伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2013年01月

興味深かった 被災地のPTSD(外傷後ストレス障害)の話。


 国重浩一さんとの楽しい語らい

 1月13日の夕方、東京吃音ワークショップの後、 国重浩一さんに会いました。
 5時半ごろまで、東京女子医科大学(都営大江戸線若松河田駅)でお仕事があり、急遽私たちのために、時間をとって下さったのです。少しでも早くお会いしたいと、ワークショップの後、若松河田駅に出向きました。駅で待って下さっていた国重さんを私はすぐに見つけました。ホームページで写真を見ていたからです。駅の近くの喫茶店をさがしたのですが、なかなか見つかりません。その探す道中でもたくさんお話しした気がします。

 やっとみつけたコーヒーショップで、千葉のことばの教室の渡邉さん、溝口さんと私の3人と国重さんと向き合いました。開口一番、これほどに私たちの吃音について関心をもって下さり、矢継ぎ早に質問して下さった方は初めてです。うれしいことでした。

 国重  伊藤さんの考え方に出会って意識はどう変わってくるのか。
 伊藤  小学生2年生の子でも、治さなくてもいいと言うし、何より保護者がほっとする。
 国重  どもりとは何かが分かれば、「どもりです」と言った子に対して、それを超えて攻撃はしてこないのではないか。子どもって「分からない」ということに納得できる。
 伊藤   どもりカルタの中に、小学2年生が「こわかった、どもりの勉強するまでは」と書いた。どもりの正体が分かったからもう怖くないということだ。
 国重   子どもにとってはそれで十分なんですね。
 伊藤   それなのに音読練習をさせたりしている。
 国重   小学校で、ことばの教室の教師として、音読練習をしないことに対して、プレッシャーはないのか。
 渡邉   あったが、10年かかって、受け入れる、向き合うということの大事さを分かってもらえた。
 国重   伊藤さんの考えは広がりつつあるのか。
 伊藤   どうだろう。わかりませんねえ。
 渡邉   ことばの教室の全国大会で私たちの考えを発表しても、そうだ!にはならないから。
 伊藤   音読に変わるものが提供されない限り、なかなか変わらない。具体的な指導法やマニュアルが必要なのでしょうか。
 国重   送ってもらった資料を読むと、これだけしっかり活動・実践されているのに、浸透していかない現実を聞いて、不思議に思いました。
 伊藤   黒船が、アメリカの言語病理学が、時々押し寄せてくるからでしょうか。

 興味をもって質問して、聴いて下さることは本当に心地よく、ありがたいことでした。私たちとしては、ナラティヴアプローチについてお話が聞きたかったのですが、ついうれしく話していました。コーヒー店が閉店になり、地下鉄の駅でも立ち話をしていました。ゆっくりできる私たちが宿泊するホテルでお会いしたかったと悔やまれますが、余韻を残して別れるのも、次にお会いするときの楽しみになると、今回はお別れしました。
 
 興味深いお話をお聞きしたのですが、間違って伝えると申し訳ないので、話の内容は省略しますが、いろんな面で、共通、同感、共感することが多い出会いでした。特に、ニュージーランドから日本に戻り、これから、東日本大震災の被災地に、スクールカウンセラーとして入る直前だったので、「PTSD」についてのお話は納得し、興味深いものでした。

 「東日本大震災のような大規模災害においては、被災者の方のストレスは、私たちの想像をはるかに超える激しいものです。あまりにつらい経験のあとで、忘れたくても忘れられなくなって、PTSD(外傷後ストレス障害)というこころの病気になってしまうことがあります」
 インターネットなどでは書かれています。

 国重さんは実際に被災地に入って、多くの子どもたちと接した経験から、自然災害に対しては、PTSDはあまりみつかっていない。人的な虐待や犯罪などにはあるが、自然には対抗できない、しゃあないなあと思える。投げやりではなく、お天道様はあるし、津波もあるし、それが自然だからと納得できるからだと話して下さいました。
 繰り返し報告や報道されているのは、ごく一部のことで、同じ子どもの例を、いろんな人が話しているに過ぎないらしいのです。被災地の子どもたちの明るい笑顔が映像で紹介されますが、子どもの生きる力のすごさを思います。

 このお話はとても納得できるものでした。基本的に子どもの力を信じている私は、そうだろうなあと思いました。 吃音についても、治療法がない、治らないと丁寧に話せば、子どもたちは納得します。それに近いことだと思ったのでした。

 うれしい、楽しかった新しい出会いでした。国重さんは3月で被災地の任務が終わり、ニュージーランドにお帰りになるのですが、再会を約してお別れしました。

 吃音を「言語訓練・改善」と考えなければ、いろんな人と出会える幸せを思ったのでした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/26


東京吃音ワークショップの後、ナラティヴ・アプローチの国重浩一さんに会いました。

 
 人は出会うべくして会うものです


 吃音ワークショップの話は小休止て、うれしいであいについて書きます。

 今、当事者研究、認知行動療法、ナラティヴ・アプローチ、他力思想の法然・親鸞、西田幾多郎などか関心の中心になり、本棚は、それらが占拠するようになりました。
 そのナラティヴアプローチの書籍の翻訳をしておられる国重さんに、ワークショップを依頼するメールを出しました。その時、国重さんはニュージーランド。私のホームページを見て下さり、私たちの活動に関心をもって下さいました。スクールカウンセラーとして学校現場で働きながら、吃音は意識外だった、吃音について知りたいと言って下さり、ホームページで吃音ワークショツプで東京に行くことを知り、今から日本に行き、東京で2日ほどいて仙台などに行く、東京で会う時間を作りましょうと、わずかな東京滞在の日程を調整して私たちに会うことを約束して下さいました。うれしいうれしい出会いでした。今日は、国重さんの読売新聞のインタビュー記事をまず紹介します。


  横並び教育見直すべき    臨床心理士 国重浩一さん

 学校現場での子どもたちの現状を語る国重さん
 ―スクールカウンセラーとして、発達に課題のある子どもたちをたくさん見てきたが。

 「よくここまできた」という子どもたちもいる。診断名が付いていないために、親が「何でうちの子はこういう行動を取るのか」を理解していない事例も目にする。たとえば、本当は自閉傾向があるのに、親が「うちの子は自閉症じゃない」と誤解したままだと、自閉関連の情報は素通りし、耳に入らない。

  ―どのように対応してきたのか。
 支援や理解が不十分な現状では、「この子が生き延びるにはどうしたらいいのか」を考えた。このため理想論に陥ることなく、「現時点でこの子のために利用できるものは利用しよう」という姿勢でやってきた。

 子どもや親には、「うまくいかない原因には周囲の環境もある。自分がだめだからと思い込むのはやめようよ」と語りかける。自信を失って将来の夢を投げ出すことなく、年齢を重ね、その子なりの成長に寄り添うようにしてきた。

 ―学校現場の負担が大きいとの指摘もあるが。

 教員にも支援が必要だ。親は教員に相談するが、教員も発達障害の専門家ではない。発達障害児一人ひとりをケアするには全然人手が足りない。予算と人材を確保しなければ対応は難しい。

 ―日本の教育のあり方にも問題はあるのか。

 たとえばニュージーランドでは、出来ないことは致命傷ではない。ギフテッド教育といって、足りない部分に焦点を当てるのではなく、本人の持っている能力を伸ばすことに重点を置いた教育を行っている。一方、日本は横並びで、全員を同じ目標に到達させようとする。その人に応じたゴールに修正しないと、どこかで無理が生じる。

 ―今後、どのような取り組みが必要か。

 県内に小、中、高校1校ずつでもいいから、特別支援ができる学校を作るべきだ。そこで支援のノウハウを構築し、他校の教員も研修できるようにする。モデル校があれば、ほかの学校も参考にできる。専門家と呼ぶにふさわしい人材を育成することも不可欠。的確な診断と治療、安心して相談できる機関の設置を望む声は多い。

 ■経歴 東京都出身で、現在はニュージーランド在住。47歳。ニュージーランド・ワイカト大カウンセリング大学院修了。2003年から約8年間、鹿児島県内の中学校でスクールカウンセラーを務めた。今年5月には宮城県の要請を受け、緊急派遣カウンセラーとして東日本大震災で被災した高校生の精神的ケアにもあたった。
                       (2011年8月27日 読売新聞)

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/24

東京吃音ワークシヨップ 5

 人それぞれの体験

 ワークショップはまず、自己紹介から始まりました。普段はこのような自己紹介なしに本題に入っていくのですが、
なんとなく、自己紹介をしてもらおうと思ってのでした。1時間以上かかりましたが、ひとりひとりの人生に、すこしですが出会ってことになりました。

 3年前に参加した人がまず口火を切りました。看護師をしている女性で、これまで「吃音を治さなければ」と思い詰めとても生活がつらくしんどくなって参加したのです。その時のワークショップも、いろんなことがあって、ブログにも書いたと思うのですが、とても印象深いものでした。その時のお話を聞いて、鮮やかに3年前のワークショップが思い出されました。
 「吃音を治さなければいけない」。長くどもり続けて、実際に治っていないものに、そう考えてしまうのは、なんとつらいことでしょう。3年前彼女は泣きながらその苦しさを話していたのですが、今回、もちろん涙はありませんし、はれやかな感じがしました。その時、「吃音はその人の精神力が弱いとか、治す努力を怠っているから」などというものではなく、「治らない、治せない」ものだとわかって、すごく楽になったというのです。

 「治らない、治せない」と言うのは、どもる人にとって残酷なことだと考えている臨床家はすくなくありません。しかし、そうはっきり言われて「治さなくてもいいんだ、このままでいいんだ」と思えて楽になったという人は、私の経験では、シヨックをうけて絶望する人よりもはるかに多いのです。

 簡単な努力で治るものなら、「治ります、一緒にがんばりましょう」もあり得るのですが、吃音のように、どんなに一所懸命努力しても治らないものに、「治る、治せる」の方が実ははるかに残酷なことです。インターネットなどでは、「治る、治せる」と実体験をもとにして言う人もいるようですが、仮にその人が治ったとしても、同じような努力をしたからと言って他の人が治るというものではありません。「治さなければ」と思いながら、どうしたらいいか分からなかった彼女にとって、はっきりと「治せない、治らない」と言われたことが、とても大きな意味をもったようです。

 職場でも、夫にも吃音について話したことで楽になったのか、以前よりはあまりどもらなくなったと報告してくれました。今回の参加にあたって、娘さんにも話して「いろんな人と出会えるのはいいね」と言われて出てきたとうれしそうに話して下さいました。3年前に大きな転機になったのですが、また、次回も参加して、この気持ちを持続していただければと思いました。うれしい再会でした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/23

東京吃音ワークシヨップ 4  ホームページで吃音親子サマーキャンプの報告

 吃音親子サマーキャンプの意義

 東京吃音ワークショップの中身の報告の前に、いろいろと考えることがありました。思いついたときに書かないと、忘れてしまいますので書きます。あまり前後関係を考えないようにします。お許し下さい。

 7年前に感動的な卒業式を経験した教師の経験がその後にも生きるには、前にも書きましたが、その体験を文章にして書く、誰かに語る、できれば多くの人に語る必要があったのです。

 吃音親子サマーキャンプは、語りの場です。90分、120分の話し合い、90分の作文の時間があります。子どもたちは、昨年の経験を語り、経験したことを聞き手がいる中で確認できます。さらに、90分の作文教室で、ひとり静かに自分の体験に向き合います。体験はしただけでは身につかないものだろうと、常に考えてきました。

 たとえば、ベーシック・エウンカウンター・グループやサイコドラマ、ゲシュタルトセラピーなど、毎月のように参加した時期がありました。一年に一度の出会いもありました。グループで自分の悩んでいることを語り、あるいは、ドラマにし、セラピーを受け、大いなる気づきがあり、この悩みはなんとか対処できるかに思えました。
 ところが、一年経過して、たまたま同じグループになることがあります。すると、昨年ある程度解決した、対処力がついて、楽に生きているかと思っていた人が、自分の悩みを語り始めると、「あれ、去年も同じようなことを話していた」という場合が少なくないのです。

 気づきはとても大切ですが、気づいただけ、体験しただけではだめなのだろうと思います。それを自己概念にまでからだにしみこませるには、体験を丁寧に吟味し、文章に書くなどする必要があります。あるいは、論理療法や認知行動療法などを使って、体験をきっちり整理し、自分の思考に組み込んでおくと、類似の問題が発生したとき生きるのです。私は、いつも、繰り返し同じような悩みを話す人に出会うと、せっかくいい経験をしたのにもったいなあと思います。

 小学4年生から参加していた、Uさんは、あまりどもらない方でしたが、高校3年生まで、吃音親子サマーキャンプに連続して参加していました。語り合い、作文に書き、生活の中での体験を、吃音親子サマーキャンプで振り返り、後付けしていたのでしょう。「もう、どもりはこれからの人生で欠点とはならないと思う」とさわやかに卒業していきました。
 ところが、大学2年生の頃から、かなりひとぐどもるるようになりました。本人はもちろんですが周りの人たちが本当にびっくりしました。私も彼女がキャンプにスタッフとして参加したとき、こんなに変わるものかと驚きました。ところが、彼女は過去のあまりどもっていない状態を知っている、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加したぐらいですから、そのことを受け止めていたのです。案の定「どうしたの?」とみんなから聞かれていましたが、どもりながら丁寧に答えていました。
 
 彼女の自己概念にしっかりと「吃音と共に生きる」がしみこんでいたからだと私は解釈しました。「どもりを治す・改善する」を目標にしていたら、これほどどもり始めたら、かなり落ち込み、気力もなくなるかもしれません。
 今は、かなりどもっているが、またそのうちなんとかなるだろう。もし、このままでも大丈夫とかんがえたのかもしれません。これは、すごいことだと思いました。

 体験は、そのまま放置していたら、体には組み込まれないと強く思いました。

 日本吃音臨床研究会のホームページに、昨年の吃音親子サマーキャンプの報告が、やっと完結しました。ホームページ制作スタッフが写真をふんだんに使い、素敵な文章で紹介してくれています。
 ちょつと遅くなりましたが、忙しい仕事の合間の作業です。夏のキャンプが冬の公開になりましたが、是非見て下さい、読んで下さい。今回の話題に関連づけて読んでいただくとありがたいです。

 このホームページ、関心のある人にも是非ご紹介下さい。よろしくお願いします。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二  2013/01/22    

東京吃音ワークショップ 3 ナラティヴ(語り)の大切さ

  どもる教師が卒業式を無事に終えた体験

 教師の体験は、ある意味見事な体験でした。
 妻にこれまで話さなかった自分の吃音について、話す前、30分も号泣します。何事を打ち明けられるのか、「外に、隠し子でもいるのか?」など不安になるほどの光景だと思います。
 妻に打ち明けた後再び私に電話をかけてきたので、私は次のアドバイスをしました。

  これまで隠し続けてきた吃音をみんなに知ってもらういい機会にすることを前提にする。その上で。
 
  ,匹發辰浸は、どもるにまかせて最後までどもっても言い切る。
 ◆〆能蕕んばってみるが、どうしても生徒の名前がでないときは、教頭にでも代わって言ってもらう。

 そのために、生徒にも、教員全員に吃音について話し、「名前がでない生徒がいることで困っている」と話し、,△梁从をもっていることをあらかじめ話して、理解を求めておかなくてはなりません。

 まず、私は生徒に、自分が吃音に悩んできたことを話すことが不可欠だと言いました。君たちの中に言いにくい名前があること、普段はきづかなかった子どももいるかもしれないが、授業中ははなせても、言えない人の名前では、ひどくどもって言えないことがあることを話した上で、どうしたらいいか、生徒に相談することをすすめました。
 教師が、自分の弱み、短所かもしれないことを子どもに話すのは、とても大切です。先生も、悩むことのある存在であることを、生徒は知る必要があるのです。それができる教師は、今問題となっている「体罰に名をかりた暴力教師」にはなりません。

 一大決心をした教師は、子どもたちに自分の吃音の悩みを話しました。そして、無事に卒業式を終えて、涙ながらに夫婦で喜びの電話をかけてきたのです。

 教師として、これだけ大きな、すごい経験をしながら、その体験をおぼろげに、部分的にしか覚えていないことに、ある意味衝撃を受けました。
 人間の記憶とはこのようなものなのでしょうか。私がなせ、克明に覚えているのでしょう。私はたくさんの相談を受けます。30分ほど真剣に話を聞いて、1週間後、その人から経過の電話をいただいても、忘れていることが少なくありません。忘れています。記憶は、強化するから覚えていられるのです。

 この教師の体験は、私にとって強烈だったので、講演や講義など、それに関連して必要だと思ったときには話をします。繰り返し語る中で、それはひとつの物語になり、私に定着します。

 彼は、私以上に強烈な印象の体験であったことにはちがいありません。彼に、これはとても貴重な体験だから、悩んで僕に電話をかけてきたところから、最後無事に卒業式が終わったまでの体験を、文章にして欲しいとお願いしました。私たちにも、彼にとっても必要だとおもったからです。

 しかし、彼は文章を書きませんでした。語りをやめました。体験が体験としてみにつかなかったのです。
 私は自分が吃音に悩み、そこからどう解放されてきたかを「吃音者宣言」文を起草し、多くの仲間と、どもる人のセルフヘルプグループ・言友会の創立10周年の大会で採択しました。

 もし、私の体験、多くの人の体験を文章にしなかったら、仲間がいて「語り」継いでいかなかったら、せっかくの体験は、雲散霧消してしまっていたでしょう。私は落ち込んだり、気持ちがぐらついたりしたとき、「吃音者宣言」を読み返すことができる。常に、クリアーに原点に立ち戻れる。そういうものがほしかったのです。

 彼の貴重な体験は、周りの人に「語り」「文章にする」ことをしなかったために、身につかなかったということでしょうか。7年ぶりに彼と会いました。私が他人事ながらしっかり覚えているのに、当人は断片的にしか覚えていない。大切な、肝心なことは覚えていない。これは私にとって、驚きであると共に、貴重な体験でした。
 それを、このようにブログで文章にできたことで、記憶は強化されました。

 ナラティヴ・アプローチは、新しく気づけた、変わったこと、自分の体験したことを周りの人に報告します。「語り」ます。また、文章にすることもすすめます。宣言文のようなものを書くこともあります。

 こうして、常に語り続けること、書き続けることで、新しい発見、気づき、新しい体験、新しい価値観、新しい考えは自らのものになっていくのでしょう。

 改めて、最近勉強をはじめた、ナラティヴ・アプローチの意義を感じさせてくれた彼でした。
 きっと彼は、このブログを読んでくれていると思います。今回の吃音ワークショツプで気づいたこと、確認したことなど文章にして欲しいと願います。

 大阪スタタリングプロジェクトが、「ことば文学賞」をつくり、書き続ける文化をもっているのは、あらためて、すごいことなのだと思いました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/21 




東京吃音ワークシヨップ 2  卒業式で名前が言えない吃音の教師の悩み

 吃音と卒業式

 吃音ワークショップに参加した人たちは、ほとんどの人がこのブログを読んで下さっていました。この報告も読んで下さると思いますが、不思議なことがありました。

  自己紹介の時です。吃音の悩みを妻に話したとき、30分ほど泣き続けたとひとりの教師が話しました。あたかも、自分が決心して妻に話したかのような口ぶりです。

 「おいおい、それはないだろう。その前段があるだろう」と私は7年前のことを話しました。

 直接に顔を合わせるのは初めてだけれど、実は7年前に彼とは出会っているのです。7年前、彼は、初めての卒業式を前に、子どもの名前を言えないのではないかという不安におしつぶされそうになって、電話をかけてきました。なんとか、子どもの名前が言えるように治したい言うのです。

 同じような経験をした教師の体験談をおくるから、それを読んでもらってから、相談に乗ろうと、住所を教えて欲しいと言うと、とても悩みながら、困りながら、送らないで欲しいと言います。
 日本吃音臨床研究会の封筒で送られたら、自分が吃音であること、吃音に悩んでいることが妻にバレルから嫌だというのです。
 これから、教師を続けるつもりなら、今逃げてはだめだ、一歩踏み出せとすすめ、しぶしぶ、住所を教え、教師の卒業式の体験文を送りました。

 当然、吃音で悩んでいることを妻に話さなければなりません。それが自己紹介の時の、妻に吃音の悩みを話したときの体験です。その時、妻に話して良かったと泣きながら電話を私にかけてきているのです。その連れ合いとも話しましたから、とてもよく覚えています。私はたくさんの相談に乗っていますので、多くは忘れます。しかし、相談した当人はよく覚えているものです。今回はその正反対でした。

 妻に話すきっかけになった、私との電話のやりとりを忘れているのです。もちろん、その後日本吃音臨床研究会の会員になっていのすので、私に電話して世話になったことは覚えているのですが、どんな経過で今あるかはすっかり忘れていたのです。

 私は、彼との体験が鮮烈だったので、講演や講義で必要な時に時々彼の話をします。なんだ、それでは私の話がねつ造になってしまうじゃないかと、苦笑いしながら、私が鮮明に覚えていることを話しました。
 卒業式が終わって、無事終わりましたと電話で報告をしてくれ、「妻に代わります」とお連れ合いとも話しました。だから、私はその彼のことをよく覚えています

 「そうでした。そうでした。今、はっきりと思い出しました」

 そんなことがあるのですね。私が鮮明に覚えているのに、当人はまだらな記憶しか残っていない。人間は都合のいいところは覚えていても、忘れるものは忘れるものですね。それにしても、不思議ですが、それが彼のキャラクターなのでしょう。彼が参加していたおかげで、吃音ワークショップはずいぶん盛り上がり、深まったのですから。

 彼が忘れていた卒業式のサバイバルの話は次回に。

日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/20

東京吃音ワークシヨップ 1


 吃音の深い世界に共感

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 1月13日、日曜日、北区王子にある北とぴあで、伊藤伸二・吃音ワークショップを行いました。
 何人参加して下さるか、全く分からないけれど、とにかく関東地方で直接出会える場を作りたいと思って企画しました。一人でも二人でもいいからと思っていたら、予想外にたくさんの方が、それも、遠く、佐賀県、新潟県などから、どもる当事者が8人、ことばの教室の担当者やスピーチセラピストなど臨床家が6人、計16人のワークシヨップになりました。

 初めに私が簡単に自己紹介をしました。その後、参加して下さった皆さんに自己紹介をしていただきました。ぐるっと回って全員の自己紹介が終わったのが、1時間後の11時でした。ゆったりとした時間の中で、自分を語り、他者の語りを聞くという、このワークショップの基本的な姿勢そのままのオープニングとなりました。

 内容については次回以降書きますがまず、最後にひとりずつこのワークショップに参加した感想のいくつかを紹介します。不安でしたがやはり開催してよかったと思いました。


 ・期待半分、不安半分で参加したが、いい話を聞けてよかった。今から自分を変えていけそうな気がする。

 ・どもりながらも今までいろいろなことを乗り越えてきた自分を信じていきたいと思う。吃音に悩んできたからこそ、相手の弱い点を考えるゆとりも持てたのかなと思った。どもりの短所だけでなく、長所も考えていきたい。

 ・皆さんの話を聞いて、どもる人の悩みの深さに気づいた。その上で、多くの人がいろんな悩みがあるように、吃音も、人間の悩みのひとつとしてとらえてもいいんじゃないかとも思った。

 ・今まで、自分がしゃべれることばだけを選んでしゃべってきた。今日は、自分のことばで自分のことを言うことができるようになってよかった。これからはそうしていきたい。

・自分がこれまで大事にしてきたことは、間違ってなかったと思った。

 ・当事者だけでなく、ことばの教室の担当者や言語聴覚士なども参加してくれて、同じように考えてくれる人がいるのはうれしい。これからもどんどん広がっていってほしい。

 ・改めて吃音のテーマは、どう生きるかということに直結している、深いものだと思った。去年はいろいろあってブレたけれど、今日からまたブレずに生きていこうと思う。どもりでなかったら、こんなにいろんなことを学ぶ機会はなかったと思う。どもることが社会貢献になるとの話を聞いて、また、明後日からたっぷりどもって社会貢献をしようと思う。

 ・ずいぶん前に伊藤さんに初めて会ったとき、まっすぐな人だなと思ったが、今も変わらないのがうれしい。それから何年も経って、私自身いろいろなことがあったが、話題になていた、HELPを出すのがうまくなったなあと思う。

 ・あっという間の8時間だった。これまで幼稚園や小学生、その親たちと話すことはあるが、成人のどもる人と会うことは少なかった。今回は、真摯に自分と向き合ったなあと思う。

 ・佐賀県から来てよかった。教師として、ひとりの人間として、生き様を伝えることができたらいいなあと思う。これからも、多少ぶれることはあるかもしれないけれど、ひとつのふんぎりがついた。

 ・ドキドキしながら参加した。私自身はどもることはないけれど、ちゃんとしなきゃいけないと思ってしまうところがある。今日、論理療法の話を聞いて、みんなで考えて、楽になった。ことばの教室で出会うどもる子ども、そして私のどもる子ども、両方とも、一緒に考えながらすすんでいけたらいいなあと思う。

 ・教師なので、こうしなければならないという思いが強かった。失敗してもいいよ、とどもりながら一生懸命伝えることが大事かなと思った。

 ・来て良かったと思います。どもっていて、何ができるのかと思っていたけれど、どもりながら生きている、そのことが社会貢献だと聞いて、そうかと思った。自分がだめになる前にHELP(助け)を出すことの大切さも学んだ。

 ・「どもるくらいたいしたことない」ではないと軽くうけとめるのではなく、深く悩む人のことを知りながら、それでも、「どっていても大丈夫」というよき理解者になりたい。

立川志の輔 新春 パルコ公演


 ことばの教室の仕事の翌日は、志の輔落語でした。 

 私は、つくづく遊び好きだと思います。何か仕事が入ると、その場所のいい場所、食べ物はいいものがないか探します。からだとことばのレッスンの「竹内敏晴さん」とはずいぶん違います。
 竹内さんが大阪によく来て下さるようになって、珍しく、四天王寺に案内してくれと言われました。そんなことはめったにないことで、いろんなところに出かけても仕事をして,とんぼ返りで遊びがないと、竹内さんはよく苦笑いをしておられました。私は、鵜の目鷹の目その仕事の前後に遊びをいれたいと探します。

 1月11日に神奈川県の秦野市に行きが決まって、さっそく、志の輔落語と吃音ワークシヨップを組んだのでした。
 親しくしていただいている笑い芸人「松元ヒロ」さんの話に、立川談志さんと志の輔さんの話が良く出てきます。それから、機会があれば志の輔を聞くようになりました。何度も東京に行きましたし、関西に来たときはできる限り行きます。志の輔さんのすばらしさは、多くの人が語っていますので、言う必要もないのですが、1時や2時間の話をひとりで、決してだれず、飽きさせず、集中して聞かせるところです。そして、常に現代の社会状況を、本演題の前の新作落語に入れるのが、すばらしい。新作のおもしろさはいつまでも残ります。

 昨年、ブログに書こうと思っていたのが、5月のピロティーホールの4日連続の公演の「中村仲蔵」です。
 もう時間が経ってしまい記憶が薄れてのですが、志の輔さんの新解釈にすごいと思いました。

 「一番下の地位から出発し、芝居修行を続けていた中村仲蔵が、やっと掴んだ主役級の立場「名題」に昇格するのですが、どんな大役がもらえるかと期待たのが、つまらない場面で、客が食事をする弁当幕と呼ばれる、忠臣蔵五段目の端役、定九郎でした。気落ちして上方修行に出るという仲蔵に女房が、あんたにしか出来ない定九郎を演じろと励まされ、衣装と見栄に工夫を重ね、斬新な定九郎を演じました。
 これまでに見たこともない斬新な、見事な演技に、観客は掛け声も忘れて静まりかえります。それをウケなかったと勘違いし、失敗したと、上方修行へと旅立つ途中で「昨日の定九郎を見たかい、素晴らしかった」との話を小耳に挟み、これを女房に伝えるために家に戻ります。親方に呼ばれ、昨日の芝居を褒められ、褒美に煙草入れをもらって家に戻り、女房に礼を言う。失敗したの、うまくいったのって、私しゃ煙に巻かれちまうよ。もらったのが煙草入れだ」

 落ちがこのようなものなのですが、志の輔さんは、新解釈で「声がかからないのが一番怖い」だったか、記憶が曖昧なのですが、役者にとって、沈黙が怖い」というような落ちだったように記憶しています。人が何を大切にするか、人と人との関わり、コミュニケーションの本質をとらえて見事だったと感じた記憶があります。記憶に生々しいときにブログに書けばよかったと悔やまれます。もう一度聞いて確かめたいものです。

 今回の演題は
 親の顔 質屋暦 百年目 でした。
 親の顔は、今の教育を風刺し、質屋歴は、民主党政権から自民党政権へ,ころころ変わり国民が振り回される世相を風刺し、それでも庶民・国民には対応する力があるとする、絶望しそうな私たちへの応援メッセージになつていました。そしても百年目。「中村仲蔵」と自分はもうだめだと思ったのが勘違いで、主人からほめられるという。この勘違いが、志の輔の真骨頂だと私は思います。
 落語の世界は、精一杯生きている人間が、たとえ失敗したと思っても、それは失敗ではなかったという、一発逆転の、おもしろさ、あたたかさがあります。前回報告した、14日に図らずも観ることになった歌舞伎「どもりの又平」にも通じるものです。

 豪華なお囃子にのって、三本締めで、今年一年のあわせを願う。新春ならではの、パルコ公演に、来年も必ずこようと思うのでした。落語には、人間の弱さを肯定し、笑い飛ばし、「人間、すてたものではない」と思わせてくれるものがあります。しかられ,店を追い出されると覚悟した番頭に、「おまえのすばらしさに気づけなかった自分を許してくれ、店をもたせるまでのしばらくの間、店に残ってくれと」頼む場面は、涙がぼろぼろこぼれました。
 落語で泣ける、数少ない落語家が、立川志の輔たど私は思っています。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/16

どもりの又平と出会えた日、東京は大雪だった。

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 初春・大歌舞伎「傾城煩反魂(けいせいはんごんこう)の昼の部の舞台がはねて、どもりの又平と、歓喜のおどりを一緒に踊っているような高揚感をもって、新橋演舞場を出ると、予想もしなかったそこは一面の銀景色になっていました。

 金曜日から神奈川、東京の滞在は吃音ワークショップや志の輔落語、思いがけないうれしい人との出会いがあるなど、充実した4日間でした。その締めくくりが歌舞伎でした。

1月14日、久しぶりに観た歌舞伎が、以前から観たかった「傾城煩反魂」です。歌舞伎に行くことになろうとは、大阪を発つときは想像もしませんでした。金曜日に行った神奈川県の秦野市立西小学校で、昼間はどもる子どもと、保護者と語り合いました。夜は、その催しを企画した4人の教師との懇親会です。吃音についての楽しい語らいをしているとき、正月に始めて行った歌舞伎が、どもる人間が主人公だったので、驚いたとの話を聞きました。

 難しい名前の演題なので名前は正確には言えなかったのですが、どもりの又平の物語だとすぐに分かりました。東京滞在の最終日がまだ予定なしです。以前からみたかった舞台です。「ここで会ったが百年目」と、観に行かないわけにはいきません。千葉のことばの教室の仲間を誘って三人で行きました。また、報告しますが、土曜日に聞いた、立川志の輔落語の演題が「百年目」です。何かの因縁を感じざるをえません。

 大きな力のはからいで、念願だった「どもりの又平」の、それも大好きな、人間国宝・中村吉右衛門の又平をみることができたのです。そして、7年ぶりの東京の大雪の銀世界に、「こいつあ、春から縁起が良いわい」の歌舞伎の名セリフが口をついて出てきました。

 雪の中、銀座で食事をしようと歩き出したのですが、雪で人通りもなく、歌舞伎を見に来た人たちともはぐれ、きがついたら大回りをしてやっと地下鉄の駅にたどり着き、三越の上で食事をしていたとき、まさか、飛行機全便が欠航とは知りませんでした。モノレールに乗ろうと「浜松町」行ったら、飛行機は全便欠航。急遽新幹線で大阪にもどったハプニングも楽しむことができました。夜遅くの帰阪もきになりませんでした。

 近松門左衛門作の「傾城煩反魂」は、絵師の又平が、土佐の名字で名乗ることを、後輩に先をこされてあせり、師匠に自分も名乗らせて欲しいと訴えますが、どもって言えません。代わりに弁の立つ妻とくが切々と訴えるのですが、実力があっても絵師としての功績がないために許してもらえません。絶望して死ぬことを覚悟し、切腹しようとした時、妻のとくに説得されて、今生の名残として石の手水鉢に自画像を描くと、その絵が石を通して鉢の裏側に抜ける奇蹟が起こり、絵師としての実力が認められて、土佐の名字をなのることを許されるのです。

 絶望から、天国へ、歓喜のおどりは、はちきれんばかりでした。ひどくどもって言えない夫と対照的に弁が立つが、夫をつねに支える夫婦の情愛を描いた名作です。

 死を覚悟して、必死に絵筆を握る又平にはもう世間体とか、名誉とかは関係がありません。ただ、一心不乱に絵を描いてく。書き終わったときには、侍が大勢の人を切った大立ち回りをしたとき刀が外れないように、又平の手から絵筆が離れません。まだ、奇跡が起こっていることを知らない妻は、死に向かう夫とのこれまでの夫婦生活を思い出しているのか、慈しむように、一本一本指を絵筆からほどいていきます。必死で絵筆をふるった夫を誇りに思い、お疲れさんでしたと、労をねぎらう、妻の愛情あふれる名場面です。

 人並み以上に弁の立つ又平の妻おとくは、出しゃばりではありせん。ほとんどの場面で、夫の求めで、夫の考えや気持ちを代弁します。今回も、又平はどもる自分に変わっておとくに言ってもらっているのですが、妻の切々たる訴えを、師匠が聞き届けてくれません。どんなにどもろうと、自分が、自分の言葉で言うしかない。
 それまで、妻の代弁に頷いてばかりいた又平が、今度ばかりは、自分のことばて、どんなにどもろっても伝えたいと思って、敢然と話し始めます。のどをかきむしるように、必死に、自分の言葉で、必死に声を振り絞る、中村吉右衛門の名演技で、その必死さがつたわってきます。どもるは、身を乗り出しで見ていたと一緒に行った人が笑っていました。
 
 近松門左衛門があの時代、このような、どもりを温かく描く作品を書き、それを歌舞伎の名優が演じ続けてくれている。どもりの歴史を思い、感謝の気持ちがわいてくるのです。いろんなことが起こった4日間でした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/15

神奈川にも仲間がいた

 楽しかった、うれしかった語らい 

 今日は東京都北区で、伊藤伸二・吃音ワークショップでした。全員で16名の参加で、とてもいいワークショップでした。それはまた報告しますが、今回は前回の続きです。
 
 ことばの教室を後にして和食レストランへ。男性二人、女性二人の先生が来て下さいました。島根県、静岡県、山口県、岡山県、群馬県、千葉県、栃木県、鹿児島県などの県には、私の仲間と言えることばの教室の担当者は多いのですが、神奈川県にはあまりなじみがありません。「吃音を治す・改善する」立場の人がほとんどなのかなあと思っていました。でも、私を呼んで下さった人は少なくとも違います。久里浜の、もうずいぶん前に、国立特別支援教育総合研究所で一日吃音講義をしたとき、私の話を共感して聞いて下さった人です。

 今回のことばの教室の催しに四人の方が関わって下さいました。うれしいことでした。さて、食事をしながら、話は吃音の事ばかりです。「神奈川にも伊藤さんの考えに共感している人は少なからずいますよ」話して下さり、吃音の検査をして、吃音を治そう、改善してあげようとしている人ばかりではないことを知って、とてもうれしくなりました。どもる子どもに対する向き合い方、子ども観、吃音観を同じくする人々との語らいほど、私にとってのごちそうはありません。「私の考え方は少数派です」が、私が講演や講義をするときの決まり文句になっているのですが、少しずつであっても、「吃音を治すことにこだわらず、子どもが吃音とどう向き合い、吃音と共にどう生きるかを考える人がこの土地にもいることを知って、とても心強く思いました。また、仲間が増えたと実感できる喜びがありました。

 私は、辻説法のように、どんな小さな集まりでも、私を呼んで下さるところがあれば、どこへでも出かけたいと思っています。今年2回目の辻説法は、思いがけないうれしい出会いがありました。神奈川県が近いものになりました。 
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2013/01/13

 
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