ジェームズ・ディーンの「エデンの東」

 著名人の文章修業では、何人もが同じように、とりあえず書くことだと言います。活字を読むこと、文字を書くこと、僕の生活には欠かすことのできないことです。
 僕は、よく映画に救われたという話をしますが、その映画の中のひとつが、「エデンの東」です。「エデンの東」について、昔、書いた文章を紹介します。
 
  
エデンの東
                   伊藤伸二

ジェームズ・ディーンの写真 「人に認められない、愛されないことがどんなに辛く、悲しいことか。息子に何か頼みなさい。君が頼りだということを示してあげなさい。このままでは、あなたに愛されていないと信じて、彼は今後生き続けるのですよ」
 兄のフィアンセだった彼女に、うながされて、病床の父は、ジェームズ・ディーンの演じるキャルに、口うるさい看護婦を追い出せと頼む。やっと父親に頼ってもらえた、やっと父親が自分にふりむいてくれた。ジェームズ・ディーンのこの時の表情が大好きだった。このシーンにくると、いつも涙があふれた。何度観ても同じだった。映画館を出るとき、恥ずかしいほど目が腫れるほど泣いた。実際はそうでなくても、愛されていないと自分で思い込んでいる時に、「エデンの東」は私に、愛のもつ意味を教えてくれた。
 どもる自分が許せなかった。いつもひとりぼっちだった。できのいい兄といつも比べられていると感じられ、父親からも母親からも愛されていないと思っていた時期があった。その時は、ジェームズ・ディーンはまるで自分そのものだったのだ。
 思いきり涙を流すことで、今の辛さが少し癒された思いがした。映画館を出ると、父への母への兄への思いが少し和らいだからだ。
 何度も何度も同じ映画を、上映のたびに観た。その数、三十回は越えているだろう。その度に、父を母を少しずつ許せるようになっていくのが分かる。映画を観る回数とその後の人生体験による自分の成長が、歩みを同じくしているのも実感できた。
 どもっている自分が、人から愛されている。そして、恋人に、僕の好きな映画を観に行こうと誘えるようになった。同じ場面で大泣きしたが、その顔も彼女の前でも隠さずにいることができるようになった。一人で観ているときとは全く違う不思議な思いが胸いっぱいに広がる。人に認められ、愛されるようになった私が、これまでとは全く違う立場で、「エデンの東」を観ているのだ。四人兄弟の中で、私ひとりがどもり、成績も行いもすべて兄より私が劣っていた。清く正しく、誰からも愛された兄。ことごとく反抗し、ひねくれていく弟。この兄弟の葛藤を描いた「エデンの東」が、辛かった時代の私を救ってくれた。
 正しかった、強かった兄が、結局は破壊の道を歩み始め、誰からも愛されていないと思っていた弟が、兄の婚約者の愛を得た。私も、最終的には兄に負けないかもしれないとの期待を持たせてくれたことも私には大きかったようだ。
 「エデンの東」は、今ではビデオがあり、映画館に行かずとも、いつでも好きな時に観ることができる。しかしほとんど観なくなった。私にとって「エデンの東」はもう必要がなくなったのだろう。
 「エデンの東」とは別のつき合い方ができるようになったが、清く正しいと自分で思っている兄については、昔の感情とほとんど変わっていない。
 今でも兄は、私の嫌いな人間のままだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/19