伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2012年03月

大阪吃音教室に継続して参加することで変わる人

 人は、他者との関係の中で変わることができる

 前回、結婚式で両親への感謝の手紙を読んだ女性の話題がありました。
 この、Dさんについて、私なりの感想を書きます。

 私はおそらく世界一だと考えていることがあります。どもる人、どもる子ども、どもる子どもの親に直接出会った数です。1965年秋、どもる人のセルフヘルプグループ「言友会」を創立し、現在は言友会を離れたものの、長年全国組織の会長としてたくさんのどもる当事者と会ってきました。さらに、1986年には、世界で初めてのどもる人の世界大会を京都で開催し、世界中のどもる人に会ってきました。
 言友会を離脱してからは、大阪スタタリングプロジェクトや神戸スタタリングプロジェクト、日本吃音臨床研究会の様々な活動や、吃音親子サマーキャンプなどで、たくさんの人と出会ってきました。

 その中には、記憶として残るたくさんの人がいます。
 講演や講義の時、何かの質問をされたとき、私のコンピューターが働きます。瞬時に、その話題にふさわしいどもる人の顔が、体験がよみがえります。
 Dさんの体験も、私のハードディスクに収まりました。折に触れ紹介していくことになるだろうと思います。
 Dさんが最初、大阪吃音教室に参加した時のことを覚えています。人と話すとき、大勢でも、少人数でもかなりどもり、仕事をやめたい、やめようと考えていたころ、私たちと出会いました。上司がいい人で、吃音について相談したが、やめなくてもいいと、言ってくれました。そのことを最初の日に話すのですが、まず、自分の名前を言うのに一苦労で、その後の話もかなりどもっていましたが、最後まで言い切っていました。

 その日から、彼女は毎週金曜日の大阪吃音教室に通い続けました。「吃音を治したい」「自分を変えたい」と必死に訴える人でも、実際にそのために努力をする人はほとんどいません。それは、数千人以上のどもる人に出会っての実感です。誰かに治してもらいたい。自分はあまり変えないで、周りが変わって欲しい。そのように感じる人と、たくさん出会ってきました。

 しかし、彼女は違いました。この大阪吃音教室で何かを掴もうとしている。その熱意が感じられました。そこで、私は初めて、吃音親子サマーキャンプにスタッフとして参加しないかとすすめました。これまで参加したいと申し込んでくる大学生や成人のどもる人がいたのですが、すべて、キャンプへの参加を断ってきました。以前のブログに書いたような気がしますので、詳しくは書きませんが、この参加は、彼女にとっても、吃音に悩む女子高校生にとっても大きな意味をもちました。そして、吃音ショートコースの「当事者研究」にも参加し、みずからみんなの前で当事者研究をしました。自分の吃音と真摯に向き合い、誠実に他者と関わろうとする。何かが変わらないはずがありません。

 3月23日の大阪吃音教室で彼女は結婚式で両親への手紙を読んだことを報告しました。
 吃音教室の仲間は、自分のことのように、とても喜びました。結婚式の司会者がアナウンサーのように、きれいに朗読するのを聞いたことがあります。誰かに代読してもらうことも可能だったろうに、どもりながら、どもりながら手紙を自分で読み上げる。そのシーンを想像しただけで胸が熱くなります。

 1年前に、会社を辞めようかとさえ思っていた彼女が、仕事を辞めずに続け、結婚を機に辞めたものの、大きなハードルであったであろう、手紙の朗読をして、それを誇らしげに報告してくれたことに、仲間として幸せな気持ちになれたのでした。

 どもる男性の最後にくるハードルのひとつは、息子の結婚式で、新郎の父親として参列者に挨拶することです。それが不安で、富山から私の所に通ってきた人がいました。女性にとってのハードルは今まで知らなかったのですが、この両親への感謝の手紙になるのでしょう。

 人は変わることができます。しかし、一人で座禅したりヨガをしたりして変わるものではありません。
 だからと言って、難行苦行の厳しい学問や修行は誰にでもできることでありません。それが必要なら、私たち凡人は変わることはできないでしょう。誰でもがそんなに苦労せずにできることはないでしょうか。

 浄土宗の開祖、法然は誰もができるやさしい行いを「易行(いぎょう)」として選択しました。
 私はなまけものです。努力をそんなにできる体質ではありません。私は、ただ、自分が創立した言友会に参加し続けました。それは大した苦労ではありませんでした。むしろ、とても楽しいものでした。その楽な、楽しい行動の中で、私は変わっていきました。

 彼女は、大阪吃音教室に通い続けました。都合をつけて、他の用事を捨てて、断って参加し続けたのには努力はいったでしょうが、大阪吃音教室は苦行の修行の場ではありません。ただ、他者の体験、発言に耳を傾け、自分も発言する。話したり、文章に書いたり、一緒に遊びに行ったりする中で、彼女は変わっていったのです。遊びや趣味だけの仲間ではなく、人生を真剣に考え、吃音にしっかりと向き合っている仲間の輪の中だったから、変わっていったのだと、私は思います。

 ただ、大阪吃音教室に参加するだけでいい。継続して参加するだけでいい。その中で、何か動いてくるものがある。そして人は変わっていく。
大阪吃音教室はそのような不思議な「場」「装置」なのです。

日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月28日 

大阪吃音教室−自分が変わるのもうれしい、人が変わるのもうれしい

 変えていく勇気

 「神よ、
 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ」

 今日の大阪吃音教室は、2011年度の最終日。
 担当の東野晃之会長は、神学者のラインホールド・ニーバーの言葉をホワイトボードに書き、このように提案しました。

 「セルフヘルプグループでは、「変わること」が大きなキーワードになっています。今日は、「変わるということ」について振り返りましょう。シーアンは、吃音は氷山のようなもので、吃音そのものは海面上のごく一部で、本当の問題は、海面下に沈んでいると説明しました。吃音そのものは変えることは難しいが、吃音から影響を受ける、隠したり、話すことから逃げる行動。吃音は悪い、劣った、恥ずかしいものとするような考え方。不安や、恐怖、恥ずかしさや、惨めさなどの感情は、行動と考え方が変わることで、結果として変わっていきます。大阪吃音教室に参加して、この1年、自分が変わったこと、他の参加者について変わったと気付いたことを話し合う時間にしましょう」

 4グループに別れて話し合い、全体に報告し、さらに話し合いました。自分が変わったことだけでなく、周りの人が変わったことを発言するのが、大阪吃音教室の特徴ですが、自分が変わったことについての発言のいくつかを紹介します。
 
 ・参加前は、どもることが恥ずかしく、自分から話す場に出ていくようになって、変わった。
 ・どもっているが、敢えて人と話す仕事に就いた。
 ・どもったら、今でも恥ずかしい。でも、そんな状況を楽しめるようになった。
 ・以前は、どもったら周囲がどう反応するかが気になったが、今は、どもったときに周囲の反応を見るのが楽しみになった。
 ・以前は恥ずかしかったが、今では自慢するような感じでどもりを公表している。アピールポイントになっている。
 ・いろいろな価値観を持つ人と交流して、自分の価値観が広がった。
 ・自分と同じような経験をしている人がいっぱいいるので、リラックスできたし安心した。
 ・人前でどもってもいいと思えるようになった。就活の面接でも、どもっても自分の言葉で話せるようになった。
 ・高校一年で不登校になったが、毎週参加して復学の決心がついた。
 ・仕事でしんどい役割を担当して来たが、「それはできない」と言えるようになった。
 ・震災をきっかけに、「何かやらなきゃ」と行動しはじめ、パートなどもし、吃音教室にも参加するようになった。今後は、人前でどもっても気にならないように変わりたい。
 ・昔は「どもりは悪いもの」と思っていた。今は、どもれることは素晴らしい、向き合えることは素晴らしいと思える。「どもりは良いもの」との自覚が生まれた。
 ・今までは、逃げたり、「幸せになりたい」と漠然と思っていただけだったが、吃音教室に参加を続けて、昔の自分とまったく違い、自分の世界を持って「確かに自分は生きている」という実感が持てるようになった。
 ・ここに来て一番良かったなと感じるのは、浮わついたテーマで集まっているのではなく、吃音をテーマにして、多種多様な意見が集まって、人を惹きつけていることだと思う。
 ・多種多様な意見、価値観がここで表明されるのは、吃音が「治らないもの」だからだと、私は考えている。吃音がもし治るものだったら、そして、ここが吃音を治すことを目標とする場なら、治す努力をして吃音が軽減した者が偉いとか、うまく吃音を人前でごまかすことの出来る者が偉いという、単純な価値観の場になっていただろう。ほとんどの人は、吃音は治らないものだと聞くと、絶望感にとらわれるだろうが、今日は、「吃音は素晴らしいものだ」という話が出た。その素晴らしさは、吃音が治らないことにあると考えている。
 ・初参加から1年、毎週参加した。3月17日の結婚式で親への手紙を、どもりながら最後まで読んだ。以前なら、どもりの公表もしなかっただろうし、周囲にどう思われるかを気にして読めなかっただろう。今回は、読んで良かったと思った。以前は「周囲の目の中で」生きていたが、今は自分の人生を生きているのだと思う。単に「どもりを受け入れた」ではなく、もっと深い意味があるような気がする。
 ・彼女は初参加からずっと、すべての例会に参加して来た。1年間皆出席するためには、きっと何かを犠牲にして来ただろうし、なかなか出来ることではない。ここに来て「変わりたい」という人は多いが、何回か来て来なくなる人、都合の良い時だけちょっと顔を出す程度では、変わるのは難しい。彼女のように、来ると決めて来続ける真面目さ、誠実さがあれば、1年でも変わることが出来る。何かに集中すべき時には、集中的にすることが大事だ。

日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月27日

吃音の青年を演じた、岡田将生の演技・映画「アントキノイノチ」

 どもることばは、素敵だ


 宮本亜門演出の「金閣寺」の森田剛さんの身体表現のすばらしさについて、以前書きました。
 今回の岡田将生さんも素晴らしい演技でした。吃音の悩みの深さを、他人との断絶としてとらえたのが、「金閣寺」でした。今回は親友の自殺との関わりに深く悩む高校生が、たまたま吃音だという設定で、吃音の悩みがクローズアップされているわけではありません。
 それなのに、見事に二人とも身体で表現しています。吃音やからだにしみる深い悩みは、「からだ」と深く結びついていると、表現者は感じ取るのでしょうか。岡田さんも、森田さんと同じように肘をかためています。さらに歩き方、走り方からも不安、緊張が伝わってきます。
 モノローグは「金閣寺」の場合も今回も、どもりません。どもる人が独り言や、こころの中で語ることばではどもらないのだから当然のことですが、大切な心の叫びのときも、どもりません。これは岡田さんの表現者としての考えがあったようです。

 親友が目の前で死んで、それに関わったもうひとりの親友も殺そうとした自分が「生きていてもいいのか」。深く悩む青年に、どもることばこそがふさわしい。どもることばが、とても自然に感じられます。ことさらに、どもるまねをして演じているのではない。繊細なこころの動き、人への優しさ。事柄はちがっても、同じように死ぬほどに深く傷つき、遺品整理の仕事の中で自分をとりもどそうとして「生きる」女性、栄倉奈々を気遣い、理解したいと関わる姿に、どもることばが、しっくりとくるのです。

 どもるか、どもらないか、他人の目ばかりを気にして生きてきた私は、結局は目の前の相手への関心よりも、自分のどもりへの関心が中心でした。目の前の相手だけを見て、相手に関わろうとするとき、どもる、どもらないは全く関係がなくなります。どもりたくないと思い、どもらないようにして「どもることば」と、相手のことに関心をもって、話すことばがただどもっている「どもることば」は、全然違います。相手を思い、話しかける「どもることば」は、とても素敵なのです。
 こんなに素敵な「どもることば」を、吃音に深く悩んでいた高校生の時代の私は、みにくいものとしか見ることができなかったのです。高校生時代の伊藤伸二が、うらやましそうに、岡田将生さんのどもりかたをみつめていることを感じました。
 
 吃音をテーマにした映画ではなく、ひとりの悩む青年がたまたま吃音だった。映画や、舞台や小説に、吃音がどんどんと出てきて欲しいと思います。大上段に吃音を扱うのではなく、たとえば主人公の友だちがどもっている。コンビニに買い物に行ったときの店員さんが、「あああり・・がとうございました」と自然に言う。
 日常の生活の中に、どもる人がいて、自然に受け入れられている。そんなシーンをもっと見たいと思いました。

 日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月24日

映画「アントキノイノチ」と吃音−感動は自分の中にある


 感動は自分の中にある

 先日、散歩をしていてある会館の前で、この映画のポスターを見つけました。
 主人公が吃音の青年だということは、何かで知っていて、見に行こうと思っていたのに、見そびれていました。めったに通らない道でみつけただけに、運命を感じました。その会館で会場を聞いたら、招待券を下さいました。

 いい映画でした。何度も涙が流れました。
 映画をみてから、それが、さだまさしの原作であること、若手の人気のある俳優だと知りました。
 帰ってからネットで検索すると、感想など、たくさんの記事が出てきました。
 そして、驚きました。評判があまりよくないのです。
 「感動できると思ったのに、だめだった」。
 「泣きたいと思って見たのに、全然感情移入ができず、泣けなかった」など、監督への批判も多くありました。
 
 私は、「感動」ということばが嫌いです。
 スポーツマン、特にオリンピックの選手が「感動を与えるようなプレーをしたい」と発言するのには、寒気がしてすぐテレビを消してしまいます。感動の押し売りはごめんです。
 「感動を与える」、なんと傲慢なことでしょう。「感動させてもらった」、なんと情けないことでしょう。
 感動は、与えたり、もらったりできると考えていることが不思議です。映画を、「感動したくて見る」人がいるのが、とても不思議な感じがしました。
 私にとって感動とは、他人と一緒に何かに一所懸命取り組んで、自分にも周りにも貢献できたと感じて、じわっと喜びがわいてくる、そういうものです。自分が関わるものであって、他人がすることを見て感動する、とは考えたこともありません。

 監督も制作者も映画が好きで、自分がつくりたいからつくっているのであって、それに感動するかしないか、知ったことではないと思うのです。もし、感動を与えたいと制作者が強く思うような映画は、私は見たいとは思いません。もし、感動ということがあったとしても、それはあくまで結果であって、求めるものではありません。

 私は、たくさんの映画をみてきました。だけど、「感動しました」と表現するような感想をもったことが一度もありません。「感動」とは何か。不思議な思いで、ネット上の感想を見ました。

 わたしにとってはいい、映画でした。「感動」とは表現しませんが。
 「生きている意味」を持てずにいる若い二人。「ちゃんと生きたい」と願う二人。
 過去に、ある意味での「死」を経験し、深く傷ついた二人が、「遺品整理」の仕事を通して出会います。
 内容は違っても深く傷ついた二人が近づいていく。かけがえのない人になっていく。そのプロセスが私の胸を打ちます。こんなに深くわかり合えるようになるなら、深く傷つく体験は、なんと意味あることだろう。深く傷ついた経験のない人には、絶対に味わえない世界がそこにはあります。

 「英国王のスピーチ」がアカデミー賞・作品賞をとった時、中継をしていた二人のコメンテイターの映画評論家が、「ソーシャルネットワーク」が作品賞になるべきだ。あの映画は見終わってからたくさん話し合うことがあったが、「英国王のスピーチ」の時は、それがまったくなかった。あれは「大衆賞」だとぼろくそでした。

 吃音に深く悩んできたから、吃音をしっかりと見つめてきたから、私にとっては、「英国王のスピーチ」は胸を打つ素晴らしい映画でした。
 深く傷ついた経験があるから、死と直面した経験があるから、無縁社会に対する強い思いがあるから、「アントキノイノチ」は私にとって心を打つ映画になりました。

 「映画を見て感動しなかった」は作り手の責任ではありません。また、「感動した」は、作り手の功績でもありません。見るほうの側のセンサーがいいか悪いかです。その人の経験、想像力、感受性の問題なのです。
 長くなってしまいました。吃音との関係は次回。

日本吃音臨床研究会。会長 伊藤伸二 2012年3月22日

大阪吃音教室の講座・アサーション


 少しでも、現実の生活で使えるために

 毎週金曜日に開いている、大阪吃音教室では、「吃音を治す・改善する」ではなく、どもりながら、自分らしく豊かに生きるために、さまざまなテーマで学び合っています。
 その中で、アサーションがあります。ずいぶん長くつづいていますが、あきることはありません。

 3月9日のテーマは2週続くアサーションの一回目で、「アサーション入門」でした。吃音教室の終わり頃、教室に参加し始めてまだ1か月ほどの参加者からこんな質問がありました。

 「私は会社に勤めているが、会社には上下関係があり、取引先の会社や競合する会社との関係など、一般社会は競争社会であり、常に競合している。その中で、アサーティブに、自分の意見を言っていくのは難しい。ここ大阪吃音教室で、アサーションの学習をするのは、日常生活の中で、たとえば注文したものと違うものが出てきたときに「これは違います」と言うなどの、単なる日常での自己主張なのか。それとも会社の中で、自分を主張していくために、このようなトレーニング、考え方を学んでいくのか」

 メンバーからは「一般社会はともかく、私は、セルフヘルプグループの中で、ほっとできる、そういう場として来ている。社会生活の中で役立つというものをという大きな期待をして参加しているのではない」などの発言がありました。
 この意見、見解はその通りで、私も、競争社会で生き抜いて、その中で仲間と、いろいろ話して、学んでほっとできる、いい仲間に出会えるのは、基本的に一番大事な、セルフヘルプグループの意義だと思っています。

 それをベースにしながら、私たちがさまざまなことを学んでいるのは、やはり生きる知恵として身につけて、それを使っていきたいからです。
 吃音は、他の病気や障害と少し違う部分があって、吃音があったとしても社会は常にどもらない人間と全く同じように、社会生活でふるまうこと、行動することを期待し、要求しています。
 学校生活でも社会生活でも、足の不自由な人に周りの人は、みんなと同じように「走れ!」などとは言いませんが、吃音に関しては、「お前はどもるからしゃべらなくてもいい」とはほとんどの場合言われません。

 これは、時に厳しいですが、ある意味ありがたいことです。どもりながら、厳しい現実の社会で生きていかなければならないのは、どもる人間の、宿命であり、試練です。だからこそ、生きる活力も沸いてきます。
 大阪吃音教室が、ただ、ほっとできる場だけではなくて、吃音を治そうとする場でもなくて、現実を受け止めて、サバイバルする力を養っているのです。言わなければならないことを言い、言いたいことを言っていく、そんな日常生活の小さな積み重ねの中で、本当に必要な、大切なことは、現実の職場や仕事の社会生活も少しずつであっても、主張していくことを学んでいく、身につけていこうとしています。

 現実に、大阪吃音教室で学んだことを、現実の会社や地域の中で、言うべきことを言っていくという態度が身について、とても生きやすくなった人がすくなくありません。

 アサーションの講座を担当する人は、いつもしっかり勉強してきます。資料など印刷し、どう私なら説明するかと工夫もします。時に、不十分であっても、参加者全体で講座をささえますので、入れ替わり立ち替わりいろんな人が担当します。アサーションの講座を担当する自信がまだもてない人も、思い切って担当できる。自ら名乗り出るのもアサーションを学んで来たからでしょう。

 どもる私たちがなぜ、アサーション、アサーティヴ・トレーニングを学んでいるのか、機会があれば書きたいと思います。
 そうそう、アサーションの第一人者である平木典子先生との共著で、
 「話すことの苦手な人のアサーション」(金子書房)という本があります。興味があればお読み下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2012年3月15日

家族に愛され、みんなから愛される、桂文福さんの吃音

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 桂文福さんの、40周年大宴会のハプニング

 前回報告の続きです。大相撲関係者の挨拶や、河内音頭などで盛り上がった大宴会も、そろそろ終わりに近づきました。司会の千田やすしさんが、

 「最後に桂文福師匠ご夫婦に挨拶をしていただきますが、その前に、急に思い立ったハプニングとして、桂文福師匠・田中登さんをずっと支え続けてこられた律子さんから、夫である田中登さんに何か一言、言っていただきましょう」で、マイクが律子さんに渡されました。
 すると、ハプニングではなくて、[私の方から、皆さんにお礼が言いたくて、お願いしました」と、メモを読み上げ始められました。司会者とは打ち合わせがなかったようです。
 
 以前、お弟子さんの、桂まめださんの10周年のお祝いの落語会の時、律子さんが温かい、心のこもった応援のメッセージを読み上げられたことがありました。とても素敵なメッセージでした。そこで、今回もと、思わず、私は、メモを取って聞いてしまいました。少し違うかも知れませんが、メモをもとに紹介します。
 
 「田中律子です。本日は40年のパーティーに大勢お越し下さり、ありがとうございました。でしゃばりかなあと思いましたが、どうしても皆様にお礼が言いたくて、時間をとっていただきました。

 皆様も知っておられるように、主人は根はやさしい、いい人ですが、奇人、変人です。
 しゃべる仕事、噺家としては、吃音という大きなハンディをもっています。
 ことばが流れる、つまる、間を外す、などきついものがあります。

 吃音のハンディを、持ち前の明るさと重量級のパワーと、おそろしく早い切り替えの良さと、迷惑なほどのサービス精神、ストレスを家族に当たり散らさないことで乗り越えてきました。

 演芸が好き、落語が好き、舞台が好き、何より皆さんに喜んでいただくことが大好きで、40年間落語を続けることができたのだと思います。今は亡き、五代目桂文枝師匠の、『文福、お前、文福落語でやったらいいんやで』のこのことばがあったから、これまで続けてこれたのだと思います。
 古典はともかく、相撲甚句、河内音頭、なぞかけなど、飛び道具でやってきました。
 落語家・文福は、このようにがんばってきたのですが、私個人としては、31年間、同じ時間を共有し、これまで非常にきついものがありました。何度投げ出したくなったかしれません。でも、私が選んだ道ですし、お互いが通じるものがあったのでしょうか。喧嘩をしながらも主人の横で挨拶をしている私です。

 こんな変わった落語家のところに、ありがたいことに弟子の子が来てくれました。うれしいことです。噺家にとって、慕って来てくれる子がいるなんて、本当にうれしいことです。
 
 類が類を呼ぶのでしょうか。ユニークな弟子が集まりました。2冊の本が書けそうなくらい、いろんなことがありました。
 私の希望は、芸は軽いのですが、体重はすこぶる重いので、体重を減らし、健康に気をつけて、文福らしい、明るく陽気で、形におさまらない、こぶしの効いた、リズミカルで、ペーソスのある落語を今後も続けて、皆さんにかわいがってほしいと思っています。
 これまで、応援して下さったみなさん、本当にありがとうございました」

 大宴会の前の落語や演芸、大宴会での挨拶や、河内音頭などいろんな出し物があった中で、一番の盛り上がり、爆笑でした。吃音というハンディをのくだりで、一番どよめきがありました。
 家族だけでなく、会場の400人の参加者にとって、桂文福さんの吃音は、マイナスのネガティヴなものではなく、愛すべき、ひとつの個性として、完全に受け入れられているのでした。

 他の分野で、たとえば小説家が吃音を公にしたとしても、何の問題もありません。かえって、内容に深いものが感じとられ、有利かもしれません。しかし、落語家は、吃音を公表することで、そのことに聞き手が気をとられる危険性がなくもありません。しかし、文福さんは、おおらかに、吃音の宣言をしていくのです。それも、家族と一緒に。日本吃音臨床研究会の伊藤伸二をみんなに紹介し、今度は律子さんの吃音の話です。

 宴会が終わってお見送りに立っていた律子さんは私に、「吃音のこと、あのように言ってよかったでしょうか」と、私たちを気遣って下さいました。「いえいえ、とてもとてもうれしかったです」と、握手を交わしました。

 どもる話し方を、吃音症状として否定し、なんとか治そうとする吃音の研究や臨床が多数を占めるこの世界に、このように、おおらかに吃音を肯定して生きる人と、それを支える人たちがいる。うれしい、幸せな時間でした。

 桂文福さん、田中律子さん、私との出会いのきっかけを作って下さった息子さん。ありがとうございました。

日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月11日

吃音・どもりが話題になった、桂文福さんの大宴会

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 私にとっては、とてもうれしい大ハプニング

 前回に続いて、桂文福さんの大宴会の話題です。
 落語会に続いて、スイスホテルの大宴会場はびっしり満員です。入り口で文福さんが、
「息子と同じテーブルにしましたから」と、言って下さっていたのですが、そのテーブに行くと、私の名前がありません。あまりにも参加者が増えて、少し混乱をしていたのでしょう。そのテーブルは人がいっぱいだったのですが、私のために譲り合って席を増やしてくれました。しかし、それではと、一緒に行った川崎さんと一緒のキャンセル待ちの人たちのテーブルにしてもらいました。

 主催者の挨拶や、落語家や芸人仲間が40年のお祝いの挨拶をした後、記録用のビデオカメラと文福さんが、司会の千田やすしさんと一緒に会場を回り、参加者にインタビューしていく時間になりました。町長さんや支援者の弁護士やお世話になった人など、つきあいの深い人が選ばれています。なんとなく聞きながら、食事をしていると、
 「日本吃音臨床研究会の伊藤伸二先生、どちらにおられるでしょうか?」のアナウンスが聞こえてきました。一瞬耳を疑いました。文福さんのご家族は、なぜか私を「先生」と言って下さるのです。400人ほどの大宴会です。インタビューはごくごく限られた10名ほどです。私が呼ばれるとは、前もって聞いていませんし、100パーセント考えられないことでした。私がいるはずだと、文福さんが思っていたテーブル席に私がいないので探して下さっていたのです。

 全く予想ができなかったハプニングに、私は珍しくうろたえて、文福さんが私をどのように紹介したか聞き取れませんでした。そして、マイクを持たされたのですが、何を言えばいいのか戸惑いました。
 いくら文福さんが、吃音についてオープンに話されるようになったと言っても、40周年の記念の宴会に、それもごくわずかな数の参加者へのインタビューに、文福さんが私を予定し、司会者もそれを受けて探していてくれたのです。わざわざ私を紹介する必要などまったくないはずなのにです。
 どもりと文福さんとのかかわりを、このような席で、どのように、どこまで話せばいいのか、吃音を話題にしていいのか、いくら私でも戸惑いました。

 「・・・・どもりながら、落語家として活躍して下さることは、私たちどもりにとって希望の星です」
 このようなことを口走った、ような気がするのですが、本当に珍しく上がってしまって何を言っているのか、覚えていないのです。それだけ、本当に予想しなかった、私にとっては大きなハプニングでした。そして、文福さんが、私のことを大切に考えて下さっていることがとてもうれしく、温かいものが、私の中に広がっていきました。

 「吃音は悪いもの、劣ったもの、恥ずかしいもの」と、21歳まで思い続け、悩んできた私にとって、「英国王のスピーチ」がアカデミー賞を授賞し、吃音が肯定的に話題になった喜びと同じくらいに、うれしかったのです。華やかな芸能界の世界で、吃音が肯定的に受け止められている、そんな感じがしたのです。その後、またまたうれしいハプニングが待っていました。それは、次回に。

日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月8日

どもりを個性に 桂文福さんの40年の落語家人生

文福
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 素晴らしい人の輪

 2月29日、桂文福さんの落語家40周年の記念の大演会・大宴会がありました。
 すごい人の数でした。私は早めに申し込みましたが、大阪吃音教室の仲間が申し込んだときは、すでに満席だったようです。キャンセル待ちをしていた、仲間の川崎益彦さんはなんとか入り、川崎さんの娘さんと3人で行ってきました。一部が落語会、二部が宴会です。
 私たちは最前列で聞きました。会場はびっしり、お相撲さんの姿も目立ちました。文福さんほど、大相撲を愛し、お相撲さんとのつきあいの深い落語家はいません。春場所を控えているせいもあって、たくさんの親方や力士がお祝いに駆けつけていました。
 文福さんには5人のお弟子さんがいますが、その一人、桂文鹿さんは、端正な古典落語をしました。久しぶりに聞きましたが、声もよく、文福さんも、師匠よりもうまいとほめていました。文福さんは、いつものように明るさと、サービス精神全開の、文福さん独特の世界で2席も勤め、会場を沸かせていました。

 前にもブログで書いたと思いますが、文福さんとの出会いは、NHKの「にんげんゆうゆう」の番組を見た息子さんが、父親の文福さんに見せたいと録画をしたものを、旅から帰った文福さんが見て、感激しましたと、お電話下さったことがきっかけです。
 その後、2000年秋、大阪天王寺区にある有名なお寺、應典院のコモンズフェスタという催しの中で、文福さんの企画をしました。文福さんの落語と、私との対談です。文福一座の皆さんが来て下さいました。その時のタイトルを、「どもりを個性にー桂文福のオリジナルな落語人生」としました。ご本人に相談もしなかったようで、そのビラを当日見た文福さんもびっくりし、苦笑いされながら受け止めて下さいました。

 文福さんは、ご自分の吃音を隠していたわけではないけれど、おおっぴらに吃音について話すことはこれまでほとんどなかったのが、これで覚悟ができたとおっしゃいました。文福さんのことばでは、「カミングアウト」する大きなきっかけになったと言って下さいました。それからは、いろんなところで吃音についてオープンに話されるようになったそうです。
 
 2004年夏、大阪で開かれた、ことばの教室の教師の全国大会である、全国公立学校難聴・言語障害教育の全国大会で記念講演を依頼され、その講演の中で、私との出会いを話して下さるなど、積極的に吃音について話して下さるようになりました。

 第一部の落語会の後は、スイスホテルの宴会場での大宴会。川崎さんの見立てでは、400人ほどの参加者の前で、その吃音について紹介するとは、私は全く予想はしていませんでした。
 私としては、うれしいそのハプニングは次回に。

 日本吃音臨床研究会・会長 伊藤伸二 2012年3月7日
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