伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2009年02月

松元ヒロライブ  心の底から笑えない現実の政治の悲しさ

松元ヒロ

 2月15日、久しぶりに松元ヒロさんのライブに行きました。
 ヒロさんは、2006年の吃音ショートコース「笑いとユーモアの人間学」で講師に来て下さった人です。芸人としてライブはたくさんしているが、笑いについてのワークシヨツプなど考えたことも、したこともないと、おっしゃりながら、引き受けて下さいました。1泊2日の時間拘束など初めてだったろうと思います。

 私は、笑いとユーモアについて、吃音のワークショップで取り上げたいと長い間考えていました。障害や病気、劣等感や自分の弱点と自分で考えるものについて、少し距離をおき、「人間って弱いものだよなあ」「誰でも失敗するものだ」「いつでも同じ失敗をするなあ」などと、苦笑いしたり、笑い飛ばす。弱い立場の人間にとって、「笑いとユーモア」は生活に欠かせないのです。

 しかし、実現しなかったのは、適切な講師がみあたらなかったからです。大阪に長く住みながら、私は吉本興業の笑いにとてもついていけません。嫌いです。まったくおもしろくないのです。昔はそれでも、中田ダイマル・ラケットや夢路いとし。きみこいしなどの漫才の時は演芸場にもいったことがありました。笑いが大好きなのに、伸助・竜介は大嫌いで、明石家さんま、ビートたけしなどもみることがないとなると、日本の話芸の中では、落語しかありません。オール巨人・阪神だけがなんとか笑える程度というのは、大阪人としてはさみしいものです。
 
 笑いは大好きなのに、笑えない。もちろん日常生活では笑いにつつまれ、大笑いすることは多いので、芸人に笑わせてもらう必要はないのですが。
 テレビが3流の笑い芸人に占拠されていることに、にがにがしい思いをしていました。落語は大好きですが、腹の底から笑える性質のものではありません。講師が決められないままに、笑いの企画はずっ棚上げになっていました。
 
 私がずっと愛読している「週刊金曜日」に政治学者、「悩む力」が後にベストセラーになつたカンサンジュンさんと松元ヒロさんの対談記事がありました。カンさんも松元ヒロさんの大ファンだとその対談にのっていたので、吃音ショートコースにはこの人にきてもらおうと考え始めました。そして、名古屋で開かれるという情報をえて、名古屋までライブを見にいきました。

 おもしろく、楽しく、またほろりとさせるライブはとても素晴らしいものでした。芸人の芸で本当に久しぶりに、腹の底から笑いました。何とも言えない、心地よさでした。その場でヒロさんに挨拶し、依頼をしました。

 2006年の吃音ショートコースと名づけた2泊3日のワークショップにヒロさんは来て下さいました。笑いについて話をし、パントマイムの実習などを取り入れた、まさに、笑いのワークショップてした。圧巻は松元ヒロライブです。いつものライブは長くても90分ほどしようが、私たちのその場では時間の制限がありません。ご自分のネタのいくつかを、力いっぱい演じて下さいました。ほとんどの参加者が、こんなに笑い続けたのは初めてだといいました。

 ヒロさんは、政治ネタを得意とします。時の権力に鋭い批判をします。時の首相は小泉純一郎です。なんでこんな人間を日本人は支持するするのか、とても不思議でしたので、こき下ろしてくれるのは、本質をついて、愉快でとてもおもしろいのです。自民党を壊すといいながら、自民党をよみがえらせ、日本国民の生活を壊しました。それなのに、自分はいいことをしていると信じている姿が、なんとも滑稽です。自分の政策というのではなく、ただアメリカの押しつけの政策を実行しているだけのことです。アメリカ資本を導入しやすいように、規制を緩和し、派遣労働者を増やし、タクシー業界などをむちゃくちゃにしました。今年の「派遣村」は小泉政治の当然の帰結でした。今になって、やっと国民は小泉のインチキに気づき始めていますが、小泉本人は、いいことをしていると思っているが、言動はむちゃくちゃでした。それを松本ヒロさんが、小泉の真似をしての辛口の風刺をするのです。とてもおもしろく、溜飲が下がる思いでした。

 ところが、今回のライブ。首相は麻生太郎です。もうその人そのものが、マンガです。ネタとして取り上げるよりも、ネタそのものを国会議事堂で繰り返している人です。そのときはまだ中川昭一は登場していませんが、G7会議の泥酔会見などは、そのようにことは現実になくても、松元ヒロさんなら演じてみせる芸です。それを現実の政治の場面で起こっているのでは、それをヒロさんがしても、芸にはなりません。今や日本の政治、財界のすがたそのものが、「お笑い」の世界なのです。

 笑いは、大きな権力や、権威に、つまり大きな壁に向かって、ドンキホーテのように突進していくから、おもしろいし、痛快なのです。それがばかばかしいほどに、マンガチックな政治に対して、政治をこけにしても、心のそこからは笑えないのです。むしろ、むなしく、悲しくなってくるのです。笑いながら、自分をおとしめているようなきがしてきます。なさけない日本に住んでいて、何もできないいらだち、無力感におそわれるのです。
 
 そこはヒロさんの芸ですから、もちろん笑えるのでずか、2006年のライブとは大きく違いました。ヒロさんも、麻生になってやりやすいと想ったのですが、かえってとてもやりにくいではないかと思いました。
 
 日本を、日本人をぶっ壊した小泉純一郎が「腹が立つより、笑っちゃう」といった、お笑い芸人の首相をもつ、私たちはなんと不幸な国民だとつくづく思いました。

 それでも、さすがにヒロさん。私たち、ヒロさんの大ファンの仲間が7人ででかけ、最前列で盛り上げました。すぐに、ヒロさんから、みんなにきてもらってうれしかったと、ハガキを頂きました。
 
 笑いは、その人を表します。チヤップリンがそうであるように、人に対する優しさのない芸は、私は認めません。島田紳助がはびこるテレビ界はいつしか衰退していくだろうと想います。しかしその前に日本人が衰退していくのかも知れませんが。

 吃音とは関係ないところで、腹立たしさのままに長々と書きました。いろんな政治の立場の人が読んで下さるブログにはふさわしくない話題です。が、自分の気持ちに正直に書いていくと始めたブログなので、書きました。私のストレス解消とご理解下さい。不愉快に思われる人もおられるでしようが、お許し下さい。 
 このようなことを頻繁(はんざつ)に書くつもりはありませんのでお許し下さい。

             2009年2月27日    伊藤伸二

 2006年の年報「笑いとユーモアの人間学」笑いやユーモアを考えるとても素晴らしい冊子です。1000円で販売しています。興味のある方は、1000円分の切手を同封してお申し込み下さい。
 素晴らしい、松元ヒロさんと出会えます。

中学を卒業して49年後の同窓会

    故郷へ錦を飾る

 古めかしい表現ですが、「故郷へ錦を飾った」ような感慨におそわれました。
 2009年2月22日、三重県津市立西橋内中学校1959年度卒業の第4回学年同窓会の時です。何度も、本やその他の文章にかいているように、吃音に深く悩んでいた私は、友達がいなくて、寂しい小学、中学、高校時代を送りました。いい教師と出会うことなく、親しい友とも出会うことなく、生きてきたと思っていたので、中学の同窓会など参加する気持ちはまったく起きることはありませんでした。私が参加しなくても、誰一人私の話題などでないと思っていました。それほど、吃音にがんじがらめになっていた、苦悩の時代でした。楽しかった思い出は一つもなく、苦しかった思いばかりがのこりましたが、それも和らぐと、小学・中学・高校時代のことは記憶がほとんど飛んでしまっていたのです。
 1999年「新・吃音者宣言」を出版しました。その書評を「週刊エコノミスト」(毎日新聞社に有名な評論家・芹沢俊介さんが書評で大きく取り上げて下さいました。それを読んだN君が「あの伊藤が本をかいているぞ」と津に住んでいるたくさんの仲間にファックスをして知らせてくれ、いちやく彼の仲間の中では、私はよみがえったのです。そして、第一回だったとおもうのですが、同窓会に来るようにと誘ってくれました。その後NHKの「にんげんゆうゆう」も多くの人が見てくれました。誘ってくれたものの、やはり私は乗り気ではありませんでした。でも、いつまでも過去にとらわれるより、一度過去に戻ってみようと、意を決して参加したのでした。その時、思いがけないことが起こりました。何人かが声を掛けてくれました。私は中学時代のみんなから忘れられた存在ではなかったのです。少し、いやだった過去がそんなに嫌なものではなくなりました。故郷は少し近くなりました。
 そして、今回久しぶりに、今度は私の意志で参加しようと思いました。
 306名の卒業生の中で、すでに20人以上が亡くなっています。所在不明者も40名ほどいます。私は、同窓会の正式な案内が届く前に、年賀状でも知らせてもらえるほどになっていました。今年は80名以上が参加しました。
 3時間の前半は、自由に席に着きました。私は開いているテーブルに座りましたが、顔をみても誰もわかりません。思い切って横に座っていた人の名前を聞きました。その人のことはすぐに思い出しました。小学校から同じで、とても怖い、腕力のある子だったからです。いじめられた記憶はないのですが、小学校時代一番怖い人でした。ひとことふたこと会話はかわしますが、話はつづきません。他の人も、みたような気がする程度で、まったく思い出せません。6クラスですから、同じクラスにならなかった人もいるわけですから、ところどころのテーブルに前回知り合った人は座っていますが、ビールをついでまわったりできない私は、ずっとそのテーブルに居続けました。80人以上いる中で、数人程度しか顔見知りはいません。その中では、動き回って挨拶にいけないのです。前回合っている人とも10年ちかくたつとほとんど忘れてしまっていたのです。我が家の一番近くに住んでいて、前の同窓会で挨拶したT君の顔を忘れていて、「49年ぶりやね」といったら、前の同窓会で会っているやないかと叱られました。
 普段でも、人の名前と顔はよほどのつきあいがないと忘れてしまいます。講演会などでお久しぶりと言われても思い出せないことはたびたびなので仕方がないことですが。
 ときどき、私に話しかけてくれる人も、ぽつんぽつんといたために、昔とても恐れていた孤独感は感じませんでした。自分から話しかけようと思えば話しかけることができる人が少なくも数人いることは安心でした。
 前半はの終わりに校歌をみんなで歌ってから、後半は卒業のときのクラスで集まることになっていました。そうすれば、もっと知っている人がいるからもっと気が楽になるだろうと時間を待ちました。
 前半がおわり校歌をみんなで歌った後、突然今回の代表幹事が「ここに、全国的な規模で活躍している人がいるので紹介します。伊藤伸二君は吃音の専門家で、この世界ではエキスパートで、テレビに出たり、本もたくさん書いています。伊藤君にスピーチをしてもらいます」と壇上に私を招いてくれました。彼が週刊エコノミストのコピーや、「にんげんゆうゆう」のことをみんなに知らせてくれた人でした。11月の「きらっといきる」も旅先のキャンピングカーの中で、早朝の再放送で見た人でした。
 突然のことでしたが、うれしい気持ちになりました。
 「こんにちは、伊藤伸二です。おそらく皆さんのほとんどは私のことは忘れていると思います。どもりで悩み、音読や発表ができずに強い劣等感をもっていました。人に話しかけることができずに、ひとりぼっちでした。・・・・・どもりに悩んだおかげで、大学の教員になり講演や講義など人の前で話す仕事につきました。あのころのことを思うと信じられない気持ちです。・・・・」


同窓会にて


 わいわいがやがや、恩師の話の時も近くの人と話していた人が多かったのに、私の話をみんな真剣に、シーンとなって聞いてくれました。3月6日NHK教育テレビの「きらっといきる」に私の仲間がでて、どもりのことが取り上げられますと紹介すると、「もう一度、ゆっくりいってくれと」と声があがり、メモをとってくれました。
 私は、故郷の津市でことばの教室の教員対象に2回講演などで話したことがあります。しかし、その時は故郷へ錦を飾るというようなことは、みじんも感じませんでした。ところが、今回は、自分がひとりぼっちと思っていた、誰も私の存在など、気にもとめてくれないと思っていた。目立たない人間が、みんなの前でスピーチをしている。ひとりの恩師以外誰一人としてスピーチをする人はいません。ただひとり、みんなの前でスピーチをし、大きな拍手で壇上を降りたとき、ひとつの決着がついたと思いました。
 テーブルには同じクラスだった人がいます。15名ほどの中でふたりしか思い出せません。女性がひとり「伸二君のことよく覚えているよ。目のまん丸のかわいい子だった。友達がいなかったのなら、話しかければよかった」と言ってくれました。何人かがよく覚えているぞと話に来てくれました。
 二次会はもうみんなと知り合いになれ、楽しいひとときを過ごしました。
 こんな粋なはからいをしてくれた、幹事代表N君にこころから感謝したのでした。 わが故郷はまた一段と近くなりました。
 その日は、興奮していたのかなかなか寝付けませんでした。

      2009年2月17日           伊藤伸二

20回 セルフヘルプグループセミナー 3

      
      共通体験はない 

 セルフヘルプグループの説明に、「共通の体験があること」という文言がよく使われます。「同じ体験をしている」とも言われます。それは違うといつも考えていました。吃音といっても吃る程度も、吃る場面も、聞き手の環境も大きく違います。そうすると、吃音という共通の体験、同じ体験とは言えないほどに、違うのです。当然悩みも違ってきます。それでも似たような体験をしていることには間違いはないので、「同じような体験」と少し緩やかに私は表現しますが、それでもしっくりはきません。
 専門学校などで話をしていて、「私は吃音の体験がないから、「吃音は治らない」とか、「吃っても仕方がない」なんてとても言えません。吃音の伊藤さんだから説得力があるからもそんなことがいえるけれど、私たちには無理です」というのです。
 そういう背景には、「共通の体験」「同じ体験」をしていると理解できるという思い込みがあるのです。吃るからと言って、吃る人の気持ちが分かるわけではありません。ひとりひとりはみんな違い、本当のところは分からないのです。吃る人同士本当にわかり合えないなあと、吃音のグループにずっと関わってきて、また、国際吃音連盟での議論でいつも感じます。
 今回のセミナーでも、本当にそうだろうなあと思う体験発表がありました。今回は次の4つのグループが自分のグループの過去、現在、未来について発表しました。
 吃音のグループ
 中卒中退の子どもをもつ親のグループ
 精神障害者をきょうだいにもつ人のグループ
 インフルエンザ脳症の会
 吃音のグループは私が話ましたが、他の3つのグループに共通していたのは、それざれの思いの違いでした。
 精神障害者をきょうだいにもつ会の人の話です。
 精神障害者の家族会にゆくと、当然当事者の家族なのですが、親とは一緒には語り合えないというのです。家族会の親からすると、きょうだいのもつ苦しみがなかなか理解できないということなのです。当事者には当事者の苦しみは当然にあります。親は親としての苦しみがあります。きょうだいにはきょうだいの、親にはなかなかわからない苦しみがあるのです。当事者と親との間で、独特の苦悩があるのです。話を聞いていて、そうだろうなあと思いました。
 それなのに、家族会の連合会のようなところから、傷のなめあいじゃないか、とか、いいきょうだいになるために努力しろなどと、批判されるそうです。当事者や親と同居しているきょうだい。離れてくらしているきょうだい。きょうだい同士でもそれぞれに違った悩みや苦労があると言います。このようなことは、想像はできても、実際に生々しく体験を語って頂けると、胸にせまってくるものがあります。
 インフルエンザ脳症の会の話も興味深いものでした。この病気で子どもを亡くした人が会をつくり10年ほど活動を続けています。ここでも問題が起こります。病気はインフルエンザ脳症という同じ病気だからと会をつくった時、その病気では共通していますが、その結果子どもを亡くした人と、重い後遺症が残る子どもに分かれます。初めのころは、共通の病気だからと、わかり合える部分があつたのに、会を重ねるごとにかわつてきます。子どもを亡くした、これまでの生活を亡くした、いろんなものを喪失したということでは共通すると考えて会を始めた人は、それは思い込みだあったと気づいていくのです。このように話しました。
 全員が共通の体験をもつていると思っていた思い込み
 全員が共通の体験をしていくものと思っていた思い込み
 私の汚い字でメモをしたので、ただしいかどうかは自信がないのですが、このようなものであったと思います。
 同じ票気の体験でも、子どもを亡くした親と、子どもは亡くならずに、後遺症が残った親とは全然ちがうのです。そこで、とても一緒には活動はできないと、別々の道を歩み始めたといいます。その中で、それぞれの親の求めるものが違ってきます。お話を聞けば、それはそうだととても納得するのですが、これもやはり、生々しい本人の体験をきくことで、胸に迫ってきます。
 「子どもを亡くした」と言うことはある意味でひとつの決着がついています。その悲しみ、苦しみとどう向き合い、残された家族がどう生きるかに、ひとつの方向が定まります。ところが、重い後遺症が残った場合は、中途障害児の療育をどうするか、さまざまな困難が待ち構え、得たい情報が、亡くした親とは違ってきます。活動が分かれた会が、亡くした親の会の活動は続いていくが、後遺症の会は活動が継続していかないといいます。その中で、今後この会をどうしていくか、模索中だと話されました。大変に難しい課題の中で、頑張っている会のリーダーに共感し、心からの声援を送りたいと思いました。
 4つの発表の後、参加した他のセルフヘルプグループの紹介、クリアリングハウス(セルフヘルプグループ支援センター)の紹介の後、立食の懇親会でした。さきほどの精神障害者きょうだいの会の人、インフルエンザ脳症の会の人と、個人的にお話ができたのはうれしいことでした。
 やはり、このような、セルフヘルプグループ間の交流は必要だと思いました。
 本当はもつともっと詳しく書きたいこともあったのでずか、それを書き始めるとまたまた、ブログの更新が滞ってしまいますので、3回にわたった、セミナーの報告はこれで完結とします。またかきたくなったら書きたいと思います。
              2009年2月23日   伊藤伸二





  

20回 セルフヘルプグループセミナー 2

           世界の吃る人のグループとの違い

 セミナーが開かれる前に、セルフヘルプグループを支援する、支援センターの関係者だけの集まりがありました。栃木、埼玉、宮崎そして大阪です。ここには参加されませんでしたが、沖縄からもセミナーには参加されました。遠くから、セルフヘルプグループに関心をもつ仲間が集まることは、ありがたくうれしいことでした。
 一人一人が自己紹介を兼ねて現状の報告をしたのでずか、私は最近はあまり大阪セルフヘルプ支援センターの活動にはかかわっていないので、報告がありません。そこで、自分のセルフヘルプグループ以外に、このようなセルフヘルプグループの活動を支援する活動にかかわってよかったことを少し話しました。前回書いたような、本の出版やテレビ出演できたことを話しましたが、もうひとつこんなことも話しました。
 今私は国際吃音連盟の顧問理事をしています。1986年私が大会会長にとして、第一回の世界大会を京都で開催し、それから3年ごとに開催されているものです。長年役員をしていますが、セルフヘルプグループについての考え方の違いに驚きます。簡単に言ってしまうと、世界のグループは、依然として「治療」にこだわっています。そのような派があるかどうかは分かりませんが、「治療派」がほとんどです。セルフヘルプグループの本来の役割は、治らないもの、治せないもの、なかなか癒されない問題について、それに向き合い、それとつきあうために、経験や智恵を分かち合うものたど考えてきました。だから私は、1973年ごろから、「治す努力否定」の問題提起をしつづけてきたのでした。その私の考えは、大阪セルフヘルプ支援センターの月例会や合宿、セミナーで確認し、確信をもつようになりました。
 支援センターに集まるグループは、アルコール依存症や統合失調症のグループなど、「治らない」人たちばかりでした。また、性虐待を受けた女性の心の深い傷は、決して治るというものではありません。治らないものにどう向き合うかというレベルの人たちと交流し、学んできた私にとって、世界の「治る・治すべきだ」との主張にはまったく同意ができないのです。100年以上吃音臨床が世界で続けられながら、これという治療法がなく、現実に治っていないことを考えれば、他のセルフヘルプグループと同じように、「治らないもの」と考える必要があるのです。世界のグループは、治らない現実の中では「吃音受容」ということはいいます。また、社会は吃音を認め、吃る人を理解し受け入れるべきだといいます。そういう当事者が自分の吃音を否定し、「治したい」というのは矛盾しています。自分自身が吃音をあってはならないものとして、否定しているのです。治療を求めることは、自らの吃音を否定していることになることに気づかないのです。
 多分、吃る人の世界のセルフヘルプグループのほとんどは、他の違う障害や病気、困難な問題を抱える人々、セルフヘルプグループとのつきあいがないのだろうと思います。その点私たちは、大阪セルフヘルプグ支援センターの活動を続けていることで、治そうとすることが、吃音を自分を否定していることになることに気づいています。これは本当にありがたいことです。
 今回のセミナーにも、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトの仲間が15名ほど参加しました。
 吃音という、自分の問題以外の問題に関心をもち、学ぶことによって、自分自身の問題もみえてくるのだと思います。
                 2009年2月20日

20回セルフヘルプグループセミナー 1

大阪セルフヘルプ支援センターの私のかかわり

2009年2月7日、私がずっと関わっている大阪セルフヘルプ支援センターの主催する、20回目のセミナーがありました。私はこのセミナーには第一回から参加しています。このセミナーの様子は次回お知らせしますが、まず私のセカターとの関係について書いておきます。
 九州大学の高松里さんが、こんなセミナーがあるよと知らせて下さり、高松さんと一緒に参加しました。それが第一回のセミナーてじた。様々なグループ、セルフヘルプグループを研究する人たち、専門職、立場の違う人たちが、セルフヘルプグループという共通の関心、課題で集まる、一つのセルフヘルプグループでもあったわけです。セルフヘルプグループに関心を寄せる人たちがこんなにもいるのかと、その時のうれしさ喜びをよく覚えています。
 たくさんのグループが参加し、それぞれのグループのかかえる課題を参加者で話し合う。セルフヘルプグループの意義を確認し合う。グループのリーダーであるが故の悩みを率直に出し合う。私がずっとそんなセルフヘルプグループの支援センターのようなものがあればいいなあと思っていました。そのときの私の発言は今でも覚えています。
 「セルフヘルプグループのリーダーは孤独です。仲間はもちろんいてその意味では孤独ではないのですが、リーダー特有の孤独があります。反対があっても何かの決断をしなければならない時がある。誰もこなくても会場に行くときがある。たくさんの仕事に押しつぶされそうな時がある。誰もいなくても自分だけはしなければならない時がある。リーダーであっても、つらいとき苦しいときでも、メンバーに愚痴をいえない時がある。個人のことや、グループでの運営上の悩みを出し合い、智恵や工夫を共有できる、リーダーのためのセルフヘルプグループが必要だと、ずっと考えてきました。だから、この大阪セルフヘルプ支援センターの活動は今後とても重要になると思います」
 正確に覚えているわけではありませんが、こんなことを発言したのだろうと思います。その場で今後一緒に活動をしたいと表明しました。それから10年ほどは私は大阪セルフヘルプ支援センターでかなり積極的に活動をしました。私自身が所属する吃る人のセルフヘルプグループはもちろん楽しいですが、この支援センターの活動もとても楽しいものでした。吃る人のグループは当然吃る人が中心です。しかし、支援センターには様々なグループのリーダーが参加します。セルフヘルプグループを研究する学舎、精神科医やソーシャルワーカーなどの専門職者。毎月一度の月例会がとても楽しみでした。吃る人のセルフヘルプグループを作ったとき、毎週の例会が待ち遠しくて、恋人に会いに行くような感覚でしたが、再び私はその感覚を味わうことができたのです。
 同じような悩みや困難の体験をしているわけではないのに、こんなに楽しいのはなぜか。セルフヘルプグループが大好きで、セルフヘルプグループをもっと社会に広げたいと考える人たち人たちの真剣さと人間としての温かさでした。この人たちと一緒に活動したいと思ったのです。月例会、電話当番と可能な限り活動をしました。
 阪神淡路大震災の時、被災地にセルフヘルプグループをつくりたいと、現地に行ったときのことは、強い記憶として残っています。信貴山で合宿し、明け方近くまで話し込み、「信貴山宣言」なるものも作りました。毎月の月例会には毎回15名ほどが参加して、とても活発でした。私が担当した電話当番の時には、5件ほどの相談がありました。
 その中で、少しずつセルフヘルプグループのことに社会が関心を持ち始めました。
大阪セルフヘルプ支援センターの活動に注目し、1995年、NHKが「週刊ボランティア」という番組で取り上げてくれることになりました。たくさんのグループが活動をしていたのに、私のグループに焦点があてられ、大阪吃音教室や、大阪の東野晃之会長の自宅までカメラが入りました。スタジオには、現在支援センター代表の松田博幸・大阪府立大学准教授と難病の筋無力症友の会の浅野さんと私の3人が出演しました。当時のビデオを学生の講義の度にみせていますので、懐かしく毎回みています。
 2000年、NHKの「にんげんゆうゆう」に出演できたのも、この支援センターの活動のおかげでした。朝日新聞厚生文化事業団がセルフヘルプグループについて冊子を作りたいと企画がもちあがり、それを編集したのが私でした。12人の人が自分のセルフヘルプグループについて、社会学者、臨床心理学者からみたセルフヘルプグループについて描いて下さり、セルフヘルプグループの本は多くある中で、いまでも、私は、この冊子が一番セルフヘルプグループについて理解する上で素晴らしいものなっていると思っています。それは当事者の、専門家のセルフヘルプグループへの深い愛情が色濃く出ているさっしだからです。私としてはとても苦戦した、大変な作業の編集でした。この冊子をNHKのディレクターに読んでもらったところ、すぐに4回シリーズの「仲間がいるから乗り切れる」という番組に結びつきました。
 2000年死別の会、薬物依存、パニックディスオーダ、吃音と4つのグループがえらばれました。とてもいい番組でした。スタジオには私と、上智大学の岡知史さんと出演しました。この番組は、吃音とは何かを知る上で貴重なものになっています。
 その後、解放出版社から一問一答形式のセルフヘルプグループの本を出版する話になり、この本も、仏教大学の中田智恵海さんと編著で出しました。
 ・NHK「週刊ボランティア」への出演
 ・NHK「にんげんゆうゆう」への出演
 ・出版 「セルフヘルプグループ」朝日新聞厚生文化事業団 500円
  「セルフヘルプグループ一問一答」解放出版社 1060円
 このようにセルフヘルプグループについての活動ができたのも、大阪セルフヘルプ支援センターで活動ができたおかげです。私にとって、とても大切な活動なのですが、年々忙しくなり、週末はほとんどスケジュールがつまるようになり、土曜日の月例会はまったく行けなくなり、電話当番もできなくなりました。
 そのような状態の中でもずっと活動を続けて下さったのが、大阪府立大学の松田博幸さんと、大阪商業大学の豊山宗洋さんです。このふたりのおかげで、支援センターの旗がずっと立っているのです。この二人には感謝の気持ちがいっぱいです。そして、20回のセミナーがひらかれたのです。その時の様子は次回報告します。
 そうそう、もうひとつありました。当時のメンバーだった読売新聞の森川明義記者が。私のはんせいのようなものを記事として7回シリーズで掲載してくれました。とても大きな記事で、全国から反響がありました。その記事は日本吃音臨床研究会のホームページにありますので、是非お読み下さい。これも大阪セルフヘルプ支援センターで活動していたおかげです。
 「セルフヘルプグループ」朝日新聞厚生文化事業団 500円
この冊子はセルフヘルプグループを知る上で最適の本だと私は考えていますが、在庫が私のところにあります。必要でしたら、500円分の切手を同封してお申し込み下さい。送料は私負担でお送りします。
 572−0850 寝屋川市打上高塚町1−2−1526
                                  伊藤伸二





論理療法はおもしろい  A 確定の重要さ

2009年2月5日

2009年1月29日 大阪吃音教室・論理療法実践   
                             伊藤伸二
        

 論理療法は本当におもしろい。大阪吃音教室では何度も何度も取り組んでいるにもかかわらず、いつも新鮮です。今回は久しぶりに参加した女性の今困っている、悩んでいることを論理療法で考えたので、よけいにみんなが真剣に考えました。
 悩みはこうです。

 「最近電話が以前より苦手になってきた、吃ってうまく話せない。職場の人はその電話を聞いている。上司が彼女の電話での話し方をきいて、声は小さいし、相手にうまく伝わっていない、もっとちゃんとした電話ができないとだめだと叱った。最近電話が怖くなっている。電話が吃らずにできるようになりたい」

 この問題を論理療法でどう考えるか。アルバート・エリス提唱する論理療法はABC理論をもっている。
 A できごと B 考え方、受け取り方、信念 C 結果、悩み、行動の決定
 AがCの悩みを生み出すのではなく、その出来事をどう受け止めるかだとエリスは言います。その日野吃音教室の進行役、担当者は、参加者にうまくそのことを説明する事例はないかと尋ねたところ、ひとりの教師がこんな例を出しました
 「教師としての私が一所懸命話しているのに、ある生徒がよくあくびをする。そのあくびがとても腹が立った。そのとき、私は、生徒はどんな時でも教師の話をちゃんと聞くべきだ。あくびをするなんて、教師をばかにしていると考えていた。だからすごく腹がたった。ところが、あくびというのは、生理現象で、聞いていないとか、教師をばかにしているという問題ではないと知ってから、いくらあくびを生徒がしても、何とも思わなくなった」
 とても分かりやすい話でした。そこで電話の話を論理療法でどう考えるかをみんなで考えました。こんな手順です。
 
 AとC共通認識、確定。
 まず、A できごとを彼女の話をもとに参加者で確認する必要があります。ます、進行者が、「電話で吃るために、声も小さくなり、うまく電話応対ができなかった」をAとしました。そして、結果として落ち込んだと整理しました。
 このようにAをしがちでずか、これでは、論理療法のB(非論理的思考)を考える時、浅いものになってしまいます。こうすると、非論理思考としては、「電話がうまくできなかったとして、そんなに落ち込むことはない」。「電話は私の仕事のすべてではなく、ごく一部分だから、それができなかったとして私の全てが否定されたわけではない」の程度しか出てこないのです。論理療法は、考え方の遊びではありません。自分を合理化して気持ちを楽にする方法でもありません。行動を変えることが目的です。その行動を縛っている、行動を制限している非論理的思考に気づき、その非論理的思考を柔らかくして、これまでと違う行動をとる、具体策を考えることが眼目です。そのためには、Aの確定が意味をもつのです。そして、当然、問題を出してくれた彼女の気持ちを確認しつつ、Cの確定もとても大事です。
 そこで、みんなで論議しながら、AとCをこのように確定しました。この論議も論理療法の大切なプロセスです。Aは客観的な事実ですが、Cは本人の素直な感情です。本人に確かめながら、AとCを確定しました。

 A 「電話で吃るために声が小さくなるなど、電話応対が上手くできずに上司にとがめられた」。
 C 悔しい、情けない

 ここで、参加者ひとりひとりが、思い浮かんだ非論理的思考を言っていきます。このとき彼女には、みんな気楽にいうことだから、的はずれも、勘違いもあり、気分が悪いことも言うかもしれませんが、遊び感覚で聞いていて下さいと言っておく必要があります。
 ひとりひとりが実に的確な非論理的思考を出していきます。長年論理療法に取り組んできた、大阪吃音教室の成果だと思いました。録音していないし、記憶力もおちているので、まちがっているかもしれませんがこんなのが会ったように思います。

 「上司にとがめられるなんて最悪だ」
 「吃音でなければ、こんなことでしかられずにすんだのに」
 「上司の評価は、その人を正しく規定する」
 「上司に嫌われたに違いない」
 「上司から変な人間だとみられているに違いない」
 「上司から、能力のない人間だとみられているはずだ」
 「上司はもっと優しく私に接するべきだ」
 「上司は私のことを全く理解していない」
 「私は、わざと吃るわけではないのだから、とがめるべきではない」 

 まだまだたくさんあったのですが、それとなく覚えているのはこのようなことだったと思います。このようにBが出てくると、ここで、A出来事の背景を探る必要があります。ります。上司や周りの人が彼女の吃音について知っているのかの問題です。
 彼女は職場では吃ることを話していません。雑談ではよく話すのに、電話となるとしどろもどろになってしまうので、雑談の時元気なのはへんだからと、雑談も気持ちよくできなくなっていると言うのです。Aの出来事とCの結果のためにあらたなCが生まれてきていることになります。
 ここで、なかなか本人には気づけない非論理的思考を指摘しました。

 「上司は、どんな時でも部下にやさしく、あたたかく接しなければならない」
 「私は、常に大事にされ、気持ちよく仕事ができるように周りはしなければならない」 「私が、周りから不当な評価をされるのは耐えられない」
 「私が快適に仕事ができるように、周りは最大の努力をすべきだ」

 このように指摘をしますと、彼女はそんなことを考えたことはないと、否定しました。そこで、じっくりと考えてもらうと、「自分ではまったく意識はしていんかったげれと、言われてみれば確かにそうだと気づいてくれました。
 これが、非論理的思考のひとつ「不当な相手への要求」になります。「過度の一般化」、「絶対論的思考」、「過剰な反応」はきづきやすいのでずか、相手への不当な要求」はとても気づきにくいのです。このことに同意したのは「彼女の考える力」です。こうなると、また一歩進めます。

 「変な人間だと思われるよりも、吃音が知られるのが何よりも恐ろしいことだ」
 「吃音がばれるより、変な人と思われた方がました」
 「本当のことを言わなくても、上司は私のことを理解すべきだ」

 このように進んできますと、Aの景色が変わってきます。
 吃音を隠して、吃らないようにしているから、声が小さくなり、ごまかすために、とんちんかん応対になってしまうのは、ある意味当然のことなのです。上司は吃音について、彼女が隠しているから、知らないのは当然で、理解しないのはあたりまえのことだとということになります。ここで、彼女が吃音を隠し続けている限り、上司にとがめられたり、理解されないのはごく自然なことだということになります。
 ここで、論理療法の眼目である行動への挑戦です。

 上司に、吃るからあのような応対になったことを話し、声は大きくして、できるだけの努力をするということでしょう。つまり、Bの考え方を変えることも大事だけれど、Aの出来事そのものを変えていく工夫と努力が必要になるのです。
 このように彼女に提案しましたが、「吃音の公表は怖い」といいます。ここでまた、時間があれば、その公表を阻害する、規制する、非論理的思考に取り組むことになるのですが、これで吃音教室は時間切れでした。しかし、せっかく問題を出して下さった彼女にはおみやげが必要です。吃音を公表した体験について、「吃音を公表をしたとして、周りの評価はまったく変わらなかった」「わざわざ公表しなくても、吃ってしゃべっているから公表と同じだ」「私はかなり吃るので隠しようがない」など。ひとりひとりが発言をしていきました。論理療法をグループですることの大きなメリットがここにあります。
 今回で2回目の参加となる電話オペレータの仕事を、吃音から逃げるのが嫌になって、わざわざその仕事を選んだ人が、まとめのような発言をしました。

 「電話オペレーターの仕事を始めたころは、自分の名前がいえていたのが、最近名前が言えなくなった。そこで、せっぱ詰まって吃音のことを上司に相談した。そこで、仕事の時だけ、本名ではなく、言いやすい名前に変えてもらった。それで仕事が
楽になった」

 誰にでもできることではないかもしれないけれど、見事な「吃音サバイバル」です。彼の話が、彼女の後押しになったかどうかは分かりませんが、彼女は最後に、「とても気持ちが楽になりました」と言ってくれました。彼女が今後どのような行動を選択するかは、彼女に委ねられています。
 記憶力の落ちている私の、それも一週間も経過してでの報告なので、勘違いや間違いはお許し下さい。でも大筋においては間違いないと思っています。
 吃音にとって、論理療法は最大の武器です。興味を持たれた方は、是非私の著書をお読み下さい。

 『やわらかに生きる 論理療法と吃音に学ぶ』(金子書房) 1890円
   石隈利紀(筑波大学教授)・伊藤伸二共著 

 アマゾンなどのインターネットショップや大きな書店で買えますが、私たちにご注文いただければ、たくさんの資料とともに、1890円で、送料負担でお送りします。
 通信欄に書名を書いて、郵便振替でご注文下さい。
 口座番号 00970−1−314142  加入者名 日本吃音臨床研究会

        
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