職場での吃音を考える (1)

 どもる人のセルフヘルプグループ、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトは、「大阪吃音教室」と名付けた例会を、毎週金曜日の夜に開いています。多かったときは40名ほど参加したこともありましたが、現在は20名程度が参加しています。毎年2月の運営会議で、翌年の年間スケジュールと担当者を決めて、ほぼスケジュール通りに開かれています。
 「吃音を治す、改善する」を目指さず、「吃音と共に豊かに生きる」ために、言語障害学以外の、たとえば、精神医学、臨床心理学、カウンセリング、社会学、教育、演劇など様々な分野から、役に立ちそうなことを積極的に取り入れ、毎年、バージョンアップを繰り返しながら、「対話」「学び」を続けています。
 その大阪吃音教室の様子は、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトが発行している機関紙『新生』で紹介されますが、これからしばらく、大阪吃音教室の様子を紹介していきます。
 第1回は、2008年5月23日の大阪吃音教室の講座「職場での吃音について」です。

1 例会の進め方
進行:今日のテーマは、職場での吃音について考えます。私は講師という柄ではないので、大阪吃音教室の例会に20年通ってきた体験をもとに話をしたいと思います。そこで今日は、参加者の中から、Aさん、Bさん、Cさんをパネラーに指名し、パネルディスカッションの形で進めます。(3人が、進行役の人と並んで座る)
 まず、皆さんの職業をお聞きします。

2 吃音と職種
進行:民間の会社で、事務職をしています。
Aさん:団体職員で、事務職をしています。
Bさん:定年退職し今は無職ですが、長年自動車のセールスマンをしていました。
Cさん:生命保険の代理店をしています。
進行:参加者の皆さんにも、どんな仕事をしているのか、お聞きしましょう。

○その日の参加者が職業を発表していき、それらをまとめてみると… 公務員、会社員(事務職・営業職・デザイナー・技術職・プログラマー)、保育士、保健師、介護職員、会社経営、教員、医師でした。

進行:これまで例会に参加した人の職業はさまざまで、教師は幼稚園から大学までいましたが、一番多かったのが小学校の教員でした。医師もほとんどの科の医師がいました。税務職員、銀行員、消防署員、刑務官、プロの棋士やプロボクサーなどもいました。また、バスガイドや結婚式の司会業、僧侶など、話す機会のとても多い職種の人もいたことは驚きでした。これまでの大阪吃音教室の参加者でいなかったのは、警察官、弁護士くらいで、ほとんどすべてと言っていいくらい様々な仕事に就いています。どもる人の職種が片寄っているということはないことが分かります。
 今日は、参加者の皆さんが職場で困っていることを話してもらいたいと思いますが、まず、パネラーと私から、これまでの職歴の中で困ったことを話します。

3 辞表を胸に式典に臨む
進行:私は39年前、N社に入社しました。観光バス運行課で7年、観光バス営業課で5年、その後本社の管理課に移って事務職を27年続けています。
 運行課時代は運転手管理が主な仕事で、一番困ったのは電話でした。観光バスの運転手の仕事は前日の午後3時頃に決まります。毎日、午後3時が過ぎたら運転手から電話がかかってきて、運行課員は翌日の配車の説明をする必要があったのです。また、運行課員には夜の当直勤務がありました。深夜に事故や故障が発生した時には、さまざまな対応を電話を使って一人でこなさねばなりませんでした。
 営業課時代には、毎日、朝から夕方まで、数十本から百本くらいの電話をかけていました。それまで嫌いだった電話も、仕事だから使わなければなりません。電話での商談後、お互いに必ず名乗るのが通例で、それにも困りました。でも、電話をかけ続けたおかげで、電話に慣れることができたと思います。
 事務職になってつらかったのは、毎朝の朝礼でした。管理課主任になり、本社勤務の社員100人くらいの前で、毎日朝礼の司会をしました。その日の日付と曜日、連絡事項など、言い換えのきかない項目ばかりでした。それを15年間続けたのです。でも、今では社内の連絡事項はメールで済ませるようになり、5年前、朝礼はなくなりました。
 今は管理課が総務課となり、課長を務めています。入社式や記念式典など、重要な行事の司会は総務課長の職務で、部下にやらせるわけにはいきません。そういう司会を引き受ける勇気は、この大阪吃音教室の例会で得ました。吃音チェックリストの例会担当をして、「吃音による回避度」について話したりしている私が、こんな場面で回避してはならないと思いました。
 ある式典では失敗に備えて辞表を用意し、それを胸に式典司会に臨んだこともありました。今でもその時のドキドキを覚えています。もし、あの時、司会を回避していたら、私のサラリーマン人生はうまく行っていなかったと思います。

4 困った経験が今の糧に
Aさん:私は、3つの職業を経験しています。最初は大学卒業直後に勤めたハンカチ屋の営業職、2つ目はコンビニの店員、そして、そこも転職して、今は団体職員をしています。
 大学を卒業したのは24歳で、社会に出るのが怖かったのを覚えています。高校の時に父が亡くなったので、高校を卒業したら働かなければいけないと思っていたのですが、母親から大学進学を許され、6年かかって卒業しました。そのころ、特に怖かったのが人前で話すことと電話でした。でも、18歳から大阪吃音教室に来ていたので、高校卒業の時と比べたら、生きる自信はついていたように思います。
 最初に就職したハンカチメーカーは、営業の社員しか取っていませんでした。電話がとても怖かったのですが、商談をするには電話でアポを取る必要があります。嫌だったし、怖かったけれど、やっているうちに少しずつ慣れていきました。自分宛にかかってきた電話はまだよかったのですが、誰かにかかってきた電話を取り次ぐのはずっと苦手でした。 2年と少し続けましたが、コンビニに転職しました。そこで特に困ったのは接客マナーでした。電話を受けたら、「ありがとうございます。刈谷3丁目店です」と、決まった言葉を言わなければいけませんでした。でも、「ありがとう」の「あ」も、「刈谷」の「か」も言いにくくて困りました。スーパーバイザー(本社管理部の担当者)から時々チェックの電話が入り、電話口でつまってひどく叱られました。レジに立っても、「ありがとうございます」が言いにくくて「おおきに」を頭につけて言うと、「もっさりした口調だ」と叱られました。24時間営業の店だったこともあり、1年ほどで身体をこわしてしまい、辞めることにして、たまたまの紹介で今の職場に転職しました。
 電話のことや人との対面のことなど、ハンカチ屋とコンビニでの経験が、今に生きていると思います。(2008.5.23)(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/25