ユーモアと笑いについては、前にも、ブログなどで書いてきました。先日、松元ヒロさんのドキュメンタリー「テレビに出ない芸人」を紹介したときにも、ユーモアや笑いの力について書きました。
 僕の家の本棚には、笑いやユーモアに関する本が90冊ほどあります。本のタイトルに「笑い」「ユーモア」などとついていたら、すぐ買うという本の買い方をしますので、こんなにたくさんの本が集まりました。それだけ、昔から笑いやユーモアに関心を持ち、吃音のことを考える上で大切な視点だと思ってきたからです。笑いには、いくつか種類があります。攻撃の笑い、人をさげすむ笑いの一方で、共感の笑い、応援の笑い、うれしい笑い、ふとしたことがおもしろくて笑う、笑いの芸に笑う、たくさんの笑いがあります。どもる子どもたちが、吃音親子サマーキャンプで「笑われて嫌だった」と話すことがあります。その時、その状況での笑いについて話し合い、笑いにもいろいろとあることを知ると、「笑いの意味づけ」が変わります。笑われたことで、落ち込むのではなく、それがどんな笑いなのか落ち着いて考えることができれば、同じ景色でも変わって見えます。受け取り方で、局面が変わるのと同じことです。
 「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」は、アルフォンス・デーケンさんのことばでした。ユーモアを味方につけていきたいものです。僕たちは、ずっと笑いについて考え続けています。昨年亡くなられた織田正吉さんが大阪吃音教室で話して下さったことを、僕たちのニュースレターで紹介する予定です。
 今日は、1991年に書いた文章を紹介します。

   
ユーモアセンス
                         伊藤伸二

 「山のアナアナアナ…アナタの空遠く…」

 自らの吃音体験をもとにした三遊亭歌奴、現在の三遊亭円歌の創作落語が、連日テレビ、ラジオで流れた時期があった。この落語を聞き、吃音を笑いの対象としていると感じた当時の私たちは不快の念を持った。直接、歌奴さんに抗議し、歌奴さんと話し合う機会も持たれた。
 どもっている声や姿だけでなく、「どもり」ということばにさえ嫌悪するどもる人には「山のアナアナアナ・・」は笑って済まされないものであった。
 吃音は本人にとって人生を狂わすほどに大きな問題となる場合がある一方で、このように一般の人々にとっては笑いの対象でもあり得た。悪意のからかいは論外として、他の障害を笑いの材料とすることは、障害者本人だけでなく、一般の人々にも受け入れられることではない。しかし、吃音は一般の人々が、笑いの対象としてもあまり罪悪感を持たない唯一のものではないだろうか。
 大阪吃音教室に初めて参加した人が驚くことのひとつに、どもる人同士がどもっている姿を見て笑うことがある。誰に対してでもという訳ではないが、明るくどもって、立往生している人にヤジがとび、笑いさえ生まれる。「どもる人がどもっている人を笑うなんてひどいじゃないですか」と本気で怒る人がいる。しかし、怒った人も半年後には大阪吃音教室で他者のどもっている姿を笑顔で受け入れるようになっていく。私たちの笑いはさげすみでもからかいの笑いでもなく、ふともれる自然な笑いである。また人の笑いを誘うどもり方に変えることができれば、その人にとって前進なのだ。私たちはどもる。どもりたくないと思いながらもどもる。どっちみちどもるなら暗くどもらないで、明るくどもろうと言い合ってきた。
 私の親友だった京都の吉田昌平さんは、大きな集まりの挨拶で、「本日は…」でどもってなかなかことばが出てこない。そこで「ハーヒーフーへーホンジツは…」と切り抜けた。大爆笑が起こり、それまで会場に張りつめていた緊張が一気にほぐれた。
 大分の北島さんは、底抜けに明るく、笑顔いっぱいにしてひどくどもる。憐憫、哀れみはみじんも感じさせないどもり方だ。思わず、聞き手がひきつられて笑ってしまう。
 第一回吃音問題研究世界大会で出会いの広場の司会をしていた福岡の内野敏彦さんは、どもって声が出なかったとき、ほっぺをピシャピシャと何度もたたいていた。その姿はいかにもユーモラスだった。外国からの参加者も笑っていた。
 伊豆で開かれた「生きがい療法」のワークショップ、生きがい療法実践会の伊丹仁朗さんの指導でユーモアスピーチに取り組んだ。どもりを笑いとばす楽しい話がたくさん聞けた。また、ユーモアスピーチの模範例として話して下さった末期のがん患者の藤原さんの話はおもしろかった。死と直面しながら、自らの闘病生活をおもしろおかしく、笑顔をたたえて話す姿に人間の素晴らしさと凄さを思った。
 自分の苛酷な姿を客観的に第三者の目で見、笑いの対象とする。物は一面的な見方でなく、いくつも見方があることを、笑いと共にさりげなく示して下さった。他人への思いやりが欠け、人間関係がとげとげしくなった現代、笑いの持つ意味は極めて大きい。今、「山のアナアナアナ…」を聞いて不快感を持つより、アッハッハッと笑えるどもる人が私たちの仲間の中では増えている。
 自身がどもり、ユーモアの達人でもあったイギリス首相のチャーチル。そのイギリスの教育から学んで、ユーモア教育をすすめる松岡武さんは、次のようにユーモアについて言う。
 『私は、ユーモアとは、おもしろおかしいことを言って、周りの人を笑わせる才能ぐらいにしか考えていませんでした。しかし、それはひどく間違った認識であることが分かりました。ユーモア感覚というのは、人生のどたん場の状況に追いこまれたとき、うろたえ騒がず、さりげなく肩ひじ張らずに、その苦境を切り抜けていける、鍛え抜かれた精神のたくましさと人間的英知を持った人のことを言うことばだったのです』 1991.5.23


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/13