著名人に対する「私と吃音」アンケートへの、金鶴泳さんの回答

 大阪教育大学(聴覚・言語障害児教育)の教員をしていた時、特殊教育特別専攻科の吃音の講義には、大学の枠を超え、大学の教員、病院の医師、教育研究所の研究員、ことばの教室の教員、成人のどもる人も参加しました。それは、第1回は5泊6日で、2回目からは4泊5日で、「吃音ショートコース」と名付けられていました。その後の、日本吃音臨床研究会主催の「吃音ショートコース」「新・吃音ショートコース」の前身ともいえるものです。
 1974年8月7日から11日まで、兵庫県ハチ高原で、47名が参加して、第2回吃音ショートコースが開かれました。その事前の学習として僕の講義や、ことばの教室でどんな実践が行われているかの調査と並んで、吃音の著名人にアンケート調査をすることにしました。自伝や発言で、吃音について語っている人を対象に、アンケートで、僕たちは、次のように尋ね、自由記述で回答していただきました。多くの方々が僕たちの取り組みに共感し、回答を寄せて下さいました。その中のひとり、金鶴泳さんの回答を紹介します。僕が提起した「吃音を治す努力の否定」に全面的に賛成して下さいました。

 
「私と吃音」アンケート
1 あなた様にとって「吃音の悩み」とはどのようなものであったのでしょうか?具体的にお聞かせ下さい。
2 吃音のとらわれから解放された、あるいは吃音を克服されたきっかけはどのようなものであったのでしょうか? できるだけ具体的にお聞かせ下さい。
3 現在、吃音についてどう思っておられますか? その吃音観をお聞かせ下さい。
4 今回の合宿のテーマ、「吃音を治す努力の否定」について、ご意見をお聞かせ下さい。


金鶴泳(作家)
拝復
 吃音問題について真剣に取り組んでおられるご様子に対して、まず敬意の念を表したいと思います。吃音は、当人にとってはこの上ない苦しみであるにもかかわらず、非吃音者にとっては、その辺が案外理解されていないと思います。小生は30歳頃まで、吃音に悩まされましたが、現在では、ほとんど吃音から解放されました。時と場合によってはまだ吃音の症状を呈することがありますが、もはやそれを苦に思わなくなりました。そして吃音者とは、どもる者というよりは、どもることを苦にする者のことであると小生は考えています。お問い合せの件について、お答えします。

1 「吃音の悩み」とは、小生にとって、やはり他者とのあいだの意思疎通がままならないということでした。単純なことさえも言えないということからくる嘲笑、蔑み−それが非常な苦痛でした。たとえば、中学や高校時代、先生がかわるので、毎時間出席をとります。しかし小生は「ハイ!」という返事も思うように出ませんでした。いつも小生の名にさしかかるたびに小生の返事がとどこおるので、ある先生などは、「さっさと返事をしろいっ!」と怒鳴りつけたことがあります。また、小生は級長をしていたので、毎時間の始めと終わりに「起立!」「礼!」「着席!」の号令をかけねばならず、その一つ一つにいちいちどもっていた状態で、それが苦痛のあまりしばしば自殺を考えたほどでした。

2 吃音から解放されたきっかけは、小生の吃音状態をそのままに書いた作品(「凍える口」河出書房新社)を発表したことであったと思います。つまり、吃音は、隠そうとすればするほど一層こうじるものであり、たとえば脚の不自由な人が堂々と松葉杖をついているのと同じく、どもりは、どもりらしく話せばいいのだということ、その境地を自身の吃音の状態をあからさまにさらけ出すことによって得られたように思います。

3 吃音についてどう思うか、ということは先に書いたことと重複しますが、吃音者は吃音であることを恥じ隠すことは微塵もない、むしろ、恥じ隠そうとするとそこにゆがみが生じてくる、と小生は考えています。片手や片脚が不自由だからといって恥ずることは何もない。それと同じように吃音であることも恥ずることは何もないのです。

4 「吃音を治そうとする努力の否定」に対して、小生は全面的に賛成です。「どもりを治そう」という意識は、それだけ吃音にとらわれていることを意味します。そして吃音者にとって最も必要なのは、どもりにとらわれている状態から、自らの心を解放することだと思います。「どもったてかまわないではないか」という境地を自分のものにすることです。

 以上、ご参考になるかどうかわかりませんが、小生の経験からかいてみました。
                                    草々
第2回吃音ショートコース報告集 
大阪教育大学特殊教育特別専攻科 1975年9月30日発行


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/2