どもる人が、体験としてよく書くものの一つに、どもる人との初めての出会いがあります。吃音の発生率が人口の1%だとすると、本当はこれまでに出会っているはずなのですが、「初めて、どもる人に出会った」という人は少なくありません。それは、どもる人が、どもりたくないために、あまりどもらないようにしているからです。
 吃音に対するネガティヴな物語、言説が「吃音と共に豊かに生きる」ことを著しく阻害しています。一度もってしまった物語を、ナラティヴ・アプローチでは、「ドミナント・ストーリー(思い込みの物語)」と呼びます。このドミナント・ストーリーが吃音に悩む人の精神的な苦痛の源泉となっている支配的なナラティブです。
 この、悩みの源泉となっているドミナント・ストーリーを発見し、それを、「オルタナティブ・ストーリー(代替の物語)」に変えることは、とても一人の力ではできにくいようです。実際に僕も、小学2年生の秋からもった、ドミナント・ストーリーを発見し、変えていくことができたのは、初めて同じようにどもる多くの人に出会ってからでした。
 21歳まで持ち続けたこのストーリーを変えることができるほどに、「同じような体験をした人との出会い」は大きな意味をもつのです。
 吃音相談会や吃音ワークショップや吃音親子サマーキャンプなどでの「吃音と共に豊かに生きている人」との出会いが、「オルタナティブ・ストーリー」に変えていくきっかけになったと語る人は多いです。成人のどもる人と、保護者の物語を紹介します。

  
幸せを感じたワークショップ
                  山中 高志(小学校教員)

 ワークショップに参加した中で、私は自分が幸せだと感じた。今まで、私は吃音のために、自分は非常に不幸であると思い続けてきた。
 人と人を比べるのは、時に差別や羨望につながり、必ずしも良いことではない。しかし、多くの人を知ることは自分自身を客観的に見る機会を与える。私はどもる人のセルフヘルプグループに参加し、多くのどもる人と出会い、いろんな話をすることができた。これまでどもる人と出会ったことがなく、吃音については親とも友だちとも話したことがない。誰に話しても、分かってくれる感じがしなかったからだが、もうひとつの理由は、特定の音や場面ではかなりどもることがあっても、うまく切り抜けてきたために、周りの人は私の吃音は知らないからだ。教員生活の中でも、子どもたちの前で話す時はもちろんのこと、職員室でも必要最小限のことしか話さないから、同僚の教員は私がどもることをほとんどの人は気づいていないだろうと思う。
 しかし、ひとりで悩んでいた頃は、自分のどもりこそ最大の悪であり、不幸の源泉であり、許すべからざることであった。その恥ずかしい吃音について誰かに話すことなど、到底できることではなかったのだ。
 ところが、大阪吃音教室に初めて参加した時、吃音は治りにくいという事実を知らされ、吃音といかにうまくつき合っていくために学び合っていることを知った。吃音が治らないなら死ぬしかないと思いつめていたのが嘘のように、治らないものなら仲よくするしかないと、きわめて自然に思えるようになった。それは、理屈が先行して納得したというような性質のものではない。目の前で実際にそのようにして生きているたくさんの人に出会って、感動したからである。仲間がたくさんいることは、今の私にとって幸せなことである。 だからその後知った、吃音ワークショップも、たくさんの仲間に会いに行こうというのが私の参加目的であった。見事にその目的は達成された。その目的だけでなく、吃音とうまくつきあうための理論や方法論も学ぶことができた。そして、とてもありがたかったことは、そのワークショップで取り上げられていたテーマは、私の教員生活を豊かにし、子どもとうまくつきあうためのヒントをたくさん学べたことだ。



 
多くのどもる人が生き生きと生きていた。この貴重な体験を子どもに話したい

                          栗本 美由紀
 
 私は一児の母で、母子でどもります。そして子どもの職業を勝手に私が決めていました。話す職業はダメだろう。いえ仕事をすれば必ず話さなければならないから、仕事に就けず、ひとりでは生きていけないのではないか。この子は、どうやって生きていくのだろう、子どもが生活の中でひどくともった時には、そのことを考え、ワークショップに参加するまで暗い日々を送っておりました。
 ところがどうでしょう。皆さんの生き生きとした態度、その職業のすばらしさ、世間で一目置かれる方々の多かったこと。話す職業に就かれている方がむしろ多かったのです。学校の先生や看護師さん、車のセールスマンとか、一日中話さなければならない職業に就いていたのです。そしてその方々の、どもりながら話すときの楽しそうなこと。どもることよりも、話の内容のすばらしさに聞き入ってしまいました。
 どもると相手は話の内容が分からず、疲れるのではないかと思っていました。ところが、人のどもるのを聞いても、どもることより話の内容を聞きたいと思うものだと分かりました。それならどもることにこだわらず、楽しく話した方がよいのではないかと思うようになりました。
 子どもの将来を親が決めてはいけないのです。たとえどもることで悩んだとしても、それは子どもが自分で解決していくことで、私は今回の貴重な体験を子どもに話してやることだけでいいのではないかと思うようになりました。たとえどもっていても立派に生きている人たちのいることを。そして、どもっていてもあれだけ大きな、有意義なイベントを催されたことを。
 私自身もどもるから何もできないと自分に甘えないで、これからはいろんなことを勉強し、可能性に挑戦していこうと思います。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/5