コロナの感染拡大が、世界中で止まりません。今は、世界中の全ての国で、同じ課題に取り組んでいるというとても珍しい状況になっています。この問題をどうとらえ、どう考え、どう対策し、どう今後に備えるか、各国のリーダーたちが、発信する姿を瞬時に見ることができるのも、現代ならではと言えるでしょう。
 ニュージーランドのアーダーン首相は、緊急事態宣言の出た期間、毎日定時に国民に対して状況を伝えました。ドイツのメルケル首相は、科学者らしいエビデンスをもとに冷静に話すことが多かったけれど、あるときは感情をあらわにして訴えました。ニューヨーク州のクオモ知事も感染が爆発しそうなとき、必死の形相でメッセージを発していました。
 その中で、日本の政治家のことばの軽さ、貧困さが目につきます。官僚の作った文章を棒読みするだけでは、国民の心に響いてきません。伝わってきません。

 伝えたいことがあり、伝えたい人がいて、自分のことばで伝えるとき、相手に届くのだと思います。僕は、そういうことばを持ちたいし、そういうことばを届けたいと思います。
正確に、流暢に話すことが大事なことではありません。
 吃音親子サマーキャンプの卒業式で、高校3年生になった子どもたちは、サマーキャンプで学んだこと、これからどう生きていきたいかなど、自分のことばで話します。今、生まれてくることばを大事にして、どもりながら、メモなど一切もたないで、周りをちゃんと見ながら話します。会場にいる人たちは、小学校1年生の子どもたちも含めてみんな、しっかりとその話を受け止めます。僕は、その光景を誇らしく思います。
 1991年8月にNHK日本語センターで学んだような国語教育を、子どもの頃に学びたかったなあと思って書いた文章です。
 

   
楽しい国語教育
                         伊藤伸二

小学校時代、国語が大嫌いだった。
 朗読の順番が近づくと、胸はドキドキ、顔がほてる。つまってつまって読んで、時には先生から叱られ、友達からは笑われた。「国語」といえば、朗読の時、立往生している姿しか思い出せない。文学作品に親しむこと、文を書くことは好きであり、「国語」が全て嫌いだったわけではない。しかし、当時の「国語」は、読解・音読が中心であり、正確に、流暢に読むことが評価された。

 「国語」の学習指導要領が大幅に改訂され、「話しことば」を前面に出した国語教育が、来年度から始まる。今後、どのように展開されるかは未知数だが、この方向は画期的なことだと言える。
杉澤陽太郎本表紙 それに先立って、NHK日本語センターが主催し、杉澤陽太郎さんたちを講師に、国語科教師のための「話しことば教育」のセミナーが開かれた。全国から集まった100名程の教師と共に、話す、読む、聞くトレーニングを受けた。グループに分かれ、人前でスピーチをし、順番に朗読し、テープにとって検討していく。実習やディスカッションを通して「話しことば教育」の重要性を確認し合った。夏休みを利用し、自己研修に励むこれら多くの教師の真摯な姿に接し、ここに参加している教師が、子どもの指導に当たれば、どもる子どもにとって「国語」は好きな科目になるのではないかと期待が持てた。
 長年にわたって私たちは、どもる子どもの指導は、「ことばの教室」の指導だけでなく、通常学級での「国語教育」の充実が必要であると主張してきた。しかし、これまでの「読み」中心の国語教育は、どもる子どもに役に立つどころか、プレッシャーを与えてきた。今回の改訂による「話しことば教育」が、「読み」でされてきたように正確な発音や流暢さを強調されることがないよう願いたい。どもりながらでも、自分のことばで話すことが最も大切なことだ。
 話すことは本来楽しいことである。その楽しさや人に伝える喜びを知れば、どもることの不安や恐れがあっても、話そうとする意欲は失われないだろう。そして多少の厳しいトレーニングにも耐えることができるだろう。これまでの「国語」の読みは、私たちの生きた日常会話に生かすことができなかった。吃音治療のための音読練習も、またそうであった。
 セミナーでは「話をするように読む」ことを指導された。私自身、人前で順番に読むことが楽しく、また他者のを聞いていても楽しかった。読むことの楽しさを初めて知ったと言っていい。ここでは読みと話すが一体となった。

 今夏行った吃音親子サマーキャンプでのこと。あるエクササイズをし、最後に順番に発表する。小学生、中学生が、どもりながらも誰もが最後まで言い切った。ふりかえりの時、中学生は次のように言った。
 「これまで、読みや発表で順番が回ってくるのがとっても怖かったし、嫌だった。でも、今日は発表が待ち遠しかった。順番が回ってくるのがうれしかった」
 どもる子は発表したり、話したり、読んだりすることが嫌いだろうと決めつけられない。言いたい、他の人に伝えたい、そんな気持ちが強ければどもっても話そうとするだろう。今回のエクササイズで、中学生は、自らの頭で考えたことを是非他人にも知ってもらいたいとの気持ちが強く働いたのだろう。
 言いたくもないことを言わされる、それもどもってとなれば、話すことが楽しくなるはずがない。
 話そうとする意欲を持ち、話すことが楽しいことだと思える子どもを育てることが「話しことば教育」にとって最も大切なことではないか。

 話しことば教育に無縁だった私たちは、大人になった今改めて、自分史、聞く5つのスキル、表現よみ、1分間スピーチ、アサーティヴ・トレーニングなどを通して、コミュニケーション能力を高めるトレーニングを5年前から続けている。
 「国語」がコミュニケーション能力を高めるのに役立てば、日常に生かせるものになれば、国語が好きだというどもる子どもやどもる人が増えるえるに違いない。1991.8.31


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/17