三重県の亀山市に知る人ぞ知る有名なクリニックがあります。特別に悪いということはないのですが、少し気になっているところがあるので、いつかはその名医の診察を受けたいと思っていました。亀山に行きたいとずっと思っていた理由がもうひとつあります。僕の高校時代の唯一の友人といえる人が亀山に住んでいるからです。そのクリニックに行った機会に連絡をしてみようと、ずっと思っていました。

 6月末、そのクリニックに行ってきました。大いなる不調があったわけではないのですが、急に、診察を受けようと思い立ったのは、新型コロナウイルスの影響で少しは患者が少ないのではと考えたからです。初診の後、詳しい検査があるだろうから、何回か亀山に行くことになるだろうと思ったので、そのどこかで、友人に会えればいいなあと考えていました。
 予想通り、コロナの影響で患者が少なく、思いの外診察が早く終わり、本格的な検査の予約もとれたので、思い切って、彼に電話してみました。留守なら、次回にしようと思っていたのですが、電話をとったのは彼でした。僕の突然の電話に驚いていました。偶然にも、そのクリニックから歩いても10分ほどのところに住んでいるとのことで、「家に寄ってくれ」と言われ、50年ぶりに再会しました。

 僕の出身は、三重県津市で、小学校、中学校、高校時代と浪人の1年を過ごしました。昨日、高校入学と同時に入部した「卓球部」を、自己紹介でどもりたくないという理由だけで退部した「自分史」を紹介しました。大好きだった卓球からも逃げたことで、その後21歳の夏までは、逃げてばかりの人生でした。勉強から、人間関係から、日常生活から、逃げ続けていたのです。勉強のできない、仲間のいない暗黒の高校生活でした。
 その高校生活の中で、ただ一人僕を友だちと考えてくれていた人が亀山市に住んでいる彼でした。僕にとって高校生活の中で記憶に残っている唯一の友だちです。彼は、三重県亀山市から電車で通学し、高校3年間、同じクラスでした。関西の大学を卒業し、長年勤めた、地方銀行の支店長を退職した後は、地方裁判所の調停委員をしていると、年賀状のやりとりを通じて知っていました。一度会いたいなあと、お互いに考えていたのですが、現実にはなかなか会う機会がなく、年賀状だけのつきあいがずっと続いていたのです。
青木さんの結婚式 (2) ちょっと顔を見るだけのつもりでしたが、お連れ合いとも挨拶し、お昼までごちそうになり、気がついたら、4時間ほど話し込んでいました。お連れ合いから「伊藤さんのことはよく聞いていました。私たちの結婚式に出席していただきませんでしたか?」と質問されました。そう言われたら、結婚式に参加したかもしれないと思い出しましたが、僕の記憶では定かではありませんでした。後日、お礼の手紙を書いたとき、結婚式のときの写真で僕が写っているか調べてほしいとお願いしたら、結婚式に出席している写真を送ってきてくれました。記憶からは消えていたのですが、亀山市で開かれた結婚式に、当時東京に住んでいた僕を招待してくれていたことが明らかになりました。僕にとってだけでなく、彼にとっても、僕は結婚式に出席するくらいの仲のいい友だちだと証明されたようで、とても幸せな気持ちになりました。
お互いにそれなりに年を重ねてきました。話の中で、彼は、何度も、「あの、高校時代の伊藤が、本書いたり、講演したり、講義をするような人間になっていたとは信じられない」と言いました。僕自身も信じられないのですから、彼がそう言うのは当然です。
 人は、どんな過去があっても、決心しさえすれば、いつでも変わることができる、そう思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/18