放任主義の本の表紙 映画監督・羽仁進さんのことは、どもりながら軽やかに生きる先輩として、尊敬していました。羽仁さんも、私たちとの出会いを大切に考え、関係を大事にして下さっていました。ニュースレターやブログなど、これまでに何度も登場していただき、紹介してきました。その羽仁さんの著書『放任主義―一人で生きる人間とは』(光文社)の「放任主義」のタイトルを貸していただいて、吃音者宣言について書いた文章がありました。
 私が吃音者宣言を起草し提起してから、今年で46年になります。改めてそれについて論じることはありませんが、今の「吃音を否定しない」「吃音と共に豊かに生きる」の土台になっていることは間違いありません。その土台が決して揺らぐことなく、どっしりとあるからこそ、今の活動があるのです。
吃音者宣言の本表紙 敬愛する芸人・松元ヒロさんは、日本国憲法を「憲法くん」として親しみをこめ、自分が憲法になりきって舞台で披露しています。僕たちも、「吃音者宣言」を何度もかみしめていきたいと思います。「吃音者宣言」は日本吃音臨床研究会のホームページで紹介しています。『吃音者宣言―言友会運動十年』(たいまつ社)も、本の全文を紹介しています。吃音者宣言の歴史がわかるようになっています。
 僕のこのブログは、Facebook、Twitterにも同時にアップしています。コメントや、シェアをして下さる人もいます。とてもありがたいです。多くの人に吃音を正しく知って欲しいと願っていますので、広くご紹介いただければうれしいです。

    
放任主義
                           伊藤伸二

 「どもりはどもりと呼べ」
 こう呼びかけた羽仁進さんの著作のタイトルは『放任主義』。
 私が起草文を書いた、《吃音者宣言》が生まれるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。どもりを治す試みに挑み、工夫し、努力もした。また、思い切りエネルギーを集中して、セルフヘルプグループ活動に取り組んだ。時には沈潜し、どもる人の苦悩、喜び、そして人生にじっくりと耳を傾けた。幅広く活動していても、セルフヘルプグループ活動の中だけで考えていては一人よがりになる。私は、北は北海道・帯広、南は九州・長崎まで、全国35都道府県、38会場でどもる人との直接の対話の旅を続けた。そうして、起草した《吃音者宣言》だが、反対も少なくなかった。厳しい陣痛の中から《吃音者宣言》は生まれたのである。生まれた我が子をどう育てるか。育てることは生むことよりも難しい。
 宣言文にある、「生活を犠牲にしてまで治そうとした人などいるのか?」「明るいどもる人なんて言われても困る」「なぜ、たくましく生きるのか」など、あの部分、この部分が嫌いだといじめられもした。
 我が子への批判に対して、その都度丁寧に説明し、答えて大切に大切に育てようか。それとも、子どものけんかに親が出ていくのはやめ、いじめられても、批判されても、それに耐え、自らの力で自立していくよう「かわいい子には旅をさせよう」か。
 そのとき、羽仁進さんの『放任主義―一人で生きる人間とは』(光文社)のタイトルを思い出した。私は、後者の放任主義を選んだ。それからは、言友会の全国大会のレベルで、また、リーダー研修で、我が子のことを直接話題にすることはほとんどなかった。
 吃音者宣言で言っている、吃音を受け入れるなんて、ウェンデル・ジョンソン(1961年)も言っていて、何も目新しいことでも専売特許でもないという軽視。理想論・建前論にすぎないという批判。これらの軽視や批判にひとつひとつ丁寧に反論していけば、それだけでエネルギーを消耗し、また、子育てに対する自信もなくしていたかもしれない。宣言文の一行一行の文章が意味を持つものではなく、セルフヘルプグループに集う一人一人のどもる人が自らの行動を検討し、自らの人生を誠実に生きる中からこそ《吃音者宣言》は理解されると考えた。だから、吃音に悩み、吃音の問題を解決したいと私たちを訪れるどもる人には《吃音者宣言》を直接提示するのではなく、「吃音が治らないと、あなたの問題は本当に解決しないんですか?」「できないことをどもりのせいにし過ぎていませんか?」「逃げたり避けたりばかりしないで、立ち向かうことを考えませんか?」「自分をそんなにいじめないで、ほめてあげませんか?」などと、《吃音者宣言》文そのものは紹介しなかったが、基本原則はわかりやすく伝える努力はしてきた。
 日本の伝統食品に納豆やみそがある。これら醗酵食品は高温多湿の環境の中で、酵母・細菌などの力を借り、終産物になる。《吃音者宣言》の子育てはこの醗酵作用を利用したといってよい。じっくりと時間をかけ、我が子が成長するのを待った。ただ、待つだけではなく、環境を作り、酵母・細菌を用意した。年に一度の全国規模での吃音ワークショップやリーダー研修では、自分史作り、表現読み、民話の語り、自己形成史分析、交流分析、論理療法、サイコドラマ、竹内敏晴からだとことばのレッスン、構成的エンカウンターグループなどを体験的に学んだ。これらが細菌・酵母役になったと言える。
 これらとどもる人の悩み、喜び、人生が混ざり合い、熟成され、そして《吃音者宣言》は、15歳の若者にいつしか成長していた。15年ぶりに初めて《吃音者宣言》を直接的な話題とした吃音ワークシヨップの時、番外編でのディスカッション、私の主張、みんなで語ろうティーチインの中に、成長した我が子の姿があった。放任主義で子育てをしてよかったとつくづく思う。 1991.5.3


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/14