僕は、成人式のとき、自分が社会人となって仕事をしている姿を想像することができませんでした。名前も言えない、自己紹介もできない、電話もできない、そんな人間に仕事ができるとは思えなかったのです。
 仕事ができるようになるためには、吃音を治すしかないと思い、民間吃音矯正所・東京正生学院に行くのですが、そこで出会った人たちは、みんな、吃音を治すために来ているけれど、家に帰れば、ちゃんと仕事をしている人たちばかりでした。どもりながらも仕事に就いて、生きているということを知ったことはとても大きいことでした。
 どもる人の就職・就労について相談を受けることも多いですし、いろんな人が自分の仕事について、書いています。しばらく、そんな話を集めたいと思います。
 まずはじめに、厚生労働省の外郭団体から「吃音と就労」について書いて欲しいと依頼を受けて書いた文章を紹介します。

 
吃音と就労
                日本吃音臨床研究会 伊藤伸二
 夢がないのがつらい
 私は小学校時代、音読や発表でどもることを笑われ、吃音に強い劣等感をもち、どもりたくないために、あらゆる話す場面から逃げた。勉強も、遊びも、スポーツも身が入らず、不本意な学童期・思春期を生きた。仕事に就いている自分をイメージできずに成人式を迎えた。子どもの頃、流行っていた宮城まり子の「ガード下の靴磨き」の歌の、♪風の寒さやひもじさは 慣れているから泣かないが ああ 夢のないのが つらいのさ♪の「夢のないのがつらい」の言葉がずっと私の未来を覆っていた。

 吃音治療所での体験
 「どもりを治さないと私の人生はない」と、どもりが治ることだけが私の夢となった。大学1年生の夏休み、「どもりは必ず治る」と宣伝する吃音治療所に1か月入寮し、訓練に励んだが、私を含め300人の全員が治らなかった。しかし、私は初めて自分以外の多くのどもる人と対話し、吃音の知識だけでなく、どもる人の人生を知った。
 ・「ぼぼぼぼぼ僕」とどもっていた私は、「僕」と言おうとしても「……」と「ぼ」の音がつまって出てこないどもり方があることを初めて知った。人によって、どもり方もどもる程度も、どもりやすい言葉や場面も違う。
 ・吃音になる原因は、膨大な研究がありながら、解明されず、治療法としては、「ゆっくり話す」言語訓練しかない。本人の性格の弱さや努力不足とは関係なく、ほとんどの人が治らず、世界中でどもる人は、人口の1パーセント程度いる。
 ・かなりどもっても平気な人、ほとんど分からないくらいなのに深く悩んでいる人など、悩みや人生への影響は吃音の程度ではなく、本人がどう受け止めているかによる。
 「どもりが治るはずだ」と信じていた私は、吃音が治らないという現実を知って大きなショックを受けたが、どもりが治ることにあきらめがついたことで、吃音と共に生きる覚悟ができた。そこから私の人生は大きく変わっていった。

 どもっていても、できないことは何一つない
 治療所で出会った人たちは、地元に帰れば様々な仕事に就いていた。農業をしたり工場に勤めたりしている人もいたが、学校の教師や僧侶、営業職や会社の経営者など、話すことの多い仕事に就いている人もたくさんいたことは、驚きであるとともに、私に夢を与えた。家が貧しく大学の生活費すべてを自分で賄わなくてはならなかった私は、当初新聞配達店に住み込んで大学生活を始めた。吃音治療所を退寮した後は、様々なアルバイトをしようと決めた。セールス、接客、工場、家庭教師など様々な仕事に就き、苦しいことも多かったが、「どもるからといってできない仕事は何一つない」と経験を通して知った。その後、吃音が縁で、言語障害児教育教員養成大学の教員になり、講義や講演など人前で話すことが仕事になった。ライフワークとして、どもる人の生き方、どもる子どもへの支援について研究し、実践を続けきた。私が開設する電話相談・吃音ホットラインには、吃音の就労について、どもる当事者やどもる人が勤めている企業からの相談が多く寄せられる。
 
 吃音ホットライン(072−820−8244)への就労の相談
眼鏡チェーン店でトップの売り上げを続け、都内の有名な高級眼鏡店に引き抜かれて4か月になる女性は、対面での営業には自信があり、売り上げでトップに立ったが、電話応対がマニュアルどおりにできず退社するかどうかで悩んでいた。「電話がマニュアルどおりできなくても、眼鏡に愛情が深く、知識も豊富で接客がうまい、売り上げのトップの人を、どもるからといって解雇する経営者はいないと思う。正直に吃音について話をして、相談したらどうか」と伝えた。彼女は、吃音について正直に伝えた。電話は仕事のごく一部だ。彼女は会社を辞めることなく、好きな眼鏡店で楽しく仕事をしている。
 「消防士になりたいが、僕のようにどもっていてなれるだろうか」と相談してきた大学生に、どもる苦労はどんな仕事に就いてもついてくる。自分の本当にしたい仕事なら、苦労に耐えられるのではと、夢を追うことをすすめた。消防学校時代、「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか」と指導教官から強い叱責を受けて悩んだが、消防服に着替える速さでは人に負けないなど、話すこと以外では人一倍努力し、消防学校を卒業し、今は消防士として仕事を続けている。
 教員採用試験でどもって名前がなかなか出なかった時、「私はどもります」と自ら公表したことで、「ゆっくりでいいですよ」の面接官のことばに落ち着き、吃音に悩みながらも教師になりたいとの夢を語った。「あなたのような人が教員になれば、何かに悩んでいる子どもにとって、力になるでしょうね」と面接官が言った。採用された女性は、卒業式で生徒の呼名をする時に困るなど苦労はあるが、工夫をしながら教師の仕事を続けている。

 吃音への理解 
 どもる言葉、どもる場面、困る場面はどもる人ひとりひとり違う。吃音は、「努力で治るはずだ」などの誤解も多く、理解されにくい。「吃音は一般的にこう理解すべきだ」ではなく、私はこのようなことが苦手だが、この点ならがんばれるなど、自分の言葉で自分の吃音を説明し、周りに伝える力をつけておくことが必要だ。どもる人が吃音を否定し、隠し、どもらないようにしようとすると、かえってどもり、その態度が就職活動で不利に働くことがある。また、仕事に就いてからも、「どもりたくない」の思いが強すぎると、仕事上うまくいかなくなる。就職活動の面接でも、その後の仕事でも、吃音を認め、どもっても話すことから逃げない態度が何よりも大切なことだ。
 就労関係者もどもることより、その人の人柄、能力を見てほしい。また、仕事場で、どもる人がどんなことに困っているかの本人の声に耳を傾けてほしい。周りの理解と、どもる人本人の少しの工夫で、どもる人はその力を発揮しやすい。
  
 どもる人の就労の実態調査
 1992年、愛媛大学の水町俊郎教授が113名のどもる人の就労の実態調査をした。
 「どもる人の職種といえば、あまりしゃべらなくても済むと一般的に考えられている仕事ではないかと思われがちだが、実に多種多様である。一番多かったのは公務員(教員以外)、次いでプログラマーなどの技術者、三番目が教諭であった。注目すべきことは、一般的に仕事を遂行する上で、コミュニケーションが重要な役割を果たす職種であると考えられる学校の教諭、営業職が上位を占めているということと、総合病院の受付、医師、看護師、接客業など人と直に接する仕事の分野にどもる人が進出しているということである。多くのどもる人があらゆる仕事に就いていて、いろんな問題にぶつかりながらも自分なりに工夫、努力をして、真摯に職務を遂行している。それらの事実を知ると、「このままでは、この子は将来、どんな仕事にも就けないのではないか」と悲観的な思いをしている親が、子どもの将来について無用な取り越し苦労をする必要がなくなると同時に、将来を見越して今何をやっておくべきかが明らかになってくる」
 『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』第7章 吃音者の就労と職場生活P.123~P.144 水町俊郎・伊藤伸二 ナカニシヤ出版 2005年
 この調査研究から20年以上たち、状況は多少違ってきているかもしれないが、眼鏡店の販売員、消防士、教師の話は最近のことだ。吃音を否定せず、吃音について自らの言葉で周りに理解を求めることで、就職活動に成功したり、職場生活でも仕事がしやすくなった例は実に多い。どもる人のセルフヘルプグループである、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトでは、「吃音と共に生きる」ことを学び、実践している。
 
 おわりに 
 近年、発達障害とは本質的にはまったく異質の吃音が、発達障害者支援法の中に、なぜか入った。吃音はその程度はさまざまで、障害者手帳を取得しての就労を選択する人も出てくるだろう。選択肢が増えたことは喜ばしいことだが、私には少しの危惧がある。就職活動で苦戦するとつい安易に自分の可能性を閉ざしてしまわないかということだ。面接でひどくどもって、教師になることを心配されたが、苦労はあったものの、教師生活をまっとうした人を何人も知っている。吃音は生活の中でできるだけ話していく中で、自然に変わっていくものだ。現在のどもる状態が固定するわけではない。できるだけ、自分のしたい仕事に就いてほしい。たくさんのどもる人の就労に立ち会って、自分自身の経験からも、心から願っている。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/5