伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2009年05月

伊藤伸二のブログにようこそ ごあいさつと更新について

 1965年、吃る人のセルフヘルプグループを設立して以来、私はどもりと向き合い、どもりと取り組んできました。
 たくさんの人々や出来事に出会い、たくさんのことを勉強し、「吃音を治す・改善」ではなく、「吃音とつきあう」ことを考えてきました。その毎日は、常に吃音について考え続けてきた歴史でもあります。いろんな活動を通して、いろんなことを考えてきましたが、それを記録として残して来なかったのは、残念なことでした。
 常に、3日坊主の私なので、日記もだいたい10日ほどで終わるのが常でした。ですから、このブログも書き続けることが本当にできるかどうかの自信はありませんが、できる限り頑張ろうと思います。
 このブログは投稿は受け付けていません。読んで下さる人が、どのような感想を持たれているのか、知りたい気持ちはありますが、頻繁にやりとりする時間的な余裕はありません。しかし、お手紙で感想やご質問を下さった方には、お返事を致します。お読みになってのご感想や、ご質問は時代遅れですが、お手紙でお願いします。私は常に、本音で生きてきました。このブログも、率直に、正直に書いていきます。どうかよろしくお願いします。
 572−0850 寝屋川市打上高塚町1−2−1526
 更新について 
私のブログに来て下さる初めての人には「法然の選択と日本の吃音臨床」を是非読んでから、その他の記事もお読みいただきたいために、この記事が常にトップにくるように、掲載日をわざと未来の日にしています。これを見て、更新がされていないと思われるかもしれませんが、2009年からはできるだけ更新する予定でいますので、「法然の選択と日本の吃音臨床」の次が最新のものだとお考え下さい。伊藤伸二
 
 

法然の選択と日本の吃音臨床                                         この記事をお読みになってから、他の記事をお読み頂きたいので、常にトップにくるように設定してあります。この記事の次の記事が最新投稿です。

 法然の『選択本願念仏集』などを読み、アメリカで発展してきた言語病理学と、私の主張する「治す努力の否定」との違いを整理した。宗教に門外漢の私が、法然を、強引に都合良く引用するため、間違った解釈もあるだろう。法然上人には畏れ多いことだが、素人に免じてお許しいただきたい。
 法然は、護国鎮守のための旧仏教を否定し、民衆の誰でもが救われる仏教を打ち立てた。法然は、学問、修行、功徳を積むことで救われるという「聖道門」を捨て、「ただ信じて、念仏を称えさえすればいい」とする「浄土門」を選択した。
 煩悩の多い、修行や功徳を積めない乱世に生きる当時の一般大衆には「聖道門」は難行であり、誰でもが救われるに道として、易行(易しい道)でなければならないというのである。煩悩の多い凡夫であると自覚し、その自分でも救われると信じて、念仏を称えよと言う。さらに、修行などは雑業だとして一切せず、正業である念仏だけを勧めた。当然、旧仏教の人たちから激しい反発や批判を受け、島流しなどの迫害も受けている。しかし、法然はひるむことなく、主張し続けた。

 吃音については、薬や手術などの本人の努力とは関係ない根本的な治療法はなく、本人が取り組む言語訓練しかない。私も、「どもりは必ず治る」として、吃音コントロール法を教えられた。
 アメリカでは、吃音コントロールについて、二つの流派が長年対立し、激しく論争をした。「吃らずに流暢に話す派」と「流暢に吃る派」だ。そして、近年統合的なアプローチが提案された。
 1930年代、アメリカのアイオワ大学を中心に吃音臨床研究が集中的に行われた。当時の、ウェンデル・ジョンソンやチャールズ・ヴァン・ライパーは現在でも大きな影響を与えている。
 1974年、私はこの流れをくむ吃音臨床に一つの選択肢を提起した。「流暢に話す」も「流暢に吃る」努力も一切やめようと「吃音を治す努力の否定」を提案した。それから、34年間、私はセルフヘルプグループや吃音親子サマーキャンプなどで、「治すことにこだわらない」吃音とのつきあい方を実践してきた。多くの人が吃音の悩みから解放され、自分らしく生きている結果において、アメリカの言語病理学に決してひけをとらないと思う。
 昨年の第8回クロアチア世界大会、また昨年秋翻訳出版されたギター著『吃音の基礎と臨床』のおかげで、ありがたいことに現在の世界の吃音の臨床について詳しく知り、整理することができた。
 1974年は呼びかけだったが、今回は34年の実績の報告をもとにした、再度の提起だ。アメリカ言語病理学一辺倒の吃音臨床に、他の選択肢があった方がいいと思うからだ。アメリカ言語病理学に対して、東洋思想からの選択肢の提示である。
 ひとつの選択肢であっても、誰もができる易しい方法であり、自分が実際に経験し本当によかったもの、多くの人が実践して役に立ち、臨床家が指導しやすいものでなければならない。選択肢は違いを鮮明にした方が分かりやすい。遠慮せず、正直に提起したい。人によっては過激な主張だと思われるだろうが、読む人が、自分にとって役に立つ方を自ら選択して下さることだろう。
 アメリカの提案する、吃音のコントロールは一部の人にはできても、誰にでもできることではない。吃る人の多くが失敗し、よく似た方法の日本の民間吃音矯正所が衰退した。また、臨床家が簡単に教えられないことはアメリカのセラピストの多くが吃音臨床を苦手としていることでも明らかである。法然の言う「聖道門」だと私は思う。
 「吃る事実を認め、自分や他者を大切に、ただ、日常生活を丁寧に生きる」
 これは難しいように見えて、自分の人生を大切に考える人なら、吃音をコントロールする努力を続けるよりも、はるかに易しい道だ。それは、多くの人の体験を通して私は言い切ることができる。

  はじめに

 1974年、私は、吃音に悩む多くの人が「吃音を治す」ことにこだわり、治す努力に精神的、時間的、金銭的な多大のエネルギーを使っても成果がないどころか、ますます、吃音の悩みが深まった大いなる内省から「治す努力の否定」を提起した。
 それから34年、昨年5月参加した第8回世界大会や、アメリカの言語病理学者バリー・ギターの翻訳書の出版(長澤泰子監訳・学苑社)で、アメリカを中心とした世界の最新の研究臨床が明らかになった。世界の吃音の臨床は70年ほどほとんど変わっていないことに驚き、改めて「吃音を治す努力の否定」を提起しなければならないと考えた。
 吃音の臨床の大きな流れは「吃音の治療・改善」にあることは、翻訳書やクロアチア大会でも明らかである。だから、こっちの道もあるのだよと、選択肢を提起したい。「吃音の治療・改善」一色よりも、選択肢が広がる意味は小さくないだろう。
 浄土宗の開祖・法然(1133~1212)は「選択念仏本願集」で旧仏教を「聖道門」として否定し、「浄土門」の日本の仏教を打ち立てた。
 この区別に則して、アメリカ言語病理学を整理し、日本の、私たちの、吃音への取り組みの選択肢として、再度「治す努力の否定」を提案したい。
    
  法然の「聖道門」と「浄土門」の区別
 
 仏教の目的〈仏になる〉道は、一つではなく様々な手段があるという主張に対して、次の自覚に立って、法然は専ら念仏を称えることを主張する。・日本は仏教の本国から遠いという自覚。
・修行を実践してゆく上で自分は無力だとの自覚。
 〈仏になる〉とは、人間存在の不安や苦悩から根本的に解放されることだが、法然以前の仏教は、宗派を問わず、そのために、様々な努力目標を掲げていた。在家の人間には、寺院や仏像を造る、写経、僧への布施などを求め、人を殺すな、嘘をつくな、生きものの命を奪うなと教えた。これらは大多数の庶民にはできないことばかりだった。 出家者でも、よほどの精神的集中力と肉体に恵まれていなければ修行は難しく、〈仏になる〉ことは容易ではなかった。そのことを法然は、修行の不足ではなく、人間が本来持つ「煩悩」があるからだと言う。人間にとって「煩悩」の除去は不可能で、「煩悩」の存在を認めた上でいかにすれば〈成仏〉が可能なのかを考えた。
 法然は徹底して自らも「凡夫」と認識し、「煩悩」に縛られている愚か者でも救われる仏教として、「信じて、ただ念仏を称えよ」と教えた。
 源氏と平家が争う乱世の時代。法然の主張は、修行の難しさや、戒律を守れずに仏教と縁がないと考えていた人々に歓迎されたが、旧仏教からは、激しい反発を受ける。
 法然の、一切の人間が救われる救済原理の根拠が「聖道門・浄土門」の区別である。旧仏教を「聖道門」と一括した上で、それを全否定した。釈尊が歩んだように、瞑想を繰り返し、心身をコントロールして深い智恵を獲得することで〈仏〉になる「聖道門」は、いかにすぐれた尊い教えであっても、釈尊の死から年月が経ちすぎ、感化力は衰えている。また、教えは難しく、いかなる修行によっても悟りを得ることは難しい。誰でもが信じさえすれば実行できる易しい行である「念仏を称える」「浄土門」が新しい仏教だと宣言した。
   
 私は、「吃音の治療・改善」を目指す、吃音コントロールはきわめて難しいものだと体験的に考えている。日本の100年の吃音治療の歴史の中で、ほとんどの人が難しく実現できなかった方法でもある。アメリカの言語病理学と、技法の名称や表現に違いはあるが、1903年の伊沢修二等の方法と大きな差はない。100年たった現代でも吃音コントロールの方法は変わらない。長い年月の実践の結果、成果が上がらなかった吃音治療法を、私は法然の言う「聖道門」「難行」だと言いたいのだ。
    
  吃音治療・吃音コントロールの難しさ

私の経験
 私は小学2年生の秋から吃音に悩み、辛い学童期・思春期を生きた。その時、私を支えていたのは「いつか必ず治る」という思いだった。吃っている限り私の明るい未来はない。吃音が治ることだけを夢見た。吃っている間は「仮の人生」で吃音が治ってから私の人生が始まると思っていた。
 21歳の夏休み、東京正生学院という吃音矯正所で、1か月は寮で生活し、一日中訓練に明け暮れた。その後3か月通院して、治す努力を続けた。 
 「流暢に話す派」と「流暢に吃る派」 
 私はこれまで、民間吃音矯正所を批判してきた。しかし、現在の世界の吃音治療の現状をみると、日本の吃音矯正所があながち大きな間違いをしたわけではないと気づいた。「必ず治る」と宣伝し過ぎたこと、呼吸練習の重視は問題だとしても、実際の吃音コントロール法は、今、オーストラリアやアメリカなどの大学で行われている「流暢性の緩和・形成」の治療法と大差がないのである。
 「まず態度、口を開いて息吸って、母音をつけて軽く言うこと」
 浜本正之の中央吃音学院で毎回唱和させられた。これは、後で紹介するギターの「吃音緩和法と流暢性形成法」と原理的にはほぼ同じなのには驚く。
 日本の吃音矯正といわれるものは、1903年、東京小石川の伊沢修二(東京芸術大学の前身、東京音楽学校校長)の楽石社に始まる。伊沢の「ハヘホ」練習から始まる発声訓練は、後の吃音矯正所の原型となる。梅田薫、野中肖人、浜本正之、望月庄一郎、田澤嘉聲等の著作を読み返すと、お互いが批判し合っているものの、基本となる「ゆっくり話す」「軽く発音する」などは共通している。
1965年、私が最初に受けた吃音セラピーが、東京正生学院だったことを、今、とても幸いだったと思う。ここでは、アメリカで論争になっていた、「流暢に話す派」と「流暢に吃る派」がすでに対立する構図になっていたからだ。
 東京正生学院の創立者、梅田薫・医学博士は、今、オーストラリアの大学で現に行われている、ゆっくりと吃音をコントロールして話す「わーたーしーはー」を徹底して教えた。一方、早稲田大学で心理学を学び、アメリカの言語病理学に精通するご子息の梅田英彦副院長は、アイオワ学派の「吃っても、どんどん話そう」という考え方を紹介し、「随意吃」を教えた。私たちは、ドイツ法・抑制法、アメリカ法・表出法と呼んでいた。
 院長は熱心に吃音コントロールを教えたが、多くの人々は矯正所の中ではできても、日常生活で応用していくことはできなかった。また、一時的に効果があっても数ヶ月で再発していた。若い副院長の「吃っても、どんどん話そう」という考え方に私たちは惹かれていった。意図的に吃る、わざと吃るという「随意吃」は実行できなかったが、吃ってでも話していく態度は養われたと思う。
 東京正生学院で、全く違う二つの考え方に出会い、それらを4か月、300人ほどと真剣に取り組み、議論した経験をとてもありがたいことだと思う。どちらか一方しか教えられなかったら、私は、「吃音が治らない」ことに諦めがつかなかったかもしれない。アメリカで論争になっている両方を同時に体験できたおかげで、私はその両方とも違う「治す努力の否定」をその後提起できたのだと思う。
 そこでの「ゆっくりと、軽く発音する」も「随意吃」の「楽に吃る」もほとんど役に立たず、300人の吃る人たちは、教えられても実践ができなかった。一時治ったかにみえた吃音が何ヶ月後あるいは数年後、再び現れた。この「再発」という現象も、アメリカでも日本でも状況は変わらない。
 日本では、「必ず治る」と教えられたために、「治る、治す」ことへの憧れは強いものになり、治らない場合、自分の「努力不足」を責め、治すことにとらわれる道へと落ちていったのだった。
 私に残されたのは、「吃音が治らず、改善もされなかった」現実と、多くの吃る人に出会えたこと、そして吃音についての考え方として「恐れがあっても、不安があっても、吃ってどんどん話していこう」という、アイオワ学派の教えだった。
 その後創立した吃る人のセルフヘルプグループでは、そのうち吃音をコントロールすることはしなくなった。吃っても話していく態度が根づいたのはアメリカの言語病理学の大きな遺産だろう。

  アメリカの言語病理学
 
 1930年代、アイオワ大学を中心に吃音の学際的な吃音臨床研究がなされた。現在の言語病理学はその流れにあるといえるだろう。ウェンデル・ジョンソン、チャールズ・ヴァン・ライパー、ジョゼフ・G・シーアンがその中心だった。
 私は、ライパー、シーアンとは手紙を通して交流があり、私の「吃音を治す努力の否定」の主張に共感し、メッセージを寄せてくれたことがある。
 1991年4月、自らの死期の近いことを悟ったライパーが、アメリカのグループNSPの機関紙『Lctting Go』に最後のメッセージを寄せた。

 「私はこのほど心臓障害のため、主治医から、残された時間で身辺整理をするようすすめられ、その仕事を片づけました。しかし、やり残していることがひとつあります。私は、長年親しんできたこのニュースレター『Letting Go』ならそれを片づけるのに一役買ってくれるだろうと思っています。私は死ぬ前に、どうしても85年の人生で吃音について私が学んだことを、多くの吃音者たちに伝えておきたいのです。
 私は、これまでに何千人という吃音者たちに接し、たくさんの研究に携わり、吃音の本を出版したり、多くの記事を書きました。重要なのは、私自身がこの間ずっと吃音を持っているという点であり、また私自身、リズムコントロールにリラックス効果にスロースピーチに呼吸法、精神分析や催眠術にいたるまで、ほとんどすべての吃音治療を経験してきたのです。しかし、どれもその成果を見ることなく、一時的に流暢さを取り戻したかと思うと、すぐに逆戻りするだけでした。それでも今では、吃ることがあっても、ほとんど気づかれないほど流暢に話せるようになっています。
 私の人生が、とても幸福で成功に満ちたものになったのは、ある基本的な考え方との出会いのお陰でした。それを是非皆さんに紹介しておきたかったのです」
(セラピーのきっかけとなった老人と出会いの話)
 
 私の提起に対するライパーからの手紙
 「治す努力の否定」の問題提起をされたあなた方の手紙を実に楽しく読ませていただきました。その考えに賛成するかとの問いに、私は、はっきりと「イエス」とお答えします。
 成人になってもひどく吃っている吃音者は、世界中のどんな方法を使ってもほとんど治ることがないと私は確信しています。遠い昔からある、このどもりの問題を、私は、長年研究してきました。
 自分のどもりはもちろんのこと、何千人もの吃音者を診てきました。報道機関を通してさまざまな治療方法が公表されるたびに、そのうちのひとつくらいは本物があるだろうと期待して、その検討もしてきました。しかし、それらはいつも子どもだましであったり、フォローアップでのチェックが不正確であったりしたのです。このような情勢の中から、私たち吃音者は、おそらく一生吃って過ごさなくてはならないだろうという事実を認める必要が生じてきました。ぜんそくや心臓病を患っている人が、その治療が難しいという事実を受け入れているのと同様に、私たちもその事実を受け入れようではありませんか。そして、私たちがその事実を受け入れると同時に、どもりを忌むべき不幸なものとしてではなく、ひとつの考えねばならない問題として理解し受け入れてくれる人を増やすために、吃音者自身が社会啓蒙することが必要なのです。
 しかし、吃音者はいつの日かなめらかに話せるようになるという望みをすべて捨ててしまわなくてはならないと言っているわけではありません。コミュケーションに全く支障を起こさず、気楽にスムーズに吃ることができるのです。そのためにはまず今後も吃り続けるであろうという事実を受け入れることです。そして、不必要に力んだりせずに、うまく吃るにはどうしたらよいかを習得することです。おおっぴらに吃ってみる勇気がある
ならば、どんな吃音者でもできることです」

 ライパーの「流暢性」の呪縛
 ライパーに親しみと尊敬の深い思いを持ちながら、私は、ライパーが後に続く人々に大きな呪縛を残したのではないかと指摘しなくてはならない。「吃音は治らない」として受け入れることを重視しながらも、「流暢性」にこだわったことだ。
 ライパーのこの主張は、自身の吃音の長い苦闘の歴史があるからだろう。ライパーはアイオワ大学で「随意吃」の提唱者ブリンゲルソンから指導を受けて、楽に吃るようになった。その経験が、彼の臨床に大きく影響を与えた。有名な吃音方程式は吃音の問題の把握に役に立つ一方で、後に続く人々に大きな縛りを与えたと私は考える。
 それが「流暢性」だ。方程式の分子に吃音を悪化させる要因をおき、分母に吃音を軽減させる要因として、「士気」と「流暢性」をおいた。
 ライパーと私の決定的な違いは、ここにある。私は分母には、「流暢性」に変えて「吃ってでもできた経験」をおく。
 ライパーは「随意吃」を学んだことで、吃音の苦しみから解放されたが、私は、吃音矯正所で「随意吃」を教えられながら、使わずに、吃音セラピーを諦めた。その後は、一切の吃音コントロールはやめて、ただ「吃る事実を認め、吃りながら日常生活を丁寧に大切に生きた」。そして、治そうとしていたときは変わらなかった私の吃音は、どんどん変化していった。これは当時の私が経済的に貧しかったことが幸いしている。東京での生活を親に一切頼ることができず、生活費から学費まで学生生活の全てを稼ぐために、私はアルバイトをした。どんなに吃っても苦しくても、アルバイトをやめるわけにはいかなかった。吃音コントロールは全く役に立たず、怒鳴られ、恥ずかしさや不安や恐怖を感じながら、私は話していった。一方、当時創立したセルフヘルプグループの活動にも夢中になっていた。グループのために、私はどんな所へも出かけ、どんどん話していった。必死に生きる日常生活が、結果として言語訓練になったのだろう。吃音をコントロールしようとしていた時には、全く変化のなかった私の吃音は、「治すことにこだわらずに」生きる中で変わっていった。
 「随意吃」などのセラピーのおかげで吃音が変化したライパーと、日常生活を必死に生きることで吃音が自然に変化した私。「吃音を受け入れよう」では共通しながら、ライパーは「楽に吃る」ことを指導できると考えた。これは、弟子ギターのスーパーフルーエンシーに引き継がれている。
 果たして、吃る子どもや吃る人に「楽に吃る」ことは指導できるのだろうか。「楽に吃る」ベースには、ライパーが指導を受けたヴリンゲルソンの「随意吃」がある。ギターが「随意吃」を重視していることに、勉強不足の私は正直驚いた。「随意吃」が多くの吃る人に拒否され、受け入れられなかったから、ジョンソンやライパーの「楽に吃る」が出てきたのだと私は考えていたからだ。

  ジョゼフ・G・シーアンの考え

 私は、「治す努力の否定」の考え方をたいへん興味深く、うれしく拝見しました。あなた方が、吃音問題に関して、ひとつの方向を打ち出されたこと、またそこに到達するまでに費されたあなた方の努力に、私は敬意を表します。
 興味深いお手紙をいただいたお礼の意味もこめて、1970年出版の私の著書『Stuttering:Research and Therapy』を別便で送りました。お読みになって、感想を聞かせていただけると大変うれしいです。
 吃音の問題をオペラント条件づけによって研究している人々や、吃音は簡単に治ると宣伝する人々を含め、多くの吃音臨床家に対してあなた方が抱くのと同じ疑惑を私も感じています。
 しかし私は、吃音の問題について悲観的ではありません。確かに吃音は、治らないかもしれません。一生吃音のままで過ごさなければいけないかもしれません。しかし吃音であるが故に、自分を卑下して生きていかなければいけない必要は少しもないのです。吃音が治らないからといって自分のすべてを諦めることはないのです。楽な吃り方で明るく生きる吃音者になることは、どの吃音者にもできることなのです。
 そのためには、吃る自分を素直に受け入れることが大切です。そして、話したい語や話さなければいけない場面を避けないで生きていきましょう。吃音者が、自分の問題に正面から立ち向かい、吃りながらも話し続けていくとき、どもりの問題解決に明るい展望が開けるのです。それはこれまでの私たちの研究が立派に証明してくれています。
がんばりましょう。   (1977年)

  随意吃の危険性

 「ゆっくり吃らずに話す」は、それができなければ、本人がやめればいいが、「随意吃」はかなり危険を伴う。私も実際にしばらく練習をしてみたが、ますます吃るようになり、恐くなって途中でやめてしまった。随意吃の本来の目的は、吃音の恐怖や不安に向き合うことだが、「わざと吃らなくても」、普段の吃る状態を隠さず、あまり逃げずに話すという、ただ自分が吃る事実を認めればいいことで、「随意吃」をわざわざ練習することはない。
 言語病理学第一人者、ウェンデル・ジョンソンでさえ失敗している。アメリカの言語病理学者、フレデリック・P・マレーは自著の中で、言語治療を受けたいという人にこうアドバイスしている。

 「どんな吃音治療法でも、その全てがある吃音者にある程度の成功をおさめている。1900年の初め頃、アメリカで隆盛をきわめた悪評の高い営利的な吃音矯正所でさえも、一部の人には役立ってきた。チュレーン大学のジョン・フレッチャー博士は、「あまりにも多種多様な治療法で吃音がよくなるのは実に困ったことだ。もしそうでなければ、原因について、もう少し分かるだろうに」と言う。
 吃音の治療について腹立たしいことの一つは、ある人には効く治療法が、必ずしも別の人にはうまく合わないという点である。
 最も有名な例はこうだ。1930年代の初め、チャールズ・ヴァン・ライパーは、アイオワ大学でアルバイトでトラビス博士の運転手だった時、吃音があまりひどくて、ガソリンスタンドでも、ガソリンの注文に苦労した。ライパーは、しばしばブリンゲルソン博士の指導を受けながら、治療に数ヵ月間費やした。博士は、ヴァンライパーの不随意的なことばの詰まりに対する制御力をつけさせるため、随意的な吃音の練習をさせた。そうしているうちに顕著な改善が認められた。一年で彼は教職につけるまで上手に話すことを習得していた。
 当時、ジョンソン博士もアイオワ大学にいた。彼は、この時までに吃音をかなり改善させてはいたが、それでもなお深刻な問題だった。彼はチャールズ・ヴァンライパーの吃音が消えて行くのを見てたいへん感激し、同じような治療プログラムを立てて自分もやってみた。ところが、彼の吃音がたちまち非常に悪化したため、話すことをまったく中止するよう指示され、一週間釣旅行をして、その間沈黙を守るようにと言われてしまった。
 ある治療法が一人の人に効いても、別の人に効果がないのはなぜかという問いに対して、容易に答えることはできない。
『吃音の克服』(田口恒夫他訳 新書館)(P.234)


  吃音は自然に変わっていくもの
 
 吃音は、本来自然に変わっていくものだと私は考えている。吃り始めるのもある日突然に起こる。そして、ひどく吃ったり、治ったかのような「波」を繰り返す。この波は、何かのきっかけがある時もあるが、多くは自然の変化である。吃音は意図的にコントロールするものではなく、自然な変化に委ねるものだと、私は確信するようになった。医学が自然治癒力や免疫力に注目するように。
 「吃音を治す努力の否定」から34年。私は吃音を治したり、ライパーの言う吃り方を学ぶという吃音コントロールの努力は一切しない吃音の取り組みを続けてきた。成人の吃る人のセルフヘルプグループの活動だけでなく、吃る子どもの指導にあたることばの教室の担当者や言語聴覚士など吃音臨床の専門家に対しても、そのように提言をしてきた。小学生から高校生を対象に「吃音親子サマーキャンプ」で18年間、吃る子どもとかかわってきた。吃る人のセルフヘルプグループでも、吃音親子サマーキャンプでも、「吃音を治し、改善する」アプローチを一切していないにもかかわらず多くの子どもや成人に大きな変化が見られた。
 吃音の悩みから解放されただけでなく、吃音そのものにも変化が現れてきた。これらの実践の中で、吃音は「治す、改善する」を目指して取り組むものではなく、自然に変化していくものだとの確信を強くもつようになった。それは私自身の吃音の変化に素直につきあってもいえることだった。
 学童期の吃音。思春期の吃音。吃音を治そうと必死になった21歳頃の吃音。治すことを諦めた頃の吃音。大阪教育大学の教員として学生に講義や大勢の前で講演をしたときの吃音。それらはどんどん変化していった。43歳の時、第一回吃音問題研究国際大会を開催した頃、私は人前で緊張して話をするときにはほとんど吃らなくなっていた。
 しかし、55歳の時、石川県教育センターで、新人教員研修の講義で、「初恋の人」の文章を読んだとき、自分でも驚くほど吃った。吃っていても、吃ることが嫌ではない、動揺することもなく、不思議な、おもしろい体験だった。この日を境に、私は再び得意だったはずの緊張する人前でも吃るようになった。この現実に向き合い、私は「吃音は変化する」ものだと確信したのだった。

  バリー・ギター著「吃音の基礎と臨床」

 詳しくは原著をお読みいただくとして、私の臨床との違いを明らかにするために、流暢性促進のスキルについてのみ引用する。「臨床家は、常に吃る子どもの流暢な発話を増加させるための努力をしなければならない」と、学童期・思春期の子どもの吃音緩和法と流暢性形成法が紹介されている。
■筆者の臨床アプローチは、吃音に対する否定的な感情を軽減させるために吃音を探究することから始め、その後、弾力的な発話速度、軟起声、構音器官の軽い接触、固有受容感覚といった、流暢性スキルを促進させつつ、一方で吃音を上手に扱うためのスキルを教えるものである。また年少の子どもには、自分の吃音についてオープンに話し合うことで、吃音に対する恐れや回避を軽減させる練習をし、その一方で、流暢性阻害要因への過敏性を減少させたり、いじめやからかいにうまく対処したりするスキルも学習させる。(P.367)

 流暢性促進スキル
 ・弾力的な発話速度(Flexible Rate)
 単語の発話速度、中でも第一音節発話速度を下げる。発話速度を下げると言語企図や発話運動の遂行に、より多くの時間をかけることができるため、吃音を効果的に軽減できる。吃ると予期する音節の発話速度のみを下げるため「弾力的な発話速度」と呼ぶ。臨床家が手本を示した後、子どもにその単語を「弾力的な発話速度」で発音させ、目標に近づいたらその発音を強化し、すべての音を練習させる。
 ・軟起声(Easy Onsets)
 楽に柔らかく声を出す。まず声帯をゆっくりと振動させて声を出すと、吃ることなく滑らかに発声を続けられる。軟起声の教え方は、まず臨床家が様々な音を使いながら目標となる行動やスキルの手本を提示して子どもに軟起声のまねをさせる。
 ・構音器官の軽い接触(Light Contacts)
 構音器官の強い接触は吃音を引き起こす。ある音韻で吃りそうだと予期したとき、その音韻を含む単語を言う前に、あらかじめ自分の構音器官を所定の位置に調節したり、吃ったときのことをイメージしながら練習したりする。構音器官を軽く接触させて子音を発音する。構音器官の力を抜き、呼気あるいは声の流れを途切れさせずに子音を発声する手本を子どもに示す。
 ・固有受容感覚(Proprioception)
 口唇、顎、舌の筋肉の筋紡錘に存在する機械受容器から送られる感覚フィードバックは、発話時の筋肉の動きを調整する重要な役割を果たす。固有受容感覚からのフィードバックに留意させる。 構音器官からの感覚情報に意識的に注意を向けることを促進させると考えられる。子どもが固有受容感覚のスキルを正確に使えることが確認できたら、弾力的な発話速度や軟起声、構音器官の軽い接触のスキルと組み合わせる。このスキルの組み合わせを「スーパーフルーエンシー」と呼ぶ。
 吃音を流暢な発話に置き換えるスキルを身につけた子どもは発話に対する自信を得、吃音の予期を流暢な発話の予期に変えるようにもなるだろう。このような子どもは吃音を予期したとしても、もはや構音器官を所定の位置に固定したり、吃音を生じさせる要因になる予期不安によって過度に緊張したりすることはなくなっているだろう。
 
  吃音の悩み最前線

 私は今、吃音に悩む人の最前線にいる。私の開設している吃音ホッラインには毎日2〜3件の相談が寄せられる。手紙や、インターネットからのメールでの相談も少なくない。多くの人は、いい加減なちょっと参考までにという相談ではない。
 子どもが吃り始めてまだ10日も経っていない場合や、そのうち治ると信じて、「その内に治るよ」と言ってきたが、小学3年生になっても治らず「この話し方が嫌だから治して欲しい」という子にどう向き合えばいいかなど、吃る子どもの親からの相談が多いが、吃る人からの相談も少なくない。
 卒業する生徒の名前が言えないと悩む卒業式を控えた教師や、職場の電話が恐くなって辞職しようと思っているという事務職の女性。苦手な音のある名前を言えるようになりたい、電話の恐怖から解放されたい。「できれば吃音を治したい、吃らないようになりたい」という相談だ。
 そのような相談に毎日向き合う私に何ができるだろう。まずは、本人が知りたい吃音についての情報の事実を伝え、個別の相談への対処を具体的に一緒に考える。卒業式で子どもの名前が言えない、電話の応対に困るなどの場合は、「吃らずに話す方法」を求めている。私が経験した吃音治療法は熟知している。また、アメリカの提案する治療法も知っている。しかし、2週間後に控えた卒業式のために、「吃ると思うことばをゆっくりと話しなさい」「軟起声といいますが、やわらかく、軽く言い始めなさい」「声を出すとき発語器官を軽く接触させて」「自分が声を出すときの感覚に注意を払って」などという、スーパーフルーエンシーと言われるものを、相手に伝えてどんな意味があるだろうか。かつて私が民間矯正所で教えられたのとほとんど変わらない吃音コントロール方法を教えても、ほとんど役に立たないだろう。私たちがさんざん試みて失敗してきた方法でもあるからだ。 それよりも、「卒業式というせっかくのチャンスだ、自然に任せて吃るときは吃るに任せ、どうしても言えないときのために、生徒や同僚の教師や校長と作戦を立てればどうですか。いつまでも、隠し、逃げていられませんよ」と言うしかない。
 中には、吃音をコントロールできる人はいるだろうが、私を含め、ほとんどの人たちが失敗してきた吃音コントロールの方法を教えることは、私にはできないのだ。ただ、その不安や辛さに耳を傾け、「吃っても仕方がない。あなたは吃るんだから」とごく当たり前のことを言い、「やってみれば」と背中を押すしかない。
 吃音緩和・流暢性形成の方法には100年ほどの歴史がある。その方法を知っていても、上手く使えないのが現実なのだ。その方法がいいと信じて努力し、吃音をコントロールできる人はそれでいいのだろうが、私自身ができなかったことを人に勧めることは私にはできないのだ。

  「治す努力の否定」の理論的根拠

 三つの事実
 1 確実に治る、改善できる治療法はない。
 2 治っていない人は多い。
 3 吃音の悩み、受ける影響には個人差がある。

 日本はアメリカと違って信頼できる、大学で臨床する吃音臨床家はきわめて少ない。ほとんどの日本の吃る人はアメリカ言語病理学の恩恵を受けていない。では、アメリカ人に比べて日本の吃る人が吃音に悩み、困難な状態にあるかと言えば、必ずしもそうではないだろう。日米比較はできないものの、世界大会などで世界の吃る人々と出会う限り差がない。ということは、言語病理学をもとにした吃音セラピーを受けなくても、日本の吃る人たちは、自分なりの対処法をみつけ、悩んだ時期はあったものの、自分なりの豊かな人生を送っているということになる。
 私が「治す努力の否定」を提起した時、後押しとなったことがある。
 1 私とセルフヘルプグループの仲間の変容
 私自身が不安や恐れをもちながらも、日常生活を大切に生きる中で、どんどん変わっていった。吃音にあまり悩まなくなり、自分なりの人生を送るようになった。私だけでなく、セルフヘルプグループに集まった人の多くがそうだった。
 2 一人の青年の実践
 私が大阪教育大学の言語障害研究室に勤務していた時代、いわゆる重度な吃音で、舌を出す随伴症状のあった消極的な一人の吃る青年の吃音に、6か月取り組んだ。治す努力を一切しないで、「ただ、日常生活を丁寧に生きる」ことだけをこころがけ、彼の話すことから逃げる行動に焦点をあてて取り組んだ。その結果職場での生活態度が変わった。
 目指したわけではないが、しばらくして、舌が出なくなり、吃音も軽くなった。この経験から、私の考えは、誰にでも通用するものだと確信した。
 3 全国巡回吃音相談会
 全国35都道府県38会場で相談会を開いて、3か月集中的に多くの吃る人に出会った。その時、吃音に悩む人だけでなく、吃りながら豊かに自分らしく生きている人とたくさん出会った。自分の経験からも、吃っていれば吃音に困り、悩んでいるはずだと思っていた先入観が崩された。
 ほとんど吃音が目立たないのに、非常に悩んでいる人。かなり吃っているのに、平気で生きている人。吃音の苦労や悩みは、吃音の症状とは正比例しないことも実態調査で知った。吃音のコントロールができなくても、自分の人生を生きることはできる。いつまでも、流暢に話すこと、吃らず吃音をコントロールすることにこだわるより、吃音と共に生きる覚悟を決めた方がいい。そして、「治す努力の否定」を提案したのだった。
 その後、34年間の取り組みの中でも、吃音のコントロールをしなくても多くの人が吃っていても、日常生活に支障なく生活ができるようになっていった。そして、自然に吃音そのものも変わっていった。吃音にあまり悩まなくなり、話すことから逃げなくなり、充実して生きる人に、吃音のコントロールは必要がないだろう。

  終わりに
  日本のことばの教室の実践のすばらしさ
 

 法然の「聖道門・難行」と「浄土門・易業」にあやかって、吃音コントロールがいかに難しいものであるかを明らかにしたかったために、日本のことばの教室の素晴らしい実践について触れられなかった。近年、日本のことばの教室は、「吃音の治療・改善」の難しさに目を向け、治すことにこだわらない実践をしている所も少なくない。
 治すことよりも吃る子どもの自己肯定に注目する研究も出てきた。私の知る限り、子どもの吃音の学習や、表現力を高める実践など、日本の実践はすばらしいと私は考えている。
 アメリカの方法が紹介されることで、やはりことばの教室では、スーパーフルーエンシーの指導ができなければダメな臨床家だと思わないで欲しい。せっかくのいい実践から吃音コントロールに向かわないで欲しいと願うばかりだ。
 長年の吃音研究を誠実に続けてこられた、水町俊郎愛媛大学教授との共著で、『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』(ナカニシヤ出版)を出版した。吃音コントロールとは違う実践をまとめた実践集もあわせてお読みいただきたい。
  ・『吃音と向き合う、吃る子どもへの支援〜ことばの教室の実践集』(日本吃音臨床研究会発行)

  日本吃音臨床研究会・月刊紙 『スタタリングナウ 癸隠僑厩罅
                        2008,1,19発行

言語聴覚士の専門学校の講義 4

  治療法への、希望的観測

 とっくの昔に専門学校の講義は終わり、別の専門学校の講義も終わったというのに、3のままになっていました。この項目を終了しないと次に進めないので、とりあえず今回の4で専門学校の講義のことは終了します。
 書きたいことは、たくさんあるのですが、やはりブログの更新には時間がとられます。目の前の仕事をこなしていると、ブログを書く時間がとれないのです。毎年のことですが、4月、5月はハードスケジュールで、どたばたしています。
 私の講義は、「治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方」を理論的に、実践的に、具体的な方法論まで提示するのですが、「治す」ことを至上任務だと考える学生には受け入れがたいことのようです。それでも6日間の講義の中では、ずいぶん柔軟にはなってきますが、このような、正直なふりかえりを書く人がいました。
 
 「私が、吃る当事者なら、これまで聞いてきたことを踏まえれば、吃音を治すことにこだわらないで、吃音と共に生きる道を選択するだろうと思います。しかし、なんとか、治したいと強く願う吃る人が相談に来られたとき、私は、やはり、結果はどうなるか分からないにしても、一緒に、治す方向で取り組みたいと思います」

 このふりかえりを紹介した後、私はこう話しました。

 「治す方向で取り組むという人は、どのような方法で取り組もうとしているのでしょうか。世界の治療法を紹介し、治療の限界や、私たちの取り組みをこれだけ具体的に提示しても、このような思いをもつのは、やはり、何か、吃音を治す方法があるのではないかとの、希望的観測をもっているからじゃないだろうか。
 吃らない人が意識しないで自然に流暢に話すような「自然な流暢さ」を、吃る人が身につけることは不可能なのです。できるとしたら、「コントロールされた流暢さ」を身につけることしかありません。その方法にしたところで、結局は「ゆっくり話す」ことでしかないのです。いろんな器具はその補助でしかありません。
 本当に、本当に、世界のどこにも吃音を治す方法はないのです。それでも治そうとするのは、臨床家としては、なにかやったという満足感が得られるかも知れないが、吃る当事者にとっては、やはり治りませんでした、では済まされないのです。
 私は、臨床家として、「治すことにこだわる」ことの無意味さを、一所懸命伝えます。それでも、吃る人が「治すことにこだわる」のなら、私には、治すお手伝いはできませんと、正直に言います」

 このように言いますが、伝わっているかどうかは分かりません。
 何とかしたいと吃る人本人や臨床家が思うのは、「どこかに、少しでも、改善できる方法があるはずだ。あるに違いない」という幻想を抱いているからではないでしょうか。
 100年以上も長い間、世界中で、吃音の研究・臨床が必死で続けられながら、現在のところ、確実な方法はないのです。治療法がないのだということを、はっきりと認識することは、そんなに難しいことなのでしょうか。
 4か月必死で努力しても治らず、世界の吃音臨床を知っている私には、自明のことであっても、私のような経験をしていない人には、それは難しいことなのでしょうか。どうしても、私には難しいこととは思えないのです。事実を見る目と、事実を認めることと、想像力があれば、と思ってしまうのです。
 6日間いろいろと議論ができ、多くは伝わったと思う反面、常に、ここまで事をわけて説明しても分かってもらえない人がいるという、むなしさと徒労感が残ります。とてもよく分かってくれる人が多いのですから、少しはこのような意見があることは論理療法からすれば、それは、ごく当然のことなのですが、また、全員に分かってほしいと思うのは、相手への不当な要求であり、非論理的思考だとは分かっているのですが、こんな不全感をもってしまうのはなぜでしょう。
 「治すことばかりを考えて」生きてきた21歳までがあまりにも、みじめだったから、同じような思いをしてもらいたくないとの思いが強すぎるのでしょう。
 人は、それぞれ違うのですから、仕方がないことなのですが。

                  2009年5月10日 伊藤伸二

















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