伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2011年09月

大阪教育大学の集中講義

    うれしくありがたい時間


 かつて、専任講師として勤務していた、古巣の大阪教育大学へ、いまでもずっと非常勤講師として講義に行っています。昨日、4日間の大阪教育大学、特別支援教育専攻科の集中講義が終わりました。4日間といっても、今回は、初日が台風のために休講で、時間を延長して、3日で4日分の講義を行いました。
 学生といっても、内地留学の、特別支援学級や、ことばの教室の現職のベテラン教員です。私の講義スタイルは、いつも、スクール形式ではなく、コの字型の座席で、全員の顔が見えるようにして、ひとりずつと対話しながら話します。私が一方的に話すことはしません。
 『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)を教科書として使いますので、話したいことは、学生の手元にあります。なので、安心して脱線しながら、学生と対話をしながら、話が進んでいきます。質問に答え、提案し、また質問に答える。このような講義スタイルしか、私はできません。

 今年も、学生のみなさんは本当に真剣に考え、私からの質問にもしっかりレスポンスして下さいました。真剣な時間が、あっという間に過ぎていきます。「すみません、おトイレに」と言われて、休憩時間を大幅にオーバーしていたことに気づくこともありました。実際にどもる子どもの指導をしてきた人や、長年、支援学級で子どもたちと真剣に向き合ってきた、ベテランの教師が、自分の教育観、子ども観を、経験してきたことを、本音でぶつけて下さるので、私にとっても、とても刺激的です。
 
 吃音親子サマーキャンプのビデオや、TBSやNHKの私が出演した番組などを見てもらいながら、アメリカの吃音臨床と、私の提唱する「日本の吃音臨床」について、熱く語ります。竹内敏晴さんから、いつも、「伊藤さんは、力強く、熱く語りすぎる」と叱られていたのですが、他のことならともかく、アメリカ言語病理学への批判の話となると、つい、熱くなってしまいます。そんな、暑苦しい私の話を学生はよく聞いて下さいました。毎日、講義の終わりに書いてもらう振り返りを読むと、吃音について、理解が深まっていくのが分かります。

 最終日はいつも、プレールームで、竹内敏晴さん直伝の「からだのゆらし」でやすらぎ、「日本語のレッスン」で、歌を歌います。今年は、吃音親子サマーキャンプの親の表現活動で使った詩をみんなで読んでもらいました。工藤直子さんの詩で、からだで表現するというものです。楽しい時間でした。
 最後に、「奇跡の人」で知られる、ヘレンケラーとサリバンの教育について話します。ポンプから出る水が手にかかり、「ウォーター」とことばを発見するシーンが、映画や舞台で出てきて、よく知られています。ところが、自伝やサリバンの手紙などを紹介して、あれは真実ではないことを話しますと、みんなはびっくりしますが、納得してくれます。

 最後の振り返りで、ひとりずつ3日間の講義の感想を言っていただき、最後のコメントをするのですが、私にとっては、とてもうれしい幸せな時間です。私の考えや提案が深く伝わったと実感できるからです。

 ・たくさんの仲間がいて、自分を語るものをもっている伊藤さんや、どもる子どもや、どもる人がうらやましい。
 ・伊藤さんと出会わなければ、吃音の人たちを誤解したまま接していたと思う。
 ・吃音にとても興味がもてた。伊藤さんの考えが早く世界に広がることを願う。
 ・教師として、親として、自分をふりかえるいい時間になった。
 ・吃音だけでなく、コミュニケーション障害の全般的なとらえかたを学んだ。
 ・人生何事も選択肢があることを、子どもたちに知らせていきたい。
 ・「どもりを治さなければならない」の考えは、子どもたちの自己否定につながることを肝に銘じたい
 ・「子どものために」は、「子どものせいだ」になるので、子どもも自分も楽しめる授業や活動をしたい。
 ・キャンプの映像が心に残る。仲間の力を実感した。
 ・「治すことをあきらめる」「どもりながら楽しく生きる」を子どもの選択肢に加えてやりたいと思った。
 ・困難とどう立ち向かうかの核をしっかりするには、仲間や信頼できる大人が必要だと思った。
 ・吃音についてだけでなく、この3日間は教師としての私の人生の大きな転機となった。
 ・みんなが知っているヘレンケラーの話が、感動を強調するため、映画や舞台で変形されていることに驚いた。
 ・吃音に対する意識が、3日間でガラガと変わっていったのに自分でも驚いた。

 などなど、3日間で吃音に対する考えが全く違ったものになったと、書いて下さいました。
 
 私は何も、私の主張を一方的に話したわけではありません。世界最新といわれるバリーギターの統合的アプローチ「ゆっくり、そっと、やわらかく」を指導しようとしている世界や日本の吃音の事情も、私と違う人の考えや臨床も当然話しました。
 しかし、学生の皆さんは、親として子育てを経験した人であり、通常学級や支援学級で、たくさんの子どもたちとつきあってきた人たちです。自分が共感しないものを鵜呑みにする人たちではありません。また、4月から大阪教育大学で様々なことを学び、臨床をしてきた人たちです。その人たちが、真剣に私の話に耳を傾け、レスポンスし、質問し、一緒につくりあげていった、今回の3日間は、私にとってもとても、うれしく、楽しい時間でした。
 やはり私は、吃音について質問され、話すのが、一番心弾み、うれしい時間なのです。
 吃音サマーキャンプの報告もしないままに、大阪教育大学の集中講義の報告でした。
 2011年9月28日 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

第22回 吃音親子サマーキャンプ 打ち上げ会


  至福の4時間

 
2011 サマキャン 打ち上げ


 一昨日、第22回吃音親子サマーキャンプの打ち上げ会がありました。参加したのは、34名のスタッフのうちの17名。34名は、千葉県、神奈川県、愛知県、三重県、和歌山県、大阪府、兵庫県、島根県などから、手弁当で参加してくれました。人数は例年とそうたいして変わらないのですが、常連のスタッフの数人が、どうしても事情があり、参加できないということで、少しの不安をもってのキャンプでした。

 心配をしていましたが、とてもいいキャンプでした。おいおい紹介していきたいと思いますが、最初に打ち上げ会の報告です。
 子どもたちと、劇の上演に取り組むための、劇のための合宿。キャンプ当日。そして、この打ち上げ会。これで、今年のキャンプが終了したことになります。

 事前の劇の稽古もとてもすてきな時間です。もちろん、キャンプ当日も。私は、この打ち上げ会もとても大切で好きな時間です。中華料理を食べながら、ビールを飲みながらではありますが、ひとり一人がキャンプを振り返ります。ひとり一人の一言一言に耳を傾け、ヤジを入れたり、突っ込みを入れたり、補足の説明や、その後の経過が話されます。みんな、、子どもたちのこと、動きや発言など、キャンプの全体をよく見ています。
 幸せな4時間があっという間に過ぎます。店の人から、退席を迫られなかったら、まだ続きそうでした。

 メモをしたものをたよりに、少しだけ再現します。読者のみなさんには、経験していないことの報告で、興味がもてないかもしれません。また、あまりに長くて読みにくいかもしれませんが、私たちの記録の意味もありますので、紹介します。私たちのキャンプへの思いが伝わればうれしいです。  伊藤伸二 


  第22回吃音親子サマーキャンプの打ち上げ・反省会

○○ 参加者が例年になく少なくて、116名だったために参加者全員の顔がよく見えた。劇の進め方について、スタッフ会議の提案で確認されたように、上演よりもプロセスを大切にした。全員にすべての役をやらせてみるなど楽しみながら劇を作り上げることができて、よかった。しっくりきた。
 話し合いは、1・2年生の担当だった。初参加が多かったが、みんなしっかりしゃべっていた。初参加の子でも、小さい子でも、吃音について話し合いをしたいのかと思った。
 
○○ 劇が最初からできあがっていたような感じがして、不安がなかった。子どもがノリノだった。スタッフの劇の稽古の時、早口にならないようにと言われて、久しぶりに今日は自分はだめかもと思ったが、なるべくゆっくりと心がけた。初参加の親が子どものことで泣いていた。何て声をかければいいのか、難しかった。中3の子どもたちが、「もっと若いスタッフに来てほしい」と言っていた。

○○ 初めて全日程参加できた。声を出すことが気持ちがよいなと思った。1・2年の話し合いでは、自分の考えをしっかり話していた。劇では、ねずみ隊の子どもたちが、お互いにカバーしながらやっていてすごいと思った。

○○ 2つのことを思った。ひとつは、参加者の人数は少ない方がいい、もうひとつは、脚本はシンプルがいい。シンプルだとすぐできてしまって、後は何をしようかということにこれまでなっていたようだけど、今回は、練習の時間の使い方をふくらませてもらえたようだから、シンプルでいいと思った。スタッフの劇はうまくいった。それには、観客の力が大きいと思った。例えば、鳥の長老の「そりゃ、鳥にはよう分からん。木のことだ、木に聞いてみにゃ」のせりふは、「木」に、アクセントがないといけないのだが、練習のときはうまくいかなかった。でも、本番は、観客の力で、「木」が、強調されていた。話し合いでは、たとえば、「自分のどもりが朝になったら消えている」か、「朝起きたら世界中のみんながどもっていた」のどちらがいいか、など架空の設定で聞いてみた。自分の興味関心があったから聞いたのだが、とてもおもしろかった。ちなみに、みんながどもりになったら、伊藤さんの仕事がなくなると言った子がいて、おもしろかった。

○○ どもっている娘に感謝。父にテーマを与えてくれたことに感謝。キャンプの案内を見たときから、どもる子どもの親として参加するより、スタッフがいいなと思っていた。仕事が教師だから、よく人前でしゃべっているが、劇の事前レッスンを受けて、人を見てしゃべるということを再確認した。スタッフがそれぞれによく動いていること、またスタッフ会議でも子どもたちをよく見ていること、すごいなあと思った。キャンプという場の力を見せてもらった。

○○ 去年参加しなかったせいか、今年、初参加の人が多かったせいか、初参加の人も古くから参加している人も、隔たりがなかったようだ。お茶のことだけでなく、他のこともみんながよく動いて、手伝ってくれて、とても楽だった。
 
○○ もう何回も参加している父親が、親として、マンネリ化しているような気がすると言っていた。父親だけどスタッフとして参加している人が二人もいるんだから、その父親にもスタッフになってもらってもいいね。

○○ 今回、カレーの配膳など、父親が率先してやってくれていた。父親の役割が何かあればいいのか。受け身でなく、自分からすすんで動いている場もみられた。

○○ 自分が子どもとして参加していたときと比べて、子どもたちが積極的だったのでびっくりした。話し合いでも、劇の練習でもそれを感じた。今回初めて、参加者からスタッフになって参加して、自分としては成長できたかなと思う。参加者の時は、子どもとして自分のことしか分からなかったが、今回スタッフとして話し合いに入って、親の気持ちが分かったし、前向きに考えられるようになった。親への思いも変わった。両親に「ありがとう」と言えるようになった。高校生の時、僕が相談にのっていた中学生が、今度は年下の子どもたちの相談役になっていて、成長を感じた。来年は自発的に動きたい。

○○ 昨年の反省会で、劇で大事にしていることの情報交換をしたが、自分が担当したグループでは、そんなふうにしてこなかったなあと思った。子どもの立場に立ってみると、配役を決め、せりふの練習をするという、自分の役だけの練習だけなら、あまりおもしろくないと思った。竹内敏晴さんのレッスンで、僕たちは声を出す楽しさや劇を作り上げていく楽しさを体験している。それならば、同じことはできないとしても、プロセスを大切にしようと思った。
 
○○ 今年も、話し合いはどもる子どものきょうだいグループだったが、来年は、できたら、きょうだい以外のグループに入りたい。

○○ ○○さんが2歳の子どもを見ていてくれたおかげで、話し合いや学習会に参加できたと親がとても喜んでいた。

○○ 初めての参加で少し不安があったが、吃音ショートコースでも感じたが、このキャンプにも、ここにいていいのだという、とても温かい雰囲気があった。3・4年の話し合いでは、普段子どもに接したことがないので、不安だった。子どもたちは、足を投げ出しているので、ぶつかったりすると、蹴り合いになったりするが、なかなか声が出ない子が話し出すと、みんな、足で蹴り合いをしながらも、ちゃんと聞いている。一瞬さっとその場が静かになって、聞いていた。純粋で、話すことが好きな子だと思った。また、グループで、点呼をするとき、名前が出てこないことを久しぶりに味わった。子どもの前でどもっていると、その僕の姿を見て、隣で他のスタッフが喜んでいた。

○○ 伊藤さんが35年ほど前にしていた、ことばの発達の遅れた子どもたちのキャンプに参加したのは、大学生のときだった。その時、どう入っていったらいいのか不安だった。でも、子どもたちの方から働きかけてくれた。初めてのスタッフも、初めての子どもも同じ気持ちだろう。不安なりに、かかわっていけばいいのかなと思う。

○○ 2回目の参加。前は急ぎすぎた自分がいたので、今回はゆったりした中で参加できてよかった。こんなキャンプに参加できる中・高校生がうらやましかった。夜、子ども部屋で寝たが、子どもからかかわってきてくれた。喧嘩もあった。自分がどもらないということで、不安があったが、みんな温かかった。子どもから勇気をもらった。中3の話し合いでは、一緒になって自由に話せた。

○○ 体調があまりよくなく、まいったなあと思っていたが、子どもの寝顔がかわいくて、元気がでてきた。スタッフの劇の中で、ねずみ隊の登場の仕方をいろいろ考えた。森の大変な中で帰ってくるのに、♪ズイズイズッコロバシ♪ と陽気でいいのか。難しくてわからなかったが、とにかく、子どもの前で弾む体を見せようと思った。

○○ キャンプのスタートからの参加は、8年ぶり。駅に迎えに行ったことで、出会いの広場のとき、ひとりでぽつんとしていた高校生に声をかけることができた。劇は最初の場面でシンプルだったので、主役の役をみんなでやってみた。それがよかった。役をすぐ決めず、それぞれが一度いろんな役をやってみた。みんな一度やっているので、後ですぐに決まった。中3の話し合いは、もし途中で話が切れたらと思って「吃音ワークブック」をもっていったが、途切れることなく話が続き、使わずに済んだ。来年、高校生になる子が、クラブでの自己紹介のことが今から心配だと発言した。まさに、予期不安。そのことで、いい話し合いができた。
 
○○ 初めて参加した子どもが、眠る部屋の中で、みんなの中に入れなかったとき、スタッフが、「この子は初参加なのでよろしくね」とみんなに紹介してくれて輪の中に入れてうれしかったと感想に書いて送ってくれた。そして、来年も行きたいとも。スタッフのひとりひとりが、そのような対応ができていることが、このキャンプのよさだ。部屋の中での子どもの様子を見ることもとても大切だ。

○○ よくどもる高校生が、劇が進行しないことで、「みんなに迷惑をかけているんじゃないか」と言ってきた。僕は、「みんな、どもるんやから、そんなことない」と言った。

○○ 初参加で不安がいっぱいだった。劇の事前レッスンで、スタッフのみんなはいい人だと思った。当日、子どもたちとどう接したらいいかと考えていた。行ってみたら、なんとかなるものやと思う。高校生の恋愛相談は、どう答えたらいいのかと思ったけれど、自分が経験してきたこと、自分が思ったことを話した。体験したことを話すと伝わるんだなと思った。話し合いは親のグループに入った。親の子どもを見る目が聞けて、自分も親に相談していたら、また違っていたのかなと思った。

○○ 高校生の恋愛相談というのは、ある女子高校生に好きな子がいるけど、どもる人は嫌われるに違いないと思っていると発言したことから始まった。「そんなことはない。実際に、来年結婚することになっている人がこのキャンプに来ている。相手の親の所に挨拶に行って、すごくどもったけれど、とてもがんばったねと、結婚する相手から言われたんだよ」と話したら、女子高校生4人の目がキラキラと輝いていた。そして、相談に行ったんだね。とてもうれしかったと言っていた。

○○ 最後のふりかえりのセッションで、スタッフの女性が、どもってことばが出ない場面がすごくよかった。小学6年生の女の子が、その姿をじっと見ていた。その子は、なかなかことばが出ない。誰かと一緒だと言えるが、ひとりだと出ないし、言おうともしない。一人で言ってみたらと声をかけたが、チャレンジしようともしなくなっていた。正面に座っていた彼女は、かなりどもる女性の先輩スタッフを間近で見ていたから、きっと私と同じだと思っただろう。あれだけどもってもしゃべっている。そして、それでも人は聞いてくれているし、人に伝わる。そのことを身をもって知ってくれただろう。思わず、○○さん、そこで、どもってナイス!!と思っていた。

○○ 子どもがどもったとき、周りがどう思いながら聞いているかということは、親の一番の関心事だろう。キャンプの場では、どんなにどもっても自然に温かく待っている。親にとっても、勇気づけられたのではないか。

○○ 「どもってもいいと言うけれど、本当にいいの? どもると聞いてくれないという現実があるのに、どもってもいいと言えますか? やっぱり改善しないといけない」と言う人がいる。僕たちは、「にもかかわらず、どもっていかないといけない」と言う。どもっていて、それを自然なこととして聞いている。みんながその場にいる。そんな場の経験がいい。僕たちは「どもってもいい」とスローガン的に言っているわけではない。ただ、自然にどもっている姿を見せているだけだ。それだけでいい。どもる僕たちがどもりながら劇をみせる。どもりながら発言する。それがいい。それだけでいい。

○○ どんなにどもっても言いたい人はいる。どもったら、相手に受け入れられない、ちゃんと聞いてくれるという安全な場でないとどもれないというのは、どもる人に対して失礼だ。

○○ スタッフとして、長く参加してきて、自分としては、どもれるようになった。「どもってしまった」ではなく、どもれることに感謝の気持ちさえもった。劇では、どもれるというのはいいことだな、すばらしいなと思った。

○○ キャンプのスタッフは、全国に散らばっているので、事前に集まって実行委員会を開くことはできない。キャンプ当日、初めて会った人たちが、それぞれに自覚をもって動いている。そして、そのスタッフひとり一人の動きをみんなが信頼している。スタッフの自覚とそのスタッフへの互いの信頼がこのキャンプを支えているのだろう。毎年こんな水準のキャンプができていることは奇跡に近い。来年結婚する女性のように、どもりながら愛され、また仕事を精一杯がんばっているどもる人の生きた見本が、このキャンプの場に実際にいるということがいい。すごい。実際にその人に話を聞くことができるのだから。
 どもる子どもの親も真剣、スタッフも真剣、子どもたちも真剣だった。親のフリートークの場も真剣な話し合いが続けられていた。真剣さがこのキャンプの場を支えている。そして、そこに笑いがある。また、来年もよろしく。

2011年9月19日 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 

親はなくとも子は育ち、親があっても子は育つ

  
   子どもへの信頼


 私たちが毎月発行する月刊紙「スタタリング・ナウ」は、吃音を切り口にしながらも、さまざまな角度から、コミュニケーション、生きること、子育て、からだとことばなど、幅広い分野に関心をもって編集しています。今月号で205号になります。よく続いているものだと、自分たちのことながら感心します。

今月号は、「難聴の娘と歩んだ40年と娘自身の子育て」のタイトルで、NPO法人全国ことばを育む会理事長である、加藤 碩さんが子育てについて書いて下さいました。

 「この子の耳は聞こえていませんよ」と医師から突然の宣告を受けて、動転したときのこと、あれこれ議論をしながらも、結論的には「娘の人生は娘自身が歩む、娘の進路は娘自身が決める」と考え、子どもの伸びていこうとする力に信頼をおいて「ゆっくり、ゆっくり、あせらず、あきらめず」の子育てをしたことを、ていねいに書いて下さいました。
 一昨年の夏、山口県で行われた親の会主催の吃音親子キャンプの時、加藤さんと長い時間話すことができ、子ども観、教育観、障害観など、同じような感覚、考えに意気投合しました。そこでお願いして書いていただいたのが、今回の手記でした。
 私たちに一番共通したのは、子どもへの信頼です。
 
 「親はなけれど子は育つ」は、井原西鶴が浮世草子「世間胸算用」に書いていることばですが、「親がいても子は育つ」と言ったのは、堕落論で有名な作家・坂口安吾です。西鶴は、親が亡くなっても、江戸時代の長屋のような共同体が育てていくから心配するなと言い、坂口安吾は、子どもの足を引っ張るような親であっても、子どもは育つのだと言いました。両者とも、子どもの育つ力に信頼を寄せています。
 私の両親も、吃音に悩む私に親として何もしてくれませんでした。今となっては、「伸二は大丈夫、自分なりに生きていける」と私を信頼していてくれたのだと思います。
 信頼と信用は違います。信用は銀行融資の担保物件でもわかるように、条件付きです。信頼には条件がないのです。
 加藤さんも私の両親も、何の根拠もなく、子どもを「育つ存在」だと信頼をしています。多くの領域で、「信頼」がなくなっていく現代。人を信じてはいけないと、子どもの頃から教えられる現代。そのような現代だからこそ、自分を信頼してくれる他者の存在が必要です。そしてまた、他者を信頼して生きていきたいものです。
 加藤さんの子どもへの信頼は、娘さんに受け継がれ、3人の子どもをおおらかに育てておられます。恵さんの子育て奮闘記も、「スタタリング・ナウ」に掲載できたのはうれしいことでした。自分の子どもを、人間を信頼することは、すがすがしいものです。

 日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二 2011年9月14日

白内障手術 2 オナラの話

  オナラは吃音と共に生涯の友


 読者の皆さんのひんしゅくをかいそうなので、書こうかどうか迷いましたが、私を知っていただくいい機会なので、思い切って書くことにしました。

 白内障手術の入院中、少し困ったこととして、「名前の確認」のことを書きました。病院では本当に名前確認が多くなりました。それもちょっと困ったことでしたが、私にはもうひとつ困ったことがあります。
 オナラです。人の50倍ほどは、いやもっとかもしれません、オナラが出るのです。これは体質的なもので、中学2年生頃からオナラには悩んでいました。中学2年生の時、クラス全員が担任教師に叱られて、体育館に30分ほど座らされたことがありました。30分ほど経ち、教師がそろそろ許そうと向かって来たとき、私の大きなオナラが出てしまい、みんながどっと笑ったために、さらに20分正座させられたことがありました。その時、クラスのみんなからすごく怒られました。
 それから、オナラ恐怖症になり、ずいぶん悩みました。出してはいけない場面になるほど、不安になり、その結果か、却って出てしまうのです。そのことについて病院で検査もしましたが、体質だから仕方がないとのことでした。医師から「出るものは仕方がない」とお墨付きをもらいましたが、思春期の私には、それではというわけにはいきません。上の口ではどもり、下の口はオナラと私は、ふたつの口の不安恐怖症に悩まされたことになります。

 21歳の夏、吃音の悩みから解き放たれると同時に、オナラの悩みからも解放されました。吃音を治すために、上野の西郷さんの銅像前や山手線の電車の中で、どもりながら演説したことを思えば、人前でオナラをすることくらい、どうということはありません。いつからか、オナラ不安恐怖症は消えました。人前で平気でどもるようになったと同時に、人前で平気でオナラをするようになりました。それから、結婚式では、和やかになったと許されたものの、お通夜の席ではひんしゅくをかうなど、オナラにまつわるエピソードはたくさんあります。

 エンカウンターグループでのセッション中のオナラについては、機会があれば書きたいと思いますが、今回は、手術中に、オナラが出ないか、心配でした。
 オナラごときで手術の手元は狂わないものの手術をしてくれる医師、関係者に失礼です。出そうになった瞬間、必死でオナラをこらえました。マッサージをしてもらっている時もこらえますが、今回も必死にこらえました。8分ほどの手術時間が幸いしました。なんとかこらえきりましたが、病室では思い切り出しました。個室にしておいて、本当によかったと思いました。
 白内障の手術で改めて、吃音とオナラは生涯の友だと実感しました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2011年9月10日

名前と視力検査でどもり、少し困った白内障手術入院

  やはり名前は言いにくい


 9月6日入院して、9月9日退院しました。
 生涯2回目の入院でした。一度目は狭心症で20日ほど、この時は24時間の点滴で、命に直結する入院だったので、悲壮感がありました。病院の窓の外の世界と、病院の内側の世界が、まったく違うもののように見えました。本当に、あの窓の外のシャバの世界にもどれるか、心細く、不安だったことを思い出しました。

 今回の入院は、手術と言いながら、多くの人が経験している、ポピュラーな、自分で受けようと決めた白内障の手術なので、一度目の入院のような不安はありません。だけど、やはり手術はできたらしたくないものですね。手術服をまとい、車いすに乗せられて、着いたところは、ドラマでよくみる手術室の光景です。前回は手術ではなく、カテーテルで心臓の動脈のつまり具合をみるものでしたが、不安になる余裕すらなく、ただベッドに身を任せている状態だったのであまり覚えていないのです。今回、初めて手術室なるものに身を投げ出したことになります。

 目は閉じているので周りは見えませんが、話し声、ベッドの移動でかなり大きな部屋のようです。何人も同時にしているのでしょうか。スタッフも10数人はその部屋にいるような気配です。目を洗い、麻酔液が入れられ、医師の指示するまぶしい光を目をいっぱいにあけて見ていると、大きな圧迫感を目に感じることなく、「伊藤さん、終わりましたよ」に、あまりのあっけなさに驚きました。
 8分だったそうです。二日目のもう一方の目は、6分だったそうです。パンフレットには15分から30分と書いてあったように記憶しているので、それは白内障の手術ではなかったのかなあと思えるくらいです。

 手術は両目とも難なく終わりましたが、これから一日4回の点眼が大変です。

 どもらない人には、何のこともない入院でしょうが、どもる人には大変だろうなあと思いました。実際私も、困ることも悩むこともないけれど、苦笑いのシーンは何度もありました。

 名前確認が実に多いのです。本当に何度も何度も言わされます。「お名前をフルネームでお願いします」何度も何度も聞かれます。すっと言えるときもあったのですが、「・・・・いいいいとうしんじ」と何度もなりました。食堂でも名前を言わなければなりません。
 吃音に悩み、どもりたくないと考えていたときだったら、本当に大変だろうなあと思いました。また、よくどもる人にとってはつらいだろうなあと思いました。今の私はどもってもいいと思っているので、「・・・」となっても「いいい」となっても、言うことはできます。ほんの少しタイミングがずれるだけで、何の問題もありません。ただ、手術の後の視力検査では心の中で苦笑いです。

 「右端のひらがな言えるところまで言って下さい」と言われて、よく見えるようになったので、調子よく言っていくのですが、当然ちょっとどもってると間が開きます。すると検査者は、もう見えなくなったと判断し、検査は次の展開になるのです。少し間が開いて言うと「見えていたのですか」と、戻ってくれますが、ひさしぶりのおもしろい体験でした。これまでも、視力検査は何度もしているのですが、ひとつひとつゆっくり言っていたのだと気づきました。見えるようになった私と、見えているはずだと思い、さっさと言わせる検査者の、これは合作の出来事でした。

 前回の入院では、24時間点滴だったために、それが切れると、ナースコールで「・・・・ててて点滴、お願いします」と言わなければなりません。深夜には本当に困りました。面と向き合っていれば、どもっていると分かりますが、深夜、ナースコールを押して「何ですか?」と問われて「・・・・・・・」では、「どうしたんですか?」と何度も言われます。めんどくさくなって、ベッドから降りて、ナースステーションまで出かけていくことがたびたびありました。

 大勢の前での講演や講義はできるのに、名前だけ言うという状況では私はやはりどもります。そんな時、「人生、何事もすべてうまくいくわけではない。二つ、三つ、自分の思い通りにならないことがあるのも、いいもんだ」と、思えるようになったのは、吃音に深く悩んでいた頃の私からみると不思議な思いがします。
 今現在、吃音に悩んでいる人のご苦労を思いました。

 そうそう、手術は成功し、目の前がとても明るくなりました。でも、見通しの立たない、とても暗い日本、世界です。日本の、世界の目の前も、こんなに明るくなればいいのにと、願わずにはいられません。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2011年9月9日

吃音ショートコースのお誘い


第17回吃音ショートコースの受付をしています。
これまで、ショートコースの報告が、3冊の書籍になっています。
充実したワークショップです。吃音がテーマなので、吃音を切り口にして、ワークシヨップは展開していきますが、吃音関係者でなくてもテーマに関心をおもちの方なら誰でも参加できます。

当事者研究を学べるいい機会です。
吃音に真剣に向き合う仲間と出会う機会です。

資料をお送りしますので、お申し込み下さい。  伊藤伸二

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2011年第17回吃音ショートコース 2011年10月8日〜10日

     当事者研究
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 今秋の吃音ショートコースの講師、北海道浦河の精神障害者のコミュニティー「べてるの家」の向谷地生良さんは、当事者研究について、このように書いています。
 『当事者研究は、症状、服薬、生活上の課題、人間関係、仕事などのさまざまな苦労を自分が苦労の主人公−当事者−となって自ら主体的に研究しようと取り組み、従来とは違った視点や切り口でアプローチしていくことによって、起きてくる困難を解消し、暮らしやすさを模索していこうというものです。具体的には、当事者自身が抱える気分の落ち込みや対人関係、仕事の苦労などに対して仲間、家族、専門家と連携しながら「研究」し、ユニークな理解や対処法のアイデアを編み出して現実の生活の中に活かしていこうとする活動を行っています。キーワードは、「研究しよう」「研究すればなんとかなる」です。研究の中では、誰もが「自分の苦労の主人公」になり、単なる「問題解決の方法」ではなく、問題と思われている事柄に向き合う「態度」「見方」「立つ位置」の見直しや見極めを基本としながら、問題が解決されないままでも「まあ、なんとかやっていけそうだ」という可能性の視野の幅の広がりを経験をしていきます』

 NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの毎週金曜日のミーティング「大阪吃音教室」のプログラム「当事者研究」では、吃音にどう悩み、吃音にどう向き合い、どのように生きてきたかを参加者で整理し学んできました。
 当事者研究は、「発達障害の当事者研究」(医学書院)が示唆するように、特別支援教育や臨床心理学の分野で、今後、臨床・研究の大きな流れになるだろうと思います。
 自分自身が課題に取り組むためにも、子どもの教育・臨床に携わる人にとっても、「当事者研究」について学ぶ意味は、大きいと思います。ご一緒にいかがですか。
 人間関係について、自分自身の今後の人生について、考えたい人、ぜひご参加下さい。

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日時 2011年10月8・9・10日(土・日・祝)
場所 アクティプラザ琵琶  〒520-1503 滋賀県高島市新旭町深溝(風車村北)
                  筺0740-25-7111
主催 日本吃音臨床研究会
参加費  一般参加者 33,000円   日本吃音臨床研究会会員 31,000円
       (研修費、2泊3日の宿泊・食事を含む全ての費用)
問い合わせ先 日本吃音臨床研究会
    〒572-0850  寝屋川市打上高塚町1-2-1526   TEL/FAX   072-820-8244

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   8日(土)

 14:00〜 受付 
  ―于颪い旅場・マイメッセージ(15:00〜17:30)
    …新しく出会う人が互いに知り合い、リラックスできるように、からだを動かしたり、     ゲームをしたりして、人間関係づくりのウォーミングアップ。その後、自分の思いや     考えを伝えるマイメッセージ。

 ◆.廛貪事者研究(19:00〜21:30)
    …翌日からの向谷地さんの当事者研究の前に、事前学習として、まずは私たちで、誰か     の体験を当事者研究的に考えてみる。

 コミュニティアワー(交流会)… 参加自由の交流会。

   9日(日)

  発表の広場(9:00〜12:00)
    …どもる人本人は自分の体験を、どもる子どもの親は子どもとのかかわりでの体験を、     ことばの教室担当者やスピーチセラピストの方は実践を、研究者の方は研究を、でき     れば、当事者研究の手法を用いて発表し、参加者全員で分かち合う。

 きス峙舛伴遜・体験学習(13:00〜17:30 19:00〜21:30)
    …当事者研究
           講師:向谷地生良さん

 コミュニティアワー(交流会)… 参加自由の交流会。


   10日(祝)

 Α‖价漫複后В娃亜腺隠押В娃亜
    …向谷地生良さんと伊藤伸二が、前日のお話と実習をふまえて、当事者研究をどもる子     どもの指導やどもる人が自分らしく生きるために、またセルフヘルプグループなどの     活動にどう生かすことができるかを対談する。フロアーからの意見も拾いながら、参     加者全員で深める。

みんなで語ろうティーチイン(13:00〜15:00)
    …参加者みんなで、吃音ショートコースを振り返る。    


   べてるの家が「当事者研究」で大切にしている理念
・自分の抱える苦労や対処を専門家に丸投げせず、自分自身が苦労の主役になる。
・主治医に与えられた病名ではなく、自分の苦労のパターンを見極めて「自己病名」を考える。
・弱い部分を否定せず、弱さには人と人をつなげ、謙虚にさせ、新しい可能性を生み出す力がある。
・どのような失敗や行き詰まりの経験の中にも未来につながる大切な「宝」が眠っている。
・抱えている問題を研究し、立ち位置を変えると、問題はあるけれど、あまり負担を感じなくなる。
・研究に必要な経験や生活情報を出し合い、眺め、見渡しながら議論し、その意味を考える。
・当事者の生活場面には多くの「考える」につながる苦労の「素材」が眠っている。
・「人」と「問題」を分ける。「問題の外に出る」「問題を外に出す」「問題を置き換える」
・当事者自身が見て聞いて感じている世界を尊重し、受け止めようとする姿勢を大切にする。
・苦労の内容をロールプレイや、物に置き換えたり、具体的に練習したりするなど、さまざまなツールを積極的に活用する。生活の場は試行錯誤を可能にする大切な「実験室」。
・悩んだとき、不安なとき、必要なとき、ちょっと立ち止まって研究してみる。
・「生きる勇気」につながる、「にもかかわらず、笑う」ユーモアと笑いが絶えない。
・困難を語る「言葉」を変え、「行い」を変えていく。「悩む」が「研究」に、「思い煩う」が「考える」に、「とらわれる」が「観察」に、「病気の失敗」が「有用な人生経験」に変わる。
・「病気が自分の生活をジャマしている」「病気さえなかったら」という生き方ではなく、自分が病気の足を引っ張らない生き方や暮らし方を見い出す。
・当事者研究は頭でしない、足でする。足を(身体)を使って具体的に行動し、人と出会い、困難な現実に立ちながら仲間と一緒に考えるプロセスを大切にする。 
   『レッツ! 当事者研究1』 NPO法人地域精神保健福祉機構 より
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     ◇◆◇ ゲストの紹介 ◇◆◇

《講師》向谷地 生良(むかいやち いくよし)

 1955年、青森県生まれ。現在、北海道医療大学教授、社会福祉法人浦河べてるの家理事。ソーシャルワーカー。
 べてるの家は、精神障がいをもつ当事者と地域の有志によって、1984年に、北海道の浦河に開設された生活と事業の拠点である。教会の古い会堂を借り受け住居として活用しはじめ、牧師夫人と五人のメンバーが日高昆布の袋詰めの下請けをはじめた。当初から、向谷地さんはソーシャルワーカーとしてかかわっている。その活動は多くのメディアで紹介されている。

<主な著書>
『べてるな人びと』(一麦出版社)『技法以前』『べてるの家の当事者研究』『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)、『べてるの家から吹く風』(いのちのことば社)『安心して絶望できる人生(NHK出版)『統合失調症を持つ人への援助論』(金剛出版)など多数。

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◎参加申し込み方法
宿舎予約の関係で、9月30日を申し込み締切とします。9月30日までに、はがきかFAXで請求いただければ、所定の申し込みはがきと参加費送金用の振替用紙をお送りします。ただし、定員になり次第締め切りますので、お早めにお申し込み下さい。
 申し込みはがきと同時に、振替用紙でご送金下さい。なお、全日程参加を原則として参加費を設定していますが、部分参加の方は参加費を事務局までお問い合わせ下さい。
 
◎参加にあたって
 できれば、でいいのですが、困っていることを自分なりに分析し、自分で自分を助けるにはどうしたらいいかを考えましょう。それを文章や図や表で表すことができればなおいいです。それらをもってきていただければ、当事者研究の材料になるでしょう。
 なお、何の用意がなくても問題ありません。ただ、吃音ショートコースという場に参加するだけで、あなたの何かが変わるでしょう。安心してご参加下さい。
   
◎発表の広場での発表者募集
 2日目の午前中は、毎年恒例の発表の広場です。成人のどもる人は自分の体験を、ことばの教室の担当者や臨床家の方は実践を、研究者の方は研究報告を、どもる子どもをもつ親の方は、子どもとのかかわりから得た体験を、発表して下さい。いろいろな人の人生にふれることのできるすばらしい時間になっています。
 発表をご希望の方は、参加申し込みのときに、その旨お知らせ下さい。追って、発表の広場の要項をお送り致します。発表の概要を事前にお出しいただくことになっています。

第9回岡山吃音キャンプでの保護者の話し合い


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  8月20日、21日、岡山県教育センター閑谷学校で、第9回吃音キャンプがありました。最初始まった時は、「3年は続くといいね」と、スタッフと話し合っていたものでした。キャンプを始めた人が次々と、ことばの教室の担当を離れて、教育委員会の指導主事に転出していく中で、果たして継続できるか心配していたのですが、継続していく人たちがいて、すごいことだと思います。岡山県のことばの教室の先生とは長いつきあいがあります。そのきっかけになっているのが、神奈川県久里浜にある、国立特別支援教育総合研究所です。私は毎年言語障害教育の研修の吃音の講義を担当させていただいているのですが、その研修に毎年岡山県は教員を派遣しているのです。
  キャンプの中心的な役割をしている人の多くが、その研究所で出会った人たちなのです。だからとても気心が知れれていますし、私を信頼もしてくださっているのです。そんなわけで、このキャンプだけでなく、岡山県の言語障害教育の研修会に何度も講師として呼んでいただいています。そのつながりがあるから、9年も続き、来年の10回目のキャンプも計画が立てられるのでしょう。

  私は、保護者への講演と、保護者の話し合いの担当が主な役割ですが、回をかさねるにつれて、親がどんどん変わっていくのがわかります。参加一年目と二年目は親の落ち着きが違います。そして、その親が新しい親に対してとてもいい影響をします。今回こんな話がありました。

  一日目の私の講義では、吃音は治らないものと考えて、吃音に負けない子どもに育てようと、いつものように話をするのですが、二日目の座談会というか、自由な話し合いでは、素直な、率直な気持ちが表現されます。今年初めて参加したお母さんが、「みなさんの話を聞いていると、明るく、子どもの吃音を認めて、子育てをするという話がほとんどで、私の場合、みなさんのような展望がもてずに、余裕がない。お先真っ暗です」と、涙ぐんで話されました。丁寧に今の気持ちをお聞きしていると、私の考えに出会うのは初めてなので、とまどい、不安になる気持ちはよく理解できます。すると、他のお母さんが、「私も昨年はあなたと同じような状態で、暗い状態でしたよ」と話されると、口々に、「私もかつてはそうだった」と、子どもの吃音を治してあげたいと思っていたときの気持ちを話されました。

  それぞれの親の一年の変化を話され、いろんな思いや考えをもちながら、ことばの教室の担当者との話し合いや、キャンプでの私の講演や私の著書を読んだりしながら、少しずつ変わっていく親の柔軟性に、敬意を表しています。子どもの幸せを願って、いつまでも治してあげたいと考え続けることが、子どもにいい影響を与えないことを多くの親は学んでいきます。そして、まだ悩みのある親に対する、温かいまなざしの先輩の親の姿に、セルフヘルプグループで長年生きてきた人間としては、グループはいいなあと思ったのでした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2011年9月5日

NHK 中学生日記

 どもる若い人たちへの応援のメッセージ


 9月2日は、吃音にとって特別の日となりましたね。「英国王のスピーチ」DVDが発売された日でした。そして、中学生日記が放送された日でした。

 7月4日、中学生日記を担当するNHK名古屋放送局のディレクター林弘毅さんが、寝屋川の私の自宅まで尋ねてきて下さいました。どもる中学生の応募を受けて、吃音についてインターネットでいろいろと調べられたそうです。私の著書「どもる君へ いま伝えたいこと」(解放出版社)を読んで共感し、吃音をテーマにする場合に注意しなければならないことを聞きたいとのことでした。制作前に、吃音関係者に意見を求めて下さる姿勢に、まず感銘を受けました。林さんは、中学生の思いを、ドラマや放送でどう受け止め、自分としてはどう表現したいかを、誠実に話して下さいました。そして、林さん自身の吃音への思いも話して下さいました。勇気をもって名乗り出た主人公の豊田啓介君に、何よりも応援になるようなドラマにしたい。2週間の制作の過程で、吃音と向き合い、成長していく姿が見たいと、話して下さったのは、うれしいことでした。いい「中学生日記」にしたいとの熱意が伝わってきました。安心して、私は放映の当日を迎えました。

 このブログだけでなく、大勢の人に、是非見て欲しいと宣伝をしました。10月初旬刊行予定の「認知行動療法と吃音」の共著者である慶應大学教授・大野裕先生からも、貴重な機会なので見ますとのメールをいただきました。何人もの人からすでに感想が届いてます。

 皆さんの感想はいかがだったでしょぅか。
 私は、林さんが担当して下さって本当によかったと思っています。豊田君だけでなく、どもる若い人たち、どもる人、どもる子どもを支援する、ことばの教室の先生、言語聴覚士のみなさんにも、応援になったと思います。
 吃音を理解し、吃音とともに生きる意味を、大上段に構えるのではなく、豊田君と相手役の大西あぐりさんのなにげない会話の中にみつけられたのではないでしょうか。林さんが伝えたかったことが、過不足なく含まれていたと、私は思っています。

 完全なドラマではなく、豊田君へのインタビューや独り言を入れ込んで下さったことで、ドキュメンタリー風にもなり、ドラマだけでは伝えきれなかった、吃音への理解、どもる人への、本質的な応援のメッセージが込められたのだと思います。

 わざわざ、大阪の寝屋川まで足を運び、私の著書のいくつかを読んで、吃音について勉強して下さり、林さん自身の感性ともいうべき、吃音に悩む人へのメッセージを、短い時間の中で、凝集して下さいました。

 豊田君が勇気ある一歩を踏み出して下さったこと。それを受けとめ、素晴らしいドラマにして下さった林弘毅さん。お二人に心からの敬意と感謝を申し上げます。

 先週末、第22回吃音親子サマーキャンプが無事終わりました。大分、福岡、佐賀などの九州地方から、埼玉、千葉などの関東地方まで、116名の参加でした。最終日の最後のプログラムでの感動的な振り返りを聞きながら、キャンプがとても有意義で、充実したものになっていたことを確信しました。キャンプには13名の中学生が参加していました。その子どもたちと、豊田君を重ね合わせて、私はドラマを見ていました。
 キャンプについては、また、後日、詳しくこのブログで紹介します。

 「中学生日記」の感想を是非下記までお寄せ下さい。迷惑メールの洪水に悩まされて、私のメールアドレス公開しなくなりました。お手数ですが、お葉書や、お手紙、ファックスを下さった方には、アドレスをお知らせします。メールでも、お手紙でも、ファックスでも、感想をお寄せいただければうれしいです。
 
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2011年9月4日
 連絡先
 〒572−0850 大阪府寝屋川市打上高塚町1−2−1526
 電話・ファックス 072−820−8244  伊藤伸二 
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