この年、「らくだ教材」で知られる、セルフラーニング研究所の教育実践家・平井雷太さんが、吃音親子サマーキャンプに参加しました。カンボジアへの出張を控えてギリギリの日程での参加でした。平井さんは、僕が、小学校2年生の秋、せりふのある役を外されたことを「不当な差別」だと思っていたことを、「配慮の暴力」ではなかったかと気づかせてくれたあの「いじめられっ子のひとりごと」の詩を書いた人です。
 平井さんは、一昨日、ブログで紹介したTBSの番組を見て、思春期真っ只中の中学生・高校生があんなにいきいきと自分の吃音体験をマイクの前で語ることができるのかと驚き、実際にこの子たちに会ったみたいと思ったとのことでした。話し合いのときは、中学生のグループに入っていただきました。教育の専門家から見た、僕たちのサマーキャンプ。平井さんの目には新鮮なものとして映ったようです。
 その縁で、一緒に吃音について人前で話したこともありました。そのときの体験について、平井さんは、次のように語っています。

 「自分の抱えている問題を人に話すことで楽になれることを体感できたことで、それをすることに意味を感じるようになりました。私が体験してきた教育の世界の中でも、同様のことがあって、《できることよりもできない現実にこそ、意味があり、できない現実を受け入れることで人は育つ》という思いが確信に近いものになっていきました」

第17回吃音親子サマーキャンプ 2006年
   会場    滋賀県彦根市荒神山自然の家
   参加者数  143名
   芝居    コニマーラのロバ(原作:エリナー・ファージョン)


  
たいしたことはできないが

                 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

 「たいしたことはできないが、ひとりの人間としてその人に誠実に向き合い、一所懸命かかわれば何かが変わる。人間の変わる力を確信している」
 「人と人とは援助する側される側の役割はあったとしても、人間としては対等であり、同行者である」
 「その人の現在を決して否定しない」
 大学や言語聴覚士の専門学校など、対人援助の仕事に就いている人、就こうとしている人への講義や講演などで私が常に言い続けていることだ。
 吃音親子サマーキャンプは、17年間、ずっとこのことを貫いて行われてきた。私は吃音親子サマーキャンプのはじめにあたって、必ずこう話す。
 「このキャンプは、世話する人と世話される人、参加者とスタッフという垣根はない。スタッフも九州や関東地方などのことばの教室の教師や言語聴覚士が、交通費を使い、参加費を払って参加しているのであり、参加者全員が対等なのだ。私たちは自らがキャンプが楽しくておもしろいから、計画をし、運営をしている。参加者のためというよりも自分自身のために参加している。私たちは勝手にキャンプを楽しむので、皆さんも勝手に自分で動いて自分で楽しんで欲しい。少年自然の家はホテルや旅館とは違ってサービスはない。私たちも一切サービスはしないが、子どもたちには精一杯かかわる」
 子どもと親の同行者である40名のスタッフは、キャンプがスタートする1時間ほど前に初めて顔を合わせる。半数以上が複数回参加者だが、初めて参加する人も少なくない。キャンプの会場で初めて出会って、事前の打ち合わせがないままに、150名近くの参加者の2泊3日のキャンプが運営されていく。
 私たちは子どもの吃音を軽くしようとか、治そうとはしない。吃音を否定しない。マイナスのものと考えない。だからといって、「どもってもいい」と子どもたちに直接言っているわけではない。どもる私たちが平気でどもりながら話し合いに参加し、劇の見本の上演ではひどくどもりながらも最後まで演じきる。つまり、キャンプの場ではどもることばがあふれ、どもっているのが自然な空間なのだ。
 初参加の中学生が「どもっているのが当たり前で、気兼ねなくどもれるのがうれしい」と言った。どもって当たり前の空間の中で、子どもたちは「どもってもいいんだ」「どもっていても大丈夫なんだ」と自らが感じたり考えたりするだけのことなのだ。特別なことは何もしていないと言える。
 ただ、子どもたちや親の話し合いに耳を傾け、その都度感じたり考えたりしたことや自分の体験を話す。演劇にしてもどもる子どもたちが声を出すことの喜び、楽しさ、気持ちの良さを味わってほしいと、歌を歌ったり、劇の上演に取り組むのであって、できるだけどもらずに、そつなく劇を上演するために、演劇、表現活動に取り組んでいるわけではない。
 大勢の前で、どもって声が出なくても、お芝居が中断しても途中で子どもが役を降りてもそれもあり、なのだ。17年間の活動の中で、どもって立ち往生して泣き出した子どもも何人かいた。しかし、舞台が終わった後は、泣いてすっきりした顔になっていた。そして、その子どもたちは、次の年のキャンプにまた参加し、今度は泣かずに堂々とどもっていた。
 たいしたことをしているわけではないが、私たちが一所懸命かかわることで、子どもたちはどんどん変わっていく。そして、吃音と向き合い、吃音と上手につき合い始める。今後、悩んだり落ち込んだり、元気になったり、また悩んだりしながら、自分の人生を生きていくことだろう。キャンプで子どもたちは、私の言うゼロの地点「どもっても、まあいいか」の地点に立ち、そこから歩み始める。子どもたちが自分の力で考え、気づき、行動しているだけで、私たちは、キャンプという場を設定をしているだけだ。変わるのは子どもたちの自己変化力によるものだ。今年も初参加のときと比べて大きく変わった3人の卒業生がいた。(了)  (2006.10.21)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/9/18