ことばを大事にした政治家−神近市子さん

 大阪教育大学特殊教育特別専攻科の集中講義「吃音ショートコース」の事前学習として吃音の著名人にアンケートを送るとき、様々な論議がありました。
 吃音について意識していない人もいるかも知れないし、吃音であることを公表していない人もいる。そこへ、突然、見も知らぬところから、吃音についてのアンケートをお願いしたいという手紙が届くと、不快に思う人もいるのではないか。私たちの想像で「どもる人」と決めつけてもいいのか。何らかの形で吃音について触れているとしても、他人から吃音について問われることに不愉快な思いをする人もいるのではないか。そんな危惧がありました。そのときは謝罪するしかない、そのときは素直に謝ろう、いろいろと思いを巡らしながら、とにかく手紙を出してみようと学生たちが決心したのです。
 その中で回答して下さった貴重なものなので、埋もれさせるのはもったいないと考え、僕のブログで紹介することにしました。まず、 神近市子さんです。ほとんどの人が知らないと思いますが、当時は少なかった女性政治家です。

 
「私と吃音」アンケート
1 「吃音の悩み」とはどのようなものであったのか?
2 吃音のとらわれから解放された、吃音を克服されたきっかけはどのようなものであったのか? 
3 現在、吃音についてどう思っておられるか? その吃音観をお聞かせ下さい。
4 私たちのテーマ「吃音を治す努力の否定」について、ご意見をお聞かせ下さい。

 神近市子さん(政治家)
 吃音についてのお尋ねですが、私の場合はそれは極く幼少の時のことです。身体が強健でしたから、おそらくその行動が自分の気持ちの変転に間に合わぬと同じ作用で、吃音を出したのではないでしょうか。
 女学校の課程は、キリスト教の学校でした。
 英語はご存じのように日本語よりスラスラ意味を運びます。英語では吃音を出した記憶はありません。
 お手紙によると吃音者の教育に御尽力のようですが、国会議員になるためには、弁論することが第一の資格です。その弁論または講演をするのに、発声や発語に何の支障も感じたことはありません。もし私の演説とか講演に何かひっかかりかとまどいがあった時には発声よりは言わんとすることの内容に、とまどいか自分にも自信なく理論に不明確な点があった時でしょう。
 吃音者の苦労は、おそらくどもらない人には想像もできないでしょう。ただこの問い合わせをいただいて考えただけですが、健康な人がどもるのは、その人の考えにとまどいが起こる場合−つまり言わんとすることにハッキリした信念を含まぬ時ではないでしょうか。
 生理的に発音発声に何か支障がある場合のほかは、吃音は御尽力によって直してやれると存じます。また生理的の場合は、その根源の治療によらねばならぬでしょう。
 まことに困難なお仕事、多数の人を助けるお仕事に深く敬意を表明いたします。
 結論としては、吃音年少者に、生涯を賭ける希望か野望を持つように指導することであろうと思います。その第一歩は、吃音が生理的に障害ある場合を除き治すことのできる障害であることを、本人達によく納得させ、その第一歩に踏み切る決意を起こさせることでありましょう。皆さんの人生の御努力に深い共鳴と謝意とを表明いたします。
  (第2回吃音ショートコース報告集 1974.8.7〜11 大阪教育大学特殊教育特別専攻科)

 
神近市子紹介 (1888−1981)
 女性運動家、政治家。女子英学塾(現・津田塾大)在学中に平塚らいてうの青鞜社に参加、東京日日新聞(現・毎日新聞)では婦人記者として活躍。大正5年(1916)恋愛関係のもつれから大杉栄を刺し、2年服役。その後、文筆・評論活動で身を立て、戦後は女性解放運動などに従事。また、左派社会党および再統一後の日本社会党から出馬し、衆議院議員を5期務め、売春防止法の成立に貢献した。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/3