伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2008年07月

 『どもる君へ いま伝えたいこと』 まえがき


       どもる君へ、今、伝えたいこと
           はじめに

 この本を手にとってくれた君、ありがとう。
 君がこの本を手にとって読み始めてくれたことが、ぼくはとてもうれしい。ぼくはこれまで10冊のどもりに関する本を書いているけれど、この本を書いているうちに、これが、ぼくが一番書きたかった本なんだと気がついたからだ。
  どもりは、「そんなことぐらい気にしないで」と周りから言われるほど単純で軽いことじゃない。
 どもりは、とても人間らしい悩みで、古くは紀元前のギリシャの時代から、どもる人の悩みは記録として残っている。また何人もの小説家が自分のどもりについて書いている。
 大昔からたくさんの人がどもりに悩み、どもりを治そうと、努力してきたことも伝わっている。どもりを研究する学問も、100年近い歴史があり、どもりを軽くしたり治そうと指導する臨床家といわれる人が世界中にたくさんいる。
 君がどもることで困り、悩むのは当たり前のことなんだ。ぼくなんか21歳まですごく悩んでいたし、世界的に活躍した有名な人で、30歳や50歳まで悩んでいた人がいる。君がひとりで考えるほど簡単なことではない。
 ぼくは深刻に悩んでいたとき、真剣にどもりに向き合ってこなかった。21歳の夏に、初めて同じようにどもる人と出会ってから、勉強し始めた。それから40年以上、どもりに取り組み、どもりについて考え続けてきた。
 どもる人の会や研究会をつくり、世界大会を初めて京都で開き、国際組織を作った。また、子どものための吃音親子サマーキャンプは今年で19年になる。世界のたくさんの人の体験が集まったことで、どもりとどのようにつきあえばいいか、ぼくなりに整理ができた。
 だから今、ぼくが40年以上考え、実際に行動して、失敗したこと、とてもよかったことを、君のようにどもることで困ったり、悩んでいる人に伝えたかったんだ。
 ぼくは今、たくさんの友達がいて、自分の好きな仕事をし、充実した楽しい人生を送っている。今からみると、なぜあんなに悩んだのだろうと不思議なくらいだ。だけど、あんなに悩んだから今のぼくがある。悩んだことに意味があったんだ。
 自分の人生は良かったと思えた瞬間に、過去の苦しかったことは、オセロゲームの黒がばたばたと白に変わるように、大切な意味のある経験に変わる。
 ぼくが幸せに生きられるようになったのは、偶然の人との出会い、本やできごととの出会いのおかげだ。あのとき、あの出会いがなかったら、ぼくはまだ悩んでいたかもしれない。
 人や本やできごととの出会いはとても大きな意味をもつ。だから今、君と出会えたことが、とてもうれしい。
 誰も君の人生を代わりに生きてあげられない。君がどんなにつらくても、悩みの中から自分の力で自分の人生を見い出していくしかない。君とぼくとは違うけれど、ぼくの経験を伝えることで、少し、君の役に立てそうな気がする。
 子どもの頃に、どもりの正しい知識や考え方を教えてくれる人がいたら、違う学童期、思春期を送れただろうと思う。
 悩み方に上手下手と言うのは変だけれど、ぼくは逃げてばかりいたから、損な悩み方をしてきたと思う。人間は悩みながら生きていく。悩んでもいいけれど、悩みが君にとって意味のあるものになるために、君とどもりについて一緒に考えたい。
 ちょっと違った見方が君に広がればいいなあと思う。
 たくさん失敗してきた先輩として、「こんなことには気をつけてね」と書きたかった。少しでも参考になればうれしい。
 君にとって、内容が少し難しいところがあるかもしれない。その時は、家族や先生に手伝ってもらって読み進めてほしい。この本がきっかけで、君が周りの人にどもりについて話し、一緒に考えるきっかけになればいいね。
 質問は、吃音親子サマーキャンプや電話相談でよく受けることだ。そのほか、ぼくの仲間の小学校のことばの教室の先生が教室で子どもから受ける質問を出してくれた。
 君が質問したかったことがあればいいけどね。読んで疑問が出てきたり、違う質問があれば、メールでも手紙でも電話でもファックスでもいいから質問してほしい。
 この本の後ろに、ぼくの住所や電話番号、メールアドレスを書いておくから、困ったときはいつでも連絡してほしい。
 ちょっと先を歩いてきたどもる人間として、一緒に考えたい。ぼくはいつも君の味方だから。決してひとりで悩まないでね。
                                 伊藤伸二

 「どもる君へ いま伝えたいこと」 出版記念会

2008年7月26日

  『どもる君へ いま伝えたいこと』出版記念会


 アメリカの言語病理学を中心に、世界の吃音臨床は「どもりを治す、改善する」に依然としてこだわっています。それに対して、「どもりが治る・治すとは何か?」「どもりを改善することに中心をおいた子どもの支援で、本当に子どもは幸せに生きられるのか?」と疑問をもつ臨床家もいます。
 ことばの教室を長年経験している人たちと、「治すことにこだわらない、どもる子どもの支援プロジェクト」をつくり、どもる子どもの支援のあり方を探っています。3冊の本の出版計画していますが、これが第一弾です。
 この仲間が質問を出し、私が書いたものを東京で13人が集まって合宿して検討しました。「私の担当している子はね」と、どもる子ども、どもりのことを話し合うのが大好きな人たちとした、明け方までの話し合いは、幸せな楽しい時間でした。1か月後、書き直したものを、合宿でまた話し合い、また書き直した。その後何度も何度も書き直し、やっと出版社に最終原稿を渡したのは5月1日でした。そして、7月25日、できたての本が送られてきました。
 このプロジェクトのメンバーと大阪スタタリングプロジェクトの役員の有志があつまりました。島根県から3人、栃木県、神奈川県、東京都、愛知県からと遠方からこの本の作成に関わった人たちが集まりました。海外部長の進士和恵さん親子や神戸スタタリングプロジェントの人たち19人が参加しました。
 参加者はくじ引きで座席がきめられ、その番号と同じ本の質問番号を各自が読み、順番に感想を言うという形をとりました。会が始まって15分、食事を目の前におきながら、全員が静かに自分に当たった章をじっくりと読む姿は不思議な感じでした。
 ひとりひとりのコメントは、自分の人生や吃音観と絡み合い、長く話す人もいましたが、もっと聞きたい内容ばかりでした。6時30分から始まっているのに、10時を少し過ぎてしまい、会場を貸してくれている人に申し訳ない思いでしたが、途中で切ることはできませんでした。いい仲間と、とてもとても幸せないい時間がもてました。
 この本をできるだけ多くの人に読んでもらいたいみんなの一致した気持ちでした。
 その時の発言をまとめて、日本吃音臨床研究会の月刊紙「スタタリングナウ」で紹介する予定です。本の詳細にはついては、日本吃音臨床研究会のホームページをご覧下さい。

会話も落語も「間」が命

2008年7月21日


 落語も会話も間が命
    立川志の輔・落語で考えたこと

 笑い芸人、松元ヒロさんの紹介で、立川志の輔さんの落語が大阪に来るときは必ず聞きに行くほど好きになりました。今回の東京での落語会は、松元ヒロさんがゲストで出演するので、久しぶりにヒロさんに合いたくて、東京に行くことにしました。
 前売り券が発売と同時に、ローソンで申し込んだのですが、すぐに完売で買うことが出来ませんでした。そこで厚かましくもヒロさんに電話をして、なんとか券をとってもらいました。
 今回の演題は、壺算の英語バージョンの苦労話と死に神。
 NHK「ためしてガッテン」の時の志の輔さんとは別人のような端正な落語です。いつもは、ひとつの大きな落語と、ちょっと軽めのトークなのですが、今回は、壺算の英語バージョンの苦労話だったために、二つの落語を聞くことができて、得をしたような気分になりました。軽めのトークもとてもおもしろいのですが、壺算はやはりおもしろい。
 ふたつとも何度も聞いている落語ですが、志の輔さんの落語は、うーん、なんと言っていいのか大好きです。その時に感じたことをふたつ書きます。

 落語は間が命
 前座として、6番目の弟子が「子ほめ」をしました。声も大きく若々しくていいのですが、やはり弟子と師匠のあまりの大きな違いに、驚きました。すごい差です。当たり前と言えば当たり前のことですが、積み重ねる芸の重みは比べるのは酷でしょうが、もう少しなんとかならないのかと思いました。それは、「間」です。
 間が活かされていないのです。落語はふたりのやりとりと、場面の説明で展開していきます。二人のやりとりに適当な間がないと、場面の説明なのか、やりとりなのかが、分からないのです。志の輔さんの場合は、分からないということは全くありません。実に間がいいので、ふたりのやりとりが生き生きします。
 6番目の弟子は、それがぜんぜんだめなのです。何回も師匠の前で練習をしているだろうに、志の輔さんはそれを指摘しないのだろうかと、不思議に思いました。全く何も知らない素人の私でも、間が悪いと指摘し、やり直しをさせるだろうと思いました。そでで聞いているだろう志の輔さんに叱られているかもしれませんが。
 それと、声は大きくて張りがあるのですが、一音一拍の基本と、母音が押されていないのです。
 竹内敏晴さんに、「はらんばか」というお芝居のとき、徹底的に指摘されたことでもあります。あれでは表現がいきないのです。6番目の弟子の名前は忘れましたが、6番目は覚えていますので、かれが今後どう成長するか楽しみたいと思います。
吃る私たちは、間をもっと大切に考え、間を活かした話し方も身につけたいと思います。単に「ゆっくり話す」ではなく、吃るからこそ開いてしまう、間を活かすことはてせきないでしょうか。できるようなきがしますが、どうでしょうか。


 日本と英語圏の文化のちがい
 立川志の輔さんは、英語で落語もしています。その演題に「つぼ算」を選んだのは、話の展開が外国の人にもわかるだろうとかんがえたからです。しかし、「つぼ算」の落ちの部分が、翻訳をしてくれる人が、外国の人には絶対にわからないと言うのです。そこで、
苦労をして日本語を書き直したという話で、その文化の違いと、英語の落語、そして大阪生まれの落語を東京でする苦労話など、思い当たることがありました。
 国際吃音連盟で今、大きな議論がされています。それはまた、書きますが、私の意見を翻訳して下さるのが進士和恵さんです。いつも私が書いた文章を、これでは外国の人には全く通じないと、外国に通じる英文にして下さいます。
 1986年から、私たちの活動に深くかかわり、通訳・翻訳のプロとして、文化の違いを痛いように知っている人だから、どのような表現が、通じて、この表現では通じないということがよく分かるのです。
 落語でもそうなのだから、思想や哲学に通じる私たちの国際的な議論は、日本語をただ英語にかえるだけでは全くつうじないのだということを、志の輔さんの英語の落語と、日本語の落語を聞かせてもらい、よく分かりました。相手の文化の中で理解されないと、何にもならないのです。
進士和恵さんにあらためて感謝の気持ちがひろがりました。
 長く落語を説明する余裕がありませんので、読者の皆様には分かりにくいはなしてせすが、文化の違いを超えて理解し合うことの難しさと、大切さを言いたかったのです。

ソーシャルワーク演習 修了

2008年7月15日


 ソーシャルワーク演習無事に終わりました。毎週90分ほどの時間をかけての出講は大変でしたが、近片道2時間30分かけてきている学生がいました。その学生とたまたまバスで隣の席だったので、はなしたのですが、この時間をとても楽しみにしていてくれたようです。90分は少ない方だそうです。
 近くに行きたいレストランがあり、毎週そこで食事をするために、従業員の何人かは顔を覚えてくれました。毎週来ていたのがピタリと来なくなるのですから、不思議におもっているかもしれません。

 最終回は、少しのまとめと振り返りです。対人援助の専門職者にとって大切なこととして、私があげていめのが次の3つです。
 
人間としての対等性
 否定から肯定へ
 社会適応から、オリジナルな人生の意味

 これらについて、事例検討や、様々なエビソードを交えて話してきました。演習をしてきました。毎回資料をつくり自分なりに一所懸命取り組みました。最初のころ・田の教官とまったく違う演習に疑問と要望をふりかえりに書いた学生がいました。
 他の演習では福祉現場の事例の検討が多いようです。それとはまったく異なり、専門職者として自分自身にどう気づき、他者をどう理解するか。自分自身の対人関係能力の向上にほとんどの時間を使いました。この学生も結局は最後まで受講を続けました。この学生は、洋食屋に来て、「うどんを食べさせろ」と言うようなものだと言うことにきづいてくれたのでしょう。そのことについて話し合い、私のこの演習の意図を話した後は、熱心に受講してくれました。
 他の学生は私の書いたレジメの授業内容に興味があったから私の演習を受講したのですから。たの学生はとても興味をもって聞いてくれました。
 最終日のふりかえりは、私にとってはとても幸せな時間です。私の伝えたかったことがどのうに伝わっているか、確認ができるからです。ひとりひとりが、、この講義で一番印象に残っていること、考えたこと、感じたことなどを発言していきます。それについて、少し補足やコメントをするこの時間とてもすきなのです。


 学生たちはこんなふりかえりを書いていました。

 「この授業では毎日何回も発言する機会があり、常に自身の意見(心の声)に耳をかたむけ、そしてそれを言語化する訓練が出来たと思う」
 「大学に入ってから、授業で発言する、自分の意見を発表する、他人の意見を聞くことをしてきませんでした。この授業ではこれらを経験し、ホント嬉しかったです。毎回、大した意見を言ったわけではないのに、満足感や達成感を味わいました」
 「この演習を終えて、この講義はソーシャルワーク演習というよりも、「人間力の向上」のための時間だったという印象が強い。仕事は福祉ではなく、接客の仕事に就くが、傾聴。アサーションはとても役にたつと思う」
 
 この他、自己開示、論理療法、エリクソンのライフサイクル論、障害を生きる、
セルフヘルプグループ、アサーションなどについての記述が多かった。

 学生も満足をしてくれたようだけれど、私にとってもうれしい時間でした。
                         伊藤伸二















伊藤伸二・東京吃音ワークショツプ

2008年7月12日13日

 「ありがとうございます」が言えない

 第6回目になる今年のワークシヨップ。遠くは沖縄からの参加がありました。関東地方の人が中心ですが、大阪からも参加。今年は新しい人が4人。複数回参加する人と、新しく参加する人のバランスのいいのがこのワークシヨップの特徴です。
 いつものことなのですが、今吃音に関して知りたいこと、自分の解決したい問題について出していただき、みんなで考え合うというのが一つの基本スタイルです。
 その中のひとつ。コンビニを経営している人が、「ありがとうございました。またお越し下さい」が吃っていえない。どうしたらいいかというものです。
 接客用語や、職場での挨拶「おはようございます」「お先に失礼します」などで吃るために困っている人はとても多いようです。これらがいつでも、スラスラといえたら、その人は「どもり」ではありませんね。
 どもり・吃音とは、このような誰でもが、何の苦労もなくできていることができないのことなのです。私もねカレー専門店を経営していた時、「ありがとうございました」がいえませんでした。「おおきに」と関西弁で言ったり工夫をしました。

 伊藤伸二が提唱する「吃音サバイバル」とは、どんな手を使っても「生き延びる」ということですが、そのためには何が必要でしょうか。
 「吃音は治る・改善できる」ということをまず諦めることです。その上で何ができるか考える。できるだけ「ありがとうございます」が言えないときの選択肢をもつことです。この人の場合、経営者として、他の人の模範を示さなければならないのに、接客用語の基本ができないことに困っています。模範を示すには他のことでもできます。正直に自分が吃音であることを全従業員に話すことがまず必要です。そうしないと。えらそうなことを言っている店長ができないじゃないかとなってしまいます。
 できないことはできないのです。「ありがとうが言えない」どうしたらいいか、従業員と相談すればいいのです。
 おもしろいアイディアがでてくるかもしれません。できないことはできないと正直にいう店長を従業員は決してばかにすることはないでしょう。むしろ、親しみをもつこででしょう。

 クリアーに、明瞭に「ありがとうございます」をいわなければならないとの考え方を捨てることがまず大事です。どんなにクリアーに発音ができたとしても、感謝の気持ちがなければ伝わりません。マクドナルドやミスタードーナツなどで、多くの人が経験していることでしょう。ただ「音」を出しているだけです。マニアルにあるからではなく、本当に「ありがとうございました。またお越し下さい」の気持ちがあるのなら、どんな言い方でも伝わります。
 
 1 「あ」がでなければ、「・りがとうございます」「・・・とうございます」などと言っても、相手には感謝の気持ちがあれば伝わります。
 2 どうしてもいえないときは、プラカード」や「カード」に書いておき、それを見せてにっこり笑う。
 3 どうしてもでないときだけ「サンキューカード」をだす。不思議がられたら、吃るからいえないのだと話してもいいし、カードに書いておく。そのカードが10枚たまれば、景品をもらえる。そのようにすると、カードをもらった人はラッキーです。評判を呼んで集客につながるかもしれません。
 4 思い切り吃って「あああありがとうございます」と大きな声で言う。このコンビニの店長はすごく吃る人だと地域の人に知らせる。吃りながら、頑張っている姿を見せることは地域社会に何か新しい風がふくかもしれない。

 こんなことを話し合いました。
 「ありがとうございます」がいえない。だから私はダメな人間だではなく、ーありがとうがいえない、だから私は・・・・」はいくつもの選択肢があるのです。

 このようなことが実際にはできないと考えている人は、どもりは治る、改善できるという幻想をいつまでも持ち続けているからです。
 「どもりは治せない」と本当に諦めたら、何だって出来るのです。

 今回は、「どもりが治らない・改善できない」までも、力の入った押しつぶしたような声の出し方ではなく、少しでも楽に「声」がでるようにと少しだけレッスンをしました。日本語のレッスンについて話をし、歌を歌い、お芝居のセリフを読みました。
 
 初めて参加した人のひとりは、「伊藤伸二さんは、どもりは治らないと言っているのだから、言語訓練のようなことは、一切しないのだろうと思っていたので、びっくりした」と感想を言っていました。
 実は、大阪スタタリングプロジェクトや、吃音親子サマーキャンプなとで、私たちは、「どもりを治す」ためではなく、日本語を豊に話すための言語訓練はとても熱心にしているのです。よく誤解されるところです。
 
 次回のワークショップでは、ことばのレッスンを中心にしてもいいなあと思いました。      伊藤伸二
  


名古屋・言語聴覚士養成専門学校の講義

名古屋の言語聴覚士養成の専門学校の講義
6月26日、27日、28日
 伊藤伸二は名古屋の言語聴覚士の養成の専門学校で「吃音」の講義をしてきました。
 何年前から行き始めたのかは記憶がないのですが、10年は行っていると思います。  一年一年と学生の質が違い、とてもおもしろいです。
 5年ほど前でしたか、私の「どもりはどう治すかではなく、どう生きるかの問題で、吃音を治すことにこだわらない支援が必要だ」と講義をすると、医療現場の言語聴覚士としては納得できないようで、最後まで反発していた学生がひとりいました。最終日の最後の振り返りの時間に、みんながおもしろく楽しかったし、共感したしたという意見を言う中で、ひとりその人がまだ納得できないという顔をしていたので、よく覚えているのです。
 本音の所は分かりませんが、これまでたくさんの学生に出会っていますが、最後まで納得ができないという思いを持っていた人は、その人ひとりしか思い浮かびません。
 私の講義は一方通行ではなく、常に指名し、話し合うスタイルです。毎日、その日のふりかえりを書いてもらい、翌日そのふりかえりにコメントします。だから、その人がどう理解しているか、かなり分かるのです。
 これまでの経験ですと、講義が始まって、3時間ほどたつと、これはこれまで専門学校で受けてきた、評価方法や治療法を紹介すると他の講義とは違うという、とまどいの雰囲気がみられます。時間がたつにつれて興味をもって耳をかたむけてくれます。だいたい全講義の半分くらいすぎるころから、理解されていくようです。
 私は必ず最初に言うことばがあります。
 「私の考えはきわめて少数派の意見だ。日本の、世界の吃音臨床は、やはり吃音の症状の消失・改善に重きをおいている。これは私の意見なので、それをみなさんに押しつけるつもりはありません。こんな人間もいるんだと、こんな吃音臨床もあるのだと、あたまの片隅に置いてもらえればいい。選択肢がふえればいいなあと思っています」
最後の振り返りに、「なぜ、伊藤さんがいつまでも少数派でいるのか不思議だ」といってくれところをみると、間違いではなかつたと確信します。ひとりでも、治すことにこだわらない言語聴覚士が増えることをねがっているのです。
 今年は、例年になく反応が最初からよかった。さまざまなグループに分かれての実習の話し合いも積極的でした。毎回の振り返りや、途中で課題として出したレポートも読み応えのあるものでした。そして、最終日の最終セッションは、ひとりひとりが感想をいいます。私にとって、3日間の努力がむくわれる、うれしい時間です。
 幸せな気持ちになって、教室を去る時になって、学生が私にこれをどうぞと二つ折りの紙を手渡してくれました。それは、表紙に私のハンサムにしてくれての似顔絵を表紙に、クラス全員の私へのメッセージがかかれたものでした。思わず泣きそうになりました。拍手でおくられ、帰りの送迎の車のところにもみんなが集まって送ってくれました。
 毎回毎回発言を頻繁に求められ。毎回ふりかえりを書かされているのに、改めて私への寄せ書きを書いてくれていたのです。ちょっと自慢しているようで恥ずかしいのですが、こんなコメントが書かれていました。少しだけ紹介します。
 これは、私がということではなく、吃音を治すではなく、どう生きるかの提案は、弱さや、欠点といわれるものをもっている人だけではなく、全ての人の普遍的な人の生き方としての共感だろうと思います。何か問題があって、それを改善し。治すということならこんな共感は得られなかっただろうと思います。
 「こんなに感銘を受けた授業ははじめてです。出会えた幸運に感謝します」
 「この授業で学んだのは柔軟な考え方でした。吃音の情報が世の中にもと周知されるといいのにと思いました」
 「吃音についてだけでなく、人生について、これから臨床家として、患者様と関わる際にひつようにこと、重要なことを学びました」
 「素敵な話をたくさん聞けて、素直に感動しました。吃音親子サマーキャンプの子ども達の表情の変わり方がとても印象深く、私もお手伝いしたいと思いました」
その他、たくさんのコメント書かれていました。
 ずいぶん長く、かなりのところで講義をしていますが、このような寄せ書きをいただいたのは初めての経験です。おそらく最初で最後だと思いましたので、紹介しました。
 振り返りのなかには、このようなものもありました。
 「これまでの専門学校の授業の中で、臨床家になることに不安をいだいていたのですが、早く「どもる子どもに会いたい」と不思議な思いになりました」
 「衝撃的な3日間でした。吃音を治すことが、必ずしもその人の幸せにつながるわけではない。その人に合った、その人の幸せを幸せを共に探せるような援助で、その人が変われるというのは。とても素晴らしいことだと改めて実感しました。言語聴覚士として、その技法を習得することはもちろんですが、私も、伊藤伸二さんのように生涯学習として、人や自分が成長できるような、心理的アプローチを勉強していきたいと思います」

 吃音についての私の思想、理論、方法論を真剣に聞いて下さる人の存在はなんとありがたいことでしょう。例年以上に幸せな気持ちで、すでに始まっている吃音親子サマーキャンプのためのお芝居の練習をする、竹内敏晴さんのレッスン合宿会場へと向かったのでした。  伊藤伸二
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