吃音の大先輩・羽仁進さんと、吃音者宣言

羽仁進1 NHKの番組をきっかけに、僕たちの月刊紙「スタタリング・ナウ」の特集をもとにして、羽仁進さんを紹介してきましたが、今回で一応の終了です。最後は、吃音者宣言と羽仁進さんの吃音論についてです。

 僕がかつて言友会のリーダーだったときの話です。創立から10年の会活動の成果。大阪教育大学の教員の時の、セルフヘルプグループ活動と僕の人生の検討。全国35都道府県38会場での全国吃音巡回相談会や、悩みの実態調査のためのインタビューで直接出会った2000人以上のどもる人との対話。これらをもとに、「吃音者宣言」を出すことにしました。なぜわざわざ宣言文を出さなければならなかったのか。反対も少なくなかった中で、文章として宣言する必要を感じたのは、後に続くどもる人、どもる子ども、吃音関係者を意識したからです。紀元前の時代から、ものすごい数のどもる先輩が、吃音と闘い、その闘いに敗れています。そして、闘いに敗れ、あるいは疲れ、吃音と「和解」の道を選んで、その後の楽しく豊かな人生を切り開いてきました。そのような人は大勢いたはずです。しかし、僕が吃音に深く悩んでいた学童期、思春期、1965年に吃音を治すために訪れた「東京正生学院」でも、吃音と共に豊かに生きた人の存在を聞くことはまったくありませんでした。吃音を治さないと大変な人生になると、「吃音の悲劇」ばかりがクローズアップされていました。僕たちは、この「吃音は悪い、劣った、恥ずかしいものだ」との社会常識のようなものに支配され、吃音と闘い、そして、先人と同じように闘いに敗れ、吃音との「和解」の道を選びました。吃音を治そうとすること、治りたいとの意識を持ち続けることが、かえって自分の人生を危うくすると考えて、吃音を治そうとする努力を、自分の人生にこそ振り向けようと「吃音を治す努力の否定」の提起をしました。
 せっかく大勢の人々が集まり、どもる人のセルフヘルプグループ活動を10年続けてきた結果たどり着いた経験を文章に残さなければ、後に続く人たちは、同じ過ちをずっと繰り返すことになります。それをひとつの物語として文章に残そうと、僕は「吃音者宣言」の起草文を書きました。そして、言友会創立10年目に全国の仲間と採択したのです。「吃音者宣言」を読んだ羽仁進さんが、『自分主義』という著書の中で、「吃音者宣言」に触れた文章を書いています。宣言文全文と、羽仁進さんのコメントを紹介します。自分も吃音に悩んだ経験をもち、吃音を通して自分をつくりあげてこられた羽仁進さんならではのコメントです。

      吃音者宣言

 私たちは、長い間、どもりを隠し続けてきた。「どもりは悪いもの、劣ったもの」という社会通念の中で、どもりを嘆き、恐れ、人にどもりであることを知られたくない一心で口を開くことを避けてきた。
 「どもりは努力すれば治るもの、治すべきもの」と考えられ、「どもらずに話したい」という、吃音者の切実な願いの中で、ある人は職を捨て、生活を犠牲にしてまでさまざまな治すこころみに人生をかけた。
 しかし、どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかわわらず、充分にむくわれることはなかった。それどころか、自らのことばに嫌悪し、自らの存在への不信を生み、深い悩みの淵へと落ちこんでいった。また、いつか治るという期待と、どもりさえ治ればすべてが解決するという自分自身への甘えから、私たちは人生の出発(たびだち)を遅らせてきた。
 私たちは知っている。どもりを治すことに執着するあまり悩みを深めている吃音者がいることを。その一方、どもりながら明るく前向きに生きている吃音者も多くいる事実を。
 そして、言友会10年の活動の中からも、明るくよりよく生きる吃音者は育ってきた。
 全国の仲間たち、どもりだからと自分をさげすむことはやめよう。どもりが治ってからの人生を夢みるより、人としての責務を怠っている自分を恥じよう。そして、どもりだからと自分の可能性を閉ざしている硬い殻を打ち破ろう。
 その第一歩として、私たちはまず自らが吃音者であること、また、どもりを持ったままの生き方を確立することを、社会にも自らにも宣言することを決意した。
 どもりで悩んできた私たちは、人に受け入れられないことのつらさを知っている。すべての人が尊重され、個性と能力を発揮して生きることのできる社会の実現こそ私たちの願いである。そして、私たちはこれまでの苦しみを過去のものとして忘れ去ることなく、よりよい社会を実現するために活かしていきたい。
 吃音者宣言、それは、どもりながらもたくましく生き、すべての人びとと連帯していこうという私たち吃音者の叫びであり、願いであり、自らへの決意である。
 私たちは今こそ、私たちが吃音者であることをここに宣言する。
      1976年5月1日 言友会創立10周年記念大会にて採択
       『吃音者宣言 言友会運動十年』(伊藤伸二編著・たいまつ社 1976年)


【羽仁進さんのコメント】 
 とうとう、どもりの人の集まりである言友会は、歴史的な宣言を発表しました。「どもりは治らないかもしれない」絶望的な宣言のようです。ところが、ここには大きな希望がある。絶望をとおして、自分たちを見つめ直し、真実を知って、はじめて言えるようになった。いままでは、ダメかもしれないと感じながら、それだけは言いたくなかった。それを言ってしまっては、全部オシマイ。だから、怖くて言えなかった。それが言えるようになったのです。何故か。どもることのわけが、少しずつ、わかりはじめてきたからです。
 いままでは、どもりを、貧乏神みたいに思ってきた。このどもりさえ退治して、追い払ってしまえば、しめたものだと、と思い込んでいた。それが違うのだ。どもることが、もっと深く、自分と結びついている。ことによれば、自分そのものなのかもしれない。どもりを、無理して治すと、自分が自分でなくなる。再発する。頑固に治らないということの中に、何かがかくされている。それは、自分の本質の秘密かもしれない。どもりをもっと見つめ直そう。そのことが、自分自身を発見し直すことにつながるのではないか。吃音者宣言はそう呼びかけていたのです。
                    『自分主義』青春出版社


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/5/21