昨年12月18日に、2020年の最後の大阪吃音教室があってから、年末年始は、お休みし、年始は、2021年1月15日から始まります。約4週間のブランクということになります。これだけ長くブランクがあることは珍しく、早くみんなに会いたいなあと思っています。どもるのが嫌で話す場面から逃げていたのに、セルフヘルプグループで同じようにどもる人と出会ってからは、早く会いたい、早く話したいと思いました。自分のことを話し、みんなの話を聞くことは、とても心地いいことでした。どもって嫌だったことを話すと、みんな、「うんうん」とうなずきながら聞いてくれました。そして、「僕も、〜だよ」と話してくれました。嫌だった思いが少しずつ薄くなっていくのを感じました。それぞれ、いろいろなことがある中で、がんばっていることが分かって、じゃ、僕もと、思えるようになりました。どもりは治らないけれど、このままでも生きていけると思えるようになっていったのです。
 子どもたちも、同じでした。学校の中で、つらいこと、悲しいこと、困ることがあった子どもたちは、吃音親子サマーキャンプで同じようにどもる子どもたちに出会い、吃音について話をします。初めて参加した子どもたちが、ほとんど口にするのが、自分だけではなかった、ほっとした、です。そして、聞いてくれる仲間の中で、子どもたちは、たくさんのことをしゃべります。ほかの子どもたちの話を、うなずきながら聞きます。何回か参加を続ける中で、少しずつ、子どもたちは変わっていきます。「自己受容」なんて大上段に構えなくても、どもっている自分が少しずつ、これでいいかな、に変わっていきます。
 吃音を肯定的にとらえる人との出会いで、自分に対する見方も変わっていくのでしょう。
 30年間連続して続けてきた、吃音親子サマーキャンプは新型コロナの影響で中断してしまいましたが、今年はなんとか実施したいと思っています。会場は予約しました。日程は、8月20・21・22日です。
 「自己受容」のこの文章は、1990年に始まった吃音親子サマーキャンプの第一回の後で書いたものです。

  
自己受容
                       伊藤伸二

 「自己を受容し、自己を肯定して、素直に自分らしく生きる」
 どもる人に限らず、全ての人々の願いだといっていい。人は、自分の持っている欠点やマイナスだと思っている部分をできれば取り除きたいと思い、また取り除こうと努力もする。
 しかし、努力をしてできることとできないことがあり、その判別はそれほどたやすいことではない。成人してから体重を増やしたり減らしたりすることは、意志と努力があればできるが、身長を自らの努力で伸ばすことができると思っている人はいない。吃音の場合、努力すれば治ると周りの人は思いやすく、どもる人自身も正しい方法をみつけ、努力すれば治ると思ってしまう。だから努力すれば治るかもしれないものを受容するというのは、敗北者のすることであり、建設的な生き方を目指す人間のすることではないと考えてしまう。
 吃音の症状を治すための確たる治療法がない中で、「吃音は努力すれば治るもの」と考えない方が賢明である。
 吃音問題解決の道は、自己を受容することから始まる。そして到達目標もまた自己受容なのである。自己を受容することは出発点なのだが、全てまるごとの自己受容というわけにはいかない。これまで自分で自分に×印(バッテン)を与えてきたことが、50あるとしたら、そのうちの1つでも2つでも受け入れることから、自己受容の道を歩み始めたといえよう。パッと道が開ける、いわゆる悟る人は極めて少ない。自己否定から一足とびの自己受容はむしろ、もろい。傷が癒えた薄皮が、一皮一皮はがれるような長い道のりだと思う。自分が好きになるときもあれば、嫌でたまらないときもある。吃音症状に波があるように、自己受容と自己否定の波の中で揺れ動いているのが自然の姿なのではないか。その波があるということを知っておくことも大切だと思う。
 自己を受容する出発点として、どのようなことができるであろうか。どのようなプロセスを経て自己受容への道を歩むことができるのか。人は、それぞれに違い、一人の成果が他の人にも応用できるということでもない。しかし、大勢の体験をもとに整理する中から共通のものもあるはずである。理論というほどのものではなく、おそらく、提案にしかすぎない程度のものだろう。それでもないよりはある方がよい。
 どもる人の自己受容の内の一つ、吃音の受容は吃音を話題にし、他人の吃音を聞き、他人の吃音の体験を聞くことから始まる場合が多いと、私たちは体験的に知っている。かつて大勢のどもる人が治療機関を訪れた。吃音の症状そのものは効果があまりなかったが、行ってよかったという人は多い。この世で自分一人が吃音で悩んでいるという状態から、悩んでいるのは自分だけではない。大勢の人がどもりに悩み、苦しみ、しかし、その中で生きようとしている。自分以外のどもる人との出会いは、吃音に直面し、吃音を客観的にみつめる契機となる。
 今夏の吃音サマーキャンプでは、「どもる子ども同士の話し合い」「グループを作っての協同作業と発表の場」をプログラムの中に入れた。プレッシャーの中で、他の子どもがどもりながらも発表し、発言する姿に接して、子どもたちはきっと何かをつかんでくれると確信したからである。
「楽しく過ごせた。みんなどもりだから」
「一番楽しかったのはみんなとトランプしたこと。こんな楽しいことは初めてだった」
 子どもたちの感想を聞いても吃音矯正所の宿舎で、消灯時間が過ぎてからも、人目をしのんで夜遅くまで話し込んだり、トランプをしたり、飲んだ若い頃のことが昨日のことのように思い出される。

 吃音の受容は、自分以外のどもる人との出会いから始まることがある。どもる人のセルフヘルプグループ、言友会の誕生もそこからであった。 1990.8.31


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 20121/1/8