日本吃音臨床研究会のホームページからの問い合わせ、吃音ホットラインへの相談の電話、一頃のようなことはありませんが、今も、ぽつぽつと続いています。大阪近郊に住んでいる人には、大阪吃音教室への参加をすすめます。遠い所に住んでいる人は、話を聞いてふさわしいと思える僕の書いた本や、ホームページの動画を見て欲しいと紹介しています。吃音に悩んでいる時は、自分の経験だけで考えてしまい、固い考えになってしまいがちです。それをちょっと緩めて、やわらかくして、楽に生きる道があることを知ってほしいと願うからです。
 電話をかけてきた人は、一言一言どもるような人ではないことが多いです。あまりどもらないからこそ、ちょっとした違いが気になるのでしょう。「頭では分かっているけれど…」と言う人が多く、どもることが許せないようです。
 その人の生き方なので、僕がこうしなさいと言うことはできないのですが、一度きりの人生なので、大切に生きてほしいと思います。
 自分を大切に、そして、相手も大切に、そうなると、誠実に生きることにつながります。 どもっていても、言いたいことは言う、伝えなければいけないことは伝える、どもる覚悟と誠実さに尽きるのではないでしょうか。
 今回、引用の文章に出てくる望月勝久さんには、名指してよく批判されました。一時期、リズム効果法の講習会が開かれ、参加していた教員もいたようですが、今は、ことばの教室でこのような実践をしている人は全くいないと思います。
 1990年12月20日に書いた文章を紹介します。


  
誠実に生きる
                         伊藤伸二

 来年度、言語障害の子どもの教育に携わる予定の人々20数人と、吃音についてじっくりと語り合う機会があった。多くの人が私たちの考え方に共感して下さったが、共感しつつも、『吃音者宣言』的生き方は「強い人」ならできるが「弱い人」には無理だとの意見も出された。つまり、どもってでも話せる人は、「強い人」であり、「弱い人」には「どもらずに話す」方法を身につけさせるべきだと言うのである。これはいつも出される懸念でもあり、批判でもある。
 リズム効果法を使えば「どもらずに話す」ことができると主張する日本吃音治療教育連盟の望月勝久さんも、次のように、私たちの考えを批判している。長くなるが、引用しておこう。

 『どもりを持ったままの生き方を確立』しようとする決意の底に、吃音を気にせず、喋りまくろうというふてぶてしい意志が秘められているに違いない。
 それはそれとして、どもり丸出しで喋ろうではないかということは、確かに単純、容易ではない。世間ずれしたむくつけき中年男がどもり丸出しにして喋って吃公開したとしても、非常に愉快であるなどとは思わない。やはり辛い。まして、うぶな少年や青年にそんな度胸があるとは思えない。番茶も出花の女性ではなおさらのことである。
 自己の欠点をさらけ出して、人生を雄々しく生き抜くには筆者自身を含めて、あまりに人間一般は脆弱といっていい。
 集団の中で「やろう、やろう」の雷同の気勢はあげられるが、ただひとり千万人に立ち向える勇気のある者が、どれだけいるか。―中略―
 「アノー、○○○、エー、○○○、エー、アー、○○○、アノー、○○○」という連系語を40%くらい挟んでも、音節を延伸しても、吃音が目立たない話し方ができれば、それでいいではないか。その程度の連系語なら、ポピュラーなのである。誰の話でもそうである。話し方を苦労して工夫しながら、「自分はまだどもりは治っていないかもしれないと思っても、他人様がどもりに気づかなければ万万歳」で、そうなれば社会人としてももはや吃音者ではない』
      『リズム効果法による吃音の治療教育』(望月勝久著 黎明書房1981年)

 この、私の考えに対する批判からも、「ふてぶてしい」「雄々しく」「千万人に立ち向かう」の表現があり、「強い」が強調されている。「強い」との表現に対しては「誠実」と表現したい。『吃音者宣言』的生き方を目指したり、実際しているのは、「強い」からというより、むしろ「誠実」なのだと言いたい。
 つまり、自分に、他者に、「誠実」であれば、吃音の完全な治療方法がない中で、どもりながらも話すことになる。自分に誠実であれば、「言いたいことを言う」だろうし、他者に「誠実」であれば、「言わなければならないことを言う」だろう。
 ふてぶてしくなくても、雄々しくなくても、まして千万人に立ち向かう勇気がなくても、それはできることだ。「私はどもりです」と公開することだけが『吃音者宣言』なのではない。弱さを自覚しつつ、不安を持ちつつ、恥じらいつつ、「言いたいこと」「言わなければならないこと」は言っていく。自分に、他者に誠実に、今を大切に生きるのが『吃音者宣言』的な生き方なのだ。
 最初、『吃音者宣言』的な生き方なんてとてもできないと反発する人も、日常生活を大切に生きることでどもることを避けない生活ができるようになる。そして、それが自分に、他者に、誠実な生き方であり、楽だということにも気づいていく。『吃音者宣言』の文字づらだけでは誤解されることがある。
 どもる人の体験をもとにくり返しくり返し、『吃音者宣言』を説明していくことの必要性を痛感した。 1990.12.20


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/10