小児科の講演集_0001 日本小児科医会の「子どもの心」研修会での講演について、珍しい、おもしろい経験をしたと、昨日、紹介しました。今日は、その講演のごく一部を紹介します。
 小児科の先生に向けて、僕自身の体験から、また僕が出会った多くのどもる人やどもる子どもたちの経験から、そして吃音を通して学んできた多くの事柄から、吃音には小さな援助が必要なのだということを伝えたいと思いました。僕たちは通常「援助」よりは「支援」を使うのですが、医療従事者相手でもあり、冒頭に引用し、紹介したのが、精神科医の鈴木啓嗣さんの「小さな援助論」だったので、「どもる子どものための小さな援助論」としました。

 講演の冒頭は、次のように始めました。

 
今日は、幼児期・学童期のどもる子どもの小さな援助論について話します。小さな援助とは、吃音の治療・改善を目指す、直接的な言語指導を中心にした援助ではなく、「対話」を中心にした間接的援助を意味します。
 それは、病気の原因やメカニズムを明確にし、治療につなげる「疾病生成論的」な援助ではなく、「健康は、いかに回復され、保持され、高められるか」の健康要因を解明し、健康力を高める「健康生成論的」な援助です。
 吃音にとってなぜ小さな援助が必要なのか、言語訓練ではなく、「対話」が必要なのか、私の体験、吃音の問題の本質、吃音の治療事情を紹介しながら話します。どもる子どもの援助に関わる人たちに、吃音をどうとらえ、どもる子どもや保護者にどう関わっていただきたいか、どのように対話をするかを、吃音に深く悩んできた当事者からのお願いとして話します。


 そして、最新のトピックスとして、アメリカ大統領に就任したバイデンさんの話をしました。

 
本論に入る前に、最新のトピックスです。私は、1944年生まれで、2021年の今年の4月には77歳になります。ひとつ年上の、78歳のジョー・バイデンさんが第46代アメリカ大統領に就任しました。ジョー・バイデンさんの吃音の話からスタートします。
 NHKのニュースサイトNHK NEWS WEBの特集(1月19日 20時52分)に、「吃音の大統領誕生へ」の記事が掲載されました。アメリカの吃音事情の紹介にもなっています。
 大統領選挙最中の民主党党大会で13歳の少年が、バイデンさんから、「私も君と同じクラブの仲間だが、常に自らの成長を意識し、吃音があなたの未来を決めることがないようにしてください。あなたの進む道に困難があるとき、それはその困難を乗り越えるための新たな力になるのです」と教えてくれたことで自信を得たとスピーチしました。
 自伝で、バイデンさんは子どもの頃、重い吃音に悩み、「障害のジョー」とあだ名をつけられ、高校では全校生徒が朝礼で順番にスピーチをする時、順番が回ってこなかった時の不安感、恥ずかしさ、強烈な怒りを鮮明に思い出す」と書いています。NHKの記事には、吃音研究と臨床のテキサス大学オースティン校が紹介され、専門家とセラピーを受けた学生のことばも紹介されています。コートニー・バード博士は、
 「見方を変えて、吃音を障害とみなす必要はないと理解することです。世界に同じ人は2人とおらず、誰もが違うしゃべり方をする。私の大学では、吃音を治したり隠すのではなく、個人の特徴として受け止め、大勢の人の前で話す練習で、自信をつけることに力を入れています。私たちは今、吃音の人が大統領になる世界を目にしています。私がバイデン氏に伝えて欲しいメッセージは、吃音があってもいいということです」と言い、
 セラピーに参加した学生は、「誰かが私に、吃音が出ないように話せと言ったら、私に話すなと言っているのと同じです」と言います。
 つまり、専門家は吃音を治すことは目指していないし、学生は吃音を受け入れようとしています。
 バイデンさんは、詩の朗読で克服したと言っていますが、治ったわけではないとも言っています。吃音研究の専門家も、「吃音があってもいい」とバイデンさんに伝えてもらいたいと言います。吃音は専門家によって治療できるものではなく、本人が自分の力で対処しなければならないという、今、現在の吃音の事情をよく表しています。
 吃音症状をターゲットにする吃音治療は、日本でも世界でも1900年頃から始まりましたが、現在も効果的な吃音治療法はありません。生活の中で吃音が自然に変化し、自分なりの人生を生きています。吃音は民族の違いを超えて人口の1%程度と言われ、紀元前300年の古代ギリシャの英雄デモステネスの史実で知られるように、多くの人が、悩みながらも吃音と共に生きてきました。治療法はなくても、人それぞれが、自分なりの対処法を編み出してきたということです。そもそも吃音は、その人の人生を支配するほどの力をもたないからです。吃音に深く悩んだ時期があったものの、バイデン大統領は詩を朗読することで話すことに自信をもてるようになり、アメリカ議会の議員になることで、どもりながらもスピーチを重ね、自分なりのスピーチを身につけてきたのでしょう。私自身も、話すことから逃げない生活や、大学の教員として講演や講義をする中で自分なりの話し方を身につけてきました。しかし、私も吃音が治ったわけではなく、言いにくいことばではよくどもりますし、自分の名前が言いにくいことは度々あります。私は、吃音を「治す、改善すべき」ものとして治療の対象にするのではなく、吃音と向き合い、上手なつきあい方を子どもと一緒に考えることが現実的だと主張し続けてきました。50年以上も主張したことが、医学、科学が進歩した現在であったも変わっていないことになります。


 なぜ小さな援助が必要なのか、精神科医の鈴木啓嗣さんの本を紹介し、吃音こそ小さな援助論だと伝えました。

子どものための小さな援助論 
児童精神科医の鈴木啓嗣さんは、発達障害、不登校などを対象にした『子どものための小さな援助論』で、「負の面をもたない援助はない。援助はできる限りさりげなく、慎重に差し出したい。援助の専門職が資格化され、パワーのある援助は強いぶん悪影響も強くなり、痛々しい結果を引き起こす。できることなら専門的な援助の役割を小さめにしておきたい」と言います。
 私は、吃音こそが小さな援助が必要だと考えています。次の条件があるからです。
 〆の状態のままであっても、充分に、学校でも社会でも生活できる。
◆‘常の生活の中で、吃音は自然に変化していくことが多い。
 治療の専門的援助のなかった時代でも、どもる人は、豊かに人生を生きていた。
ぁーそう、改善しようとすることで、マイナスの影響が強く出る可能性がある。
吃音症状に直接働きかけるのではなく、周りや別の事柄に働きかけることで、問題そのものにもよい影響を与えます。どもる子どもの悩みの実態調査をしたとき、かなりどもっていたが平気だったという子どもが、その理由として挙げたのが、仲の良い友だちができた、先生が理解してくれた、熱中するものがあった、などでした。専門的な働きかけがなくても、日常生活の中で、周りの人の誰もができる援助が子どもにとっては大きな意味をもちます。


 この後、僕は、自分の吃音の歴史を話し、吃音の特徴と問題の本質を話しました。小さな援助の実際として、健康生成論、ナラティヴ・アプローチ、レジリエンス、当事者研究、オープンダイアローグと話をすすめました。そして、今、幼児吃音のアプローチとして、取り組まれ始めた、「リッカムプログラム」の危険性を話し、その関連で、読書介助犬を紹介しました。

 
皆さんは、読書介助犬って聞いたことがありますか。何をすると思いますかと聞くと、本のページをめくってくれるとか、本を運んでくれるとかの答えが返ってくるのですが、正解は、本を読んでいる子どものそばに座って、ただ黙って聞いていてくれるのです。アメリカの図書館には、そんな読書介助犬がいます。読書や本を声を出して読むことが苦手で嫌いになった子どものそばにいて、「ただ、黙ってて聞いてくれる」がとても大切なのです。


 講演の最後に、精神科医の本田秀夫さんのことばを紹介しました。 
 
 「どこまでを障害とみなすのか、どこからは普通とみなすのか、30年ずっと考えている。時代や場所によって、普通に生活できていたかもしれない人が、ある社会の中では、はじかれてしまうことがある。どういうタイプの人たちが、世の中の多数を占めているかによって、有利不利が決まる部分がある」
 児童精神科医、本田秀夫さんのことばです。日常生活だけでなく、テレビに出てくる人の話しことばを聞いていると、「吃音」ではないかと思える人によく出くわします。政治家の中にも滑舌の悪い人、早口で話が聞きとりにくい人、口ごもる人は少なくありません。一般の人ならなおさらのことです。みんなが俳優のように、アナウンサーのように、流暢に話しているわけではありません。吃音で問題にされている「非流暢性」の、どの程度からが吃音なのか吃音検査では、誰も正確に判定できません。どもることを、単なる話し方のひとつの特徴だと、本人も周りも考えることができたら、吃音の問題はかなりの部分解消されたことになります。専門的援助で吃音は改善しなければならないものなのか、本人も親も関係者も立ち止まって考えることが大切だと思います。
 吃音に悩む子どもや親がいたら、専門家であっても小さな援助にとどめたい。それが、その子どもの生きる力を育てることにもなると思います。
 ことばはコミュニケーションの道具です。どもらなくなっても、コミュニケーションの機能が高まったとは言えません。人に対する不安や恐怖心があり、伝えたいと思う相手がいなければ、会話は始まりません。また、伝えたい中身がない平板な生活では会話はふくらみません。どもる症状だけを切り離して、改善できたとしても、どもる人の幸せにつながるわけではないのです。臨床は、その人の生活全体を見ることが大切です。生活を軽視した臨床は意味がありません。どもる人にとって、現代が効率を最優先し、スラスラしゃべることに価値をおく社会になっているから、治したいと思い、生きづらさを感じるのです。誰もがいつでも、スラスラとしゃべれるわけではありません。誰にもある話しことばの特徴が、ちょっと強く出る人たちがいるのだと思ってもらえたら、生きやすくなる人が少なくないでしょう。日常生活の何気ない小さな援助が互いに必要だと思います。


 小児科医会の講演内容をかいつまんで紹介しました。小児科医師に向けての話なので、いつもの、どもる子どもの親やことばの教室担当者や言語聴覚士に向けて話しているのとは少し違う印象を持たれるかもしれませんが、伝えたいことは変わりません。この講演内容の全てをDVDにして多くの方に届けられるようにしたいと考えています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/2