2019年、吃音親子サマーキャンプは、30回目の夏を迎えました。1990年に第1回を行ったとき、誰がここまで続くと予想したでしょう。この年、僕は、75歳になりました。
 ことばの教室、難聴学級の担当教員の研究協議をする全国組織である、全国難聴・言語障害教育研究協議会全国大会が、僕の故郷である三重県津市で開かれました。僕は、吃音分科会のコーディネーターと吃音講習会の講師をしました。
 キャンプの30回と、故郷での全国大会の講師ができて、ひとつの区切り、節目を迎えたような気がしました。あれほど僕を悩ませた吃音が、こんなにも豊かで彩りある人生にしてくれました。小学2年生の秋から、吃音に悩み、吃音を否定し、「どもれないからだ」になっていましたが、21歳で「どもれるからだ」になれ、僕の人生は一変しました。苦しかった時代よりも、楽しく豊かに生きた時間がはるかに長くなりました。楽しく、豊かに生きた吃音人生でした。
 そんな僕たちを応援してくれるように、朝日新聞が、第30回吃音親子サマーキャンプの3日間を密着取材をしてくれました。最終日の朝刊を、参加者みんなで喜びながら見た夏の日を、僕は忘れられません。
 出会ったたくさんの子どもたち、その保護者、そしてスタッフのみんなに感謝の気持ちで一杯です。

第30回吃音親子サマーキャンプ 2019年
  会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
  参加者数  114名
  芝居    コニマーラのロバ

第30回吃音親子サマーキャンプを特集したニュースレターの巻頭言

  
私が出会った子どもたち

      日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 自己受容 / 吃音児の早期自覚教育 / ああ、学童期 /  楽しさと喜び / それぞれのセルフヘルプグループ / 書くことの意味 / 直面すること / ライオンと魔女 / ことばの迷人 / 揺れる思春期 / どもり往生記 / 変わる力 / どもってもいいって? / どもってもいい、は免疫力 / たいしたことはできないが / 受け継がれる / 吃音が治らなくても / キャンプでの劇の意味 / 体験することの意味 / ひとつのきっかけにすぎないけれど / 吃音親子サマーキャンプ20年 / 卒業生への応援歌 / 吃音親子サマーキャンプの仕組み / 共振する力 / 小さな哲学者たち / みんなが元気になる / 高倉健さん、ありがとう / ひとつの家族の物語 / 変わるきっかけ / キャンプに流れる真剣さ / 大きな声で、はっきりと

 吃音親子サマーキャンプが30回を重ねた。これらは、その時のキャンプの記録を特集した『スタタリング・ナウ』のニュースレターの巻頭言として私が書いたタイトルだ。タイトルだけで、書いた内容はだいたい思い出すことができる。
 30年間でたくさんの子どもたちと出会った。その中で特に記憶に残り続ける子どもがいる。
 30年の年月と1000人を超える子どもたちだ。キャンプ後の消息が把握できているのはそんなに多くはない。その中で、3人の高校生が、今どうしているだろうと、ずっと思い続けている。
 石川県教育センターで会った源君は、不登校の原因が吃音にあることを親に絶対知られたくないと言う。カウンセラーも知らない。「自己成長のためのキャンプ」と案内を書き換えて参加を勧めた。しぶしぶ参加したものの、話し合いが苦痛だったようだ。翌日午前3時ごろ、「伊藤さん、源君がいない」の高校生たちの声で起こされた。車3台で探し回っていたとき、これでキャンプは終わるかもしれないと思った。翌年の秋、教育センターでの講演のために前泊していたホテルに、母親とネクタイのプレゼントをもって尋ねてきてくれた。吃音と向き合いたくなかった彼に参加をすすめたのは時期尚早だったのかと考えていたが、その後彼は学校へ行くようになった。
 土井君も途中で帰った。無理を言って残ってもらった母親に伝えたいことはないかと、バス停に送る道すがら尋ねた。「吃音の話は家ではタブーだった。小学2年生の妹には吃音のことを話して、絶対来年のキャンプにつれてきて欲しいと伝えて」と言った。自分がどもりながら、吃音を否定していた教師である父親を、彼は強く憎んでいたのだった。翌年、母親と妹が参加した。
 吉野君は、「どもりは治る」と横隔膜バンドをキャンプに持ち込んで練習していた。最後まで不機嫌だった。彼にとってキャンプは意味がなかったのかと思ったが、半年後父親から長い手紙がきた。「キャンプから帰って1週間ほど、死んだように寝ていた。行きたくないといっていたキャンプに無理に行かせるべきではなかったと思ったが、むくむくと起き出して、学校へ行かずに何もしていないのはだめだからと、新聞配達のアルバイトを始めた。学校へも行くようになった」
 この3人の高校生は今、どんな人生を送っているのだろう。時々思い出している。
親の会パンフレット表紙 これからも伝えていきたい子どもがいる。
 2011年の東日本大震災で津波で亡くなった阿部莉菜さんだ。小学6年生の春からの長い不登校状態だった彼女は、初日のキャンプの90分の話し合いの後、翌朝「どもっていても大丈夫」との作文を書いて、学校へ行くようになり、将来の夢を語って高校に合格したが、その夢は叶わなかった。その時の話し合いの場面は、今も時々思い出す。
 『吃音とともに豊かに生きる』(全国ことばを育む親の会)で、彼女のことは作文と共に紹介できた。いつまでも忘れないでおきたいからだ。(了) (2019.12.21)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/18