家が知識・情報を独占し、方向を示してきました。僕は当事者、保護者、専門家が情報を共有し、相談して吃音の課題に一緒に取り組むべきだと考えています。少しとっつきにくいところがあるかもしれませんが、必要だと考えた情報はお伝えします。
 〜瓦討凌佑貌匹鵑任い燭世たい基本前提 ∧欷郤圓粒Г気鵑悄´ことばの教室の先生へ 
 つ名鏗惶蕕寮萓犬悄,海裡管構成になっていますが、最初から順番に読む必要はありません。目次を見て読みやすそうなところから読んで下さい。「保護者の皆さんへ」は読みやすいと思います。
 また、僕は英語やカタカナ語がとても苦手ですが、今回はカタカナ語や、これまで使ってこなかった用語を使いました。これからの吃音の取り組みに重要なキーワードになると思ったからです。キーワードをもつことで、それに関連した情報に導かれて、世界が広がり、考えの整理に役立ちました。
 この小さい冊子で、僕がお伝えしたいことを書き切ることは不可能です。この考えに興味がもてたら、日本吃音臨床研究会のホームページや僕の著書をお読みいただけるとありがたいです。
 
 キーワード
 ・当事者研究 北海道浦河の精神科の領域で課題をもつ人のコミュニティー「べてるの家」で始まった。自分の生きづらさや生活の課題を、仲間や関係者と一緒に「研究者」の視点で解き明かす。
・ナラティヴ・アプローチ  「物語・物語る」の意味で、その人が問題として語る物語を、人と問題を分ける外在化の会話など用いて、より生きやすいように物語を語り直す取り組み。
 ・レジリエンス 苦難に耐えて、新たな力で勝ち残る能力、回復力。しなやかな力。
・エビデンス   統計的データーなどをもとに示される科学的根拠。
 
 冊子で使う用語について
 環境調整、吃音者、吃音児、吃音症状、流暢性、吃音治療、吃音の改善、吃音が治る、吃音を治す、治癒、自然治癒、吃音問題、民間吃音矯正所。
 私も以前使っていたこれらの用語を今は使えなくなりました。特に、吃音症状、治る、治らない、治癒、治療、改善は、吃音にはふさわしくないと考え始めたからです。しかし、従来の考えを説明するためにも、論点を曖昧にしないためにも、今回は使います。
 
       目    次
   はじめに  この冊子の使い方
犠蓮ゝ媛珊猟蠅亮茲蠢箸澆隆靄楞按
1 吃音肯定へ 物語を変えた人々
2 変えることができるもの
    3 治るとはどういうことか
4 治療効果の研究
    5 伊藤伸二の当事者研究
6 アメリカ言語病理学の歴史

蕎蓮(欷郤圓粒Г気鵑
1 原因探しは、もうやめましょう
2 吃音はほとんど一過性のものとは言えない
3 吃音に悩む人の問題とは、劣等コンプレックス
4 吃音を生き抜く力を育てる
   5 子どもと対話する 
 
珪蓮,海箸个龍擬爾寮萓犬
    1 はじめに
    2 防災教育
    3 エビデンス・ベースドよりナラティヴ・ベースド
    4 「脆弱性モデル」から「レジリエンスモデル」へ
    5 レジリエンスを阻むもの
    6 子どもと取り組むレジリエンス

   絃蓮…名錣粒惶蕕寮萓犬
    1 吃音について理解する
2 どもる子どもを理解する
3 基本的には特別扱いはしない。でも、相談してほしい

資料 第1回 親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会 報告


 あとがき

 これまでの吃音の取り組みがひとりのまるごとの人間からすると、吃音は欠けている部分があり、それを埋め合わせたり、補ったりする弱い部分があるという脆弱性、吃音があればダメージを受けるというダメージモデルで長年取り組まれてきました。
 僕は、小学4年生の子どもが言った「吃音が人口の1%なら、僕らはその1%に選ばれたんだよ」の声が忘れられません。吃音はつきあい方を間違えばマイナスのものとなる可能性はあります。しかし、吃音との上手なつきあい方ができれば、吃音はむしろその人にとってよりよく生きるテーマになり得ます。
 僕が出会った大勢の子どもたちは、真面目で優しく真剣に自分の人生を考えようとしていました。だから、日本のことばの教室の先生方は、どもる子どもとは人生を語ることができると言うのだと思います。小学低学年の頃に吃音親子サマーキャンプに参加し、どもることを認めて、吃音とうまくつきあい、社会人になり、結婚をし、子育てをして幸せに生きているたくさんの人を見てきた私としては、吃音はどうしても治さなければならないものとは思えないのです。
 早口の人、滑舌のあまりよくない人、ゆっくりしゃべる人、話し方だけをとってもいろんな人がいます。吃音を話し方の特徴のひとつだと認めれば、どもることで起こるマイナスのことは十分対処できます。どもる人は、どもるそのままでひとりの人間として完成品です。もちろん、きにいらない部分や弱い部部はあります。それも含めた丸ごとの人間です。それを、故障しやすい中古の車を運転しているようなものだ例えているように、どもる部分だけを取り出し、部品を変えたり、修繕しようとして、どもらないようにみせかけようとしていると、僕には思えます。
 自分にとって不都合なものは、克服してこそ人間の価値があるとする、西洋文化かに比べ、あの東日本大震災でさえ、自然災害はだれのせいでもないと、子どもたちは受け止めています。危機の中から立ち上がり、回復するしなやかな力「レジリエンス」があります。病気の多くは自然治癒だと言う医者がいます。吃音も幼児期だけでなく、大人になっても変わるものは自然に変わって行きます。自力で克服するのではなく、この人間社会を信じて、どもりながらも日常生活で話し続けることで自然に変わって行きます。僕は人間関係の中で傷つきました。しかし、僕が癒えて変わっていけたのも、人間関係の力でした。
 どもる人が変わっていくのは、日常の生活、人間関係の中でかあり得ません。恐れや、不安があっても、子どもが生活の中で話していくのを支えるのか親の役割です。
 「生きていくのは、苦しいときもあるけれど、基本的には楽しい」「人間は、社会は信頼できる」。親がこのように信じて、自分の人生を豊かに楽しく生きることが、子どもに大きな勇気を与えます。子どもの将来が不安なのは、これまで「吃音否定の物語」に影響を受けすぎたからです。吃音は治るはずだとの根拠のない楽観視ではなく、多くの人が豊かに生きてきたという、根拠ある楽天的な見方子どもと関わりましょう。

 パンフレットの目次など紹介しました。
 よかったら、500円切手同封の上、ご注文下さい。送料込みの金額です。

 572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/06/02

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