村井潤一先生と僕との対話を、4回にわたって紹介してきました。僕が大阪教育大学の教員だったときに、本当にお世話になった先生でした。
 気さくで親しみやすく、どんなことを話しても何か自分の考えを話して下さる、安心感がある人でした。「伊藤君、伊藤君」と呼んで下さった声がまだ聞こえるようです。
 村井先生について、同じ頃、大阪教育大学におられた清水美智子先生の、村井先生を悼むと題した文章をみつけました。清水先生も、聴覚・言語障害児教育が専門で、僕は大変お世話になった方でした。清水先生の文章には、村井先生のお人柄がよく出ていて、村井先生の業績・功績が紹介されています。
 この追悼文を紹介して、村井先生との思い出は、一旦終了です。


      
心理学評論 1997, Vo1.40, No.1, 161

追悼記 村井潤一先生を悼む
                       清水美智子(大阪教育大学)

心理学評論の表紙 2年前に京大を定年退官後、甲南女子大学で引き続き教鞭を取っておられた村井潤一先生は、去る平成9年2月26日早朝永眠なさいました。
 数年来病を得ておられたとはいえ、3週間前には大阪教育大学で集中講義をして下さり歓談したばかりでしたので、信じ難いことでした。
 村井先生は学生時代から一貫して発達研究を志し、初期には言語発達を乳児期からの音声の記号化および体制化の過程としてとらえる視座で基礎的な研究を行って学位論文を著されました。これは心理学界で近年流行している言語発達研究・乳児研究の先駆けをなす業績です。
 その後重症心身障害者施設びわこ学園勤務を経て、大阪教育大学に赴任され、障害児教育の研究と教育、とりわけ聴覚障害児及び言語障害児の教育に関わる教員養成課程の中核にあって、一時代を築かれました。一般に、日本の障害児教育教員養成課程の教官スタッフは特殊教育専攻の人々が圧倒的に多い中で、村井先生のような発達心理学者が赴任されたことの意義は実に大きく、新しい時代が拓かれたように思います。
 村井先生のその後の教育者として研究者としての優れたご功績を思いますと、心理学科ではなく障害児教育学科に赴任されたことは、天の絶妙の配慮であったと思えるのです。 そのように思う理由は、一に、障害児の心理と教育の研究に人間発達の視点を取り入れていかれたこと、二に、心理学における発達研究・発達心理学は健常児だけでなく障害児を含めて統一的に理解できる視点を持たねばならないという立場でとりくまれたこと、即ち、障害児者を健常児者と切り離して考えない、障害別に切り離して考えない、人間としての共通の地平において理解するという視点、またどんなに重症であっても人間である以上は発達的存在であり、発達研究の対象たり得るという立場を明確にして、実践的には発達研究と障害児教育とを統合するような先駆的な業績を残されました。今日では当り前のことと思われていますが、今から30年も前のことです。
 現代は発達研究が隆盛を極めていますが、自分はどのような発達観をもっているのか、どのような人間観をもっているのかを吟味しないで、曖昧にしたまま無自覚に発達研究が行われがちであるように思います。その場合は結局、何かができるようになることが即ち発達だとみなす類の、能力主義的発達観に陥っていることに気付かないわけですが、村井先生はその危険性を早くに見抜いて、発達研究には価値的視点が不可欠であるとして思索を深められました。いいかえれば村井先生の発達論には哲学があり、だからこそ、一般教育論としても乳幼児保育論としても、また様々な障害児教育論・福祉論としても展開可能で魅力的でした。
 庶民的でざっくばらんなお人柄に包み込まれた村井先生の発達観や障害児観教育観に学びつつ、教育や福祉の分野で幅広く活躍している人達は少なくありませんが、先生を囲んで大いに語り、飲んで食べてちょっと真面目に考えることもあって、何かしらリフレッシュして新たな活力が得られるといった愉しい集まりも、今は想い出になりました。
 私見では、これからの超高齢社会で、生涯発達研究を推進していく上で、村井先生の発達論は有効な鍵になるように思えるのです。発達心理学を志す若い研究者によって村井先生の発達論が吟味検討されることを願いつつ、謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。
        Japanese Psychological Review 1997, Vo1.40, No.1, 161


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/16