相田みつをさんが、吃音に悩んでいた時期があったことはあまり知られていません。僕たちも知らなかったのですが、1984年にリーダー研修会で栃木県の仲間が書いた自分史で知りました。改めて、詩を読むと、「トマトとメロン」の詩は、どもる私たちにこそ読ませたかったのではと思えてきます。相田さんの、やさしい、でも厳しいことばに出会い、そうだよなと頷いたり、背中を押してもらったりしました。
 今回、文章の冒頭で紹介する詩は、論理療法そのものです。平易なことばで真実に迫る相田さんと、どもりについて話してみたかったなあと思います。
 僕たちが相田さんを知ってからすぐに、相田みつおさんは、多くの人に知られるようになりました。銀座には「相田みつお」記念館が開設され、今でも多くの人が訪れています。
 1992年3月26日に、僕が書いた「トマトとメロン」を、そして、その前の1984年の「自分史づくり」の研修会で仲間が書いた自分史「トマトはトマト」を、合わせて紹介します。

       
トマトはトマト
 足利市の長林寺で、月に一度、洗心講座という仏教の教えを学ぶ勉強会が開かれている。講座が終わると、懇親会が行われる。和気あいあいでこころにしみる会話がなされる。その懇親会の中で私は時々、どもりの悩みを話した。
 ある日、相田みつをという書家が私に向かってやさしく、しかし力強くことばを放たれた。
 『若い時私も、どもりに苦しんだ。ある日町を歩いていて、八百屋の店先にみずみずしいトマトが並んでいるのが目にとまった。ふと、頭をよぎるものがあった。「そうだ!トマトはトマト。ドモリはドモリ。ありのままの自分で生きればいいんだ!」それ以来、私は楽になった』
 自分を変えよう、なんとかしてどもりを治そうと、一人であがいていた私に、相田さんから送られた<ことばの布施>であった。私の心と体に、このことばはしみこんでいった。やさしくも、力強いことばを他者に投げかけることの大切さ。それが良寛の言う『愛語』であろう。
 どもりのままでも、しっかり生きなければならないという覚悟。そして、ことばの力『愛語』を信じること。私は相田さんから大切なことを学んだ。



  
トマトとメロン
                     伊藤伸二

 いつでも言うように
 問題はむこうにはない
 こちらにあるんだな
 つまり、自分がそのことをどう受け止めるか
 どう解釈するか…ってことだなあ

 今回、私たちが学んでいる論理療法は、アメリカの心理療法家、アルバート・エリスが開発したものだが、日本には論理療法の発想は古くからある。論理療法ということばに抵抗を感じる人は、冒頭のことばにふれていただきたい。書家であり、在家の禅師ともいえる相田みつをさんが、論理療法のすすめを易しいことばにしてくれている。
 1987年、吃音ワークショップin名古屋で、論理療法を学ぶ時、相田みつをさんのこのことばを紹介した。そのときから、相田さんのことばの一つ一つが、私たちの吃音者宣言と通じるものがあり、吃音ワークショップに来ていただきたいと願っていた。お住まいが関東でもあったので、昨年の東京で開かれた言友会25周年の吃音ワークシヨップの講演のお願いをした。しばらくしてたくさんの資料とともに、体調をくずしており、当日出かけられるかどうか、今約束はできないとの丁寧なお手紙をいただいた。体調が戻られたら再度お願いしようと考えていたが、昨年12月17日、亡くなられた。直接お話が聞けなかったことは残念だが、たくさんの詩を、書を、残して下さっている。
 どもりを忌み嫌い、なんとか治したいと悪戦苦闘してきた私たちに、相田さんは、さりげなく、
 「そのままでええがな」と、ほほ笑み、
 「悩みはつきないな、生きているんだもの」と、人間の弱さをみつめる。そして、
 「自分が自分にならないで、だれが自分になる」と、私たちに迫る。

 数々の詩の中で、トマトの詩に特に共感を覚えた。長い間、私たちは、どもっている自分を否定し、吃らない自分を夢みた。今でも使う人がいる「正音者」という嫌なことば。その「正音者」と「吃音者」を対比させ、正音者より吃音者は劣ったものとして、正音者になることを夢みた。そうなるべく、努力もした。しかし、そうならない現実に悩み、ますます自分を否定した。現在もこのような状態の中にいる吃音に悩む人は少なくない。
 トマトの詩は、トマトのままでいいと呼びかけている。トマトの詩を紹介しよう。
にんげんだもの表紙
  トマトとメロン

トマトにねえ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなあ

トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねんだなあ

トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思っているのは
人間だけだね
それもね
欲のふかい人間だけだな

トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだな
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ

トマトもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点に生きているんだよ

トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと

「メロンになれ メロンになれ 
カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」
と 尻ひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているトマトが
いっぱいいるんじゃないかなあ
      『にんげんだもの』相田みつを著 文化出版局    1992.3.26


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/23